クシュ王国

クシュ王国(エジプトまで進出第25王朝)

英語による名称
漢字表記
漢字略
首都ナパタ
独立年月前8世紀ごろ
主要言語(メロエ文字)
面積
人口
通貨

略史

クシュ王国

現在のスーダン,ヌビア地方に前8世紀ごろ興った王国。アフリカの黒人王国としては現在知られている最古のもの。一時はエジプトにまで進出し,第25王朝を築いた。アッシリアの攻撃でエジプトを退いてからも,前6世紀に遷都されたメロエを中心に繁栄。エジプトやローマの影響を受けた建造物や高度の製鉄技術,独自のメロエ文字の使用など,高次の文明を築いた。350年ごろ,エチオピアアクスム王国により滅ぼされた。

ナイル川上流に前9世紀から後4世紀まで栄えた黒人王国。初めナイル川の第4急流の近くのナパタNapataを中心に栄え,前8世紀にはカシュタ王がエジプトを攻撃して,上エジプトの首都テーベを陥れた。カシュタの息子のピアンキは,父の事業を受け継いで全エジプトの征服を完成した。こうしてエジプトの第25王朝,いわゆるエチオピア王朝(前751‐前656)が始まる。ピアンキは北は地中海岸から南は現在のウガンダ国境まで,東はエチオピア国境まで支配したが,それはアフリカ大陸の4分の1に及ぶ広さであった。

紀元前10世紀から紀元後4世紀にかけてナイル川上流に繁栄した黒人王国
当初はナイル川中流域のナパタを都として栄えたが,ピアンキ王の時代にエジプト全土を征服し,エチオピア王朝とも呼ばれる第25王朝をおこした。その後2度にわたるアッシリアの侵攻を受けて退き,前7世紀に都をメロエに移した。製鉄技術や隊商貿易によって繁栄し,未解読のメロエ文字はここの宮廷で使用された。4世紀にセム系とされるアクスム王国によって滅ぼされた。

アフリカ】より

…時代的には約1万年前から現在にまで及び,地理的にも砂漠,ステップ,サバンナ,森林,海岸地帯と多様な環境の中で営まれたものであり,美術表現はそれら時代,風土のちがいによって千差万別である。おもなものには,サハラおよび南部アフリカ(サン)の岩面画,クシュ王国の美術,ナイジェリアの彫刻,ジンバブウェ美術,それに彫刻を主とする近代の美術がある。 サハラ砂漠の山岳地帯には,中石器時代から11~12世紀にアラブの侵入を迎えるまで約1万年にわたって描き続けられた岩面彩画・刻画が広く分布する。…

【サオ族】より

…伝承によると,サオ族は〈おそろしい力の巨人〉であったという。これはナイル川上流の長身のクシュ族(クシュ王国)の末裔であることを意味する,との説がある。サオ族はその後継者であるコトコ族Kotokoとともに金属器文化を有し,失蠟法で青銅製品を鋳造し,鉄製品もつくったが,それらの多くは装身具であった。…

スーダン】より

スーダンがここに述べた品目を産し,国際交易網の真ん中に位置しているための経済的重要性はその後も変わることはない。 このヌビアに,前2200年ころ,熱帯アフリカ奥地から黒人民族集団が移住してきて先住民を従属させ,クシュ王国時代(前1530‐後350。クシュはナイル川第2急湍以南地域の総称)が始まる。…
【ムサワラット・エス・スフラ】より

…メロエの南西約100kmに位置する。宮殿を中心に神殿,官吏や神官の住居,厩,交易所,アレーナ(闘技場)などが取り巻き,メロエとならぶクシュ王国最大の遺跡である。1960年代に〈ライオン神殿〉が発掘され,灌漑設備などが新たに見いだされた。…

クシュ王国(読み)クシュおうこく

   Kush

百科事典マイペディアの解説
現在のスーダン,ヌビア地方に前8世紀ごろ興った王国。アフリカの黒人王国としては現在知られている最古のもの。一時はエジプトにまで進出し,第25王朝を築いた。アッシリアの攻撃でエジプトを退いてからも,前6世紀に遷都されたメロエを中心に繁栄。エジプトやローマの影響を受けた建造物や高度の製鉄技術,独自のメロエ文字の使用など,高次の文明を築いた。350年ごろ,エチオピアアクスム王国により滅ぼされた。

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世界大百科事典 第2版の解説
ナイル川上流に前9世紀から後4世紀まで栄えた黒人王国。初めナイル川の第4急流の近くのナパタNapataを中心に栄え,前8世紀にはカシュタ王がエジプトを攻撃して,上エジプトの首都テーベを陥れた。カシュタの息子のピアンキは,父の事業を受け継いで全エジプトの征服を完成した。こうしてエジプトの第25王朝,いわゆるエチオピア王朝(前751‐前656)が始まる。ピアンキは北は地中海岸から南は現在のウガンダ国境まで,東はエチオピア国境まで支配したが,それはアフリカ大陸の4分の1に及ぶ広さであった。

