阿部正右

阿部正右

あべ まさすけ

別:
幼名:富之助
初名:正治
1738 従五位下
1738 伊予守
1748-1769 備後福山藩三代藩主
1752-1760 奏者番
1756-1760 寺社奉行
1760-1764 京都所司代
1760 従四位下
1760 侍従
1764-1765 西丸老中
1765-1769 本丸老中
父:
備後福山藩二代藩主 阿部正福
室:
正室:(父:陸奥二本松藩五代藩主 丹羽高寛)
子:
-1755 阿部正表
1742-1767 阿部正固
側室:中島氏
1745-1805 阿部正倫

7代・阿部正右(まさすけ)
正福次男 母は継室島津吉貴の養女 
生没・享保8年(1723)~天明6年(1786)
家督・寛延元年(1748)相続
明和2年(1765)老中に進む
従四位下伊予守
正室・二本松藩丹羽高寛の娘
子女・8代正倫


【福山城博物館より】
阿部家 3代藩主 阿部正右
藩主在任期間

1748年(寛延元年)~1769年(明和6年)
生没年

1724年(享保9年)~1769年(明和6年)

1724年(享保9年)、正福の次男として江戸藩邸で生まれ、1748年(寛延元年)25歳で10万石を襲封し、翌年には従五位下伊予守(じゅごいのげいよのかみ)に任じられている。
その後、幕閣への道を歩み初め、1752年(宝暦2年)29歳で奏者番(そうじゃばん)に補任されてから同職9年、1760年(宝暦10年)から京都所司代、そしていよいよ1764年(明和元年)から老中を5年間と、江戸あるいは京都に居住して栄進し続けた。
藩主在任期間は20年、そのうち幕府の要職には17年ということとなった。正右の藩主在任中の主な課題は、藩財政の緊迫状態からいかに脱出させるかであった。畳表・綿・塩などの特産品から運上銀(うんじょうぎん)の増収をはかる他、経済活性化のために1756年(宝暦6年)、1764年(明和元年)には藩札(宝暦銀札、明和銀札)を発行するなど、藩内の緊縮政策をはかるも1769年(明和6年)、46歳の若さで老中在職のままで死去する。



阿部正福━━━阿部正右━┳━阿部正表
            ┣━阿部正固
            ┣━側室:中島氏
            ┗━阿部正倫


阿部家(福山藩)


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