飛鳥時代

   飛鳥時代(日本-日本-古墳時代飛鳥時代)
592古墳時代 → 飛鳥時代[592年~710年](日本-日本-古墳時代飛鳥時代)
59210法興寺の仏堂と歩廊に着工 10.4 崇峻天皇が謙譲された山猪を前にして「いつの日か、この山猪のごとくいやなあいつの首を落としてやろう」と言われたという。この噂を耳にした蘇我馬子が一ヶ月後の凶行に及ぶこととなったのか?(日本-日本-古墳時代飛鳥時代)
592113蘇我馬子の命令で東漢直駒に崇峻天皇を暗殺(日本-日本-古墳時代飛鳥時代)
592128敏達天皇の皇后だった額田部皇女(豐御食炊屋姫)が日本初の女帝として即位。第33代天皇・推古天皇となる(日本-日本-古墳時代飛鳥時代)
593用明天皇を科長に改葬(日本-日本-飛鳥時代)
593田村皇子(舒明天皇)生誕。(日本-日本-飛鳥時代)
593410聖徳太子が推古天皇の摂政に就任。国政総理の職掌を皇室に取り戻す(日本-日本-飛鳥時代)
593920塔の心柱を建てる。(日本-日本-飛鳥時代)
593127仏舎利を心礎の中に安置。(推古天皇)(日本-日本-飛鳥時代)
594宝皇女(皇極、斉明)生誕(日本-日本-飛鳥時代)
596軽(孝徳天皇)生誕(日本-日本-飛鳥時代)
59611法興寺落成。蘇我馬子の長子善徳臣が寺司に任じられ、高麗から帰化した、慧慈(えじ)、慧聡(えそう)の二人の僧がこの日から住まいした。(日本-日本-飛鳥時代)
599427地震(日本-日本-飛鳥時代)
600新羅征討計画。計3回の討伐で第一次は新羅の降伏。残りの2回は失敗におわる-603(東アジア-朝鮮、新羅、日本-)
601聖徳太子、班鳩宮をつくる(日本-日本-飛鳥時代)
601115新羅を攻める軍議(日本-日本-飛鳥時代)
602中国の玄奘三蔵生誕(日本-日本-飛鳥時代)
60241来目皇子が筑紫に向け出発(日本-日本-飛鳥時代)
602525来目皇子を新羅攻略の将軍とし軍兵25000人が授けられる。(日本-日本-飛鳥時代)
60263来目皇子は病気となり征討の役を果たせなくなる。(日本-日本-飛鳥時代)
603小墾田宮に移る冠位十二階制定太秦に広隆寺建立(日本-日本-飛鳥時代)
603冠位十二階を制定。氏姓制度にとらわれずに能力主義で人材を登用をする(日本-日本-)
60324来目皇子が薨去(後に河内の埴生山に葬られる)(日本-日本-飛鳥時代)
60341来目皇子の兄当麻皇子(たいまのみこ)を新羅征討将軍とする。(日本-日本-飛鳥時代)
60371当麻皇子が難波を出発したが播磨で同行していた妻が薨じ引き返してしまい征討は中止される。(日本-日本-飛鳥時代)
603104推古天皇が小墾田宮へ移る(奈良県明日香村)(日本-日本-飛鳥時代)
603111秦河勝が聖徳太子から仏像を受け京都・太秦に蜂岡寺(広隆寺)を造営(日本-日本-飛鳥時代)
603125冠位を施工。大徳・小徳・大仁・小仁・大礼・小礼・大信・小信・大義・小義・大智・小智、の12階。階毎に色が決まっていた。(日本-日本-飛鳥時代)
604聖徳太子(厩戸皇子)、十七条の憲法を作る、冠位十二階制を施工604年(東アジア-朝鮮、日本-)
604役人に初めて冠位を与える十七条憲法制定(和の精神、天皇へ服従、官吏の心得)(日本-日本-飛鳥時代)
60411諸臣に冠位を授けられ位付けされる(日本-日本-飛鳥時代)
60541推古天皇が丈6尺の仏像を作ると詔(飛鳥大仏) 4.8. 飛鳥大仏が完成し元興寺に納められる(日本-日本-飛鳥時代)
60655飛鳥大仏を作った鞍作鳥仏師に大仁の位と水田20町を与えられる。(日本-日本-飛鳥時代)
6067推古天皇の命により聖徳太子が勝鬘経の講義を3日間にわたって行う(日本-日本-飛鳥時代)
607法隆寺建立607年(東アジア-朝鮮、日本-)
607第2回遣随使(日本-日本-飛鳥時代)
607法隆寺創建(日本-日本-飛鳥時代)
607奈良に法隆寺(玉虫厨子(たまむしのずし)、釈迦三尊像(しゃかさんぞんぞう)、百済観音像(くだらかんのんぞう)など)を建立(世界最古の木造建造物)(日本-日本-飛鳥時代)
