アクスム王国

アクスム王国(現,エチオピア)

英語による名称Axum
漢字表記
漢字略
首都アクスム
独立年月前120ごろ〜後572ごろ
主要言語ゲエズ語
面積(エチオピアイエメン)
人口
通貨

略史

エチオピア北部を起源とする同地方で確認できる最古の王国。
前120ごろ〜後572ごろ
セム系アクスム人がエチオピアに建てた国

エチオピア高原北部のアクスムAxum(Aksum)に都を置いた商業王国。

この地にはすでに紀元前から,アラビア半島南部に住むセム語族のサバ語を話す諸族が紅海を渡って移住してきていた。
1世紀には歴史上にその名を見ることができる。

アラビア半島から移り住んだ人々により建国され,
紀元前後ころ,紅海貿易を支配していたローマ帝国の勢力が衰えると,これらの人びとがローマにとって代わりた。

やがて紅海をまたぎ対岸のイエメンにまで版図を広げた。紅海,インド洋,アフリカ内陸各方面との交易により繁栄し,後1世紀ころに書かれた《エリュトラ海案内記》は,アクスムがアフリカ内陸部から運ばれてくる象牙の集散地であることを伝えている。

4世紀エザナ王のとき,クシュ王国を滅ぼすころまでにはキリスト教を受容した。

紅海をまたいで現在のエチオピア北部からイエメンに及ぶ王国をつくりあげこの王国をアクスム王国と呼ぶ。

6世紀後半,ササン朝ペルシアのホスローに攻撃されアラビア半島から追われると徐々に衰退に向かった。

王都アクスムの遺跡は1980年世界文化遺産に登録。

アフリカ

アジア起源のゼビュー(コブウシ)と地中海産の牛の混血と思われる牛の飼育が,西アフリカの一部と東アフリカの牧畜民によって行われてきたが,農耕との有機的な結びつきはなく,運搬獣としてもほとんど用いられなかった。 前5世紀ころ,アラビア半島からエチオピアに渡来したセム系の集団によって,ハム系の先住民文化の上に築かれたアクスム王国(現,エチオピア)は,後4世紀にアタナシウス派のキリスト教をとり入れ,アフリカ大陸において特異な文化を形成した(エチオピアでは犂耕,オオムギの栽培も行われてきた)。古代エジプト王国やアクスム王国,カルタゴ(現,チュニジア)を中心とするフェニキア文化,ローマ文化など,古代北アフリカエチオピアは,西アジア・地中海型の性格の強い文化を形づくってきたが,これらの古代文化の影響は,サハラ以南のアフリカには広く根をおろさなかった。…

【アラビア半島】より

…しかしこのころから南アラビアの社会と経済に重大な変化が生じ始めた。その最初の徴候はササン朝ペルシアとアビシニア(エチオピア)のアクスム王国の一時的なイエメン占領で,4世紀半ば過ぎにはキリスト教も伝えられた。灌漑農業の荒廃を象徴するマーリブのダムの決壊は,4世紀から6世紀半ばまでに数回繰り返された。…

エチオピア

… アムハラ族はエチオピアの支配層でもあって,誇り高い人々である。彼らはアクスム王国の子孫であり,故ハイレ・セラシエ皇帝はソロモン王とシバの女王の子孫と主張した。彼らは選ばれた民として4世紀にはキリスト教を受容した。…

ゲエズ語

…ゲエズ語は紀元前に南アラビアから紅海を渡って,エチオピアに移住したセム系の人々の言語(古代南アラビア語の方言)が,土着の言語(クシ諸語)との接触の過程を経て新たに成立した言語である。 北部エチオピアで栄えたアクスム王国の言語として,後3世紀からの碑文資料をもっているが,帝国の衰亡にともなって,10世紀ころには死語となった。しかしそれ以後も文章語としての独占的地位を保ち,19世紀末にアムハラ語に取って代わられるまで,翻訳を中心とする多くのキリスト教文献をはじめ,独自のゲエズ語作品を生み出して,伝統的なエチオピア文化の形成に重要な役割を果たした。…