南詔

南詔

8~9世紀、唐の時代に雲南省にあったチベット=ビルマ系の国家。
 現在の中国の雲南省大理を中心に建国された国で、チベット・ビルマ系のロロ族(烏蛮)が、タイ系の白蛮を抑え、738年ごろ、皮羅閣(ヒロコー)によって建国された。南詔の「詔」は王の意味。南詔は唐と吐蕃(チベット)に挟まれながら自立の道を選び、751年には唐がタラス河畔でアッバース朝の大軍と戦っている間に勢力を強めた。
 754年、宰相楊国忠は玄宗の気を引こうとして南詔討伐軍を起こしたが、漢人の軍は多湿な気候になれずに行軍に苦渋し、失敗した。南詔は、安史の乱で唐が混乱するとこの地方の唐の勢力を一掃した。文化的には漢文化を取り入れ、仏教を奨励したたので唐の影響が強かった。902年、漢人宰相に実権を奪われ、滅亡。次いでこの地には大理が起こる。