607敬神の詔 法隆寺建立 小野妹子らを遣隋使として派遣(日本-日本-)
607小野妹子を隋に遣隋使。聖徳太子が煬帝へ当てた手紙「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無しや、云々」。隋と倭を対等関係にしようとした。(東アジア-隋、日本-)
60773小野妹子が、隋の皇帝に宛てた「日出づる處の天子、日没する處の天子に致す。恙なきや」の国書を持参して出発(日本-日本-飛鳥時代)
608遣隋使小野妹子帰国(日本-日本-飛鳥時代)
608遣隋使小野妹子一行・隋使裴世清一行が対馬を通る。(対馬)(日本-日本-)
608第3回遣随使 「東の天皇、敬しみて西の皇帝に申し上げる。」の国書。天皇号の始まり(日本-日本-飛鳥時代)
6084隋からの客を同行して小野妹子帰国(日本-日本-飛鳥時代)
60895小野妹子は隋からの客に同行し大使として再び隋へ(日本-日本-飛鳥時代)
609肥後国に百済人80余人漂着(日本-日本、百済-飛鳥時代)
6099小野妹子帰国(日本-日本-飛鳥時代)
610高句麗僧、紙・墨・絵具の製法を伝える(日本-日本、高句麗-飛鳥時代)
612百済人味摩之,伎楽舞を日本に伝える(日本-呉(くれ)、百済、日本-)
612推古天皇の母の堅塩姫を欽明天皇稜(檜隈坂合陵)に合葬する。(日本-日本-飛鳥時代)
612220欽明天皇の妃、推古天皇の母でもあった蘇我堅塩媛を桧隈大陵に葬る(日本-日本-飛鳥時代)
613難波より大和に至る大道開通(日本-日本-飛鳥時代)
613915聖徳太子が『維摩経義琉[ゆいまきょうぎしょ]』を著す(日本-日本-飛鳥時代)
614犬上御田鍬を隋に派遣(翌年帰国)(日本-日本-飛鳥時代)
616掖玖人30人(南方の屋久島島民)来渡(日本-日本-飛鳥時代)
620この年、聖徳太子は自分の墓所を造営する(大阪府南河内郡太子町叡福寺)(日本-日本-飛鳥時代)
62010欽明稜(檜隈坂合陵)で欽明天皇と堅塩姫を祀る大柱の儀式が行われた。(日本-日本-飛鳥時代)
620121聖徳太子が蘇我馬子らとともに『天皇記』『国記』を編纂(日本-日本-飛鳥時代)
621新羅来貢し、初めて上表する(日本-日本-飛鳥時代)
62125聖徳太子が薨去。蘇我一族の専横がはじまる(日本-日本-飛鳥時代)
622聖徳太子死去(日本-日本-飛鳥時代)
623留学生恵日ら帰国、唐との国交を建言(日本-日本-飛鳥時代)
624蘇我馬子、葛城県を要求、天皇許さず(日本-日本-飛鳥時代)
626蘇我馬子死し、その子蝦夷、大臣となる長雨による大飢饉(日本-日本-飛鳥時代)
626葛城皇子(天智天皇)生誕(日本-日本-飛鳥時代)
626520大臣蘇我馬子歿。桃原墓に葬られる(現在の石舞台といわれている)。年齢は76歳だと思われる(日本-日本-飛鳥時代)
626520蘇我馬子死し、その子蝦夷、大臣となる 長雨による大飢饉(日本-日本-飛鳥時代)
627貞観の治(-649)(日本-日本-飛鳥時代)
62832皆既日食(日本書紀)(日本-日本-飛鳥時代)
62837第33代推古天皇が崩御(75歳)(日本-日本-飛鳥時代)
628924推古天皇を竹田皇子陵に追葬する。(日本-日本-飛鳥時代)
629田部(耕地民)連を掖玖(やく)に派遣(日本-日本-飛鳥時代)
62914田村皇子が即位し第34代舒明天皇となる(日本-日本-飛鳥時代)
62914第34代 舒明天皇(日本-日本-)
63085犬上御田鍬・藥師惠日を第1回遣唐使として唐に派遣される。第6回(669)頃まで壱岐・対馬を経由するコースを利用。(日本-日本-飛鳥時代)
630102舒明天皇が都を岡本宮に移す(日本-日本-飛鳥時代)
631百済王子豊璋、人質として来日(日本-日本、百済-飛鳥時代)
632犬上御田鍬、唐使高表仁を伴い帰国(日本-日本-飛鳥時代)
632104第1回遣唐使が帰国(日本-日本-飛鳥時代)
634伝説による役小角(役行者)の生誕(日本-日本-飛鳥時代)
