日本文化を見つめ直して
お断り;文章は私が書きましたが、表は一部ネットから拝借しております。日本史は私が45年から48年前に学習しただけで、専門家ではありません。中国の来訪者に理解してもらう為2日の即席で作成た資料です。
学生達と話していると、日本と中国との様々な文化の違いに気づきました。一番大きな価値観の違いは、中国は「人に騙されてはいけない」でありと、日本人は「人を騙してはいけない」いう育てられ方の違いであった。
‘また中国の諺に「一人では龍になるが、三人寄れば豚になる」と聞かされた。当初私は意味が解らなかった。日本には「三本の矢」の例えがあります。戦国武将の一人である毛利元就が三人の男の子に一本の矢はすぐ折れるが、三本になると折れない。したがって兄弟三人が力を合わせれば毛利家は滅びないと教えた。毛利家は徳川(江戸)時代を生き抜き明治維新を行った。「三本の矢」は親が子供達に「兄弟仲良くしなさい」と諭す場合に用いられる例えであって諺ではない。
私なりに日本語で諺をつくると、「日本人は、一人一人は羊であるが三人寄れば龍になる」という諺になると思います。何故そういう諺になるかというと、日本には武士道文化があるからです。
どうも日本と中国の文化の違いは「社会生活における生き様」と「社会生活における生き抜き方」であると思った。
何故、日本文化と中国文化が違うよになったかの歴史的考察しました。まず私見ですが簡単に日本文化を説明したいと思います。私自身学校で日本史を学んだのは中学2年生(14歳)の時で高校時代は敢えて日本史を選択せず世界史を選択しました。私が10歳頃までアメリカの兵隊さんが日本にいました。従って日中戦争経緯の記載は殆どなく大正時代までが詳しく書かれておりました。43年前の学習なので、一部記憶違いが有るかもしれません。
現在日本の中学・高校生の教科書における日本史の項目は下記の項目からなっています。
時代
|
項目
|
時代
|
項目
|
|
1.先土器文化・縄文文化
|
江戸
|
26.江戸幕府の外交・鎖国
|
|
2.弥生文化
|
27.文治政治
|
|
3.大和政権・古墳文化
|
28.江戸時代の社会
|
飛鳥奈良
|
4.推古朝廷・飛鳥文化
|
29.元禄文化
|
5.律令国家の形成・白鳳文化
|
30.享保の改革・田沼政治
|
6.律令制度
|
31.寛政・天保の改革
|
7.奈良時代
|
32.化政文化
|
8.天平文化
|
33.列強の接近・開国
|
平安
|
9.平安遷都・弘仁貞観文化
|
明治
|
34.江戸幕府の滅亡
|
10.摂関政治・荘園制度
|
35.明治政府の成立
|
11.武士の成長・院政
|
36.文明開化・明治の外交
|
12.国風文化・院政文化
|
37.自由民権運動
|
鎌倉
|
13.鎌倉幕府の成立
|
38.松方財政・大日本帝国憲法
|
14.承久の乱・執権政治
|
39.条約改正・日清戦争
|
15.元寇・鎌倉時代の社会
|
40.日露戦争・韓国併合
|
16.鎌倉文化
|
41.産業革命・社会問題
|
南北朝室町
|
17.建武の新政・南北朝動乱
|
大正
|
42.明治文化
|
18.室町幕府の成立・外交
|
43.大正政変・第一次世界大戦
|
19.室町時代の社会
|
44.政党政治・大正デモクラシー
|
20.室町文化
|
昭和
|
45.協調外交・大衆文化
|
安土桃山
|
21.戦国大名
|
46.昭和恐慌・満州事変
|
22.織豊政権
|
47.五一五事件・二二六事件
|
23.桃山文化
|
48.日中戦争・第二次世界大戦
|
江戸
|
24.江戸幕府の成立
|
49.戦後改革・経済復興
|
25.幕藩体制
|
50.主権回復・高度経済成長
|
Ⅰ 日本文化について
日本文化は大別して①神道文化②貴族文化 ③武士道文化 ④平民(町民)文化と⑤仏教文化が融合して今日いたっていると思います。①~④を文化を
「父の文化」とすると。仏教文化は①~④の文化を包み込む文化で「母の文化」といえる。
父の文化
神道文化
(父) |
武士道文化
(父) |
貴族文化
(父) |
平民文化
(父) |
母(仏教)の文化
神道文化
日本書紀に第三十一代用明天皇の条に、「天皇信仏法尊神道」とあり、これがわが国の文献上での初出です。
神道は日本民族の間に自然に生まれ育った、伝統的な神祇信仰(じんぎしんこう)ですから、これに対する固有の呼称はなかったようですが中国では『易(えききょう)経』に神道という言葉が用いられていますが、こちらの方は日本と違って霊妙なる道という意味のようです。
また、「後漢書」では、墓に通ずる道の意味で使われています。
神道文化は中国の老子が現れるまえの原始道教が日本で高揚されたものです。
また皇帝の位を象徴する三種の神器は魏の曹不が漢朝の二種の神器に勾玉を加えしたもので現在日本の天皇家に受け継がれています。
四季の祭りと行事
|
門松 鏡餅 屠蘇 左義長 七草粥 節分 雛祭 端午節句 七夕 盂蘭盆会
重陽節句
十五夜 酉市
|
人生儀礼
|
着帯 七夜 初宮詣 お食い初め 初節句 七五三 成人式 厄年 神前結婚式算賀
|
神社の施設
|
鳥居 参道 燈籠 注連縄 狛犬 随神 建築様式 社殿 拝殿
弊殿 御饌殿 神楽殿・舞殿 祓殿 直会殿 黒木鳥居 千木 鰹木
|
神社の祭り
|
祈年祭 例祭 茅輪 新嘗祭 神嘗祭 大祓 式年遷宮 神主 警蹕 直会
|
神社と祭神
|
神宮 宮 大社 社 稲荷神社 八幡神社 七福神(恵比寿・大黒天・昆沙門天・弁財天・布袋・福禄寿・寿老人)
|
神社神道の歴史
|
『日本書紀』の第三十一代用明天皇の条に、「天皇信仏法尊神道」が初出。
古代、大本や巨岩あるいは山などは、神さまが降りられる場所、鎮座される場所で、今日のような神社の形態は雨風をしのぐためといった理由などから建物が設けられていきました。
その後中国の寺院建築などの影響も受けながら、上古の神社は皇居が神宮。その後国宮。
奈良時代中央には神祇官が置かれ、国家祭祀と神社行政を取り扱い、制度上「祭」と「政)」は区別されました。
諸国の神社のうち、国家神として認められた神社には、祈年祭のとき朝廷から幣帛が奉られることになっていましたが、この奉幣にあずかる神社を「官社」といい、それを記上た神名帳(官社帳)を神祇官が保管しました。
大化改新後、仏教はますます隆盛し、神道にしだいに接近してきました。 そして諸国の神社に付属する寺院を設け、そこに僧侶を置き「神宮寺」としました。
伊勢神宮の大神宮寺を始め、次々に建立されました。 神仏習合が進んできたとはいえ、まだ神が主で仏が従だったといえます。 また、有力な神社(御祭神)には、朝廷から神階が与えられたのもこの頃からです。
|
家庭祭祀
|
神棚 神饌 神札 神拝作法 霊璽・御霊舎
|
祭器具
|
注連縄 紙垂 榊 忌竹 三方 黒白幕 神輿 神紋 五色絹 四神旗 笏 巫女
|
信仰
|
神鏡 三種神器 祭 氏神
産土神(鎮守)神無月 示 初穂料 賽銭 吉凶占 方除 煤払
|
授与品
|
神宮大麻 神札 守 絵馬
|
参拝と祈祷
|
手水作法 鈴
玉串 拍手 袋 修祓
祝詞 神楽 三管三鼓
祈祷 巫
|
暦
|
六曜吉凶 十二支
|
出張祭典
|
地鎮祭 上棟祭 竣工祭
|
俗信
|
家相 鬼門
|
神葬祭
|
神葬祭 霊魂
|
①
貴族文化
貴族文化は神道文化に中国から伝来した仏教の「慈悲」が加わり高度化された文化で、一言で言えば貴族社会の「雅の文化」と言える。飛鳥時代に始まり奈良時代を経て平安時代に完成された。その後生まれた武士道文化にも大いに影響を与えており太平の世の江戸時代には京都の文化が地方の藩(都市)に移植され現在小京都が各地に51残っています。
小京都は城・山・川に京都の文化がある所で観光名所にもなっております。城のない所でも観光名所はたくさんありますが、京都の文化の影響受けていない場所はありません。
