「公園閉鎖問題」苦情住民だけが悪いと言えない訳

「公園閉鎖問題」苦情住民だけが悪いと言えない訳

「騒音トラブル」に潜むいくつもの重要な問題点
橋本 典久 : 騒音問題総合研究所代表/八戸工業大学名誉教授
2022/12/12 13:30

公園で遊ぶ子ども
遊び場がなくなってしまった子どもたちはかわいそうですが、苦情を入れた住民を単なる「クレーマー」といえるのでしょうか。写真はイメージです(写真:TATSU/PIXTA)
長野市にある「青木島遊園地」をめぐる騒動。発端は、「子どもの声がうるさい」という苦情を受けて、遊園地を2023年3月に廃止すると市が決定したことでした。

この苦情が、実は1軒の住民からのものだったとメディアが報道すると、ネット上やSNSで意見が紛糾。そのほとんどが「子どもたちがかわいそう」「たった1人の要望で行政が動くのはおかしい」といったものでしたが、時間が経つにつれ、「住民側がクレーマーだと一方的には片付けられない」「廃止の前にもっとできることはなかったのか」という意見もあがるようになりました。

3年前にも「騒音問題」が起こっていた
過剰とも思える今回の長野市側の対応には、ある1つの出来事が背景にあると思います。3年前の長野市・後町ホールの騒音訴訟問題です。小学校の跡地に整備された市のスポーツ施設である後町ホールからのバスケットボールのドリブル音などがうるさいと、隣接するマンション住人から苦情が寄せられたのです。市側は利用団体に通知をしたり、扉を閉めたりするなどの対策を取りましたが、住民側は市の対応への不信感から、最終的に長野地裁に提訴しました。

結果は住民側の敗訴となりましたが、判決までの約1年間は市側も訴訟対応に苦労したことと思います。このトラウマから、こじれて訴訟になる事だけは避けたいと今回の対応につながったのではないかと考えています。

このように、騒音問題というのは単なる音の大きさだけの問題ではなく、多くの複雑な要素を含んでおり、表に出てきたものだけを見ていては本質を見誤ります。ここでは、長年、騒音問題について調査し、その解決に取り組んできた筆者が、子どもの声の騒音問題について検証していきたいと思います。

以前、自治体職員等を主な対象として講演会を企画している会社から、『葬儀場、保育園等の「いわゆる迷惑施設」の立地・建築紛争と予防施策』というテーマで講演を打診されたことがありました。葬儀場と保育園を「迷惑施設」としてひとくくりにしたあからさまな表現に驚きましたが、反面、このような意識がもうすでに自治体等では定着してきているのかもしれないとしばし嘆息の思いでした。

いや、それどころではないかもしれません。最近の葬儀場は無煙無臭、高い煙突もなく煙や臭いが出ないのが普通です。片や、保育園や今回の件のような遊園地からは、子どもの声などの騒音がでるため、葬儀場より迷惑と感じる人がいるかもしれません。葬儀場より迷惑となれば、これは正に「子育て受難の時代」です。

「迷惑」とは、迷惑だと思うと迷惑になり、そう思わなければ迷惑になりません。当たり前のようですが、これは大事な点です。日本では、ベビーカーをそのまま地下鉄に乗せるだけでも迷惑だと感じる人がいますが、ウイーンの地下鉄では自転車さえそのまま乗せることができます。でも、迷惑行為だと怒る人は誰もいません。迷惑とは、ひとえに主観的な存在なのです。

「保育園」建設に反対する人は多い
しかし、現実には全国各地で保育園建設に反対する状況が起きています。この理由はいったい何なのでしょうか。通常、迷惑と感じるのは、その裏にフラストレーションがあるためですが、保育園などの騒音問題の場合には不安感がフラストレーションにつながっているのです。以前、筆者の研究室で市民への意識調査を行ったことがありますが、そこには明確な結果が示されていました。

これまでは、保育園建設に反対する人は「静かな地域に住む高齢者」という一般的な論調がありましたが、意識調査結果を統計学的に検定すると、性別、年代、居住歴の長さ、家族構成、仕事の有無(在宅時間が長いか)、用途地域(静かな場所かどうか)のいずれに関しても明確な関連は見られませんでした。数値的には、まったく関係ないといってもよい結果です。

