天児屋命

天児屋命

あめのこやねのみこと
別:〇天児屋根神天之子八根命
父:◇興台産霊

天照神話~天孫降臨神話の頃)

中臣氏の祖先神。八意志兼命天児屋根命?天小屋根命?
天照大神が岩戸に隠れたときに、岩戸の前で榊を立て祝詞を奏して祭祀を行った。
ニニギの天降りの時も五部神の一人として従ったと伝わる。
枚岡神社、春日大社などの祭神。
天児屋根神



興台産霊(こごとむすひ)

子孫
中臣連

天種子命

あまのたねこのみこと
天児屋根命の孫で、朝廷の祭祀を担当した中臣氏の祖。


天児屋根神

あめのこやねのかみ
別:〇天児屋命天之子八根命
父:◇興台産霊

天岩戸の前に集まった神々の一柱。興台産霊神(コゴトムスビノカミ)の子。中臣氏の祖神 (のち藤原氏)
神格:言霊の神、祝詞(ノリト)の祖神

 神社の祭礼や地鎮祭などの儀式の時に、神主が唱えるのが祝詞である。神に対して、その力に感謝し、たたえる言葉を申し上げ、さらなる幸運の導きを願うのだ。ただ、祝詞というのは、本来、祭祀などさまざまな儀礼の場で、神人つまり神懸かり者が、神の意志を伝える呪力のあるものであった。これに対して祝詞の中に寿詞(ヨゴト)と呼ばれるものがあるが、こちらは神に対して、祈願が成就したことを感謝してその力をたたえるという意味が含まれている。後者の方が今日の祝詞の意味合いに近いようだ。いずれにせよ、祝詞というのは、人間が神とコミュニケーションする手段だといえよう。
 その祝詞の祖神が天児屋根神である。由来としては、天岩戸事件の際の役割があげられる。詳しくは天岩戸隠れの項を参照していただきたい。とにかく、天岩戸の前で天児屋根神は太祝詞(フトノリト)を読み上げ、天照大神の心を大いに晴らしたということである。結局、天鈿女神の神楽などが功を奏して目的は達成された。ここで、祝詞を唱えるということは、祭を執り行ったということになる。そうすると、天児屋根神には神を奉祀するという役割がその本来の性格に備わっているといえるわけである。
 天岩戸の話は、言霊(コトダマ)信仰のルーツとも言われている。天児屋根神が天岩戸の前で唱えた祝詞の力は、言霊の持つ呪力に通じると考えられているのだ。言霊とは、言葉が神秘的な力と働きを持っているという考え方に基づき、その働きを司る神霊を指す呼び名である。言葉は人の心を動かし、いろいろな現象となって表れる。だから、言葉そのものには吉凶をもたらす神秘的な霊力がある、と考えるのが言霊信仰である。祝詞や寿詞は、その言葉によって吉をもたらし、凶を避ける行事ということになる。
 言葉を駆使するものは、天地も動かすことができると言ったら大げさだが、要するに言葉をしゃべると、その言霊の魔力によって物事が支配され、吉凶の結果が生じるということである。話術の巧みな人の演説などを聞いていて、その人が会場全体を支配している感覚にとらわれたことがないだろうか。こういったときには、理屈でなく感覚的に言霊の霊力を感じることができよう。今日ゲームにまで登場する魔法や、ヨーロッパの黒魔術の呪文、仏教のお経も、この言霊に働きかけて森羅万象を変化させるための言葉といえるだろう。