日本文化における貴族文化は4.推古朝廷・飛鳥文化に萌芽がみられます。推古天皇は西暦592年に第33代の天皇として即位されました。女性でした。中国では589年に隋が建国されています。推古天皇の甥にあたる聖徳太子は用明天皇の皇子で,母が宮中の馬小屋の前に来たとき生まれたとつたえられ,厩戸皇子とよばれた。593年,20歳でおばの推古天皇の摂政(天皇の代理)となり,大臣の蘇我馬子*と協調しながら政治を行った。
太子の願いは,豪族たちの争いをやめさせて天皇中心の強力な国家をつくることにあり,冠位十二階を定めて有能な人材を役人に登用したり(603年),十七条の憲法で豪族や役人の心がまえを説いた(604年)。また,小野妹子を遣隋使として中国につかわし(607年),隋と対等の国交を開き,大陸の文化や制度を移入した。
太子はまた,仏教を深く信仰し,これを日本でもさかんにしようとして,594年に仏教興隆の詔を出した。そして,四天王寺や法隆寺をたてる一方,経典を研究し,「三経義疏(さんぎょうぎしょ)」という注釈書をあらわした。太子の仏教奨励策の結果,都のあった飛鳥地方(奈良盆地の南部)を中心に,すぐれた仏教文化がさかえた。
飛鳥文化には南北朝時代(439 ~589)の中国や,朝鮮半島の百済の文化が強く影響しているが,間接的にはギリシャ・西アジア・インドなどの文化の影響も見られ,国際性のあふれた文化であった。しかし,朝廷や一部の豪族などかぎられた人びとのものであった。
(1)建築…これまでの古墳に代わって,法隆寺*や四天王寺・中宮寺など,寺院がたてられた。聖徳太子がたてた法隆寺の中門や金堂(こんどう)は,現存する世界最古の木造建築で,柱のふくらみ(エンタシス)にはギリシャ建築の影響が見られる。
(2)彫刻…法隆寺の釈迦三尊像(鞍作鳥の作)や百済観音像,広隆寺や中宮寺の半跏思惟(はんかしい)像などが知られる。
(3)工芸品…法隆寺の玉虫厨子*が有名であり,中宮寺の天寿国繍帳*は当時の刺繍や絵画のだいじな遺産である。
奈良時代は、律令体制の確立、動揺、そして再建、政情の不安と権力争い、公地公民制の変質、初期荘園の成立などが特徴的で、天平文化が生まれた。仏教が鎮護国家の宗教として発展し、高度な建築技法で立てられた大寺院が威容を誇り、彫刻では新技法が発達して表現に幅が生まれ、写実的で表情豊かな仏像が多くつくられた。また、絵画や工芸には、唐・インド・ビザンツの文化の影響が見られる。
平安時代は、藤原北家の台頭、摂関政治の開始・全盛・衰退、院政の成立と展開、平氏の進出と兵士政権、源平の争乱、平氏滅亡と守護・地頭の設置、荘園の増加などが特徴的で、弘仁・貞観文化、国風文化がおこった。また、平安末期には、鎌倉新仏教の発展もあった。
また平安時代は貴族文化が高度に発達した時代で、文学、雅楽、建築等現在たくさん保存されています。漢字から仮名(かな)文字もできました。文化は春夏秋冬の年中行事で彩られる儀式とで綴ることが出来ます。
春
|
屠蘇づくり 卯槌(うづち)づくり 七種粥(ななくさがゆ)づくり 草餅(くさもち)づくり 上巳(じょうし) 【桃の節供】
|
夏
|
薬玉(くすだま)づくり 【菖蒲の節供】粽(ちまき)づくり 【菖蒲の節供】 索餅(さくへい)づくり 【七夕】
|
秋
|
十五夜(じゅうごや) 重陽(ちょうよう) 【菊の節供】
|
冬
|
亥の子餅(いのこもち)づくり 鏡餅づくり
|
②
武士道文化
当初、武士は貴族の私兵であって各貴族の荘園の管理をしていた。その後、桓武天皇の子孫が平氏の「氏」、清和天皇の子孫が源氏の「氏」を天皇から与えられ天皇の臣となり、「武勇の志士」としてが武士という言葉が生まれた。
平安時代の後期、一度、武士の平氏に敗れた武士の源氏が臥薪嘗胆の上平氏を破った。平氏が貴族文化の良い面「雅」と反対の悪い面、「平氏にあらずんば武士にあらず」、「おごる平氏久しからず」の「傲慢と奢侈」から滅びたので、源氏は「質素倹約」を旨として生まれたのが「武士道」です。武士道は仏教の禅宗の影響も強く受けています。
日本では有名な教育者で、現在日本で使用されている5000円札の「新渡戸稲造さん」が書いた武士道の本の目次を紹介します。
武士道は孔子の教えを源泉としています。例えば「勇と義」について論語に「子路曰、
君子尚勇乎。子曰、君子有勇而無義、為乱。小人有勇而無義、為盗。」書かれておりますが。武士道の源泉は孔子にあって、神道と仏教が影響を与えて日本文化になりました。
日本は「同一民族・同一言語」ですので、武士道は日本男児の「社会生活における生き様」であって、「社会生活における生き抜き方」ではありません。
したがって人を陥れたり、うそをついたり裏切ると、と殺されても仕方がない。また殺された家族も殺した人に一切苦情を言わない。むしろ謝って許しを請います。
理不尽な殺しは、殺された子孫・親族から「仇討」されますし、「仇討」は咎めなしで、「仇討」の成功者は英雄として故郷の歴史に名を残します。
全国的に有名なのは江戸時代の「忠臣蔵」の赤穂義士の物語があります。日本では芝居・映画で何回も上演されるますし、12月の初めにテレビで必ず放映されますし、一年間を通じてのNHKの大河ドラマでも何回も放映されて、日本人の心にしみこんでおります。
なおNHKの大河ドラマは日曜日の午後8時から45分放映される日本の時代劇で出演者は日本の有名な老若男女の俳優及び歌手まで出演しますので高視聴率があり自然と日本人は日本史を勉強してしまいます。
本来「武士道」は「男子は社会生活の生き様の教えであり、女性は男子に仕える女性の妻として、母として、祖母としての賢い生き方」の教えです。「名」は父系社会ですが「実」は母系社会です。
切腹は男子だけの行為で女性にはありません。武士の集団(藩)と武士の集団(藩)とが戦争になると、負けた責任者(藩主)が戦に勝った責任者に降伏する際、勝った責任者で前で白衣を着て「切腹」する儀式のことで、勝った責任者は今までの戦を忘れ本来の武士と武士の心と心の会話をします。
勝った責任者は負けた責任者に戦の武勇を讃え、思い残す言葉・託す言葉はないか聴きます。その後負けた責任者はまた相手の武勇を讃え家臣と領民の安寧を委託し、憎しみではなく、弁明でなく、本当に清らかな気持ちの心境を和歌で「時世の句」を読みます。
その後切腹すると、勝った責任者は「見事」という言葉をかけることによって、切腹した責任者の家来の存命と領民を保護する「武士と武士の誠の約束」の儀式です.
「仇討」は明治時代びなって1873年禁止されました。
また、武士道には「武士に二言はない」という考え方があり、例え後で無知の故損をしたとしっても、また損することが判っていても一旦口にだした約束は守ることが美徳とされています。
したがって、ある所で言ったことと、別の所で言った内容が違って名誉毀損・損失が生じた場合、被害者は言った人を殺しても「切り捨て御免」となります。
1945年日本が第二次世界大戦で負け「奇跡的な経済復興を成し遂げたのは日本人のこころに武士道があったからだと指摘した西洋人がたくさんいます。私もその通りだと思います。
武士道(目次)
第一章 武士道とは何か
人の道を照らしつづける武士道の光
武士道は「騎士道の規律」である
人々の心に刻みこまれた掟
壮大な倫理体系のかなめの石
第二章 武士道の源をさぐる
仏教と神道が武士道に与えたもの
武士道の源泉は孔子の教えに有
武士道は知識のための知識を軽視する
武士道の基本原理とは何か
第三章 「義」-武士道の光り輝く最高の支柱
「義」は「勇」と並ぶ武士道の双生児である
「正義の道理」こそ無条件の絶対命令
第四章 「勇」-いかにして肚を練磨するか
「義を見てせざるは勇なきなり」
平静さに裏打ちされた勇気
第五章 「仁」人の上に立つ条件とは何か
民を治める者の必要条件は「仁」 にあり
徳と絶対権力との関係
武士の情け」に内在する仁
|
真のサムライは「誠」に高い敬意を払う
武士道と商人道とは何が違うか
誠とは実益のある徳行
いつでも失わぬ他者へのあわれみの心
第六章 「礼」人ともに喜び、人とともに泣けるか
礼とは他人に対する思いやりを表現すること
礼を守るための道徳的な訓練
優雅な作法はカを内に蓄えさせる
礼儀は優美な感受性として表われる
第七章 「誠」-なぜ「武士に二言はない」のか?
