9/5(火) 6:02配信
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香港の日本総領事館前での抗議デモ(写真:AP/アフロ)

 8月24日に開始された福島第1原発関連の処理水の海洋放出をめぐって、中国側の異常な反応が目立つ。中国側は今年1月あたりからこの件について言及を開始し、すでに更迭された秦剛前外相も、今年3月の就任記者会見で明確に言及している。以降、処理水の海洋放出については、その安全性が科学的かつ客観的に担保されているにもかかわらず、中国側は日本に対する一方的で非科学的な論難を、次第にエスカレートさせてきた。

 おそらく中国側が処理水について言及をはじめた背景には、日本が米国主導の対中半導体規制に協力し、また、台湾情勢についても中国の武力介入を許さない姿勢を明確化するなかで、対日牽制のカードとして利用する意味合いがあったと推測される。しかし、これは結果として中国にとっての悪手となった。

 日本にとって、対中半導体規制や台湾問題と処理水の海洋放出はまったくの別問題であり、なんらの牽制効果もなかった。すると中国外交にはよく見られるパターンであるが、自分が勝手に振り上げた拳を、自分の面子のためにおろせなくなってしまい、悪循環に陥ったあげく、責任を日本側になすりつけ、さらにその声を大きくしている、というのが実相である。すなわち、中国式の「大国外交」が、またしてもオウンゴールで失点を決めた、ということである。
実は内心穏やかでない中国政府

 中国側の失点はさらに続く。自らの正当性を示すために、国際世論を動員した対日包囲網の形成を試みたが、当然ながら先進各国や東南アジア諸国連合(ASEAN)をはじめとする国際外交の場では相手にもされなかった。加えて、自国領である香港に加え、フィリピンや一部の太平洋島嶼国などで親中勢力を動員し、日本への抗議デモを組織したが、まったく限定的でなんらの影響もおよぼすことができなかった。

 さらに中国政府にとって予想外であったのは、国内向けのプロパガンダを煽り過ぎた副作用で、自国の一部民衆が屈折した正義感や愛国心に駆られ、日本への手あたり次第とも言える嫌がらせの電話や、在中国の外交施設や日本人学校への投擲などを始めたことである。これについて日本のメディアの一部には、背後には中国政府の黙認があるとの見方もある。

 しかし、実のところ中国政府は、近年の強圧的な社会・経済政策のせいで高まっている民衆の不満が、限定的な反日感情として発露されるにとどまらず、燎原(りょうげん)の火の如く燃え広がって制御不能となり、自らに向かってくるリスクをもっとも恐れている。加えて、こうした排日運動が世界から注目されることは、すでに低迷している海外から中国への直接投資を一層冷え込ませるリスクがある。

 国営メディアやSNSなどで、執拗に処理水の「危険性」や日本政府の「非」を喧伝しつつも、民衆の極端な行動については鎮静化を呼びかけるような論説がではじめたのは、内心穏やかではない中国政府の本音を象徴している。
恥ずべき日本国内の一部反応

 このように考えれば、今般の処理水をめぐって立場が危ういのは中国側で、わが国ではない。ところが日本の一部メディアは、中国側の異常な反応によって生じた日本国内への影響を過剰に報道し、日本国民に無用な不安や動揺を与えている。

 一部の野党政治家も、科学的事実を無視するだけなく、あたかも日本政府に問題があるかのような愚論を展開している。加えて政権与党側でも、農林水産相というもっとも直接的に問題対処を迫られている職責者が、処理水を「汚染水」と述べる致命的な言い間違えをし、また中国の実質的な禁輸措置についても「まったく想定していなかった」と失言する愚を犯している。

 こうした日本国内での反応は、中国に自らの愚を悟らせるどころか、日本には「弱み」や「付け入る隙」があると公言しているようなものである。古今の中国における常套手段とは、相手方の内部を分裂させて付け入り、その一方を操ることで相手方全体を弱体化させ、自らの戦いを有利に進めるというものである。この点で、これまでは日中間摩擦に際して「どちらの国民か?」と言いたくなるような反応が多かった財界が、昨今の地政学的緊張から現実に目覚め、中国を利するような発言・姿勢を控えていることは救いである。

 こうしたなかで、いま日本政府に求められているのは、中国との安易な妥協ではない。中国は、日本側が「関係正常化」という言葉に弱いことを理解しているため、事態を少しでも自らに有利な形で幕引きにすべく、甘言と揺さぶりの搦め手を用いながら、「問題解決」に向けて日本政府に妥協を迫るであろう。

 だが、そもそも非科学的で理不尽な論難や対応を続けた非は、中国側にある。日本の惰弱性の象徴とも言える「まあまあなあなあ」の悪癖を見透かされ、あるいは慌てて親中派政治家などを朝貢使節のように訪中させ、安易な「関係正常化」の誘いに乗ることは愚の骨頂である。日本は官民一体で結束し、中国に対して毅然とした対応を貫き続ける必要がある。
日本の漁業を守るため、直ちに行動を

 中国の理不尽な対応でもっとも直接的な影響を受けているのは、実質的な禁輸措置のせいで在庫を抱えた日本の水産関連業界である。さらに今後は日本の農産物や製品などへの不買運動や中長期的なイメージ悪化、さらには訪日旅行客の減少などが連鎖することで、一定の経済的影響は避けられないであろう。

 今回、わが国に反省すべき点があるとすれば、上記リスクは政策側で予測可能なものであったにもかかわらず、不作為によって事業従事者に深刻な影響を与えてしまったことである。それというのも、この10年ほどの日本政府は、農水産物の対外輸出促進を国策として展開するにあたり、成果目標の短絡的な達成のため、来るべき地政学的緊張とそのリスクという現実を真剣に考慮せず、手近と思われた香港を含む中国市場に過度な傾斜を強めてしまった。その結果として、今回のように相手方に弱点を突かれてしまったのである。

 このように考えれば、従来からの風評被害に加えて、今回の中国側の理不尽な対応によって深刻な打撃を受けている国内の水産関連業界には、すでに実施に向け動いている短期的措置だけでなく、国内での流通・消費の一層の拡大、付加価値の向上、新たな輸出市場開拓に向けた、中長期での着実な支援も必要となる。同時にそのためには、広く国民間で問題意識を共有することが必要である。海に囲まれたわが国の将来の漁業を守るためにも、迅速に行動しなければならない。
「チャイナ・リスク」を直視・考究する機会に

 現在、日中間の基礎的な信頼関係は、もはや崩れているといっても過言ではない。かつての「日中友好」の幻想に基づいた時代はとうに過ぎ去り、いまやわれわれの眼前には厳しい地政学的な現実がある。

 こうしたなかで、政治から経済にいたるまでの中国との関係がもはや深刻なリスク要因となったことは、今日においては当然ながら織り込まれていなければならない。そして今回のような問題は、「嵐が過ぎるのを待てばよい」という一過性のものではなく、今後も度々繰り返されることが避けられないであろう。

 処理水の海洋放出をめぐって、中国側によって引き起こされた理不尽な諸問題は、私たち日本人の目前にあらためて「チャイナ・リスク」という、避けては通れない課題を突きつけ、否が応でも正面から直視させる機会となった。これを改めて考究することで、日本全体としての、今後の中国とのあるべき向き合いかたが見えるのではなかろうか。

※本文内容は筆者の私見に基づくものであり、所属組織の見解を示すものではありません。

久末亮一

(出典等)

2024-04-09 (火) 10:19:11
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Last-modified: 2024-04-09 (火) 10:19:11