aa

BC0194/../.. この頃、燕の衛満箕氏朝鮮を滅ぼし衛氏朝鮮興る。
BC0108/../.. 前漢の武帝、衛氏朝鮮を滅ぼし、ついで楽浪・真番・臨屯・玄菟4郡を置く。
BC0100/../.. この頃、高句麗、(4F5F)イ冬佳江中流域に台頭する。
0012/../.. 新の王莽、高句麗侯(9A36)馬芻を殺し高句麗を下句麗に改める。
0030/../.. 後漢楽浪郡の嶺東7県を破棄する。
0032/../.. 高句麗後漢に入貢し、王号を復せられる。
0044/../.. 韓の簾斯人の蘇馬諟、楽浪郡に入貢し、漢簾斯邑君の号をうける。
0047/../.. 高句麗の蚕支落の大加である載升ら、楽浪郡に内属する。
0105/../.. 高句麗、遼東6県を侵す。
0107/../.. この頃、倭は朝鮮の弁辰弁韓)の鉄を盛んに輸入する(魏志韓伝)。
0111/../.. 扶余楽浪郡を侵す。高句麗後漢に入貢する。
0121/../.. 後漢の幽州刺史ら、高句麗馬韓・(6FCA)シ歳貊を討つ。
0146/../.. この頃、高句麗、遼東を侵し、楽浪郡大守の妻子を掠奪する。
0169/../.. 玄菟郡大守の耿臨、高句麗を討つ。
0192/../.. この頃、韓・(6FCA)シ歳が強く、楽浪郡の民、多く韓・シ歳に流入する。
0204/../.. この頃、遼東の公孫氏、楽浪郡の南に帯方郡をおく。
0238/../.. 魏、遼東の公孫氏を滅し、楽浪・帯方2郡を領有する。
0244/../.. 魏の毋丘倹、高句麗の丸都城を攻略する。
0246/../.. 韓の那奚など数十国、魏に服従する。
0247/../.. (6FCA)シ歳の不耐候、魏に入貢し、不耐シ歳を授けられる。
0261/../.. 韓・(6FCA)シ歳、魏に入貢する。
0277/../.. 馬韓、西晋に入貢する
0280/../.. 西晋、呉を滅ばし、中国を統一する。馬韓辰韓、西晋に入貢する。
0287/../.. 馬韓、この後しばしば西晋に入貢する。
0300/../.. 高句麗の美川王が即位するという。
0302/../.. 高句麗、西晋の玄菟郡を侵す。
0313/../.. 高句麗楽浪郡地方を併せる。この頃より、百済新羅の台頭が著しい。
0314/../.. 高句麗帯方郡を陥れる。
0342/../.. 前燕、高句麗を攻め、丸都城を掠奪する。
0343/../.. 高句麗王、前燕に入貢し、平州牧・遼東帯方2国王を授けられる。
0346/../.. 百済の近肖古王、即位するという。
0355/../.. 高句麗王、前燕から征東大将軍営州刺史楽浪公を授けられる。
0356/../.. 新羅の奈勿王、即位するという。
0364/../.. 百済人久氏ら、卓淳国をたずね、倭国との通交を求める。(日本書紀神功記46年条による)
0366/../.. 倭国の斯摩宿禰、卓淳国へ行き、使者を百済に送る。(神功記46年条)
0367/../.. 千熊長彦(百済記には職麻那那加比跪)を遣わして新羅を責める。(神功記47年条)
0369/../.. 高句麗新羅を攻めるが敗れる。
0369/../.. 新羅を攻め、比自火本(ひしほ)以下の7国を平定し、比利以下の4邑を降伏させる。(神功記49年条)
0371/../.. 百済高句麗を攻める。高句麗の故国原王、敗死する。
0372/../.. 高句麗、前秦から僧侶・仏像・仏典を迎える。仏教初めて朝鮮に入る。
0372/../.. 百済の肖古王、久氏らを倭国に遣わし、七枝刀1口、七子鏡をおくる。(神功記52年条)、「泰和四年」(369)の紀年銘をもつ奈良県天理市の石上神宮の七枝刀がこれにあたる。
0372/../.. 百済王、東晋に初めて入貢し、鎮東将軍楽浪大守を授けられる。
0373/../.. 高句麗の小獣林王、初めて律令を領つという。
0377/../.. 高句麗新羅、前秦に入貢する(新羅の最初の中国遣使)。
0382/../.. 襲津彦(百済記には沙至比跪)を遣わし、新羅を攻める。(神功記62年条)
0391/../.. 高句麗広開土王(國岡上廣開土境平安好太王)即位し(三国史記は392年)、永楽年号を用いる。
0391/../.. 倭、百済新羅を破り臣民とする。(高句麗広開土王碑)
0392/../.. 百済高句麗に屈する(三国史記)
0392/../.. 百済の辰斯王、倭国に対して礼を失う。紀角宿禰を遣わして詰問、辰斯王殺され阿花王が立つ(応神紀3年条、三国史記)
0396/../.. 高句麗百済を攻め、その北部を領土とし、城下の誓をさせる。(広開土王碑)
0396/../.. 高句麗百済を攻めて58城を取り、人質をとって還る。
0397/../.. 百済の阿花王、倭国に対して礼を失う。阿花王、王子の直支を倭国に送り、和を請う。(応神紀8年条所引の百済記、三国史記)
0399/../.. 倭、新羅に侵入し、新羅高句麗に救援を要請する(広開土王碑)
0400/../.. 高句麗新羅を救援し、倭を討つ。
0400/../.. 高句麗、兵を新羅に送り、倭を撃退する。追撃して任那加羅に至る(広開土王碑)
0402/../.. 新羅の実聖王、奈勿王の子、未斯欣を倭国へ送る(三国史記)
0404/../.. 倭、もとの帯方郡の地域に出兵し、高句麗に撃退される(広開土王碑)
0405/../.. 百済の阿花王没し、王子の直支を帰国させ、即位させる(応神記16年条、三国史記)
0407/../.. 広開土王碑によれば、高句麗百済方面で戦うか。
0413/../.. 高句麗王、東晋から使持節都督営州諸軍事征東将軍高句麗王楽浪公を授けられる。
0414/../.. 高句麗広開土王碑たつ。
0417/../.. 百済王、東晋から使持節都督百済諸軍事鎮東将軍百済王を授けられる。
0420/../.. 宋、高句麗王を征東大将軍、百済王に鎮東大将軍を加えられる。
0422/../.. 高句麗王、宋から散騎常侍・督平州諸軍事を加えられる。
0427/../.. 高句麗、丸都から平壤に遷都する。
0430/../.. 百済王、宋に入貢し爵号を授けられる。
0435/../.. 高句麗王、北魏に入貢し、都督遼海諸軍事征東将軍領護東夷中郎将遼東郡開国公高句麗王を授けられる。
0438/../.. (宋・元嘉15)これより先、倭王の讃没し、弟の珍立つ、この年、珍、宋に朝貢し自ら「使持節都督倭・百済新羅任那・泰韓・慕韓六国諸軍事安東大将軍倭国王」と称し、正式の任命を任命を求める。(宋書倭国伝)
0450/../.. 高句麗新羅を討つ。
0451/../.. (宋・元嘉28)倭王の済、宋朝から「使持節都督倭・百済新羅任那・泰韓・慕韓六国諸軍事」を加号される。安東将軍は元のまま。(宋書倭国伝)
0457/../.. 百済王、宋に入貢し鎮東大将軍を授けられる。
0458/../.. 宋、百済王の臣下11人に諸将軍職を授ける。
0461/../.. 百済の蓋鹵王、弟の毘支君を倭国に送る(雄略記5年条所引の百済新撰)
0463/../.. 宋、高句麗王高王連を車騎大将軍開府儀同三司に進める。
0472/../.. 百済、北魏に初めて入朝し高句麗に対する援兵を請う。
0475/../.. 高句麗の長寿王、三万の兵を率いて百済を攻める。百済の蓋鹵王は戦死し、都の漢城も陥落する。(雄略記20年条所引の百済記)百済、熊津の遷都。
0477/../.. 天皇、久麻那利(熊津)を百済の文周王に与え、百済を救い興す。(雄略記21年条
0479/../.. 天皇、毘支王の子、末多王を百済に送還し、東城王とする(雄略記23年条)
0480/../.. 南斉、高句麗王高王連を驃騎大将軍に進める。
0481/../.. 高句麗、斉に入貢する。
