旧石器時代以前

旧石器時代以前(世界-冥王代-先カンブリア時代)

-4600000000
先カンブリア時代[46億年前から5億9000万年前まで] 地球史46億年は、化石として残るような生物(硬骨格生物)の出現を境にして2つに分け、古い時代を先カンブリア時代といい、新しい時代を顕生代と呼びます。顕生代は古生代中生代新生代に区分され、「代」は更に「紀」、「世」と細分されています。先カンブリア時代古生代カンブリア紀の先の時代であることから、このように呼んでいますが、地球誕生期までさかのぼります。 先カンブリア時代は地球の生成期から時代順に、冥王代、始生代(太古代ともいう)、原生代に区分されます。(世界-冥王代-先カンブリア時代)

-4600000000
【冥王代】 地球生成(46億年前)から40億年前までの時代。マグマオーシャンの形成、核の形成、海洋の形成、マグマオーシャンの消滅、大陸 地殻(花崗岩)の誕生など。 地上最古の花崗岩(アスタカ片麻岩)の年代はほぼ40億年前。(世界-冥王代-先カンブリア時代)

-4600000000
46億年前
地球は現在の1/10の大きさ
太陽系の水星から火星間に20ものミニ惑星
互いの重力により衝突を繰り返し惑星を形成

水星・・・1~2のミニ惑星
金星・・・8のミニ惑星
地球・・・10のミニ惑星
火星・・・ミニ惑星

先カンブリア代 (今から46億年前から5億9000万年前まで)
古生代の最初のカンブリア紀以前の時代を先カンブリア代と呼びます。この地質年代は、25億年より古い始生代と25億年より新しい原生代に分けられれます。先カンブリア代の地層や岩石は、大陸で見ることができますが、始生代の地層はほとんど変成岩にかわっています。
太陽系の形成。地球誕生。(世界-冥王代-先カンブリア時代)

-4300000000
43億年前~38億年
海の形成と伴にバクテリアのような生物が誕生(世界-冥王代-先カンブリア時代)

-4000000000
先カンブリア時代(太古代・原生代)(40億年前~5億7500万年前)(世界-始生代、←冥王代-先カンブリア時代)

-4000000000
太古代[40億年前~25億年前](世界-始生代、←冥王代-先カンブリア時代)

-4000000000
【始生代】 40億~25億年前までの時代。 強い磁場の形成(28~27億年前) 原核生物の出現(35億年前)、ストロマトライト(光合成バクテリア)の出現(27億年前)(世界-始生代-先カンブリア時代)

-4000000000
海の形成、地球の核(コア)の形成、大陸の形成、原始生命の誕生、光合成による酸素の放出(世界-始生代-先カンブリア時代)

-4000000000
40億年前
巨大隕石衝突による全海洋蒸発
直径400kmの隕石が衝突し、海の水すべてが蒸発
地中1000mまでの生物は絶滅
1000年後、蒸発した水により2000年間雨が降り続き海が回復
海の形成、地球の核(コア)の形成、大陸の形成、原始生命の誕生、光合成による酸素の放出
ウル大陸(現在のインド程度の大きさ)(世界-始生代-先カンブリア時代)

-3800000000
38億年前
最古の痕跡炭素同位体割合の偏り(世界-始生代-先カンブリア時代)

-3500000000
35億年前
最古化石原核生物誕生シアノバクテリアの祖先(世界-始生代-先カンブリア時代)

-3260000000
直径478kmの小惑星衝突(原爆の数十億倍、マグニチュード10.8)マントル対流のきっかけ?(世界-始生代-先カンブリア時代)

-3000000000
30億年前
ウル超大陸(世界-始生代-先カンブリア時代)

-3000000000
~25 火成活動で小大陸・島弧生成・衝突→大陸成長(現在の50%)ケノール(ケノリア)超大陸形成(世界-始生代-先カンブリア時代)

-2700000000
スーパープルーム発生(マントルオーバーターン:大対流)激しい造山運動(ジルコンの頻度分布が高い)磁場強度急増(世界-始生代-先カンブリア時代)

-2500000000
太古代→原生代 (25億年前~5億7500万年前)(世界-原生代-先カンブリア時代)

-2500000000
原生代[25億年前~5億7500万年前](世界-原生代、始生代-先カンブリア時代)

-2500000000
【原生代】 25億年~5.64億年前までの時代。 巨大下降プルームであるスーパーコールドプルームの誕生と最初の超大陸の形成(19億年前) 多細胞生物の出現。(世界-原生代、始生代-先カンブリア時代)

-2500000000
原核生物から真核生物への進化、エディアカラ動物群登場(世界-原生代、始生代-先カンブリア時代)

-2500000000
原核生物から真核生物への進化、エディアカラ動物群登場(世界-原生代、始生代-先カンブリア時代)

-2500000000
25~20億年前真核生物誕生ミトコンドリアの取り込みが契機(世界-原生代、始生代-先カンブリア時代)

-2500000000
25億年前ケノール超大陸(世界-原生代、始生代-先カンブリア時代)

-2500000000
25億年前シアノバクテリア出現酸素原子の固定化始まる(世界-原生代、始生代-先カンブリア時代)

-2500000000
~18小大陸合体アークティカ大陸(東南極・北米・グリーンランド・シベリア)第二次ウル大陸→+南アフリカ+北インド→第三次ウル大陸(世界-原生代、始生代-先カンブリア時代)

-2400000000
ヒューロニアン氷河形成(世界-原生代-先カンブリア時代)

-2200000000
ヌーナ(ニーナ)大陸形成開始(北米大陸程度)(世界-原生代-先カンブリア時代)

-2000000000
20~17億年前葉緑体の取り込み(世界-原生代-先カンブリア時代)

