安寧天皇

安寧天皇

あんねいてんのう
 -577..~-511.12.6

別:
磯城津彦玉手看(しきつひこたまでみのすめら)
師木津日子玉手見命:しきつひこたまでみのみこと
磯城津彦玉手看尊:しきつひこたまでみのみこと
父:
綏靖天皇(すいぜいてんのう)の皇子
母:
五十鈴依媛:イスズヨリヒメノミコト
室:
渟名底仲媛命(父:鴨玉命(磯城県主?)):ヌナソコナカヒメノミコト
子:
息石耳命(おきそみみのみこと)、大日本彦耜友尊(懿徳天皇)

第3代天皇
安寧天皇は綏靖天皇の一人息子で兄弟姉妹はいない。母は事代主神の娘五十鈴依媛である。
綏靖25年に立太子、同33年で即位。安寧02年に大和国葛城の片塩浮穴宮に遷都し同03年に事城主神の孫で鴨王の娘の渟名底仲媛命を皇后とする。在位 39年で没したといわれている。
……
欠史八代の一人。
第三代天皇。第二代・綏靖天皇の嫡子。母は『古事記』では師木県主の祖の河俣毘売、 『日本書紀』では事代主神の次女の五十鈴依姫命。
片塩の浮穴宮(浮孔宮)にて統治された。
『古事記』では、安寧天皇は河俣毘売の兄・県主波延の娘、阿久斗比売を娶って、 常根津日子伊呂泥命、大倭日子鉏友命(第四代・懿徳天皇)、師木津日子命をもうけた。
『日本書紀』では、安寧天皇は渟名底仲媛命を皇后として、 息石耳命、大日本彦耜友天皇(第四代天皇・懿徳天皇)、磯城津彦命をもうけた。
御陵は、『古事記』では畝傍山の美富登(みほと)。『日本書紀』では畝傍山の南の御蔭(みほと)井上陵。
第3代に数えられる大和朝廷の天皇。大和片塩浮穴宮に都し。陵墓は奈良県橿原市吉田町の畝傍山西南御陰井上陵。
第3代に数えられる大和朝廷の天皇。名はシキツヒコタマデミノミコト。綏靖天皇の皇子,母はイスズヨリヒメノミコト。大和片塩浮穴宮に都し,皇后はヌナソコナカヒメノミコトという。陵墓は奈良県橿原市吉田町の畝傍山西南御陰井上陵。

略歴 [#d39221d2]
(紀元前)

BC577-甲申-綏靖05年 生誕

BC557-甲辰-綏靖25年1月7日 立太子(21歳)

BC549-癸丑-綏靖33年05月10日 綏靖天皇崩御

BC549-癸丑-綏靖33年07月03日 即位

BC549-癸丑-安寧元年10月11日 父綏靖天皇を倭の桃花鳥田丘上陵に葬る

BC547-甲寅-安寧02年 片塩の浮穴宮に遷都する

BC546-乙卯-安寧3年1月5日 渟名底仲媛命 を皇后にする

BC538-癸亥-安寧11年1月1日 息子の大日本彦耜友尊(懿徳天皇)を皇太子とする

BC511-庚寅-安寧38年12月06日 崩御(57才)

BC510-辛卯-懿徳01年08月01日 御蔭井上陵に葬られる


綏靖天皇━┳━BC557-BC549 皇太子
     ┣━BC549-BC511 安寧天皇
     ┃ BC553-BC477 大日本彦耜友尊
     ┣━息石耳命
     ┣━大日本彦耜友尊(懿徳天皇)
     ┗━磯城津彦命


3代 安寧天皇
あんねい
(-577..~-511.12.6)
別名:磯城津彦玉手看(しきつひこたまでみのすめら):磯城津彦玉手看天皇()
父:綏靖天皇(すいぜいてんのう)
母:五十鈴依媛
妻:渟名底仲媛命
子:息石耳命(おきそみみのみこと)、大日本彦耜友尊(懿徳天皇)

第3代天皇
安寧天皇は綏靖天皇の一人息子で兄弟姉妹はいない。母は事代主神の娘五十鈴依媛である。

安寧天皇は綏靖天皇の一人息子で兄弟姉妹はいない。母は事代主神の娘五十鈴依媛である。
綏靖25年に立太子、同33年で即位。安寧02年に大和国葛城の片塩浮穴宮に遷都し同03年に事城主神の孫で鴨王の娘の渟名底仲媛命を皇后とする。在位 39年で没したといわれている。

