邦憲王

邦憲王

くにのりおう
 1867/ 7/ 2~1909/12/ 8(慶応3年6月1日~明治42年12月8日) 42.5歳没
別:幼称、巌宮(いわのみや)のち巌麿王、賀陽宮 邦憲王(かやのみや)
 1867/ 7/ 2 誕生、巌宮
 1892/11/17 賀陽宮の称を賜わる(この時点では宮家当主ではない、25.4歳)
 1892/11/26 結婚(25.4歳)
 1893/11/ 3 勲一等旭日桐花大綬章(26.4歳)
 1895    伊勢神宮祭主(28歳)
 1900/ 5/ 8 賀陽宮創設(大正天皇の結婚祝賀の一環として、32.10歳)
 1903/11/ 3 大勲位菊花大綬章(36.4歳)
 1909/12/ 8 卒去(42.5歳)
父:久邇宮 朝彦親王の第2王子
母:家女房・泉亭静枝子(いずみてい)
室:醍醐好子(侯爵 醍醐忠順の第1女)1865~1941(慶応元~昭和16)
子:第一王女 由紀子女王(子爵 町尻量基夫人) 1895~1946(明治28~昭和21)
  第一王子 恒憲王・2代 1900~1978(明治33~昭和53)
  第二王女 佐紀子女王(山階宮 武彦王妃) 1903~1923(明治36~大正12)

明治時代の皇族。
久邇宮(くにのみや、旧迩宮、中川宮)朝彦親王(あさひこ)の第2王子。賀陽宮初祖。神宮教院学寮に学ぶ。兄は幼少で亡くなる。自らも病身のため、弟の邦彦王(くによしおう)を久邇宮家継嗣とした。1828年、神宮祭主に任じられ、1833年、宮家を創立した。1892年、賀陽宮の称号を賜わる。宮号は、朝彦親王邸の榧の木に由来した。同年、醍醐好子(だいご)と結婚した。1900年、賀陽宮家を創立する。のち菊花大綬章を授けられた。1909年、明治42年12月8日卒去。43歳。

◆好子 江戸時代後期-近代の賀陽宮邦憲王妃・醍醐好子(だいご-よしこ、1865-1941(慶応元/1865 - 昭和16/1941))。公卿・ 醍醐忠順(だいご ただおさ)の第1女。母は不詳。1892年、賀陽宮邦憲王と婚姻した。1941年、賀陽宮邦憲王妃・好子卒去。76歳。


家の女房(いえのにょうぼう)
① 貴顕の家に仕える侍女。
② ①の中で特に、側室の地位にある者。


賀陽宮家

久邇宮 朝彦親王━━━邦憲王━┳━由紀子女王(町尻量基夫人)
               ┣━恒憲王・2代━━━━━━━━━━━━━━━━┓
               ┗━佐紀子女王(武彦王妃)           ┃
                                       ┃
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
┣━邦寿王(賀陽邦寿)
┣━美智子女王(徳大寺斉定夫人)
┣━治憲王(賀陽治憲)
┣━章憲王(賀陽章憲)
┣━文憲王(賀陽文憲)
┣━宗憲王(賀陽宗憲)
┗━健憲王(賀陽健憲)


天皇家賀陽宮家