綏靖天皇

綏靖天皇

すいぜいてんのう
 -632..~-549.5.10
別:神渟名川耳尊(かむぬなかわみみのすめら)
父:神武天皇(じんむてんのう)の第三子
母:媛蹈韃五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめ)
室:五十鈴依媛命(いすずよりひめ)(母の妹)(父:事代主神(磯城県主?))
子:磯城津彦玉手看天皇安寧天皇

第2代天皇
第2代に数えられる天皇。名はカンヌナカワミミノミコト。神武天皇の第3皇子,母は皇后ヒメタタライスズヒメノミコト。皇太子になっていたが,父神武天皇の没後,政務をとっていた庶兄タキシミミノミコトが皇位を望んで皇太子を除こうとしたので,皇兄カンヤイミミノミコトとはかり,タキシミミノミコトを殺して即位し,大和葛城高丘宮に都したと伝えられる。イスズヨリヒメノミコトを立てて皇后とした。陵墓は奈良県橿原市四条町の桃花鳥田丘上陵 (つぎだのおかのへのみささぎ) 。

天皇は風采が整い、立派であった。幼い頃より気象が雄々しく、壮年になって要し優れ堂々としていた。武芸に優れ志は高く厳かであったという。

神武天皇の没後長兄の手研耳尊が自分たち異母弟を殺害しようとしているのを知り、これを討って即位する。

葛城高丘宮(奈良県御所市)に皇居を定め、母の妹である五十鈴依媛を娶って皇后とする。
在位33年で没し、大和の桃花鳥田丘上陵に葬られた。

綏靖天皇(神渟名川耳尊)

  生没年:BC632-BC549
  父:神武天皇
    BC619-BC581 皇太子
    BC581-BC549 綏靖天皇
  皇后:五十鈴依媛命(父:事代主神(磯城県主?))
    BC577-BC511 磯城津彦玉手看尊

皇居・葛城高丘宮(かつらぎのたかおかのみや)

陵墓・陵名: 桃花鳥田丘上陵(つさだのおかのえのみささぎ)

古墳: 塚山古墳

形状: 円丘

所在: 奈良県橿原市四条町

綏靖天皇(神渟名川耳尊)

  生没年:BC632-BC549
  父:神武天皇
    BC619-BC581 皇太子
    BC581-BC549 綏靖天皇
  皇后:五十鈴依媛命(父:事代主神(磯城県主?))
    BC577-BC511 磯城津彦玉手看尊

略歴 (紀元前)

BC632--神武29年 生誕
BC619--神武42年01月03日 立太子
BC582-己卯-11月 腹違いの兄手研耳尊を討つ
BC581-庚辰-綏靖01年01月08日 即位
BC580-辛巳-綏靖02年01月 五十鈴依媛を皇后とする
BC578-癸未-綏靖04年04月 兄の上八井耳尊が没す。畝傍山の北に葬る。
BC577-甲申-綏靖05年 磯城津彦玉手看尊(安寧天皇)生誕
BC557-甲辰-綏靖25年01月07日 磯城津彦玉手看尊(安寧天皇)を皇太子とする
BC549-癸丑-綏靖33年05月10日 崩御


彦五瀬命
稲飯命
三毛入野命
神武天皇━┳━手研耳尊
     ┣━神八井命
     ┗━神渟名川耳尊(綏靖天皇)━┳━磯城津彦玉手看天皇安寧天皇
                    ┗━渟名底仲媛命


天皇家


綏靖天皇

すいぜいてんのう
 -632..~-549.5.10

別:
神渟名川耳尊(かむぬなかわみみのすめら)
父:
神武天皇(じんむてんのう)の第三子
母:
皇后媛蹈韃五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめ)
室:
五十鈴依媛命(いすずよりひめ)(母の妹)(父:事代主神(磯城県主?))
子:
磯城津彦玉手看天皇安寧天皇

第2代天皇
第2代に数えられる天皇。皇太子になっていたが,父神武天皇の没後,政務をとっていた庶兄手研耳尊(タキシミミノミコト)が皇位を望んで皇太子を除こうとしたので,皇兄神八井命(カンヤイミミノミコト)とはかり,手研耳尊を殺して即位し,大和葛城高丘宮に都したと伝えられる。五十鈴依媛命を立てて皇后とした。陵墓は奈良県橿原市四条町の桃花鳥田丘上陵 (つぎだのおかのへのみささぎ) 。