6348南の空に彗星が現れる。(日本-日本-飛鳥時代)
6353彗星は廻って東の空に見える(日本-日本-飛鳥時代)
6357剣池に1本の茎に二つの花が咲く蓮があった。(日本-日本-飛鳥時代)
636大旱魃で飢饉広がる(日本-日本-飛鳥時代)
636干ばつで国中の人が飢える(日本-日本-飛鳥時代)
63611日食(東アジア-日本、百済-飛鳥時代)
6365洪水災害(日本-日本-飛鳥時代)
6366岡本宮が火災(日本-日本-飛鳥時代)
638719大風で立木や家を壊す(日本-日本-飛鳥時代)
639112空に雲がないのに雷が鳴る(日本-日本-飛鳥時代)
6391214舒明天皇が伊予温湯宮(愛媛県松山市の道後温泉)へ行幸。(日本-日本-飛鳥時代)
6391214百済川(曽我川)(奈良県広陵町)に九重の塔を建てる(百済寺)(日本-日本-飛鳥時代)
640高向玄理・南淵請安ら帰国(日本-日本-飛鳥時代)
641315蘇我石川麻呂の発願による山田寺(浄土寺)の造営が始まる。(日本-日本-飛鳥時代)
641109第34代舒明天皇崩御(49歳)。(日本-日本-飛鳥時代)
642蝦夷の子蘇我入鹿執政となる(日本-日本-飛鳥時代)
642この年蝦夷は今木(御所市東南)に双墓を造り大きい方を自分の墓とし小さい方を入鹿の墓とした。このとき使役した部民が聖徳太子養育のため定められた部民であったため上宮大娘姫(過密宮のいらつめ)(聖徳太子の母)は怒る(日本-日本-飛鳥時代)
642115舒明天皇の皇后・寶皇女が即位し第35代天皇・皇極天皇に(日本-日本-飛鳥時代)
64211501/15 第35代 皇極天皇(日本-日本-)
642919皇極天皇が蘇我蝦夷に板蓋宮を造ることを命じる(日本-日本-飛鳥時代)
642921越(こし)の国の辺境に住む蝦夷数千人が大和政権に帰順(日本-日本-飛鳥時代)
6421213舒明天皇の喪葬の儀が行われる。皇極はこの日に豊浦宮から小墾田宮に移る(日本-日本-飛鳥時代)
6421221舒明天皇を滑谷岡(なめはざまのおか)に奉葬する。(日本-日本-飛鳥時代)
643入鹿、山背大兄王を襲い、王一族自害(日本-日本-飛鳥時代)
643428皇極天皇が飛鳥板蓋宮に都を移す(日本-日本-飛鳥時代)
643516月食(日本-日本-飛鳥時代)
64396舒明天皇を押坂陵に改葬する。(日本-日本-飛鳥時代)
643911吉備姫薨去(皇極と孝徳の母)(日本-日本-飛鳥時代)
643917吉備姫の葬儀(日本-日本-飛鳥時代)
643106蘇我蝦夷が自分の子である入鹿に勝手に紫冠を授け大臣としてしまう。(日本-日本-飛鳥時代)
6431012蘇我入鹿が独断で上宮(山背大兄王)を配して古人大兄(舒明天皇の皇子)を天皇にしようとする。(日本-日本-飛鳥時代)
643111天皇位を争って敗れた聖徳太子の子・山背大兄王を蘇我入鹿が急襲する。一時は生駒に逃れるが、再び斑鳩に戻った所を包囲され自害。(日本-日本-飛鳥時代)
64411蘇我蝦夷が甘樫丘に息子と自分の家を建てる。蝦夷の家を上宮門(かみのみかど)、入鹿の家を谷宮門(はざまのみかど)と呼んだ(日本-日本-飛鳥時代)
645大化の改新645年(東アジア-朝鮮、日本-)
645中大兄皇子(のちの天智天皇)・中臣鎌足ら、蘇我入鹿を殺す大化の改新戸籍作成男女良賎の法制定年号制定。日本独自の年号を使用(日本-日本-飛鳥時代)
645この年、?野讃良皇女(後の持統天皇)生誕(日本-日本-飛鳥時代)
645大化の改新(たいかのかいしん)。中大兄皇子(天智天皇)と中臣鎌足(藤原鎌足)が蘇我入鹿、蘇我蝦夷を殺害して蘇我一族の体制を崩した。孝徳天皇が即位して、改革を進め都を大阪府大阪市の難波へ遷都(日本-日本-)
645乙巳の変、中大兄皇子(のちの天智天皇)・中臣鎌足ら、蘇我入鹿を殺す 大化の改新 戸籍作成 男女良賎の法制定 年号制定(日本-日本-)
64568蘇我倉山田石川麻呂が、中大兄、中臣鎌足らから蘇我入鹿殺害を打ち明けられ同意。(日本-日本-飛鳥時代)
