新羅本紀

新羅本紀による半島情勢年表(参考:三国史記1/平凡社東洋文庫)
(654年までの対外記述を抽出、国内記述は飢饉や天候不順の記録が大半を占める)
神武~雄略までの天皇は6章の補正による推定年代。

BC 57  赫居世即位(朴姓、尊称は居西干) 辰韓の6村を治める
  54  日食
  50  倭人侵入
  39  弁韓が服属
  37  王都金城を築く(慶州付近)
  34  日食
  30  楽浪軍侵入
  20  馬韓東方と辰韓に雑居する中国系避難民の扱いで馬韓王と衝突
  18  百済の始祖温祚即位
  15  日食
  5  東沃沮の使者到来
AD 2  日食
  4  南解王即位(赫居世長男、巫者、尊称は次次雄)
  6  日食
  8  脱解と南解王の娘が婚姻
  10  脱解を大輔に任命し軍事国勢を委任
  14  倭人が兵船百余隻で略奪
    楽浪が侵入
  24  儒理王即位(南解王の子、尊称は尼師今で以降16代同じ)
    (脱解が即位を固辞したために即位と伝承)
  36  楽浪が侵入
神武 36- 66
  57  脱解即位(昔姓、多婆那国から渡来した外国人の伝承)
  59  倭国と国交樹立
  61  馬韓将軍が投降する
  63  百済王が使者
  64  百済が侵入
  65  脱解が子の閼智を得る(金姓、実子ではないとみえる伝承)
    (閼智を新羅王室の祖とする論あり)
     その地の名をもって国号を鶏林とする
綏靖 66-78
  70  百済侵入
  76  百済を攻撃
安寧 78-92
  80  婆娑王即位(儒理王の2男)
  82  食糧不足深刻となる
  84  豊作となる
  85  百済侵入
  87  西の百済、南の伽耶の侵入に備えて城壁建設
懿徳 92-105
  94  伽耶軍を撃退
  96  伽耶軍侵入
  98  干ばつ
 102  近隣2国の土地争いを金官国の首露王に仲裁させる
 105  百済が和睦を求める
孝昭105-137
 106  伽耶を攻撃
 112  祗摩王即位(婆娑王長男)
 115  伽耶が侵入
 116  伽耶を攻撃
 121  倭人が東部へ侵入
 123  倭国と講和
 125  靺鞨が北部へ侵入
 127  日食

 134  逸聖王即位(儒理王の長男)
 137  靺鞨侵入
孝安137-175
 140  柵を作って靺鞨侵入を防ぐ
 141  日食
 144  治水と開墾を指示 民間の金銀玉の使用を禁止
 145  飢饉となり南部が飢える
 146  反乱発生

 154  阿達羅王即位(逸聖王長男)
 158  倭人が訪問
 166  日食
 165  反乱者が百済へ逃走
 167  百済侵入
 173  倭の女王卑弥呼の使者来訪
孝霊175-204
 184  伐休王即位(脱解王の孫)
 186  日食
 188  百済侵入
 193  倭人が大飢饉となり避難民到来
    日食

 196  奈解王即位(伐休王の孫)
 188  百済侵入
 200  日食
 201  伽耶が講和を求める
 203  靺鞨侵入
孝元204-225
 208  倭人が侵入
 209  浦上八国が加羅を侵略、加羅王子の救援要請で援軍を送る
 212  伽耶から人質が送られる
 214  百済侵入
 224  百済を破る
開化225-248
 230  助賁王即位(伐休王の孫)
 232  倭人が侵入し金城を包囲
 233  倭軍が東部へ侵入、倭の船を焼く
 240  百済侵入
 245  高句麗が北部へ侵入

 247  沾解王即位(助賁王の弟)
 248  高句麗に使者を送って講和
崇神248-273
 249  倭人が于老を殺害 (神功紀別注に登場)
 255  百済侵入
 256  日食
 261  百済が講和を申し込むも応じず

 262  味鄒王即位(沾解王に子なく閼智の六世孫)
 264  東部へ行幸し海を見る
 266  百済侵入
垂仁273-311
 278  百済侵入
 283  百済侵入

