軍政期・後南北国時代
朝鮮半島の歴史(朝鮮_) | |||||
1945 | 現代社会?(1945~)(朝鮮_) | ||||
1945 | 1945年~1948年:アメリカ(非独立)←←←ココも重要!(朝鮮_よいこの正しい半島歴史年表) | ||||
1945 | 朝鮮が南北に分割占領される(朝鮮_) | ||||
1945 | 日本の降伏により、朝鮮は | ||||
1945 | 連合軍軍政期(朝鮮_) | ||||
1945 | かわって米ソ両大国が進駐し、38度線を境に国土が分断されることになった。(朝鮮_) | ||||
1945 | 終戦。ポツダム宣言受諾(朝鮮_) | ||||
1945 | 解放、大韓民国[1945年~](朝鮮_) | ||||
1945 | 八・一五民族光復(朝鮮解放)(朝鮮_) | ||||
1945 | 第二次世界大戦終戦により、日本による朝鮮半島の実効支配が終了する。これにより、朝鮮半島は解放された。(朝鮮_) | ||||
1945 | 現代*1945年第二次世界大戦での日本の敗戦により、朝鮮半島は解放され、かわって米ソ両大国が進駐し、38度線を境に国土が分断されることになった。(朝鮮_) | ||||
1945 | 光復第二次世界大戦での日本の敗戦により、日本による朝鮮半島の実効支配が終了する。 | ||||
1945 | 在日朝鮮人を乗せ青森から釜山に向かった浮島丸爆沈.原因不明(朝鮮_) | ||||
1945 | 日本の植民地支配からの開放。 呂運亨ら建国準備委員会を結成 モスクワで三国外相会議開催(朝鮮_) | ||||
1945 | 冷戦 東西冷戦(アメリカ陣営:西側vsソビエト陣営:東側)。 ヤルタ会談からはじまりマルタ会談で東西冷戦は終結した。 [西側]-資本主義、第一世界 1.西側(政治):トルーマン・ドクトリン 2.西側(経済):マーシャル・プラン 3.西側(軍事):北大西洋条約機構(NATO) 4.西側(陣営):西ヨーロッパ、西ドイツ、日本、韓国、台湾、カナダ、南米諸国など [東側]-社会主義、第二世界 1.東側(政治):コミンフォルム 2.東側(経済):COMECON(コメコン) 3.東側(軍事):ワルシャワ条約機構(WTO) 4.東側(陣営):東ヨーロッパ、東ドイツ、中国、北朝鮮、キューバ、ベトナム、ラオス、カンボジア、モンゴルなど [中立]-第三世界 1.中立(陣営):インド・アフリカなどの発展途上国など 代理戦争 朝鮮戦争、ベトナム戦争、キューバ危機、アフガニスタン紛争など~1989(日本、北朝鮮_) | ||||
1945 | 1945-1989年冷戦東西冷戦(アメリカ陣営:西側 vs ソビエト陣営:東側)。ヤルタ会談からはじまりマルタ会談で東西冷戦は終結した。[西側] - 資本主義、第一世界1.西側(政治):トルーマン・ドクトリン2.西側(経済):マーシャル・プラン3.西側(軍事):北大西洋条約機構(NATO)4.西側(陣営):西ヨーロッパ、西ドイツ、日本、韓国、台湾、カナダ、南米諸国など[東側] - 社会主義、第二世界1.東側(政治):コミンフォルム2.東側(経済):COMECON(コメコン)3.東側(軍事):ワルシャワ条約機構(WTO)4.東側(陣営):東ヨーロッパ、東ドイツ、中国、北朝鮮、キューバ、ベトナム、ラオス、カンボジア、モンゴルなど[中立] - 第三世界1.中立(陣営):インド・アフリカなどの発展途上国など代理戦争朝鮮戦争、ベトナム戦争、キューバ危機、アフガニスタン紛争など(日本、北朝鮮_) | ||||
1945 | 03 | 連行朝鮮人労働者、全炭鉱労働者の33%(39年から72万5000人連行)を占める。(朝鮮_) | |||
1945 | 8 | ソビエト連邦が日本に宣戦布告し、朝鮮半島東北部に侵攻トルーマン大統領が「連合国一般命令を」ソビエト連邦に通告し同意させる(北緯38度線で朝鮮を分割し、日本軍を分割武装解除することの内容)(朝鮮_) | |||
1945 | 8 | 15 | 第二次世界大戦で大日本帝国敗北朝鮮半島での日本の植民地支配終了、連合軍の管轄になる(北緯38度線以北をソビエト連邦軍が、同以南をアメリカ軍が管轄)(朝鮮_) | ||
1945 | 8 | 15 | 日本はポツダム宣言の受諾管轄はアメリカ軍とソビエト連邦軍になる(朝鮮_) | ||
1945 | 8 | 15 | 8・15光復.日本の降伏により | ||
1945 | 8 | 15 | 8.15光復(朝鮮_国史教科書) | ||
1945 | 8 | 18 | 停戦命令、しかしソビエト連邦は新侵攻を止めず、マッカーサーは、北緯38度線までソビエト連邦軍の駐留を認める。(朝鮮_) | ||
1945 | 9 | ホッジ中将の米第24軍団第一陣、仁川に上陸し翌日、朝鮮総督府が降伏文書に調印するアメリカが在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁を設置(朝鮮_) | |||
1945 | 9 | 6 | 民族主義者、呂運亨らにより「朝鮮建国準備委員会」の結成全国人民代表大会で臨時政府の樹立を決定し「朝鮮人民共和国」を興す(朝鮮_) | ||
1945 | 9 | 8 | 米軍仁川上陸ジョンホッジ中将朝鮮の開放を謳いつつ、日韓の対立を煽る。しかし、開放せず3年間、軍政を敷く。(朝鮮_) | ||
1945 | 09 | 12 | ソウルで朝鮮共産党再建大会(朝鮮_) | ||
1945 | 09 | 14 | 朝鮮人民共和国中央人民委員会の宣言。(朝鮮_) | ||
1945 | 10 | 米政府による「朝鮮人民共和国」および「朝鮮建国準備委員会」の否定北朝鮮共産党臨時人民委員会が樹立(朝鮮_) | |||
1945 | 11 | 20 | 第一回全国人民委員会代表者会議(人民共和国による)をソウルで開く(朝鮮_) | ||
1945 | 12 | モスクワ協定(米・英・ソ三国外相会議)において、信託統治期間を5年間とし、朝鮮における民主的な臨時政府樹立のために米・英・ソ・中の4大国が朝鮮を信託統治し、その準備を米ソ共同委員会で行うとした(朝鮮_) | |||
1945 | 12 | 12 | 米軍政府、朝鮮人民共和国を認めずと声明。(朝鮮_) | ||
1945 | 12 | 16 | (~26)モスクワで米英ソ外相会議。朝鮮臨時政府・5年間の信託統治など朝鮮処理案で合意。(朝鮮_) | ||
1945 | 12 | 19 | 米軍政府がソウルの人民共和国政庁を急襲し、解体を宣告する同じ頃、北朝鮮でもソビエト連邦軍の規制が始まり「北朝鮮共産党」に改組され、党首を金日成とする(統一戦線的な北半部の建国の動きを、ソビエト連邦型の共産党独裁政権作りに変質させる)(朝鮮_) | ||
1946 | 日本国憲法公布1946(朝鮮_) | ||||
1946 | 第一次米ソ共同委員会開催.朝鮮統治について合意みず決裂(朝鮮_) | ||||
1946 | 北朝鮮臨時人民委員会構成.金日成を委員長に選任http://www.0o0d.com/img/flags/16/North-Korea.png&size(6){(朝鮮_)}; | ||||
1946 | 第一次米ソ共同委員会開催(朝鮮_国史教科書) | ||||
1946 | 01 | 02 | 朝鮮共産党、モスクワ外相会議決定の信託統治支持声明。(朝鮮_) | ||
1946 | 5 | 米ソ共同委員会は無期休会となり、38度線の無許可越境を禁止する(朝鮮_) | |||
1947 | 国連韓国委員団構成.ソビエト連邦が入北を拒否,北韓での選挙不可能となる(朝鮮、日本_) | ||||
1947 | 国連総会で国連監視下の朝鮮総選挙案採択(朝鮮_) | ||||
1947 | 国連韓国委員団 | ||||
1947 | 南北朝鮮の成立南部に大韓民国、北部に朝鮮民主主義人民共和国が成立。(朝鮮、北朝鮮_) | ||||
1947 | 2 | 北朝鮮人民委員会の樹立(北朝鮮のみの事実上の単独政府)(朝鮮_) | |||
1947 | 5 | 米ソ共同委員会が再開されるも調整がつかず、米が国連総会に審議を持ち込む、そこで、国連監視のもとで1948年3月までに南北統一選挙を実施し、政府を樹立すると云う米案が採択されたが、ソビエト連邦はモスクワ協定を無視したことを批判し、米ソ両軍の撤退と朝鮮人による自主的政権作りに委ねることを提案(朝鮮_) | |||
1948 | 大韓民国成立(アメリカ軍による朝鮮統治によって国家基盤が形成され成立)(朝鮮_よいこの正しい半島歴史年表) | ||||
1948 | 軍事独裁政権誕生(朝鮮_よいこの正しい半島歴史年表) | ||||
1948 | 済州島4.3事件7万人虐殺→→大量の韓国人が日本に密入国(朝鮮_よいこの正しい半島歴史年表) | ||||
金日成体制(1948~1994)(朝鮮、北朝鮮_) | |||||
1948 | 大韓民国の成立(大統領李承晩)(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1948 | 朝鮮が大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国に分裂(朝鮮_) | ||||
1948 | 朝鮮民主主義人民共和国の成立(首相金日成)(朝鮮_) | ||||
1948 | 国連臨時朝鮮委員会が派遣されるも、北朝鮮人民委員会は入国を拒否する(朝鮮、北朝鮮_) | ||||
1948 | 北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)(1948~)(朝鮮、北朝鮮_) | ||||
1948 | 李承晩政権…第三代大統領(1948~1960)(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1948 | 韓国政府の樹立1945年8月15日に韓国は日本の統治から解放されました。しかし38度線を境に南韓(韓国)と北韓(北朝鮮)に分断され、南北はアメリカとソビエト連邦の臨時的な軍事統治下に置かれることになりました。1948年5月10日に国連の支援の下、韓国では大統領選挙が行われ李承晩が大統領に当選しました。そして同年8月15日、韓国政府の樹立を知らせる公式宣言が発表されました。一方1946年2月、北韓は金日成を中心とした北朝鮮人民委員会を組織し、1948年9月9日に朝鮮民主主義人民共和国を樹立しました。(朝鮮、北朝鮮_) | ||||
1948 | 大韓民国成立、朝鮮民主主義人民共和国成立、「ハングル専用法」成立(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1948 | 5・10南韓単独の総選挙実施(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1948 | 済州島人民蜂起。大韓民国樹立。朝鮮民主主義人民共和国樹立(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1948 | 済州島暴動.南朝鮮単独選挙に反対する島民の武装闘争(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1948 | 人民共和国,北韓単独政府樹立(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1948 | 大韓民国政府樹立.李承晩大統領就任(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1948 | 5.10総選挙実施(朝鮮、大韓民国_国史教科書) | ||||
1948 | 大韓民国政府樹立(朝鮮、大韓民国_国史教科書) | ||||
1948 | 2 | 26 | アメリカは国連小総会の開催を提案し、南朝鮮だけで政権作りのための「単独選挙」案を採択する(朝鮮、大韓民国_) | ||
1948 | 4 | 3 | 済州島四・三事件(~10反政府闘争)が起こり、多数の済州島民が日本に密入国する(35,000~40,000人追放および処刑)(朝鮮、大韓民国_) | ||
1948 | 8 | アメリカ占領下の南部、李承晩(???)が大韓民国(韓国)の成立を宣言。(朝鮮、大韓民国_) | |||
1948 | 8 | 李承晩(???)が大韓民国(韓国)の成立を宣言、これに対抗して9月には、金日成(???)が朝鮮民主主義共和国(北朝鮮)の成立を宣言する。間もなく、米ソ両軍は朝鮮半島から撤収し、韓国・北朝鮮の双方はそれぞれの路線で国としての体裁を整えていくことになる。(朝鮮、北朝鮮_) | |||
1948 | 8 | 15 | 大韓民国樹立(朝鮮、大韓民国_) | ||