-2000000000
20億年前
全球凍結(-原生代-先カンブリア時代)

-2000000000
~7ロディニア超大陸形成 多細胞生物(世界-原生代-先カンブリア時代)

-1900000000
スーパープルーム発生(マントルオーバーターン:大対流)ヌーナ・アトランティカ・アークティカ三大陸(世界-原生代-先カンブリア時代)

-1800000000
18億年前ヌーナ超大陸(世界-原生代-先カンブリア時代)

-1800000000
~15コロンビア大陸(世界-原生代-先カンブリア時代)

-1700000000
ヌーナ超大陸の分裂(世界-原生代-先カンブリア時代)

-1500000000
~10パノティア大陸(世界-原生代-先カンブリア時代)

-1100000000
11億年前ロデニア大陸(世界-原生代-先カンブリア時代)

-1100000000
三大陸合体へロディニア超大陸形成開始(世界-原生代-先カンブリア時代)

-800000000
8億年前有性生物(世界-原生代-先カンブリア時代)

-800000000
大規模氷河期(全球凍結)?太平洋スーパープルーム発生(世界-原生代-先カンブリア時代)

-750000000
海水がマントルに流入(逆流)開始 ※スーパープルームへつながる伏線=コールドプルーム →ロディニア超大陸分裂開始(→ローレンシア+東・西ゴンドワナ) →激しい造山運動(ジルコンの頻度分布が高い) →大量の二酸化炭素が噴出→寒冷化(全球凍結)(世界-原生代-先カンブリア時代)

-700000000
ゴンドワナ大陸形成開始(東・西ゴンドワナ) スーパープルーム活発化(世界-原生代-先カンブリア時代)

-600000000
6億年前ゴンドワナ大陸(世界-原生代-先カンブリア時代)

-600000000
エディアカラ生物群(世界-原生代-先カンブリア時代)

-600000000
6億年前
全球凍結
全球凍結全まえは、地表にはまだ生物はいない
酸素濃度は現在の1/20
海洋中
・エリベン毛虫
・光合成生物
・メタン菌
光合成生物とメタン菌のバランスが変化
酸素の増加、メタンの減少により寒冷化
数百万年の間、1000mまで凍結
微生物から大型生物へ

全球凍結後生物は体長30cmに
プテリデニウム
ヨルギア
キンベリア
他脊椎動物の祖先も
氷河の大崩壊、全球凍結の終わり
酸素の激増
-50℃→+50℃へ
ハイパーハリケーンの発生
海洋の撹拌により、栄養分が撹拌される
光合成生物の繁殖
酸素の排出
酸素濃度20%
大量の酸素によりコラーゲンを生成
→大型生物に進化
エディアカラ生物群(ウミエラの先祖)
大陸の移動(世界-原生代-先カンブリア時代)

-575000000
古生代(カンブリア紀~二畳紀(ペルム紀))(5億7500万年前~2億4700万年前)(世界-原生代-先カンブリア時代)

-575000000
古生代(5億7500万年前~2億4700万年前)(世界-原生代-先カンブリア時代)

-575000000
カンブリア紀[5億7500万年前~5億900万年前](世界-原生代-先カンブリア時代)

-575000000
古生代[5億7500万年前~2億4700万年前](世界-原生代-先カンブリア時代)

-575000000
古生代(カンブリア紀~二畳紀(ペルム紀))(5億7500万年前~2億4700万年前)(世界-原生代-先カンブリア時代)

-575000000
無脊椎動物の大発生、巨大大陸ゴンドワナランド形成(世界-原生代-先カンブリア時代)

-575000000
無脊椎動物の大発生、巨大大陸ゴンドワナランド形成 (世界-原生代-先カンブリア時代)

-550000000
南太平洋スーパープルーム活発化 ゴンドワナ超大陸の出現(ゴンドワナ+ローレンシア) →アパラチア造山帯、バリスカン造山帯 →酸素急増 硬骨格生物出現(世界--旧石器時代以前)

-540000000
カンブリア大爆発(世界--旧石器時代以前)

-530000000
バージェス動物群 大気中の二酸化炭素量現在の15倍以上(世界--旧石器時代以前)

-509000000
オルドビス紀[5億900万~4億4600万年前](世界-世界-オルドビス紀)

-509000000
あごをもたない魚類(無顎類)出現、大陸の移動開始(世界-世界-オルドビス紀)

-450000000
ゴンドワナ超大陸分裂 生物種85%絶滅(世界--旧石器時代以前)

-450000000
4億5千年前
アランダスピス(魚・脊椎動物)
イアテズス海
周辺大陸の接近、巨大大陸化
イアデスズ海の消滅
生物の生息域が大陸の周辺
ユロステノプテロン(世界--)

-446000000
シルル紀[4億4600万~4億1600万年前](世界-世界-シルル紀)

-446000000
生物の陸上進出、あごをもつ魚類(顎口類)が繁栄(世界--旧石器時代以前)

-446000000
生物の陸上進出、あごをもつ魚類(顎口類)が繁栄(世界-世界-シルル紀)

-420000000
植物・節足動物上陸 オゾン層完成(世界--旧石器時代以前)

-416000000
デボン紀[4億1600万~3億6700万年前](世界-世界-デボン紀)

-416000000
硬骨魚類の繁栄、両生類出現、シダ植物の繁栄(世界-世界-デボン紀)

-400000000
4億年前
巨大大陸に山脈が形成され、
カレドニア山脈に
雨→川に(世界--)

-370000000
3億7千年前
アーキオプテルスが群生(最初の樹)
落葉が養分に
海から川へ生物が進出

アカンステガ
手足をもった魚
アーキオプテルスの枝が落ち川の中を手足をつかい移動
小魚をとって生息
浅瀬に進出→陸へ進出(世界--)