天皇は風采が整い、立派であった。幼い頃より気象が雄々しく、壮年になって要し優れ堂々としていた。武芸に優れ志は高く厳かであったという。

神武天皇の没後長兄の手研耳尊が自分たち異母弟を殺害しようとしているのを知り、これを討って即位する。

葛城高丘宮(奈良県御所市)に皇居を定め、母の妹である五十鈴依媛を娶って皇后とする。
在位33年で没し、大和の桃花鳥田丘上陵に葬られた。

皇居・葛城高丘宮(かつらぎのたかおかのみや)
陵墓・陵名: 桃花鳥田丘上陵(つさだのおかのえのみささぎ)
古墳: 塚山古墳
形状: 円丘
所在: 奈良県橿原市四条町

略歴 (紀元前)

BC632--神武29年 生誕
BC619--神武42年01月03日 立太子
BC582-己卯-11月 腹違いの兄手研耳尊を討つ
BC581-庚辰-綏靖01年01月08日 即位
BC580-辛巳-綏靖02年01月 五十鈴依媛を皇后とする
BC578-癸未-綏靖04年04月 兄の上八井耳尊が没す。畝傍山の北に葬る。
BC577-甲申-綏靖05年 磯城津彦玉手看尊(安寧天皇)生誕
BC557-甲辰-綏靖25年01月07日 磯城津彦玉手看尊(安寧天皇)を皇太子とする
BC549-癸丑-綏靖33年05月10日 崩御


彦五瀬命
稲飯命
三毛入野命
神武天皇━┳━手研耳尊
     ┣━神八井命
     ┗━神渟名川耳尊(綏靖天皇)━┳━BC577-BC511 磯城津彦玉手看天皇安寧天皇
                    ┗━渟名底仲媛命


第2代 綏靖天皇
すいぜいてんのう

(-632..~-549.5.10)

別名:神渟名川耳尊(かむぬなかわみみのすめら)、神渟名川耳天皇(かむぬなかわみみのすめらみこと)。神渟名川耳(かんぬなかわみみ)。
父:神武天皇の第3皇子(末子)。
母:媛蹈韃五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめ)
妻:五十鈴依媛命(いすずよりひめ)(母の妹)
子:磯城津彦玉手看天皇安寧天皇

第2代天皇
神渟名川耳尊かむぬなかわみみのみことの漢風諡号しごう。庶兄、手研耳命たぎしみみのみことと皇位を争った。都は大和国葛城かずらき高丘宮。
天皇は風采が整い、立派であった。幼い頃より気象が雄々しく、壮年になって要し優れ堂々としていた。武芸に優れ志は高く厳かであったという。

『日本書紀』によれば、国風諡号(しごう)は神渟名川耳尊(かんぬなかわみみのみこと)。神武天皇の没後、庶兄手研耳命(たぎしみみのみこと)を討って綏靖元年即位、都を葛城(かつらぎ)(奈良県御所(ごせ)市の南部)の高丘宮(たかおかのみや)に定め、同2年、母の妹五十鈴依媛命(いすずよりひめのみこと)を皇后とし、同33年に84歳(『古事記』では45歳)で没して倭(やまと)の桃花鳥田丘上陵(つきだのおかのかみのみさざき)に葬られたという。

「日本書紀」の記述によれば、葛城高丘宮(かずらきのたかおかのみや)に遷都し、在位三三年、綏靖天皇33年5月10日死去。84歳(「古事記」では四五歳)。

大和国葛城(かつらぎ)の高丘宮(たかおかのみや)を都にしたという。

皇太子になっていたが,父神武天皇の没後,政務をとっていた庶兄タキシミミノミコトが皇位を望んで皇太子を除こうとしたので,皇兄カンヤイミミノミコトとはかり,タキシミミノミコトを殺して即位し,大和葛城高丘宮に都したと伝えられる。イスズヨリヒメノミコトを立てて皇后とした。

神武天皇の没後長兄の手研耳尊が自分たち異母弟を殺害しようとしているのを知り、これを討って即位する。

48歳のとき父が死に,翌年即位。都は葛城(かずらき)の高丘宮(たかおかの)(御所市)。

『日本書紀』により第2代と伝えられる天皇。名は神渟名川耳。母は『古事記』では三輪山の神大物主の娘,『日本書紀』では事代主神の娘とする。父の死後,異母兄の手研耳命(タギシミミノミコト)が綏靖の母と結婚し,さらに王位を奪うために弟たちの殺害を企てた。綏靖は兄と共に逆にこれを討つが,このとき兄は手足がふるえタギシミミ殺害を果たせず,綏靖は一矢で仕留めた。その勇猛ぶりにより,弟ではあるが王位に就いたとされる。初代の死後早くも起きた王位をめぐる闘争劇であり,資格ある者のうち力のある者が王位を得るとする思想を語っていよう。