0484/../.. 高句麗、北魏および南斉に入貢する。
0487/../.. 新羅、始祖降誕の地に神宮を建つという。
0490/../.. 南斉、百済王牟大を使持節都督百済諸軍事鎮東大将軍百済王とする。
0491/../.. 北魏、高句麗に使を遣わし、国王高雲に使持節都督遼海諸軍事征東将軍領護東夷中郎将遼東開国公高句麗王を授ける。
0494/../.. 北魏、高句麗王高雲を使持節散騎常侍都督営平二州諸軍事征東大将軍高句麗王楽浪公とする。
0508/../.. 高句麗王、梁より撫東大将軍開府儀同三司に進められる。
0508/../.. 耽羅人、百済に初めて通じる。
0509/../.. 百済に使を遣わし、任那県邑に住む百済人百姓の子孫を百済に遷す(紀)
0512/../.. 百済の要請により、任那の上(口多)(口利)、下(口多)(口利)、沙陀、牟婁の4県を割譲する。(紀)
0513/../.. 百済、姐弥文貴らを遣わし、五経博士段楊爾をすすめる。また伴跛国が奪った己シ文(6C76)・帯沙の地を百済に割譲する。(紀)
0514/../.. 伴跛国、子呑・帯沙に築城して倭の攻撃に備える。(紀)
0515/../.. 物部連至至が率いる倭国軍、帯沙江(蟾津江口)で伴跛国軍に敗退する。(紀、百済本記)
0516/../.. 百済、段楊爾にかえて五経博士高安茂をすすめる(紀)
0519/../.. 高句麗王、北魏より鎮東将軍領護東夷校尉遼東郡公を授けられる。
0520/../.. 高句麗王、梁より持節使都督営平二州諸軍事寧東将軍を授けられる。新羅の法興王、律令を公布し、百官の公服を制定するという。
0521/../.. 百済武寧王、梁より持節使都督百済諸軍事寧東大将軍百済王を授けられる。新羅、南朝(梁)に初めて入貢する。
0524/../.. 百済聖明王、梁より持節使都督百済諸軍事綏東将軍百済王を授けられる。
0526/../.. 梁、高句麗王高延に前王の爵を襲わせる。
0527/../.. 近江臣毛野、6万の兵を率いて任那に向おうとするが、筑紫国造の磐井、新羅と通じ、火(肥)・豊の兵を動員して毛野臣の軍をはばむ。(紀)
0527/../.. 新羅、初めて仏法を行うという。
0529/../.. 近江毛野臣の派遣は失敗に終わる。新羅任那の四村を占領する(紀)
0532/../.. この頃(~534)、北魏、高句麗王を使持節散騎常侍車騎大将軍領護東夷校尉遼東郡開国公高句麗王とする。
0532/../.. 金官国、新羅に服属する(三国史記)
0534/../.. この頃(~541)、百済、梁から経義・毛詩博士・工匠などを迎える。
0536/../.. 新羅、初めて年号(建元)をたてる。
0537/../.. 大伴連沙手彦、任那に渡り、百済を救援(紀)
0538/../.. 百済、熊津より所夫里(泗シ比6C98)へ遷都する。
0538/../.. 百済の聖明王、仏像と経論を朝廷におくり、仏教が公伝される。(上宮聖徳法王帝説、元興寺縁起)
0540/../.. 大伴連金村、任那問題で失脚。
0541/../.. 百済新羅と和する。
0541/../.. 百済の聖明王、任那諸国の王、日本府、ともに任那の復興を協議(紀)
0543/../.. 百済の群臣、倭と任那の復興を議する。
0544/../.. 百済任那日本府、再び任那の復興を協議する(紀)
0545/../.. 新羅の真興王、国史修撰。このころ高句麗大いに乱れる。
0547/../.. 百済、救援の軍を要請(紀)
0548/../.. 高句麗の陽原王、南下して百済に侵入。百済新羅に救援を要請、百済新羅軍、高句麗を撃退。(三国史記)
0548/../.. 高句麗王、梁より寧東将軍高句麗王楽浪公を授けられる。
0548/../.. 百済に370人をおくり築城を助ける(紀)
0550/../.. 高句麗王、北斉より使持節侍中驃騎大将軍領護東夷校尉遼東郡開国公高句麗王を授けられる。
0550/../.. 百済高句麗の奴と捕虜を倭に贈る(紀)
0551/../.. 百済新羅任那高句麗と戦い、百済は旧都漢城の地など6郡を回復する(紀)
0552/../.. 新羅、漢城・平壤の地を領有する(紀)
0552/../.. 新羅百済から漢城・平壤を奪う。
0552/../.. 百済の聖明王、釈迦仏像と経論を献ずる。仏像礼拝の可否を群臣に問う(紀 538年の史実を日本書紀編者が改変か)
0553/../.. 百済、軍兵の派遣を要請。百済に医・易・暦博士の上番を求める。
0554/../.. 百済、再び軍兵の派遣を要請。百済、僧曇慧と五経・易・暦・医博士らを交替派遣。百済に兵1000人、馬100匹、船40隻をおくる。倭・百済両軍、新羅と戦い、百済の聖明王戦死(紀)
0555/../.. 百済王子の余昌、弟の恵を遣わし、聖明王の戦死を告げる。(紀)
0556/../.. 百済の恵、帰国。筑紫の水軍、筑紫火君の兵、恵を護送(紀)
0560/../.. 北斉、高句麗王世子湯を使持節領東夷校尉遼東郡公高麗王とする。
0561/../.. 新羅の使者、百済より下位に序列されたことを怒り、帰国して倭の攻撃に備える(紀)
0562/../.. 新羅任那宮家を滅ぼす。紀臣男麻呂、任那に渡り新羅と戦うが敗れる。大伴連狭手彦、高句麗と戦う。(紀)
0562/../.. 陳、百済王に撫東大将軍、高麗王に寧東将軍を授ける。
0564/../.. 新羅、北斉に入貢する。
0565/../.. 新羅王、北斉より使持節領東夷校尉楽浪郡新羅王を授けられる。
0566/../.. 新羅、皇龍寺を建立。
0568/../.. 新羅の真興王、黄草嶺・磨雲嶺に(この頃、北漢山にも)巡狩管境碑をたてる。
0570/../.. 高句麗の使人、越国に漂着する。(紀)
0570/../.. 百済王、北斉より使持節侍中驃騎大将軍帯方郡百済を授けられる。
0571/../.. 新羅に使を遣わし、任那滅亡の理由を問う。天皇、任那再興の詔を遺して没する。(紀)
0571/../.. 北斉、百済王を使侍節都督東青州刺史とする。
0574/../.. 高句麗の使人、越に来着し、上京。
0575/../.. 新羅任那百済に使を送る。新羅、多多羅・須奈羅・和陀・発鬼の4邑の調(任那の調)を献ずる(紀)
0577/../.. 高句麗百済、北周に入貢。高句麗王は上開府儀同大将軍遼東郡開国公遼東王を授けられる。
0577/../.. 百済の威徳王、経論と律師・禅師・比丘尼・呪禁師・造寺工の6人を贈る(紀)
0579/../.. 新羅、調と仏像を贈る(紀)
0580/../.. 新羅、調を献ずるが、朝廷は拒否する(紀)
0581/../.. 隋、百済王に上開府儀同三司帯方郡公を、高句麗王に大将軍遼東郡公を授ける。
0583/../.. 任那復興のため火葦北国造の子、日羅を百済より召喚する(紀)
0584/../.. 新羅に難波吉土木蓮子を遣わす(紀)
0588/../.. 蘇我馬子、善信尼らを百済に留学させる(紀)
0588/../.. 百済、仏舎利を献じ、僧・寺工・鑪盤博士・瓦博士・画工を贈る(紀)
0590/../.. 善信尼ら、百済より帰国し、桜井寺に住む(紀)
0590/../.. 隋、高句麗王を上開府儀同三司遼東公とする。
0591/../.. 新羅の真平王南山新城を築く。
0591/../.. 任那復興のため、紀男麻呂らを大将軍とし、二万余の軍を筑紫に送る。新羅百済に使を派遣する(紀)
0594/../.. 新羅、初めて隋に入貢し、上開府楽浪郡公を授けられる。
0595/05/.. 高句麗僧慧慈渡来し、厩戸皇子の師となる。この年、百済僧慧聡来る(紀)
0597/04/.. 百済王、王子阿佐を遣わして朝貢する。