645612三韓の調べを貢ぐ日(日本-日本-飛鳥時代)
645613中大兄らが蘇我入鹿を宮の大極殿で殺害する(いわゆる大化の改新)(日本-日本-飛鳥時代)
645613蘇我入鹿の父蝦夷が自分の屋敷に火をかけ自害。(日本-日本-飛鳥時代)
645614皇極天皇が退位。弟、軽、第36代孝徳天皇が即位(日本-日本-飛鳥時代)
645614葛城皇子(天智天皇)が立太子(日本-日本-飛鳥時代)
645619大化(たいか)(645.6.19-650)(日本-日本-飛鳥時代)
645619大化の改新で蘇我氏を倒した中大兄皇子が、日本初の元号「大化」[たいか/たいくわ]を定めました。以来「平成」まで247の元号が定められています。650年に白雉に改元(日本-日本-飛鳥時代)
645619大化(たいか)(645.6.19-649)(日本-日本-)
64585鐘匱[しょうき]の制。朝廷が、国民の直訴を受附ける投書箱を設置(日本-日本-飛鳥時代)
64588孝徳天皇が百済大寺に僧尼を集め仏教興隆の詔を発表(日本-日本-飛鳥時代)
645912古人大兄の謀反発覚。古人は中大兄が差し向けた兵に討たれる。(日本-日本-飛鳥時代)
6451010第36代孝徳天皇崩御。59歳(日本-日本-飛鳥時代)
645129孝徳天皇が難波長柄豊碕宮に遷都(日本-日本-飛鳥時代)
646大化改新の詔を発布東国の国司を任命薄葬令=墳墓葬送の制(日本-日本-飛鳥時代)
646改新の詔(公地公民制、班田収授法の制定)(日本-日本-飛鳥時代)
64611「大化改新の詔」を発布。孝徳天皇、中大兄皇子(後の天智天皇)の下で政治の新体制が発足(日本-日本-飛鳥時代)
646322「薄葬令」発布。大規模な墓の建設や家来等を殉死させることが禁止された(日本-日本-飛鳥時代)
647七色十三階の冠位を制定渟足柵(ぬたりのき)を設ける(日本-日本-飛鳥時代)
648磐船柵(いわふねのき)を設ける(日本-日本-飛鳥時代)
648伊賀(弘文天皇)生誕(日本-日本-飛鳥時代)
649冠位19階を制定し、八省百官をおく(日本-日本-飛鳥時代)
649324右大臣倉山田石川麻呂に謀反を計画していると石川麻呂の異母弟阿倍内麻呂が密告(日本-日本-飛鳥時代)
649325謀叛の疑いをかけられた右大臣蘇我石川麻呂が、中大兄皇子(天智天皇)に攻められ難波から大和へ脱出、氏寺である山田寺で自害(日本-日本-飛鳥時代)
650長門国から献上された白雉により改元(日本-日本-飛鳥時代)
650215白雉(はくち)(650.2.15-654)孝徳天皇崩御後使わなくなった。(日本-日本-飛鳥時代)
650215宍戸国司からの白い雉の献上により大化白雉に改元。654年の孝徳天皇崩御まで使用(日本-日本-飛鳥時代)
652戸籍作成、里・五保の制最初の班田収受を施行(日本-日本-飛鳥時代)
653遣唐使船、薩摩之曲・竹嶋之間(薩摩竹島)で沈没(日本-日本-飛鳥時代)
653中大兄、天皇と不和になり飛鳥に移る(日本-日本-飛鳥時代)
654玄理らを唐に派遣(日本-日本-飛鳥時代)
6541010第36代孝徳天皇崩御これ以降元号の使用をなぜか中断する(日本-日本-飛鳥時代)
655蝦夷・隼人が多数服属隼人衆上京(日本-日本-飛鳥時代)
65513皇極天皇が板蓋宮で再び即位し第37代天皇・斉明天皇になる(日本-日本-飛鳥時代)
65513第37代 斉明天皇(日本-日本-)
656斉明天皇が多武峰(とうのみね)の頂上に周りを取り巻く垣を築き両槻宮を造営。(日本-日本-飛鳥時代)
65713歳の?野讃良皇女(後の持統天皇)が大海人皇子(天武天皇)に嫁ぐ(日本-日本-飛鳥時代)
658阿部比羅夫、蝦夷を打つ有間皇子謀反で処刑(日本-日本-飛鳥時代)
658119有馬皇子を謀反の疑いで逮捕・尋問。有馬皇子は皇太子中大兄皇子を始め皇后にまで見捨てられ、難波宮に憤死された孝徳天皇の皇子で中大兄(天智天皇)にとっては邪魔な存在であった・・・というのが真相だろうか?(日本-日本-飛鳥時代)
