8/29(火) 14:07配信
ITmedia NEWS

Suicaカードの販売中止を知らせる張り紙

 Suicaカードの販売中止が長期化しているが、JR東日本の公式回答によれば2023年度の下期(つまり年末)から徐々に回復を見込んでいるものの、24年度以降の見通しが現時点で立っておらず、現在では24年春ごろの販売再開に向けて最善を尽くしていくという。つまり今後半年程度での供給回復を見込んでいるが、まだ確実なことはいえない状況だ。

【画像】こちらが東急が実験する「クレカ対応改札機」

 他方で、Suicaなど既存の交通系ICカード(10カード)を使わない新しい改札システムとして、クレジットカードの“タッチ”で公共交通を利用する「オープンループ」の仕組みが急速に日本でも普及を始めている。

 鉄道系で改札システムにこれを採用したのは21年春の南海電鉄が最初だが、東京都心部でも、23年8月30日に東急電鉄が田園都市線での実証実験を開始する。そのため、「Suicaが間もなく消滅して新しい改札システムに置き換わるのでは?」という意見も散見されるようになった。

 今回はSuicaカード販売中止に至る原因と、今後のオープンループとSuicaの関係の2つの項目について検証したい。
Suicaが販売中止となった根本原因

 過去にさまざまな報道やJR東日本が公式見解で述べているように、Suicaなど交通系ICカードで使われる半導体チップの供給不足により、新たにカードが製造できないことが原因だ。一部では、製造を請け負っていたパナソニックセミコンダクターソリューションズが19年に台湾Nuvoton Technologyに事業譲渡したことに端を発するなどと書かれていたようだが、正直なところ真相は不明。ここから先は、あくまで半導体業界の一般的な話を前提に、筆者の考察として認識してほしい。

 製造工場への委託作業ではよくある話だが、製品の製造にあたって契約金を支払い、製造に必要なラインを一定期間押さえて規定数を納品してもらうというのが一連の流れだ。SuicaやPASMOなど、今回問題となっている交通系ICカードの半導体チップもまた、このような形で半導体製造工場に委託して必要数を納品してもらう形となる。

 ただ現在、さまざまな理由から半導体製造の需要に対する充分な供給が行われておらず、いわゆる「半導体不足」という現象が起きている。すべての半導体ではないものの、特定のニーズを満たす半導体についてはこの事象に該当するケースが多く、著名どころでは最先端プロセスのロジック半導体を製造する台湾TSMCに注文が殺到し、ファブレス(自社製造工場を持たない)の半導体メーカーの間で製造ラインの奪い合いが発生している。

 大金を積んでAppleがラインを優先確保し、ここから漏れた他のメーカーは出荷時期の遅れる低い優先順位を甘受するか、別の半導体製造工場に委託せざるを得ないケースが出るなどの状況が生まれている。

 おそらくは、Suicaに関しても似たような状況が起きているのではないかというのが今回の問題の背景だ。日本の交通系ICカードに使われている半導体チップは特に最先端プロセスを要求するものではないものの、FeliCa?という規格自体が世界的にみれば特殊なものであり、その需要もほぼ日本からの発注に限られるため数が比較的少なく、委託先となる製造工場を複数に分けてリスクを回避するような体制になっていなかったと思われる。
ICカードの必要数を見誤った2つの理由

 本来であれば、JR東日本など交通事業者は毎年どの程度のSuica(交通系ICカード)が販売されるかを予測して事業プランを立て、必要数を発注する手はずになっているため問題ないが、今回は2つの要因からその前提が崩れた。

 1つは前述の半導体不足で、おそらく従来であれば問題なかった定期的な発注に対し、委託していた製造工場が別の会社からの依頼によってラインを先に押さえられてしまい、Suica発行に必要な半導体チップの製造に取り掛かれないのではないかというもの。委託先が1つしかないため、製造に取り掛かれないという問題を回避できず、先方から納品が行われるのを待っている状況ではないかという予想だ。ラインが空いて必要数が確保できるまで納品が進まないため、現時点で明確な販売再開時期を発表できないのではないだろうか。

 理由の2つ目は、急増するインバウンドだ。日本国内であれば通勤・通学の定期券需要のほか、無記名や記名式Suicaが一定数ほど定期的に出ていくため、新規発行に必要なカード枚数は予測しやすい。ただ、日本国内での行動制限が2023年頭にほぼ解除されたことを受け、諸外国からの訪日客が急増している。日本での行動には実質的に交通系ICカードの有無がその利便性を決めるため、到着時の購入は必須だ。

 ここで想定以上のカードが販売されてしまったことで、2024年の春シーズンの定期券発行に必要となる枚数を最低限確保しつつ、交換や再発行要請に対応する必要のある記名式Suicaの必要枚数を各駅にストックすることを計算して、最初に無記名Suica、次に記名式Suicaの順で販売を停止したというのがその流れだ。現在は定期券や訪日外国人向けのWelcome Suicaなどが販売されるのみで、現状のストック数を保持することで凌いでいるわけだ。

