(統仁親王)
孝明天皇とは第121代天皇である。実名は統仁(おさひと)。
概要
天保2年(1831年)6月14日、第120代仁孝天皇の第四皇子として生まれた。生母は正親町雅子。6月20日に煕宮(ひろのみや)、次いで同年9月に立親王宣下を受け、統仁と称した。
弘化3年(1846年)2月13日、仁孝天皇崩御に伴い、数え年16歳で践祚。翌弘化4年(1847年)9月23日、即位の礼が執り行われた。折しも異国船が頻繁に出現する時期で、孝明天皇は践祚の同年に幕府に勅書を下し、「神州の瑕瑾」にならぬよう海防強化に務める事と海外の情勢を報告するよう命じた。自身も石清水八幡宮の臨時祭を行い、天下泰平と夷狄調伏を祈った。嘉永3年(1850年)4月8日には伊勢神宮、仁和寺など七社七寺に万民安楽を祈るよう命じた。
生没年:1831-1866
父:仁孝天皇
煕宮(ひろのみや)
1840-1846 皇太子
1846-1867 孝明天皇
女御:英照皇太后 九条夙子(父:従一位関白 九条尚忠)
1850-1852 女一宮 順子内親王
1858-1859 冨貴宮(皇女)
典侍:従一位 中山慶子(父:侯爵 中山忠能)
1852-1912 睦仁親王
典侍:坊城伸子(権大納言 坊城俊明)
1850 皇子
典侍:藤原紀子(父:権中納言 堀河康親)
1859-1861 寿万宮(皇女)
1861-1862 理宮(皇女)