1948 | 8 | 15 | 辛うじて過半数を確保した右派勢力は、李承晩を初代大統領に選出し、大韓民国政府の樹立が宣布される(朝鮮、大韓民国_) | ||
1948 | 9 | 北朝鮮、朝鮮民主主義人民共和国の建国を宣布、初代首相に金日成、副首相に朴憲永が就任する 1948.09.09朝鮮民主主義人民共和国の建国を宣布初代首相に金日成、副首相に朴憲永が就任する(朝鮮、北朝鮮_) | |||
1948 | 9 | 大韓民国(韓国)の成立を宣言に対抗してソビエト連邦占領下の北部、金日成(???)が朝鮮民主主義共和国(北朝鮮)の成立を宣言する。間もなく、米ソ両軍は朝鮮半島から撤収し、韓国・北朝鮮の双方はそれぞれの路線で国としての体裁を整えていくことになる。(朝鮮、北朝鮮_) | |||
1948 | 9 | これに対抗してソ連占領下の北部、金日成(???)が朝鮮民主主義共和国(北朝鮮)の成立を宣言する。 間もなく、米ソ両軍は朝鮮半島から撤収し、韓国・北朝鮮の双方はそれぞれの路線で国としての体裁を整えていくことになる。(朝鮮、北朝鮮_) | |||
1948 | 9 | 2 | 北朝鮮で南北双方の代議員572名による最高人民会議が開催され、すでに4月に採択されていた憲法を正式に制定(朝鮮、北朝鮮_) | ||
1948 | 9 | 9 | 朝鮮民主主義共和国樹立(朝鮮_) | ||
1949 | 2 | ソビエト連邦軍撤退後の北朝鮮では、武器・弾薬の供与、軍事顧問の指導を受け朝鮮人民軍が創設される「2ヵ年経済計画」「技術・借款協定」の締結(朝鮮、北朝鮮_) | |||
1949 | 6 | 統一した共和国建設を指導する朝鮮労働党の結成(朝鮮、大韓民国_) | |||
1949 | 6 | 北朝鮮、朝鮮労働党の成立(金日成が中央委員長に就任)、朝鮮戦争後、金日成が朴憲永などを粛清(朝鮮、北朝鮮_) | |||
1949 | 10 | 19 | 朝鮮総連系朝鮮人学校に閉鎖命令。(朝鮮_) | ||
1950 | 保導連盟事件30万人虐殺(朝鮮_よいこの正しい半島歴史年表) | ||||
1950 | 朝鮮戦争400万人死亡→→大量の韓国人が日本に密入国(朝鮮_よいこの正しい半島歴史年表) | ||||
1950 | 朝鮮戦争の勃発(~1953)(朝鮮_) | ||||
1950 | 米国が自らの国防政策における太平洋地域における防衛ラインに韓国を含めなかったことが、北朝鮮の誤解を招き、北朝鮮は、ソビエト連邦のスターリン、中国毛沢東の合意をとりつけて、38度線を突破、韓国への侵攻を決行した。朝鮮戦争勃発である。劣勢に立たされていた韓国であったが、マッカーサーの仁川上陸作戦が成功し、大規模な反攻で首都ソウルを奪還すると、戦闘は膠着状態に陥る。(朝鮮、北朝鮮_) | ||||
1950 | 対韓援助が削除され、韓国経済は破綻の様相を呈する(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1950 | 韓国戦争(1950ー1953)1950年6月25日の明け方、北韓は38度線を越え南への侵攻を強行し南北を武力をもって統一しようとしました。これを受け、共産主義勢力から韓国を守るためダグラス・マッカーサー国連軍最高指令官の指揮の下、世界16カ国からの軍事的支援が投入されました。一方、中国とソビエト連邦は北韓に軍事的支援を行ないました。戦争は3年間続き、1953年7月27日にDMZに位置する板門店で休戦協定が結ばれ終戦となりました。戦争は韓半島を荒廃させただけでなく、南北間の敵対感情を高め、統一をより一層難しいものにしました。朝鮮戦争の原因朝鮮半島は現在でも韓国と北朝鮮と同じ民族でありながら38度線を挟んで対峙しています。このような事態となった原因はどこにあったのでしょう?朝鮮半島は1910年に日本による韓国併合 | ||||
1950 | 米国が自らの国防政策における太平洋地域における防衛ラインに韓国を含めなかったことが、北朝鮮の誤解を招き、北朝鮮は、ソビエト連邦のスターリン、中国毛沢東の合意をとりつけて、38度線を突破、韓国への侵攻を決行した。朝鮮戦争勃発である。劣勢に立たされていた韓国であったが、マッカーサーの仁川上陸作戦が成功し、大規模な反攻で首都ソウルを奪還すると、戦闘は膠着状態に陥る。1951年、ソビエト連邦の提案で、板門店で休戦協定が締結され、双方多大な犠牲を払った3年間にわたる戦争が休戦を迎えることになった。だが、現在でも未だに戦争中であり、それが休戦しているに過ぎない、という状態は、依然として継続しているのである。(朝鮮、北朝鮮_) | ||||
1950 | 米韓相互防衛条約(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1950 | 北韓共産軍の南侵により朝鮮戦争勃発(6・25戦争)(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1950 | 6.25戦争(朝鮮、大韓民国_国史教科書) | ||||
1950 | 朝鮮戦争6月 北朝鮮が38度線を越えて南に侵攻。朝鮮戦争勃発。1951休戦会議、1953板門店で休戦協定。(朝鮮、北朝鮮_) | ||||
1950 | 1 | 7 | 米政府は中国革命不介入の態度を表明し、一週間後、国務長官のアチリンは米防衛線内に台湾と韓国は含まれて居ない旨を発言するまた中国軍から朝鮮人歴戦部隊が共和国人民軍に編入され、ソビエト連邦が大規模な軍事援助を約束したことにより「南部解放」を決断する(朝鮮、大韓民国_) | ||
1950 | 2 | 中ソ両国の友好同盟・相互援助条約の締結(朝鮮、大韓民国_) | |||
1950 | 4 | 平壌に派遣されたソビエト連邦軍事顧問団は金日成に「先制打撃作戦計画」を渡す(朝鮮、大韓民国_) | |||
1950 | 5 | 30 | 韓国総選挙結果で李承晩与党勢力の大敗朝鮮戦争(韓国では「韓国動乱」、北朝鮮では「祖国解放戦争」と呼ばれる内戦)(朝鮮、北朝鮮_) | ||
1950 | 6 | 6・25戦争(朝鮮戦争)(朝鮮、大韓民国_) | |||
1950 | 6 | 25 | 朝鮮戦争の勃発(人民軍各師団が38度線を越え大挙して南下を開始する)戦争勃発から2ヶ月で韓国の大半は共和国人民軍の勢力下に入る(朝鮮、大韓民国_) | ||
1950 | 6 | 25 | 6・25戦争こうしてにらみ合いが続く中、ついに北朝鮮軍が砲撃を開始!朝鮮戦争が始まります。当初は、北朝鮮が圧倒的に有利に戦線を進めていましたが、アメリカを中心とした国連軍が韓国軍を支援、北は中国が支援しやがて戦局は硬直状態となります。(朝鮮、北朝鮮_) | ||
1950 | 6 | 25 | 朝鮮戦争勃発(朝鮮_) | ||
1950 | 06 | 25 | 朝鮮戦争勃発。(朝鮮_) | ||
1950 | 7 | 7 | 国連安保理事会において、国連軍の編成が決定(朝鮮、大韓民国_) | ||
1950 | 07 | 07 | 国連安保理、ソ連欠席下で朝鮮への国連軍派遣決議。最高司令官マッカーサー(朝鮮_) | ||
1950 | 9 | 15 | 韓国西岸の仁川に上陸作戦を敢行し、成功する(朝鮮、大韓民国_) | ||
1950 | 09 | 15 | 国連軍、仁川・群山に上陸。(朝鮮_) | ||
1950 | 10 | 1 | 国連軍司令官マッカーサーは、国連軍の38度線突破を指令する攻勢を転じた国連軍は北進を続け、中朝国境の鴨緑江に迫る勢いを見せる(此の時点でスターリンは共和国の亡命政権を中国東北部に樹立することを中国指導部に打診していた)中国は共和国人民軍を支援して、100万の中国人民軍を派遣(朝鮮、大韓民国_) | ||
1950 | 10 | 01 | 国連軍、38度線突破、北進(10/20)平壌占領。(朝鮮_) | ||
1950 | 10 | 25 | 中国人民義勇軍、朝鮮戦争に参加。(朝鮮_) | ||
1950 | 11 | 28 | 中国代表、国連安保理で演説。(朝鮮_) | ||
1950 | 12 | 05 | 朝鮮・中国軍、平壤奪回(51/01/04 ソウル再占領)(朝鮮_) | ||
1951 | 国民防衛軍事件10万人虐殺(朝鮮_よいこの正しい半島歴史年表) | ||||
1951 | 居昌事件8500人虐殺(朝鮮_よいこの正しい半島歴史年表) | ||||
1951 | ソビエト連邦の提案で、板門店で休戦協定が締結され、双方多大な犠牲を払った3年間にわたる戦争が休戦を迎えることになった。だが、現在でも未だに戦争中であり、それが休戦しているに過ぎない、という状態は、依然として継続しているのである。(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1951 | サンフランシスコ平和条約、日米安全保障条約調印1951(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1951 | 人民軍、再度ソウルを制圧。国連軍ソウルを奪還(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1951 | 朝鮮戦争勃発。北朝鮮軍南攻、国連軍仁川へ上陸。中国人民志願軍参戦。(朝鮮、北朝鮮_) | ||||
1951 | 1 | 4 | ソウルが再び、中朝連合軍に占領される(朝鮮、大韓民国_) | ||
1951 | 4 | 11 | 強硬論を主張するマッカーサーは国連軍司令官を解任され、その後戦況は膠着状態に入る(朝鮮、大韓民国_) | ||
1951 | 04 | 11 | トルーマン、マッカーサーを解任。(朝鮮_) | ||
1951 | 7 | 10 | 朝鮮休戦会談開催(以後、断続的に会談が行われ53・07・27休戦協定に調印)(朝鮮_) | ||
1951 | 7 | 10 | 休戦交渉の開始(朝鮮、大韓民国_) | ||
1951 | 07 | 10 | 朝鮮休戦会議、開城で開く。(朝鮮_) | ||
1951 | 12 | 01 | 国連総会、中国を侵略者と決議。(朝鮮_) | ||
1952 | 平和線宣言(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1952 | 平和線宣言(朝鮮、大韓民国_国史教科書) | ||||
1952 | 1 | 「海洋主権宣言」を発表し、李承晩ラインの制定(参:竹島問題)右派の一部を結集して新与党自由党を結成する(朝鮮、大韓民国_) | |||
1952 | 01 | 19 | 李承晩ライン宣言。(朝鮮_) | ||
1952 | 2 | 日韓会談、始まる(朝鮮、大韓民国_) | |||
1952 | 05 | 07 | 巨済島事件(北朝鮮俘虜の反乱)(朝鮮_) | ||
1952 | 06 | 23 | 米空軍、水豊ダム爆撃。(朝鮮_) | ||
1952 | 9 | 9 | 朝鮮民主主義共和国樹立(朝鮮_) | ||
1953 | 朝鮮休戦協定(朝鮮_) | ||||
1953 | 朝鮮戦争休戦(朝鮮_) | ||||
1953 | 米韓相互防衛条約の調印(朝鮮、アメリカ_) | ||||
1953 | いったん休戦となりますが、これはあくまで休戦。実は半世紀以上たった現在でも戦争は続いているのです。(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1953 | 国際協力局(ICA)により年2~3億ドルの援助を受ける(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1953 | 休戦協定(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1953 | 韓国,第一次通貨改革実施(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1953 | 朝鮮戦争休戦協定調停(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1953 | 板門店で休戦協定調印(米・朝・ソの三国.韓国は反対).38度線で分断(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1953 | 休戦協定調印(朝鮮、大韓民国_国史教科書) | ||||
1953 | 第一次通貨改革実施(朝鮮、大韓民国_国史教科書) | ||||
1953 | 7 | 27 | 板門店で停戦協定が調印(韓国政府は不出席)され、現在の軍事境界線の布敷をみる朝鮮戦争の犠牲者共和国人民軍戦死者508,000負傷者10万人中国軍死傷者約50万人韓国軍死傷者約99万人米軍39万7千人その他国連軍29万9千人民間人200万人以上離散家族1000万人(朝鮮、大韓民国_) | ||
