阿部正教
阿部正教
あべ まさのり
天保10年(1839)~文久元年(1861)
- 別:
- 従五位下
伊予守
1857-1861 備後福山藩八代藩主 - 父:
- 10代阿部正寧の長男
- 母:
- 大河内氏
- 室:
- 正室:鋹姫(父:越後新発田藩十一代藩主 溝口直溥)
- 子:
- 1848-1867 (養子)阿部正方(13代)
12代
家督・安政4年(1857)相続
従五位下伊予守
正室・新発田藩溝口直溥の娘
生没年:1840-1861
父:備後福山藩六代藩主 阿部正寧
義父:備後福山藩七代藩主 阿部正弘
【福山城博物館より】
阿部家 8代藩主 阿部正教
藩主在任期間
1857年(安政4年)~1861年(文久元年)
生没年
1839年(天保10年)~1861年(文久元年)
正寧の長男として1839年(天保10年)江戸藩邸で生まれる。1857年(安政4年)叔父の藩主正弘の養子となり、同年19歳で正弘の遺領11万石余を継ぎ、従五位下伊予守に任ぜられる。
正弘の意思を継ぎ藩士の文武の道を奨励し、また海防のためにやはり正弘が画策した西洋式藩船の建造を発意するなど藩政改革に着手したが、1861年(文久元年)、23歳の若さで病没した。治世はわずか3年であった。
正教の早逝により福山藩阿部家3代正右から7代正弘まで続いてきた奏者番、寺社奉行、京都所司代、老中といった幕府における阿部家の役職の就任は途絶えることとなるが、京都守衛、第一次・第二次長州出兵など、福山藩は譜代藩として新たなかたちで幕末の日本で活躍していくこととなる。