0597/11/.. 難波吉土磐金を新羅に遣わす。(紀)
0598/../.. 隋の文帝、高句麗に出兵、失敗。
0598/04/.. 難波吉土磐金、新羅から帰る。(紀)
0598/08/.. 新羅、孔雀を貢進する。(紀)
0599/09/.. 百済、駱駝・羊を貢進する。(紀)
0600/02/.. 新羅任那とが戦う。この年、新羅の5城を攻める。新羅降伏する。難波吉師神を新羅に、難波吉土木蓮子を任那に遣わす。両国、調を貢進する。新羅、また任那を侵す(紀)
0601/03/.. 「任那」回復のため、大伴囓を高句麗に、坂本糠手を百済に遣わす。
0601/11/.. 新羅への攻撃を計画する。
0602/02/.. 来目皇子を撃新羅将軍に任ずる。国造・伴造らの軍2万5千人を動員する。
0602/04/.. 来目皇子、筑紫に到着する。
0602/06/.. 皇子病気にかかる。
0602/10/.. 百済僧観勒渡来し、暦・天文地理・遁甲方術の書をもたらす。
0603/02/.. 来目皇子、筑紫で病死する。
0603/04/.. 当麻皇子を征新羅将軍に任ずる。
0603/07/.. 当麻皇子、随伴した妻の死により赤石から帰る。新羅攻撃を中止する。
0605/04/.. 高句麗、造仏用の黄金を貢進する。
0610/03/.. 高句麗王派遣の僧曇徴、彩色・紙・墨・碾磑の製法を伝える。
0610/10/.. 新羅・「任那」の使人を朝廷に迎える。
0611/../.. 隋の煬帝、高句麗遠征を宣言、準備開始。
0611/08/.. 新羅・「任那」の使、朝貢する。
0612/../.. この年、百済人味摩之、伎楽舞を伝える。
0612/../.. 隋の煬帝、高句麗遠征~614
0614/06/.. 犬上御田鍬らを隋に遣わす。
0615/09/.. 百済使、御田鍬に従って来る。
0615/11/.. 慧慈、高句麗に帰る。
0616/07/.. 新羅、仏像を貢進する。
0618/08/.. 高句麗、方物を貢進し、隋の滅亡を伝える。
0621/../.. この年、新羅朝貢する。
0621/../.. 新羅、倭典を領客典に改める。唐に高句麗新羅百済が朝貢
0623/../.. この年、新羅、「任那」を討つ。日本、軍を「任那」に遣わす。新羅、服し、両国(新羅任那)の調を貢進する。
0623/07/.. 新羅・「任那」、仏像・舎利等を貢する。
0624/../.. 唐、高句麗王を上柱国遼東郡王高麗王、百済王を帯方郡王、新羅王を楽浪郡王に冊封。
0625/01/.. 高句麗王、僧恵灌を貢進する。
0630/03?// 高句麗使の宴子抜、百済使の素子ら来る(9月帰国)
0631/03/.. 百済王子豊璋、人質として日本に来るという。
0635/06/.. 百済使の柔らが来る。
0638/../.. この年、新羅百済・「任那」、朝貢する。
0640/10/.. 百済使・新羅使、ともに来朝する。
0641/../.. 高句麗の泉蓋蘇文、専権をふるう。~665
0643/04/.. 筑紫太宰、追放された百済国王の子翹岐らの入国を知らせる。
0643/06/.. 筑紫太宰、高句麗使の入国と高句麗の内乱を報ずる。
0644/../.. 唐、高句麗に対し新羅百済の兵を徴する。
0645/../.. 唐、第一次高句麗遠征。
0646/../.. 高句麗、唐に謝罪。
0647/../.. 唐、再び高句麗遠征。この頃新羅、日詹星台建立。唐、第三次高句麗遠征
0649/../.. 新羅百済軍を破る。
0651/../.. この年、新羅の貢調使を唐服着用により、放逐する。
0654/../.. 唐、新羅王を開府儀同三司楽浪郡王に封ずる。
0660/../.. 唐・新羅百済を滅ぼし、熊津等5都督府を置く。
0660/09/.. 百済の使、新羅・唐軍の攻撃による百済の滅亡を伝える。
0660/10/.. 百済の鬼室福信、救援と王子余豊璋の返還を要請する。
0661/../.. 唐、高句麗に出兵、翌年平壤を攻めるが失敗。
0661/01/.. 天皇、百済救援のため西に向かう。伊予の熟田津に泊まる。
0661/08/.. 阿曇比羅夫と阿倍比羅夫を百済救援の将軍に任ずる。
0662/01/.. 鬼室福信に兵器・種稲などを与える。
0662/05/.. 阿曇比羅夫、余豊璋らを百済に送り、王位を継がせる。
0663/../.. 唐、新羅に援軍を送る
0663/03/.. 上毛野雅子ら、兵2万7千人を率いて新羅に遣わされる。
0663/06/.. 百済王豊璋、福信を殺害する。
0663/08/.. 日本・百済軍、唐新羅軍と白村江で戦って大敗する。豊璋は高句麗に逃亡する。
0663/09/.. 日本軍、百済の遺民とともに帰国する。
0666/../.. この冬、百済人2千人余を東国に移す。
0666/../.. 唐、高句麗の内訌に乗じて出兵。
0668/../.. 唐、高句麗を滅ぼし、安東都護府を平壤に置く。
0669/../.. 高句麗遺民の反乱、翌年、新羅はこれを援助。
0672/../.. 新羅百済の故地を併す。
0674/../.. 唐、新羅に出兵、失敗。
0675/../.. 新羅、唐に謝罪。
0676/../.. 唐、安東都護府を遼東に移す。新羅朝鮮半島の領有を認められる。
0679/../.. 新羅、四天王寺を建立。
0687/../.. 新羅、文武官僚に田を給する。
0689/../.. 新羅、禄邑を廃し、内外官に租を給する。
0722/../.. 新羅、百姓に丁田を給する。
0727/12/.. 渤海使が入京する。
0731/04/.. 日本国の兵船300艘が、新羅の東辺を襲い、大破される。
0732/05/.. 新羅使の来朝を3年に1度とする。
0733/../.. 新羅、唐の命により渤海を討つ。
0735/02/.. 国名を王城国と改めた新羅国の使を追い返す。
0751/../.. 新羅、仏国寺を建立。
0753/08/.. 新羅国王、日本の遣新羅使に引見せず。
0757/../.. 新羅、禄邑を再設する。
0758/../.. 新羅、律令博士を置く。
0759/09/.. 新羅征討のため、北陸・山陰・山陽・南海諸道に船500艘を造らせる。
0760/09/.. 新羅使の闕礼を責め、本国へ返す。
0761/10/.. 高麗大山らを遣渤海使に任ずる。
0762/11/.. 多治比小耳らを遣渤海使に任ずる。新羅征討のため、伊勢大神宮以下の諸社に奉幣する。
0763/01/.. 渤海使、貢物を進め、安史の乱を報じる。
0763/02/.. 新羅使来着、使の違約を責めて帰す。
0764/07/.. 新羅使博多津に来着するも、帰す。
0770/03/.. 新羅使、大宰府に来着。
0771/06/.. 渤海使、出羽に来着。
0772/01/.. 渤海使の貢物を返却する。
0772/02/.. 遣渤海使の武生鳥守ら、渤海使を送る。
0773/06/.. 渤海使、能登に来着、上表の無礼を責めて帰す。
0774/03/.. 新羅使、大宰府に着く。貢物、旧例と違うため帰す。
0776/12/.. 渤海使、越前に漂着。
0778/09/.. 渤海使、遣渤海使と越前に着く。
0779/02/.. 道長人らを遣新羅使に任ずる。
0779/10/.. 新羅使、唐使と大宰府に来着
0786/09/.. 渤海使、出羽に漂着する。
0796/04/.. 渤海使、貢物を献上。
0796/05/.. 渤海使、帰国、遣渤海使御長広岳ら同行。
0798/04/.. 内蔵賀茂麻呂らを遣渤海使に任ずる。
0798/12/.. 渤海使、遣渤海使を送って来る。
0799/04/.. 渤海使帰国、遣渤海使の滋野船白ら送る。
0799/05/.. 渤海使来日を6年に1度とする前年の提案を撤回する。