1953 | 07 | 27 | 朝鮮休戦協定調印。(朝鮮_) | ||
1953 | 8' | 北朝鮮、共和国の戦後復興計画として、労働党第6回中央委員会で決定、農業協同化事業が開始(朝鮮、北朝鮮_) | |||
1953 | 08 | 08 | 米韓相互安全保障条約調印。(朝鮮_) | ||
1953 | 11 | 22 | 中国、朝鮮に対し朝鮮戦争中の援助を無償贈与。(朝鮮_) | ||
1953 | 11 | 28 | 蒋介石・李承晩共同声明、アジア反共連合を提唱。(朝鮮_) | ||
1954 | 李承晩政府は反共産主義政策を掲げその後1960年、学生たちの反政府運動である4・19革命により李承晩政府は倒れました。(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1954 | 北朝鮮,戦後経済復旧3ヵ年計画(朝鮮、北朝鮮_) | ||||
1954 | 韓国戦争後(1954ー現在)(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1955 | 韓米余剰農産物協定に締結(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1956 | 4 | 北朝鮮、朝鮮労働党第3回大会開催(朝鮮、北朝鮮_) | |||
1956 | 8 | 北朝鮮、ソビエト連邦派のパク・チャンオク、延安派のチェ・ジャンイクなどが金日成に粛清される(朝鮮、北朝鮮_) | |||
1957 | 韓国,ウリマル(国語)大辞典完刊(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1957 | 北朝鮮,第一次5ヵ年計画(~1960年)(朝鮮、北朝鮮_) | ||||
1957 | ウリマル(国語)大辞典 | ||||
1958 | 8 | 北朝鮮、社会主義制度の確立をみる(朝鮮、北朝鮮_) | |||
1958 | 10 | 北朝鮮、中国軍、共和国より完全撤退(朝鮮、北朝鮮_) | |||
1959 | 1959.08北朝鮮、日朝両国の赤十字組織で在日朝鮮人帰還協定が結ばれ、帰還事業が始まる帰還者 1960 49,036人 1961 22,801人 1962 3,497人(朝鮮、北朝鮮_) | ||||
1959 | 第一次在日朝鮮人帰国船新潟出航.(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1960 | 尹?善政権…第四代大統領(1960~1963) この時期は議院内閣制のため、実質的な権力は首相の張勉にあった国家再建最高会議(軍政)(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1960 | 四・一九学生革命、李承晩大統領退陣(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1960 | 民主党張勉内閣による韓国第二共和国樹立(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1960 | 張勉内閣成立(朝鮮、大韓民国_国史教科書) | ||||
1960 | ベトナム戦争 冷戦の代理戦争。北の勝利(ソビエト陣営) アメリカ陣営:ベトナム共和国(南)、韓国、台湾など ソビエト陣営:ベトナム民主共和国(北)、北朝鮮、中国など-1975(日本、北朝鮮_) | ||||
1960 | 4 | 四月革命で李承晩政権の崩壊(朝鮮、大韓民国_) | |||
1960 | 4 | 19 | 4・19革命(朝鮮、大韓民国_) | ||
1960 | 4 | 19 | 4・19義挙.正・副大統領選の不正糾弾運動.李承晩政権倒れる(朝鮮、大韓民国_) | ||
1960 | 4 | 19 | 4.19義挙(朝鮮、大韓民国_国史教科書) | ||
1961 | 韓国でクーデター(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1961 | 1961.07軍部のクーデターにより南北統一運動を押さえ込み、軍事政権の登場(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1961 | 1961.09北朝鮮、朝鮮労働党第4回大会開催(朝鮮、北朝鮮_) | ||||
1961 | 19615・16軍事政変(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1961 | 5・16軍事革命.朴正熙を中心とした反共軍事政権誕生(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1961 | KCIA設立(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1961 | 五・一六軍事クーデター、朴正熙政権掌握(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1961 | 北朝鮮,第一次7ヵ年計画(~1970年)(朝鮮、北朝鮮_) | ||||
1961 | 5.16軍事政変(朝鮮、大韓民国_国史教科書) | ||||
1961 | 07 | 03 | 朴正煕、韓国国家再建最高会議議長に就任。(朝鮮_) | ||
1961 | 07 | 06 | 北朝鮮、ソ連と友好協力相互援助条約調印(07/11 中国とも)(朝鮮、北朝鮮_) | ||
1961 | 10 | 20 | 第六次日韓会談開始(1964/04 韓国政情不安のため中断)(朝鮮_) | ||
1961 | 11 | 12 | 韓国国家再建最高会議議長朴正煕、池田首相と会談。日韓会談の早期妥結に合意。(朝鮮_) | ||
1962 | 経済開発5ヵ年計画の始まり(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1962 | 北朝鮮、(キューバ危機:ケネディによる強硬路線にソビエト連邦弱腰になる)共和国政府はソビエト連邦の弱腰を厳しく批判し、之に対する報復としてソビエト連邦からの援助を差し止められる(朝鮮、北朝鮮、ソ連_) | ||||
1962 | 韓国,公用年号,西紀に変更(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1962 | 韓国,第一次経済開発5ヵ年計画(~1966)(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1962 | 金鐘泌情報部長と大平外相の会談で(「金・大平メモ」)で財産請求権問題決着(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1962 | 第一次経済開発5カ年計画(-1966)(朝鮮、大韓民国_国史教科書) | ||||
1962 | 公用年号、西紀に変更(朝鮮、大韓民国_国史教科書) | ||||
1962 | 03 | 22 | 韓国尹大統領、政治浄化法に反対して辞任。(朝鮮_) | ||
1962 | 03 | 24 | 朴正煕、大統領代行に就任。(朝鮮_) | ||
1963 | 第三共和国樹立.朴正熙大統領就任(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1963 | 朴正熙大統領当選(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1963 | 朴正煕内閣成立(朝鮮、大韓民国_国史教科書) | ||||
1963 | 大統領に当選した朴正煕大統領は、17年間に及ぶ独裁統治を行ないました。(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1963 | 10 | 朴正煕政権…第五代大統領(1963~1979)(朝鮮、大韓民国_) | |||
1963 | 10 | 朴政権の始まり(大統領就任) (朝鮮、大韓民国_) | |||
1963 | 12 | 17 | 朴正煕、大統領に就任。(朝鮮_) | ||
1964 | 韓国,メートル制実施(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1964 | メートル法実施(朝鮮、大韓民国_国史教科書) | ||||
1964 | 03 | 10 | 漁業水域をめぐる日韓農相会談開始。(朝鮮_) | ||
1964 | 03 | 12 | 日韓本会談再開。(朝鮮_) | ||
1964 | 03 | 20 | 金鐘泌韓国民主党議長来日。(朝鮮_) | ||
1964 | 03 | 27 | 河上社会党委員長、日韓会談打ち切り要求。(朝鮮_) | ||
1964 | 06 | 03 | 日韓会談反対デモ、大統領官邸を包囲。ソウルに戒厳令。(朝鮮_) | ||
1965 | 1965.02日韓基本条約の仮調印(1965.06正式調印)内容:無償3億ドル、有償2億ドルを日本が韓国に供与し戦後処理を終わらす(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1965 | 1965.08ベトナム戦争にアメリカ合衆国と共に参戦与党共和党単独で日韓条約を批准(日韓国交の正常化)(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1965 | 日韓基本条約が締結され、ようやく、韓国と日本との国交が回復し、韓国を朝鮮半島の唯一の合法的政府とした。(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1965 | 日韓基本条約調印1965(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1965 | 日韓条約成立(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1965 | 韓国軍のベトナム派兵開始(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1965 | 韓日協定調印.日韓漁業協定も付随して調印.対日屈辱外交への反対運動激化(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1965 | 日韓基本条約調印。ベトナム派兵を閣議決定。(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1965 | 韓日協定調印(朝鮮、大韓民国_国史教科書) | ||||
1965 | 01 | 08 | 韓国、南ベトナム派兵を決定。(朝鮮、韓国_) | ||
1965 | 02 | 17 | 椎名悦三郎外相、韓国を訪問。(朝鮮_) | ||
1965 | 02 | 20 | 日韓基本条約に仮調印。(朝鮮_) | ||
1965 | 06 | 22 | 首相官邸で日韓基本条約等に調印(12/18 ソウルで批准書交換)(朝鮮_) | ||
1965 | 08 | 14 | 韓国国会、日韓条約を与党単独で批准(08/26 ソウルに衛戍令)(朝鮮_) | ||
1966 | 韓米行政協定調印(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1966 | 韓米行政協定調印(朝鮮、大韓民国_国史教科書) | ||||
1967 | 5・3大統領選挙(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1967 | 韓国,第二次経済開発五ヵ年計画(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1967 | 五・三選挙で朴正熙大統領再選(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1967 | 北朝鮮,主体(チュチェ)思想を党の唯一思想体系とする(朝鮮、北朝鮮_) | ||||
1967 | 5.3大統領選挙(朝鮮、大韓民国_国史教科書) | ||||
1967 | 6.8国会議員選挙(朝鮮、大韓民国_国史教科書) | ||||
1967 | 第二次経済開発5カ年計画(朝鮮、大韓民国_国史教科書) | ||||
