賀陽宮家
賀陽宮家
かやのみや
1900 創設~1947 皇籍離脱 1986 直系断絶
賀陽宮家は、1900年に久邇宮朝彦親王の第2王子・邦憲親王(くにのり)(1867-1909)が創始した。宮号は、朝彦親王が用いた旧称であり、邸内にあったカヤの老樹に因んでいる。1947年に2代・恒憲王(つねのり)(1900-1978)の時に皇籍離脱し、賀陽姓になった。
賀陽宮(1900年5月8日創設、1947年皇籍離脱、1986年直系断絶)
邦憲王(くにのりおう)
生没年:1867/ 7/ 2~1909/12/ 8 42.5歳没(慶応3年6月1日~明治42年12月8日)
父:久邇宮 朝彦親王第2王子
母:家女房・泉亭静枝子
1867/ 7/ 2 誕生
巌宮
1892/11/17 賀陽宮の称を賜わる(この時点では宮家当主ではない、25.4歳)
1892/11/26 結婚(25.4歳)
1893/11/ 3 勲一等旭日桐花大綬章(26.4歳)
1895 伊勢神宮祭主(28歳)
1900/ 5/ 8 賀陽宮創設(大正天皇の結婚祝賀の一環として、32.10歳)
1903/11/ 3 大勲位菊花大綬章(36.4歳)
1909/12/ 8 卒去(42.5歳)
妃:醍醐好子(侯爵 醍醐忠順女)1865~1941(慶応元~昭和16)
第一王女 由紀子女王 1895~1946(明治28~昭和21)(子爵 町尻量基夫人)
第一王子 恒憲王・2代 1900~1978(明治33~昭和53)
第二王女 佐紀子女王 1903~1923(明治36~大正12)(山階宮 武彦王妃)
醍醐好子(だいご よしこ)
生没年:1865~1941 76歳没
父:醍醐忠順(侯爵)・1女
1865 誕生
1892/11/26 王妃 結婚(27歳)
1906/11/ 3 勲一等宝冠章(勲二等より昇叙、41歳)
1909/12/ 8 邦憲(夫)、死去(44歳)
1941 死去(76歳)
夫:賀陽宮 邦憲王
実家の醍醐家で、家督を相続できなかった長兄(忠告)の子が、家督相続した
次兄(忠敬)とその娘を射殺するという事件があった。
由紀子女王(ゆきこ)
生没年:1895/11/23~1946/ 1/11 50.1歳没(明治28~昭和21)
父:賀陽宮 邦憲王
夫:町尻量基(町尻子爵家、町尻量弘・養子)
1895/11/23 誕生
1915/ 4/30 降嫁 結婚(19.5歳)
1946/ 1/11 死去(50.1歳)
恒憲王(つねのりおう)・2代
生没年:1900/ 1/27~1978/ 1/ 3(明治33年 1月27日~昭和53年 1月3日)
父:賀陽宮 邦憲王
母:醍醐好子(侯爵 醍醐忠順の長女)
1900/ 1/27 誕生
1920/12/25 勲一等旭日桐花大綬章(20.10歳)
1921/ 5/ 3 結婚(21.3歳)
1922/ 4/21 邦寿(1王子)誕生(22.2歳)
1923/ 7/29 美智子(1王女)誕生(23.6歳)
1926/ 7/ 3 治憲(2王子)誕生(26.5歳)
1929/ 8/17 章憲(3王子)誕生(29.6歳)
1930/12/ 7 大勲位菊花大綬章(30.10歳)
1931 妃と共にアメリカ、欧州、エジプトを訪問(31歳)
1931/ 7/12 文憲(4王子)誕生(31.5歳)
1935/11/24 宗憲(5王子)誕生(35.9歳)
1942/ 8/ 5 健憲(6王子)誕生(42.6歳)
1940/ 4/29 功三級金鵄勲章(40.3歳)
貴族院議員
1943 陸軍中将
1909~1947 賀陽宮・2代
1947/10/14 皇籍離脱(賀陽恒憲)(47.8歳)
日清生命社友会会長
1978/ 1/ 3 死去(77.11歳)
妃:九条敏子(従一位勲一等 公爵 九条道実の五女)1903~1995(明治36~平成 7)
第一王子 邦壽王(賀陽邦寿) 1922~1986(大正11~昭和61)
第一王女 美智子女王 1923~2009(大正12~平成21)(徳大寺斉定夫人)(*のち離縁)
第二王子 治憲王(賀陽治憲) 1926~2011(大正15~平成23)
第三王子 章憲王(賀陽章憲) 1929~1994(昭和 4~平成 6)
第四王子 文憲王(賀陽文憲) 1931~(昭和6/1931~)
第五王子 宗憲王(賀陽宗憲) 1935~2017(昭和10~平成29)
第六王子 健憲王(賀陽健憲) 1942~2017(昭和17~平成29)
佐紀子女王(さきこ)
生没年:1903/ 3/30~1923/ 9/ 1 20.5歳没 19031923(明治36~大正12)
父:賀陽宮 邦憲王