0804/06/.. 能登国に渤海使の客院を造らせる。
0805/../.. 新羅、公式二十余条を公布。
0806/../.. 新羅、仏寺の新創を禁止。
0809/10/.. 渤海使高南容ら来る。
0810/09/.. 渤海使高南容ら再び来る。
0810/12/.. 林東人らを送渤海客使とする。
0811/04/.. 遣渤海使林東人ら出発。
0813/02/.. 新羅人110人、肥前小値賀島に来着し、島民と戦う。
0814/09/.. 渤海使来る。
0814/10/.. 新羅商人、長門に来る。
0816/05/.. 渤海使帰国。
0816/10/.. 新羅人180人、帰化する。
0819/11/.. 渤海使来る。
0820/01/.. 渤海使、唐人周光翰らを連れて帰国。
0820/02/.. 遠江・駿河両国の新羅人700人が反乱を起こす。
0821/11/.. 渤海使来る。
0822/07/.. 新羅人40人、帰化する。
0823/11/.. 渤海使、加賀に来着。
0824/05/.. 新羅人54人を陸奥に配し、口分田を与える。
0824/06/.. 渤海使の来日を12年に一度とする。
0825/../.. 渤海使、隠岐に来着。
0826/03/.. 藤原緒嗣、渤海使の頻繁な来日を非難する。
0828/../.. 張保皐、青海鎮大使となる。
0828/01/.. 渤海人100人余が但馬に来着する。
0831/09/.. 大宰府に新羅商人の交易物を監督させる。
0836/12/.. 遣新羅使復命する。
0836/05/.. (閏月)遣唐使の保護のため、遣新羅使紀三津を任命。
0840/12/.. 新羅人張宝高、大宰府に使を遣わして貢物を進める。使を帰す。
0841/12/.. 長門国、渤海使の来着を報じる。
0842/01/.. 新羅商人、大宰府に来着、食糧をあたえて帰国させる。
0842/08/.. 道康親王立太子、太宰大弐藤原衛の発議で新羅人の入国を禁ずる。
0848/12/.. 渤海使、能登に来着する。
0856/03/.. 大宰府、漂着した新羅人30人を帰国させたことを報ずる。
0859/01/.. 渤海使、能登国に来着。
0861/01/.. 出雲国、渤海使の来着を報告する。
0863/04/.. 博多津に来着した新羅僧を唐船に便乗させて帰国させる。
0863/11/.. 因幡国、に来着した新羅人を帰国させる。
0866/07/.. 肥前国の郡司ら、新羅で造弩術を学んで対馬の奪取を企てる。
0866/11/.. 山陰道諸国・大宰府に新羅来襲に備えさせる。
0869/../.. この冬以降、大宰府・対馬・山陰道諸国に新羅来襲に備えさせる。
0869/05/.. 新羅海賊、博多津の備前国貢調船を掠奪する。
0870/09/.. 新羅人20人を陸奥国等に配置する。
0870/11/.. 太宰少弐藤原元利万侶らを新羅国王と通牒した嫌疑で捕らえる。
0872/05/.. 渤海使入京。
0873/07/.. 天草に漂着した渤海国入唐使に衣食支給。帰途、石見国に漂着。
0873/12/.. 9月に対馬に漂着した新羅人を帰国させる。
0874/08/.. 対馬に漂着した新羅人を帰国させる。
0876/12/.. 渤海使、出雲国に来着。
0877/06/.. 来朝の期に違うにより渤海使を帰国させる。
0882/11/.. 渤海使、能登国に来着。
0883/05/.. 渤海使入京して天皇に拝謁。
0890/10/.. 隠岐国、新羅人来着を報告。
0891/../.. 弓裔挙兵
0892/../.. 甄萱挙兵
0893/03/.. 長門国に漂着の新羅僧を帰国させる。
0893/05/.. 新羅の賊、肥前肥後国を襲う。
0893/10/.. この月以前、新羅人長門国に漂着。
0894/02/.. ~0894/05 新羅の賊、対馬を襲う。
0894/05/.. 渤海使入朝。
0894/12/.. 渤海使、伯耆国に来着。
0900/../.. 甄萱、後百済を建て、新羅分裂
0904/../.. 弓裔、摩震国を建てる。
0906/07/.. 隠岐国、新羅船の難破を報告する。
0908/05/.. 渤海使入京、勅書をもらう。
0918/../.. 王建、弓裔を倒し、高麗を建国。
0919/11/.. 若狭国、渤海使の来着を報告する。
0920/05/.. 渤海使入京、大使に正三位を授ける。
0922/../.. 越前国、渤海使の来着を報告する。
0926/../.. 契丹渤海を滅ぼす。
0929/05/.. 対馬に来着し朝貢を請う甄萱の使を追い返す。
0935/../.. 新羅高麗に降り滅亡。
0935/12/.. 新羅人殺害のことで大宰府に警固を命ずる。
0936/../.. 高麗朝鮮半島を統一。
0937/08/.. 高麗国諜の事を定める。
0942/11/.. 出雲国、新羅人の隠岐来着を報告する。
0972/09/.. 大宰府、高麗国南原府使の対馬来着を報告。
0974/10/.. (閏月)高麗交易使帰京する。
0997/06/.. 高麗の牒状について審議させる。
1049/09/.. 対馬より高麗の漂民20人を送還。
1258/../.. 蒙古軍、高麗征服。雙城摠管府を置く。
1259/../.. 高麗、太子イ典(unicode500E)を蒙古に遣わす。
1263/04/.. 高麗、日本人の沿岸侵略の禁止を請願する。
1268/01/.. 高麗の使潘阜、蒙古皇帝フビライ汗の書をもって大宰府にいたる。
1268/02/.. 幕府、蒙古の国書を奏上。朝廷、蒙古に返書を送らぬことと定める。幕府、高麗の使らをかえし、西国の守護に蒙古襲来の用心を命ずる。
1269/03/.. 蒙古・高麗の使、対馬に来て返書を求め、島民を奪って帰る。
1269/09/.. 高麗の使、対馬に国書をもたらし、島民を帰す。
1270/01/.. 朝廷、蒙古への返牒を作り幕府に送るが、幕府はこれを押さえて送らず。
1271/09/.. 幕府、高麗の牒状を奏上し、鎮西に所領をもつ御家人を下向させ、海防と悪党鎮圧を命ずる。蒙古の使、筑前今津に来て、国書を直接国王・将軍にわたすことを要求。
1273/03/.. 元の使。大宰府に来る。
1274/10/.. 元・高麗軍、合浦を発して壱岐・対馬を侵す。元・高麗軍、筑前に上陸する。少弐・菊池軍防戦したが大宰府に退く。夜、風雨が起こり元・高麗軍撤退(文永の役)
1274/11/.. 蒙古襲来の報、鎌倉に達し、幕府、地頭御家人のみならず、西国一帯に本所一円の地の住人や非御家人の動員を命ずる。朝廷、異国降伏の祈祷を行う。ついで蒙古軍撤退の報、京都に達する。
1275/01/.. 幕府、九州諸国に結番による蒙古警固を命ずる。(異国警固番役)
1275/04/.. 元の使、長門室津に来る。
1275/09/.. 幕府、元の使を鎌倉に呼び、竜口に斬る。
1276/03/.. 幕府、高麗征伐の用意をさせるとともに、それ以外の鎮西武士に石塁を築かせる。
1278/11/.. 元の世祖、日本商船の交易を許可する。
1279/06/.. 元の使、筑紫に来る。
1279/07/.. 朝廷、元の牒状を評議して、幕府に処置を委ねる。幕府、元使を博多で斬る。
1281/05/.. 高麗の東路軍、対馬・壱岐に来襲する。
1281/06/.. 東路軍、長門をうかがい、志賀島に来襲、ついで肥前鷹島に退く。
1281/07/.. 壱岐で合流する元の江南軍を、鎮西の武士襲う。
1281/07/.. (閏月)平戸で合体し、鷹島に移る江南・東路軍を大風雨が襲う。ついで撤退する両軍を鎮西の武士が追撃(弘安の役)
1306/04/.. 日本商船が慶元(寧波)に至って貿易し、金の鎧甲を献ずる。
1307/../.. この年、日本商人が慶元で元の官吏と争い、城内に突入して放火・掠奪に及ぶ。