1967 | 6 | 8 | 6・8国会議員選挙(朝鮮、大韓民国_) | ||
1968 | 1968.01青瓦台襲撃未遂事件(北の対南工作による韓国大統領府の襲撃)(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1968 | 1968.01北朝鮮、プエブロ号事件(アメリカ海軍の環境調査艦プエブロが、領海侵犯を理由に北朝鮮警備艇などから攻撃を受け拘束され、板門店での会談でアメリカは北朝鮮の用意した、スパイ活動を認める謝罪文章に調印プエブロ号の船体は返還されず、反米宣伝に利用)(朝鮮、北朝鮮_) | ||||
1968 | 韓国,国民教育憲章宣布(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1968 | 顕忠門国立墓地の朴大統領暗殺未遂事件.爆弾仕掛け中に爆発(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1968 | 武装ゲリラソウルに侵入。プエブロ号事件(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1968 | 北朝鮮,米国の情報艦艇プエプロ号を拿捕(朝鮮、北朝鮮_) | ||||
1968 | 北朝鮮特殊部隊による大統領官邸襲撃未遂事件(朝鮮、北朝鮮_) | ||||
1968 | 国民教育憲章宣布(朝鮮、大韓民国_国史教科書) | ||||
1968 | 1 | 21 | 事態.北の武装工作隊31人,ソウル市で交戦(朝鮮、大韓民国_) | ||
1968 | 1 | 21 | 事態(朝鮮、大韓民国_国史教科書) | ||
1968 | 01 | 23 | 北朝鮮、米のスパイ船ブエブロ号拿捕。(朝鮮、北朝鮮_) | ||
1968 | 赤道ギニアがスペインから独立(赤道ギニア、スペイン_) | ||||
1969 | 大統領三選のための憲法改憲を強行(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1970 | 1970.11朝鮮労働党第5回大会開催(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1970 | セマウル運動提唱朴正煕大統領が推進したセマウル運動(1970年に始まった全国民的近代化運動)により韓国は大きく発展し、経済発展のための体系的な管理統制による輸出の増大など数々の成果を残しました。しかし、相次ぐ民主化運動と政権の延長に反対する市民たちが増える中、(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1970 | 1970年代セマウル運動提唱韓国の経済力が伸長し、このことが北朝鮮の危機感を増大させ、日本人拉致問題をはじめ、多くの問題が発生する。しかし、今日に至るまで、何らの解決をみないままである。(朝鮮、北朝鮮_) | ||||
1970 | 大阪万国博覧会1970(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1970 | 1970年代韓国の経済力が伸長し、このことが北朝鮮の危機感を増大させ、日本人拉致問題をはじめ、多くの問題が発生する。しかし、今日に至るまで、何らの解決をみないままである。(朝鮮、北朝鮮_) | ||||
1970 | セマウル運動が始まる(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1970 | 韓国,セマウル(新しい村)運動開始.農漁村の生活改善,所得の増大を計る(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1970 | 京釜高速道路開通.全国が一日生活圏に入る(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1970 | セマウル | ||||
1970 | 京釜高速国道開通(朝鮮、大韓民国_国史教科書) | ||||
1970 | 04 | 05 | 平壤で周恩来・金日成会談、日本軍国主義反対・シアヌーク支持の共同声明。(朝鮮_) | ||
1971 | 5・25国会議員選挙(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1971 | 四・二七選挙で朴正煕、金大中に辛勝(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1971 | 北朝鮮,第一次6ヵ年計画(~1976年)(朝鮮、北朝鮮_) | ||||
1971 | 5.25国会議員選挙(朝鮮、大韓民国_国史教科書) | ||||
1971 | 4 | 27 | 4・27大統領選挙(朝鮮、大韓民国_) | ||
1971 | 4 | 27 | 4.27大統領選挙(朝鮮、大韓民国_国史教科書) | ||
1972 | 1972.04金日成の祝賀行事の中で「主体思想」を共産主義の指導思想とする(主体思想:どのような難局に直面しても国家意思に忠実な国民)(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1972 | 1972.07南北共同声明の発表(南北間で内政面での相互不干渉の確認)(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1972 | 1972.07北朝鮮と同時に南北共同声明(七・四共同声明)の発表(朝鮮、北朝鮮_) | ||||
1972 | 1972.10維新体制(維新憲法:独裁政権の強化)を構築(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1972 | 1972.12「朝鮮民主主義人民共和国社会主義憲法」が制定・発布される国家主席に金日成、首都がソウルから平壌に移る(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1972 | 10月維新(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1972 | 1972.07.04南北は韓半島の統一に関する共同協議書に署名して以降、1998年には韓国人の金剛山観光の許可や、2000年と2007年の2度に渡り開催された南北首脳会談などを通し、南北間の平和共存および統一に向けた努力を続けています。(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1972 | 沖縄返還1972(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1972 | 韓国,第三次経済開発五ヵ年計画(~1976)(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1972 | 韓国,第四共和国樹立(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1972 | 社会主義憲法制定.金日成国家主席となる.首都を平壌とする.(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1972 | 南北共同声明。維新憲法成立。朴正煕大統領四選。(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1972 | 南北赤十字会談.離散家族探し協議(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1972 | 第三次経済開発5カ年計画(-1976)(朝鮮、大韓民国_国史教科書) | ||||
1972 | 7.4南北共同声明(朝鮮、大韓民国_国史教科書) | ||||
1972 | 南北赤十字会談(朝鮮、大韓民国_国史教科書) | ||||
1972 | 7 | 4 | 7・4南北共同声明.自立的平和的に民族的統一をはかることで合意(朝鮮、大韓民国_) | ||
1972 | 10 | 10月維新.大統領の終身執権を可能にする(朝鮮、大韓民国_) | |||
1972 | 10 | 10月維新(朝鮮、大韓民国_国史教科書) | |||
1973 | 金日成の後継者問題が浮上し、金正日が政治の表舞台に出始める(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1973 | 1973.03「三大革命」思想・技術・文化の推進を決定するも、外貨準備がなく、70年代半ばになると対外債務の不履行が国際問題となり、共和国の在外公館が麻薬取引や武器輸出により外貨獲得が発覚し、各国で共和国外交官の退去命令が出される(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1973 | 1973.08金大中、中央情報部により東京から拉致される(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1973 | 石油ショック1973(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1973 | 6.23平和統一宣言(朝鮮、大韓民国_国史教科書) | ||||
1973 | 6 | 6・23平和統一宣言(朝鮮、大韓民国_) | |||
1973 | 8 | 金大中事件.金大中氏東京から拉致されソウルで解放(日本、朝鮮、大韓民国_) | |||
1973 | 8 | 金大中事件-韓国の金大中が日本で韓国中央情報部に拉致される(日本、朝鮮、大韓民国_) | |||
1973 | 08 | 08 | 韓国人5人、金大中新民党元大統領候補を白昼東京のホテルから拉致。(朝鮮_) | ||
1973 | 08 | 13 | 東京で朴政権反対の韓国民主回復統一会議日本支部結成。(朝鮮_) | ||
1973 | 08 | 13 | 目隠しのままソウルの自宅へ連行。(朝鮮_) | ||
1973 | 08 | 23 | 田中伊佐次法臣、参院法務委員会で韓国CIAの犯行を示唆。(朝鮮_) | ||
1973 | 08 | 24 | 閣議、九月の日韓定期閣僚会議延期決定。(朝鮮_) | ||
1973 | 11 | 01 | 韓国政府、金大中事件で金東雲一等書記官らの解任方針発表。(朝鮮_) | ||
1973 | 11 | 02 | 韓国首相来日、金大中事件につき陳謝、年内の日韓定期閣僚会議開催などで合意。(朝鮮_) | ||
1974 | 1974.04民青学連事件が発生(学生運動への弾圧が強まる)(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1974 | 1974.08大統領、狙撃事件(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1974 | 文世光事件(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1974 | 非武装地帯南側に,北朝鮮側からの地下トンネル発見(朝鮮、北朝鮮_) | ||||
1974 | 文正光事件。陸英修大統領夫人死亡。(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1974 | 北韓 | ||||
1974 | 在日朝鮮人青年文世光による朴大統領狙撃事件.陸夫人死亡(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1974 | 04 | 24 | 韓国政府、スパイ容疑で早川嘉春、太刀川正樹逮捕を日本に通告。(朝鮮_) | ||
1974 | 07 | 13 | 韓国、金芝河らに死刑判決。(朝鮮、韓国_) | ||
1974 | 07 | 29 | 日本ペンクラブ代表の白井浩司ら、ソウルで金芝河の処罰は政治活動が原因と発言、それに反撥しペンクラブ脱会者相つぐ。(朝鮮_) | ||
1974 | 08 | 14 | 韓国、金大中事件の容疑者金東雲元一等書記官を「シロ」と断定、捜査打切りを通告。(朝鮮、韓国_) | ||
1974 | 08 | 15 | 朴韓国大統領狙撃され大統領夫人死亡、在日韓国人文世光が犯人とされる。(朝鮮_) | ||
1974 | 08 | 17 | 韓国、文世光の背後に北朝鮮・朝鮮総連と発表。(朝鮮、韓国_) | ||
1974 | 08 | 18 | 朝鮮総連、無関係と声明。(朝鮮_) | ||