第八章 「名誉」-苦痛と試練に耐えるために
不名誉はその人を大きく育てる
武士道はなぜ忍耐強さの極致に達したのか
名誉はこの世で「最高の善」である
第九章 「忠義」-人は何のために死ねるか
日本人の忠義とは一体何か
命令に対する絶対的な従順が存在した
武士道では個人よりも国を重んじる
サムライの真の 「忠義」 はここにある!
|
第十章 武士は何を学び、どう己を磨いたか
行動するサムライが追求した「品性」とは何か
武士道は損得勘定をとらない
武士道は無償、無報酬の実践のみを信じる
第十一章 人に勝ち、己に克つために
サムライは、感情を顔に出すべからず
なぜ「寡黙」がよしとされるか
心を安らかに保つために
第十二章 「切腹」-生きる勇気、死ぬ勇気
腹切りの”ハラ”は何を意味するか
切腹は一つの法制度、儀式典礼である
切腹はどう行われたか
武士道における生きる勇気と死ぬ勇気
「四十七土」の仇討にみる二つの判断
かくして「刀は武士の魂」となった
第十三章 「刀」-なぜ武士の魂なのか
刀は忠誠と名誉の象徴
鍛冶は重要な宗教的行為だった
武人の究極の理想は平和である
第十四章 武士道が求めた女性の理想像
家庭的であれ、そして女傑でもあれ
|
女性にもとめられる立居振舞
妻女の務めとは何か
自己否定なくしては 「内助」 の功はありえない
家庭において重んじられた女性
第十五章 「大和魂」 - いかにして日本人の心となったか
一般大衆を引きつけた武士道の徳目
一般大衆を引きつけた武士道の徳日
サムライは民族全体の「美しき理想」
「エリート」の栄光、憧れ、そして「大和魂」
サクラは「大和魂」の典型
第十大章 武士道は甦るか
武士道は日本の活動精神、そして推進力である
自己の名誉心、これが日本の発展の原動力
日本人以上に忠誠で愛国的な国民は存在しない
武士道による無言の感化
第十七章 武士道の遺産からなにをまなぶか
武士道はその姿を消す運命にあるのか
名誉、勇気、そして武徳のすぐれた遺産を守れ
不死鳥はみずからの灰の中より逸る
武士道は不滅の教訓である
|
以上が新渡戸稲造さんの武士道のもくじですが以下の如くの論語が源泉であることが解ってもらえると思います
仁
|
仁徳
|
當仁不譲於師
|
義
|
正義 忠義
|
見義不為無勇
|
礼( 禮)
|
礼節
|
克己復礼
|
智
|
智者
|
智者不惑
|
信
|
信用 信義 誠実
|
信義即
|
中国の留学生・研修生達と話していると中国では「日本の危険な思想」であると聞きました。私達日本人からすると「危険な思想」ではありません。
武士道には仏教の「勧善懲悪」の考え方もありますし、勿論「慈悲」もあります。愛においては祖国愛・故郷愛・家臣愛・家族愛・仲間愛・領民愛の極地でヨーロッパの「騎士道」に通じます。
武士は祖国愛・故郷愛・家臣愛・家族愛・仲間愛領民愛の為に戦うのであって、自己愛の為に戦うのではありません。自己に関しては死ぬ際、世間に対し「感謝」の気持ちの言葉を持って死ねば家族は安心します。
しかし「残念・無念」の気持ちを死に際に家族・仲間に伝えると、家族・仲間は自己の人生を捨てでも真相解明にあたります。その際親族・上司は家族・仲間に対し真相解明の任務に対し心と経済支援をします。場合によっては自己の財産を処分してまで、経済的支援をします。経済支援は「義務で美徳」なのです。また親族・上司以外の他国の藩主。武士・平民も支援します。一般貴族は見守るが優秀な貴族は経済的な支援はせずに情報提供等の支援をします。現代風に言えば大地震・大風水害の際の国境を越えた相互支援と同じです。
武士は剣術の修行は勿論の事で、読み書きは最低の武士の教養の必須条件です。優秀な武士になるにはは中国の「大学」・「中庸」・「論語」・「孟子」を15歳迄に修得することが第一条件でした。
武士道には「弁明が先」という言葉はありません。「お詫び」が先です。「お詫び」に対しては暫く無言で見守ります。本当に悔い改め人生を歩んでいるのを第三者の見届けた人が「許しの仲介」をし、複数の人が確認をして始めて許されます。
したがって日本人は一時の栄華の為、このような「馬鹿らしい」、「阿呆らしい」行為をしない為、「人に嘘をついたり、人を陥れる行為」はしません。折角の人生を台無しにするからです。人生を台無しにする、また家族の人生も台無しにする「犬死」的な損失はないからです。
このような考え方で、私は「日本人は、一人一人は羊であるが三人寄れば龍になる」という諺を作りました。
③
平民(町民)文化
平民文化は一言で「素朴」という言葉で表せます。文字の書けない農民が先祖の教え・村の掟を守り、中国のシャーマニズム・アニミズム自然崇拝・動物崇拝が原点とされています。
そこに中国から受け継いだ原始道教から発展した老子の「飲食
男女 旅行」の教えに、神道・仏教・武士道の影響を受け江戸時代の元禄時代に完成しました。
歌舞伎 狂歌 大衆文化がたくさんあります。
平民文化は武士道文化と違って「切捨て御免」という考え方はありません。無視→「村八分」という思想があります。
「村八分」村人が悪いことをした場合、村の十の交際のうち、八つは援助も交際もしないということからきている。十の交際とは「冠・婚・葬・建築・火事・病気・水害・旅行・出産・ねんき(年忌)」のこと。
このうち葬式と火事を除いてはかかわらない、付き合いをしないという意味です。
終わりに
「子曰、學而時習之、不亦説乎、有朋自遠方来、不亦楽乎、人不知而不慍、不亦君子乎」
日本語訳;
先生がいわれた、「学んでは適当な時期におさらいをする、いかにも心嬉しいことだね。[そのたびに理解が深まって向上していくのだから。]だれか友達が遠い所からからも尋ねて来る、いかにも楽しいことだね。[同じ道について語り合えるから。]人が分かってくれなくても気にかけない、いかにも君主だね[凡人にはできないことだから。]」
「子曰、不仁者不可以久處約、不可以長處樂、仁者安仁、知者利仁」
日本語訳;
先生がいわれた、「仁でない人はいつまでも苦しい生活にはおれないし、また長く安楽な生活にもおれない。[悪いことをするか、安楽になれてしまう。]仁の人は仁に落ち着いているし、智の人は仁を利用する。[深浅の差はあるが、どちらも守りどころがあって動かない。]」
「子曰、述而不作、信而好古、竊比於我老彭」
日本語訳;
先生が言われた、「[古いことに基づいて]述べて創作はせず、むかしのことを信じて愛好する。[そいした自分を]こっそりわが老彭(=殷王朝の賢大夫)の[態度]にも比べている」
日本文化と日本人の心を理解して頂きたく、即席ですが16日と17日の夜作成しました。参考までに、日本史と中国史の比較年表の作成にも挑戦しました。間違がありましたら指摘して下い。
2002年9月17日 南淵弘昭
参考1
縄文時代
縄文時代は、土器の出現と竪穴住居の生活が特徴的で、多くの遺跡も発見されている。
日本の時代
|
政治・経済・文化
|
中国の時代
|
中国の動き(含む世界の動き)
|
B.C.10000ごろ
|
氷河期が終わる。
日本列島は大陸から完全に分離。
大型動物が絶滅、中小動物が繁殖。
磨製石器、弓矢が出現。
貝塚の出現。
竪穴住居が広場をかこんで集落を形成。
|
|
|
B.C.3000ごろ
B.C.2000ごろ
|
各地に大規模な環状集落が形成される
抜歯の風習が広まる。
|
三皇五帝前2700? ~
|
中国の伝承で崇拝される帝王、賢人、神のことで三皇は伏羲、神農、軒轅。五帝は黄帝、高陽、高辛、堯、舜。伝説時代ということになっています。
|
夏前2000? ~前1600?
