米軍が宣伝していた、日本兵が「超人」ではない「興味深い」根拠

米軍が宣伝していた、日本兵が「超人」ではない「興味深い」根拠
米軍報告書は語る

2023.08.07

一ノ瀬 俊也
歴史学者
プロフィール

敵という〈鏡〉に映しだされた赤裸々な真実。

日本軍というと、空疎な精神論ばかりを振り回したり、兵士たちを「玉砕」させた組織というイメージがあります。しかし日本軍=玉砕というイメージにとらわれると、なぜ戦争があれだけ長引いたのかという問いへの答えはむしろ見えづらくなってしまうおそれがあります。

本記事では、前編〈話し方から下着まで…米兵捕虜が分析した「日本人」の驚きの姿​〉にひきつづき、米軍が日本軍と中国軍をどのように識別していたのか、そして日本兵超人神話の崩壊についてくわしくみていきます。

※本記事は一ノ瀬俊也『日本軍と日本兵 米軍報告書は語る』から抜粋・編集したものです。
日本人か、中国人か?

日本軍と中国軍との兵士識別法は、IB(Intelligence Bulletin『情報公報』)「日本人の特徴」のかなり後に出た1945年3月号「彼は日本人か、中国人か?」にも掲載されている。これは「米軍が大陸に接近し、敵のスパイや侵入部隊と交戦する可能性が膨らむにつれ、中国人やその他の極東の人々と区別するためにますます重要になって」きたからであった。

フィリピンの日本兵はフィリピン人ゲリラになりすまそうとしているし、中国では便衣兵たち(plainclothesmen)──中国人の服装をした日本人──がはびこっている、つまり日本軍兵士が容貌のよく似た現地住民に化けて襲ってくるから、兵は識別法を学べというのである。

この記事もまた「多くの場合、日本人と中国人を身体の面から見分けるのは、ドイツ人とイギリス人をシャワー場でその会話を聞く前に見分けようとするのに等しい」といい、日本人は中国人よりも基本的には長い胴と短く太い手足、濃いあごひげと体毛、そして貧弱な歯を持つものの、「結局、中国人と日本人を身体的特徴のみで見分けるのは困難」と識別の難しさを認める。それでもその方法はなくはないという。「文化的特色と身ごなしが日本人判別の一助となりうる」と。

その具体的なポイントとして、〈話し方から下着まで…米兵捕虜が分析した「日本人」の驚きの姿​〉で出てきた「l」と「r」の発音や姿勢・歩き方、下着以外に「尋問する際に、相手の顔をみてみる」ことが挙げられている。「中国人なら簡単かつ自然にほほえむが、日本人は撃たれるかもしれないと思ってしかめ面になる。日本人は習慣的に会話の間、歯の間から急いで息を吸う。日本人は驚いたとき、思わず身に深くしみこんだ習慣を示すことがある」。

それでもはっきりしない場合の結論は、「日本人の真の相違点はその思考にあるという大事な点を覚えておくべきだ。中国人はこれを知っており、撃ってもよいかわからない場合の最良の判別法は、質問してみることだと言っている」というものであった。

これらのIBの記述をまとめるに、日本軍兵士は(中国人もだが)先の戦争を通じて「l」と「r」を正確に発音できないだけで、学んだことを忠実に実行しようとする米兵から撃たれてしまいかねない嫌な立場に置かれていたといえる。【図3】は米陸軍省・海軍省が1942年、自軍将兵向けに中国人との接し方を解説したパンフレット『ポケットガイド中国(Pocket Guide to China)』(1942年)の巻末付録マンガ「日本人の見分け方(How to Spot a Jap)」の数コマである。

生井英考「アメリカの戦争宣伝とアジア・太平洋戦争」(2006年)は、この「日本人の見分け方」を「一読して苦笑するほかないこじつけの羅列」としつつも、米軍がこうしたステレオタイプな識別法をあえて将兵に示した理由として「理解不能であることの不安を克服するために過去の知識や経験のなかから参照可能なものを探し出し、幼児の心的発達の過程で二元化された善悪の対立の構図へとこれを流し込んで自他の差異を描き出す──それがすなわちステレオタイプで、したがってこれは恐怖を飼い馴らすことを機能としているのである」という外国人研究者の指摘を引用している。

確かにこれらの「識別法」は米兵に恐怖を飼い馴らさせるために作られたものだったのだろうが、問題は日本人と中国人の識別が「こじつけ」でしかできない、つまりほぼ不可能だったということである。日本人への「人種」偏見を強調すればするほど、同盟国人たる中国人蔑視につながりかねないのだ。じっさい『ポケットガイド中国』に「日本人の見分け方」が添付されたのは最初の42年版のみで、次の43年版からは削除されている。

日米両国ともに「人種戦争」であったようにみえるこの戦争で、中国人というアジア人が米側に立って戦っていたことは、米軍側にとって戦争を「人種戦争」というわかりやすい図式に落とし込めない、歯切れの悪いものにしたといえるだろう。日本兵は中国人と似ているが故に、すくなくとも建前上は単純な人種偏見の対象にできなかったのである。
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日本兵超人神話の崩壊