1975 | ベトナム戦争で4万人以上の非戦闘員を殺戮及び10万人以上の女性を強姦(朝鮮_よいこの正しい半島歴史年表) | ||||
1975 | 1975.05大統領緊急措置第9号を布告し、反政府活動を全面禁止(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1975 | 大統領緊急処置の九号発表(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1975 | 大統領緊急措置9号発表(朝鮮、大韓民国_国史教科書) | ||||
1975 | 02 | 12 | 韓国、維新憲法をめぐる国民投票(朝鮮、韓国_) | ||
1975 | 02 | 15 | 金芝河ら釈放。03/14再逮捕。(朝鮮_) | ||
1975 | 11 | 17 | ユンソナ、タレント(朝鮮、大韓民国、日本_) | ||
1976 | 1976.03尹譜善・金大中らが発表した「三・一民主救国宣言」を決起として全面的な反政府運動へと発展する(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1976 | 1976.08板門店において共和国警備兵により、米兵2名殺害される(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1976 | 板門店蛮行事件.ポプラ下枝伐採をめぐり米将校が殺害(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1976 | 板門店蛮行事件について,金日成主席遺憾の意表明(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1976 | 板門店 | ||||
1976 | 03 | 01 | 金大中ら、民主救国宣言 03/26起訴 08/28実刑判決(朝鮮_) | ||
1977 | 「朝鮮民主主義人民共和国社会主義憲法」における国家の公式理念が、マルクス・レーニン主義から主体思想に変更される(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1977 | 1977.03カーター米大統領、在韓米軍の撤退を匂わす(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1977 | 韓国,技能オリンピック世界制覇(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1977 | 韓国,輸出100億ドル達成(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1977 | 韓国登頂隊,エベレスト登頂成功(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1977 | 非武装地帯の北側に迷い込んだ米軍ヘリコプター撃墜(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1977 | 技能オリンピック世界制覇(朝鮮、大韓民国_国史教科書) | ||||
1977 | 第四次経済開発五カ年計画(-1981)(朝鮮、大韓民国_国史教科書) | ||||
1977 | 韓国登 | ||||
1977 | 輸出100億ドル達成(朝鮮、大韓民国_国史教科書) | ||||
1978 | 19781978年から始まった第2次オイルショックは、輸出産業に不振を極め、経済全体に波及して深刻な不況に見舞われる(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1978 | 日中平和友好条約調印1978(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1978 | 韓国,自然保護憲章宣布(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1978 | 北朝鮮,第二次7ヵ年計画(~1984年)(朝鮮、北朝鮮_) | ||||
1978 | 自然保護憲章宣布(朝鮮、大韓民国_国史教科書) | ||||
1979 | 軍出身の大統領政権誕生(朝鮮_よいこの正しい半島歴史年表) | ||||
1979 | 韓国の朴大統領射殺(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1979 | 崔圭夏政権…第十代大統領(1979~1980) 1979.12粛軍クーデター(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1979 | 1979.10釜山で反政府運動が始まり、鳥山などに拡大(10.18朴政権は非常戒厳令を発動)(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1979 | 1979.10.26朴正煕暗殺事件(朴大統領、夕食中に同席した中央情報部長に射殺される)(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1979 | 朴正煕大統領は暗殺されてしまいました。聖水大橋を架けるが、1994年崩壊(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1979 | YH労組事件。朴正煕大統領射殺事件、全斗煥ら粛軍クーデターで実権を掌握(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1979 | 全斗煥,軍事クーデターで実権を掌握(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1979 | 朴正煕暗殺(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1979 | 10 | 04 | 韓国国会、新民党総裁金泳三の除名を与党単独で可決。(朝鮮_) | ||
1979 | 10 | 16 | 釜山で反政府デモ激化、各地に拡大。(朝鮮_) | ||
1979 | 10 | 18 | 韓国、非常戒厳令。(朝鮮、韓国_) | ||
1979 | 10 | 26 | 事態.KCIA部長の金載圭に朴正熙暗殺(朝鮮、大韓民国_) | ||
1979 | 10 | 26 | 事態(朝鮮、大韓民国_国史教科書) | ||
1979 | 10 | 26 | KCIA部長、朴正煕を殺害。(朝鮮_) | ||
1980 | 光州事件2000人虐殺(朝鮮_よいこの正しい半島歴史年表) | ||||
1980 | 韓国で光州事件(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1980 | 全斗煥政権…第十一代・十二代大統領(1980~1988)(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1980 | 1980.05光州事件(光州民主化運動)(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1980 | 1980.10朝鮮労働党第6回大会開催(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1980 | 1980年5・18民主化運動その後、政権を握った全斗煥大統領は、前大統領の統治方式を引き継ぎ権威主義的な体制を維持しました。(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1980 | 光州事件(光州民主抗争)(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1980 | 光州事件(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1980 | 光州民主化運動.戒厳軍の介入で鎮圧.多数の死者を出す(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1980 | 北朝鮮,党大会で金正日書記を党ナンバー2に選任(朝鮮、北朝鮮_) | ||||
1980 | 5.18光州民主化運動(朝鮮、大韓民国_国史教科書) | ||||
1980 | 05 | 18 | 韓国全土に非常戒厳令、金大中ら逮捕。(朝鮮_) | ||
1980 | 05 | 21 | 光州市で民主蜂起 5/27鎮圧される。(朝鮮_) | ||
1980 | 05 | 31 | 全斗煥、国家保衛非常委委員長となる。 08/27大統領就任。(朝鮮_) | ||
1980 | 09 | 17 | 金大中に死刑判決。(朝鮮_) | ||
1981 | アジア大会ソウル開催決定(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1981 | 1988年オリンピックソウル開催決定(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1981 | 韓国,世界技能オリンピック四連覇(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1981 | 韓国,輸出200億ドル達成(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1981 | 全斗煥大統領就任(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1981 | 民主正義党の全斗煥大統領第五共和国樹立.(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1981 | 全斗煥政府成立(朝鮮、大韓民国_国史教科書) | ||||
1981 | 世界技能オリンピック四連覇(朝鮮、大韓民国_国史教科書) | ||||
1981 | 1988年オリンピックソウル開催決定(朝鮮、大韓民国_国史教科書) | ||||
1981 | アジア大会ソウル開催決定(朝鮮、大韓民国_国史教科書) | ||||
1981 | 輸出200億ドル達成(朝鮮、大韓民国_国史教科書) | ||||
1981 | 12 | 15 | 韓国、夜間外出禁止令解除。(朝鮮、韓国_) | ||
1982 | 韓国政府,日本に歴史教科書歪曲内容是正を要求(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1982 | 日韓で教科書問題起こる(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1982 | 政府、日本に歴史教科書歪曲内容訂正を要求(朝鮮、大韓民国_国史教科書) | ||||
1982 | 05 | 12 | 韓国、巨額詐欺事件発覚、5/21内閣総辞職。(朝鮮、韓国_) | ||
1983 | 1983.10ラングーン事件(ビルマの首都ラングーンで共和国工作員による全斗煥大統領の爆弾テロ未遂)韓国、共和国との国交を断絶する(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1983 | KBS,離散家族さがしテレビ生放送(朝鮮、大韓民国_テレビ) | ||||
1983 | ビルマ(ミャンマー)アウンサン廟での全斗煥大統領暗殺未遂事件(ミャンマー、朝鮮、大韓民国_) | ||||
1983 | 大韓航空(KAL)機撃墜惨事.日本北方のソビエト連邦領空でソビエト連邦戦闘機に撃墜(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1983 | 離散家族運動。大韓航空機撃墜事件。ラングーン事件(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1983 | KAL機撃墜惨事(朝鮮、大韓民国_国史教科書) | ||||
1983 | アウンサン事件(朝鮮、大韓民国_国史教科書) | ||||
1983 | KBS、離散家族さがしテレビ生放送(朝鮮、大韓民国_国史教科書) | ||||
1983 | 01 | 11 | 中曽根首相、初の正式訪韓、全斗煥大統領と会談、40億ドルの経済援助と教科書問題に決着、「日韓新時代」と声明。(朝鮮_) | ||