-367000000
石炭紀[3億6700万~2億8900万年前](世界-世界-石炭紀)

-367000000
シダ植物の繁栄、はじめての脊椎動物、ハ虫類出現(世界-世界-石炭紀)

-360000000
3億6千年前
板皮類が海を支配
のち海中の酸素不足により絶滅

生物が海から陸地へ移動
湿地帯では度重なる酸素不足により肺をつくる
後、海に戻った魚の肺は浮袋に変化(世界--)

-300000000
3~2.5億年前パンゲア大陸(世界--旧石器時代以前)

-300000000
~2.5パンゲア大陸完成(ゴンドワナ+アジア大陸) テチス海と超海洋パンサラサ シベリア洪水玄武岩(400万立法km)(世界--旧石器時代以前)

-289000000
二畳紀(ペルム紀)(2億8900万~2億4700万年前)(世界-世界-二畳紀)

-289000000
二畳紀(ペルム紀)[2億8900万~2億4700万年前](世界--旧石器時代以前)

-289000000
超大陸パンゲア形成(世界--旧石器時代以前)

-289000000.-247000000
超大陸パンゲア形成(世界-世界-二畳紀)

-250000000
アフリカ大陸下にスーパープルーム発生(世界--旧石器時代以前)

-250000000
2億5千年前
プルーム大噴火
→哺乳類へ

ディイクトドン(草食)
ゴルゴノプス(肉食)
哺乳類型爬虫類
キノドン
そうきゅう類→恐竜へ
95%の動植物が絶滅
シベリア
2000m?3000mの噴火
50kmの地割れから噴火
1000kmのドーム状の隆起
パンゲア
メタンハイドレートよりメタンガスを排出
スーパープルームで二酸化炭素を流出し温暖化
海水温の上昇により
メタンガスにより更に温暖化
更にメタンガスを流出
過去最高の超高温の温度が高い時期に
95%の生物が死滅
生き残った生物にさらなる試練が
→酸素濃度が低い時代に
30%→10%へ
メタンと酸素が反応した結果、低酸素時代に突入
→1億年(世界--)

-247000000
三畳紀(トリアス紀)(2億4700万~2億1200万年前)(世界-世界-三畳紀)

-247000000
中生代(2億4700万~6500万年前)(世界-世界-中生代)

-247000000
三畳紀(トリアス紀)[2億4700万~2億1200万年前](世界--旧石器時代以前)

-247000000
超大陸パンゲアが分裂、恐竜の出現、ほ乳類の出現(世界--旧石器時代以前)

-247000000
別名ハ虫類の時代。(世界--旧石器時代以前)

-247000000
中生代(2億4700万~6500万年前)(世界--旧石器時代以前)

-247000000
超大陸パンゲアが分裂、恐竜の出現、ほ乳類の出現(世界-世界-三畳紀)

-247000000
別名ハ虫類の時代。(世界-世界-中生代)

-212000000
ジュラ紀(2億1200万~1億4300万年前)(世界-世界-ジュラ紀)

-212000000
ジュラ紀[2億1200万~1億4300万年前](世界--旧石器時代以前)

-212000000
恐竜をはじめとするハ虫類の大繁栄、原始的な鳥類の出現(世界--旧石器時代以前)

-212000000
恐竜をはじめとするハ虫類の大繁栄、原始的な鳥類の出現(世界-世界-ジュラ紀)

-150000000
1億5千万年前
ジュラ紀後期
恐竜の出現
アパトサウルス
アロサウルス
気嚢システム
肺の3倍の効率
・鳥
・アロサウルス
呼吸器官の差
トリナクソドン
腹を覆う肋骨が胸部のみに
横隔膜の発達
酸素の効率化
胴体をひねり、子供への授乳がしやすくなる
哺乳類のライフスタイルへ
低酸素時代の影響
胎生へ進化
1億6千万年前、隕石衝突
恐竜の絶滅
酸素濃度の回復
脳の発達(世界--)

-143000000
白亜紀[1億4300万~6500万年前](世界-世界-白亜紀)

-143000000
恐竜の絶滅(世界--旧石器時代以前)

-143000000
恐竜の絶滅(世界-世界-白亜紀)

-65000000
新生代(6500万~現在)(世界-世界-新生代)

-65000000
第三紀(6500万~170万年前)(世界-世界-第三紀)

-65000000
ハ虫類の時代からほ乳類の時代へ(世界-世界-新生代)

-65000000
新生代(6500万~現在)(世界--旧石器時代以前)

-65000000
第三紀[6500万~170万年前](世界--旧石器時代以前)

-65000000
ハ虫類の時代からほ乳類の時代へ(世界--旧石器時代以前)

-65000000
ほ乳類が多様な進化をとげる、大陸が分裂する(世界--旧石器時代以前)

-65000000
6千500万年前
恐竜絶滅
恐竜時代が終わる
カルポレステス
ディアトリマ
ヒラコテリウム(馬の祖)
巨鳥反映の時代
ツルガイ海峡でアジアとヨーロッパは分断
北アメリカとは氷河で分断
アジア
ハイエノドント
1千万年後温暖化による
氷河がとけハイエノドントが北米へ
ディアトリマ絶滅へ
哺乳類の時代へ
5千5百万年前
大陸大分裂
グリーンランドとヨーロッパの分裂
グリーンランド沖
3000mの穴
マグマの上昇
メタンハイドレートからメタンが流出、爆発
メタンガスより温暖化(500万年)
広葉樹の巨木化
「樹冠」
木々が重なり合い木から木への移動が可能に
目が横から正面へ
立体視の進化
南極温暖
南米、オーストラリアと地続き
南米とオーストラリアの分断
南極が寒冷化
地球の気温が低下
広葉樹の減少
カトピテクス
眼か後壁(穴がふさがっている)
フォベア視細胞が集中
フォベアが有ると物がはっきり見える
眼下後壁がない視細胞がちらばっている
眼下後壁が眼球を支え見えやすくなる
真猿類
表情が豊か
フォベアによる高い視力が影響している
表情による行動の確認
「群れ」から「社会」の形成
人の白目
20種以上の人類の絶滅
700万年前
チンパンジーと別れ、2足歩行
アウトラロピテクス
熱帯雨林の減少
果実の減少(世界--)