日本兵超人神話の崩壊

米海兵隊も陸軍と同じように、日本軍兵士は卓越した肉体を誇る「超人」ではない、ふつうの人間に過ぎぬという宣伝を自軍将兵向けに行っていた。興味深いのは、なぜ日本兵が「超人」とは評価できないのか、その説明理由である。

1943年ごろ、米海兵隊中佐コーネリアス・P・ヴァネスの名で出された全16頁、機密扱いの将兵向けパンフレット『日本兵超人神話の崩壊(Exploding the Japanese Superman Myth)』はガダルカナル島、ツラギ島、ニューギニアでの実戦経験に基づき、なぜ日本兵はもはや「超人」ではないのかを、いくつかの要素別に根拠を挙げてわかりやすく説明しているので、以下に要約する。

概説 南太平洋の米軍には、狙撃、音もなくジャングルを移動して側背から攻撃してくる日本兵は超人だという話が広まっており、なかには恐怖心を抱く兵もいて有害である。確かに日本兵はよき戦士だが、その戦法を逆手にとって倒すことは可能である。

狙撃 日本の狙撃兵は射撃が下手で、直射可能な短距離にいる経験の浅い部隊にのみ有害である。我が方の狙撃兵、兵2〜4人の探知により倒せる。陣地近くで行動する狙撃兵には手榴弾が有効だし、防御陣地に空き缶付き仕掛け線や仕掛け爆弾を設けておくとよい。敵が姿を現すまでこちらは姿をみせないという原則さえ守れば、狙撃兵は脅威ではない。

ジャングル内での移動 特に夜間、日本軍は音もなくジャングルを移動できるとされている。しかし実際の日本軍は会話をしたり初歩的な防御隊形も組まないため、繰り返し我が方のパトロール隊に捕捉されている。

夜襲 日本軍の夜襲が心配なのは対処法をよく理解していないときだけだ。騎哨(cossack posts)、警報装置、仕掛け爆弾、鉄条網で容易に対抗できる。小火器、迫撃砲に続いて「バンザイ」や我が方を混乱させるための英語を叫びながら大挙突進してくるが、それは機関銃手にとって夢のような状況である。突撃時、陣地を奪取せんとする決意は確かに侮れないが、それは我が方の火力に対し、もっとも脆弱となる瞬間でもある。

身体の持久力 日本兵はわずかな食料で長期間ジャングルで作戦可能と言われているが、彼らは食料なしでは動けないし、持久力も我が方がしかるべき訓練を経て到達したほどではない。雨が降れば濡れそぼってマラリア〔蚊の媒介する熱病〕などの熱帯病に罹る。それは捕虜や文字通り餓死した者の遺体を観察すればよくわかることだ。

防御 夜間の休止時には全周囲防御を構築すれば潜入・直接攻撃からも安全である。暗くなってから全員が位置を替えて、伏兵や狙撃兵を配置しておけば敵が不用意に位置を暴露したとき容易に倒せる。

緒戦で日本軍と対峙しはじめたころの米軍側は日本軍兵士を恐れており、これを克服するには実際に戦い、飢えもすれば病気にもなる普通の肉体の持ち主だとその眼で確認し、勝つことが絶対に必要だった。彼らは狙撃・夜間戦法で攻撃し、機関銃で防戦する日本軍戦法への対抗法にかくして目処をつけたのだが、まずは日本兵も自分たちと同じ人間であり、それ以上でも以下でもないという〈事実〉の確認からはじめねばならなかったのだ。

ところで、ソロモンでヴァネス中佐の部隊と対戦した日本軍は我々のイメージする「ファナティック」な銃剣突撃ばかり敢行していたのではない。ひとたび防御に回ると、巧妙に偽装した機関銃で前進してくる連合軍部隊を迎え撃った。このことは『日本軍と日本兵』第3・4章で改めて論じるが、中佐がこれを「脅威」ととらえ、対抗策を次のように説いていることのみあらかじめ指摘しておきたい。
敵の機関銃座は巧妙に作られ偽装されており脅威だが、射界〔射撃できる幅〕が狭いという弱点があるので、銃剣、手榴弾を持った二〜四人の兵が側面から接近すればこれを回避できる。銃座が相互に支援しており接近不可能な場合は、小銃擲弾、対戦車擲弾、三七ミリ対戦車砲が有効である。日本兵は陣地の側面をとられ、殺されるとなっても後退しない。機関銃手は偽装や敵の接近路を射界に収めるのは上手な代わりに、めったに銃口の旋回、掃射を行わない。ここに彼らを倒すための鍵がある。

本記事の抜粋元『日本軍と日本兵 米軍報告書は語る』では、戦争のもう一方の当事者である米軍が軍内部で出していた広報誌を用いて、彼らが日本軍、そして日本人をどうとらえていたかを探ります。


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