【手研耳命】より
…《日本書紀》神武天皇条には,神武天皇が日向にいたときに吾平津媛(あひらつひめ)と結婚して生まれた子とある。《日本書紀》綏靖天皇条には,神武天皇の死に際し,タギシミミは天子の位をねらい,禍(まが)の心で,神八井耳(かむやいみみ)命,神渟名川耳(かむぬなかわみみ)尊(綏靖天皇)の2兄弟(母は姫踏鞴五十鈴媛(ひめたたらいすずひめ)命)を殺害しようとし,逆にカムヌナカワミミによって射殺されたとされている。【西宮 一民】。…

神武天皇の没後長兄の手研耳尊が自分たち異母弟を殺害しようとしているのを知り、これを討って即位する。

葛城高丘宮(奈良県御所市)に皇居を定め、母の妹である五十鈴依媛を娶って皇后とする。
在位33年で没し、大和の桃花鳥田丘上陵(つぎだのおかのへのみささぎ)(橿原市)に葬られた。

皇居・葛城高丘宮(かつらぎのたかおかのみや)
陵墓・陵名: 桃花鳥田丘上陵(つさだのおかのえのみささぎ)
古墳: 塚山古墳
形状: 円丘
所在: 奈良県橿原市四条町

				

彦五瀬命
稲飯命
三毛入野命
神武天皇━━━━━┳━手研耳尊
 ||       ┣━神八井命
媛蹈韃五十鈴媛命 ┗━綏靖天皇
            ||
           五十鈴依媛━┳━安寧天皇
                 ┗━渟名底仲媛命
略歴

  • 632 神武29年 神渟名川耳尊(綏靖天皇)生誕
  • 619 神武天皇、神渟名川耳尊(綏靖天皇)を皇太子とする 神武42年01月03日
  • 582 -己卯-11月 腹違いの兄手研耳尊を討つ
  • 581 第2代 綏靖天皇(神渟名川耳尊)が葛城高丘宮で即位。(綏靖天皇元(前581)正.8~綏靖天皇33(前549)5.10)
  • 580 綏靖02年01月 綏靖天皇(神渟名川耳尊)が五十鈴依媛を皇后とする。
  • 578 -癸未-綏靖04年04月 兄の上八井耳尊が没す。畝傍山の北に葬る。
  • 577 -甲申-綏靖05年 磯城津彦玉手看尊(安寧天皇)生誕
  • 557 -甲辰-綏靖25年01月07日 磯城津彦玉手看尊(安寧天皇)を皇太子とする
  • 549 -癸丑-綏靖33年05月10日 綏靖天皇崩御84歳
  • 549 -癸丑-安寧元年10月11日 父綏靖天皇を倭の桃花鳥田丘上陵に葬る

綏靖天皇(読み)すいぜいてんのう
朝日日本歴史人物事典「綏靖天皇」の解説
綏靖天皇
『日本書紀』により第2代と伝えられる天皇神武天皇の末子。名は神渟名川耳。母は『古事記』では三輪山の神大物主の娘,『日本書紀』では事代主神の娘とする。父の死後,異母兄の手研耳命(タギシミミノミコト)が綏靖の母と結婚し,さらに王位を奪うために弟たちの殺害を企てた。綏靖は兄と共に逆にこれを討つが,このとき兄は手足がふるえタギシミミ殺害を果たせず,綏靖は一矢で仕留めた。その勇猛ぶりにより,弟ではあるが王位に就いたとされる。初代の死後早くも起きた王位をめぐる闘争劇であり,資格ある者のうち力のある者が王位を得るとする思想を語っていよう。葛城高丘(御所市)に宮を営み,桃花鳥田丘上陵(橿原市)に葬られたと伝える。

(溝口睦子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
日本大百科全書(ニッポニカ)「綏靖天皇」の解説
綏靖天皇
すいぜいてんのう