-65000000
ほ乳類が多様な進化をとげる、大陸が分裂する(世界-世界-第三紀)

-50000000
5千万年前
アフリカとインドが分裂
インドがアジアに衝突
ヒマラヤ山脈ができる
ヒマラヤから乾いた空気がアフリカに流れ熱帯雨林が減少
草原が拡大
二種類の人類へ分かれる
ホモ・エルガステル
パラントロプス・ロブストス
果実から新しい食物へ2種の人類へ分岐
パラントロプス(500ml)
植物の根を食料へ
100万年後絶滅
ホモ・エルガステル
250万年前へ
肉食獣の食べ残し
脳の巨大化(900ml)
狩りの開始
さらなる脳の巨大化
大地溝帯
アフリカ大陸下、マントルが上昇し隆起
サバンナができる
(サーベルタイガー)(世界--旧石器時代以前)

-17000000
第四紀(170万年前~現在)(世界-世界-第四紀)

-17000000
原始的な人類の祖先出現、氷河時代の訪れ(世界-世界-第四紀)

-17000000
原始的な人類の祖先出現、氷河時代の訪れ(世界--旧石器時代以前)

-8000000
チョローラピテクス・アビシニクス
2007年にアフリカ・エチオピアで、兵庫県立人と自然の博物館(同県三田市)の加藤茂弘主任研究員ら日本・エチオピアの共同調査隊が発見したゴリラの祖先とみられる大型類人猿の化石が、約800万年前のものだと分かった。同博物館などが11日付発行の英科学誌「ネイチャー」に発表した。人類とゴリラが1千万年前に分かれて進化したとする説を裏付ける成果という。
調査隊は、2004~07年にエチオピアの首都・アディスアベバから約170キロ東の地層から大型類人猿の歯の化石9本を発見。ゴリラの祖先にあたる新属新種の類人猿として07年に「チョローラピテクス・アビシニクス」と命名された。
当時は約1千万年前の化石と推定されたが、その後の調査で断層があったことが新たに分かり、約800万年前の化石と判明。DNA解析などから、人間とゴリラが分かれた直後とみられる、約1千万年前のゴリラの祖先から進化したものと分かった。加藤主任研究員は「人類誕生を探る鍵となる調査結果だ」としている。 2016/2/12(世界--旧石器時代以前)

-7000000
サヘラントロプス=チャデンシス(世界--旧石器時代以前)

-7000000
700万年前?人類誕生(世界--旧石器時代以前)

-6500000
霊長類出現(アフリカ-アフリカ-)

-6000000
旧石器時代(世界-世界-)

-6000000
旧石器文化(世界-世界-)

-6000000
アフリカで人類誕生(アフリカ-アフリカ-)

-6000000
旧石器時代以前旧石器時代(世界--旧石器時代以前)

-5000000
人類と類人猿の分岐(アフリカ-アフリカ-)

-5000000
アウストラロピテクス(猿人)。初めての直立2足歩行。脳の大きさや歯、あごの形によって4種類に分類。アファレンシス、アフリカヌス、ロブストゥス、ボイジイ。(アフリカ-アフリカ-)

-2500000
石器の使用が始まる(アフリカ-アフリカ-)

-2500000
前期旧石器時代(世界-世界-前期旧石器時代)

-2000000
ホモ・ハビリス。“器用なヒト”という意。石器を使用。(アフリカ-アフリカ-)

-1600000
ホモ・エレクトゥス(原人)(アフリカ東部と南部-アフリカ東部と南部-)

-1000000
ホモ・エレクトゥス、ユーラシア大陸へと移動。中国の北京原人、インドネシアのジャワ島のジャワ原人。本格的な道具の製作。火を使用。(アジア-ユーラシア大陸-)

-900000
西アジアに人類が居住(西アジア--)

-850000
ヨーロッパに人類が進出(ヨーロッパ-ヨーロッパ-)

-700000
お隣の国、韓国、北朝鮮(朝鮮半島)の歴史について簡単に学んでみましょう。海を隔ててすぐ隣にある朝鮮半島。そこに住む人々はどんな歴史をたどってきたのでしょうか?時代の流れがわかるようになるべく順を追って読んでいってね。
日本と韓国の間には過去の不幸な歴史がある。たとえ観光旅行であっても訪問地に関する最小限の知識は身に付けておきたいものである。(東アジア-朝鮮-先史時代)

-700000
旧石器文化 約70万年前
旧石器人の登場
韓半島とその周辺には、約70万年前前から人類が定住し始めたとされています。
旧石器時代の人々は、初めは石をそのまま使用したが、徐々に用途に応じ様々な打製石器をつくった。
獣や魚を捕まえ、植物の実や根を採集し、季節により移動生活をしながら、洞窟や海岸に仮小屋を建てて暮らした。
民族はモンゴル人種に属し、アルタイ語族に属すると考えられる。国史年表(東アジア-朝鮮-先史時代)

-700000
旧石器文化 数十万年前 (東アジア-朝鮮-旧石器文化)