 なお、特例として、青森、盛岡、秋田など、23年5月から新規にSuica対応エリアとなった東北3県では、現在もなお無記名ならびに記名式Suicaの販売が継続されている。現地での利用促進のためということで、販売すべきSuicaがまったくなくなってしまったわけではない。むしろ、24年の春シーズンに備えてなるべく数を減らさないようにしているだけだ。
「クレカのタッチ乗車」はSuicaを置き換えるのか

 今後の見通しだが、おそらく半導体不足は短期的な要因にすぎないため、そう遠くないタイミングで供給は改善される。これを機会に「Suica(を含む交通系ICカード)を置き換え」のような機運も別に起きないと思われる。

 ただ、今回の1件で“交通系ICカードが必要としている”FeliCa?チップに調達上のリスクがあることが顕在化したのは大きいだろう。これはJR東日本自身が一番実感していると考えられ、今後の戦略に影響を及ぼす可能性た高い。

 なお、今回販売制限がかかったのはSuicaとPASMOの東京首都圏の交通系ICカードのみで、他社からは同様の発表が行われていない。これは単にSuicaとPASMOを除く他社のカード発行枚数が圧倒的に少ないからで、インバウンド客の多くが東京に到着してSuicaやPASMOを入手していくことを考えれば、カードの新規発注を行うほどの需要もないのだと考えている。

 JR東日本は、Suicaを同社の経済圏の中核の1つとして捉えており、24年から順次スタートする「QRコード」を用いた新しい改札システムにおいても、いわゆるオープンループのような「クレジットカードの“タッチ”動作で乗車」する仕組みの導入は現時点で考えていない。QRコードはモバイルアプリを使った企画乗車券や長距離での移動の際の事前購入乗車券の利用を前提としたもので、主要エリアでの主役はあくまでSuicaのままだ。

 ここで重要なのは“Suica”にこだわっているという点で、別に“FeliCa?”という技術に固執しているわけではない。この点を踏まえると、今回の事件がJR東日本の将来的な判断に何か影響を与えるのではないかというのが筆者の意見だ。

 Suicaをはじめとする交通系ICの置き換えが進まない最大の理由としては、「すでに広く普及したインフラ」という部分が大きい。「1分間に60人の通過をさばける高速動作」は要素の1つにすぎず、普及したインフラからの移行には各社が一斉に動かざるを得ず、トラブルを最小限に移行するためには、まだまだ時間がかかる。

 Suicaを使った既存の改札システムもすでに枯れた技術であり、現在は改札処理で最も複雑で時間のかかる「料金と経路計算」をサーバでの集中処理に置き換えたクラウド型へと移行しつつある。同じSuicaではあるものの、中身は少しずつ変化しており、新しい仕組みへと移行することで可能になるサービス(例えばQRコード乗車が典型例)もあり、いつまでもまったく同じ仕組みで良いわけではないというのは各社共通の考えだ。
東急がオープンループを始める「真の狙い」

 だが現在のトレンドは改札処理だけの話題にとどまらず、その先へと向かいつつある。その顕著な例は、間もなく東急が田園都市線で始めるオープンループの仕組みで、これは多くの人が思っている以上に壮大なプロジェクトだ。

 開始時点では渋谷駅を含む田園都市線の全ての駅の改札口にクレジットカードとQRコードが読み取れる車椅子利用者向けの改札機を設置し、事前に購入した企画券をQRコードまたは登録済みのクレジットカードを使って改札を通過できるようになる。「なんだ、1日周遊券(企画券)だけなのか」という落胆の声もあったが、おそらくは東急がこのプロジェクトに込めた一番のポイントがここにある。

 今回のプロジェクトでは東急電鉄のほか、不動産事業なども束ねる東急グループが含まれているが、「この企画券を使って人々がどのように動き回るのか」というのをデータとして集めることが狙いとみられる。

 クレジットカードは鉄道乗車のみならず、周辺での買い物でも利用できるため、「ある人物がどう移動してどこで過ごし、どういった買い物や行動を取ったのか」という一連の流れが把握できる。東急カード利用時に割引などの特典を付けているのもポイントで、1枚のカードを元手にデータを収集することが可能だ。

 もちろんデータそのものは匿名化されて個人を特定できないような形で分析に使われるが、従来のクレジットカードが買い物での商圏のみ、Suicaなど交通系ICカードが駅での移動しか把握できなかったことを考えれば、集まるデータの粒度はより高くなる。データビジネスやマーケティング分野で最も理想的なデータが集まる仕組みであり、これは既存の交通系ICカードにはない特徴だ。

 おそらく、JR東日本はSuicaで同様のビジネスを実現したいと考えているのだろうが、オープンループが実現する世界には及ばないのが実際だ。

 まとめると、公共交通での改札システムは実装技術の話題から、すでに次のステージにその視点が移っている。1枚のカードを軸にデータビジネスをどう進めていくかの主導権争いとなっており、「Suicaかオープンループか」という話は、どちらがそれをより効果的に実践できるかの話でもある。

ITmedia NEWS

(出典等)

2024-04-09 (火) 10:20:00
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Last-modified: 2024-04-09 (火) 10:20:00