[研究論文]
石橋湛山の“満州放棄論
増田 弘 (本学国際社会学部教授)
(一)
 日本は「(アジアなど)弱小国に対して、この『取る』態度を一変して、『棄つる』覚悟に改めよ、即ち満州を放棄し、朝鮮台湾に独立を許し、其他支那に樹立している幾多の経済的特権、武装的足懸り等を捨ててしまえ、そして此等弱小国と共に生きよ」。ジャーナリスト石橋湛山は、雑誌『東洋経済新報』の 1921(大正 10)年 7 月 30 日号社説の中でこのように主張した。彼は当時 37 歳の壮年期にあり、その四年後に同社の第五代主幹に就任する。そして昭和初期の“金解禁論争”で名を一躍高め、太平洋戦争敗戦後には政界に転じ、蔵相・通産相を経てわずか 10 年で首相の座へと上り詰める人物である。
 しかし当時、日本国民の間では満州を「20 億の国帑(国家財産)と10 万の英霊が眠る聖域」とみなす雰囲気が定着していた。また満州は元来満州民族の地であり、漢民族の支配地ではないとする中国への歴史観や民族観もあり、そこに日本人の大国意識を反映した中国人蔑視や、政治的分裂と社会的混乱を繰り返す中国へのネガティブな感情が加わって、日本の満州領有を当然視する国内世論が形成されていた。
 これに対して『新報』の湛山は、大正初期以降、中国の革命運動および排外ナショナリズムを終始肯定し、日本政府や軍部が推進する中国への干渉政策や一般国民の中国軽視の風潮を厳しく批判し、満州を含む全植民地の放棄を唱え続けたのである。では湛山は一体どのような理由で、石原莞爾らの満州領有論に対座する、特異な満州放棄論を繰り返し提唱したのであろうか。
(二)
 湛山が持論の満州放棄論を完成させるのは、第一次世界大戦の終わる 1910 年代末期から 20 年代初期にかけてである。それは、1政治・外交、2経済、3人口・移民、4軍事、5国際関係の論点から構成されていた。以下、それらを順次紹介しよう。

i)政治・外交の論点
 なぜ日本は満州を政治・外交上放棄しなければならないのか。その根本的な理由は、満州が中国領土の一部であり、中国人を主権者とする外国の地であるからである。そこには多数の中国人が居住し、農業・工業・商業などあらゆる営業に従事し、財産を所有している。また諸外国は様々な形で中国国内に投資を行っており、中国との貿易も活発に行っている。にもかかわらず、日本が朝鮮と同様に満州を併合しようとすることは「由々しき問題」だ、と湛山は指摘する。なぜなら、そのような態度は中国人や外国人の利益を無視し、中国すべての民心を不安に落し入れ、反日感情を激化せしめ、諸外国から非難を浴びることとなるからである。このような侵略的態度は、日清・日露の両戦争で勝ち、「増長慢を生じた結果」であり、日本ほど「公明正大の気の欠けたる国はない」と手厳しく批判した。
 しかし現実に中国内部は分裂・抗争し、混乱を重ねているではないか。中国人は依然旧弊に堕し、国家統一の気概すら持たないではないか。湛山はこのような日本国民の中国蔑視観に反駁する。「支那の革命
は成功しえないなどと断ずるは軽率極った事である」、日本の明治維新
でさえ、その安定に 10 年を要した、中国は日本の 30 倍近い面積だから、革命はおいそれとは片付かない、と。では今後日本はどうすればよいのか。
 気を永く持ち、中国人の政治的希望を第一に尊重し、無理に一方を圧迫したり、他方を支援したりせず、諸外国が中国の政争に干渉しようとする場合、わが国はこれを排斥して、「功利一点張りで行く」よう湛山は主張する。そして「満州も還したい、旅順も還したい、其の他一切の利権を挙げて還したい、而して同時に世界の列国に向かっても、我が国と同様の態度に出でしめたい、而して支那をして自分の事は自分で処理するようにせしめたい。日本の為め、支那の為め、世界の為め、之れに越した良策は無い」と断言するのである。

ii)経済の論点
 では経済上なぜ満州を放棄すべきか。湛山は当時の日本人の抱く常
識、すなわち日本は天然資源に乏しく領土が狭いため、資源豊かな他
国の領土を奪取して併合するほかに国家発展の途はない、との見解を
全面的に否定した。つまり、植民地を領有しても日本人が期待するほ