1984 | 1984.09韓国政府、共和国政府からの水害救援物資送付の申し入れを受け入れる(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1984 | 1984.11板門店で、第一回南北経済会談の実現(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1984 | 全斗煥大統領、日本来日1984(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1984 | 韓国,ロサンゼルスオリンピックで総合順位10位(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1984 | 北朝鮮,韓国への水害援助(朝鮮、北朝鮮_) | ||||
1984 | ロサンゼルスオリンピックで総合順位10位を占める(朝鮮、大韓民国_国史教科書) | ||||
1984 | 09 | 06 | 全斗煥大統領来日、東京は厳戒態勢。天皇「両国の間に不幸な過去」と表明。(朝鮮_) | ||
1985 | 1985.07ソウルオリンピックのボイコット方針を改める(1985年以降、貿易実績は増勢に転ずるも累積債務に苦しみ、ソビエト連邦などへの労働力輸出も行われる)(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1985 | 南北経済会談。赤十字会談。40年ぶりに故郷訪問団がソウルとピョンヤンを訪問(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1985 | 南北代表151名の離散家族故郷訪問団が,ソウルと平壌を相互に交換訪問(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1985 | 南北故郷訪問団相互交流(朝鮮、大韓民国_国史教科書) | ||||
1986 | ソウル・アジア競技大会開催(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1986 | 金浦空港で爆弾テロ発生(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1986 | ソウル、アジア競技大会(朝鮮、大韓民国_国史教科書) | ||||
1986 | 05 | 27 | 「日本を守る国民会議」編の高校日本史教科書検定合格(6/7中国是正要求、韓国も批判)(朝鮮_) | ||
1986 | 09 | 05 | 藤尾正行文相の「文藝春秋」10月号での韓国併合合理化発言など表面化、韓国など抗議 6/08文相罷免。(朝鮮_) | ||
1987 | 1987.01第3次7ヵ年計画(事実上最後の経済開発計画)の遂行に着手(1993年に未完遂で終わる) (朝鮮、大韓民国_) | ||||
1987 | 1987.06六月抗争 六月抗争 (野党統一民主党と在野の反政府勢力が合同し、民主憲法国民運動本部を結成し政府と全面対決の姿勢を示す) 六・二九民主化宣言(米国政府圧力による政権への牽制など) 1.反共体制を維持しながら、軍政から民政への移行をする 2.共和国を孤立させながら、韓国主導の統一を実現する 3.大統領直選制の導入 4.金大中ら政治犯の釈放 5.基本的人権や言論の自由の保障 (朝鮮、大韓民国_) | ||||
1987 | 1987年6月民衆抗争 全斗煥大統領は全国的に起こった大規模民主抗争により、政権から退きました。(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1987 | 真由美事件 (朝鮮、大韓民国_) | ||||
1987 | 13代大統領選挙.盧泰愚選出(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1987 | ソウル大生、朴鍾哲拷問拉致事件。六・二九民主化宣言(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1987 | ビルマ近海での大韓航空機爆破事件.北のスパイとして男女二人逮捕(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1987 | |||||
1987 | 05 | 01 | 韓国、統一民主党結成(総裁金泳三)(朝鮮、韓国_) | ||
1987 | 6 | 6・29宣言.新しい民主憲法公布,大統領直接選制宣言(朝鮮、大韓民国_) | |||
1987 | 11 | 大韓航空機事件の発生 (中東への出稼ぎ労働者たちを乗せた大韓航空機がミャンマー領海上空で、共和国工作員により爆破され、犯人として金賢姫が逮捕され、機体は消息不明のまま捜索が打ち切られる)(ミャンマー、朝鮮、大韓民国_) | |||
1987 | 11 | 12 | 韓国、平和民主党(平民党)創立(総裁金大中)(朝鮮、韓国_) | ||
1987 | 12 | 1987.12大統領選挙で盧泰愚政権の誕生 (朝鮮、大韓民国_) | |||
1987 | 12 | 16 | 韓国大統領選挙で民正党盧泰愚候補当選。(朝鮮_) | ||
1988 | 盧泰愚政権…第十三代大統領(1988~1993)(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1988 | 1988.09ソウル五輪の開催 内政面で苦境に立った盧大統領は、国際政局の中で積極策をとり、北方外交を展開する (朝鮮、大韓民国_) | ||||
1988 | 1988年ソウルオリンピック 盧泰愚政府はソウルオリンピックを成功裏に開催し、順調に政権をスタートさせました。 (朝鮮、大韓民国_) | ||||
1988 | 韓国,13代国会議員選挙(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1988 | 韓国,ハングル綴字法告示(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1988 | 韓国,第六共和国出帆(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1988 | 韓国,貿易高1000億ドル突破.世界十大貿易圏の仲間入りを果たす(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1988 | 第24回ソウルオリンピック大会開催.北朝鮮不参加(朝鮮、北朝鮮_) | ||||
1988 | ハングル綴字法告示(朝鮮、大韓民国_国史教科書) | ||||
1988 | 盧泰愚政府成立(朝鮮、大韓民国_国史教科書) | ||||
1988 | 第24回ソウルオリンピック | ||||
1988 | 01 | 26 | 政府、大韓航空機事故で北朝鮮に人的交流抑制等の制裁措置。(朝鮮_) | ||
1988 | 02 | 02 | 北朝鮮、第十八富士山丸乗組員問題の非公式折衝断絶等の対抗措置。(朝鮮、北朝鮮_) | ||
1988 | 05 | 11 | 奥野誠亮国土庁長官、廬溝橋事件は偶発事件等と発言。中国・韓国で問題化 /13辞任(朝鮮_) | ||
1988 | 9 | 17 | ソウルオリンピック(朝鮮_) | ||
1989 | 1989.06平壌で世界青年学生祭典を開催 (この開催のために多額の経費を投じ、共和国の財政事情の悪化に拍車をかける) (朝鮮、大韓民国_) | ||||
1989 | 1989.09「南北交流協力に関する基本方針」の発表 (朝鮮、大韓民国_) | ||||
1989 | 韓国政府,ハンガリー,ポーランドなど東欧圏国家と修好(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1989 | 朝鮮王朝最後の皇太子妃方子死去(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1989 | ハンガリー、ポーランドなど東欧圏国家と修好(朝鮮、大韓民国_国史教科書) | ||||
1990 | 1990.09ソビエト連邦と国交復興 (朝鮮、大韓民国_) | ||||
1990 | ソウルで第一回南北首相会談開催(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1990 | 韓国政府,ソビエト連邦と国交樹立(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1990 | ソビエト連邦と国交樹立(朝鮮、大韓民国_国史教科書) | ||||
1990 | 09 | 24 | 金丸元副総理・田辺社会党副委員長らの自社両党代表団、北朝鮮訪問。(朝鮮_) | ||
1990 | 09 | 26 | 金日成主席と会談。(朝鮮_) | ||
1990 | 09 | 27 | 自・社・労働党の三党共同声明発表。(朝鮮_) | ||
1990 | 09 | 30 | 韓国、ソ連と国交樹立。(朝鮮、韓国_) | ||
1991 | 1991.09国連加盟(大韓民国と同時加盟) (朝鮮、大韓民国_) | ||||
1991 | 1991.09国連加盟(北朝鮮と同時加盟) 「朝鮮半島の非核化に関する共同宣言」「和解と不可侵および交流協力に関する合意書」の発表 ブッシュ米大統領、核兵器削減計画の発表(韓国から核兵器の撤去) (朝鮮、北朝鮮_) | ||||
1991 | 1991.12国連開発計画の指導に従い、豆満江下流域を「自由経済貿易地帯」にする (朝鮮、大韓民国_) | ||||
1991 | 1991年南北韓の国連同時加盟 そして、国連への加入を果たしました。 (朝鮮、大韓民国_) | ||||
1991 | 韓国、北朝鮮、国連同時加入 (朝鮮、北朝鮮_) | ||||
1991 | 金正日書記,軍最高司令官に就任(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1991 | 第6回世界青少年サッカー選手権大会に南北単一チームで参加(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1991 | 南・北韓,国連同時加入(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1991 | 南・北韓国連同時 | ||||
1991 | 01 | 10 | 訪韓中の海部首相、盧泰愚大統領との会談で、在日韓国人の指紋押捺制度の2年以内の廃止に合意。(朝鮮_) | ||
1991 | 01 | 30 | 日本と朝鮮民主主義人民共和国、国交正常化のための第一回政府間交渉開始。(朝鮮_) | ||
1991 | 02 | 06 | 元従軍慰安婦や軍属らの「太平洋戦争犠牲者遺族会」35人東京地裁に国家賠償の提訴。(朝鮮_) | ||
1991 | 11 | 12 | 韓国・朝鮮BC級戦犯・遺族ら、国家賠償請求提訴。(朝鮮_) | ||
1992 | IAEA査察団,北朝鮮の寧辺の核施設を査察(朝鮮、北朝鮮_) | ||||
1992 | 韓国政府,中国と国交樹立(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1992 | 中国と国交樹立(朝鮮、大韓民国_国史教科書) | ||||
1992 | 1 | 国際原子力機関(IAEA)の核査察協定に調印 (朝鮮、大韓民国_) | |||
1992 | 01 | 16 | 宮沢首相訪韓、1/17慰安婦問題で謝罪 (朝鮮_) | ||
1992 | 01 | 21 | 韓国政府、日本に対して真相究明と賠償を要求(07/08政府強制連行は否定)(朝鮮_) | ||
1992 | 2 | 南北首相会議で南北合意書・非核化共同宣言の発効 (朝鮮、大韓民国_) | |||
1992 | 06 | 01 | 外国人登録法改正公布(在日韓国朝鮮人の指紋押捺廃止 93/01/08施行)(朝鮮_) | ||
1992 | 8 | 中国と国交の復興 (朝鮮、大韓民国_) | |||
1992 | 10 | 「外国人投資法」 (朝鮮、大韓民国_) | |||
1992 | 12 | 金泳三(民自党)大統領に就任 (朝鮮、大韓民国_) | |||
1992 | 12 | 19 | 韓国、大統領選で民主党の金泳三当選。(朝鮮、韓国_) | ||
1993 | 初の文民政権誕生 ←←←韓国は民主化してまだたった17年の発展途上国(朝鮮_よいこの正しい半島歴史年表) | ||||