1923/ 9/ 1の関東大震災で死去(鎌倉市の由比ヶ浜別邸にて被災)、妊娠中であった。
夫:山階宮・武彦王
賀陽家 かや
恒憲王(つねのりおう)・2代
九条敏子(くじょう としこ)
生没年:1903/ 5/16 1995/ 3/23
父:九条道実(公爵、貞明皇后の異母兄)・5女(九条家)
1903/ 5/16 誕生
1921/ 5/ 3 結婚(17.11歳)
1922/ 4/21 邦寿(1王子)誕生(18.11歳)
1923/ 7/29 美智子(1王女)誕生(20.2歳)
1926/ 7/ 3 治憲(2王子)誕生(23.1歳)
1929/ 8/17 章憲(3王子)誕生(26.3歳)
1931/ 5/27 勲一等宝冠章(勲二等より昇叙、28.0歳)
1931/ 7/12 文憲(4王子)誕生(28.1歳)
1935/11/24 宗憲(5王子)誕生(32.6歳)
1942/ 8/ 5 健憲(6王子)誕生(39.2歳)
1947/10/14 皇籍離脱(44.4歳)
1978/ 1/ 3 恒憲(夫)、死去(74.7歳)
1986/ 4/16 邦寿(1王子) 死去(82.11歳)
1995/ 3/23 死去(91.10歳)
夫:賀陽宮 恒憲王
邦寿王(くにながおう)
生没年:1922/ 4/21~1986/ 4/16
父:賀陽宮 恒憲王
母:九条敏子(公爵 九条道実の五女)
1922/ 4/21 誕生
陸軍大尉
1941/10/ 1 勲一等旭日桐花大綬章(19.5歳)
1947/10/14 皇籍離脱(賀陽邦寿)(25.5歳)
東京銀行
日本国土開発
大阪化成取締役
賀陽政治経済研究所所長
1986/ 4/16 死去(63.11歳)
妻:津雲龍子(衆議院議員 津雲国利の二女)
妻:高木恒子 1930~(高木貞治の二女)
美智子女王(みちこ)
生没年:1923/ 7/29~2009(大正12~平成21)(*のち離縁)
1923/ 7/29
1943/12/28 勲二等宝冠章(結婚に伴い、20.4歳)
1943/12/29 降嫁・結婚(20.5歳)(徳大寺斉定夫人)(徳大寺実厚・公爵・2男)
1945/ 9/ 離婚(22.2歳)(賀陽美智子)
治憲王(はるのりおう)
生没年:1926/ 7/ 3~2011/ 6/ 5
父:賀陽宮 恒憲王
母:九条敏子(公爵 九条道実の五女)
1926/ 7/ 3 誕生
1946 貴族院議員
1947/10/14 皇籍離脱(賀陽治憲)(21.3歳)
1950 外務省入省
1979 外務省国際連合局長(-1981年)
1981 駐イスラエル特命全権大使(-1983年)
1983 駐デンマーク特命全権大使(-1986年)
1987 外務省研修所長
1989 駐ブラジル特命全権大使(-1991年)
2011/ 6/ 5 死去(84.11歳)
妻:松田朝子 1935~(男爵 松田正之の長女)
章憲王(あきのりおう)
生没年:1929/ 8/17~1994/11/ 4
父:賀陽宮恒憲王【賀陽恒憲】
母:九条敏子(公爵 九条道実の五女)
妻:良子
1929年 誕生
1947/10/14 皇籍離脱(賀陽章憲)(18.1歳)
第一勧業銀行
1994/11/ 4 死去(65.2歳)
章憲王(ふみのりおう)
生没年:1931~1994(昭和 6~平成 6)
父:賀陽宮 恒憲王
母:九条敏子(公爵 九条道実の五女)
1931/ 7/12 誕生
1947/10/14 皇籍離脱(賀陽文憲)(16.3歳)
高島屋
宗憲王(むねのりおう)
生没年:1935~
父:賀陽宮 恒憲王
母:九条敏子(公爵 九条道実の5女)
1935/11/24 誕生
1947/10/14 皇籍離脱(賀陽宗憲)(11.10歳)
味の素
妻:藤居和子 1940~1990(藤居勝正の2女)
健憲王(たけのりおう)
生没年:1942~2017(昭和17~平成29)
父:賀陽宮 恒憲王
母:九条敏子(公爵 九条道実の五女)
1942/ 8/ 5 誕生
1947/10/14 皇籍離脱(賀陽健憲)(5.2歳)
日本交通公社
賀陽宮家
久邇宮 朝彦親王━━━邦憲王━┳━由紀子女王(町尻量基夫人)
┣━恒憲王(賀陽恒憲)━━━━━━━━━━━━━┓
┗━佐紀子女王(武彦王妃) ┃
┃
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
┣━邦寿王(賀陽邦寿)
┣━美智子女王(徳大寺斉定夫人)
┣━治憲王(賀陽治憲)
┣━章憲王(賀陽章憲)
┣━文憲王(賀陽文憲)
┣━宗憲王(賀陽宗憲)
┗━健憲王(賀陽健憲)
天皇家、賀陽宮家