1309/01/.. 日本商人がまた慶元の官司・民家を焼く。
1309/02/.. 商船が元より帰り、異賊蜂起を告げる。
1350/../.. この年より倭寇、しきりに高麗の沿岸を侵す。
1357/08/.. 倭寇、高麗の昇天府興天寺を襲い、前国王忠宣・韓国公主の肖像を持ち去る。
1358/05/.. 倭寇、高麗の喬桐を焼き、開京戒厳する。
1359/../..  紅巾の徒、高麗に侵入。
1360/05/.. 倭寇、高麗の江華島を襲い城に破る。
1364/../..  高麗の将李成桂、女真を破る。
1366/09/.. 高麗使金竜ら出雲に着岸。
1367/02/.. 金竜上京して、幕府に倭寇の禁圧を求める。
1367/04/.. 高麗使金逸上京。
1368/05/.. 蒙古襲来の噂がたつ。
1369/../.. この年、倭寇が明の沿岸を襲う。明の洪武帝、楊載を大宰府に遣わし、懐良親王に倭寇の禁圧を求める。また、高麗に倭寇への防備を固めるよう命ずる。
1370/../.. 倭寇、明の山東を襲い、転じて明・台・温州を掠め、福建の沿海に至る。
1373/08/.. 足利義満、聞渓円宣らを同行させ、倭寇の俘虜150人を明に返す。
1375/../.. この年、高麗使羅興儒来り、倭寇の禁圧を求める。
1377/../.. この年、高麗使鄭夢周が博多に来り、倭寇の禁圧を求める。
1378/07/.. 鄭夢周、俘虜数百人と帰国。
1380/09/.. 高麗の武人李成桂、大いに倭寇を破る。
1385/09/.. 倭船150艘、高麗の咸州、洪原などを襲い、人民を皆殺しにする。李成桂、奮戦してこれを破る。
1387/08/.. 高麗の鄭地、対馬・壱岐両島の討滅を提言。
1388/07/.. 春屋妙葩・今川了俊、倭寇の俘虜250人を高麗へ返し、大蔵経を求める。
1388/07/.. 倭寇、高麗の光州を陥し、州郡を焼く。翌月鄭地が楊広・全羅・慶尚3道の兵を率いて撃退。
1389/02/.. 高麗の兵船100艘、対馬を攻め、船300艘と海岸の家屋を焼き、俘虜100余人を奪還。
1389/08/.. 琉球国中山王察度、高麗に入貢して倭寇の俘虜を返し、硫黄・蘇木・胡椒などを送る。
1392/../..  高麗滅び、李氏朝鮮建国。
1392/12/.. 義満、相国寺の絶海中津が作った返書を朝鮮に送り禁寇を誓う。
1394/../.. この年了俊が朝鮮に俘虜659人を返し、大蔵経を求める。
1395/07/.. 了俊、朝鮮に俘虜570余人を返し、大蔵経二部の贈与に報いる。
1396/03/.. 大内義弘、朝鮮に俘虜を返し、大蔵経を求める。
1396/12/.. 倭寇数百人が朝鮮に降伏し、土地と食糧を求める。朝鮮、その首領疚六らに官職授与
1397/02/.. 琉球国山南王温沙道、中山王に追われて朝鮮に至る。
1397/05/.. 朝鮮、対馬守護宗貞茂に降寇の逃走者の処罰を求める。
1397/12/.. 朝鮮、回礼使朴敦之を義弘に遣わし、義満と協力して倭寇を鎮圧するよう依頼。
1398/08/.. 義満、朝鮮使朴敦之の帰国に際し、書を送って禁寇を約し、俘虜100余人を返す。
1399/06/.. 義満・義弘の兵、朝鮮に渡って倭寇を討つ。
1399/07/.. 義弘、百済王の末裔と称し、朝鮮に土田の給与を求める。
1401/../.. この年、義満、朝鮮に使を派遣する。
1419/05/.. 朝鮮よりの使者、明・南蛮の来襲を伝える。
1419/06/.. 朝鮮、対馬に来襲する。九州探題渋川義俊・少弐満貞らこれを破る(応永の外寇)
1420/02/.. ~1420/10/.. 朝鮮使節宋希璟、訪日する(旅行記「老松堂日本行録」成る。
1433/01/.. 義教、朝鮮使節と会見。
1439/12/.. 朝鮮使節高得宗・尹仁甫ら来る。
1443/06/.. 朝鮮使節、義教の喪をと弔う。
1451/../.. 「高麗史」成る。
1455/../.. この年、建仁寺勧進船を朝鮮に遣わす。
1460/03/.. 幕府の使船、朝鮮より帰る。
1470/09/.. 朝鮮使節、対馬に来る。
1503/03/.. 幕府、朝鮮に通信符を求める。
1510/04/.. 朝鮮釜山・薺・塩の三浦の日本人、釜山を陥れ、僉使李友曾を殺す。
1511/../.. この夏、幕府、朝鮮に国交回復を求める。
1541/05/.. 大内義隆、朝鮮国王より「詩経」「書経」と漏刻器などを贈られる。
1544/04/.. 倭船二十余隻、朝鮮慶尚道蛇梁鎮を攻撃。日朝間の通交途絶する。
1552/../.. この年、朝鮮、軍籍都監を置く。
1555/05/.. 倭船70余隻、朝鮮全羅南道達梁浦に来襲(乙卯達梁の倭変)
1557/04/.. 日朝間に丁巳約条成立
1587/06/.. 秀吉、対馬の宗氏に、朝鮮国王の来日を要求させる。
1591/../..  この年、朝鮮で東人(東党)南北に分裂
1591/09/.. 秀吉、朝鮮出兵を命ずる。
1592/01/.. 秀吉、朝鮮派遣軍の部署を定める。
1592/05/.. 小西行長、漢城を陥す。
1592/08/.. 明の将軍沈惟敬、平壤に小西行長と会い、和平を約す。
1592/10/.. 明、倭寇に苦しむ朝鮮を救援。
1593/04/.. 小西行長、兵粮の欠乏により沈惟敬の和議を入れ休戦する。
1593/06/.. 秀吉、和議7条を明使に示す。
1594/04/.. 朝鮮王李日公(UniCode6616)、加藤清正に講和を求める。
1594/12/.. 小西行長の使者内藤如安、明皇帝に謁し和議を約す。
1595/01/.. 明将軍陳雲ら小西行長に講和を求める。明の正使李宗城ら、北京を出発し釜山浦へ向かう。秀吉、島津義弘を巨済島から帰国させる。
1596/01/.. 秀吉、明使と朝鮮王子の来朝を求める。
1596/09/.. 秀吉、明使楊方亨を大坂城に引見、表文の無礼を怒り追い返す。秀吉、家康の諫止を斥け、朝鮮への再度出兵を決する。
1597/01/.. 再征のため朝鮮に日本軍上陸。
1597/02/.. 秀吉、朝鮮出兵の緒将の部署を定める。
1597/03/.. 黒田長政、朝鮮に城を築く。
1597/05/.. 加藤清正、明の将軍沈惟敬に会見を求める。
1597/06/.. 秀吉、朝鮮国王が王子を来朝させないことを怒り、小西行長・加藤清正に攻撃命令を命ずる。
1597/07/.. 小西行長ら、巨済島で朝鮮水軍を破る。
1597/09/.. 朝鮮の水師提督李舜臣、鳴梁で日本水軍を破る。
1598/02/.. 加藤清正、蔚山城を修築
1598/03/.. 小西行長、、明軍に和平を求める。
1598/05/.. 毛利秀元・吉川広家・蜂須賀家政・藤堂高虎・脇坂安治ら朝鮮から帰国。
1598/08/.. 家康・利家、秀吉の死を秘し、在朝鮮の緒将に撤兵を命ずる。
1598/09/.. 明の提督劉糸廷(UniCode7D8E)と陳燐(UniCode7498)、小西行長の軍を順天城外で包囲。明の提督麻貴、加藤清正を蔚山城に囲む。
1598/11/.. 明の水軍、日本軍の帰国を阻止。
1598/12/.. 日本軍の朝鮮からの撤兵、ほぼ完了する。
1599/../.. この年、宗義智・柳川調信、朝鮮との講和交渉を開始。
1627/02/.. 朝鮮使、宗義成に後金軍の侵入を告げ、援助を求める。
1636/12/.. 朝鮮で丙子胡乱。
1643/../.. 朝鮮で具鳳瑞、木綿の種を遼東に買い求める。
1660/03/.. 朝鮮、党争激化、礼論おこる。
1664/../.. この年、対馬班、朝鮮へ武具を密輸した者十数人を処刑。
1667/../.. この年、釜山、倭館焼失する。
1680/04/.. 朝鮮、庚申の大獄はじまる。