唯一、明確な相関関係が確認されたのは、「騒音に対する不安を感じるか」という質問の回答だけでした。

(外部配信先では、図表などの画像を全部閲覧できない場合があります。その際は「東洋経済オンライン」内でお読みください)

騒音意識調査
(図表:筆者作成)
図は、「仮に、あなたの家の隣に保育園建設計画が起こったらどうしますか」との質問と、「あなたの自宅の横に保育園ができるとすると、騒音に対する不安を感じますか」の質問の回答をクロス集計したものです。この結果では明確な傾向が確認できます。

保育園建設計画に「強く反対する人」の9割が“騒音に対する不安”を大いに感じており、「少し感じる人」を合わせると100%です。そして、不安が少なくなると建設反対の意見もそれに応じて低下し、不安を感じない人は保育園建設を歓迎するとまで答えているのです。

保育園の建設に反対するかどうかは、静かな住宅地に住んでいるかどうかや、高齢者かどうかなどには一切関係がなく、その人が保育園からの子どもの声の騒音に不安を感じるかどうかで決まっているということです。これほど明確な傾向が現れるというのは、その因果関係の強さを表すものだと考えてよいでしょう。

保育園の建設に反対するのは、環境の変化に対する不安が唯一の理由ということであり、保育園が迷惑施設であるという認識からではないということです。ちなみに、意識調査時に、「保育園は迷惑施設だと思いますか」という直接的な質問も行っていますが、「思わない」が78.1%、「思う」はわずか1.5%という結果でした(残りは「どちらとも言えない」)。

迷惑施設として忌避するのではなく、不安が原因ということなら、不安を十分に解消すれば保育園建設も順調に進むと考えられます。そのための努力が必要なのですが、実はそう簡単ではありません。まず、子どもの遊び声の大きさについて紹介します。

「子どもの声」は工場の騒音と比べても大きい
筆者の研究室では、総合的な子どもの遊び声の騒音測定調査も実施しています。東京都世田谷区に協力をお願いして区内の5つの保育園を選定し、筆者の地元八戸市の保育園5つとあわせた10の保育園で、園庭で遊ぶ子どもの声の騒音を測定したのです。世界でも初の「子どもの遊び声」の騒音データでしょう。

データを示す前にひとつ、留意点があります。ここでは音の大きさを騒音レベルとして記述しますが、それは用語の問題であり、子どもの声を「騒音」として扱っていることとは意味が違うということを、誤解のないようにお願いいたします。

まず、保育園の園庭で子どもたちが遊んでいるとき(園児たちの中心から距離10m地点)の騒音レベルの大きさですが、園児50人が遊んでいた場合の平均的な騒音レベル(等価騒音レベル)は約70デジベル。20人程度の場合には、約65デジベルという結果が出ました。

これを基準に上端値との関係を調べたところ、騒音レベル変動の上端値(L5)は等価騒音レベルに約5デシベルを加えた値になることもわかりました。つまり、園児50人が園庭で遊んでいるとき、集団の中心から距離10mにおいて、等価騒音レベルで70デシベル、上端値(L5)で75デシベルの音が出る可能性があるということです。これは近隣住民が「うるさい」と感じても無理はない大きさといえます。

わかりやすくするため、公害騒音として騒音規制法の規制対象となっている工場騒音と比べてみましょう。

プレス工場や木材加工工場など、騒音規制法の対象となる大きな騒音を発生させる工場を特定工場と呼びますが、この特定工場からの騒音の規制値(上端値〈L5〉の値で決められている)は、一般住居地域の昼間で最大60デシベルです。敷地境界でこれ以上の騒音が出ていた場合は、罰則の対象となり、速やかに規制値以下となるよう防音対策を行わなければなりません。

保育園の場合は、園庭で50人の子どもが遊んでいる場合の騒音レベルの上端値は75デシベルですから、特定工場と比べて15デシベルも大きな値となっています。このように音の大きさだけを見れば、保育園というのは、かなり大きな音源施設であることは間違いありません。ただし、これはあくまで子どもたちの中心から10mの位置での数値であり、距離が離れればそれだけ音の大きさは小さくなります。

子どもの遊び声というのは、音の大きさだけでなく、もう1つ重要な特徴があります。下の図は、園庭で遊ぶ子どもの声の周波数分析結果です。周波数分析とは、その音が高い成分が多いか、低い成分が多いかを分析したもので、子どもの声は1000ヘルツ(図では1Kと表示)~2000ヘルツ(同2K)に明確なピークがあります。