1993 | 金泳三政権…第十四代大統領(1993~1998)(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1993 | 金泳三政府は、金融取引時に実名を使用するようにする金融実名制を新たに施行し、これは当時は大々的な改革でした。 (朝鮮、大韓民国_) | ||||
1993 | 金正日書記を国防委員長に選出(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1993 | 大田世界博覧会開催(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1993 | 金泳三政府成立(朝鮮、大韓民国_国史教科書) | ||||
1993 | 大田エキスポ(朝鮮、大韓民国_国史教科書) | ||||
1993 | 金融実名制実施(朝鮮、大韓民国_国史教科書) | ||||
1993 | 1 | 「自由経済貿易地帯法」の制定 (朝鮮、大韓民国_) | |||
1993 | 3 | 北朝鮮、核不拡散条約の脱退 (朝鮮、北朝鮮_) | |||
1993 | 08 | 04 | 河野洋平官房長官、従軍慰安婦「強制連行」承認の調査結果発表、謝罪談話。(朝鮮_) | ||
1993 | 11 | 05 | 細川首相、韓国金泳三大統領との会談で植民地支配を謝罪。(朝鮮_) | ||
1994 | 北朝鮮の金日成主席死去(朝鮮、北朝鮮_) | ||||
1994 | 核危機が発生(米国の対北戦争を水際で回避) (朝鮮、大韓民国_) | ||||
1994 | 漢江の聖水大橋崩壊(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1994 | 金日成主席死去.82歳(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1994 | 世界卓球選手権大会に南北統一チーム参加(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1994 | 北韓、金日成死亡(朝鮮、大韓民国_国史教科書) | ||||
1994 | 政府組織改編(朝鮮、大韓民国_国史教科書) | ||||
1994 | 7 | 8 | 北朝鮮、金日成死去 (朝鮮、北朝鮮_) | ||
1994 | 07 | 08 | 金日成死去。(朝鮮_) | ||
1995 | 全斗煥、盧泰愚を光州事件などに関して訴追 (朝鮮、大韓民国_) | ||||
1995 | ソウル,三豊百貨店崩壊.高度経済成長時代の手抜き工事が原因(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1995 | 旧朝鮮総督府建物解体開始(~1997)(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1995 | 大邸市内の地下鉄工事の最中ガス爆発発生(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1995 | 朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)発足(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1995 | 地方自治制実施(朝鮮、大韓民国_国史教科書) | ||||
1995 | 旧総督府建物解体(-1996)(朝鮮、大韓民国_国史教科書) | ||||
1995 | 韓国、国連安保理非常任理事国に選ばれる(朝鮮、大韓民国_国史教科書) | ||||
1996 | 韓国東岸で北朝鮮潜水艦発見(朝鮮、北朝鮮_) | ||||
1996 | 北朝鮮,潜水艦事件への謝罪発表(朝鮮、北朝鮮_) | ||||
1997 | アジア通貨危機・国家財政崩壊によりIMFと日本に土下座し莫大な資金援助をおねだり(まだ半分も返済していない)(朝鮮_よいこの正しい半島歴史年表) | ||||
金正日体制(1997~現在)(朝鮮、北朝鮮_) | |||||
1997 | アジア通貨危機1997(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1997 | ワールドカップサッカー韓日共同開催決定(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1997 | 金正日書記が,朝鮮労働党の総書記に就任(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1997 | 大韓航空機爆破事件の犯人,金賢姫結婚(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1997 | 北朝鮮高官黄長燁,韓国へ亡命(朝鮮、北朝鮮_) | ||||
1997 | 北朝鮮日本人妻,第一次訪日(朝鮮、北朝鮮_) | ||||
1997 | 12 | 03 | 韓国、金融救済でIMFと合意。(朝鮮、韓国_) | ||
1997 | 12 | 18 | 韓国、大統領選挙で金大中当選。(朝鮮、韓国_) | ||
1998 | 大統領に就任した金大中大統領は、1997年に起きたIMF金融危機の克服に全力を尽くし、また2002年にFIFAワールドカップを成功裏に誘致しました。北韓に対しては太陽政策を行ない、金大中大統領はこの功績が認められ2000年にノーベル平和賞を受賞しました。 (朝鮮、大韓民国_) | ||||
1998 | 金大中政権…第十五代大統領(1998~2003) 太陽政策(北朝鮮宥和政策)を開始 金正日との初の南北首脳会談を行う(2000年6月) 日本大衆文化開放を開始(朝鮮、北朝鮮_) | ||||
1998 | 韓国の現代グループ,北朝鮮の金剛山観光開始(朝鮮、北朝鮮_) | ||||
1998 | 金正日,国家国防委員長に推戴.国家主席は金日成一人として廃止(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1998 | 金大中大統領,日本大衆文化の段階的開放処置発令(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1998 | 金大中大統領就任.対北韓包容政策表明(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1998 | 北朝鮮の潜水艇,韓国東海岸で発見.乗組員全員死亡(朝鮮、北朝鮮_) | ||||
1998 | 北朝鮮の東部沿岸からミサイル発射.日本上空を越え三陸沖に落下(朝鮮、北朝鮮_) | ||||
1998 | 金大中政府 | ||||
1998 | 08 | 31 | 防衛庁、北朝鮮発射の弾道ミサイルが三陸沖に着弾した可能性ありと発表。(朝鮮_) | ||
1998 | 09 | 01 | 政府、国交正常化交渉再回凍結・日本/北朝鮮チャーター便の不許可決定。(朝鮮_) | ||
1998 | 09 | 04 | 北朝鮮、人工衛星打ち上げ成功と発表。(朝鮮、北朝鮮_) | ||
1999 | ソウルで,南北両チームによる「統一バスケットボール競技」開催(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1999 | 韓国西海の北方領海を北朝鮮警備艇が侵犯.韓国海軍と交戦となり退却(朝鮮、北朝鮮_) | ||||
1999 | 世界陸上女子マラソンで,北朝鮮のチョン・ソンオク金メダル獲得.共和国英雄の称号授与(朝鮮、北朝鮮_) | ||||
1999 | 南北労働者サッカー大会,平壌で開催(朝鮮、大韓民国_) | ||||
1999 | 9 | 24 | 北朝鮮、米朝協議継続中はミサイル再発射を停止することを発表(アメリカ、北朝鮮_) | ||
2000 | 初の南北朝鮮首脳会談(朝鮮、北朝鮮_) | ||||
2000 | 北朝鮮、韓国の金大中大統領との初めての南北首脳会談を実施。6.15南北共同宣言を発表 (朝鮮、北朝鮮_) | ||||
2000 | シドニー五輪の入場行進、統一旗を掲げアリランのメロディに合わせ南北選手団同時行進(朝鮮、大韓民国_) | ||||
2000 | 韓国と北朝鮮の離散家族200人、ソウルと平壌で相互に親族と再会(朝鮮、北朝鮮_) | ||||
2000 | 韓国の金大中大統領,南北朝鮮の対話が評価され,ノーベル平和賞受賞(朝鮮、北朝鮮_) | ||||
2000 | 南北朝鮮分断後初の首脳会談平壌で開催。金正日総書記イメージ変える(朝鮮、北朝鮮_) | ||||
2000 | 日本語歌謡曲全面解禁第一弾として、チャゲ&飛鳥コンサートソウル公演(朝鮮、大韓民国_) | ||||
2000 | 南北首脳会議(朝鮮、大韓民国_国史教科書) | ||||
2000 | 6.15南北共同宣言(朝鮮、大韓民国_国史教科書) | ||||
2000 | アジア・ヨーロッパ首脳会議(ASEM開催)(朝鮮、大韓民国_国史教科書) | ||||
2000 | 06 | 13 | 韓国金大中大統領と北朝鮮金正日総書記が南北会談 6.14共同声明を発表。(朝鮮_) | ||
2000 | 12 | 12 | イギリスと北朝鮮、国交を樹立する共同覚書に署名(イギリス、北朝鮮_) | ||
2001 | DMZ内北朝鮮の哨所から韓国軍境界哨所に向かって銃撃。韓国軍が対応射撃(朝鮮、北朝鮮_) | ||||
2001 | 金正男(金正日総書記の長男)の日本密入国騒動(朝鮮、大韓民国_) | ||||
2001 | 仁川国際空港が開港(朝鮮、大韓民国_) | ||||
2001 | 2 | 6 | カナダが北朝鮮と国交樹立(-7 スペインも国交樹立)(カナダ、北朝鮮、スペイン_) | ||
2002 | 日本と韓国共同開催のサッカーワールドカップ開催(朝鮮、日本、韓国_) | ||||
2002 | 日韓共催サッカーワールドカップ(朝鮮、大韓民国_) | ||||
2002 | 北朝鮮、小泉純一郎首相が平壌を訪問、日朝平壌宣言。日本人拉致の事実を認めて拉致被害者5名を日本に帰国させる (朝鮮、北朝鮮_) | ||||
2002 | サッカーのワールドカップ開催 (朝鮮、大韓民国_) | ||||
2002 | サッカーW杯日韓同時開催。韓国4強進出(朝鮮、大韓民国_) | ||||
2002 | 釜山で開催のアジア大会に北朝鮮参加。北の美女軍団韓国男性を骨抜きにする(朝鮮、北朝鮮_) | ||||
2002 | 韓国第16代大統領に、新千年民主党(民主党)の盧武鉉(ノ・ムヒョン)候補が当選(朝鮮、大韓民国_) | ||||
2002 | 金正日総書記、日本の小泉総理と平壌で首脳会談、日本人拉致や不審船の行為を認める(朝鮮、大韓民国_) | ||||
2002 | 西海・延坪(ヨンピョン)島西方海上で、南北海軍の間で交戦(朝鮮、大韓民国_) | ||||
2002 | 北朝鮮,IAEA査察団を国外退去,核施設稼動準備はじめる(朝鮮、北朝鮮_) | ||||
2002 | 韓日ワールドカップ開催(朝鮮、大韓民国_国史教科書) | ||||
2002 | 第14回釜山アジア競技大会開催(朝鮮、大韓民国_国史教科書) | ||||
2002 | 10 | 19 | 北朝鮮に拉致された日本人5人が帰国。 (朝鮮、日本、北朝鮮_) | ||
2002 | 12 | 19 | 盧武鉉政権…第十六代大統領(2003~)(朝鮮、大韓民国_) | ||
2003 | 盧武玄政権は、国民の政治参加こそが政治を行なう上で核心的な役割を果たすという参与政府を目指しました。若く改革的な新しい人事政策と過去の権威主義の清算、市民社会の成長などは盧武玄大統領の代表的な成果であると評価されています。また盧武玄政権中には、第2回南北首脳会談も行なわれました。(朝鮮、大韓民国_) | ||||
2003 | 大邱地下鉄放火事件。死者約200人を数える惨劇になる。(朝鮮、大韓民国_) | ||||
2003 | 北朝鮮が核開発表明、日米中韓などで6カ国協議(朝鮮、北朝鮮_) | ||||
2003 | 廬武鉉政府スタート(朝鮮、大韓民国_国史教科書) | ||||
2004 | 日本人拉致被害者の遺骨を返還、日本側が遺骨の正式調査を行い、他人の遺骨だと発表するが、北朝鮮側はこれに反発(北朝鮮)(朝鮮、北朝鮮_) | ||||
2004 | 金正日総書記の夫人、高英姫が死亡(朝鮮、大韓民国_) | ||||
2004 | 国会が盧武鉉大統領に対する弾劾訴追可決。憲法裁判所、弾劾訴追を棄却(朝鮮、大韓民国_) | ||||
2004 | 平安北道、龍川駅で大規模爆発事故が発生(朝鮮、大韓民国_) | ||||