1694/03/.. 朝鮮で甲戌の獄はじまる。
1711/02/.. 幕府、新井白石の建議で朝鮮使節の待遇を改め、将軍の称号を「日本国王」とする。
1712/../.. 清、朝鮮と長白山(白頭山)定界碑建設。
1719/10/.. 吉宗、朝鮮通信使を引見。
1750/07/.. 朝鮮で均役法施行。
1755/../.. この年、朝鮮で大飢饉。(*みや注 日本では宝暦の大飢饉)
1764/02/.. 家治、朝鮮通信使を引見。
1776/03/.. 幕府、朝鮮私貿易の断絶を認め対馬藩に永代手当金1万2千両の給付を開始。
1788/06/.. 朝鮮通信使の来聘を延期する。
1804/06/.. 幕府、朝鮮通信使の礼を対馬で受けることにする。
1811/05/.. 幕府、朝鮮通信使の礼を対馬で受ける。(易地聘礼)
1820/../.. この年から対馬藩、朝鮮から銀輸入をはじめる。
1836/12/.. 幕府、竹島に密航した石見の舟子八右衛門を処刑する。
1837/02/.. 竹島渡海を禁ずる高札を出す。
1860/../.. この年、崔済愚、東学創唱する。
1873/08/17 閣議、参議西郷隆盛の朝鮮派遣を内定。
1873/10/15 閣議、西郷の派遣を決定。
1873/10/24 天皇、岩倉の奏議により朝鮮遣使を無期延期とする。(征韓派敗北)
1875/../.. この年、李鴻章、鴨緑江以北岸の封禁中立地帯を実質支配(77付属領とする)
1875/09/20 江華島事件起こる。
1876/02/26 日朝修好条規に調印(8/24同付録・貿易規則調印)
1876/04/.. この月、朝鮮の修信使金錡秀一行、開国後はじめて訪日。
1880/08/11 朝鮮使節金宏集、不平等条約改訂を申入れるが日本はこれを拒否。
1881/02/.. この月、李晩孫「嶺南万人疏」を呈し、これにより朝鮮で日本の侵略反対論昂揚。
1881/05/.. 朝鮮の紳士遊覧団、訪日して視察
1882/06/06 朝英修好条約調印。
1882/06/30 朝独修好条約調印。
1882/07/23 ソウルで朝鮮兵反乱、日本公使館を襲撃(壬午事変、/30花房公使、長崎帰着)
1882/08/10 清朝、仁川に軍艦派遣
1882/08/16 花房公使、2個中隊を率い京城入り。
1882/08/30 朝鮮と済物浦条約調印。
1882/09/09 仁川開港。
1882/10/01 朝鮮・清国水陸貿易章程調印。
1882/10/09 袁世凱、清軍をソウルに駐屯させる。
1884/12/04 ソウルで金玉均・竹添公使ら、軍隊を率いて王宮占領(甲申事変)
1884/12/05 ソウルで日清軍交戦。
1884/12/06 清国軍の干渉で開化派敗退
1884/12/07 日本軍、仁川に退く。
1884/12/08 保守派の新内閣成立。
1885/01/09 全権大使井上馨、甲申事変の事後処理に関する漢城条約に調印する(賠償金13万円など)
1885/04/18 全権大使伊藤博文、朝鮮問題に関し清国と天津条約に調印する。(朝鮮からの同時撤兵、将来派兵の際の相互事前通告など)
1885/05/.. イギリス、ロシア南下に対抗し巨文島占領。(みや注)
1885/07/20 日清両軍、朝鮮より同時撤兵。
1885/11/23 大井憲太郎ら、朝鮮内政改革のクーデターを企て発覚、逮捕される(大阪事件)
1886/01/26 「漢城週報」創刊。
1886/04/10 官立医学校設立。
1886/05/31 梨花学堂開校。
1886/08/13 清国水兵、長崎で乱暴し逮捕される。(注*長崎水兵事件)
1887/02/27 巨文島占領の英軍、撤退を開始。
1888/02/29 朝鮮で軍政改革。
1889/../.. この年を通じ、朝鮮の咸北・吉州・江原・施善・全羅・全州・光陽など各地で民乱。
1889/10/.. 咸鏡道観察使趙秉式、凶作を理由に1年間の対日穀物輸出を禁止(防穀令)
1889/11/07 日本公使、防穀令の撤廃と日本商人に対する損害賠償を要求。
1889/11/12 済州島漁民、朝日通漁章程調印反対抗争を展開。
1890/12/02 朝鮮、対日穀物輸出禁止措置の1年延長を通告。
1891/03/18 日本、済州島の禁漁の代償として大同江口の鉄道開港を要求。
1891/05/11 日本漁民、数十隻の漁船で済州島に至り、上陸して暴行。
1891/12/07 朝鮮駐在公使、咸鏡道防穀令施行の損害賠償を朝鮮政府に要求。
1892/10/13 朝鮮、清国からの借款で日本の第一銀行と米人タウンゼントに債務償還
1893/01/18 東学教徒、全羅南道参礼駅に参集、教祖の伸冤と教徒弾圧の中止を陳情。
1893/02/25 朝鮮駐在大石公使、防穀令による損害17万円余を朝鮮政府に要求。(/5/4 最後通牒を発し /19 朝鮮政府が賠償11万円を支払うことで妥結。防穀令事件)
1893/04/25 東学教徒、忠清道報恩に集結、斥洋斥倭を叫ぶ。
1894/02/12 北洋艦隊司令官丁汝昌降伏。
1894/02/20 朝鮮で農民、古阜を占拠。
1894/03/28 上海で金玉均暗殺。
1894/04/26 東学教徒・農民、白山に集結、四大綱領を発表(甲午)農民戦争に発展。
1894/06/02 閣議、混成一個旅団の朝鮮派遣を決定。
1894/06/03 農民反乱のため朝鮮、清朝に派兵要請、翌日、清軍牙山にに出動
1894/06/06 清国 /7日本が相互に朝鮮出兵を通告。
1894/06/09 清軍、朝鮮政府の要請で牙山に出動、日本軍、仁川上陸。
1894/06/12 朝鮮の農民軍、政府と和解。
1894/06/16 清国に東学反乱の共同征伐・朝鮮内政の共同改革を提議(/22清国拒絶)
1894/06/23 日本は内政改革実現まで撤兵せずと清国に通告。
1894/07/10 大鳥公使、内政改革案を朝鮮政府に提出。
1894/07/20 大鳥公使、清・朝鮮間の宗属関係破棄など要求の最後通牒を朝鮮政府に提出(期限22日)
1894/07/23 日本軍、朝鮮王宮を占拠。
1894/07/25 日本艦隊、豊島沖で清国艦を攻撃。
1894/07/26 朝鮮で甲午改革はじまる。
1894/07/29 日本軍、成歓/30牙山を占領。
1894/08/01 日清、同時宣戦。
1894/08/26 日韓同盟条約締結。
1894/10/01 全王奉(UniCode742B)準、農民軍に再起を指令、日本軍との交戦はじまる。
1894/10/15 内相井上馨を朝鮮駐在公使に任命。
1894/11/20 井上公使、朝鮮国王に内政改革綱領二十カ条に同意を要求。
1895/02/01 清国講和使節と広島で会談、翌日清国全権の委任状不備を理由に交渉拒絶。
1895/02/02 威海衛占領。
1895/03/17 朝鮮で最初の国家予算編成。
1895/03/20 伊藤・陸奥両全権、下関春帆楼で李鴻章と第一回会談(下関講和会議)
1895/03/23 日本軍、澎湖列島に上陸。
1895/03/24 李鴻章、狙撃されて負傷。
1895/03/30 日清休戦条約調印。
1895/04/17 日清講和条約調印
1895/04/23 独仏露三国公使、遼東半島の清国への返還を勧告。
1895/05/04 閣議、遼東半島の放棄を決定。
1895/10/08 ソウルで日本軍守備隊・日本人壮士ら、大院君を擁してクーデター、閔妃を殺害。
1895/10/17 閔妃殺害事件で公使三浦梧楼を召還。/26拘引 (96/1/20免訴)
1896/02/10 ロシア公使、漢城に水兵を入京させる。
1896/02/11 朝鮮国王、ロシア公館に入り、親露政権樹立。
1896/04/07 朝鮮で最初の国字新聞「独立新聞」発刊。
