行快

行快(読み)ぎょうかい
世界大百科事典 第2版「行快」の解説
ぎょうかい【行快
鎌倉時代前期の仏師。生没年不詳。快慶の弟子で,1221年(承久3)ころ京都大報恩寺の本尊釈迦如来座像を造る。1219年の長谷寺十一面観音像の再興造営には快慶を補佐して当たり,光背を造ったという記録がある。また,1251年(建長3)から66年(文永3)の間に造営された蓮華王院(三十三間堂)の千体千手観音の1体に彼の銘があり,大報恩寺像とともに快慶の影響が認められる。【佐藤 昭夫】

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行快(1)(読み)ぎょうかい
デジタル版 日本人名大辞典+Plus「行快(1)」の解説
行快(1) ぎょうかい
?-? 鎌倉時代の仏師。
快慶の弟子。承久(じょうきゅう)3年(1221)ごろ京都大報恩寺(千本釈迦(せんぼんしゃか)堂)本尊の木造釈迦如来坐像(重文)をつくる。蓮華(れんげ)王院(三十三間堂)の木造千手観音(せんじゅかんのん)立像(重文)千体のひとつに「巧匠法眼(ほうげん)行快」の銘がある。

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行快(2)(読み)ぎょうかい
デジタル版 日本人名大辞典+Plus「行快(2)」の解説
行快(2) ぎょうかい
?-? 江戸時代中期の神職。
越前(えちぜん)(福井県)敦賀(つるが)藩主酒井忠稠(ただしげ)の4男。宝永2年(1705)京都祇園社(八坂神社)の宝寿院をつぎ,祇園社社務執行となる。宝寿院伝来の古文書,古記録の保存,記録につとめ,「祇園社記」25冊などをのこした。幼名は末麿(季麿)。

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