皇室系譜に第2代と伝える天皇。『日本書紀』によれば、国風諡号(しごう)は神渟名川耳尊(かんぬなかわみみのみこと)。神武(じんむ)天皇の第3子で、母は媛蹈韛五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)。神武天皇の没後、庶兄手研耳命(たぎしみみのみこと)を討って綏靖元年即位、都を葛城(かつらぎ)(奈良県御所(ごせ)市の南部)の高丘宮(たかおかのみや)に定め、同2年、母の妹五十鈴依媛命(いすずよりひめのみこと)を皇后とし、同33年に84歳(『古事記』では45歳)で没して倭(やまと)の桃花鳥田丘上陵(つきだのおかのかみのみさざき)に葬られたという。

[星野良作]
[参照項目] | 神武天皇

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「綏靖天皇」の解説
綏靖天皇
すいぜいてんのう
第2代に数えられる天皇。名はカンヌナカワミミノミコト。神武天皇の第3皇子,母は皇后ヒメタタライスズヒメノミコト。皇太子になっていたが,神武天皇の没後,政務をとっていた庶兄タキシミミノミコトが皇位を望んで皇太子を除こうとしたので,皇兄カンヤイミミノミコトとはかり,タキシミミノミコトを殺して即位し,大和の葛城高丘宮(かづらきのたかおかのみや)に都したと伝えられる。イスズヨリヒメノミコトを立てて皇后とした。陵墓は奈良県橿原市四条町の桃花鳥田丘上陵(つきだのおかのえのみささぎ)。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
デジタル版 日本人名大辞典+Plus「綏靖天皇」の解説
綏靖天皇 すいぜいてんのう
記・紀系譜による第2代天皇
父は神武(じんむ)天皇。母は媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)。伝説上の人物ともいわれる。「日本書紀」によると,48歳のとき父が死に,翌年即位。都は葛城(かずらき)の高丘(たかおかの)宮。綏靖天皇33年5月10日死去。84歳。墓所は桃花鳥田丘上陵(つきだのおかのえのみささぎ)(奈良県橿原市)。別名は神渟名川耳天皇(かむぬなかわみみのすめらみこと)。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
精選版 日本国語大辞典「綏靖天皇」の解説
すいぜい‐てんのう ‥テンワウ【綏靖天皇
第二代と伝える天皇神武天皇の第三皇子。名は神渟名川耳尊(かんぬなかわみみのみこと)。母は媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)。「日本書紀」の記述によれば、葛城高丘宮(かずらきのたかおかのみや)に遷都し、在位三三年、八四歳(「古事記」では四五歳)で没。

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
デジタル大辞泉「綏靖天皇」の解説
すいぜい‐てんのう〔‐テンワウ〕【綏靖天皇
記紀で、第2代の天皇神武天皇の第3皇子。名は神渟名川耳。大和国葛城の高丘宮を都にしたという。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
世界大百科事典内の綏靖天皇の言及
【手研耳命】より

…《日本書紀》神武天皇条には,神武天皇が日向にいたときに吾平津媛(あひらつひめ)と結婚して生まれた子とある。《日本書紀》綏靖天皇条には,神武天皇の死に際し,タギシミミは天子の位をねらい,禍(まが)の心で,神八井耳(かむやいみみ)命,神渟名川耳(かむぬなかわみみ)尊(綏靖天皇)の2兄弟(母は姫踏鞴五十鈴媛(ひめたたらいすずひめ)命)を殺害しようとし,逆にカムヌナカワミミによって射殺されたとされている。【西宮 一民】。…

※「綏靖天皇」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報


綏靖天皇

すいぜいてんのう

綏靖天皇
すいぜいてんのう
別名
神沼河耳命:かむぬなかはみみのみこと
神渟名川耳尊:かむぬなかはみみのみこと
……
欠史八代の一人。
第二代天皇。初代・神武天皇の第三皇子。
古事記』によると、神武天皇は即位して伊須気余理比売命と結婚され、 日子八井命、神八井耳命、神沼河耳命の三柱の御子をもうけられた。
『日本書紀』には、日子八井命は登場せず、媛蹈鞴五十鈴媛との間に、神八井命、神渟名川耳尊のみが生まれたとある。 『先代旧事本紀』には、日子八井命は弟・神八井耳命の御子とある。
神八井耳命と神沼河耳命の兄弟が、腹違いの兄・多芸志美美命を殺し、 その時、神八井耳命は臆したため、弟の神沼河耳命が皇位を継いだ。
葛城の高岡宮にて統治された。
綏靖天皇は、師木県主の祖・河俣毘売を娶って、師木津日子玉手見命(のちの第三代天皇安寧天皇)を生む。
御稜は、衝田崗(桃花鳥田丘上陵:橿原市四条町)。


天皇家