アンゴラ人民共和国
(1975~1992) アンゴラ人民共和国
アンゴラ人民共和国
建国年 | 1975 |
国情報
1402 | アンゴラの戦い~チムールがオスマン・トルコを破る(オスマン・トルコ-アフリカ-アンゴラ、オスマン・トルコ)-- | |||
1483 | アンゴラ、ポルトガル人が到達(-アフリカ-アンゴラ、ポルトガル)-- | |||
1600 | 16世紀中葉 アンゴラ、ポルトガルが海岸地方を支配(-アフリカ-アンゴラ、ポルトガル)-- | |||
1950 | アンゴラ、民族運動台頭(1950年代から)(-アフリカ-アンゴラ)-- | |||
1951 | アンゴラ、ポルトガルの海外州となる(-アフリカ-アンゴラ、ポルトガル)-- | |||
1956 | アンゴラ、ネトやモンドラーネにより「アンゴラ解放人民戦線」(MPLA)結成(-アフリカ-アンゴラ)-- | |||
1961 | アンゴラ、MPLA、首都ルアンダの監獄を襲撃(アンゴラ独立戦争の勃発)したが、失敗し、首謀者ら、ザイール(現コンゴ民主共和国)に逃れる(-アフリカ-アンゴラ)-- | |||
1974 | アンゴラ、宗主国ポルトガルで「カーネーション革命」(-アフリカ-アンゴラ)-- | |||
1975 | アンゴラ、ソ連・キューバが支援するMPLA(アンゴラ解放人民運動)が「アンゴラ人民共和国」のポルトガルからの独立を宣言 ネト大統領就任、アメリカ、南ア、ザイール、中華人民共和国などの支援する「アンゴラ国民解放戦線」(FNLAの前身)と「アンゴラ全面独立民族同盟」(UNITA)の統一戦線が「アンゴラ人民民主共和国」の独立を宣言、それぞれ宣言。→内戦勃発→1984年、FNLA降伏→1988年、UNITA国外に逃亡→1991年、MPLAとUNITA間で包括和平協定成立→1992年、武力闘争再開(-アフリカ-アンゴラ)-- | |||
1975 | アンゴラ、アメリカの国務長官キッシンジャー、ソ連とキューバによるアンゴラ内戦への干渉を非難(-アフリカ-アンゴラ)-- | |||
1975 | アンゴラ、サントメ・プリンシペ、カボ・ヴェルデがポルトガルから独立(-アフリカ-アンゴラ、サントメ・プリンシペ、カボ・ヴェルデ、ポルトガル)-- | |||
1975 | MPLA(アンゴラ解放人民運動)がアンゴラ人民共和国の独立宣言 ネト大統領就任(-アフリカ-アンゴラ)-- | |||
1976 | アンゴラ、南ア軍、アンゴラから撤退(-アフリカ-アンゴラ)-- | |||
1976 | アンゴラ、MPLA、ユアンボ占領(-アフリカ-アンゴラ)-- | |||
1979 | 9. アンゴラ、ネト大統領モスクワで病死 ドス・サントス大統領就任(-アフリカ-アンゴラ)-- | |||
1983 | アンゴラ、クネネ州で、南ア軍とアンゴラ・キューバ軍が激戦(-アフリカ-アンゴラ)-- | |||
1984 | アンゴラ、南ア軍、アンゴラからの撤退に合意(ルサカ合意)(-アフリカ-アンゴラ)-- | |||
1988 | 2.1 アメリカ・キューバ・アンゴラ、キューバ軍のアンゴラ撤退で原則合意(-アフリカ-アンゴラ、アメリカ、キューバ)-- | |||
1989 | アンゴラ、国連アンゴラ監視団の派遣(-アフリカ-アンゴラ)-- | |||
1990 | アンゴラ、MPLA政権、社会主義路線を放棄(-アフリカ-アンゴラ)-- | |||
1991 | アンゴラ、MPLA,社会主義路線を放棄し、複数政党制を導入。国名を「アンゴラ共和国」に変更(-アフリカ-アンゴラ)-- | |||
1991 | アンゴラ、第二次国連アンゴラ監視団派遣(-アフリカ-アンゴラ)-- | |||
1991 | アンゴラ、MPLAとUNITA、ポルトガルの仲介で和平協定に調印(-アフリカ-アンゴラ)-- | |||
1991 | 5. アンゴラ、アンゴラ包括和平協定調印(ビセス合意)(-アフリカ-アンゴラ)-- | |||
1992 | アンゴラ、選挙をめぐる対立から、MPLAとUNITAとの間で武力衝突再開。南アの民間軍事会社Executive Outcomes、アンゴラ政府の依頼でUNITA掃討作戦に参加(-アフリカ-アンゴラ)-- | |||
1992 | 9. アンゴラ、初の民主的大統領及び議会選挙(-アフリカ-アンゴラ)-- | |||
1994 | アンゴラ、国連の介入でルサカ合意が締結されたが、アンゴラゲートと呼ばれるフランスによる反政府勢力への武器密輸スキャンダルからUNITAの武装解除に失敗(-アフリカ-アンゴラ)-- | |||
1994 | 11. アンゴラ、ルサカ和平協定調印(政府軍とUNITA(アンゴラ全面独立民族同盟)軍間の和平協定)(-アフリカ-アンゴラ)-- | |||
1995 | アンゴラ、第3次国連アンゴラ監視団派遣(-アフリカ-アンゴラ)-- | |||
1997 | 4. アンゴラ、統一国民和解政府樹立(-アフリカ-アンゴラ)-- | |||
2002 | アンゴラ、UNITAのサヴィンビ議長、民間軍事会社の攻撃で戦死し、MPLAとの間で休戦協定が締結され、27年間の内戦に終止符が打たれたが、飛地であるカビンダの反政府勢力「カビンダ飛び地解放戦線」との対立は続いている。和平以後、豊富な天然資源の輸出により、アンゴラ経済は急速に発展している。 ・アンゴラ、内戦による死者は360万人。 ・アンゴラ、各地に地雷多数。(-アフリカ-アンゴラ)-- | |||
2002 | 4.4 アンゴラ、停戦合意に関する覚書の署名(-アフリカ-アンゴラ)-- |