|
歴史書には王の系譜まで載っており、血族による皇帝制度はこの王朝から始まったとされています。最近になってやっとその存在を証明するようなも
のが発見されています。
|
商【殷】
前1600頃 ~
|
神権政治が行われていた伝説の王朝だと言われてきましたが、今世紀に入ってからの殷墟の発掘で実在が確かめられました。また、甲骨文から、この王朝の約1000年後に書かれた、司馬遷の「史記」が極めて正確だったことも確認されました。
なお殷という名前は最後の首都名で、王朝の正式名称は商です。この国の人たちが亡国の民となり、各地に散って、仕方なく危険な流通業を始めたことから、その仕事を商業というようになりました。
|
周
【西周】
前1050頃 ~前771
|
太公望が武王を助けて天下をとったのがこの王朝です。諸侯を世襲制にし、税や軍役の義務を負わせる封建制度を確立し、『礼』を政治の中心に置く、礼政一致の政体を採りました。
|
春秋時代
【東周】
前771 ~前403頃
|
異民族の侵入によりいったん滅んだ西周の政権が洛邑に遷都して維持した政権です。しかし、その勢力は諸侯よりも小さく、各地の封国が力を持ち始めたのがこの時代です。孔子や老子などいろいろな思想が出ました。
|
|
弥生時代
弥生時代は、稲作と金属器を使用する生活が特徴的で、それらの渡来を契機に村々は統合され、小さな国ができていく。村々の長や国の長(王)も登場する。
日本の時代
|
政治・経済・文化
|
中国の時代
|
中国の動き(含む世界の動き)
|
B.C.350ごろ
|
九州北部に稲作と金属器が到来。
|
戦国時代
前403頃
~
前221
|
周の力は完全に地に落ち、各国が領土と覇権を争って本気になった時代です。
|
|
B.C.300ごろ
|
高床倉庫が出現。
九州北部に支石墓が出現。
|
B.C.200ごろ
|
九州北部で銅剣・銅矛・銅戈・銅鏡を副葬した墓が出現。
青銅製の武器の生産も始まる。
|
秦
前221
~
前207
|
秦王・政が天下を統一して作った王朝です。彼は偉大な業績に酔いしれ、自ら「皇帝」という尊称をつくり、在位につきました。強行的な政策を推し進め、結局反乱で潰れました。
|
漢
【前漢=西漢】
前202~後8
|
かの有名な項羽と劉邦の戦いののち、劉邦が創った国です。りっぱな歴史書「史記」を作り上げた司馬遷もこの時代です。
|
新
8~25
|
漢では暗君などが出て、外戚である王莽が力をつけるようになりました。そして最後は帝位を簒奪します。
|
|
A.D.57
|
倭の奴国王が後漢に朝貢し、光武帝より「漢委奴国王」の
金印と紫綬を授かる。
|
漢
【後漢=東漢】
25~220
|
乱れた天下を再び統一した劉秀(光武帝)の王朝です。「虎穴にいらずんば虎児を得ず」の名言で有名な班超が、西域を服従させた時代です。
|
三国
【魏・呉・(蜀)漢】
220~280
|
後漢が衰えた後、群雄割拠の時代になり、三国に集約された状態の時代です。いわゆる「三国志」の時代で、曹繰、劉備、孫権、諸葛亮(孔明)の活躍の時代です。
|
晋【西晋】
280 ~317
|
三国志で有名な司馬懿(仲達)の孫が統一した王朝です。皇族争いであっというまに
|
|
239
|
卑弥呼が難升米らを魏に遣使、魏の明帝より「親魏倭王」の称号と
金印・銅鏡100枚を授かる。
|
248ごろ
|
卑弥呼死す。男王がたつが国内服さず。
卑弥呼の宗女で13歳の壱与が女王となり治まる。
|
古墳時代
古墳時代は、大和政権の成立、中国との交渉が特徴的で、古墳文化が生まれた。古墳文化は、前方後円墳の普及が主となっている。
日本の時代
|
政治・経済・文化
|
中国の時代
|
中国の動き(含む世界の動き)
|
4世紀中頃
|
大和地方の王を盟主とする政治的な連合体が成立。
|
東晋十六国
【五胡十六国】
304
~
439
|
また戦乱の時代です。晋が皇族争いの乱により、国が乱れた結果、異民族などが蜂起し、各地に国が創られていきます。晋は一端滅亡、南に亡命政権が誕生し、その結果、北の異民族諸国家と南の漢民族国家・東晋の勢力図となりました。
|
|
391
|
倭軍、百済・新羅を破る。
|
527
|
磐井の乱がおこり、任那に向かう朝廷軍が阻止される。
|
南北朝
439~589
|
北を統一したのは雲崗の石窟などを造った北魏。南の東晋は軍閥の台頭により政権が交代。のち、北魏も分裂し、北は三たび分裂時代に入る一方、南でも戦乱が起こります。
|
|
572
|
蘇我馬子が大臣、物部守屋が大連となる。
|
585
|
物部守屋、塔・仏殿を焼き、仏像を捨てる。
|
587
|
馬子、聖徳太子らと守屋を滅ぼす。
|
592
|
馬子、東漢直駒をして崇峻天皇を殺害。
推古天皇即位。
|
飛鳥時代年表
日本の時代
|
政治・経済・文化
|
中国の時代
|
中国の動き(含む世界の動き)
|
592
593
|
馬子、東漢直駒をして
崇峻天皇を殺害
四天王寺建立
|
隋
589 ~618
|
楊堅が統一したものの、息子の楊広(煽帝)の時代には滅んでしまいました。現在では煽帝という呼び方自体が悪い意味になっています
。
|
|
|
593
596
|
☆聖徳太子の執政
推古天皇の摂政となる
【太子・馬子の共同統治】
飛鳥寺(法興寺)完成
|
|
600
603
|
遣随使の始め
太秦、広隆寺造営
|
|
603
604
607
|
冠位十二階を制定
憲法十七条を制定
法隆寺建立
|
|
607
610
620
|
小野妹子を隋に派遣
聖徳太子「三経義○」
法隆寺金堂、玉虫厨子
聖徳太子・蘇我馬子ら
『天皇記』『国記』
|
|
623
630
|
鞍作鳥
「法隆寺金堂釈迦三尊像」
法隆寺五重塔
☆三論宗
遣唐使の始め
643-入鹿、山背大兄王を襲い
王一族自殺
|
唐
618~907
|
618-隋滅亡し、唐建国
李淵(りえん)を初代皇帝として、一時武則天(則天武后)による簒奪を受けましたが(周:684~705 )、基本的には李氏20代、約300年続きました。特に2代太宗の治世を「貞観の治」、6代玄宗の治世前半を「開元の治」といい、唐の最盛期です。
皇帝を頂点とする中央集権型の国家体制を確立し、その政治体制は朝鮮や日本などの周辺国家にも広く影響を与えました。外戚をはじめとする貴族・権臣勢力や、安史の乱以降は藩鎮勢力、晩期になると宦官達にも悩まされ、皇帝は権限を失い国家は衰退します。王仙芝、黄巣の乱などの混乱の末、哀帝(李祝)が朱全忠(後梁の太祖)に位を譲り、滅亡しました。
624-唐、均田制
|
645
646
|
蘇我入鹿暗殺
孝徳天皇即位
大化の改新
高向玄理・僧旻、
国博士となる
改新の詔を公布
|
|
651-ササン朝ペルシア滅亡
651-『コーラン』成立
658-唐、高句麗攻撃
660-唐・新羅により百済滅亡
|
663
|
白村江の戦い
朝鮮半島から後退
|
|
|
667
|
近江大津宮に遷都
668-中大兄皇子即位
近江令を撰上
|
|
668-高句麗滅亡
|
672
673
680
|
壬申の乱
☆天皇専制支配体制確立
天武天皇即位
天武天皇、薬師寺建立
|
|
676-新羅の半島統一
|
684
|
八色の姓を制定
689-飛鳥浄御原令施行
|
|
690-則天武后、実権を握り、
国号を周と称する
|
694
701
|
藤原京に遷都
☆律令体制の確立
高松塚古墳築造、同壁画
法隆寺金堂聖観音像
薬師寺東院堂聖観音像
薬師寺金堂薬師三尊像
|
|
|
701
|
大宝律令完成
|
|
|
|
|
|
|
|
奈良時代年表
|
日本の時代
|
政治・経済・文化
|
中国の時代
|
中国の動き(含む世界の動き)
|
|
710
712
713-
|
平城京に遷都
山階寺を奈良へ興福寺と改称
太安万侶『古事記』
『風土記』
|
|
712-唐の玄宗即位
|
|
720
724
|
『日本書紀』
<六国史の始め>
聖武天皇即位
陸奥国に多賀城を築く
|
|
723-唐で募兵制実施
|
|
729
730
|
☆律令体制の動揺
長屋王の変
薬師寺東塔
|
|
|
|
739
740
745
|
法隆寺夢殿
藤原広嗣の乱
行基、大僧正に任ぜられる
東大寺三月堂
日光・月光菩薩像
執金剛神像
|
|
|
|
757
|
養老律令を施行
|
|
755-安禄山・史思明の乱
|
|
751
754
754
756
763
764
|
『懐風藻』
正倉院鳥毛立女屏風
唐僧鑑真来日、律宗を伝える
正倉院の始め
唐招提寺鑑真像
恵美押勝(藤原仲麻呂)の乱
|
|
|
|
765
770
|
道鏡、太政大臣禅師となる
大伴家持ら『万葉集』
|
|
|
|
781
|
☆律令体制の変貌
桓武天皇即位
|
|
|
平安時代年表
日本の時代
|
政治・経済・文化
|
中国の時代
|
中国の動き(含む世界の動き)
|
784