-700000
約70万年前 旧石器人の登場
 韓半島とその周辺には、約70万年前前から人類が定住し始めたとされています。
 旧石器時代の人々は、初めは石をそのまま使用したが、徐々に用途に応じ様々な打製石器をつくった。 
獣や魚を捕まえ、植物の実や根を採集し、季節により移動生活をしながら、洞窟や海岸に仮小屋を建てて暮らした。
民族はモンゴル人種に属し、アルタイ語族に属すると考えられる。(東アジア-朝鮮-旧石器文化)

-700000
約70万年前(旧石器文化)国史年表(東アジア-朝鮮-旧石器文化)

-500000
旧石器文化時代(約50~10万年前)
約50万年前 洞窟や岩陰、川端に集団で居住。狩猟と植物採取で生活。(東アジア-朝鮮-旧石器文化)

-450000
中国北部周口店に人類が居住(東アジア--)

-300000
ホモ・サピエンス(旧人)。“知性あるヒト”の意。(世界-世界-)

日本の歴史(日本-日本-旧石器時代)

相沢忠洋が岩宿遺跡を発見して日本の旧石器時代の存在が証明
彼らはマンモス、ナウマンゾウ、オオツノシカなどの大型動物を追いかけて日本列島へやってきた。食糧調達には主に狩猟・採取を行い、石を打ち砕いてつくられた打製石器(材料は黒曜石など)を使用した。無土器時代とも言われている為、土器はない。(日本-日本-旧石器時代)

旧石器時代(先土器時代、無土器時代) - [~紀元前1万4000年頃](日本-日本-旧石器時代)

-100000
日本列島に人類の痕跡が見つかる(金取遺跡で石器が出土)(日本-日本-旧石器時代)

-100000
ネアンデルタール人(ヨーロッパ-ヨーロッパ-)

-50000
オーストラリア大陸に人類が到達(オセアニア-オーストラリア-)

-30000
東南アジアで根栽農耕(東南アジア-東南アジア-)

-30000
アメリカ大陸に人類が到達(北米-アメリカ-)

-30000
クロマニヨン人(世界-世界-)

台湾の歴史(東アジア-台湾-)

台湾というと親日的というイメージをもっている人も多いのではないでしょうか?東日本大震災の時には多くのお金を送ってくれたりもしましたね。
ですが、我々日本人は、ん?なんで台湾の人って日本にそんなに良くしてくれるの?って疑問に思っている人も多くいるでしょう。では、そんな台湾の歴史を学びながら親日的な台湾の疑問を紐解いていきましょう。
台湾の歴史がそのようなものであったことは知らなかった、あげくは台湾は古来中国の領土であったと思い込んでいる。若者ならいざ知らず壮年の直中にいる者までが、台湾のことなどまるで知らないでいる。(東アジア-台湾-)

-30000
台湾って中国なの?
台湾のことを中華民国っていうことがありますよね。しかも、台湾は中国だよ。とか、中国じゃなく台湾は台湾でしょ。とか・・・。台湾っていったいどこの国なのよ~。ってことで今回は、その辺をちょっと学んでみましょう。
中国からみたら台湾は中国の領土のひとつです。中国の憲法にも「台湾は、中華人民共和国の領土の一部である。台湾同胞を含む全中国人民の祖国統一は我々の責務である」といった内容が書かれています。
う~ん。意味わかんないですよね。中国って中華人民共和国でしょ。じゃ、なんで台湾を中華民国というのか?人民共和はどこいったんだい?って感じですよね。
実は、この辺は台湾の歴史を見ていくとわかってきます。では、今回は台湾の歴史を学んでいってみましょう。
現実政治の世界ではなおパワーが決定的に重要であるから、そのパワーのおもむくところ中国の主張を他国は「理解し尊重する」ということに傾かざるをえない。しかし、中国がそうした政治的主張を繰り返し、他国がこの主張を理解し尊重するという態度をとりつづけて何年も経つと、台湾が歴史的事実としても中国の版図であったかのように思い込まされてしまうという危険性がある。
中台統一は中国人民の「神聖なる使命、崇高なる目標」だというのが中国の主張である。とはいえ、これはあくまで政治的主張であって、そのような主張を裏づける歴史的根拠が存在するということではない。(東アジア-台湾-)

-30000
語源
中国本土の東方にある大きな島で、本土とは別個な文化圏を形成していた。
大陸中国にとって台湾は長らく中華文明の教化の及ばない「化外の地」であり、先住民は「化外の民」とみなされ、大陸中国がその領有に関心を示すことはなかった。
台湾を「発見」してここをイリヤ・フォルモサ(「美麗島」)と命名したのはポルトガルであった。
Formosa (フォーモサ) と言う昔の名称はポルトガル語の「美しい」を意味し、 これは 16 世紀にポルトガルの探検家が島を通り過ぎた時に付けた名前である。
17世紀初頭に オランダ東インド会社が ゼーランディア城 (Fort Zeelandia) に商業基地を建設した時には先住民の呼称を採用し、音訳されて Tayouan あるいは Teyowan と記されている。
その後オランダ、スペインが台湾支配は局地的かつ一時的なものに終わった。
強大な軍勢をもつ明国ならびに清国が、局地的、一時的ではあれオランダ、スペインによる台湾支配を許容したこと自体、大陸が台湾にさしたる関心をもっていなかったという事実を「立証」している。(東アジア-台湾-)

有史以前(30000年前)(東アジア-台湾-)

-30000
台湾に人が定住した証拠は 30000 年前にさかのぼるが、 台湾の最初の定住者は現在島に定住するどのグループとも遺伝的に違っている可能性がある。(東アジア-台湾-)

-20000
姶良カルデラ噴火(前24000)(日本-日本-旧石器時代縄文時代)

-20000
新人とみられる港川人(沖縄県)が出現(日本-日本-旧石器時代縄文時代)

-20000
石器を使った狩猟・漁猟・採集の生活(日本-日本-旧石器時代縄文時代)