2004 | 盧武鉉大統領の弾劾訴追が国会で可決(朝鮮、大韓民国_) | ||||
2004 | 3 | 国会が盧武鉉大統領に対する弾劾訴追を可決。高建が大統領職務を代行(朝鮮、大韓民国_) | |||
2004 | 4 | 総選挙でウリ党圧勝。国民、弾劾拒否の意思を示す(朝鮮、大韓民国_) | |||
2004 | 5 | 憲法裁判所、弾劾訴追を棄却。盧武鉉が大統領職に復帰(朝鮮、大韓民国_) | |||
2004 | 12 | 日本からの人道支援の残りの15万5000トンが停止される(北朝鮮)(朝鮮、北朝鮮_) | |||
2005 | 韓国・黄禹錫(ファン・ウソク)教授、ES細胞論文ねつ造(朝鮮、大韓民国_) | ||||
2005 | 北朝鮮,核兵器製造・保有を公式に認める(朝鮮、北朝鮮_) | ||||
2005 | 2 | 核兵器製造・保有を公式に認める(北朝鮮)(朝鮮、北朝鮮_) | |||
2006 | 北朝鮮,テポドン2を含むミサイル7発を発射。日本海に着弾(朝鮮、北朝鮮_) | ||||
2006 | 北朝鮮,地下核実験を実施(朝鮮、北朝鮮_) | ||||
2006 | 盧武鉉政権がFTA締結に向けた交渉を開始(朝鮮、大韓民国_) | ||||
2006 | 7 | 北朝鮮、日本海にミサイル発射(朝鮮、北朝鮮_) | |||
2006 | 7 | 国連安全保障理事会が決議第1695号を採択(朝鮮、北朝鮮_) | |||
2006 | 7 | 日本海に向けてミサイルを7発発射(7発とも日本海に着弾)(北朝鮮)(朝鮮、北朝鮮_) | |||
2006 | 10 | 北朝鮮、核実験を実施(朝鮮、北朝鮮_) | |||
2006 | 10 | 「核実験成功」を宣言、国連安全保障理事会が決議第1718号を採択(北朝鮮)(朝鮮、北朝鮮_) | |||
2007 | 韓国第17代大統領選、李明博候補が圧勝。10年ぶりに右派執権へ移動(朝鮮、大韓民国_) | ||||
2007 | 京義線:開城工団行き南北貨物列車が56年ぶりに定期開通(朝鮮、大韓民国_) | ||||
2007 | 半世紀ぶりの南北縦断鉄道試運転(朝鮮、大韓民国_) | ||||
2007 | 李明博大統領就任(朝鮮、大韓民国_) | ||||
2007 | 盧武鉉大統領、歩いて軍事境界線を越え北韓入りし、金正日総書記と南北首脳会談(朝鮮、大韓民国_) | ||||
2007 | 10 | 南北朝鮮首脳会談(朝鮮、北朝鮮_) | |||
2008 | 再び国家財政崩壊によりIMFおかわりするも却下(リーマン破綻の引き金を引いた)(朝鮮_よいこの正しい半島歴史年表) | ||||
2008 | “韓国へ偽装脱北”北朝鮮の30代女スパイ摘発、軍部関係者も逮捕(朝鮮、北朝鮮_) | ||||
2008 | 韓国の「国宝1号」崇礼門(南大門)、放火で焼失し廃墟と化す(朝鮮、大韓民国_) | ||||
2008 | 金剛山で韓国人観光客が北側の軍境界線を越え銃撃され死亡(朝鮮、大韓民国_) | ||||
2008 | 盧武鉉元大統領死去。リーマンショックによる世界同時不況(朝鮮、大韓民国_) | ||||
2008 | 李明博政権…第十七代大統領(2008~) 2008年韓国の第17代大統領に就任した李明博大統領は、変化と実用をモットーに公企業の民営化、自由貿易協定(FTA)などを積極的に推進しました。2012年現在までにG20首脳会議、核安全保障サミットなど重要な国際的行事を成功裏に開催しました。(朝鮮、大韓民国_) | ||||
2009 | LINK 縄文と古代文明を探求しよう! ≫ NHKスペシャル「日本と朝鮮半島2000年」第2回放映(2009年6月17日付)(朝鮮、百済_) | ||||
2009 | 北朝鮮、2006年に続いて2回目の地下核実験を実施(朝鮮、北朝鮮_) | ||||
2009 | 北朝鮮,ミサイル発射。日本上空を通過し太平洋に落下(朝鮮、北朝鮮_) | ||||
2009 | 盧武鉉前韓国大統領、親族の不正資金疑惑で批判を受けたことを苦に自殺(朝鮮、大韓民国_) | ||||
2010 | 負債は国内総生産(GDP)の370%、長期対外債務が過去最大の2500億ドル超。危機に備え国際基金構想 各国が外貨準備拠出、韓国が打診するも日本、中国は軒並みスルー(大爆)(朝鮮_よいこの正しい半島歴史年表) | ||||
2010 | 尖閣諸島中国漁船衝突事件2010年(朝鮮、大韓民国_) | ||||
2010 | 韓国の哨戒艦が黄海上で沈没。多国籍調査チームが北韓潜水艦の魚雷攻撃に因ると発表(朝鮮、大韓民国_) | ||||
2010 | 軍事訓練中の韓国領延坪島へ北韓軍が砲撃。韓国軍も対応射撃を行う(朝鮮、大韓民国_) | ||||
2010 | 北の後継者とみられる金正恩が人民軍大将、党中央軍事委員会副委員長に選任される(朝鮮、大韓民国_) | ||||
2011 | 金正恩、朝鮮人民軍最高司令官に就任(朝鮮、大韓民国_) | ||||
2011 | 金正日(69)死去。現地指導中の急病によると発表されたが、平壌官邸での死亡説が有力(朝鮮、大韓民国_) | ||||
2011 | 金正恩(28)が金正日の死去で空席となったポストの一つ朝鮮人民軍最高司令官に就任(朝鮮、大韓民国_) | ||||
2011 | 東日本大震災 2011年(朝鮮、大韓民国_) | ||||
2011 | 12 | 一方、北韓は、17年間政権を握っていた金正日の死去後、その息子の金正恩が権力を継承しました。(朝鮮、大韓民国_) | |||
2012 | 【LINK】 LINK 水.土壌.心の汚染や、アジア太平洋の利権を現場で考え真実を伝える ≫ 朝鮮半島南部の前方後円墳&任那日本府&ヒスイ製勾玉は糸魚川のみ産地(2012年3月17日付)(朝鮮、百済_) | ||||
2012 | 2012年李明博大統領、竹島に上陸(朝鮮、大韓民国_) | ||||
2012 | 韓国大統領選、朴槿恵(パククネ)(60)が勝利し、史上初の女性大統領に選出される(朝鮮、大韓民国_) | ||||
2012 | 金正恩が国防委員会第一委員長に就任し、党・国家・軍の三権を握る最高指導者となる(朝鮮、大韓民国_) | ||||
2012 | 金正恩は党の第一書記に推戴され、政治局常務委員・中央軍事委員会委員長にも就任(朝鮮、大韓民国_) | ||||
2012 | 北朝鮮、今年2回目の長距離ミサイル打ち上げ、物体(人工衛星?)を軌道投入に成功するhttp://www.0o0d.com/img/flags/16/North-Korea.png&size(6){(朝鮮、北朝鮮_)}; | ||||
2012 | 北朝鮮、人工衛星と称するミサイル打ち上げを実施するが、軌道投入に失敗http://www.0o0d.com/img/flags/16/North-Korea.png&size(6){(朝鮮、北朝鮮_)}; | ||||
2012 | 李明博、韓国の歴代大統領として初めて竹島(独島)へ上陸http://www.0o0d.com/img/flags/16/South-Korea.png&size(6){(朝鮮、大韓民国_)}; | ||||
2013 | LINK News U.S. 中国・韓国・在日朝鮮人崩壊ニュース ≫ 韓国人「日本人は百済系だからウリ達と兄弟ニダ!!」 ← バカ 今の韓国人は百済とは何の関係もなし!!!!! そもそも日本は百済を統治する立場に!!!!! 劣等遺伝子民族は真の歴史を知り発狂憤死すべきである!!!! 2ch「天皇が半島の子孫なら、なぜ『日王』などと呼ぶのか。嘘と妄想と手のひら返しを繰り返しすぎだろ」(2013年5月1日付) このサイトのコメントとして、次の記述がある。太字は、当サイト管理人による。 『★現天皇のゆかり発言で有名になった桓武天皇の母親の高野新笠の系図 武寧王[461年日本生まれ第25代百済王(在位501-523年)] 純陀太子在日1世(日本に人質に) 斯我君在日2世 法師君在日3世 雄蘇利紀君在日4世 和史宇奈羅在日5世(和氏に改名して日本に帰化) 和史粟勝在日6世 和史浄足在日7世 和史武助在日8世 和史乙継在日9世(娘を天皇家に嫁がせて高野姓を賜る) 高野朝臣新笠在日10世―桓武天皇[第50代天皇(在位781-806年)] ・・・つまり桓武天皇の母親の高野新笠は10代前に渡来し、6代前に日本に帰化した百済系10世なのです。 彼女の百済系の割合は1/(2^10)=0.00098。パーセントにすると0.098%となります。 逆に日本系の割合は99.902%で、血筋から見ても帰化している事から見ても正真正銘の日本人です。 ましてや125代の今上天皇との関係は「0」と言って差し支えありません。 また「百済≠韓国」である事も強調しておきます。 さらに「武寧王の父の東城王は日本(倭)からやって来た」と韓国の古文書に書かれている事も付け加えておきます。 そして桓武天皇が即位したのは781年・・・つまり660年百済滅亡の121年後なのです。百済の政治的な関わりは「0」です。』(朝鮮、百済_) | ||||
2013 | 2020年オリンピックの開催地が東京に決定する2013年(朝鮮、大韓民国_) | ||||
2013 | 韓米合同軍事演習を口実に北朝鮮が韓国人の開城工業団地出入りを統制、5か月間閉鎖となる(朝鮮、北朝鮮_) | ||||
2013 | 金正恩第1書記の叔父の、張成沢・国防委員会副委員長が公開処刑される(朝鮮、大韓民国_) | ||||
2013 | 北朝鮮が3回目となる地下核実験を成功裏に実施したと発表(朝鮮、北朝鮮_) | ||||
2013 | 2 | 朴槿恵政権…第十八代大統領(2013~) 朴槿恵(パククネ)が韓国の大統領となる(朝鮮_) | |||
2013 | 6 | 28 | 朴槿恵大統領、国賓として中国を訪問(朝鮮、大韓民国_) | ||
2013 | 11 | 朴槿恵が告げ口外交(おばさん外交)をはじめる(朝鮮_) | |||
2014 | 4 | 2014年4月世越号沈没事故(朝鮮、大韓民国_) | |||
2016 | 朴槿恵大統領弾劾訴追案が国会で可決 日韓三大歴史問題 ・創氏改名・・・強制では断じてない ・慰安婦・・・・戦地売春婦 ・強制連行・・・徴用令?(朝鮮、大韓民国_) | ||||
2017 | 9 | 3 | 北朝鮮が核実験を行う(6回目)(朝鮮、北朝鮮_) | ||
2017 | 12 | 2 | 北朝鮮は火星15の試射によりアメリカ全土を攻撃可能となる(朝鮮、北朝鮮_) | ||
2018 | http://www2s.biglobe.ne.jp/~t_tajima/nenpyo-2/ad346a.htm ---- http://www.iokikai.or.jp/kodai.kudara.html ---- http://www.nikomaru.jp/korea/krtour/krtour_baekjehistory ---- http://www.geocities.jp/mb1527/N3-19-4kudarasaiken.html&size(6){(朝鮮、韓国、北朝鮮_)}; | ||||
2018 | http://www7a.biglobe.ne.jp/~kum-kuda/izanai/rekishi/yokusa.htmlhttp://www7a.biglobe.ne.jp/~kum-kuda/izanai/sogo_menu3.html#mconthttp://www.vivonet.co.jp/rekisi/d02_korea/korea.htmlhttp://www001.upp.so-net.ne.jp/fukushi/korea/history.htmlhttp://www12.plala.or.jp/rekisi/index.htmlhttp://maruma.no.coocan.jp/korea/nenpyou.htmlhttp://www12.plala.or.jp/rekisi/tyousenrekisi.htmlhttp://ezkorea.biz/inf8.cgi(朝鮮、韓国、北朝鮮_) | ||||
2018 | http://www.coara.or.jp/~mieko/koreahistory/koreahistory.htmhttp://www7a.biglobe.ne.jp/~kum-kuda/izanai/rekishi/yokusa.htmlhttp://maruma.no.coocan.jp/korea/nenpyou.html&size(6){(朝鮮、韓国、北朝鮮_)}; | ||||
2018 | 4 | 27 | 南北首脳会談 - 韓国と北朝鮮による首脳会談(朝鮮、韓国、北朝鮮_) |