785
|
長岡京に遷都
唐招提寺金堂
|
|
|
794
797
797
|
平安京に遷都
弘仁・貞観文化
勘解由使を設置
『続日本記』
弘文院設立
|
|
|
804
805
806
809
|
最澄・空海、入唐
天台宗を開く
真言宗を開く
嵯峨天皇即位
|
|
|
810
814
818
819
|
薬子の変
藤原式家衰退 頭家台頭
検非違使設置
『凌雲集』
『文華秀麗集』
空海、高野山に金剛峯寺建立
|
|
800-
ルマン人の活躍開始
|
820
821
823
828
|
☆藤原北家の台頭
藤原冬嗣ら
弘仁格を撰上
藤原冬嗣、勧学院設立
比叡山寺を延暦寺とする
空海、綜芸種智院設立
|
|
821-唐と吐蕃が再度会盟
|
838
841
|
事実上最後の遣唐使
観心寺如意輪観音像
|
|
843-ヴェルダン条約
|
858
|
清和天皇9歳で即位
|
|
|
866
866
876
|
良房、摂政となる
応天門の変
最澄に伝教大師、
円仁に慈覚大師の諡号
嵯峨院を大覚寺と改名
|
|
870-メルセン条約
|
884
|
☆摂関政治の開始
基経、関白となる
|
|
875-唐、黄巣の乱
|
888
|
阿衡の粉議
教王護国寺両界曼荼羅図
|
|
|
897
|
醍醐天皇即位
☆国風文化(藤原文化)
|
|
|
901
905
|
延喜の治
紀貫之ら『古今和歌集』
|
五代十国
907
~979
|
弱小中央政権と地方政権が乱立し、有力な節度使や州の行政長官が自ら「公」や「王」と称し、自分たちの支配が及ぶ土地で勝手気ままに暴君として君臨していました。そのような中で四方を山に守られた四川には唐から亡命した高官や詩人、芸術家の避難場所となりました。なお、現在の省区分はこの時代にさかのぼります
|
927
935
935
|
藤原忠平ら延喜式完成
『竹取物語』
『伊勢物語』
『土佐日記』
空也、西光寺(六波羅蜜寺)建立
|
946
|
村上天皇即位
天暦の治
|
916-契丹建国
918-高麗建国
936-高麗、朝鮮半島を統一
|
969
|
☆
摂関政治の全盛
安和の変
藤原家全盛
☆
『蜻蛉日記』
|
960-宋建国
962-神聖ローマ帝国建国
|
970
985
|
兼通・兼家の繁栄
『往生要集』
清少納言『枕草子』
|
宋【北宋】
961
~1127
遼
916
~1125
金
|
979-宋、中国統一
|
1017
1019
|
藤原頼通、摂政となる
道長、太政大臣となる
道長、関白になる
紫式部『源氏物語』
|
|
1053
1068
|
平等院鳳凰堂建立 同阿弥陀如来像
後三条天皇即位
|
1054-東西教会決定的分裂
(ローマとギリシア)
|
1086
|
☆
院政の成立と展開
白河天皇譲位し上皇になる
-院政期の文化-
『大鏡』
|
1066-英にノルマン朝
|
1086
1098
|
金剛峯寺「仏涅槃図」
源氏の隆盛
|
1077-カノッサの屈辱
|
1106
1108
|
『今昔物語』
源義親の乱
|
1115-金建国
|
1124
1129
|
平泉中尊寺金色堂建立
鳥羽上皇の院政開始
|
元
1127
~1279
宋【南宋】
1127
~1279
|
1125-金、遼を滅ぼす
1127-北宋滅亡、宋の復興
|
1156
1159
|
保元の乱
平治の乱:源義朝
『鳥獣戯画』
|
|
1147-アンコール=ワット建設
|
1160-
1164
1164
1167
|
白水阿弥陀堂
「平家納経」を厳島神社に奉納
富貴寺大堂
『伴大納言絵詞』
『信貴山縁起絵巻』
『扇面古写経』
平清盛 太政大臣になる
|
|
1162-テムジン生まれる
|
1175
1180
|
以仁王の令旨
法然 専修念仏を唱え
浄土宗を開く
☆鎌倉文化
頼朝、侍所を設置
|
|
1167頃 オックスフォード
大学創立
|
1184
1185
1191
|
頼朝、公文所・問注所を設置
平氏滅亡
『平治物語』
頼朝、諸国の守護・
地頭任命権を獲得
栄西帰国
臨済宗を広める
|
|
|
鎌倉時代年表
この時代は、執権政治の開始、得宗権力の強化、元寇と鎌倉幕府の衰退、滅亡、農業技術の進歩、御家人の救済、貨幣経済の発達が特徴的で、鎌倉文化が生まれる。中でも2度の元寇が印象的である。
|
日本の時代
|
政治・経済・文化
|
中国の時代
|
中国の動き(含む世界の動き)
|
|
1192
|
源頼朝-征夷大将軍となる
{鎌倉幕府の成立}
|
|
1202-第4回十字軍
|
|
1193
1198
|
宋銭の流通を禁止
☆西行『山家宗』
『法然撰択本願念仏集』
|
|
1204-
コンスタンティノーブル
を占領
|
|
1199
1199
1202-
|
農業技術-二毛作開始
北条時政ら13人の
合議制開始
東大寺南大門再建
栄西、建仁寺建立
|
|
1206-チンギスハン、
モンゴル統一
|
|
1203
1203
1205
1212
1214
1220
|
源実朝-征夷大将軍
時政-執権執権政治開始
運慶・快慶
『金剛力士像
藤原定家ら
』『新古今和歌集』
鴨長明『方丈記』
源実朝『金槐和歌集』
☆親鸞、浄土真宗を広める
慈円『愚管抄』
|
|
1215-
英、マグナカルタ制定
|
|
1221
|
承久の乱
六波羅探題設置
|
|
1236-バトゥの西征
|
|
1223
|
新補地頭始まる
|
|
1241-独、ハンザ同盟成立
|
|
1224
1224
|
北条康時執権
連署始まる
☆「源頼朝像」
親鸞『教行信証』
|
|
1258-アッパース朝滅亡、
イルハン国成立
|
|
1225
1227
|
評定衆設置
道元、曹洞宗を開く
|
|
1261-
世祖フビライ即位
|
|
1232
|
御成敗式目(貞永式目)制定
|
|
1271-
モンゴル、元と称する
マルコ・ポーロ、東方旅行
|
|
1244
|
☆
下地中分執行
道元、永平寺建立
☆『平家物語』
|
|
1299-
オスマントルコ建国
|
|
1249
1253
|
引付衆設置
日蓮、日蓮宗を広める
蘭渓道隆、鎌倉建長寺建立
☆
康勝「空也上人像」
☆「平家物語絵巻」
|
|
{ルネサンス時代開始}
|
|
1274
1274
1280
|
文永の役
一遍、時宗を開
く『十六夜日記』
|
|
|
|
1281
1282
|
弘安の役
無学祖元、円覚寺建立
|
|
|
|
|
☆市の発達、座結成
|
|
|
|
1285
1285
|
得宗専制化
円覚寺舎利殿建立
|
|
|
|
1291
|
☆
持妙院・大覚寺
両統迭立協議
☆
南禅寺建立
|
|
|
|
1293
1293
|
鎮西探題設置
「蒙古襲来絵詞」
|
|
|
|
1297
|
永仁の徳制令
☆
北条実時、金沢文庫設立
☆
『吾妻鏡』
|
|
|
|
1299
1309
|
{貨幣経済の発達}
☆宋銭流通、問丸・為替・
借上出現
円伊「一遍上人絵伝」
高階隆兼
「春日権現験記」
☆吉田兼好『徒然草』
|
|
|
|
1321
|
後醍醐天皇、親政開始
|
|
|
|
1324
|
正中の変
|
|
|
|
1331
|
元弘の変
楠木正成挙兵/護良親王挙兵
|
|
|
|
1333
|
足利高氏、六波羅探題破る
新田義貞、鎌倉攻略
|
|
|
|
|
{鎌倉幕府滅亡}
|
|
|
(南北朝)室町時代年表
|
日本の時代
|
政治・経済・文化
|
中国の時代
|
中国の動き(含む世界の動き)
|
|
1334
1334
|
二条河原落書き
{建武の新政}
大徳寺の大燈国師像
観心寺金堂再建
|
|
|
|
|
室町幕府の成立と南北朝の動乱
『庭訓往生』
|
|
|
|
1336
1339
|
☆室町幕府成立
北畠親房『神皇正統記』
光明天皇を擁立
☆~1392年南北朝分立
|
|
1339-百年戦争(~1453)
|
|
1338
1345
|
尊氏、征夷大将軍に
北畠親房ら吉野へ帰還
天龍寺落慶供養
|
|
1347-全ヨーロッパに
ペスト流行
|
|
1349
1356
|
足利基氏、鎌倉公方になる
1350-前期倭寇
一条良基『莵玖波集』
|
|
1351-紅巾の乱
|
|
1368
1374
1382
|
足利義満征夷大将軍になる
1378-義満、花の御所に移る
☆
北山文化
観阿弥・世阿弥
今熊野神社で猿楽上演
足利義満、相国寺建立
|
明
1368
~1644
|
差別を受けている漢民族の不満を代表した朱元璋が天下を取りました。モンゴル支配の汚点を拭い去るために、意識的に偉大な中華の伝統や慣習を復活させ、「唐・宋にならえ」という統治方針を全面的に打ち出しました。三第皇帝永楽帝の頃には国も安定し、生活が豊かになり、中国市場でも最も輝かしい時代の一つに挙げられています。この時代は中国の大航海時代でもあります
|
|
1391
1397
|
明徳の乱
☆室町幕府の確立と日明貿易