-20000
氷河時代末期、(新人)日本では縄文人や弥生人。金属を使用。(日本-日本-旧石器時代縄文時代)

-18000
浜北人が出現 (日本-日本-旧石器時代縄文時代)

旧石器時代縄文時代(約12000年前-紀元前3世紀)(日本-日本-旧石器時代縄文時代)

縄文人は石器を新石器と進化させ、石を磨いた磨製石器を使用。
竪穴式住居、高床式倉庫の建物を用いて集落の形成(ムラ)や縄文式土器、土偶、貝塚、漆製品、装身具、農耕具(木製、石製)を作るようになった。
食料調達には弓矢を用いた狩猟(イノシシ、シカ)や漁(タイ、ボラ、マグロ、サケ、イルカ、クジラ)、採取(クルミ、クリ、ドングリ)、採集(アサリ、ハマグリ)、 焼畑農耕でソバ、ムギ、アズキ、エゴマなどを栽培して果実酒も製造していた。(日本-日本-旧石器時代縄文時代)

-12000
稲作農耕(日本-日本-旧石器時代縄文時代)

-12000
縄文文化、世界最古の土器が作られる(日本-日本-旧石器時代縄文時代)

-11000
福井洞穴遺跡(長崎県)(日本-日本-縄文時代)

-10000
サツマ火山灰の下に栫ノ原遺跡・掃除山遺跡(日本-日本-縄文時代)

-10000
日本列島が大陸から完全に分離(日本-日本-縄文時代)

-10000
農耕革命。植物を栽培、動物を家畜化。(日本-日本-縄文時代)

-10000
磨製石器・弓矢が出現(日本-日本-縄文時代)

-10000
旧石器時代(日本-日本-縄文時代)

-10000
/縄文草創期(日本-日本-縄文時代)

-9000
イェリコの農耕集落(アジア--)

-9000
パプアニューギニアで植物栽培か(オセアニア-パプアニューギニア-)

-8000
漁労活動活発化、貝塚(日本-日本-縄文時代)

-8000
喜界カルデラ噴火(前6400)(日本-日本-縄文時代)

-8000
上野原遺跡・加栗山遺跡・前原遺跡の定住集落(日本-日本-縄文時代)

-8000
竪穴住居の小集落(日本-日本-縄文時代)

-8000
BC6000頃 新石器文化国史年表
新石器時代
この頃から新石器時代が始まり、磨製石器と釣り針、針などの骨器、そして櫛目文土器が広く使われた。  新石器時代の人々は竪穴式住居に住み、同じ血筋の氏族が集まり付属をつくり、定住、農耕生活を始めた。(東アジア-朝鮮-新石器時代)

-7500
トゥルカナ湖周辺で漁労社会(アフリカ-アフリカ-)

-7000
縄文草創期/縄文早期(日本-日本-縄文時代)

-7000
夏島貝塚(神奈川県)(日本-日本-縄文時代)

-6700
稲作(陸稲 - りくとう)が中国(南部)から伝わる(日本-日本-縄文時代)

-6500
メソポタミアでジャルモ朝が定住と農耕を開始。 (中東-イラク-)

-6500
トルコのチュタル・ヒュユクで農耕(中東-トルコ-)

-6500
ニジェール河流域で農耕(アフリカ-ニジェール-)

-6500
中国黄河流域で農耕(東アジア--)

-6500
中国長江流域で稲作(東アジア--)

-6000
南ロシア・ギリシャへ農耕が伝わる(西欧-ギリシャ-)

貝塚時代(約6000年前-12世紀)(日本-日本-縄文時代)

-5500.-4000
青森県青森市にある1500年続いた日本最大の集落跡 (三内丸山遺跡) (日本-日本-縄文時代)

-5000
テワカンでトウモロコシ栽培(北米--)

-5000
新石器時代早期 -5000-4000
櫛目文土器が広がる BC5000年頃(東アジア-朝鮮-新石器時代早期)

-5000
RIGHT:縄文式文化 BC5000年頃(東アジア-朝鮮、日本-縄文時代)

-4500
メソポタミアで灌漑農業の開始。(中東-イラク-)

-4500
エジプトでも農耕が開始。 (アフリカ-エジプト-)

-4500
東欧へ農耕が伝わる(東欧-東欧-)

-4500
黄河流域で彩陶文化(黄河文明)(東アジア--)

-4000
気候が温暖化船が登場(日本-日本-縄文時代)

-4000
平底土器一般化(日本-日本-縄文時代)

-4000
新石器時代(櫛目文土器時代/侯目文土器)-4000(もしくは-5000) -1000年
新石器時代前期 -4000-3000 (東アジア-朝鮮-新石器時代前期)

-4000
縄文早期/縄文前期(日本-日本-縄文時代)

初期の定住者(4000年頃前)(東アジア-台湾-)

-4000
現代の台湾の先住民の先祖は 4000 年頃前に台湾に定住している。 これらの先住民は遺伝的にはマレー人と関連し、 母系ではポリネシア人と関連し、 言語学者は彼らの言語を オーストロネシア語 としている。 台湾中でポリネシア人の先祖をたどることが可能であると思われている。(東アジア-台湾-)

-4000
もともと、台湾にはアミ族やパイワン族などという先住民族が住んでいました。日本では高砂族といわれている人たちです。(東アジア-台湾-)

-4000
三内丸山遺跡(青森県)、大規模集落(日本-日本-縄文時代)

-3500
インダス流域へ農耕が伝わる(アジア--)

-3400
メソポタミアのウルク朝が、文字を使い始める。また、都市を形成。銅器の使用。 (中東-イラク-)

-3350
上古時代 -三皇 伏羲氏 天皇 太昊(紀元前3350年 - 紀元前3040年)(東アジア--上古時代)