大人の声と比較すると、成人男性の会話の場合の音の高さは、125ヘルツ~250ヘルツであり、成人女性でも250ヘルツ~500ヘルツといわれているので、子どもの遊び声はかなり甲高く、成人男性の約8倍ぐらいの音の高さであるという特徴を持っていることがわかります。

(外部配信先では、図表などの画像を全部閲覧できない場合があります。その際は「東洋経済オンライン」内でお読みください)

子どもの声の周波数
園庭で遊ぶ子どもの声の周波数分析結果(筆者作成)
声が高いということは、低い音よりうるさく感じることになりますが、逆に良い点もあります。高い音は低い音に比べて対策がしやすいのです。例えば、防音塀を設けた場合、低い音ほど塀の裏側に音が回り込みやすく、高い音ほど回りにくくなるため、防音効果が大きくなります。

例えば、3mの高さの塀をつくれば、子どもの遊び声については約20デシベルの減音効果があります。音の大きさは10デシベル減ると半分の大きさに聞こえますから、20デシベルの減音というのはさらにその半分、すなわち1/4の大きさになります。防音塀による対策は大変に有効でしょう。

問題は「騒音」だけではない
音量的には、子どもの遊び声は確かに大きいといえます。しかし、それがトラブルにつながるわけではありません。現代の音の問題には、「騒音問題」と「煩音(はんおん)問題」の2つがあります。騒音とは、音量が大きくてうるさく感じる音ですが、煩音とは、音量が大きくなくても人間関係や心理状態でうるさく感じてしまう音です。現代の音のトラブル、特に近隣間のトラブルのほとんどは煩音問題です。

騒音問題と煩音問題を分けて考える必要があるのは、それらの対策が異なるためです。騒音問題の対策は音量を下げること、すなわち防音対策です。しかし、煩音問題の対策は防音対策ではなく、誠意ある対応により相手との関係を改善することです。

仮に、煩音問題に際して防音対策だけをやれば、苦情を言われた側にも「対策をやらされた」という被害者意識が生まれます。音を聞かされる側はもともと被害者意識を持っていますから、両方が被害者意識を持つという矛盾の中でトラブルがエスカレートしてゆくのです。

今回の「青木島遊園地」の場合、近隣からの騒音苦情を受けて、市側は遊具を移設したり、出入り口の位置を変更したり、苦情者宅との距離をとるため遊園地の一部に植栽をしたりしましたが苦情は収まりませんでした。そして、最終的には遊園地の廃止を決めたのですが、これらはすべて防音対策であり、煩音対策ではありません。

遊園地が出来て18年が経ちますが、いまだに苦情者側の被害者意識が解消されていないことを考えれば、十分な煩音対策がなされてきたとはいえないのではないでしょうか。防音対策をやる場合でも、それは煩音対策のための防音対策でなくてはなりません。

騒音問題は「相手との人間関係」の問題
繰り返しになりますが、うるさいと思うかどうかは、その音にフラストレーションを感じるかどうかです。ロックコンサートでは100デシベルもの音が会場に響いていますが、誰もうるさいとは感じていません。フラストレーションの原因の多くは心の問題であり、相手との人間関係の問題です。当然、苦情者の数も多くはなく、個人的な苦情ですから個別対応が可能です。

フラストレーションのもととなっている相手の被害者意識をどうすれば解消できるか、そのことに注力すべきです。うるさく感じさせないための対応が求められるのですが、現実には最も簡易な防音対策として、取りあえず原因となる音を止めてしまうという対応がなされ、その風潮が社会的に定着してきているように感じるのです。

騒音問題の解決には、「節度と寛容とコミュニケーション」が必要というのが筆者の持論です。「音を出す側の節度」と「聞かされる側の寛容」、そして、それをお互いが感じ取れるコミュニケーションが必要です。しかし現実には、音を出す側は相手を「不寛容だ」と非難し、聞かされる側は「迷惑騒音だ」と節度のなさをののしり、相手の悪意を感じ取るだけのコミュニケーションしか存在しないという真逆の状況が蔓延しています。

トラブルの渦中にある人は、もう一度、冷静に問題を見つめ直す必要があるのではないでしょうか。


認証コード(4368)

a:11 t:1 y:0