1392-南北朝の合一
義満、北山に金閣建立
|
|
1392-朝鮮建国
|
|
1398
1400
|
幕府、
三管領・四職の制を整備
1399-応永の乱
世阿弥
『風姿花伝(花伝書)』
|
1397-カルマル同盟
|
|
1401
1402
1410
1411
1416
|
明と国交樹立
如拙『瓢鮎図』
周文『芭蕉夜雨図』
明と国交一時断絶
上杉禅秀の乱
|
|
|
1426
1432
|
☆守護大名の成長
興福寺五重塔
勘合貿易復活
|
1429-仏、ジャンヌダルク登場
|
|
1438
1439
1441
|
永享の乱
足利学校再興
嘉吉の乱
|
1453-ビザンツ帝国滅亡
|
|
1467
1467
1476
|
応仁の乱
☆
東山文化
雪舟・桂庵玄樹ら入明
宗祇『竹林抄』
|
1455-英、ばら戦争
|
|
1485
1489
1496
|
☆戦国大名の割拠
慈照寺東求堂
足利義政、東山に銀閣建立
蓮如、石山本願寺建立
|
1480-モスクワ大公国、
キプチャク=ハーン国から独立
1492-コロンブス、アメリカに到達
1498-ガマ、インドに到着
|
|
1510
1518
1524
|
三浦の乱
狩野元信「山水花鳥図」
『閑吟集』
御成敗式目
|
1501-イランにサファヴィー朝
1517-ルターの宗教改革
1519-神聖ローマ皇帝
カール5世即位
1524-ドイツ農民戦争
|
|
1523
1530
|
寧波の乱
狩野正信没
|
1526-印,ムガル帝国建国
|
|
1536
|
天文法華の乱
山崎宗鑑「犬筑波集」
|
1534-イエズス会成立
|
|
1543
1549
|
☆ポルトガル人種子島に漂着
鉄砲をつたえる
フランシスコ=ザビエル来日
「キリスト教伝来」
|
|
1541-カルヴァンの宗教改革
1543-コペルニクスの地動説
|
|
1551
|
勘合貿易の廃絶
|
|
|
1553
|
川中島の戦い
|
|
|
1560
1563
|
桶狭間の戦い
大村純忠、受洗
キリシタン大名の始め
☆キリスト教の進出
|
|
|
1568
|
信長、義昭を奉じて入京
|
|
|
1573
|
信長、義昭を京都から追放
{室町幕府滅亡}
|
|
安土桃山時代年表
日本の時代
|
政治・経済・文化
|
中国の時代
|
中国の動き(含む世界の動き)
|
1575
1576
|
長篠の戦い
信長、安土城を築き移る
|
|
1562-仏、ユグノー戦争
|
1582
1582
|
武田氏滅亡
太閤検地の始め
本能寺の変:
信長明智光秀に殺される
天正遣節
|
|
1568-オランダ独立戦争
|
1583
1583
|
大坂城築城
秀吉、柴田勝家を破る
大坂城築城開始
|
|
1580-
スペイン・ポルトガル併合
|
1586
1587
1588
|
秀吉太政大臣となり、
豊臣姓を賜る
聚楽第完成
秀吉刀狩令
|
|
|
1590
1591
|
北条氏滅亡
秀吉の全国統一完成
千利休自殺
☆長谷川等伯[智積院襖絵]
|
|
|
1592
|
文禄の役
朱印船制度を定める
|
|
|
1594
|
伏見城完成
☆天草版平家物語
|
|
|
江戸時代年表
日本の時代
|
政治・経済・文化
|
中国の時代
|
中国の動き(含む世界の動き)
|
1597
1598
1599
|
慶長の役
醍醐寺三宝院 表書院・同庭園
慶長版本「日本書紀」刊行
|
|
1598-仏、ナントの勅令
|
1600
1602-
|
関ヶ原の戦い
(徳川氏の覇権確立)
二条城完成
|
|
1600-英、東インド会社設立
1602-蘭、東インド会社設立
|
1603
1603
1609
|
家康、征夷大将軍となり、
江戸に幕府を開く
「江戸幕府確立」
出雲阿国
☆歌舞伎踊り創始
☆俵屋宗達「風神雷神図屏風」
姫路城完成
|
|
1603-英にステュアート朝
|
1612
|
直轄領にキリスト教禁止令
|
|
1616-ヌルハチ後金建国
|
1615
1617
|
大坂夏の陣
豊臣氏滅亡
武家諸法度・禁中並
公家諸法度制定
日光東照宮建立
☆狩野山楽「牡丹図」
|
1618-独、三十年戦争
|
1619
1620
|
御三家成立
菱垣廻船を開始
桂離宮建立
|
1619-蘭、バタヴィア市建設
|
1629
|
長崎、踏絵始まる
☆貞門派俳諧盛ん
|
1628-英、権利請願
|
1637
1637
|
島原の乱
五人組強化
本阿弥光悦没
|
1636-後金、国号を清と改称
|
1641
1641
|
鎖国完成
探幽『大徳寺方丈襖絵』
-池田光政花畠教場設立
|
1642-英、清教徒革命
|
1643
1645-
|
田畑永代売買禁止令
久隅守景『夕顔棚納涼図屏風』
|
清
1644
~1912
-
-
|
1644-李自成、明を滅ぼす
清、李を倒し、北京に遷都
|
1649
1657
1665
|
慶安の御触書
徳川光圀「大日本史」
山鹿素行『聖教要録』
|
1648-ウェストファリア条約
|
1671
1671
1682
1684
|
宗旨人別帳
山崎闇斎垂加神道を唱える
井原西鶴『好色一代男』
渋川春海貞亨暦作成
|
1660-英、王政復古
|
1685
1686
1689
1690
1692
|
徳川綱吉
生類憐みの令 発布
弘安の役
熊沢蕃山「大学或問」
松尾芭蕉「奥の細道」
湯島聖堂落成
西鶴「世間胸算用」
|
1687-ニュートン、
万有引力の法則発見
1688-英、名誉革命
1689-英、権利章典
|
1694
1694
1708
|
☆江戸に十組問屋成立
☆大坂に二十四問屋成立
芭蕉没
貝原益軒「大和本草」
|
|
1709
1709
|
徳川家宣、
新井白石らを途用
「正徳の治」
新井白石、シドッチを尋問
☆白石『西洋紀聞』
|
1700-北方戦争
1701-スペイン継承戦争
1707-英、大ブリテン王国建国
|
1715
|
☆海舶互市新例
|
|
1716
1716
|
徳川吉宗、将軍となる
亨保の改革
尾形光琳没
|
|
1719
|
相対済し令
☆荻生徂徠『政談』
|
|
1722
1723
1724
|
上げ米の制
足高の制
懐徳堂設立
|
|
1742
|
「公事方御定書」制定
|
1740-オーストリア継承戦争
|
1758
1765
|
宝暦事件
☆出雲「仮名手本忠臣蔵」
☆安藤昌益「自然真営道」
鈴木春信、錦絵創始
|
1756-七年戦争
|
1767
1772
1774
1782
|
田沼意次、側用人となる
「田沼時代」
「解体新書」
天明の大飢饉
|
1769-英、ワット、
蒸気機関改良
1772-第1回ポーランド分割
1775-アメリカ独立戦争
1776-アメリカ独立宣言
|
1787
1787
|
寛政の改革
円山応挙『雪松図屏風』
|
|
1789
|
棄捐令
|
1789-米、初代大統領
ワシントン
フランス革命勃発
|
1793
1802
|
大御所時代
十返舎一九「東海道中膝栗毛」
☆滝沢馬琴『椿説弓張月』
☆式亭三馬『浮世風呂』
|
1804-ナポレオン皇帝即位
|
1808
1818
|
フェートン号事件
平田篤胤「古史徴」
☆葛飾北斎『富嶽三十六景』
☆渡辺華山『鷹見泉石像』
|
|
1828
|
シーボルト事件
|
1814-ウィーン会議
1823-米、モンロー宣言
1830-仏、七月革命
1832-英、第1回選挙法改正
|
1837
1838
|
大塩平八郎の乱
中山みき天理教を開く
☆椿椿山『渡辺華山像』
|
1837-ヴィクトリア王女即位
|
1838
|
村田清風、藩政改革に着手
|
|
1839
|
蛮社の獄
|
1840-アヘン戦争
|
1841
|
天保の改革
|
1842-南京条約
|
1853
1856-
|
ペリーの艦隊来航
吉田松陰、松下村塾を設立
|
1852-仏、第二帝政
ナポレオン3世即位
1853-クリミア戦争
|
1854
1859
|
日米和親条約
1855-日蘭和親条約
金光教を開く
|
1856-アロー戦争
|
1858
|
安政の大獄
|
1857-セポイの反乱
|
1860
1860
|
桜田門外の変
河竹黙阿弥「三人吉三廓初買
黙阿弥「弁天小僧」
|
1860-清、英・仏と北京条約、
露と北京条約
|
1862
|
生麦事件
|
1861-露、農奴開放令
|
1863
|
薩英戦争
|
1863-米、奴隷開放宣言
|
1864
|
四国艦隊下関砲撃事件
|
|
明治時代年表
1868(明治1)年の明治政府成立より1912(明治45)年7月30日の明治天皇死去までの時代。江戸幕府を中心とする封建的支配が終わり,近代的統一国家から世界の列強に加わった時代。
西南戦争までの時期は統一国家誕生時期で,新政権成立と欧米先進国の文化の直輸入による諸制度の改革と文明開化の欧風化が見られ,反政府運動・農民一揆もしばしばおこった。憲法制定・国会開設までの時期は自由民権運動から絶対主義政権の確立期で,経済的には資本主義が発達し産業革命をむかえた。