 284  儒礼王即位(助賁王長男)
 286  百済が講和を求める
 287  倭人が侵入
 292  倭人が侵入
 294  倭人が侵入
 295  倭人討伐を議するも水上戦闘不慣れにより中止
 297  北方の伊西国が侵入したが神兵が現れて撃退

 298  基臨王即位(助賁王の孫)
 300  倭国と国使を交換
 307  国号を新羅に戻す (503にも国号決定記述があり疑問点とされる)

 310  訖解王即位(奈解王の孫)
景行311-333
 312  倭国が王子の花嫁を求めこれに応ず
成務333-356
 337  百済へ使者を送る
 344  倭国が花嫁を求めたが辞退
 345  倭王が国書を送り国交断絶
 346  倭軍が金城を攻撃

 356  奈忽王即位(訖解王に子なく味鄒王の父の孫(閼智の八世孫)
仲哀356-360
神功360-386
 364  倭兵が大挙して侵入
 368  百済が使者を送る
 373  百済の秀山城主が来降する
 381  使者を秦国に派遣して国号の変更を釈明する
応神386-402
 392  高句麗に人質を送る
 393  倭軍が侵入 籠城戦を行う
 395  靺鞨が北部へ侵入

 402  実聖王即位(閼智の後裔とのみあり、身長7尺五寸とある)
仁徳402-434
    倭国と国交を結び奈忽王の子の未斯欣ミシキンを人質に送る
    百済が侵入
 405  倭兵が侵入
 407  倭人が東部と南部へ侵入
 408  倭人が対馬に軍備を増強するを知って対抗策を案ずる
 412  高句麗へ奈忽王の王子を人質に送る            (414 広開土王碑)
 415  倭人と戦い勝利

 417  訥祗王即位(奈忽王の子、高句麗を介して実聖王と反目し実聖王を殺害して即位)
    (この王より尊称が「尼師今」から「麻立干」に変わる)
 418  高句麗と倭国への人質が逃げ帰る
--倭王讃421
 424  高句麗に使者を送り国交を開く
--倭王讃430
 431  倭兵が侵入
 433  百済が使者を送り講和
 434  百済が貢ぎ物を送り、返礼の品を送る
履中434-437
反正437-439
--倭王珍438
允恭439-454
 440  倭人が南部と東部へ侵入
--倭王済443
 444  倭兵が金城を包囲し苦戦となるも神助によって救われる
 450  高句麗との国境で紛争
 454  高句麗が北部に侵入
安康454-456
--倭王済451
 455  高句麗百済に侵入し百済へ援軍を送る
雄略456-479
 458  慈悲王即位(訥祗王の長男 母は実聖王の娘)
 459  倭人が船百余艘にて侵入
--倭王済460
 462  倭人が侵入
 463  倭人が歃良城を攻める(現釜山の北約30kmの梁山郡梁山面付近)
 468  高句麗靺鞨が北部へ侵入
 474  高句麗王巨連(長寿王)が百済を攻撃
    救援しようとするも百済は陥落
 476  倭人が東部へ侵入
 477  倭人の軍隊が五道を通って侵入
    北海道(溟州街道)、塩地通(向唐街道)、北徭道(百済街道)
    東海通(任那街道)、海南通(難武州街道)とされる
--倭王武477
--倭王武478
 479  ショウ知王即位(火+召、慈悲王の長男)
清寧480-485
 480  靺鞨が北部へ侵入
 481  高句麗靺鞨が侵入 百済伽耶の援軍により撃退
 482  倭人が侵入
 484  高句麗が侵入、百済援軍と撃退
顕宗485-488
 486  倭人侵入
 489  高句麗が侵入
仁賢488-498
 493  百済に花嫁を送る
 495  高句麗百済を攻撃、援軍を送る
 496  伽耶国が白雉を送る
 497  倭人が侵入
武烈498-507
 500  倭人が長峯鎮を攻め落とす
 500  智證王即位(奈忽王の曾孫)
 502  殉葬を禁ずる
--倭王武502
 503  家臣の求めに応じて新羅国王の称号を定める
    (旧は斯羅シラ、斯廬シロ、新羅シンラなど)
継体507-530
 514  法興王即位(従来の尊称が消え法興王のみ、智證王の長男)
 521  南朝の梁に朝貢する
 522  伽耶王が花嫁を求める
磐井の乱527
 528  初めて仏法を行う(長い説話が付随する)
安閑531-534
 532  金官国王が財宝と家族と共に来降し国王の末子が新羅に仕える
宣化535-538
 536  初めて年号を用いる(建元元年)
欽明539-571
 540  真興王即位シンコウ(法興王の弟の子)
 541  百済が講和を求める
 545  国史を編纂させる
 548  高句麗が穢ワイと共に百済を攻撃、援軍を送る
 549  南朝の梁から使者と仏僧到来
 550  百済高句麗を攻撃
 551  伽耶王が12弦の琴を作る
 553  百済の東北部を奪う
 554  百済と加良が連合して侵入(加良は伽耶と同意とされる)
 562  百済が侵入 伽耶が反乱を起こす
 564  北朝の斉に朝貢
 565  南朝の陳から仏教教典が送られる
 566  陳に特産物を送る
 572  北朝の斉に朝貢
敏達572-584
 574  仏像鋳造
 576  有能な人材を捜し美女二人を選んだが仲違いとなり、美貌の男を
     選ぶことで有能な人材を得られるようになった。風流あるいは花郎という
    随に法を求め仏舎利などを得る