1896/07/02 徐載弼ら独立協会を結成。
1897/05/08 渋沢栄一ら、米人モールスとの間に京仁鉄道敷設譲受契約書に調印。
1897/10/12 朝鮮国号を大韓と改め、皇帝即位式を挙行。
1897/12/24 孫秉煕、東学第三代教主となる。
1898/02/09 独立協会主催の万民共同会、朝鮮に対するロシアの進出を糾弾。
1898/02/22 大院君没
1898/04/25 日露両国、朝鮮問題に関する議定書調印(西・ローゼン協定)
1898/09/08 韓国と京釜鉄道敷設に関する京釜鉄道合同条約調印。
1898/10/24 負褓商ら独立協会に対抗して皇国協会を結成。
1899/05/15 京仁鉄道設立
1899/11/12 京仁鉄道開通
1900/07/08 京仁鉄道開業
1901/02/12 朝鮮、金本位貨幣法制定
1902/05/20 第一銀行、韓国釜山支店で銀行券発行(続いて仁川・京城支店で発行)
1903/02/05 漢城府尹、第一銀行券の流通を禁止。
1904/01/20 韓国政府、日露両国に対して中立を宣言。
1904/02/08 陸軍部隊、仁川上陸。連合艦隊、旅順港外の露艦隊を攻撃。
1904/02/09 仁川の露艦2隻を撃破。
1904/02/10 宣戦布告(日露戦争)
1904/02/23 日韓議定書調印
1904/02/24 第一次旅順口閉塞作戦実施(3/27第二次 5/3第三次作戦実施)
1904/04/01 韓国通信事業の日本への移管協定締結。
1904/05/01 第一軍、鴨緑江を渡り九連城を占領。
1904/08/22 日韓協約(第一次)調印
1905/01/01 京釜鉄道、全線開通。
1906/02/01 韓国統監府開庁。
1906/02/09 韓国駐箚の日本憲兵、行政警察・司法警察を兼任。
1906/03/.. 朝鮮で抗日の義兵、各地で蜂起。
1906/03/01 韓国向け三栄綿布輸出組合結成。
1906/03/31 京釜鉄道買収法公布。
1906/04/01 京漢線、全面開通。
1906/08/01 韓国駐箚軍司令部条例公布。
1907/../.. この年から翌年にかけて、朝鮮の抗日義兵闘争激化
1907/06/15 第二回ハーグ国際会議開催(~10/18)韓国皇帝高宗、同会議に密使を送り日韓協約の無効を訴える。
1907/07/03 伊藤韓国統監、ハーグ平和会議への密使派遣で韓国皇帝の責任追及。
1907/07/19 皇帝譲位。
1907/07/24 第三次日韓協約調印(韓国の内政全般を掌握)
1907/08/01 京城で韓国軍隊解散式。一部韓国軍、日本軍と衝突、反乱全土に拡大(義兵運動)
1909/06/14 韓国統監伊藤博文辞任し、副統監會禰荒助を統監に任命。
1909/07/09 閣議、韓国併合の方針を決定。
1909/09/04 間島に関する協約・満州5案件(鉄道敷設・炭鉱採掘権など)に関する協約締結
1909/10/24 伊藤博文(69)、ハルピンで暗殺。
1909/10/29 韓国銀行設立。
1909/12/04 韓国一進会、日韓合邦に関する上奏書を韓国皇帝に提出、却下される。
1910/06/03 閣議、併合後の韓国に対する施政方針を決定。
1910/08/22 韓国併合に関する日韓条約調印(/29公布施行)
1910/08/29 韓国の国号を朝鮮と改め、朝鮮総督府をおく旨公布。朝鮮貴族令公布、朝鮮に施行すべき法令に関する件公布。
1910/09/12 韓国統監府、朝鮮の全政治結社解散の方針により一進会を解散。朝鮮駐箚憲兵条例公布、
1910/09/30 朝鮮総督府官制(総督は陸海軍大将)公布。朝鮮総督府臨時土地調査局官制公布(土地調査事業の本格的開始)
1910/10/01 韓国統監寺内正毅を初代朝鮮総督に任命(陸相兼任)
1911/01/01 朝鮮で民族主義者大量検挙(安岳事件)。
1911/03/29 朝鮮銀行法公布。
1911/04/17 朝鮮総督府、土地収用令制定。
1913/04/09 朝鮮産の米・籾移入税廃止(7/1実施)
1914/03/01 朝鮮の行政区域改正。
1916/04/01 朝鮮に専門学校を設置。
1917/01/20 日本興業銀行、朝鮮銀行、台湾銀行、中国交通銀行へ500万円の借款供与(西原借款の最初)
1919/02/08 在日朝鮮留学生、東京で朝鮮民族大会召集請願書と独立期成宣言書を発表。
1919/03/01 京城などで朝鮮独立宣言発表、示威運動全土に拡大(3.1運動)
1919/08/20 朝鮮総督府官制・台湾総督府官制各改正公布(文民総督を認める)
1919/09/02 京城で斎藤実総督投弾される。
1920/10/02 琿春の領事館、朝鮮人らの襲撃で焼失、日本軍、多数の朝鮮人を虐殺(間島事件)
1921/04/07 朝鮮軍司令官、間島地方より日本軍撤兵を声明。
1922/11/11 朝鮮労働同盟会結成。
1922/12/18 朝鮮総督府、朝鮮戸籍令制定。
1923/04/16 朝鮮で白丁の解放をめざす衡平社結成される。
1923/09/02 関東大震災 京浜地区に戒厳令。朝鮮人暴動の流言ひろがり、市民の自警団による朝鮮人虐殺はじまる。
1925/04/17 ソウルで朝鮮共産党結成。
1925/06/11 朝鮮総督府・中国、朝鮮人取り締まりに関する協定に調印(三矢協定)
1925/10/15 小樽高商の軍事教練で朝鮮人暴動を想定し問題化。
1926/03/25 朴烈に大逆罪で死刑判決(04/05無期に減刑、07/29 金子文子との怪写真事件起こる)
1929/06/30 朝鮮疑獄事件おこる(12/28 前朝鮮総督山梨半造、起訴)
1929/11/03 朝鮮光州の学生、日本学生の非行に抗議デモ(光州事件)
1930/05/30 中国の間島で朝鮮人武装蜂起(間島事件)
1931/07/02 長春郊外で中国・朝鮮の農民衝突(万宝山事件)
1931/09/21 関東軍、吉林へ出動、朝鮮軍、満州へ越境出動。
1932/01/08 朝鮮人李奉昌、天皇の馬車に爆弾を投げる(桜田門事件)
1932/04/29 朝鮮人尹奉吉、上海の天長節祝賀式典で来賓に爆弾を投げる。陸軍大将白川義則死亡、公使重光葵ほか数人負傷(上海虹口公園事件)(みや注)
1932/12/.. 朝鮮窒素、赴戦江水力発電所完成(20万KW)
1934/03/01 朝鮮独立党、親韓独立党、朝鮮革命党、義烈団など南京で対日統一同盟大会開催。
1937/06/04 東北抗日連軍、金日成指揮下に日本の警備地を襲撃(普天堡事件)
1938/04/19 朝鮮総督府、中学校の朝鮮語時間を多学科目で代替させることを通牒。
1939/12/26 朝鮮人の氏に関する件公布(創氏改名)、日本名を強要。
1941/09/28 鴨緑江水豊発電所、営業発電を開始。
1941/12/09 大韓民国臨時政府、対日宣戦布告。
1941/12/12 朝鮮人キリスト教徒2000余人、神社参拝に反対して投獄(獄死50余人)
1942/07/.. 金科奉、崔昌益ら延安で朝鮮独立同盟結成。
1945/03/.. 連行朝鮮人労働者、全炭鉱労働者の33%(39年から72万5000人連行)を占める。
1945/09/12 ソウルで朝鮮共産党再建大会
1945/09/14 朝鮮人民共和国中央人民委員会の宣言。
1945/12/12 米軍政府、朝鮮人民共和国を認めずと声明。
1945/12/16 (~26)モスクワで米英ソ外相会議。朝鮮臨時政府・5年間の信託統治など朝鮮処理案で合意。
1946/01/02 朝鮮共産党、モスクワ外相会議決定の信託統治支持声明。
1949/10/19 朝鮮総連系朝鮮人学校に閉鎖命令。
1950/06/25 朝鮮戦争勃発。