-3300
アイスマンが氷に閉じ込められる(ヨーロッパ-ヨーロッパ-)

-3200
稲作(水稲 - すいとう)が中国(南部)から伝わる(日本-日本-縄文時代)

-3100
シュメール人の都市国家(メソポタミア文明)(中東-イラク-)

-3100
エジプト文明(アフリカ-エジプト-)

-3040
上古時代 -三皇 神農氏 地皇 炎帝(紀元前3040年 - 紀元前2510年)(東アジア--上古時代)

-3000
インダス文明 (アジア--)

-3000
エジプト、統一国家の形成(アフリカ-エジプト-)

-3000
メソポタミアにシュメール人の都市国家(中東-イラク-)

-3000
一湊遺跡(日本-日本-縄文時代)

-3000
石斧・土偶など作られる(日本-日本-縄文時代)

-3000
立体装飾に富む大型土器(日本-日本-縄文時代)

-3000
新石器時代中期 -3000-2000 (東アジア-朝鮮-新石器時代中期)

-3000
縄文前期/縄文中期(日本-日本-縄文時代)

-2700
エジプトの古王国時代(アフリカ-エジプト-)

-2650
エジプトで古王国の誕生(アフリカ-エジプト-)

-2635
階段ピラミッドを建設。 (アフリカ-アフリカ-)

-2600
インダス文明(アジア--)

-2600
エーゲ文明(ヨーロッパ-ヨーロッパ-)

-2589
エジプトのクフ王(アフリカ-エジプト-)

-2510
上古時代 -三皇 軒轅氏 泰皇 黄帝(紀元前2510年 - 紀元前2448年)(東アジア--上古時代)

-2500
このころ、北イラクにアッシリアが建国される。 (中東-イラク-)

-2448
上古時代 -五帝 金天氏 少昊 姫玄囂(紀元前2448年 - 紀元前2364年)(東アジア--上古時代)

-2371
アッカドのサルゴンが、シュメール系諸国家を征服しメソポタミアを統一。 (中東-イラク-)

-2364
上古時代 -五帝 高陽氏 帝顓頊 姫顓頊(紀元前2364年 - 紀元前2286年)(東アジア--上古時代)

-2333
古朝鮮時代[BC2333-BC108]
檀君朝鮮[BC2333年ごろ~](東アジア-朝鮮、檀君朝鮮-古朝鮮時代)

-2333
壇君王倹,阿斯達に都を開く.古朝鮮建国檀君朝鮮(檀君神話)(三国遺事)
古朝鮮時代
朝鮮半島の歴史は、BC2333年の檀君(だんくん・タングン)による建国神話からはじまり、 一般的に前漢武帝に侵攻を受ける以前の、檀君朝鮮からはじまって、次の箕子(きし・キジャ)朝鮮を経て、衛氏(えいし・ウィシ)朝鮮までの三王朝を、古朝鮮時代と呼び、BC108年、漢の武帝に征服される。檀君と箕子は、神であり人間である神話・伝説の世界の歴史である。支配地域は大同江から北西の地域。
檀君朝鮮
まず、檀君朝鮮。これは、ほとんど神話のようなお話で実在したかどうかはかなり怪しい・・・。朝鮮民族の始祖とされる檀君という神話上の人物がBC2333年に阿斯達(アサダル、現在の平壌)を都とし朝鮮最初の王国を建国したとされている。国の名称を朝鮮とし、この時代を檀君朝鮮と呼び、1500年続く、神話・伝説の王朝である。その後、いくつかの部族が満州南部地域から朝鮮半島に移動し、檀君が1908歳のとき、国を箕子に譲り、自身は神になって、山に入って行った。(東アジア-朝鮮、檀君朝鮮-檀君朝鮮)

-2333
檀君、阿斯達に都し、朝鮮王となるを定める(三国遺事)国史年表(東アジア-朝鮮、檀君朝鮮-)

