想像していたのと全然ちがう

想像していたのと全然ちがう」…靖国神社を訪れた「中国人留学生」が語った「意外な感想」

8/7(月) 7:03配信
現代ビジネス

写真提供: 現代ビジネス

 私の手元に、旧日本海軍のいくつかの戦友会から託された資料がある。「戦友会」といってもいろいろあって、親睦が主目的の集い、戦没者慰霊を主とする会もあれば、毎回、講師を決めて、戦中戦後の体験や裏話を語ってもらい、それについてディスカッションするような、「勉強会」に近い集いもあった。「勉強会」の代表的だったものが、東京・銀座の交詢社で隔月で開催されていた「交詢社ネービー会」と、関西で毎月開催されていた「関西ネイヴィクラブ」だ。それらの講演のほとんどが文字に起こされ残っているが、今回はそのなかから、8月にふさわしい話題を紹介したい。いまなお議論の的になっている靖国神社のいわゆるA級戦犯合祀。その当事者であった第六代宮司・松平永芳氏の講演である。

【写真】敵艦に突入する零戦を捉えた超貴重な1枚…!

 前編記事<「A級戦犯合祀」のさいの「靖国神社」宮司が語った「中曽根総理参拝」までのドタバタ劇>より続く。
「富田メモ」の発見

元零戦搭乗員・原田要氏(終戦時中尉)

 松平没後の2006(平成18)年7月20日、1978(昭和53)年より88(昭和63)年まで宮内庁長官を務めた富田朝彦(2003年没)が遺した、昭和天皇の発言や会話をメモしていた手帳が発見され、一部が日本経済新聞に、〈昭和天皇、A級戦犯靖国合祀に不快感〉との見出しのもと、朝刊のトップで掲載された。「富田メモ」と呼ばれる。当初報道されたのは、1988(昭和63)年4月28日の昭和天皇の言葉とされるものだった。

 〈私は 或る時に、A級が合祀されその上 松岡、白取(注:白鳥であろう)までもが、 筑波(注:前宮司)は慎重に対処してくれたと聞いたが 松平(注:慶民)の子の今の宮司がどう考えたのか易々と 松平は平和に強い考えがあったと思うのに 親の心子知らずと思っている だから私 あれ以来参拝していない それが私の心だ〉

 じっさい、1975年を最後に天皇による靖国神社御親拝は行われていない。富田メモについては、真贋を疑問視する声もあったが、日経新聞社が設置した社外有識者による「富田メモ研究委員会」により、A級戦犯合祀に不快感を示された昭和天皇のご発言について、「他の資料や記録を照合しても事実関係が合致しており、不快感以外の解釈はあり得ない」と結論づけられた。

 「富田メモ」の発見がもし松平の存命中なら、各メディアから激しい追及を受けただろう。だが昭和天皇の「お気持ち」以前に、前述のように1953(昭和28)年の国会で「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」が全会一致で議決され、その後、遺族援護法や恩給法の改正も可決され、戦犯受刑者の遺族も戦死者の遺族と同等に国家の恩典を受けることになった、という流れを踏まえれば、「靖国神社としては戦犯受刑者を靖国神社にお祀りすべき立場に立った」とする松平の考え方にも理はあるのではないだろうか。

 戦争中、終始安全地帯にいた宮内省(戦後宮内庁)や外務省の職員や官僚と、クラスメートの多くが戦没したプロの軍人だった松平とでは、戦没者や、戦後、国内法ではなく旧敵国によって「戦犯」とされた人々を祀ることに関して、感覚にズレがあったことも否めないだろう。

 「富田メモ」で「A級戦犯合祀」について「不快感」を示されたとされる日からわずか5ヵ月も経たない1988年9月19日、昭和天皇は大量吐血のため緊急輸血を受けられた。以後、ご病状は一進一退を繰り返し、「天皇陛下ご不例」のニュースに、日本中で「自粛」ムードが高まった。天皇のご病状の変化を見逃すまいと、マスコミ各社は皇居半蔵門前に詰めかけ、それは翌1989(昭和64)年1月7日の崩御まで続いた。私も、そのとき皇居前に詰めた報道陣の一人である。

 靖国神社のいわゆるA級戦犯合祀について、さまざまな考え方、捉え方があっていいと思う。ただ、A級戦犯が祀られているからといって、戦没者遺族や戦友、一般の人が参拝する上での障壁はなにもない。昇殿参拝すればわかるが、靖国神社の本殿は、清浄な空間の正面に鏡が1枚、そして質素な供物があるだけで、ほかの神社となんら変わりはない。お詣りする人は、神前に拝礼し、しばしその鏡に亡き人の姿を――あくまで想像だが――映して偲ぶ、そういうものだ。そこには「A級戦犯」の片鱗すら感じられない。
なぜ靖国神社を参拝するのか

靖国神社に参拝する元零戦搭乗員・原田要氏

 20年ほど前になるが、私は、真珠湾作戦やミッドウェー海戦に参加した元零戦搭乗員・原田要氏と8月15日の靖国神社に参拝したことがある。すると、原田氏を戦争体験者世代とみたテレビクルーに取り囲まれ、記者がマイクを突き出して質問した。

 「A級戦犯を祀る靖国神社になぜ参拝するんですか?」

 原田氏は明らかに気分を害した様子で、憮然として答えた。

 「そんなことは関係ない。私はここで会おうと約束した友達に会いに来たんだから」

 またあるとき、好奇心の旺盛な中国・北京からの女性留学生が、「いま、日本と中国のあいだで問題になっている靖国神社にぜひ行ってみたい」というので、旧海軍航空隊の慰霊祭に連れて行ったことがある。

 参拝を済ませて本殿から下がるなり、彼女は、「想像していたのと全然ちがう。静かな空間で、心がきれいになるような気がしました」と言った。

 「A級戦犯が祀られている、というのは、東條英機や祀られている『戦犯』たちの像かなにかがずらっと並んでいて、それを拝礼するようなイメージを抱いていたんです。それが行ってみるとあまりに簡素で清浄な空間であったことに驚きました。神職の祝詞のあいだにすすり泣く高齢のご遺族の姿を見て心を打たれ、改めて戦争の悲劇がいまも続いていることを知りました」

 なにごとも、その場に行ってみないとわからない、と実感した体験である。行ったうえでなおかつ、批判することは自由だ。だが、靖国神社の成り立ちやいわゆるA級戦犯合祀に批判的な人も、そこに自分の意志で参拝する人まで止める権利はない。

 戦後78年、もはや「戦友に会いに」参拝する元軍人はほとんどいなくなった。それでも8月15日には多くの人が参拝の列をつくる。威圧的な右翼の街宣車が現れ、左翼団体との小競り合いが起きることもあるが、警察による交通規制、取り締まりが功を奏してか、近年では以前よりかなり少なくなった。参拝するのはもちろん、大半が右翼などとはまったく関係のない一般市民である。今年の「終戦の日」の靖国神社では、どんな光景が見られるのだろうか。

 さらに<「A級戦犯合祀」のさいの「靖国神社」宮司が語った「中曽根総理参拝」までのドタバタ劇>の記事では、松平宮司が語った言葉を詳しく解説する。

神立 尚紀(カメラマン・ノンフィクション作家)


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