6581111蘇我赤兄の謀略により謀叛の疑いで捕えられた有馬皇子が紀伊・藤白坂で処刑(日本-日本-飛鳥時代)
65973坂合部石布(さかいべのいわしき)、津守吉祥(つもりのきさ)を遣唐使として唐に派遣(日本-日本-飛鳥時代)
6591030この年07月03日に出発した遣唐使、坂合部石布と津守吉祥が唐の皇帝(高宗皇帝)に謁見。行程は出発して4ヶ月かかった事になる(日本-日本-飛鳥時代)
661安閉皇女(元明天皇)生誕(日本-日本-飛鳥時代)
66116斉明天皇は百済級援軍を率いて出航。(日本-日本-飛鳥時代)
66118大伯皇女生誕(母は太田皇女)(日本-日本-飛鳥時代)
66132501月06日に難波を出航した斉明天皇が娜大津(なのおおつ、博多)に到着(日本-日本-飛鳥時代)
661724皇極天皇/斉明天皇崩御。(寳皇女,天豐財重日足姫尊)(天皇(35,37代))<68歳>崩御により中大兄皇子が天皇を称制(日本-日本-飛鳥時代)
6611230斉明天皇らが百斉救援軍を見送る為に伊予・熱田津[にぎたつ]に宿泊。額田王が「熱田津に船乗せむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな」と詠む(日本-日本-飛鳥時代)
663白村江の戦い(東アジア-朝鮮、新羅、唐、百済、日本-)
663大津皇子生誕(母は太田皇女)(日本-日本-飛鳥時代)
663国号が倭から日本になる(7世紀後半(日本-日本-飛鳥時代)
663827白村江[はくすきのえ(はくそんこう)]の戦い。百済の遺民およびこれを支援する日本軍と、百済を滅ぼした唐・新羅軍との戦い。日本側が敗北する(日本-日本-飛鳥時代)
664冠位二十六階制定(日本-日本-飛鳥時代)
664対馬・壱岐・筑紫などに防人を置き筑紫に水城、近衛遷都で防衛を固める(対馬)(日本-日本-飛鳥時代)
664玄奘三蔵歿(日本-日本-飛鳥時代)
664対馬国に防人を配置し、烽台8カ所を設置する。(対馬)(日本-日本-)
66429「甲子の改革令」発布。26階の新しい冠位を制定(日本-日本-飛鳥時代)
665前郡におく長門・筑紫に山城を築く(日本-日本-飛鳥時代)
667近江大津宮に遷都大和・讃岐・対馬に築城(対馬)(日本-日本-飛鳥時代)
667対馬国に金田城を築く。(対馬)(日本-日本-)
667319中大兄皇子(後の天智天皇)が近江・大津京に遷都(日本-日本-飛鳥時代)
668近江令を制定(日本-日本-飛鳥時代)
668太田皇女歿(日本-日本-飛鳥時代)
66813第38代天智天皇(日本-日本-飛鳥時代)
66813大化改新後、皇太子として政治の実権を握っていた中大兄皇子が即位。第38代天皇・天智天皇になる(日本-日本-飛鳥時代)
668227太田皇女を斉明陵に合装する(日本-日本-飛鳥時代)
669鎌足危篤に際し、大織冠と藤原姓を与える(日本-日本-飛鳥時代)
66955中臣鎌足が天皇のお供の狩の最中に落馬骨折。(日本-日本-飛鳥時代)
6691010天智天皇は自ら中臣鎌足を見舞う(日本-日本-飛鳥時代)
6691015臨終に際して中臣鎌足が天智天皇から藤原の姓を賜る(日本-日本-飛鳥時代)
6691016藤原鎌足死去(日本-日本-飛鳥時代)
670新羅、十二月倭国が国号を日本と改めた。自ら言うところでは、日の出る所に近いから、これをもって名としたとの事である。(東アジア-朝鮮、新羅、倭:日本-)
670初の全国的な戸籍をつくる美濃に不破関を設置(日本-日本-飛鳥時代)
670日本初の戸籍(庚午年籍-こうごのねんじゃく)を作成する(日本-日本-飛鳥時代)
670430法隆寺が落雷により全焼(日本-日本-飛鳥時代)
671大友皇子、太政大臣になる天智天皇が崩御(日本-日本-飛鳥時代)
671対馬国与良の地(現在の厳原町国分付近)に国府を置く。対馬島で産出した銀を朝廷に献上する。日本で最初の銀の産出。以後、対馬の調として銀が納められる。(対馬)(日本-日本-)
671425漏刻(水時計)と鐘鼓による時報を開始(日本-日本-飛鳥時代)
