阿部正桓

阿部正桓

あべ まさたけ
 嘉永4年(1851)~大正3年(1914)

別:
初名:浅野元次郎
1868-1869 備後福山藩十代藩主
1869-1871 福山藩知事
1884-1914 伯爵
1914 従二位
母:
某氏
室:
正室:松平寿(父:備後福山藩七代藩主 阿部正弘、義父:越前福井藩十五代藩主 松平茂昭)
継室:鍋島篤子(父:肥前蓮池藩九代藩主 鍋島直紀、義父:侯爵 鍋島直大)
子:
1887-1966 貞子(夫:伯爵 小笠原長幹)
1891-1966 阿部正直
1893-1971 酒井忠正(酒井氏へ)
1860- (養子)阿部正義

14代・阿部正桓(まさたけ)
広島藩浅野長勲の弟
家督・明治元年(1868)相続
明治2年(1869)箱館鎮圧に功を立て、賞典禄6000石を与えられる
従五位下主計頭
正室・福井藩松平茂昭の養女

大名生没年:1852-1914
父:浅野懋昭
父:備後福山藩九代藩主 阿部正方


【福山城博物館より】
阿部家 10代藩主 阿部正桓
藩主在任期間

1868年(慶応4年)~1869年(明治2年)
生没年

1851年(嘉永4年)~1914年(大正3年)

前藩主である正方の不慮の死の後、藩主不在であった福山藩であるが1868年(慶應4年)に広島藩主浅野長勲(あさのながこと)の弟である元次郎を正方の養子として、更に正弘の6女寿子に婿入りするかたちで迎い入れる。こうして福山藩阿部家10代藩主、奇しくも福山藩にとって最後の藩主として遺領11万石余を襲封した。同年、明治へと元号が変わった1868年(明治元年)には幕府残党であった榎本軍が立てこもる箱館五稜郭へむけて鞆港より出陣して箱館戦争へ出兵する福山藩であったが、翌1869年(明治2年)には榎本軍も力尽きて投降し、戊辰戦争は終了した。同年福山藩主は新政府に対して「版籍奉還」を建白、旧藩主正桓は知藩事に任命され、藩政改革に着手した。次いで1871年(明治4年)には「廃藩置県」が断行され福山藩は福山県となることで知藩事を罷免、東京へ移り住むこととなる。



浅野懋昭━━━
阿部正方━━━阿部正桓━┳━貞子(夫:伯爵 小笠原長幹)
            ┣━阿部正直
            ┣━酒井忠正(酒井氏へ)
            ┗━(養子)阿部正義


阿部家(福山藩)


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