東魏

(534~550) 魏(東魏)(北朝)

魏(東魏)(北朝)

英語による名称Dōng Wèi
首都
建国534
没年550

国情報

534〜550
魏(東魏)(北朝)

南北朝時代の534年、北魏が分裂したとき、将軍高歓が孝静帝を擁立し、鄴(ぎょう)を都にして建国。550年、子の高洋が北斉を建国して滅亡。→魏

南北朝時代の北朝の王朝。北魏末の内乱中,旧北鎮民をひきいる高歓は,河北漢人貴族の協力を得,北魏の宗室を頂いて政権を建てたが,534年(天平1)孝武帝が関中の宇文泰側に走ったため,改めて孝静帝を立て,華北は東西両魏に二分された。東魏は鄴(ぎよう)を首都としたが,高歓,ついでその子高澄は太原に軍府を置いて実権をにぎり,西魏と激しい攻防戦を展開した。550年(武定8)高澄の死を契機にその弟高洋が政権を奪って北斉を建てた。

南北朝時代の王朝(534~556)。北魏が東西に分裂してできた王朝で、実権は高歓(こうかん)が握っており、第2子の高洋が帝位を譲らせて北斉(ほくせい)を建て東魏は滅んだ。

南北朝時代,北朝の北魏が分裂して鄴を都に建てた王朝
鮮卑 (せんぴ) の出身といわれる高歓 (こうかん) が孝静帝を立てて北魏の実権を握り,鄴 (ぎよう) に都を移して東魏と称した。宇文泰 (うぶんたい) が実権を握った西魏と争ったが戦死し,のち子の高洋が自立して北斉 (ほくせい) を称した。

【魏晋南北朝時代】より
…この反乱を契機に北魏は東西に分裂した。 六鎮出身者である高歓と宇文泰がそれぞれ北魏の宗室を天子に推戴して,東魏西魏の両魏政権を樹立した。東西両魏はやがてそれぞれの実力者によって簒奪され,北斉・北周両政権に脱皮した。…