桂宮家
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桂宮家
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[[江戸大名公家]] 桂宮家 3006石 天正19年(1591)正月創始 宮号変遷・八条宮→常盤井宮→京極宮→桂宮 京都の西京区にある桂離宮は、初代智仁親王の造営になる別邸。 6代とした作宮は通例では、宮邸に移らなかったことから歴代に数えないが、当サイトでは歴代に加えた。 初代・智仁(ともひと)号八条宮 正親町天皇第一皇子の誠仁親王(陽光院贈太上天皇)の第六王子 母は勧修寺晴右の娘 生没・天正7年(1579)~寛永6年(1629) 天正19年(1591)親王宣下、一品式部卿 正室・京極高知(当時宮津藩主、後に除封)の娘 子女・2代智忠 忠幸(広幡家家祖) 2代・智忠(ともただ) 後水尾天皇猶子(智仁の子) 母は京極高知の娘 生没・元和5年(1619)~寛文2年(1662) 寛永3年(1626)親王宣下、二品中務卿 正室・加賀藩前田利常の娘 子女・養子穏仁(3代) 3代・穏仁(やすひと) 後水尾天皇の第九皇子 母は櫛笥隆致の娘 生没・寛永20年(1643)~寛文5年(1665) 承応3年(1654)智忠親王の養子となる 明暦元年(1655)親王宣下、二品式部卿 正室・不詳 子女・養子長仁(4代) 4代・長仁(おさひと) 後西天皇の第一皇子 母は高松宮(有栖川宮)好仁親王の王女 生没・明暦元年(1655)~延宝3年(1675) 寛文6年(1666)穏仁親王の嗣子となる 寛文9年(1669)親王宣下、無品中務卿 正室・不詳 子女・養子尚仁(5代) 5代・尚仁(なおひと) 後西天皇の第九皇子 母は梅小路定矩の娘 生没・寛文11年(1671)~元禄2年(1689) 延宝3年(1675)長仁親王の嗣子となる 貞享元年(1684)親王宣下、無品弾正尹 正室・不詳 子女・養子作宮(6代) 養子文仁 6代・作宮(さくのみや)号常盤井宮 霊元天皇の第八皇子 母は五条為庸の娘 生没・元禄2年(1689)~元禄5年(1692) 元禄2年年(1689)尚仁親王の嗣子となる 正室・なし 子女・養子文仁(7代) 7代・文仁(あやひと)号京極宮 霊元天皇の第六皇子 母は中御門宗条の娘 生没・延宝8年(1680)~宝永8年(1711) 元禄10年(1697)親王宣下、一品兵部卿 正室・不詳 室・滋野井公澄の娘 子女・8代家仁 8代・家仁(やかひと) 東山天皇猶子(文仁の子) 母は滋野井公澄の娘 生没・元禄16年(1703)~明和4年(1767) 宝永6年(1709)親王宣下、一品式部卿 正室・鷹司兼凞の娘 子女・9代公仁 豊子→久留米藩有馬頼徸室 9代・公仁(きみひと) 桜町天皇猶子(家仁の子) 母は北小路俊在(半家北小路家の庶流)の娘 生没・享保18年(1733)~明和7年(1770) 延享2年(1745)親王宣下、二品上総太守 正室・閑院宮直仁親王の王女 継室・紀伊藩徳川宗直の娘(寿子) 子女・在子→一橋家徳川治斉室 養子寿子(10代) 10代・寿子() 紀伊藩徳川宗直の娘 9代公仁親王の継室 生没・寛保3年(1743)~寛政元年(1789) 明和7年(1770)公仁親王薨去により家督を継ぐ 子女・養子盛仁(11代) 11代・盛仁(たけひと)号桂宮 光格天皇の第四皇子 母は東坊城益良の娘 生没・文化7年(1810)~文化8年(1811) 文化7年(1810)当家を相続 文化8年(1811)親王宣下 正室・なし 子女・養子節仁(12代) 12代・節仁(みさひと) 仁孝天皇の第六皇子 母は正親町実光の娘 生没・天保4年(1833)~天保7年(1836) 天保6年(1835)当家を相続 天保7年(1836)親王宣下 正室・不詳 子女・養子淑子(13代) 13代・淑子(すみこ) 仁孝天皇の第三皇女 母は甘露寺国長の娘 生没・文政12年(1829)~明治14年(1881) 天保13年(1842)内親王宣下 文久2年(1862)当家を相続、一品准三后 明治14年薨去により当家は無嗣断絶となる
