弥生後期
弥生後期(日本-日本-弥生時代) | ||||
-100 | 魚見ケ原遺跡(日本-日本-弥生時代) | |||
-100 | 小国家の発生(日本-日本-弥生時代) | |||
-100 | 青銅器の伝来(日本-日本-弥生時代) | |||
-100 | 倭(日本)に100以上の小国が存在する(漢書-地理志より)(日本-日本-弥生時代) | |||
-100 | 弥生後期紀元前5世紀、北部九州で紀元前700年ころ始まった水稲耕作が西日本に伝わり、やがて東北地方の一部まで伝わる(砂沢遺跡)。湿地が中心。木の鍬・鋤を使用。 環濠集落出現(前期?後期)(日本-日本-) | |||
-100 | 弥生中期→弥生後期(日本-日本-弥生時代) | |||
-98 | 4 | 9 | 第9代開化天皇崩御111歳(日本-日本-弥生時代) | |
-97 | 1 | 13 | 第10代崇神天皇が即位(日本-日本-弥生時代) | |
-97 | 2 | 16 | 崇神天皇が御間城姫を皇后とする。(日本-日本-弥生時代) | |
-95 | 9 | 都を磯城端籬宮に移す(現在の奈良県桜井市金谷付近)(日本-日本-弥生時代) | ||
-93 | 疫病が流行し、民の死亡するもの半ば以上(日本-日本-弥生時代) | |||
-88 | 9 | 9 | 大彦命を北陸に、武渟川別を東海に、吉備津彦を西海に、丹波道主命を丹波にそれぞれ遣わし「教えに従わない者があれば兵をもって討て」と、印綬を授け将軍とした。(日本-日本-弥生時代) | |
-88 | 9 | 9 | 崇神天皇は四道将軍を遣わす。(日本-日本-弥生時代) | |
-86 | 9 | 16 | 朝廷が初の人口戸口調査を行う(日本-日本-弥生時代) | |
-69 | 1 | 1 | 活目入彦五十狭茅尊(垂仁天皇)生誕(日本-日本-弥生時代) | |
-50 | 4 | 19 | 活目入彦五十狭茅尊(垂仁天皇)立太子(日本-日本-弥生時代) | |
-30 | 12 | 5 | 第10代崇神天皇崩御119歳(日本-日本-弥生時代) | |
-29 | 1 | 2 | 第11代垂仁天皇が即位(日本-日本-弥生時代) | |
-29 | 10 | 11 | 崇神天皇を山辺道上陵に葬る(日本-日本-弥生時代) | |
-28 | 2 | 9 | 垂仁天皇は狭穂媛命をたてて皇后とする(日本-日本-弥生時代) | |
-28 | 10 | 垂仁天皇は都を纏向の珠城宮とした。(日本-日本-弥生時代) | ||
-26 | 9 | 23 | 狭穂彦王(さほびのみこ)が同母妹で垂仁天皇の皇后でもある狭穂姫(さほびめ)に天皇の暗殺を依頼する。(日本-日本-弥生時代) | |
-25 | 10 | 1 | 垂仁天皇が皇后狭穂姫(さほびめ)の涙で狭穂彦王(さほびのみこ)の謀反を知る(日本-日本-弥生時代) | |
-25 | 狭穂彦。沙本毘古王。 ワカヤマトネコヒコ(9代開花天皇)の御子ヒコヰマスの子。 サホ姫・カンホネ・タニハチヌシと兄弟。 イクメイリヒコ(11代垂仁天皇)を殺して天下を得ようと、天皇の内宮になっている妹のサホ姫に秘刀を渡し、殺害を依頼する。しかし企みはサホ姫の涙によって露見し、ヤツナダによって討たれる。(日本-日本-弥生時代) | |||
-15 | 2 | 10 | 垂仁天皇は日葉酢媛他を後宮に入れる(日本-日本-弥生時代) | |
-15 | 8 | 1 | 垂仁天皇は日葉酢媛を皇后に立てる(日本-日本-弥生時代) | |
-13 | 大足彦忍代別尊(景行天皇)生誕(日本-日本-弥生時代) | |||
1 | 百余国に分立。漢(楽浪郡)に遣使。(日本-日本-弥生時代) | |||
1 | 倭の奴国王、後漢に入貢(日本-日本-弥生時代) | |||
1 | 倭奴国、金印授綬(日本-日本、倭奴国-) | |||
8 | 1 | 1 | 大足彦忍代別尊(景行天皇)立太子(日本-日本-弥生時代) | |
57 | 倭の奴国王(なこくおう)が後漢に朝貢して光武帝から漢委奴国王印を印綬(後漢書-東夷伝より)(東アジア-中国、後漢、日本、倭奴国-弥生時代) | |||
70 | 7 | 14 | 垂仁天皇が纏向宮で崩御139歳(日本-日本-弥生時代) | |
70 | 12 | 10 | 垂仁天皇を菅原伏見陵に葬る(日本-日本-弥生時代) | |
71 | 3 | 12 | 垂仁天皇の命で常世国に遣わされていた田道間守が非時の香果を持ち帰った(橘・・・蜜柑の原種)(日本-日本-弥生時代) | |
71 | 7 | 11 | 第12代景行天皇が即位(日本-日本-弥生時代) | |
72 | 3 | 3 | 景行天皇は播磨稲日大郎姫を皇后とする(日本-日本-弥生時代) | |
74 | 11 | 1 | 景行天皇は都を纏向の日代宮(ひしろのみや)に遷す。(日本-日本-弥生時代) | |
82 | 8 | 15 | 景行天皇は熊襲征伐に筑紫にむけ出発(日本-日本-弥生時代) | |