手研耳尊
神八井命
綏靖天皇━━━安寧天皇━━━━┳━息石耳命
 ||      ||       ┣━懿徳天皇
五十鈴依媛  渟名底仲媛命  ┗━天豊津媛命

略歴

  • 577 磯城津彦玉手看尊(安寧天皇)生誕
  • 577 -甲申-綏靖05年 磯城津彦玉手看尊(安寧天皇)生誕
  • 557 甲辰-綏靖25年1月7日 磯城津彦玉手看尊(安寧天皇)立太子。21歳
  • 549 ,.07.03 第3代 安寧天皇即位
  • 549 安寧天皇(綏靖天皇33(前549)7.3~安寧天皇38(前511)12.6)
  • 549 -癸丑-綏靖33年05月10日 綏靖天皇崩御
  • 549 -癸丑-綏靖33年07月03日 即位
  • 549 -癸丑-安寧元年10月11日 父綏靖天皇を倭の桃花鳥田丘上陵に葬る
  • 547 甲寅-安寧02年 片塩の浮穴宮に遷都する

安寧天皇(読み)あんねいてんのう
日本大百科全書(ニッポニカ)「安寧天皇」の解説
安寧天皇
あんねいてんのう

記紀に第3代天皇とする。『日本書紀』によれば磯城津彦玉手看尊(しきつひこたまてみのみこと)といい、綏靖(すいぜい)天皇の第1皇子、母は五十鈴依媛命(いすずよりひめのみこと)。綏靖天皇25年立太子、同33年父の死を受けて即位、翌2年大和(やまと)国片塩浮孔(かたしおのうきあな)宮に遷都、3年渟名底仲媛命(ぬなそこなかつひめのみこと)を皇后とし、在位38年、57歳(『古事記』には49歳)で没したという。しかし、津田左右吉(そうきち)、水野祐(ゆう)らの研究により、今日では伝説史上の架空の天皇と考えられている。

[井上幹夫]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus「安寧天皇」の解説
安寧天皇 あんねいてんのう
記・紀系譜による第3代天皇。
父は綏靖(すいぜい)天皇。母は五十鈴依媛命(いすずよりひめのみこと)。伝説上の人物ともいわれる。「日本書紀」によると,都は片塩(かたしお)の浮孔(うきあなの)宮。安寧天皇38年12月6日死去。57歳。墓所は畝傍山西南御陰井上陵(うねびやまのひつじさるのみほどのいのえのみささぎ)(奈良県橿原市)。別名は磯城津彦玉手看天皇(しきつひこたまてみのすめらみこと)。

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朝日日本歴史人物事典「安寧天皇」の解説
安寧天皇
『古事記』『日本書紀』に第3代と伝えられる天皇。『日本書紀』によれば綏靖天皇と事代主神の娘,五十鈴依媛命との間に生まれた。磯城津彦玉手看天皇という。綏靖天皇を倭の桃花田丘上陵に葬り,片塩(大和高田市)に浮孔宮を営んだ。弟の磯城津彦命は猪(豚)の飼育を職掌とした猪使(養)連 の始祖と伝えられる。

(大平聡)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「安寧天皇」の解説
安寧天皇
あんねいてんのう
第3代に数えられる大和朝廷の天皇。名はシキツヒコタマデミノミコト。綏靖天皇の皇子,母はイスズヨリヒメノミコト。大和片塩浮穴宮に都し,皇后はヌナソコナカヒメノミコトという。陵墓は奈良県橿原市吉田町の畝傍山西南御陰井上陵。

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精選版 日本国語大辞典「安寧天皇」の解説
あんねい‐てんのう ‥テンワウ【安寧天皇
第三代天皇。綏靖(すいぜい)天皇の第一皇子。名は磯城津彦玉手看尊(しきつひこたまてみのみこと)。「日本書紀」によれば、大和の片塩浮孔宮(かたしおうきあなのみや)に都を遷(うつ)し、在位三八年。生没年不詳。

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
デジタル大辞泉「安寧天皇」の解説
あんねい‐てんのう〔‐テンワウ〕【安寧天皇
記紀で、第3代の天皇。綏靖天皇の第1皇子。名は磯城津彦玉手看。皇居は片塩浮穴宮。

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天皇家