第4代懿徳天皇(いとくてんのう)、大日本彦耜友尊(おおやまとひこすきとものみこと)
父・安寧天皇(あんねいてんのう) 母・渟名底仲媛命(ぬなぞこなかつひめのみこと)(鴨王の女)
皇后・天豊津媛命(あまとよつひめみこ)
子・観松彦香殖稲尊(孝昭天皇)
皇居・曲峡宮(まがりおのみや)
陵墓・陵名: 畝傍山南繊沙谿上陵(うねびやまのみなみのまなごのたにのえのみささぎ)
形状: 山形
所在: 奈良県橿原市西池尻町
第4代 懿徳天皇は安寧天皇の第2子。安寧11年に立太子。即位後、軽の曲峡宮に遷都して天豊津媛命を皇后とした。
在位34年にして没し、畝傍山南繊沙谿上陵に葬られたという。
略歴 (紀元前)
BC553-戊申-綏靖29年 生誕
BC538-癸亥-安寧11年1月1日 立太子
BC511-庚寅-安寧38年12月6日 安寧天皇崩御
BC510-辛卯-懿徳01年02月04日 即位
BC510-辛卯-懿徳01年08月01日 安寧天皇を御蔭井上陵に葬る
BC509-癸辰-懿徳2年1月5日 軽の曲峡宮に遷都
BC509-癸辰-懿徳02年02月11日 天豊津媛を皇后とする
BC506-乙未-懿徳05年 観松彦香殖稲尊(孝昭天皇)が生まれる
BC489-壬子-懿徳22年2月12日 観松彦香殖稲尊(孝昭天皇)を皇太子とする
BC477-甲子-懿徳34年09月08日 崩御
BC476-乙丑-10月13日 畝傍山南繊沙谿上陵に葬られる。