84 | 稚足彦尊(成務天皇)生誕(日本-日本-弥生時代) | |||
89 | 9 | 20 | 景行天皇は熊襲征伐に成功し帰国(日本-日本-弥生時代) | |
97 | 10 | 13 | 16歳の小碓[をうす]皇子(日本武尊)が景行天皇が熊襲征伐を命じられ出発。(日本-日本-弥生時代) | |
97 | 12 | 日本武尊が熊襲制圧に成功(日本-日本-弥生時代) | ||
98 | 2 | 1 | 日本武尊が熊襲征伐に成功し大和に凱旋(日本-日本-弥生時代) | |
99 | 弥生中期/弥生後期(日本-日本-弥生時代) | |||
100 | この頃水稲耕作、東北南部まで広まる(日本-日本-弥生時代) | |||
100 | 山ノ口遺跡・王子遺跡(日本-日本-弥生時代) | |||
100 | 弥生中期/弥生後期(日本-日本-弥生時代) | |||
107 | 倭国王・帥升(すいしょう)等後漢に入貢生口160人を献上(後漢書、東夷伝)後漢書・東夷伝は5世紀に宋の范曄があらわしたものである。したがって、何か元になる書物から引用したものと思われる。 2世紀後半倭国大乱(日本-日本、後漢-弥生時代) | |||
110 | 7 | 16 | 景行天皇が日本武尊(ヤマトタケル)に東夷討伐を命じる(日本-日本-弥生時代) | |
110 | 10 | 2 | 日本武尊が東夷討伐に出発する。(日本-日本-弥生時代) | |
110 | 10 | 7 | 日本武尊が伊勢神宮で倭姫命から天叢雲(後の草薙剣)を賜る(日本-日本-弥生時代) | |
116 | 8 | 4 | 稚足彦尊(成務天皇)が立太子(日本-日本-弥生時代) | |
130 | 11 | 7 | 第12代景行天皇崩御(大足彦忍代別尊)享年143歳といわれているが・・・?(日本-日本-弥生時代) | |
131 | 1 | 5 | 第13代成務天皇(日本-日本-弥生時代) | |
131 | 1 | 5 | 稚足彦尊(成務天皇)が即位(日本-日本-弥生時代) | |
146 | 倭国大乱(倭の小国どうしの内戦)の結果、卑弥呼が女王になり邪馬台国に都をおいた-189(日本-日本-弥生時代) | |||
147 | 倭国大いに乱れる(147→189)。桓帝(147-167)・・・霊帝(168-189)の間(日本-日本-弥生時代) | |||
151 | 2世紀後期塔ノ首遺跡(上対馬町)(対馬)(日本-日本-) | |||
158 | 新羅、倭人が交際のために訪れた。(東アジア-朝鮮、新羅、日本:、倭-) | |||
178 | 3 | 1 | 仲哀天皇立太子(日本-日本-弥生時代) | |
190 | 6 | 11 | 第13代成務天皇崩御107歳(日本-日本-弥生時代) | |
192 | 1 | 11 | 第14代仲哀天皇即位(日本-日本-弥生時代) | |
200 | 古墳文化発進(日本-日本-弥生時代) | |||
200 | 2 | 6 | 第14代仲哀天皇崩御(日本-日本-弥生時代) | |
200 | 2 | 6 | 神託を拒絶したため熊襲(くまそ)征討に失敗。病没する(日本-日本-弥生時代) | |
200 | 10 | 3 | 神功皇后、新羅征討に出発。神託に従ってその神々を祀り、熊襲を討ったところあっけなく鎮圧に成功した。そして九州の制圧に成功する。そして、そのまま勢いに乗り新羅まで征圧してしまう。(日本-日本-弥生時代) | |
200 | 12 | 14 | 誉田別尊(応神天皇)生誕(日本-日本-弥生時代) | |
201 | 3世紀頃中国の三国時代に陳寿(233~297)が著した「魏志倭人伝」に「対馬国」に関する模様が記述される。(対馬)(日本-日本-) | |||
201 | 10 | 2 | 群臣は神功皇后を尊び皇太后と呼びこの年を神功摂政元年とした。(日本-日本-弥生時代) | |
203 | 1 | 3 | 誉田別尊(応神天皇)立太子(日本-日本-弥生時代) | |
220 | 倭の卑弥呼、韓と共に遼東の公孫氏に属す?(日本-日本-弥生時代) | |||
239 | 倭の女王卑弥呼、帯方郡に遣使(239)(日本-日本-弥生時代) | |||
239 | 魏志倭人伝によれば、この頃、邪馬台国(30国ほどの小国連合)の卑弥呼が大夫難斗米らを帯方郡に貢を持たせて派遣している。 太守は役人を付添わせて洛陽に行かせたという。 親魏倭王(しんぎわおう)の称号と金印紫綬と銅鏡100枚を賜る。(日本-日本-弥生時代) | |||
240 | 魏志倭人伝によれば建忠校尉梯携らを遣わして詔書や印綬を持たせて倭国に行かせたという。(日本-日本-弥生時代) | |||
247 | 邪馬台国卑弥呼がと狗奴国(くなこく)卑弥弓呼と戦う。 卑弥呼の死後、男王がたつが国内治まらず、壱与(台与)が女王となり治まる。(日本-日本-弥生時代) | |||
古墳時代[250年頃~592年](日本-日本-弥生時代 → 古墳時代) | ||||
250 | 古墳時代[250年頃~592年](日本-日本-) |