インドネシア高速鉄道、「G20」試運転の舞台裏

インドネシア高速鉄道、「G20」試運転の舞台裏

発車後の映像は「録画」でも実際に列車は走った
高木 聡 : アジアン鉄道ライター
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2022/12/03 5:30

インドネシア高速鉄道G20試運転
G20開催時の試運転本番。日没も近くすでにかなり暗かった。この車両はCITと呼ばれる検測用編成で、幹部視察用の特別編成という性格も併せ持つ=2022年11月16日(筆者撮影)
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インドネシア・バリ島にて、11月15・16日に開催されたG20(金融・世界経済に関する首脳会合)は、初日早朝(インドネシア時間)のポーランドへのミサイル着弾、また一部首脳がロシア外相との集合写真を拒み撮影が見送られるなど、幕開けから波乱の展開となった。東南アジア初のG20開催ということで、議長国インドネシアの舵取りも大いに注目されたが、最終的に首脳宣言の採択にこぎ着け、G20は無事閉幕した。

インドネシア政府は会期中、欧州や中国、韓国を中心に、海外からおよそ80億ドルの投資確約を得たと発表した。この中には新首都「ヌサンタラ」への投資も含まれ、G20議長国としての実利もしっかりアピールしている。これでまた1つ、ジョコ・ウィドド(ジョコウィ)大統領のレガシーが歴史に刻まれた。

その中から鉄道プロジェクトに関わる新たな投資や既存プロジェクトの進展、そして間に合うかどうかが注目されていたG20開催時の高速鉄道試乗会がはたしてどうなったのか、紹介する。
バリ島にLRT建設へ

新型コロナウイルス感染拡大による海外渡航の制限から、インドネシア随一の観光地であるバリ島の経済は大打撃を受けた。そんな中で、世界各国の要人や多数のメディア関係者の来訪が見込めるG20がバリ島で開催されたのは意義があったが、それだけではない。アフターコロナの起爆剤として、水面下で計画が進められてきたバリ島内の軌道系公共交通機関(LRT規格を想定)に対して、韓国が今回、正式に建設の加速に協力することを表明した。

これは11月15日、G20に合わせてインドネシア入りした元喜龍(ウォン・ヒリョン)韓国国土交通部長官とバリ州のワヤン・コスター知事との会談で明らかになった。バリ島のLRT計画は、玄関口であるングラライ空港から中心部クタまで約5.3kmの地下線「フェーズ1-A」と、クタからスミニャックまで約4.2kmの地上線「フェーズ1-B」からなり、前者は韓国のソフトローン方式、後者はPPP方式による資金調達が予定されている。

事前準備調査(F/S)は終えており、ブディ・カルヤ運輸相に提出する段階にあるという。本件に対してインドネシア政府は前向きに進めることを表明している。
→次ページジャカルタの都市鉄道プロジェクトも進展

首都ジャカルタの都市鉄道整備に関しても、プロジェクトの具体化が一気に進んだ。日本の円借款供与が検討され、事前準備調査も終えているMRT東西線事業は、今年の5月から6月にかけて突如イギリスからの資金供与案が浮上し、その後の動向が注目されていたが、日本、イギリス入り乱れてのプロジェクトになることが確実となった。

G20に先立ち11月14日に開かれた閣僚級会談にて、インドネシア運輸省は日本、イギリスと書類調印をはたした。インドネシア側はブディ・カルヤ運輸相、ヘル・ブディ・ハルトノジャカルタ特別州知事代行が立ち合い、まず日本とは水嶋智国土交通審議官出席のもと「ジャカルタMRT東西線フェーズ1建設継続に関する協力覚書(MoC)」に、イギリスとはオーウェン・ジェンキンス在インドネシア英国大使立ち合いのもと「ジャカルタMRT協力建設に関する政府間意向表明書(LoI)」に調印した。

これによって、フェーズ1区間、ジャカルタ特別州内のカリデレス―ウジュンメンテン間(約32km)は当初の予定通り円借款が充てられる可能性が濃厚だ。一方で、ジャカルタ州外区間となるフェーズ2以降に対しては形式上、円借款供与に困難があるため、英国輸出信用保証局が資金を拠出し、別スキームでの整備になることが予想される。
ジャカルタMRT整備計画路線図
ジャカルタ都市鉄道(MRT)の整備計画図(筆者提供資料を基に編集部作成)
優先順位は韓国企業建設の区間?