67110大友皇子(弘文天皇)立太子(日本-日本-飛鳥時代)
6711110唐使など二千人が47隻の舟で来朝。人数があまり多数のためにこのまま行ったら日本側が驚いて侵攻軍と間違えて迎撃するだろう、ということでまず4人が先行して大船団が来ることを告げに来たという。一行は翌年5月に帰国とあるが、大半は日本への亡命希望者だと思われます。(日本-日本-飛鳥時代)
671123天智天皇崩御(中大兄皇子,天命開別尊)(天皇(38代))<46歳>(日本-日本-飛鳥時代)
671125第39代弘文天皇即位(日本-日本-飛鳥時代)
672壬申の乱が起こる672年(東アジア-朝鮮、日本-)
672壬申の乱(日本-日本-)
672擦文時代(7世紀-13世紀)(日本-日本-)
672白鳳文化(日本-日本-)
672壬申の乱(古代史上最大の内乱)。大友皇子(弘文天皇)と弟の大海人皇子が皇位継承の争い。大海人皇子の勝利で天武天皇となる。(日本-日本-)
672223弘文天皇崩御(大友皇子)(天皇(39代))<25歳>壬申の乱で破れ自害(日本-日本-飛鳥時代)
672624出家・隠棲していた大海人皇子(後の天武天皇)が弘文天皇を討つ為に吉野を出発。いわゆる壬申の乱の始り(日本-日本-飛鳥時代)
672721壬申の乱。瀬田川の戦い。大海人皇子の軍と弘文天皇(大友皇子)の近江朝廷軍が瀬田川で戦闘。(日本-日本-飛鳥時代)
673223大海人皇子が立太子(日本-日本-飛鳥時代)
673227大海人皇子が即位し第40代天皇・天武天皇となる(日本-日本-飛鳥時代)
673227第40代 天武天皇(日本-日本-)
675諸氏の部曲を廃止し、王臣・諸寺に与えた山林などを没収(日本-日本-飛鳥時代)
675伝説によれば役小角が「金剛蔵王権現」を祈り出す。(日本-日本-飛鳥時代)
67515天武天皇が、天文を観察し吉凶を占う為の日本初の占星台を設置(日本-日本-飛鳥時代)
675417狩漁(罠や落とし穴、武器を用いた仕掛け設置)と食肉(牛・馬・犬・猿・鶏)の制限を命ず。(日本-日本-飛鳥時代)
67657下野(しもつけ)(現在の栃木県)は前年凶作であったと思われる。この日下野から民衆が自分の子を売ることに許可を求めてきている。・・・・許可は下りなかった。(日本-日本-飛鳥時代)
676103神に新穀を捧げる相嘗[あいなめ]祭を初めて挙行(日本-日本-飛鳥時代)
677111筑紫大宰(つくしのおおみこともち、後の大宰府)から赤烏が献上された(日本-日本-飛鳥時代)
678124蘇我石川麻呂の発願による飛鳥・山田寺の金銅丈六仏が鋳造される(日本-日本-飛鳥時代)
679逢坂山に関を設置(日本-日本-飛鳥時代)
679多禰島(種子島)に使いを派遣(日本-日本-飛鳥時代)
680飛鳥寺を官寺に入れる(日本-日本-飛鳥時代)
6801112天武天皇が皇后の病気恢復を祈り薬師寺の造営を発願。(日本-日本-飛鳥時代)
681多禰島(種子島)使人ら多禰国図を献ず(日本-日本-飛鳥時代)
681律令の編纂を開始(日本-日本-飛鳥時代)
681橘寺が失火により十房を失う(日本-日本-飛鳥時代)
681225天武天皇が律令の制定を命ずる。(日本-日本-飛鳥時代)
681317天武天皇が川島皇子と忍壁皇子に帝記の編纂を命ずる(日本-日本-飛鳥時代)
682王臣の食封を没収す(日本-日本-飛鳥時代)
682大隈隼人・阿多隼人上京方物を献ず多禰が(日本-日本-飛鳥時代)
682島・掖玖島など服属(日本-日本-飛鳥時代)
683大津皇子、国政に参画(日本-日本-飛鳥時代)
683珂瑠皇子生誕。(文武天皇)(日本-日本-飛鳥時代)
684101「八色の姓[やくさのかばね]」を制定。真人[まひと]・朝臣[あそみ]・宿禰[すくね]・忌寸[いみき]・道師[みちのし]・臣[おみ]・連[むらじ]・稲置[いなぎ]の8種(日本-日本-飛鳥時代)
6841014白鳳南海地震。亥の刻(午後十時頃)、大地震が発生した。国中で人々が泣き叫んで逃げまどい、山は崩れ川が湧いた(日本-日本-飛鳥時代)