 天児屋根神が祝詞の祖神とされることは、この神が中臣氏の祖先神であることと深く関係している。「中臣」とは、神と人との間を取り持つという意味で、この一族は宮廷の神事を統括していた。それだけに政治的にも強大な力を持ち、しばしば一族の女性を天皇の后にしている。それほどの一族だけに、その氏族の伝承が記紀神話の中に多く入り込んでいる。そのひとつが祖先神の天児屋根神というわけである。
 祭政一致の古代においては、祭祀の権限を持つことが、すなわち権力を握ることであった。宮廷の神事で中臣氏がもっていた役職は、禊(ミソギ)と祓(ハラエ)を行うことだったようだ。その禊祓(ミソギハラエ(関連は禊祓へ))の祭儀を行うときには、神に捧げる言葉つまり祝詞を唱えたわけである。そういう役割からしても、神話の中での天児屋根神の活動は、ほとんど中臣氏の役職と一致しているということだ。

天児屋根命

市千魂命━━━興台産霊神━━━天児屋根命━━━天押雲命━━━天多祢伎命
                             (天種子命

天児屋根命

天児屋命

名称
天児屋命(あめのこやねのみこと)、天児屋根命


興台産霊(こごとむすひ)


天押雲根命

子孫
中臣連

神社の祭神としては天児屋根命とも表記される。春日権現(かすがごんげん)とも呼ぶ。居々登魂命(こごとむすび)の子で、妻は天美津玉照比売命(あめのみつたまてるひめのみこと)。

岩戸隠れの際、岩戸の前で祝詞を唱え、天照大神が岩戸を少し開いたときに太玉命とともに鏡を差し出した。天孫降臨の際瓊瓊杵尊に随伴し、中臣連などの祖となったとされる。 名前の「コヤネ」は「小さな屋根(の建物)」の意味で、託宣の神の居所のことと考えられる。 また、江戸時代後期の国学者・平田篤胤の説では、この神は思兼神と同一神であるとしている。

天児屋根命──天押雲命──天種子命──宇佐津臣命──大御気津臣命──伊香津臣命梨津臣命─┼神聞勝命──久志宇賀主命─┬国摩大鹿島命──巨狭山命──雷大臣命─├大小橋命

伊達家?


天児屋根神
アメノコヤネノカミ
別称:天児屋命天之子八根命性別:♂系譜:天岩戸の前に集まった神々の一柱。興台産霊神(コゴトムスビノカミ)の子。中臣(のち藤原)氏の祖神神格:言霊の神、祝詞(ノリト)の祖神神社:牧岡神社、春日大社、大原野神社、吉田神社、蜂田神社、五社神社
 神社の祭礼や地鎮祭などの儀式の時に、神主が唱えるのが祝詞である。神に対して、その力に感謝し、たたえる言葉を申し上げ、さらなる幸運の導きを願うのだ。ただ、祝詞というのは、本来、祭祀などさまざまな儀礼の場で、神人つまり神懸かり者が、神の意志を伝える呪力のあるものであった。これに対して祝詞の中に寿詞(ヨゴト)と呼ばれるものがあるが、こちらは神に対して、祈願が成就したことを感謝してその力をたたえるという意味が含まれている。後者の方が今日の祝詞の意味合いに近いようだ。いずれにせよ、祝詞というのは、人間が神とコミュニケーションする手段だといえよう。
 その祝詞の祖神が天児屋根神である。由来としては、天岩戸事件の際の役割があげられる。詳しくは天岩戸隠れの項を参照していただきたい。とにかく、天岩戸の前で天児屋根神は太祝詞(フトノリト)を読み上げ、天照大神の心を大いに晴らしたということである。結局、天鈿女神の神楽などが功を奏して目的は達成された。ここで、祝詞を唱えるということは、祭を執り行ったということになる。そうすると、天児屋根神には神を奉祀するという役割がその本来の性格に備わっているといえるわけである。