さらに、開業済みの南北線ファットマワティ駅から東へ延びるフェーズ4、ファットマワティ―カンプンランブータン間(約15km)の建設に関しては、韓国の元喜龍国土交通部長官立ち合いのもと「ジャカルタMRT南北線フェーズ4の建設に関する基本合意書(MoU)」に調印した。事前準備調査は完了済みで、韓国企業を中心としたPPP方式での建設が検討されている。

これら3つの書面体裁の違いから、おおよその優先順序が見えてくる。効力の強さを鑑みれば、南北線フェーズ4の優先度が最も高く、次に東西線フェーズ1となる。運輸省は複数国から、そして国家予算投入にこだわらないインフラ開発協力の機会を得たことは、今回インドネシアがG20議長国となり、果たした大きな成果であると発表している。

2021年4月9日付記事「地下鉄延伸に黄信号『日本式インフラ輸出』の罠」でお伝えした、入札不調を繰り返しながらも建設中の南北線フェーズ2Aもようやく開業への道筋が見えてきた。
建設中のジャカルタMRT南北線フェーズ2
ようやく着工したMRT南北線フェーズ2のCP202区間。かつての路面電車のレールが露出している(筆者撮影)
ジャカルタコタ駅前
MRT南北線フェーズ2のCP203区間進捗に合わせ整備されたジャカルタコタ駅前(筆者撮影)

G20前日、岸田文雄首相はジョコウィ大統領と会談し、同事業へ879億1800万円を限度額とする円借款供与(日本タイド)を事前通知した。これで、未契約状態の残りの3パッケージ(軌道・通信・信号・車両・運賃授受システム)の入札も円借款で進められることになる。正式な調印は後日行うため詳細は明らかではないが、この金額には、車両基地を含むコタ以北のフェーズ2B区間の土木工事分も含まれている可能性もある。入札が順調に進めば、という前提条件付きではあるが、明確な開業時期も定かでなかったフェーズ2が大きく前進する。
→次ページ高速鉄道の試運転はどうなった?

そして、鉄道プロジェクトのビッグニュースといえば、ジャカルタ―バンドン高速鉄道の公開試運転である。インドネシア政府はG20に合わせて中国の習近平国家主席を高速鉄道試運転に招待する意向を示していたが、スケジュールなどの都合により「オンライン試乗会」の形となった。
インドネシア高速鉄道試運転
G20での公開当日、11月16日の午前中も試運転は続いていた。充当された編成はCITと呼ばれる検測用の編成(筆者撮影)

中継は、11月16日16時40分過ぎから高速鉄道の始発駅であるテガルアール駅の会場とバリをつないで始まった。リドワン・カミル西ジャワ州知事をはじめとする数十名の招待客は事前に車内に乗り込み、ホーム上ではKCIC(インドネシア中国高速鉄道)の幹部以下社員数十名が整列。バリのG20会場からオンラインで、中国国家発展改革委員会の何立峰(ホー・リーフォン)主任とルフット・パンジャイタン海事投資調整相による祝辞と訓示を受けた。

何立峰主任はその中で、「一帯一路の重大投資、建設、経営協力モデルの新たな一章を開いた。そしてインドネシアの鉄道建設技術における多くの空白を埋め、就業機会を提供、高速鉄道の建設、営業人材を養成した」と述べた。

次いで、試運転を担当する運転士2人(本務運転士は中国人)が任務遂行を宣誓し乗車、ついに16時53分、ほぼ定刻通り試運転列車が発車した。ホーム上の社員たちは、インドネシア国旗と中国国旗を持って見送った。
発車後の映像は「録画」

しかし、映像の中の列車は、現場で列車が発車するよりもやや早く出発しており、発車してからの映像は事前録画だった。「オンライン試乗会」というものの、実際には出発式典の中継だった。出発を見送ってすぐにバリ側の来賓は会場を退出し、オンライン中継も終了した。
高速鉄道出発式オンライン中継
筆者はオンライン中継の動画を見つつ、沿線でスタンバイした。奥に見える光が試運転列車のヘッドライトだ(筆者撮影)
高速鉄道試運転のギャラリー
撮影スポットには多くのギャラリーが集まった(筆者撮影)

もちろん実際に車両は自走しており、ディーゼル機関車で押して走るという最悪の事態は回避された。最高速度も時速80kmほどまで上がった。電化設備はテガルアール駅から約20kmの区間で11月上旬から供用開始しており、G20まで1週間ほどの間、連日試運転を繰り返していた。動画はそのときに録画されたものだろう。

9月時点での進捗状況では電化設備まで整備が間に合うと思えなかったが、この2カ月の追い込みは凄まじかった。そのかいあって式典当日の試運転はトラブルなく走行したが、当初予定していた20km地点よりも手前の10kmほどの地点での折り返しとなった。

ちなみに、ホームでの見送りで乗車できなかった社員たちは、その後もう1往復した際に乗車した。日もすっかり暮れた中を走る列車内はよく見える。望遠レンズで見ると、カーテンの開いた窓越しに、式典の終了と試運転の成功に安堵の表情を浮かべた社員たちの姿が見えた。
→次ページ予算不足の問題は解決せず

ただ、コスト増による予算不足問題は解決していない。詳細は2022年3月24日付記事「インドネシア高速鉄道、一点『国費投入』の理由」で触れたが、当初の約60.7億ドル(約8462億円)から約79億ドル(約1兆999億円)に膨れた総工費の穴埋めに、最新の試算では21.4兆ルピア(約1898億円)の投入が必要とされている。2021年にインドネシア側のコンソーシアム企業の出資額不足を補うために投入された国家予算約4.3兆ルピア(約381億円)を大きく上回る額だが、この約4.3兆ルピアすら未だに予算執行されていない。
インドネシア高速鉄道 東風4B
高速鉄道のロングレール輸送に活躍する、中国から輸入された「緑亀」こと東風DF4B型機関車。試運転時もトラブル対応で駅に留置されていたが出番はなかった(筆者撮影)

