data_松前家(松前藩)
名前 | かな | 説明 |
松前慶広 | まつまえよしひろ | 松前藩藩祖 家臣蠣崎季広の三男、母は家臣河野季通の娘 生没・天文17年(1548)~元和2年(1616) 家督・天正10年(1582)相続 従五位下伊豆守 正室・家臣村上季儀の娘 子女・養子公広(2代) |
松前公広 | まつまえきんひろ | 松前藩2代 藩祖慶広の長男盛広の長男 母は家臣下国直季の娘 生没・慶長3年(1598)~寛永18年(1641) 家督・元和3年(1617)相続 従五位下志摩守 正室・大炊御門資賢の娘(資賢の名は大炊御門家嫡流に見あたらず、あるいは改名したものか) 子女・3代氏広 |
松前氏広 | まつまえうじひろ | 松前藩3代 公広次男 母は正室大炊御門資賢の娘 生没・元和8年(1622)~慶安元年(1648) 家督・寛永18年(1641)相続 正室・家臣蠣崎友広の娘 子女・4代高広 |
松前藩4代・松前高広(まつまえたかひろ) 氏広長男、母は家臣蠣崎友広の娘 生没・寛永20年(1643)~寛文5年(1665) 家督・慶安元年(1648)相続 従五位下志摩守 正室・家臣蠣崎利広の娘 子女・5代矩広 | ||
松前藩5代・松前矩広(まつまえのりひろ) 高広長男、母は家臣蠣崎利広の娘 生没・万治2年(1659)~享保5年(1720) 家督・寛文5年(1665)相続 従五位下志摩守 正室・唐橋在勝の娘 子女・養子邦広(6代) | ||
松前藩6代・松前邦広(まつまえくにひろ) 家臣松前本広の三男 生没・宝永2年(1705)~寛保3年(1743) 家督・享保6年(1721)相続 従五位下志摩守 正室・高野保光の娘 継室・家臣土橋武則の娘 子女・7代資広 女子→高野隆古室 俊則(大和柳生藩柳生俊峰養子) | ||
松前藩7代・松前資広(まつまえすけひろ) 邦広長男 母は家臣土橋武則の娘 生没・享保11年(1726)~明和2年(1765) 家督・寛保3年(1743)相続 従五位下若狭守 正室・八条隆英の娘 子女・8代道広 | ||
松前藩8代・松前道広(まつまえみちひろ) 資広長男、母は正室八条隆英の娘 生没・宝暦4年(1754)~天保3年(1832) 家督・明和2年(1765)相続 従五位下志摩守 寛政4年(1792)隠居 正室・花山院常雅の娘 子女・9代章広 | ||
松前藩9代・松前章広(まつまえあきひろ) 道広長男 母は平田氏 生没・安永4年(1775)~天保4年(1833) 家督・寛政4年(1792)相続 寛政11年(1799)東蝦夷地を上知される 文化4年(1807)陸奥国伊達郡梁川へ移封される 文政4年(1821)旧領へ復す 従五位下若狭守 正室・なし 子女・女子→高野保右室 見広 崇広(11代昌広養子、12代) | ||
松前藩10代・松前良広(まつまえよしひろ) 章広の次男見広の長男 母は村山氏 生没・文政6年(1823)~天保10年(1839) 家督・天保5年(1834)相続 正室・なし 子女・養子昌広(11代) | ||
松前藩11代・松前昌広(まつまえまさひろ) 9代章広の次男見広の次男 母は村上氏 生没・文政8年(1825)~嘉永6年(1853) 家督・天保10年(1839)相続 従五位下志摩守 嘉永2年(1849)隠居 正室・西尾藩松平乗全の娘 子女・徳広(崇広養子、13代) 養子崇広(12代) | ||
松前藩12代・松前崇広(まつまえたかひろ) 9代章広の六男 母は笠島氏 生没・文政12年(1829)~慶応2年(1866) 家督・嘉永2年(1849)相続 安政2年(1855)東在・木古内村以東、西在・乙部村以北の地が幕領となり、替地として陸奥国伊達郡梁川・出羽国村山郡東根に合わせて3万石を与えられる 元治元年(1864)7月老中(格)、同年11月老中に進む 従四位下伊豆守 正室・中村藩相馬益胤の娘 子女・養子徳広(13代) 女子→足利藩戸田忠行室 女子→天童藩織田信敏室 女子→喜連川藩喜連川縄氏室 | ||
松前藩13代・松前徳広(まつまえのりひろ) 11代昌広の長男 母は山崎氏 生没・弘化元年(1844)~明治元年(1868) 家督・慶応2年(1866)相続 明治元年旧幕府軍に福山を攻められ、館に新城を築いて移る 従五位下志摩守 正室・岩村田藩内藤正縄の娘 子女・14代脩広 | ||
松前藩14代・松前脩広(まつまえながひろ) 徳広長男 母は正室内藤正縄の娘 生没・慶応元年(1865)~明治38年(1905) 家督・明治2年(1869)相続 旧幕府軍と戦い功があり、明治2年賞典禄2万石を下賜される、同年館藩知事 従五位下 |