1950/07/07 国連安保理、ソ連欠席下で朝鮮への国連軍派遣決議。最高司令官マッカーサー
1950/09/15 国連軍、仁川・群山に上陸。
1950/10/01 国連軍、38度線突破、北進(10/20)平壌占領。
1950/10/25 中国人民義勇軍、朝鮮戦争に参加。
1950/11/28 中国代表、国連安保理で演説。
1950/12/05 朝鮮・中国軍、平壤奪回(51/01/04 ソウル再占領)
1951/04/11 トルーマン、マッカーサーを解任。
1951/07/10 朝鮮休戦会議、開城で開く。
1951/12/01 国連総会、中国を侵略者と決議。
1952/01/19 李承晩ライン宣言。
1952/05/07 巨済島事件(北朝鮮俘虜の反乱)
1952/06/23 米空軍、水豊ダム爆撃。
1953/07/27 朝鮮休戦協定調印。
1953/08/08 米韓相互安全保障条約調印。
1953/11/22 中国、朝鮮に対し朝鮮戦争中の援助を無償贈与。
1953/11/28 蒋介石・李承晩共同声明、アジア反共連合を提唱。
1961/07/03 朴正煕、韓国国家再建最高会議議長に就任。
1961/07/06 北朝鮮、ソ連と友好協力相互援助条約調印(07/11 中国とも)
1961/10/20 第六次日韓会談開始(1964/04 韓国政情不安のため中断)
1961/11/12 韓国国家再建最高会議議長朴正煕、池田首相と会談。日韓会談の早期妥結に合意。
1962/03/22 韓国尹大統領、政治浄化法に反対して辞任。
1962/03/24 朴正煕、大統領代行に就任。
1963/12/17 朴正煕、大統領に就任。
1964/03/10 漁業水域をめぐる日韓農相会談開始。
1964/03/12 日韓本会談再開。
1964/03/20 金鐘泌韓国民主党議長来日。
1964/03/27 河上社会党委員長、日韓会談打ち切り要求。
1964/06/03 日韓会談反対デモ、大統領官邸を包囲。ソウルに戒厳令。
1965/01/08 韓国、南ベトナム派兵を決定。
1965/02/17 椎名悦三郎外相、韓国を訪問。
1965/02/20 日韓基本条約に仮調印。
1965/06/22 首相官邸で日韓基本条約等に調印(12/18 ソウルで批准書交換)
1965/08/14 韓国国会、日韓条約を与党単独で批准(08/26 ソウルに衛戍令)
1968/01/23 北朝鮮、米のスパイ船ブエブロ号拿捕。
1970/04/05 平壤で周恩来・金日成会談、日本軍国主義反対・シアヌーク支持の共同声明。
1973/08/08 韓国人5人、金大中新民党元大統領候補を白昼東京のホテルから拉致。
1973/08/13 東京で朴政権反対の韓国民主回復統一会議日本支部結成。
1973/08/13 目隠しのままソウルの自宅へ連行。
1973/08/23 田中伊佐次法臣、参院法務委員会で韓国CIAの犯行を示唆。
1973/08/24 閣議、九月の日韓定期閣僚会議延期決定。
1973/11/01 韓国政府、金大中事件で金東雲一等書記官らの解任方針発表。
1973/11/02 韓国首相来日、金大中事件につき陳謝、年内の日韓定期閣僚会議開催などで合意。
1974/04/24 韓国政府、スパイ容疑で早川嘉春、太刀川正樹逮捕を日本に通告。
1974/07/13 韓国、金芝河らに死刑判決。
1974/07/29 日本ペンクラブ代表の白井浩司ら、ソウルで金芝河の処罰は政治活動が原因と発言、それに反撥しペンクラブ脱会者相つぐ。
1974/08/14 韓国、金大中事件の容疑者金東雲元一等書記官を「シロ」と断定、捜査打切りを通告。
1974/08/15 朴韓国大統領狙撃され大統領夫人死亡、在日韓国人文世光が犯人とされる。
1974/08/17 韓国、文世光の背後に北朝鮮・朝鮮総連と発表。
1974/08/18 朝鮮総連、無関係と声明。
1975/02/12 韓国、維新憲法をめぐる国民投票
1975/02/15 金芝河ら釈放。03/14再逮捕。
1976/03/01 金大中ら、民主救国宣言 03/26起訴 08/28実刑判決
1979/10/04 韓国国会、新民党総裁金泳三の除名を与党単独で可決。
1979/10/16 釜山で反政府デモ激化、各地に拡大。
1979/10/18 韓国、非常戒厳令。
1979/10/26 KCIA部長、朴正煕を殺害。
1980/05/18 韓国全土に非常戒厳令、金大中ら逮捕。
1980/05/21 光州市で民主蜂起 5/27鎮圧される。
1980/05/31 全斗煥、国家保衛非常委委員長となる。 08/27大統領就任。
1980/09/17 金大中に死刑判決。
1981/12/15 韓国、夜間外出禁止令解除。
1982/05/12 韓国、巨額詐欺事件発覚、5/21内閣総辞職。
1983/01/11 中曽根首相、初の正式訪韓、全斗煥大統領と会談、40億ドルの経済援助と教科書問題に決着、「日韓新時代」と声明。
1984/09/06 全斗煥大統領来日、東京は厳戒態勢。天皇「両国の間に不幸な過去」と表明。
1986/05/27 「日本を守る国民会議」編の高校日本史教科書検定合格(6/7中国是正要求、韓国も批判)
1986/09/05 藤尾正行文相の「文藝春秋」10月号での韓国併合合理化発言など表面化、韓国など抗議 6/08文相罷免。
1987/05/01 韓国、統一民主党結成(総裁金泳三)
1987/11/12 韓国、平和民主党(平民党)創立(総裁金大中)
1987/12/16 韓国大統領選挙で民正党盧泰愚候補当選。
1988/01/26 政府、大韓航空機事故で北朝鮮に人的交流抑制等の制裁措置。
1988/02/02 北朝鮮、第十八富士山丸乗組員問題の非公式折衝断絶等の対抗措置。
1988/05/11 奥野誠亮国土庁長官、廬溝橋事件は偶発事件等と発言。中国・韓国で問題化 /13辞任
1990/09/24 金丸元副総理・田辺社会党副委員長らの自社両党代表団、北朝鮮訪問。
1990/09/26 金日成主席と会談。
1990/09/27 自・社・労働党の三党共同声明発表。
1990/09/30 韓国、ソ連と国交樹立。
1991/01/10 訪韓中の海部首相、盧泰愚大統領との会談で、在日韓国人の指紋押捺制度の2年以内の廃止に合意。
1991/01/30 日本と朝鮮民主主義人民共和国、国交正常化のための第一回政府間交渉開始。
1991/02/06 元従軍慰安婦や軍属らの「太平洋戦争犠牲者遺族会」35人東京地裁に国家賠償の提訴。
1991/11/12 韓国・朝鮮BC級戦犯・遺族ら、国家賠償請求提訴。
1992/01/16 宮沢首相訪韓、1/17慰安婦問題で謝罪 
1992/01/21 韓国政府、日本に対して真相究明と賠償を要求(07/08政府強制連行は否定)
1992/06/01 外国人登録法改正公布(在日韓国朝鮮人の指紋押捺廃止 93/01/08施行)
1992/12/19 韓国、大統領選で民主党の金泳三当選。
1993/08/04 河野洋平官房長官、従軍慰安婦「強制連行」承認の調査結果発表、謝罪談話。
1993/11/05 細川首相、韓国金泳三大統領との会談で植民地支配を謝罪。
1994/07/08 金日成死去。
1997/12/03 韓国、金融救済でIMFと合意。
1997/12/18 韓国、大統領選挙で金大中当選。
1998/08/31 防衛庁、北朝鮮発射の弾道ミサイルが三陸沖に着弾した可能性ありと発表。
1998/09/01 政府、国交正常化交渉再回凍結・日本/北朝鮮チャーター便の不許可決定。
1998/09/04 北朝鮮、人工衛星打ち上げ成功と発表。
2000/06/13 韓国金大中大統領と北朝鮮金正日総書記が南北会談 6.14共同声明を発表。