朝鮮民族

朝鮮民族
ちょうせんみんぞく
朝鮮語を共通の母語とする民族で、今日、朝鮮半島に南北あわせて約6600万人が居住するほか、在外朝鮮民族は外国国籍を取得した者まで含めると約520万人にのぼる。在外の構成は、もっとも多いのが中国で、東北部の吉林(きつりん/チーリン)省延辺朝鮮族自治州を中心に約196万人、次いでアメリカ合衆国に約185万人、日本に約66万人、ロシアのサハリン州や沿海地方(沿海州)、中央アジアのカザフスタン共和国、ウズベキスタン共和国など旧ソ連を構成していた地域に約45万人、カナダに9万人、中南米に9万人、その他10万人となっている。[伊藤亜人]

朝鮮民族の起源については、朝鮮語の起源について定説がないように早急に結論を下すことはできない。古代の東アジアの半島部とその背後の内陸部には、夫余(ふよ)、粛慎(しゅくしん)、婁(ゆうろう)、靺鞨(まっかつ)、沃沮(よくそ)、(わい)、貊(はく)、すこし時代を下ると高句麗(こうくり)、そして半島の中部以南には韓の諸国などが漢籍に登場する。これらのうち、夫余は現在の中国東北3省の広大な地に広がる種族のようにみなされ、またさらに東北部の日本海沿岸近くに位置した粛慎、婁、靺鞨の三者は時代は異なるが同一の種族をさした名称であったことは間違いない。しかし、沃沮、、貊については具体的な居住地についてもまだ確認できるだけの考古学的な研究が進んでおらず、その文化的な特質についても文献上の記録以外にはまだ明らかでない。やがて、夫余のなかから発展した高句麗が南下しながら半島部に勢力を拡大していき、これに連動するように半島中部で小国を統合した百済(くだら)が、さらに半島の東南部では洛東江流域の伽耶(かや)諸国を統合した新羅(しらぎ)が成立し、3国が鼎立(ていりつ)するに至った。高句麗百済新羅の3国は、すでに共通した文化伝統を有していたとはいえ、政治的、社会的にみれば、別個の地域で独立した王権によって統合された国家であった。3国の鼎立期を経て新羅の主導によって進められた3国の統一事業、その直後の唐の勢力を排除する抗争の過程こそが、半島住民の同一民族としての社会統合に決定的な契機となったといえる。
 諸民族の移動や興亡が頻繁にみられた東アジアの大陸部のなかでも、東端に突き出した半島の地理的条件は、その後の長期にわたる安定した政治統合と民族社会の発展にとって有利であったと思われる。東アジアでは内陸部で大きな政治的動揺が生じるたびに、古来さまざまな民族が難を逃れて平穏な半島部に移住を繰り返してきた。高句麗もこうして南下した勢力の一つであったが、高麗(こうらい)朝以後の朝鮮はしばしばこうした北方、内陸から南下する異民族の侵入や移住の対策に悩まされており、とりわけ契丹(きったん)、モンゴル(元)、日本(倭寇(わこう)、文禄・慶長(ぶんろくけいちょう)の役)、清(女真(じょしん))からは一方的に侵略の的とされてきた。しかしこれらの侵入異民族のうち、半島部に定住して少数民族集団としてその後も長く存続しえた例はなく、いずれもこの地に移住するとともに朝鮮民族社会に同化を遂げてきたことに気づく。その結果、朝鮮は世界でもまれにみる等質な民族社会を達成してきた。大陸部に位置し、しかも中国という大文明の影響にさらされ、国際的な緊張のもとで民族存亡の危機に直面してきた朝鮮では、民族の政治統合と安全保障とがつねに大きな課題となってきたのであり、その点で大陸から隔たった島国の日本とはかなりの差がみられる。[伊藤亜人]
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朝鮮の民族文化は、内陸アジア的な文化伝統を保持しながらも、一方では半島部における農耕社会の文化伝統との複合がみられる。さらにこうした土着の文化伝統に加えて、中国高文明の伝統をも積極的に受容しながら、両者の共存と統合を達成してきた点に民族文化の特徴がみられる。宗教についてみると、巫俗(ふぞく)(シャーマニズム)が土着の伝統の基盤となっており、音楽、舞踊、演劇、文学など広範な分野にわたってその底流となってきた。一方、仏教、儒教、陰陽説や五行思想、風水地理説など、中国から受け入れた伝統も朝鮮の民族社会の根幹をなしてきた。
 朝鮮においては、契丹やモンゴルの脅威にさらされた高麗時代以来、民族と国家・国土統合の象徴として、檀君(だんくん)神話が大きな関心をよんできた。自らを中華世界の一員と自認してその世界秩序を重視した儒者たちが、事大主義、慕華思想を背景として王朝の正統性を中国の王統に求めようとしたのとは対照的に、民族の主体性と正統性を檀君神話に求める歴史観はむしろ民間に根を下ろして、韓末から日本統治期を経て今日に至っている。民族史観の名でよばれるこうした歴史観は、実証性を重視する歴史学からは厳しい批判を受けながらも、主体性の明確な歴史学として今日も民衆の根強い支持を受けている。檀君を民族の象徴として重視する史観は、南北の分断体制のもとで民族統一の主導権とも絡んで、檀君神話の聖地を国内に有する北朝鮮においていっそう顕著であり、檀君を祀(まつ)る壮大な奉祀檀(ほうしだん)も国家的事業として建造されている。檀君が降臨した太白山に比定されてきた白頭山(北朝鮮と中国の国境にまたがる)は、檀君神話の聖地であると同時に、朝鮮半島全域の風水地理のうえでも国土の安寧を保障する鎮山とみなされており、中国との修交に伴い韓国(大韓民国)からこの聖地を訪れる観光客も多い。民族史観のもとでは、太白山に象徴される白色を尊ぶ伝統も朝鮮民族の真髄のように強調され、チマ、チョゴリ、トゥルマギなどの白色を基調とする伝統衣装を民族文化の象徴のようにみなして、自らを「白衣民族」と称した。
 政治的な分断状況にありながら、韓国と北朝鮮の両国は、民族文化を基盤として民族の主体性を強調し民族統一を目標に掲げている点では軌を一にしている。韓国では、国内にごく少数存在した中国系の住民すらも、社会生活上の不利益から国外に脱出するものが多かったため、民族の等質性が近年ますます高まっている。民族主義は言語政策にも反映しており、南北ともに民族文字であるハングルを重視するあまり漢字使用を規制してきた。また外来語に対する規制と国語愛用運動や、海外の同胞に対する言語をはじめとする民族教育にも力を注いできた。民族解放闘争の記念事業、民族中興の祖として世宗大王と李舜臣将軍などの民族的英雄に対する国家的な顕彰事業、民族宗教に対する再評価、民族文化の研究・発掘・啓蒙(けいもう)・再活性化などの動きが活発である。また韓国では、世界各地に散在する韓民族同胞の糾合を目ざした企画も一時期目を引いた。[伊藤亜人]
『伊藤亜人編『もっと知りたい韓国』(1997・弘文堂) ▽伊藤亜人著『(暮らしがわかるアジア読本)韓国』(1996・河出書房新社) ▽伊藤亜人[ほか]監修『朝鮮を知る事典(増補版)』(1998・平凡社) ▽古田博司著『朝鮮民族を読み解く――北と南に共通するもの』(ちくま新書) ▽在日本朝鮮歴史考古学協会編『朝鮮民族と国家の源流――神話と考古学』(1995・雄山閣出版)』