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[[江戸大名公家]] 桂宮家 3006石 天正19年(1591)正月創始 宮号変遷・八条宮→常盤井宮→京極宮→桂宮 京都の西京区にある桂離宮は、初代智仁親王の造営になる別邸。 6代とした作宮は通例では、宮邸に移らなかったことから歴代に数えないが、当サイトでは歴代に加えた。 初代・智仁(ともひと)号八条宮 正親町天皇第一皇子の誠仁親王(陽光院贈太上天皇)の第六王子 母は勧修寺晴右の娘 生没・天正7年(1579)~寛永6年(1629) 天正19年(1591)親王宣下、一品式部卿 正室・京極高知(当時宮津藩主、後に除封)の娘 子女・2代智忠 忠幸(広幡家家祖) 2代・智忠(ともただ) 後水尾天皇猶子(智仁の子) 母は京極高知の娘 生没・元和5年(1619)~寛文2年(1662) 寛永3年(1626)親王宣下、二品中務卿 正室・加賀藩前田利常の娘 子女・養子穏仁(3代) 3代・穏仁(やすひと) 後水尾天皇の第九皇子 母は櫛笥隆致の娘 生没・寛永20年(1643)~寛文5年(1665) 承応3年(1654)智忠親王の養子となる 明暦元年(1655)親王宣下、二品式部卿 正室・不詳 子女・養子長仁(4代) 4代・長仁(おさひと) 後西天皇の第一皇子 母は高松宮(有栖川宮)好仁親王の王女 生没・明暦元年(1655)~延宝3年(1675) 寛文6年(1666)穏仁親王の嗣子となる 寛文9年(1669)親王宣下、無品中務卿 正室・不詳 子女・養子尚仁(5代) 5代・尚仁(なおひと) 後西天皇の第九皇子 母は梅小路定矩の娘 生没・寛文11年(1671)~元禄2年(1689) 延宝3年(1675)長仁親王の嗣子となる 貞享元年(1684)親王宣下、無品弾正尹 正室・不詳 子女・養子作宮(6代) 養子文仁 6代・作宮(さくのみや)号常盤井宮 霊元天皇の第八皇子 母は五条為庸の娘 生没・元禄2年(1689)~元禄5年(1692) 元禄2年年(1689)尚仁親王の嗣子となる 正室・なし 子女・養子文仁(7代) 7代・文仁(あやひと)号京極宮 霊元天皇の第六皇子 母は中御門宗条の娘 生没・延宝8年(1680)~宝永8年(1711) 元禄10年(1697)親王宣下、一品兵部卿 正室・不詳 室・滋野井公澄の娘 子女・8代家仁 8代・家仁(やかひと) 東山天皇猶子(文仁の子) 母は滋野井公澄の娘 生没・元禄16年(1703)~明和4年(1767) 宝永6年(1709)親王宣下、一品式部卿 正室・鷹司兼凞の娘 子女・9代公仁 豊子→久留米藩有馬頼徸室 9代・公仁(きみひと) 桜町天皇猶子(家仁の子) 母は北小路俊在(半家北小路家の庶流)の娘 生没・享保18年(1733)~明和7年(1770) 延享2年(1745)親王宣下、二品上総太守 正室・閑院宮直仁親王の王女 継室・紀伊藩徳川宗直の娘(寿子) 子女・在子→一橋家徳川治斉室 養子寿子(10代) 10代・寿子() 紀伊藩徳川宗直の娘 9代公仁親王の継室 生没・寛保3年(1743)~寛政元年(1789) 明和7年(1770)公仁親王薨去により家督を継ぐ 子女・養子盛仁(11代) 11代・盛仁(たけひと)号桂宮 光格天皇の第四皇子 母は東坊城益良の娘 生没・文化7年(1810)~文化8年(1811) 文化7年(1810)当家を相続 文化8年(1811)親王宣下 正室・なし 子女・養子節仁(12代) 12代・節仁(みさひと) 仁孝天皇の第六皇子 母は正親町実光の娘 生没・天保4年(1833)~天保7年(1836) 天保6年(1835)当家を相続 天保7年(1836)親王宣下 正室・不詳 子女・養子淑子(13代) 13代・淑子(すみこ) 仁孝天皇の第三皇女 母は甘露寺国長の娘 生没・文政12年(1829)~明治14年(1881) 天保13年(1842)内親王宣下 文久2年(1862)当家を相続、一品准三后 明治14年薨去により当家は無嗣断絶となる
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