東ティモール
(~) 東ティモール民主共和国
東ティモール民主共和国
英語による名称 | The Democratic Republic of Timor-Leste |
首都 | ディリ |
独立年月 | 2002年5月 |
主要言語 | 公用語は、テトゥン語及びポルトガル語。実用語に、インドネシア語及び英語。その他多数の地方言語が使用されている。 |
面積 | 約1万4,900平方キロメートル(首都4都県(東京、千葉、埼玉、神奈川)の合計面積とほぼ同じ大きさ) |
民族 | テトゥン族等大半がメラネシア系。その他マレー系、中華系等、ポルトガル系を主体とする欧州系及びその混血等。 |
人口 | 約126.1万人(推定値)(出典:東ティモール財務省国政調査(2018年実施)を基に同省が公表している推定値) |
通貨 | 米ドル、ただし、1米ドル以下については独自の「センタボ(centavo)」貨を使用(米セントと同貨)。 |
国情報
略史
年 略史
16世紀以前 リウライ(王)が割拠し、王国が乱立。
16世紀前半 ポルトガル、東ティモールに白檀を求めて来航、ティモール島を征服。
17世紀半ば オランダ、西ティモールを占領。
1701年 ポルトガル、ティモール全島を領有。
1859年 リスボン条約で、ポルトガルとオランダの間でそれぞれ東西ティモールを分割。
1942年 日本軍、ティモール全島を占領。
1945年 第2次世界大戦終了後、ポルトガルによる東ティモールの支配が回復(西ティモールはインドネシアの一部として独立)。
1974年 ポルトガル本国でクーデターが発生し、植民地の維持を強く主張した旧政権の崩壊に伴い、東ティモールで独立の動きが強まる。
1975年 独立派(フレテリン等)と反独立派の対立激化。フレテリンが東ティモールの独立を宣言した後、インドネシア軍が東ティモールに侵攻し制圧。
1976年 インドネシア政府、東ティモールを第27番目の州として併合を宣言。
1991年 11月、サンタクルス事件(インドネシア軍による独立派虐殺事件)
1998年 5月、スハルト・インドネシア大統領が退陣、ハビビ副大統領が大統領に就任。インドネシアは、東ティモールの独立容認へ方針転換。
1999年 6月11日、国連安保理は国連東ティモール・ミッション(UNAMET)設立を決定。
8月30日、独立についての住民投票が実施されたが、投票直後から、独立反対派の破壊・暴力行為が急増し、現地情勢は急激に悪化し、UNAMETは撤退。
これを受けて、9月15日、国連安保理は多国籍軍(INTERFET)の設立を決定。
10月25日、国連安保理は国連東ティモール暫定行政機構(UNTAET)の設立を決定し、国連が東ティモールを統治することとなった(セルジオ・デ・メロ氏が代表に就任)。
2002年 4月14日、大統領選挙実施、グスマン氏が当選。
5月17日、国連安保理はUNTAETにかえて国連東ティモール支援団(UNMISET)の設立を決定。
5月20日、東ティモール民主共和国独立回復。アルカティリ氏が初代首相に就任。
2005年 4月28日、国連安保理はPKOミッションを終了させ、国連東ティモール事務所(UNOTIL)の設立を決定。
2006年 西部出身の国軍兵士による差別待遇改善要求のデモをきっかけに、治安が急激に悪化。15万人に上る住民が国内避難。この責任を取って、アルカティリ首相が辞任し、後任としてラモス=ホルタ氏が首相に就任。政府の要請を受けて、豪、ポルトガル、NZ、マレーシアが国際治安部隊を派遣。国連安保理は、PKOミッションである国連東ティモール統合ミッション(UNMIT)の設立を決定。
2007年 4月9日、大統領選挙実施(5月9日、大統領選挙決選投票の結果、ラモス=ホルタ前首相が当選)。
6月30日、国民議会議員選挙実施、グスマン前大統領が首相に就任。
2008年 2月11日、ラモス=ホルタ大統領及びグスマン首相襲撃事件発生。ラモス=ホルタ大統領、重傷を負う。
2月12日、非常事態宣言発出(5月8日、非常事態宣言解除)。
2009年 5月、UNMITから東ティモール国家警察への警察権限移譲開始(2011年3月、全13県で移譲完了)。
2010年 4月7日、国づくりの基本となる中長期開発計画「戦略開発計画」(SDP)の概要を発表(2011年7月15日、正式発表)。
2011年 8月20日、政府は東ティモール国軍の前身となるゲリラ組織「ファリンテル」の動員解除式典を実施。
2012年 3月17日、大統領選挙実施(4月16日、大統領選挙決選投票実施、ルアク前国軍司令官が当選)。
5月20日、独立10周年記念式典及び大統領就任式典。
7月7日、国民議会選挙実施(グスマン首相の続投が確定)。
8月8日、第5次立憲政府発足。
12月31日、マンデートの終了により、UNMITの任期が満了、PKOミッションが終了。
2014年 7月23日、ディリにてポルトガル語圏諸国共同体(CPLP)サミットを開催。
2015年 2月5日、グスマン首相がルアク大統領に辞表を提出。
2月9日、ルアク大統領がグスマン首相の辞表を受理し、これを正式に発表。
2月11日、大統領府は第6次立憲政府閣僚名簿を発表。
2月16日、就任式にて、アラウジョ新首相率いる第6次立憲政府が発足。グスマン前首相は、指導大臣兼計画・戦略投資大臣として内閣に残留。
2017年 3月20日、大統領選挙実施(ル・オロ東ティモール独立革命戦線(フレテリン)党首が当選)。
5月20日、独立15周年記念式典及び大統領就任式。
7月22日、国民議会議員選挙実施、フレテリンが第一党となる。
9月15日、アルカティリ新首相率いる第7次立憲政府発足。
2018年 1月26日、ル・オロ大統領が国民議会解散を発表。
5月12日、国民議会議員選挙が実施され、東ティモール再建国民評議会(CNRT)、国民解放党(PLP)、東ティモールの尊厳と繁栄を希求する政治団体(KHUNTO)の3党が連合を組んだAMPが過半数を占める。
6月22日、ルアク新首相(PLP党首)率いる第8次立憲政府発足。
2020年 1月17日,国民議会における2020年度予算案審議に際して,政権与党AMP内の分断により同案が否決されたことを契機に,各政党間で新たな合従連衡が模索された。その結果,5月29日までに,フレテリン,PLP,KHUNTO,民主党(PD)の4党からなる新たな国民議会多数派を基盤に第8次立憲政府が運営される体制が確立され,同日及び6月24日に,同体制に基づく内閣改造が行われた。