栄仁親王

栄仁親王

よしひとしんのう
 1351-1416(観応2年 - 応永23年11月20日)66歳
別:有洲河殿,伏見殿、萩原殿、法名:通智、法号:大通院
     有栖川宮
 -1416 伏見宮
父:崇光天皇(すこう)の第1皇子
母:庭田重資の娘資子
室:
妃:陽照院 藤原治子(中納言 三條實治女)(三条実治) ????-1398(????-応永5) 西御方
  治仁王 1381?-1417(????-応永24) 一宮、竹園、葆光院 第二代伏見宮(子:智観、真栄)
  貞成親王 1372-1456(応安5-康正2) 後崇光院 第三代伏見宮
室:三條實音女 1350-????(観応元-????) 廊御方
  寶珠庵 周乾 1376-1431(永和2-永享3) 用健周乾 天龍寺蔵主(僧)
室:某氏 近衞局 廊御方
  椎野 ????-1423(????-応永30) 淨金剛院住持
室:三條實繼女 1363-1441(貞治2-嘉吉元)  對御方 東御方
  惠舜 ????-1417(????-応永24)(僧)
  王子某
  王子某
  王子某
室:某氏 ????-1424(????-応永31) *のち五辻朝仲室となり、稱光天皇掌侍新内侍を生む 典侍禅尼
母未詳
  洪蔭 松崖洪蔭 浄金剛院住持(僧)

南北朝-室町時代。
観応(かんのう)2=正平(しょうへい)6年生まれ。伏見宮家の祖。貞治(じょうじ)7=正平23年親王となるが,皇位を継承できず,応永5年出家した。琵琶(びわ)にすぐれ,歌は「新続(しんしょく)古今和歌集」にある。有洲河殿,伏見殿とよばれた。応永23年11月20日死去。66歳


崇光天皇━━━━┳━栄仁親王━━━┳━貞成親王 後崇光院 第三代伏見宮
(興仁親王)  ┣━興信法親王  ┣━第二代伏見宮 治仁王 一宮、竹園、葆光院
        ┣━弘助法親王  ┃  ┗━┳━智観
        ┣━叡      ┃    ┗━真栄
        ┣━用乾     ┣━寶珠庵 周乾 用健周乾 天龍寺蔵主(僧)
        ┣━瑞室女王   ┣━椎野 淨金剛院住持
        ┣━阿栄     ┣━恵舜(僧)
        ┗━栄寿院 皇女 ┣━王子某
                 ┣━王子某
                 ┣━王子某
                 ┗━洪蔭 松崖洪蔭 浄金剛院住持(僧)


天皇家伏見宮家、伏見家