後期は日清戦争・日露戦争
により,軍部とむすんだ重工業の発展と資本主義の発達がみられ,国家主義的傾向を強めた反面,労働問題・社会主義運動がおこった。対外的には条約改正を達成し,列強の一員に加わった。
その短期間になしとげた発展は,東アジア諸国に大きな刺激となった。
日本の時代
|
政治・経済・文化
|
中国の時代
|
中国の動き(含む世界の動き)
|
1868
(明治1)
|
鳥羽・伏見の戦いおこる。五箇条の御誓文が出される。
|
|
|
1869
(明治2)
|
版籍奉還が行われる。戊辰戦争が終わる。
|
|
|
1871
(明治4)
|
廃藩置県が行われる。
|
|
|
1872
(明治5)
|
新橋~横浜間に鉄道開通。
|
|
|
1873
(明治6)
|
地租改正が行われる。
|
|
|
1874
(明治7)
|
民選議院設立の建白書を提出し,自由民権運動がおこされる。
|
|
|
1877
(明治10)
|
西南戦争がおこる。
|
|
|
1881
(明治14)
|
国会開設の詔が出される。自由党が結成される。
|
|
|
1882
(明治15)
|
立憲改進党が結成される。
|
|
|
1885
(明治18)
|
内閣制度ができる。
|
|
|
1889
(明治22)
|
大日本帝国憲法の公布。
|
|
1890
(明治23)
|
第1回帝国議会が開かれる。
|
|
1894
(明治27)
|
日清戦争がおこる。
|
|
1895
(明治28)
|
下関条約に調印する。三国干渉が行われる。
|
|
1901
(明治34)
|
八幡製鉄所が生産を開始。
|
|
1902
(明治35)
|
日英同盟がむすばれる。
|
|
1904
(明治37)
|
日露戦争がおこる。
|
|
1905
(明治38)
|
ポーツマス条約に調印。
|
|
1910
(明治43)
|
韓国を併合する。
|
|
1912
(明治45)
|
明治天皇がなくなる。
|
|
大正時代年表
この時代は、第一次、第二次護憲運動と大正政変、第一次世界大戦への参戦、本格的政党内閣の成立、大戦景気と戦後恐慌、社会運動が特徴的で、大正デモクラシーがおこる。
|
日本の時代
|
政治・経済・文化
|
中国の時代
|
中国の動き(含む世界の動き)
|
|
1912
|
明治天皇没。皇太子嘉仁践祚。大正と改元。
第一次護憲運動始まる。
|
|
|
|
1913
|
大正政変。
|
|
|
|
1914
|
シーメンス事件。海軍高官の収賄。
ドイツに宣戦布告。第一次世界大戦に参加。。
|
|
|
|
1915
|
袁世凱政府に二十一ヶ条の要求。
|
|
|
|
1916
|
加藤高明ら憲政会結成。
|
|
|
|
1917
|
石井・ランシング協定。
|
|
|
|
1918
|
富山県で米騒動。以後全国に波及。
原敬内閣成立。初の本格的政党内閣。
|
|
|
|
1919
|
三・一独立運動。朝鮮に独立運動。五・四運動。中国全土で反日・反帝国主義運動。
ヴェルサイユ条約に署名。
|
|
|
|
1920
|
国際連盟に加入。常任理事国となる。
株価大暴落。戦後恐慌始まる。
平塚らいてう・市川房枝ら新婦人協会結成。
|
|
|
|
1921
|
ワシントン会議で日米英仏四カ国条約調印。日英同盟廃棄。
|
|
|
|
1922
|
ワシントン海軍軍縮条約。
中国に関する九カ国条約。
日本共産党結成。
全国水平社結成。
日本農民組合結成。
|
|
|
|
1923
|
中国、二十一ヵ条の要求廃棄。
関東大震災。
|
|
|
|
1924
|
第二次護憲運動。
|
|
|
|
1925
|
治安維持法公布。
普通選挙法公布。
|
|
|
昭和時代年表
この時代は、政党政治の確立と断絶、金融恐慌、満州事変、日中戦争、戦時体制強化と経済統制、太平洋戦争と敗戦、占領と民主化、経済再建と農地改革、国際社会への復帰、安保闘争と高度経済成長、日中国交正常化、戦後政治の総決算、ストライキ、公害問題と住民運動、石油ショックと不況、経済摩擦と高齢化社会などが特徴的で、大衆文化の登場、戦後文化の誕生、テレビ時代の文化があった。この時代の中では、敗戦が重要な意味をなす。
日本の時代
|
政治・経済・文化
|
中国の時代
|
中国の動き(含む世界の動き)
|
1927
|
大正天皇没。裕仁親王践祚、昭和と改元。
第1次山東出兵。
浜口雄幸ら立憲民政党結成。
ジュネーブ海軍軍縮会議。
|
|
|
1931
|
柳条湖事件。これにより、満州事変始まる。
|
|
|
1932
|
「満州国」建国。
五・一五事件。海軍青年将校ら首相官邸等を襲撃、犬養毅首相を殺害。
|
|
|
1933
|
国際連盟脱退。
|
|
|
1936
|
二・ニ六事件。陸軍青年将校らが首相らを襲撃。東京市に戒厳令。
|
|
|
1937
|
盧溝橋事件。日中戦争始まる。
日独伊三国防共協定。
南京大虐殺。
|
|
|
1938
|
国家総動員法。
|
|
|
1939
|
ノモンハン事件。ソ連軍と衝突、天皇、青少年学徒に勅語。
|
|
|
1940
|
日独伊三国同盟。
大政翼賛会結成。
|
|
|
1941
|
日ソ中立条約。
マレー半島上陸、ハワイ真珠湾を攻撃。
対米英宣戦布告。太平洋戦争始まる。
|
|
|
1942
|
ミッドウェー海戦敗北。
|
|
|
1944
|
サイパン島の日本軍全滅。
東京初空襲。
|
|
|
1945
|
米軍、沖縄上陸。
広島・長崎に原爆投下。
ポツダム宣言受諾。日本降伏。
連合国最高司令官マッカーサー、厚木到着。
財閥解体指令。
|
|
|
1946
|
天皇、人間宣言。GHQ、軍国主義者の公職追放令。
日本国憲法公布。
|
|
|
1947
|
労働基準法。独占禁止法。
日本国憲法施行。
|
|
|
1951
|
サンフランシスコ平和条約。
日米安全保障条約調印。
|
|
|
1954
|
防衛庁・陸海空自衛隊発足。
|
|
|
1955
|
第1回原水爆禁止世界大会。
|
|
|
1956
|
国際連合加盟。
|
|
|
1960
|
日米新安全保障条約。
|
|
|
1965
|
日韓基本条約。
|
|
|
1967
|
公害対策基本法。
|
|
|
1972
|
沖縄の日本復帰、沖縄県復活。
日中共同声明。日中国交正常化。
|
|
|
1976
|
ロッキード事件。
|
|
|
1978
|
新東京国際空港開港。
日中平和友好条約。
|
|
|
1983
|
ロッキード裁判。田中角栄元首相に実刑判決。
|
|
|
1986
|
国鉄・分割民営化法。
|
|
|
1988
|
リクルート事件。牛肉・オレンジ3年後自由化で日米交渉決着。
|
|
|
参考2
歴代天皇と在位期間
001: 神武天皇
|
前660年1月1日~前585年3月11日
|
064:
円融天皇
|
969年8月13日~ 984 8月27日
|
002:
綏靖天皇
|
前581年1月8日~前549年 5月10日
|
065:
花山天皇
|
984年 8月27日~986年6月23日
|
003:
安寧天皇
|
前549年7月3日~前511年12月6日
|
066:
一条天皇
|
986年6月23日~1011年6月13日
|
004:
懿徳天皇
|
在位前510年2月4日~前477年9月 8日
|
067:
三条天皇
|
1011年6月13日~1016年1月29日
|
005:
孝昭天皇
|
前475年 1月9日~前393年8月5日
|
068:
後一条天皇
|
1016年1月29日~1036年4月17日
|
006:
孝安天皇
|
前392年 1月 7日~前291年 1月 9日
|
069:
後朱雀天皇
|
1036年 4月17日~1045年1月16日
|
007:
孝霊天皇
|
前290年 1月12日~前215年 2月 8日
|
070:
後冷泉天皇
|
1045年 1月16日~1068年4月19日
|
008:
孝元天皇
|
前214年 1月14日~前158年 9月 2日
|
071:
後三条天皇
|
1068年4月19日~1072年12月 8日
|
009:
開化天皇
|
前158年11月12日~前 98年 4月 9日
|
072:
白河天皇
|
1072年12月8日~1086年11月26日
|
010:
崇神天皇
|
前 97年 1月13日~前 30年12月 5日
|
073:
堀河天皇
|
1086年11月26日~1107年7月19日
|
011:
垂仁天皇
|
前29年1月 2日~70年7月14日
|
074:
鳥羽天皇
|
1107年 7月19日~1123年1月28日
|
012:
景行天皇
|
71年7月11日~130年11月 7日
|
075:
崇徳天皇
|
1123年 1月28日~1141年12月 7日
