六詔

六詔並立時代

六詔配置図
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   唐の第一次南詔侵攻
   西[シ耳]河附近の南詔の城と通商路 

六詔とは

詔とは王の意味。王の治める王国を指すこともある。西[シ耳]河周辺に根拠地を置く六つの詔は、お互いに婚姻関係にあり、兵力も大差なかった。

『新唐書』によると次の六つ。『蛮書』もほぼ同じ。

1.蒙舎詔(南詔

   現在の巍山一帯が根拠地と見られ、六詔の中で最も南に位置することから「南詔」と呼ばれる。>系図 

2.蒙[山/雋]詔

   六詔の中で一番大きかった。蒙舎詔と同じ盆地内の北側にあり、六詔の中で最初に皮羅閣に打倒されたようだ。>系図 

3.越析詔(磨些詔)

   磨些蛮の築いた詔だったので磨些詔とも呼ばれる。磨些蛮は現在のナシ族の前身。根拠地は賓居にあった。>系図 

4.浪穹詔

   浪穹に拠っていたために浪穹詔と呼ばれた。南詔に破れて剣川に退いてからは剣浪詔とも呼ばれた。浪穹詔、トウ[目炎]詔、施浪詔をまとめて「三浪詔」ともいう。>系図 

5.トウ[目炎]詔

   >系図 

6.施浪詔

   >系図 

ところが、『資治通鑑』だとこんな感じ。

1.蒙舎詔
2.蒙越詔
3.越析詔
4.浪穹詔
5.樣備詔
6.越澹詔

一致するのもあるが、一致しないものは『新唐書』の列挙する詔のどれかに当たっていて『資治通鑑』がその別名をあげているだけなのか、観測時期の違いによる六詔構成員の変化を表しているのか、どちらとも判断できない。

あるいは、「六」というのはトクズ(九)=オグズやドルベン(四)=オイラトのように象徴的な数字で、実際には六詔を構成する詔は常に出入りがあり、六つより多かったり少なかったりすることさえあったのかもしれない。