6841121流星が雨のように降った(日本-日本-飛鳥時代)
6841123再び流星が降った。(日本-日本-飛鳥時代)
685910伊勢神宮が、20年ごとに社殿を新しくする「式年遷宮の制」を定めた。この制度は現在も継続中です。(日本-日本-飛鳥時代)
686大津皇子の変=謀反の嫌疑で捕らえられ自害(日本-日本-飛鳥時代)
68672朱鳥(しゅちょう)(686.7.2)天武天皇崩御後使わなくなった。(日本-日本-飛鳥時代)
686720白雉から朱鳥に改元。同年9月9日の天武天皇崩御まで使用することになる。天武の都に飛鳥浄御原宮の名称が定められた(日本-日本-飛鳥時代)
68699天武天皇が崩御(大海人皇子,?天渟中原瀛真人)(天皇(第40代))、天武天皇崩御により皇后・{盧鳥}野讃良[うののさらら]皇女が政務を行う(後の持統天皇)こととなった(日本-日本-飛鳥時代)
686101大津皇子が謀叛の疑いで皇太子・草壁皇子に捕えられる。(日本-日本-飛鳥時代)
686104捕らえられていた大津皇子が自害(日本-日本-飛鳥時代)
687高句麗の渡来人を常陸国に新羅の渡来人を下毛野国におく(日本-日本-飛鳥時代)
689筑紫大宰栗田真人、隼人174人と布・牛皮・鹿皮を献ず(日本-日本-飛鳥時代)
689飛鳥浄御原令(あすかきよみはらりょう)が施行(体系的な法典)(日本-日本-飛鳥時代)
689新羅の渡来人を下毛野国におく 飛鳥浄御原令施行(日本-日本-)
690戸令により戸籍をつくらせる(日本-日本-飛鳥時代)
69011第41代持統天皇(日本-日本-飛鳥時代)
69011天武天皇の皇后盧鳥}野讃良皇女が即位し第41代持統天皇となる(日本-日本-飛鳥時代)
691奴婢、陵戸の制を定める(日本-日本-飛鳥時代)
6917世紀末期矢立山古墳(厳原町)(対馬)(日本-日本-)
694都を奈良県橿原市(かしはらし)の藤原京(長安の模倣)に遷都(日本-日本-飛鳥時代)
694126持統天皇が飛鳥浄御原宮から藤原京に遷都(日本-日本-飛鳥時代)
697藤原不比等(ふじわらのふひと)の娘が文武天皇の后になる(日本-日本-飛鳥時代)
69781持統天皇が孫の珂瑠皇子に譲位。第42代文武天皇となる。(日本-日本-飛鳥時代)
698公私奴婢の逃亡多く、笞刑を定める(日本-日本-飛鳥時代)
698104藤原京に天武天皇の発願による薬師寺が建立(日本-日本-飛鳥時代)
699524修験道の開祖・役行者(役小角)が弟子の讒言により伊豆に流罪となる(日本-日本-飛鳥時代)
700道昭(行基の師)没し、火葬する(火葬の初め)(日本-日本-飛鳥時代)
700310法相宗の僧・道昭が火葬される。記録上日本初の火葬(日本-日本-飛鳥時代)
701日本の大宝律令が制定(日本-日本-飛鳥時代)
701流刑されていた役小角が戻される。この年、雲心寺(観心寺)を開く(日本-日本-飛鳥時代)
701首(聖武天皇)生誕(日本-日本-飛鳥時代)
701大宝律令(たいほうりつりょう)を施行(本格的な法典)。編纂は忍壁皇子(おさかべのみこ)、藤原不比等で、この頃から藤原不比等が台頭するようになる。(日本-日本-)
701対馬島で産出したと称した金を朝廷に献上。日本で最初の金の産出を慶祝して「大宝」の年号を建てる。(対馬)(日本-日本-)
701321大宝(たいほう)(701.3.21-703)(日本-日本-飛鳥時代)
701321対馬からの金の献上により朱鳥から大寶(大宝)に改元。この日、官名と位号の制度を改正(対馬)(日本-日本-飛鳥時代)
701326丹波国では3日間連続で地震が続いた。(日本-日本-飛鳥時代)
70183藤原不比等らによる「大宝律令」の編纂が完了(日本-日本-飛鳥時代)
702初めて度量を諸国に分かつ律令を分かつ薩摩国・多禰国を置く(日本-日本-飛鳥時代)
702229前年に制定された「大宝律令」を諸国に頒布(日本-日本-飛鳥時代)
70235因幡、伯耆、隠岐に蝗の被害(日本-日本-飛鳥時代)
70267上野国に疫病発生(日本-日本-飛鳥時代)
