初期新羅は倭人の国

初期新羅は倭人の国 金氏ワイ(穢多)族に乗っ取られた。 初期高麗も倭人系だが王氏高麗に同様に

初期新羅は 倭人の国 金氏新羅のワイ(穢多)族 に乗っ取られた、

初期高麗は 倭人系豪族=弓裔王(ユミスエ王) 王氏高麗のワイ族 に乗っ取られた、

日本人、うかうか脳天気してると乗っ取られるぞ!2

初期新羅は 倭人の国

金氏新羅のワイ(穢多)族 に乗っ取られた、

初期高麗

倭人系豪族=弓裔王(ユミスエ王)

王氏高麗のワイ族

に乗っ取られた、

古代 韓/カラ半島の楽浪地方(現在の黄海道および京畿道)に住んでいた百済人。

彼らは日本人と同じ倭人系である。

 もともと楽浪地方には、紀元前の時代から倭人が住んでおり、彼らは漢人からは「楽浪人」と呼ばれ、
日本列島の倭人からは「高麗/コマ人」と呼ばれていた。このコマ人が後の百済人である。

一方、楽浪地方の北方、現在の満州地方には「扶余/フヨ族」というモンゴル系遊牧民が住んでいた。

扶余/フヨ族はコーリィ、ゴーリィ、ガォリィなどとも呼ばれていたが、いくつもの部族に分かれていた。

 (扶余高句麗沃沮(ヨクソ)・穢貊(ワイハク))
画像の説明
その内の一つ、満州南部に住んでいたフヨ族は、玄兎郡に従属し、

漢人から『高コーリィ』と呼ばれていた。これが「高句麗人」である。

1世紀 - 494年に中国東北部にあった国家又はその主要構成民族。→夫余

百済の王族名。→扶余

扶余/建国神話(高句麗)に登場する。

人々は体格が非常に大きく、性格は勇敢で、謹み深く親切であり、あまり他国へは侵略しない。

つまり、高句麗人とはフヨ族であり、モンゴル系遊牧民なのである。

農耕民族である楽浪人=百済人とは異種なのだ。

ところが、朝鮮人/韓国人は、「高句麗人の一部が南下して『百済人』になった」と、ウソをつくのだ。

朝鮮人の主張では、北方民族の高句麗人(フヨ族)が南下して百済を建国したという話なのだが、明らかに捏造であり、

正しい歴史は、南方系農耕民族=倭人が、クタラ地方(今の全羅道および忠清道)から北上して、コマ(現在の京畿道)の地に建国したのが、百済(コマ)なのである。

ようするに、百済を建国したのはカラ半島を「北上」した倭人勢力であって、満州地方から「南下」してきたフヨ族ではない。
にも関わらず、朝鮮人は、百済人のことを高句麗人の同族だと主張しているのだ。

彼らの主張は、下記のようなものだ。『2ちゃんねる』の「東アジアニュース速報掲示板」で見つけた主張である。

745の言うようなエヴェンキ=ワイ族だと言うなら、ワイ族が建てた国は、

・前107年 夫余

・前75年 沃沮

・前59年 高句麗

の3国なんだが? そして後に、高句麗から百済が分かれる。
百済の支配層と被支配層は言語が違う別種だったようだが)
高句麗百済が現代に繋がってないと主張する一方で、現代韓国人=ワイ族だと主張する愚かさ。

どうせデマとコピペの張り合わせだから、矛盾しまくってるんだろうが。

・史書におけるワイ(穢族)はツングース系である(更にエヴェンキと特定する?)

高句麗百済の血と文化は現代に継承されてない(日本が継承したって?)

・にも関わらずエヴェンキ(ワイ)の文化であるソッテは継承されている(何世紀以前の文化がないって?)

・倭人系の王家とその系譜に連なる貴族が存在した新羅が倭と無関係で、百済人こそ倭人系である(意味不明w)

これら全てを真とする主張なんてどこの電波学者が出してるんだ?


http://ameblo.jp/smalldemo/entry-11398177481.html