フランス領インドシナ

(1887~1954) フランス領インドシナ

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画像の説明

フランス領インドシナ

英語による名称Union Indochinoise Française
建国1887
没年1954

国情報

1887~1954
フランス領インドシナ

19世紀後半,トンキン (北部ベトナム) 保護領,アンナン (中部ベトナム) 保護領,コーチシナ (南部ベトナム) 直轄植民地とカンボジア保護領,ラオス保護領の5領をもって構成されたフランスの植民地インドシナ連邦。この連邦制は,東部コーチシナ領有 (1862) に始り,カンボジア (63) ,トンキン,アンナン (83) 諸邦の保護領化を経て,1887年にしかれ,その後,93年に保護領としたラオスなどを編入 (95) して完備され,1945年まで継続された。この連邦は,フランス本国の行政権の代行者であり,またインドシナ全般の利益代表者でもある総督によって統治された。連邦構成各邦の地方行政長官としては,植民地のコーチシナに知事が,その他の各保護領には理事長官がおかれた。保護領にはフランス行政と並行して形式的な土着行政が行われたが,実権はまったくなかった。こうした支配に対しては,すでに統治の初期から,民族意識の高揚していたベトナム民族を中心に反仏独立闘争が続いて展開され,45年3月日本軍によるフランス側からの政権奪取を経て,同年9月にはベトナム民主共和国の独立を迎えるにいたった。しかし,フランスは南ベトナムにおける支配権を放棄しようとせず,7年半にわたる全面戦争の結果,54年のジュネーブ極東平和会議によって,ついにインドシナ半島から撤退した。

もとフランスの植民地であったインドシナ半島東部の称。現在のベトナムカンボジアラオス。仏領インドシナ。仏印(ふついん)。

フランスが1887年から1945年の間領有したインドシナにおける植民地および保護領で,現在のベトナムカンボジアラオス地域および広州湾租借地を含む。仏印とも略。フランスはグエン(阮)朝創設の援助を発端に,1858年のフランス軍のサイゴン占領につづき1862年のサイゴン条約で南部ベトナムの東3省を奪い,1863年カンボジアと保護条約を結び,1868年南部ベトナムの直轄植民地化,1884年の中部・北部ベトナムの保護領化(フエ条約)を経て,1887年に全土を統轄するインドシナ総督府を置き,フランス領インドシナ連邦を形成させた。この間,インドシナに対する宗主権を主張した清朝との間に,清仏戦争と天津条約の締結があった。1893年にはラオスを,1900年には広州湾租借地をも,インドシナ連邦に加えた。第2次大戦後,独立戦争によって植民地体制は崩壊し,ベトナム民主共和国,ベトナム共和国,ラオス王国,カンボジアが成立。

1887‐1945年,ラオスカンボジアベトナムなどの地域に置かれたフランス領とフランス保護領からなる連邦組織の総称。日本では仏印と略称した。
[成立]
 第二帝政下のフランスは,宣教師殺害事件を口実に1858年ベトナムに侵攻し,62年のサイゴン条約によって南部ベトナムの東3省を奪い,67年には実質的に西3省を併合した。これらはフランス領コーチシナと呼ばれた。さらに70年代より,中国内陸部への商業ルートとしてのソンコイ川(紅河)に注目し,73年ガルニエ事件を引き起こした。

(Indochine Française) 一八八七年から第二次世界大戦後までインドシナ半島東部にあったフランスの植民地の総称。トンキン・アンナン・ラオスカンボジアの四保護国と直轄植民地コーチシナおよび広州湾租借地からなり、フランス総督が統治した。第二次世界大戦中は日本軍が占領。一九四五年日本の敗戦により復活するが、五四年のジュネーブ会議で解体。仏領インドシナ。

フランスの植民地時代のインドシナの呼称。インドシナ連邦とも呼ばれる
直轄領コーチシナ(南部ヴェトナム),半直轄半保護国トンキン(北部ヴェトナム)とアンナン(中部ヴェトナム)・カンボジアラオスの3保護国からなる。仏越(フランス−ヴェトナム)戦争と清仏戦争の結果保護国としたコーチシナ・アンナン・トンキンにカンボジアを加えて1887年に成立。1899年にはラオス,1900年には広州湾租借地も編入した。メコンデルタの米やゴムのプランテーションによる収入が大きかった。1945年日本軍占領下に解体した。

インドシナ】より

…造語はイギリスの医者で詩人のジョン・レイデンJohn Leyden(1775‐1811)と言われるが,事実とすれば,彼のペナン滞在中の作品《インドシナ諸民族Indo‐Chinese Nationsの言語と文学に関する論考》(1805)がこの語の初出であろう。狭義ではかつてフランスの支配下におかれたベトナムカンボジアラオスの3国のみを指すが,これは〈フランス領インドシナ連邦〉(1887‐1945)の略である。ちなみにフランス人は独立前のミャンマーを〈イギリスインドシナ〉と呼んでいた。…
【ドゥメール】より