702628藤原京の12門の一つ海犬飼門に落雷(日本-日本-飛鳥時代)
7021222持統天皇崩御({盧鳥}野讚良皇女,高天原廣野姫尊)(天皇(41代),天武天皇の皇后)<数え58歳>(日本-日本-飛鳥時代)
70310持統上皇葬送の儀(日本-日本-飛鳥時代)
7031226持統天皇を天武陵に合葬する。(日本-日本-飛鳥時代)
704疾病・飢饉の流行(日本-日本-飛鳥時代)
70451慶雲(けいうん)(704.5.1-707)(日本-日本-飛鳥時代)
704510雲の瑞祥により慶雲に改元。708年に和銅に改元(日本-日本-飛鳥時代)
70485伊勢、伊賀の二国に蝗の被害(日本-日本-飛鳥時代)
705915膳広国(かしわでのひろくに)という豊前国京都郡の郡庁次官がこの日突然死する。3日後の17日に生き返った。(日本-日本-飛鳥時代)
7059173日前に死んだはずの膳広国(かしわでのひろくに)が生き返った。話によれば、使者に連れられ大河を渡り・・・黄金の宮殿で閻魔大王に会い、死んだ先妻や、父と会う・・・・さらに迷っていると子供が現れ門へ導き生き返った。その子供こそ彼が幼い頃書写した観音経だったという。(日本-日本-飛鳥時代)
706田租の法を改め、1町22束を15束とする(日本-日本-飛鳥時代)
707615第42代文武天皇崩御(25歳)(日本-日本-飛鳥時代)
707717天智天皇の第四皇女・阿閇皇女が即位し第43代天皇・元明天皇に(日本-日本-飛鳥時代)
7071120文武天皇を檜隈安古山陵に葬る(日本-日本-飛鳥時代)
708古墳後期/奈良時代(日本-日本-飛鳥時代)
708和同開珎(わどうかいちん)が発行される(日本初の通貨)(日本-日本-飛鳥時代)
708111武蔵国秩父郡から朝廷に和銅を献上銀銭・銅銭を鋳造されたことを記念して慶雲から和銅(わどう)(708.1.11-714)に改元(日本-日本-飛鳥時代)
708215元明天皇が平城京造営の詔を布告(日本-日本-飛鳥時代)
708511銀銭「和同開珎」を鋳造。日本初の国産貨幣(日本-日本-飛鳥時代)
708810銅銭「和同開珎」を発行(日本-日本-飛鳥時代)
708930造平城京司任命。阿倍宿奈麻呂(あべのすくなまろ)、多治比池守(たじひのいけもり)の二人を造平城京司長官に、中臣人足(なかとみのひとたり)、小野広人(おののひろひと)、小野馬養(おののうまかい)の三人を次官、坂上忍熊(さかのうえのおしくま)を大匠(おおだくみ、技術上の責任者)以下数名を任命する。(日本-日本-飛鳥時代)
708102平城京を造営、遷都することを伊勢神宮に報告(日本-日本-飛鳥時代)
708125平城京造営地鎮祭実施(日本-日本-飛鳥時代)
709巨勢麻呂・佐伯石湯、蝦夷を平定(日本-日本-飛鳥時代)
709薩摩隼人郡司以下188人朝貢(日本-日本-飛鳥時代)
70969上総、越中に疫病流行。(日本-日本-飛鳥時代)
7091013白壁王生誕。後の光仁天皇(日本-日本-飛鳥時代)
   奈良時代[710 - 793](日本-日本-飛鳥時代奈良時代)
710飛鳥時代奈良時代[710 - 794](日本-日本-飛鳥時代奈良時代)
710天平文化(日本-日本-飛鳥時代奈良時代)
710奈良平城京に遷都(日本-日本-飛鳥時代奈良時代)
710元明天皇が都を奈良県奈良市付近の平城京(長安の模倣)へ遷都「あをによし奈良の都は咲く花のにほふがごとく今盛りなり」万葉集で平城京の見事さを詠んだ歌。(日本-日本-飛鳥時代奈良時代)
710薩摩国は舎人を、日向国は采女を貢ぐことを命ず(日本-日本-飛鳥時代奈良時代)
710平城京遷都(東アジア-日本、朝鮮、高句麗、渤海-)
710211信濃国で疫病がはやる。(日本-日本-飛鳥時代奈良時代)
710310元明天皇が藤原京から平城京に都を移す。748年まで8代の天皇の都となる。(日本-日本-飛鳥時代奈良時代)
710918全国の銀銭の使用を禁止(日本-日本-飛鳥時代奈良時代)
710101日蝕(日本-日本-飛鳥時代奈良時代)