インドネシア側の言い分では、不足する約21.4兆ルピアも、当初の出資比率通り、そのうちの75%、約16.05兆ルピア(約1424億円)を中国国家開発銀行が融資すべきとしている。残りの約5.35兆ルピア(約474億円)はコンソーシアム企業である北京ジャカルタバンドン高速鉄道会社とインドネシア国営企業コンソーシアムの株保有比率に則り、4:6の比率で折半する。このインドネシア側が用意すべき追加出資額は約3.2兆ルピア(約283億円)で、すでに国会承認が下りている。しかし、中国側はコスト増をインドネシア側の問題として、現時点で応じていない。
「2023年6月開業を強く求める」

それでも、ジャカルタ―バンドン間の構造物は全て接続され、レール敷設作業が連日続けられている。半年後には線路はつながっているだろう。オンライン出発式典の訓示で、ルフット・パンジャイタン海事投資調整相は「これ以上の工事遅延は認めない。2023年6月の開業を強く求める」と語気を強めたが、「とりあえず走らせるだけ」なら、これはクリアできない目標ではない。問題は、この莫大な予算不足の帳尻合わせをどうするかだ。
インドネシア高速鉄道レール運搬貨車
ロングレールと同時に枕木も運搬できる特別な貨車。1編成38両で最大1.5km分の資材を運搬し、専用の機材から自動でレールと枕木を吐き出す(筆者撮影)
インドネシア高速鉄道の連続軌道敷設機
ロングレール・枕木輸送貨車の先頭に連結される連続軌道敷設機。今のところ1日約1~1.5kmずつ敷設を進めている(筆者撮影)

そんな中、ブディ・カルヤ運輸相は、バンドンから先、スラバヤまでの延伸にも強気の姿勢を崩さない。その場合はジャカルタ―バンドン間と規格を統一する必要性に加え、日本政府は高速鉄道のスラバヤ延伸に協力しないことが基本スタンスのため、引き続き中国とのPPPプロジェクトとして進めていくことになる。

ブディ・カルヤ運輸相は、これをジョコウィ大統領の意向だと付け加える。つまるところ、中国側の正式な了解と大統領令があれば、いつでも着工できる状態にある。逆に言えば、ジョコウィ大統領の任期最後の年となる2024年までにゴーサインを出さなければならない。ジャカルタ―バンドン間開業と同時の延伸着工も十分にあり得る話だろう。
→次ページ鉄道案件は大統領の思うまま
ジョコウィ派閥と言われる閣僚たちは、大統領のレガシーづくりに余念がない。任期中にいかにポイントを稼いでおくかがその後の安泰につながる。ブディ・カルヤ運輸相もその1人だ。

そして、その最右翼がルフット・パンジャイタン海事投資調整相だ。インドネシア国軍特殊作戦部隊将校出身の同氏はジョコウィ政権の陰の参謀として知られ、鶴の一声で黒を白に変えてしまう存在である。コロナ対策でも前線で指揮を執り「コロナウイルスよりも危険な男」と国民から揶揄されてきた。「無理を通して道理を引っ込ませる」ことくらい朝飯前と言ったところである。鉄道案件は、ブディ・カルヤ、ルフット・パンジャイタン、それにエリックトヒル国営企業相を加えた3人によって固められており、大統領の思うままに進められる体制が整っている。
鉄道の着工ラッシュ再び

G20の成功は、ジョコウィ政権にまた1つ自信を与え、さらに国威発揚にも一役買うことになった。この機に鉄道インフラ整備を矢継ぎ早に打ち出したことは、経済大国へまた一歩近づいたことの証にもなっている。ことさら、高速鉄道試運転のオンライン出発式典の模様を、そのままYouTubeでライブ配信したことは見事と言えるだろう。
インドネシア高速鉄道工事
9月下旬、高速鉄道試運転区間の工事の様子。このときはまだ架線がなかった(筆者撮影)
高速鉄道テガルアール駅
9月下旬の高速鉄道テガルアール駅、このあと一気に工事が進捗した(筆者撮影)

世論がインフラ整備に前向きになっている今、2018年アジア大会前がそうであったように、鉄道の着工ラッシュが再び訪れようとしている。ジョコウィ大統領ほど鉄道整備に力を入れる政治家は、インドネシア史上これまでに誰もいなかった。

一方で、鉄道は政争の具にもなっている。そして、高速鉄道をはじめとしたいくつかの大型プロジェクトは国営インドネシア鉄道(KAI)に押し付けられており、KAIの財政悪化は免れず、最悪の場合、債務超過に陥る可能性すらある。この歪みを経済成長によって補うことができるのか、はたまた新たな投資家が現れるのかが今後の焦点になってくるだろう。


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