どの利益をもたらしていない、と主張した。同時に多くの資料や統計
のデータを用いてこの事実を解明した。たとえば、1920 年の日本の輸
出入総額を朝鮮・台湾・関東州の三植民地と、米・英・インドと比較
すると、三植民地との貿易総額は 9 億 1500 万円であるが、米国とは 14
億 3800 万円、英国とは 3 億 3000 万円、インドとは 5 億 8700 万円と大
幅に上回っており、日本の経済的自立という観点からすれば後者の方
がはるかに重要であり、しかも満州などが石炭、鉄、石油、綿花など
工業上必要な原料の十分な供給地ではない点を示した。こうして湛山
は日本人が当然視する植民地必要論を「幻想である」と断言したので
ある。人道的倫理をオブラートで包み隠しながら、一般国民にわかり
易く、いわばソロバン勘定の損得で植民地の無益さを説いたわけであ
−49−増田 弘
る。
では今後日本は中国に対してどのような経済貿易政策を取るべきか。
湛山は、日本が急速に中国の「富源」を開発し、中国経済の発達(鉄
道などインフラ)を促すことであり、そのためには中国全土を機会均
等主義の下に列国に開放し、欧米先進諸国の無限の資本と優秀な企業
力を最大限に中国に導入させ活動させることであり、そうすれば日本
の中国貿易は一層増大し、これに刺激されてわが商工業は興隆するは
ずであると主張したのである。
iii)人口・移民の論点
ではなぜ人口・移民の観点から満州は不要なのか。湛山は「領土が
狭く、人口が膨張する状況では海外移民は不可欠である」との当時の
常識的見解を誤った考え方として斥けた。なぜか。今日では工業が発
達し、貿易が活発となり、食料はたとえ国内で生産しなくとも、世界
に大市場が控えており、必需品の獲得は自由自在であるからである。
この見地から、マルサス的な人口過剰論に基づく“移民必要論”の欠
陥を突いた。たとえば 1918 年時点で、外地に住む日本人は総計 80 万人
に満たないのに対して、日本の総人口はその間の 13 年間に 945 万人増
加し、6000 万人に達している。わずか 80 万人のために 6000 万人の幸
福や人的活用を忘れてはならない、と論じたのである。
iv)軍事の論点
では軍事上ないし国防上なぜ満州を放棄した方がよいのか。すでに
湛山は、世界各国民の利害関係が今や錯綜してきたため、文明国間の
戦争が不可能となりつつあるとのノーマン・エンジェル(Norman
Angell)の学説を積極的に肯定した。ところが現実のわが国は、戦争は
領土や賠償金の獲得など儲かるものとの旧来の戦争観に基づいて膨張
−50−石橋湛山の“満州放棄論
政策をとり、満州はじめアジア大陸への支配強化を図っている。それ
は日中関係を悪化させると同時に、日米対決を深め、日米軍拡競争を
生み、ひいては日米戦争の危険をもたらすなど憂うべき状況となって
いた。
湛山の立場からすれば、軍備を整える必要は、他国を侵略するか、
他国に侵略される恐れがあるかの二つの場合以外にはなく、もし他国
を侵略する意図もなく、他国から侵略される恐れもないならば、警察
以上の兵力は、海陸ともに用はないはずであった。しかし、もし他国
がわが国を侵略する恐れがあるとすれば、
「我海外領土に対してであろ
う。...戦争勃発の危険の最も多いのは、寧ろ支那又はシベリヤである。
...茲に戦争が起れば、起る」と湛山は予想した。とすれば、わが国が
中国またはシベリアへの野心を捨てて、満州や台湾・朝鮮・樺太など
も不要であるといった大胆な態度に出れば、戦争は絶対に起らないし、
他国から侵略されることも決してないと断言するのである。
v)国際関係の論点
では国際関係上、なぜ日本は満州を放棄しなければならないのか。
それは日本が国際的孤立を深めているからである。パリ平和会議以後
の日本を取り巻く極東情勢は、湛山の眼には一層厳しいものと映って
いた。1920(大正 9)年 1 月 24 日号社説「日米衝突の危険」で、もし
日米間に戦争が起りえるかと問えば皆笑うだろうが、
「日米両国の間に
支那を取入れて見る時は、両国の関係は、頗る色彩を改めて来る。...
