後漢

後漢

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後漢(読み)こうかん
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
後漢
こうかん

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後漢
ごかん

「漢」のページをご覧ください。

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デジタル大辞泉の解説
こう‐かん【後漢
中国、五代の一国。947年、後晋の劉知遠(りゅうちえん)(高祖)が建国。都は汴京(べんけい)(開封)。950年、後周に滅ぼされた。ごかん。
ご‐かん【後漢
中国古代の王朝。25年、前漢景帝の6世の孫、劉秀(りゅうしゅう)(光武帝)が新を滅ぼして、漢を再興。都は洛陽(らくよう)。220年、献帝のとき魏(ぎ)に滅ぼされた。東漢。
⇒こうかん(後漢

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百科事典マイペディアの解説
後漢【ごかん】
→漢

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大辞林 第三版の解説
こうかん【後漢
① 中国、五代の一。後唐・後晋の臣、劉知遠が建てた中原の王朝(947~950)。都は大梁。二世四年で部将の郭威に滅ぼされた。
② ⇒ ごかん(後漢

ごかん【後漢
① 中国、劉秀(光武帝)が王莽おうもうの新を滅ぼして復興した漢王朝(25~220)。都は洛陽。黄巾の反乱で衰退、滅亡した。前漢を西漢というのに対し東漢ともいう。
② ⇒ こうかん(後漢

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精選版 日本国語大辞典の解説
こう‐かん【後漢
中国の国名。五代の一つ。九四七年、突厥沙陀部出身の劉知遠が、後晉を滅ぼした遼軍が引き揚げたのち、大梁(河南省開封県)を中心に建てた国。二代で、九五〇年後周に滅ぼされた。
ご‐かん【後漢
中国古代の王朝名。
[一] 王莽(おうもう)の新が滅びたのち、西暦二五年、劉秀(光武帝)が再興した漢王朝。都は洛陽。三代までは栄えたが、二二〇年、外戚、宦官の介入による政治の混乱と地方豪族の割拠によって滅亡した。東漢。
[二] 五代十国の後漢(こうかん)。

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世界大百科事典内の後漢の言及
【漢】より

…ただし漢は紀元8年に外戚の王莽(おうもう)によって帝位を奪われて一時中断したが,25年には一族の劉秀(光武帝)によって復活した。そのため王莽が簒奪する以前の漢を前漢といい,復活後の漢を後漢という。また前漢は都を長安におき,後漢は都を洛陽に定めたため,都の位置から前漢を西漢,後漢を東漢とよぶことがある。…
【漢】より

…突厥(とつくつ)沙陀部の劉知遠が大梁(河南省開封)に建てた国。後漢ともいう。五代王朝のなかでももっとも短命で,わずか2主4年で滅びた。…
【漢】より

…ただし漢は紀元8年に外戚の王莽(おうもう)によって帝位を奪われて一時中断したが,25年には一族の劉秀(光武帝)によって復活した。そのため王莽が簒奪する以前の漢を前漢といい,復活後の漢を後漢という。また前漢は都を長安におき,後漢は都を洛陽に定めたため,都の位置から前漢を西漢,後漢を東漢とよぶことがある。…

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