 天岩戸の話は、言霊(コトダマ)信仰のルーツとも言われている。天児屋根神が天岩戸の前で唱えた祝詞の力は、言霊の持つ呪力に通じると考えられているのだ。言霊とは、言葉が神秘的な力と働きを持っているという考え方に基づき、その働きを司る神霊を指す呼び名である。言葉は人の心を動かし、いろいろな現象となって表れる。だから、言葉そのものには吉凶をもたらす神秘的な霊力がある、と考えるのが言霊信仰である。祝詞や寿詞は、その言葉によって吉をもたらし、凶を避ける行事ということになる。
 言葉を駆使するものは、天地も動かすことができると言ったら大げさだが、要するに言葉をしゃべると、その言霊の魔力によって物事が支配され、吉凶の結果が生じるということである。話術の巧みな人の演説などを聞いていて、その人が会場全体を支配している感覚にとらわれたことがないだろうか。こういったときには、理屈でなく感覚的に言霊の霊力を感じることができよう。今日ゲームにまで登場する魔法や、ヨーロッパの黒魔術の呪文、仏教のお経も、この言霊に働きかけて森羅万象を変化させるための言葉といえるだろう。

 天児屋根神が祝詞の祖神とされることは、この神が中臣氏の祖先神であることと深く関係している。「中臣」とは、神と人との間を取り持つという意味で、この一族は宮廷の神事を統括していた。それだけに政治的にも強大な力を持ち、しばしば一族の女性を天皇の后にしている。それほどの一族だけに、その氏族の伝承が記紀神話の中に多く入り込んでいる。そのひとつが祖先神の天児屋根神というわけである。
 祭政一致の古代においては、祭祀の権限を持つことが、すなわち権力を握ることであった。宮廷の神事で中臣氏がもっていた役職は、禊(ミソギ)と祓(ハラエ)を行うことだったようだ。その禊祓(ミソギハラエ(関連は禊祓へ))の祭儀を行うときには、神に捧げる言葉つまり祝詞を唱えたわけである。そういう役割からしても、神話の中での天児屋根神の活動は、ほとんど中臣氏の役職と一致しているということだ。


天児屋根命(あめのこやね)
①父:興澄魂  母:許登能麻遅姫 異説:浅加姫
②妻:天万拷幡比売(天背男命女)異説:武甕槌命女
子供:天押雲命 別名:八意志兼命天児屋命、天小屋根命、天之子八根命
③中臣連祖。大鳥連祖?
④記紀神代記事・天照大神が天岩戸に隠れた時岩戸の前で祝詞を奏上して祭祀を行った。
祝詞の祖神、言霊の神。
・天孫降臨に際して、五伴緒(いつとものお)の一人として天下った。
⑤枚岡神社・春日大社・吉田神社、大原野神社などの祭神。
⑥記紀には出自は記されていない。上記出自系譜の基は先代旧事本紀などに記されているものを基にしたもので、尊卑分脈などは一般的に上記のようになっている。

天児屋根神

天児屋根神

父:居々登魂命(こごとむすび)

妻:天美津玉照比売命(あめのみつたまてるひめのみこと)

天児屋根神
アメノコヤネノカミ
別称:天児屋命天之子八根命性別:♂系譜:天岩戸の前に集まった神々の一柱。興台産霊神(コゴトムスビノカミ)の子。中臣(のち藤原)氏の祖神神格:言霊の神、祝詞(ノリト)の祖神神社:牧岡神社、春日大社、大原野神社、吉田神社、蜂田神社、五社神社
 神社の祭礼や地鎮祭などの儀式の時に、神主が唱えるのが祝詞である。神に対して、その力に感謝し、たたえる言葉を申し上げ、さらなる幸運の導きを願うのだ。ただ、祝詞というのは、本来、祭祀などさまざまな儀礼の場で、神人つまり神懸かり者が、神の意志を伝える呪力のあるものであった。これに対して祝詞の中に寿詞(ヨゴト)と呼ばれるものがあるが、こちらは神に対して、祈願が成就したことを感謝してその力をたたえるという意味が含まれている。後者の方が今日の祝詞の意味合いに近いようだ。いずれにせよ、祝詞というのは、人間が神とコミュニケーションする手段だといえよう。
 その祝詞の祖神が天児屋根神である。由来としては、天岩戸事件の際の役割があげられる。詳しくは天岩戸隠れの項を参照していただきたい。とにかく、天岩戸の前で天児屋根神は太祝詞(フトノリト)を読み上げ、天照大神の心を大いに晴らしたということである。結局、天鈿女神の神楽などが功を奏して目的は達成された。ここで、祝詞を唱えるということは、祭を執り行ったということになる。そうすると、天児屋根神には神を奉祀するという役割がその本来の性格に備わっているといえるわけである。