 576  真智王即位(舎輪、金輪、真興王の次男)
 577  百済が侵入
 578  陳に朝貢
    百済に城を割譲

 579  真平王即位(白浄、真興王の孫)
 585  高僧が陳へゆき仏法を求める
用明585-586
崇峻587-591
 589  仏僧が陳へ渡海
推古592-628
 594  随が楽浪郡新羅王任ず
 596  仏僧円光が随へ渡海
 602  百済が侵入
聖徳太子
 603  高句麗が侵入
 604  随に朝貢
 605  百済を攻撃
 608  隋に高句麗討伐の願いをだす
    高句麗が侵入
 611  隋が高句麗討伐を許可
    百済が侵入
 613  隋の使者を饗応
 616  百済が侵入
 621  唐に朝貢
 623  唐に朝貢
    百済が侵入
 624  唐の高宗が楽浪郡新羅王を与える
 625  唐に高句麗が朝貢を妨害するを訴える
 626  唐に朝貢 高宗は高句麗との和睦をうながす
    百済侵入
 628  百済侵入
    飢饉にて子女を売る
 629  高句麗を攻撃
舒明629-641
 631  反乱起きる

 632  善徳王即位(徳曼、真平王の長女、女帝)
    唐に朝貢
 635  唐が楽浪郡新羅王を認める
 636  百済が侵入
 638  高句麗と戦闘
 640  唐の国学に若者を学ばせる
 642  百済の大軍が攻め込む
    唐へ危急を告げる
    高句麗に援軍を求めるもならず
皇極642-644
 643  唐に援軍派遣の使者を送るが案のみで軍は与えられず
    (案のひとつに女帝を廃し唐の一族を王とすれば軍を送る、がある)
 644  唐の太宗は高句麗に和平を強要するが拒否される
    太宗は自ら高句麗を攻め新羅はそれを支援
孝徳645-654
 647  女王に異を唱える反乱が起きる

 647  真徳王即位(勝曼、真平王の母方の叔父とされる)
    反乱者を誅殺
    唐に使者を送り謝意
    元号を太和とする
    百済が侵入
 648  太宗が新羅に臣下なるに唐と異なる元号は如何にの疑義
    (ここに太宗の元にいた新羅の春秋なる人物の行動があり高位を得ている)
 649  新羅の衣冠が中国式となる
    百済の侵入を破る

 650  新羅は春秋の子を使者に送り天子のはかりごとの効をほめる詩を献上する
    (新羅国人は赫居世から真徳王までを聖骨と呼び以降を真骨と呼ぶとある)
 654  太宗武烈王即位(春秋、真智王の孫、新唐書に真徳王の弟とあり誤りとしている)
    唐は開府儀同三司新羅王を与える
斉明655-660
天智661-670
弘文671-672
天武673-685

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