フランス領インドシナ連邦の総督,フランス第三共和国大統領。1887年,フランスはサイゴン条約,フエ条約等で領有権,保護権を得たトンキン,アンナン,コーチシナ,カンボジア(1899年にラオス)を一括してフランス領インドシナ連邦を建設した。…
ベトナム】より

…さらに73年のガルニエ事件に続く第2次サイゴン条約,83年のリビエール事件に続く2次にわたるフエ条約によって,北部をトンキン保護領,中部をアンナン保護国として,植民地化することに成功した。そして1887年にはカンボジア保護国を加えてフランス領インドシナ連邦が成立した。
フランス植民地時代]
 フランスの侵略に抗して,1885年ハムギ(咸宜)帝はトン・タット・トゥエット(尊室説)らと山地にこもってバンタンの蜂起を呼びかけ,北部・中部一帯に農民蜂起が広がった。…

フランス領インドシナ連邦

ラタナコーシン朝

フランス領インドシナ連邦 (A.D.1887〜A.D.1945) コーチシナ(直轄領)・アンナン・カンボジア(保護国)・トンキンを合わせて1887年に成立したフランスの植民地。99年にはラオスも統合され、総督府はハノイに置かれた。

フランス領インドシナ連邦
フランス領インドシナ連邦構成
直轄領 コーチシナ
保護国 アンナン・カンボジアラオス
保護領 トンキン(阮朝存続)

   フランス領インドシナ連邦:コーチシナ・アンナン・トンキン・カンボジアを合わせて1887年に成立したフランスの植民地。99年にはラオスも統合された。総督府はハノイに置かれた。
       トンキン:ソンコイ川(紅河)流域、ベトナム北部の旧称。16世紀以降、黎朝は南北に分裂し、鄭氏の支配する北部はトンキン王国と呼ばれた。
       アンナン:唐朝がベトナム北部に設置した安南都護府にちなむベトナムの旧称。フランス領インドシナ時代にはベトナム北部をトンキン、南部をコーチシナ、中部をアンナンと呼んだ。
       ハノイ:ソンコイ川(紅河)右岸に位置する古都。1831年以降ハノイと呼ばれ、フランスのインドシナ総督府が置かれた。

アジア地域の動揺
アジア・東南アジアの植民地化
大陸部の植民地化
イギリスインド経営を争って敗れたフランスは、19世紀半ばのナポレオン3世の時代からインドシナの植民地化を進めた。これよりさき、阮福暎(嘉隆帝)の全国制覇に貢献したフランス人宣教師ピニョー=ド=ベーヌ Pigneau de Behaine (1741〜99) の活躍があり、ベトナム(阮朝)におけるフランスの優位は確立していた。しかし嘉隆帝の死後、阮朝は排外政策をとってキリスト教を迫害したため、フランスは1858年にスペイン人宣教師殺害事件を口実にスペインと共同で出兵し、戦後結んだ第1次サイゴン条約 Saigon (1862)によってキリスト教布教の自由、コーチシナ東部3省と崑崙等の割譲などを認めさせた。

その後フランスはコーチシナ西部3省にも進出してコーチシナ全土を支配下においた。これ以後コーチシナ(メコン=デルタ)は急速に開拓されて米の大生産地となり、植民地政府と植民地起業家に莫大な富をもたらした。 フランスはさらに北に目を転じて、1874年の第2次サイゴン条約でソンコイ川(紅河)航行権をはじめとする諸権利をえた。しかし阮朝は条約締結後も清朝や、劉永福率いる太平天国の残存勢力「黒旗軍」と結んで反抗したため、フランスは1883年に首都フエ Huế (ユエ)を占領して条約を結ばせ、ベトナムを完全な保護国とした。これを第1次フエ条約あるいはフランスの代表の名をとってアルマン条約 Harmand と呼ぶ。しかしなお北部での抵抗が続いたためフランスは翌年第2次フエ条約(パトノートル条約 Patenôtre )を結ばせ支配権をさらに確実なものとした。一方、ベトナムに対する宗主権を主張する清朝は、阮朝・フランス間に結ばれた諸条約を承認せず、1884年ついに清・仏両軍の戦いとなった(清仏戦争)。この戦いはフランスの勝利に終わり、翌年結ばれた天津条約で、清朝はベトナムに対するフランスの保護権を認めた。そこでフランスは1887年、直轄地コーチシナ・保護領トンキン・保護国アンナン・カンボジア(1863年保護国化)からなるフランス領インドシナ連邦をつくり、ハノイ(一時サイゴン)に駐在するインドシナ総督の管轄下においた。ついで、1895年以後保護下にあったラオスを連邦に編入している(1899)。

1949ラオスフランスから独立する
1953カンボジアカンボジア王国としてフランスから独立。
1953ラオスフランスから完全独立
1954フランスベトナムから撤退