|
013:
成務天皇
|
131年 1月 5日~ 190年 6月11日
|
076:
近衛天皇
|
1141年12月 7日~1155年 7月23日
|
014:
仲哀天皇
|
192年1月11日~200年2月 6日
|
077:
後白河天皇
|
1155年 7月24日~1158年 8月11日
|
015:
応神天皇
|
270年1月1日~310年2月15日
|
078:
二条天皇
|
1158年 8月11日~1165年 6月25日
|
016:
仁徳天皇
|
313年1月 3日~ 399年 1月16日
|
079:
六条天皇
|
1165年 6月25日~1168年 2月19日
|
017:
履中天皇
|
400年2月1日~405年 3月15日
|
080:
高倉天皇
|
1168年 2月19日~1180年 2月21日
|
018:
反正天皇
|
406年 1月 2日~ 410年 1月23日
|
081:
安徳天皇
|
1180年 2月21日~1185年 3月24日
|
019:
允恭天皇
|
412年12月 ~ 453年 1月14日
|
082:
後鳥羽天皇
|
1183年 8月20日~1198年 1月11日
|
020:
安康天皇
|
453年12月14日~ 456年 8月 9日
|
083:
土御門天皇
|
1198年 1月11日~1210年11月25日
|
021:
雄略天皇
|
456年11月13日~ 479年 8月 7日
|
084:
順徳天皇
|
1210年11月25日~1221年 4月20日
|
022:
清寧天皇
|
480年 1月15日~ 484年 1月16日
|
085:
仲恭天皇
|
1221年 4月20日~1221年 7月 9日
|
023:
顕宗天皇
|
485年 1月 1日~ 487年 4月25日
|
086:
後堀河天皇
|
1221年 7月 9日~1232年10月 4日
|
024:
仁賢天皇
|
488年 1月 5日~ 498年 8月 8日
|
087:
四条天皇
|
1232年10月 4日~1242年 1月 9日
|
025:
武烈天皇
|
498年12月 ~ 506年12月 8日
|
088:
後嵯峨天皇
|
1242年 1月 9日~1246年 1月29日
|
026:
継体天皇
|
507年 2月 4日~ 531年 2月 7日
|
089:
後深草天皇
|
1246年 1月29日~1259年11月26日
|
027:
安閑天皇
|
531年 2月 7日~ 535年12月17日
|
090:
亀山天皇
|
1259年11月26日~1274年 1月26日
|
028:
宜化天皇
|
535年12月 ~ 539年 2月10日
|
091:
後宇多天皇
|
1274年 1月26日~1287年10月21日
|
029:
欽明天皇
|
539年12月 5日~ 571年 4月
|
092:
伏見天皇
|
1287年10月21日~1298年7月22日
|
030:
敏達天皇
|
572年 4月 3日~ 585年 8月15日
|
093:
後伏見天皇
|
1298年 7月22日~1301年 1月22日
|
031:
用明天皇
|
585年 9月 5日~ 587年 4月 9日
|
094:
後二条天皇
|
1301年 1月22日~1308年 8月25日
|
032:
崇峻天皇
|
587年 8月 2日~ 592年11月 3日
|
095:
花園天皇
|
1308年 8月26日~1318年 2月26日
|
033:
推古天皇
|
592年12月 8日~ 628年 3月 7日
|
096:
後醍醐天皇
|
1318年 2月26日~1336年 8月15日
|
034:
舒明天皇
|
629年 1月 4日~ 641年10月 9日
|
097:
後村上天皇
|
1339年 8月15日~1368年 3月11日
|
035:
皇極天皇
|
642年 1月15日~ 645年 6月14日
|
098:
長慶天皇
|
1368年 3月11日~1383年10月
|
036:
孝徳天皇
|
645年 6月14日~ 654年10月10日
|
099:
後亀山天皇
|
1383年10月 ~1392年10月 5日
|
037:
斉明天皇
|
655年 1月 3日~ 661年 7月24日
|
100:
後小松天皇
|
1382年4月11日~1412年8月29日
|
038:
天智天皇
|
661年 7月24日~ 671年12月 3日
|
101:
称光天皇
|
1412年 8月29日~1428年 7月20日
|
039:
弘文天皇
|
671年12月 5日~ 672年 7月23日
|
102:
後花園天皇
|
1428年7月28日~1464年7月19日
|
040:
天武天皇
|
673年 2月27日~ 686年 9月 9日
|
103:後土御門天皇
|
1464年 7月19日~1500年 9月28日
|
041:
持統天皇
|
686年 9月 9日~ 697年 8月 1日
|
104:
後柏原天皇
|
1500年10月25日~1526年 4月 7日
|
042:
文武天皇
|
697年 8月 1日~ 707年 6月15日
|
105:
後奈良天皇
|
1526年 4月29日~1557年 9月 5日
|
043:
元明天皇
|
707年 7月17日~ 715年 9月 2日
|
106:
正親町天皇
|
1557年10月27日~1586年11月 7日
|
044:
元正天皇
|
715年 9月 2日~ 724年 2月 4日
|
107:
後陽成天皇
|
1586年11月 7日~1611年 3月27日
|
045:
聖武天皇
|
724年 2月 4日~ 749年 7月 2日
|
108:
後水尾天皇
|
1611年 3月27日~1629年11月 8日
|
046:
孝謙天皇
|
749年 7月 2日~ 758年 8月 1日
|
109:
明正天皇
|
1629年11月 8日~1643年10月 3日
|
047:
淳仁天皇
|
758年 8月 1日~ 764年10月 9日
|
110:
後光明天皇
|
1643年10月 3日~1654年 9月20日
|
048:
称徳天皇
|
764年10月 9日~ 770年 8月 4日
|
111:
後西天皇
|
1654年11月28日~1663年 1月26日
|
049:
光仁天皇
|
770年10月 1日~ 781年 4月 3日
|
112:
霊元天皇
|
1663年 1月26日~1687年 3月21日
|
050:
桓武天皇
|
781年 4月 3日~ 806年 3月17日
|
113:
東山天皇
|
1687年 3月21日~1709年 6月21日
|
051:
平城天皇
|
806年 3月17日~ 809年 4月 1日
|
114:
中御門天皇
|
1709年 6月21日~1735年 3月21日
|
052:
嵯峨天皇
|
809年 4月 1日~ 823年 4月16日
|
115:
桜町天皇
|
1735年 3月21日~1747年 5月 2日
|
053:
淳和天皇
|
823年 4月16日~ 833年 2月28日
|
116:
桃園天皇
|
1747年 5月 2日~1762年 7月12日
|
054:
仁明天皇
|
833年 2月28日~ 850年 3月21日
|
117:
後桜町天皇
|
1762年 7月27日~1770年11月24日
|
055:
文徳天皇
|
850年 3月21日~ 858年 8月27日
|
118:
後桃園天皇
|
1770年11月24日~1779年11月 9日
|
056:
清和天皇
|
858年11月 7日~ 876年11月29日
|
119:
光格天皇
|
1779年11月25日~1817年 3月22日
|
057:
陽成天皇
|
876年11月29日~ 884年 2月 4日
|
120:
仁孝天皇
|
1817年 3月22日~1846年 2月 6日
|
058:
光孝天皇
|
884年 2月 5日~ 887年 8月26日
|
121:
孝明天皇
|
1846年 2月13日~1866年12月25日
|
059:
宇多天皇
|
887年 8月26日~ 897年 7月 3日
|
122:
明治天皇
|
1867年 1月 9日~1912年 7月30日
|
060:
醍醐天皇
|
897年 7月 3日~ 930年 9月22日
|
123:
大正天皇
|
1912年 7月30日~1926年12月25日
|
061:
朱雀天皇
|
930年9月22日~946年4月20日
|
124:
昭和天皇
|
1926年12月25日~1989年 1月 7日
|
062:
村上天皇
|
946年 4月20日~ 967年 5月25日
|
125:
今上天皇
|
1989年 1月 7日~
|
063:
冷泉天皇
|
967年 5月25日~ 969年 8月13日
|
|
|