辰韓

辰韓(読み)しんかん(英語表記)Chinhan
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
辰韓
しんかん
Chinhan
秦韓とも書く。古代朝鮮,南東部の地域名,部族名。『三国志』魏志東夷伝によれば3世紀頃この地域 (現慶尚南北道の洛東江流域) には辰韓と称する部族があり,弁辰と雑居し 12国を構成していたという。しかし国といっても大国で 4000~5000戸,小国では 600~700戸程度できわめて原始的な部族国家であり,まだ三韓 (馬韓辰韓弁辰弁韓〉) を統一する国王は存在しなかった。各部族の首長が一応中国から官職を受け,その間接支配的形態下において部族民は主として農耕,漁労などにたずさわっていたようである。魏志東夷伝ではこの地方から鉄が産出され,中国の銭のように取引の対象になっていたと記している。辰韓朝鮮史上注目されるのは4世紀初頭,楽浪,帯方2郡の滅亡を契機として辰韓諸国の一つ斯盧 (しろ) 国が統合の中心となってやがて新羅を形成するからである。

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デジタル大辞泉の解説
しんかん【辰韓
古代朝鮮三韓の一。朝鮮半島の東南部に12の部族的小国家として分立していたが、のち統一されて新羅(しらぎ)となる。

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百科事典マイペディアの解説
辰韓【しんかん】
三韓の一つ。古代朝鮮の南東隅にあった国で,北は【わい】貊(わいばく)と接していたという。ほぼ現在の慶尚北道で洛東江の東であると比定される。3世紀に成立したが,原始的村落国家であり,斯盧(しろ)国を中心とした連合国家に併合され,350年ころ新羅(しらぎ)に統一された。
→関連項目弁韓

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世界大百科事典 第2版の解説
しんかん【辰韓
古代朝鮮半島の南部に存在した韓族の名称。3世紀初めころの朝鮮半島の状態について最も古く,かつ詳細に記した《三国志》魏志の東夷列伝中の韓伝によると,当時半島南部には3種の韓族が分立し,南西部には馬韓の諸国が存在し,辰韓諸国は馬韓の東方にあって,北は濊貊(わいばく)と接していたという。さらに彼らはかつて秦・漢動乱の際,難を避けて亡命して来たもので,馬韓人がその東界の土地を与えて自立させたことになっているが,もちろん伝聞の域を出ない。

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大辞林 第三版の解説
しんかん【辰韓
朝鮮古代、三韓の一。三世紀頃、朝鮮半島南東部に分立した一二の小国から成る。そのうちの斯盧しら国を中心に統合され、四世紀に新羅しらぎが成立。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
辰韓
しんかん
古代朝鮮の半島南東隅地域、およびそこに居住した韓族をさす。現在の慶尚道、洛東江(らくとうこう/ナクトガン)東岸地域にあたる。『魏志東夷伝(ぎしとういでん)』韓条によれば、3世紀中ごろ、朝鮮半島南部は馬韓(ばかん)、辰韓弁辰(べんしん)(弁韓ともいう)に分かれており、辰韓は12の小国からなっていた。諸国にはそれぞれ、臣智(しんち)、険側(けんそく)などとよばれた首長がおり、その規模は「大国は四、五千家、小国は六、七百家」と伝えられる。諸国の広さは後世の郡に相当するという学説がある。このような小国の連合体から、やがて楽浪(らくろう)、帯方(たいほう)2郡の滅亡を契機にして、4世紀中ごろには、辰韓一二国中の一国であった斯盧(しろ)国を中核に諸国は統合され、新羅(しらぎ)国となった。[李 成 市]
[参照項目] | 新羅(しらぎ)

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精選版 日本国語大辞典の解説
しんかん【辰韓
古代、朝鮮半島の南東部の地域名。三韓の一つ。三世紀中頃には一二の原始的な村落国家が分立していたが、楽浪・帯方二郡の滅亡を契機として統一の気運が高まり、部族連合を形成、四世紀中頃に新羅(しらぎ)を建国した。

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世界大百科事典内の辰韓の言及
三韓】より

…これに反し半島南部の方面にはその統制も十分に行きわたらず,この地域の韓族は各地に分裂割拠し,その首長(長帥)たちは臣智とか邑借と自称し,また楽浪,帯方の太守を介して帰義侯とか中郎将などという中国式の官名をうけ一種の間接支配下にあったようである。《三国志》魏志の東夷伝はこれら韓族について,最も古くかつ詳細な記録であるが,それによると彼らは3種に分かれ,東方に馬韓余国,西方に辰韓国,辰韓に雑居して弁辰(弁韓ないし弁辰韓ともいう)12国があったというが,これらの国の実体も国数もきわめてあいまいである。《三国志》魏志東夷伝の記述ではこれら3種を統合する最高権力者の君王ともいうべきものは存在せず,各部族は雑居しており,とくに弁辰(弁韓)と辰韓の区別は不明である。…
辰国】より

…ところが《三国志》の記載がきわめて断片的で,矛盾した個所もあるため,古来この国の存在,性格については諸家の見解が一定しない。白鳥庫吉は辰国辰韓のことであり,辰王は辰韓王であるとした。三上次男も辰王は2~3世紀ころ半島南部に成立した一種の部族連合国家の君主であったと解釈している。…

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