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旺文社世界史事典 三訂版の解説
紀元前10世紀から紀元後4世紀にかけてナイル川上流に繁栄した黒人王国
当初はナイル川中流域のナパタを都として栄えたが,ピアンキ王の時代にエジプト全土を征服し,エチオピア王朝とも呼ばれる第25王朝をおこした。その後2度にわたるアッシリアの侵攻を受けて退き,前7世紀に都をメロエに移した。製鉄技術や隊商貿易によって繁栄し,未解読のメロエ文字はここの宮廷で使用された。4世紀にセム系とされるアクスム王国によって滅ぼされた。

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世界大百科事典内のクシュ王国の言及
アフリカ】より

…時代的には約1万年前から現在にまで及び,地理的にも砂漠,ステップ,サバンナ,森林,海岸地帯と多様な環境の中で営まれたものであり,美術表現はそれら時代,風土のちがいによって千差万別である。おもなものには,サハラおよび南部アフリカ(サン)の岩面画,クシュ王国の美術,ナイジェリアの彫刻,ジンバブウェ美術,それに彫刻を主とする近代の美術がある。 サハラ砂漠の山岳地帯には,中石器時代から11~12世紀にアラブの侵入を迎えるまで約1万年にわたって描き続けられた岩面彩画・刻画が広く分布する。…
【サオ族】より

…伝承によると,サオ族は〈おそろしい力の巨人〉であったという。これはナイル川上流の長身のクシュ族(クシュ王国)の末裔であることを意味する,との説がある。サオ族はその後継者であるコトコ族Kotokoとともに金属器文化を有し,失蠟法で青銅製品を鋳造し,鉄製品もつくったが,それらの多くは装身具であった。…
スーダン】より

スーダンがここに述べた品目を産し,国際交易網の真ん中に位置しているための経済的重要性はその後も変わることはない。 このヌビアに,前2200年ころ,熱帯アフリカ奥地から黒人民族集団が移住してきて先住民を従属させ,クシュ王国時代(前1530‐後350。クシュはナイル川第2急湍以南地域の総称)が始まる。…
【ムサワラット・エス・スフラ】より

…メロエの南西約100kmに位置する。宮殿を中心に神殿,官吏や神官の住居,厩,交易所,アレーナ(闘技場)などが取り巻き,メロエとならぶクシュ王国最大の遺跡である。1960年代に〈ライオン神殿〉が発掘され,灌漑設備などが新たに見いだされた。…

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ナパタ(英語表記)Napata
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
ヌビアのクシュ王国 (前 750頃~590頃) の首都。ナイルの第4急流の下流,現スーダンのマラウィのあたりに位置する。新王国時代 (前 1567~1085頃) にはエジプトの文化的影響を受け,アモン信仰が広まった。前8世紀頃になるとテーベから来た神官たちの強力な要請のもとにクシュの王たちはリビア人に寸断されていたエジプトを攻撃。特にピアンキ王はエジプトの第 24王朝を倒し,第 25王朝 (前 730頃~656) を発展させ (したがって,この王朝をクシュ王朝,ナパタ王朝と呼ぶ) ,エジプトの中心となった。しかし第4代目の王タハルカはアッシリアのエサルハッドンおよびその息子アッシュールバニパルに敗れ,ヌビアに逃れた。クシュはなおも再興をはかったが,第 26王朝によりナパタは制圧され (前 590) ,クシュの首都はメロエに移り,宗教的中心として命脈を保った。タハルカ王が建造した側面が急斜面のピラミッドとエジプト風の神殿が現存する。

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デジタル大辞泉の解説
スーダン北部、ナイル川沿いにある都市遺跡。古代エジプト新王国第18王朝のトトメス3世がこの地を征服、領土の南限として建設。その後、クシュ王国の都として、紀元前6世紀にメロエに遷都されるまで栄えた。対岸のゲベルバルカルには諸王が築いた神殿・宮殿・墓所などの遺構がある。

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世界大百科事典 第2版の解説
スーダン共和国にあるクシュ王国の都市遺跡。前6世紀または前5世紀にメロエに遷都されるまで,王都として栄えた。確実な遺構は未発見だが,ナイル川第4急湍(きゆうたん)下流左岸付近と推定される。対岸のゲベル・バルカルGebel Barkalに第25王朝の創始者ピアンキ王やタハルカ王らの造営になるアメン・ラー神殿,メロエ王朝諸王のピラミッドなどがみられる。【中山 伸一】

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世界大百科事典内のナパタの言及
クシュ王国】より

…ナイル川上流に前9世紀から後4世紀まで栄えた黒人王国。初めナイル川の第4急流の近くのナパタNapataを中心に栄え,前8世紀にはカシュタ王がエジプトを攻撃して,上エジプトの首都テーベを陥れた。カシュタの息子のピアンキは,父の事業を受け継いで全エジプトの征服を完成した。…
クシュ王国】より

…ナイル川上流に前9世紀から後4世紀まで栄えた黒人王国。初めナイル川の第4急流の近くのナパタNapataを中心に栄え,前8世紀にはカシュタ王がエジプトを攻撃して,上エジプトの首都テーベを陥れた。カシュタの息子のピアンキは,父の事業を受け継いで全エジプトの征服を完成した。…

※「ナパタ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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