 天岩戸の話は、言霊(コトダマ)信仰のルーツとも言われている。天児屋根神が天岩戸の前で唱えた祝詞の力は、言霊の持つ呪力に通じると考えられているのだ。言霊とは、言葉が神秘的な力と働きを持っているという考え方に基づき、その働きを司る神霊を指す呼び名である。言葉は人の心を動かし、いろいろな現象となって表れる。だから、言葉そのものには吉凶をもたらす神秘的な霊力がある、と考えるのが言霊信仰である。祝詞や寿詞は、その言葉によって吉をもたらし、凶を避ける行事ということになる。
 言葉を駆使するものは、天地も動かすことができると言ったら大げさだが、要するに言葉をしゃべると、その言霊の魔力によって物事が支配され、吉凶の結果が生じるということである。話術の巧みな人の演説などを聞いていて、その人が会場全体を支配している感覚にとらわれたことがないだろうか。こういったときには、理屈でなく感覚的に言霊の霊力を感じることができよう。今日ゲームにまで登場する魔法や、ヨーロッパの黒魔術の呪文、仏教のお経も、この言霊に働きかけて森羅万象を変化させるための言葉といえるだろう。

 天児屋根神が祝詞の祖神とされることは、この神が中臣氏の祖先神であることと深く関係している。「中臣」とは、神と人との間を取り持つという意味で、この一族は宮廷の神事を統括していた。それだけに政治的にも強大な力を持ち、しばしば一族の女性を天皇の后にしている。それほどの一族だけに、その氏族の伝承が記紀神話の中に多く入り込んでいる。そのひとつが祖先神の天児屋根神というわけである。
 祭政一致の古代においては、祭祀の権限を持つことが、すなわち権力を握ることであった。宮廷の神事で中臣氏がもっていた役職は、禊(ミソギ)と祓(ハラエ)を行うことだったようだ。その禊祓(ミソギハラエ(関連は禊祓へ))の祭儀を行うときには、神に捧げる言葉つまり祝詞を唱えたわけである。そういう役割からしても、神話の中での天児屋根神の活動は、ほとんど中臣氏の役職と一致しているということだ。

概要

神社の祭神としては天児屋根命とも表記される。春日権現(かすがごんげん)とも呼ぶ。居々登魂命(こごとむすび)の子で、妻は天美津玉照比売命(あめのみつたまてるひめのみこと)。

岩戸隠れの際、岩戸の前で祝詞を唱え、天照大神が岩戸を少し開いたときに太玉命とともに鏡を差し出した。天孫降臨の際瓊瓊杵尊に随伴し、中臣連などの祖となったとされる。 名前の「コヤネ」は「小さな屋根(の建物)」の意味で、託宣の神の居所のことと考えられる。 また、江戸時代後期の国学者・平田篤胤の説では、この神は思兼神と同一神であるとしている。

信仰

中臣連の祖神であることから、中臣鎌足を祖とする藤原氏の氏神として信仰された。祝詞の神、出世の神ともされる。中臣神社(京都市山科区)、枚岡神社(大阪府東大阪市)、春日大社(奈良県奈良市)、吉田神社(京都市左京区)などに祀られている。また、全国の大鳥神社に祀られる「大鳥連祖神(おおとりのむらじのおやがみ)」は天児屋命と同神とされることがある。

伊達家


日本の神々


→ 日本の神 家・氏 系図