支那の独立統一の運動は、先ず此脅威(日本の帝国主義的野心)に対
抗し、其圧迫を掃い除けることが、一大要件だ。...そこへ米国が這入
って来る。...米国が支那の此統一運動の味方として、援助者となって、
参加して来る。...若し一朝、日支の間に、愈よ火蓋が切られる時は、
米国は日本を第二の独逸となし、人類の平和を攪乱する極東の軍国主
−51−増田 弘
義を妥当さねばならぬと、公然宣言して、日本討伐軍を起し来りはせ
ぬか」と、すでに 21 年も前に日米開戦の危険を予告した。
しかし日米両国は戦ってはならない、と湛山は強調する。なぜか。
戦争は勝敗に関係なく双方に利益をもたらさないからであり、また経
済・貿易上アメリカは日本にとってどこよいも重要な国であるからだ。
では日米開戦を回避する方法とは何か。湛山は、1太平洋上の軍備を
撤廃する、2日本は日英同盟を廃止し、イギリスのための「東洋の番
犬」から脱却する、3日米対立の根幹となっている満州などの中国利
権をすべて放棄し、開放することを提言した。そうすれば日米戦争を
回避させ、ひいては日本の国際的孤立状態からも脱することができる
と説いたのである。
(三)
最後に、湛山が満州事変以降の軍部の動きと、石原莞爾の満州領有
論をどのように認識していたかを論じたい。1931 年 9 月、石原ら関東
軍が満蒙掌握のために決起した柳条湖事件に対して、湛山は「この武
力行使によって満蒙問題の根本的解決は困難である」と主張し、陸軍
の行動はたとえ法制上正しくても、政治的には「左様な乱暴」が行わ
れてはたまらない、内閣の意図しない海外出兵が実施されたら「国家
の危険此上も無い」と陸軍を非難した。ところが石原らは満州掌握に
成功し、清朝の廃帝溥儀を担ぎ出して満州独立国家の建設に乗り出し
た。すると湛山は、石原らが唱える東亜連盟構想や「五族協和・王道
楽土」のスローガンなど、日本で実現できないことを他国で実現でき
るはずがなく、単なる「空想」であると切り捨てた。そして新国家が
誕生すると、
「甚だ不自然の経過」による国家が「今後の満蒙を健全に
経営し得べしとは信じ得ない」と真っ向から否認した。
−52−石橋湛山の“満州放棄論
湛山の予想は的中した。満州国はわずか 13 年でその命脈が尽きたば
かりでなく、結局満州問題を起因にして日米開戦となり、日本は敗戦、
かつてない国難に直面する。しかし日本は奇跡の復活を遂げる。とま
れ、日本は満州など植民地なしに経済大国として復活を遂げたことを
忘れてはならない。ここに湛山が長年掲げた小日本主義に基づく満州
放棄論の正しさもまた歴史上に証明されたわけである。
追記 本稿は『歴史読本、特集石原莞爾と満州帝国』2009 年 9 月号
(新人物往来社)に掲載されたものの転載である。なお同月号は 2010 年
2 月に単行本『石原莞爾と満州帝国』として同社より出版されている。
−53−Tanzan Ishibashi’s Views on the Abolishment of
Manchuria
MASUDA Hiroshi
Faculty of Social Sciences
Toyo Eiwa University
This article is aimed to clarify the distinguished views on
Manchuria expressed by Tanzan Ishibashi, who was a famous
liberal journalist of the Oriental Economist (Toyo Keizai
Shinposha) during the period 1912-1946 and who served as
Japanese prime minister in 1956-57. Ishibashi and the Oriental
Economist had incessantly argued since the early 1910s that
Japan should abolish all colonies, including Manchuria, Korea,
and Taiwan, as soon as possible, even though it could be
considered natural for the Japanese government and military
forces to possess colonies in a so-called age of imperialism. In this
context, Ishibashi not only criticized the military activities of the
Kwantong army led by Lieutenant Colonel Kanji Ishihara and
Colonel Seishiro Inagaki beginning in September 18, 1931 but also
denied the foundation of Manchukuo, the puppet government
controlled by the Kwantong army. Although this state lasted for
just thirteen years until the end of the Pacific war on August 15,
1945, it is meaningful to recognize that Ishibashi’s views such as
“Little Japanese-ism” were not necessary inappropriate in the
development process of the postwar period.
−54−


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Last-modified: 2018-04-09 (月) 00:25:00