-2333
その1、歴史の始まり・・・檀君神話・古朝鮮 古朝鮮を建国した檀君に関する記録は高麗(高句麗)時代の高僧・一然(イルヨン)の書いた「三国遺事」に詳しく書かれている。 昔々、天の国に住んでいた桓因(ファニン)の息子の桓雄(ファヌン)は、天の下の人間の世を気にしていた、父が息子の気持ちを察して、下界をながめて見ると、人間の世を作っても良さそうな気がしたので、桓雄に天の息子の証”天賦印”を与えて下におりて治めることを許した。父の許可を得た桓雄は3000人の配下を連れて太白山(テベク山)の神壇樹に降りてきた、そこが神市である、と壇君神話は始まります。 しかし、古朝鮮の第一代の王は桓雄ではなく壇君です。壇君はまだ生まれていません、どのようにして生まれてくるのでしょうか。 桓雄が世を治めているとき、毎日人間になりたいと心からお祈りをしている虎と熊が同じ洞窟に住んでいました。毎日、お祈りをする虎と熊を見て、二匹の動物にひとにぎりのヨモギとにんにく20個を渡して、桓雄は「それを食べて100日間太陽の光を避ければ人間になれる」といいました。しかし、虎は我慢できずに飛び出してしまった。熊は言いつけを守りきれいな女性に変わりました。しかし、熊の祈りはそこで終わりませんでした。女になった熊は、毎日、神壇樹の下で、子どもを生めるようにして下さいと祈り続けました。そこで、桓雄は男に変身してその熊女(ウンニョ)と結婚し、子どもが生まれました。その子が檀君です。 檀君は紀元前2333年に平壌(ピョンヤン)を都にして、国名を朝鮮と呼びました。日が昇るところ、という古代の朝鮮語で、アサダルの漢字表現です。古朝鮮という名称は李成桂[イ・ソンゲ、太祖(テジョ)李氏朝鮮(りしちょうせん1392年 - 1910年)の始祖] が朝鮮王朝を建てたため、後に二つを区別するために檀君の朝鮮を古朝鮮と呼ぶようになりました。 古朝鮮の開国が紀元前2333年というのは重要です。それは韓国の年号である檀紀をかぞえるとき用いる年度であり、今年(2006年)は檀紀4338年記なります。韓国の歴史が始まって今年で4338年目になったという意味。 しかし、檀君は単に人の名前ではないという事実も注目に値します。個人を指す固有名詞ではなく、普通名詞です。祭政一致社会、シャーマンの王として政治権力と宗教の権力とを同時に持っていた意味をもつ一般名詞です。古朝鮮は政治と宗教が一致していた社会であったことが分かります。 檀君はその後、1500年間、朝鮮を治めて、アサダルの山に入り、山の神になったといわれます。そのとき1908歳だったそうです。とここまでが、「三国遺事」の記録です。 神話が事実か否かはそれほど重要ではありません。神話が存在する理由は、その民族の象徴であり、意味であるからです。『檀君神話』は、天の神の息子がこの地に降臨してきて、宇宙の木である神壇樹の前でこの世を創り、人々と共に生活する話です。そのハイライトは結婚式です。天があり、地があり、植物を代表する宇宙の木があり、動物を代表する熊がいる。その間に人がいる。全ての宇宙が集まって宴会をするのが、結婚式。この結婚から檀君が生まれる。現代を生きるわれわれがそのような全宇宙の美しい祝福を受けて生まれてきたということを伝えている話です。 檀紀(檀君紀元)とは、「三国遺事」で伝えられる檀君(タングン)の朝鮮建国を称える年号のこと。「三国遺事」以下、各種史料では建国年次が一定していなかったが、1485撰述の「東国通鑑」が「唐堯の即位25年・戊辰」と特定して以来、紀元前2333年建国という認識が定着するようになった。 檀紀は、日本からの独立を果たした大韓民国で公用紀元として採用された年号で、檀君(タングン)の朝鮮建国と伝えられる前2333年を元年とし、陰暦10月3日を開天節と定めている。1961年まで用いられたが、1962年の憲法改正(第三共和制)の際に、西暦に改められた。(東アジア-朝鮮、檀君朝鮮-)

-2333
『朝鮮』名の由来です。 『朝』とは、時の「朝廷」…中国「周」や「秦」「漢」「後漢」などから「清」国までの歴代中国史。 『鮮』とは、「物請う、物乞う」つまり、朝廷に物乞う人々の国です。歴代中国側は、日本国側も貢物を差し出せばその地の統治者として認めるような外交をするも、日本があまりにも離れ地(難海を隔てた場所)の為に関与ができなく、属国化できなかった。 しかし、朝鮮半島は、まさしく「物乞う」国として属国できたので『朝鮮』名を命名したのです。 それが現在も続いている名称です。 http://unkar.org/r/korea/1202814092「朝鮮」の朝は、宗主国に献上する貢物を表します。 そして「朝鮮」の鮮は、少ないという意味があります。 中国には朝鮮半島の傀儡王朝から、財宝、作物、奴隷が献上されたという記録が残っています。 国の名前を中国に決めてもらうとき、朝鮮のほうからも「朝鮮」を含むいくつかの名前を候補にお伺いを立てているわけです。 朝鮮側は当然「朝のあざやかな国」、のつもりでその名前を考えたわけですが、中国側はリストにある「朝鮮」の文字を見て 「貢物の少ない国」となった様です。(東アジア-朝鮮、檀君朝鮮-)

-2300
アッカド帝国(中東-イラク-)

-2286
上古時代 -五帝 高辛氏 帝嚳 姫夋(紀元前2286年 - 紀元前2216年)(東アジア--上古時代)

-2230
アッカド王国の滅亡。 (中東-イラク-)

-2216
上古時代 -五帝 青陽氏 帝摯 姫摯(紀元前2216年 - 紀元前2213年)(東アジア--上古時代)

-2213
上古時代 -五帝 陶唐氏 帝堯 依祁放勛 (紀元前2213年 - 紀元前2115年)(東アジア--上古時代)

-2200
エジプトの第1中間期(アフリカ-エジプト-)

-2200
黄河下流域で黒陶文化(東アジア--上古時代)

-2135
エジプトの中王国時代(アフリカ-エジプト-)

-2112
ウル第3王朝(ME-ME-)

-2112
上古時代 -五帝 有虞氏 帝舜 姚重華(紀元前2112年 - 紀元前2073年)(東アジア--上古時代)

-2111
前2111年 ウル王ウルナンムが、メソポタミアを再統一。法典の編纂を行う。 (中東-イラク-)

-2040
メンチュヘテプ2世が、100年ほど前から分裂していたエジプトを再統一。中王国時代。 (アフリカ-エジプト-)

-2000
古バビロニア王国 ( - -)

-2000
インド=ヨーロッパ語族の大移動が始まる(アジア--)

-2000
クレタ文明(クノッソス宮殿)(西欧-イタリア-)

-2000
中国夏王朝(伝説)成立 夏王朝・・ 禹―?―太康―仲康―相―少康―杼―槐-芒―泄―不降―?―?―孔甲―皋―発―癸―桀(東アジア-夏-夏)

-2000
前谷遺跡(日本-日本-縄文時代)

-2000
大規模な環状貝塚(日本-日本-縄文時代)

-2000
鉢・皿・土瓶など土器の形が多様化(日本-日本-縄文時代)

-2000
新石器時代晩期 -2000-1000
朝鮮あわ、きび、ひえなどを栽培。(東アジア-朝鮮、檀君朝鮮-新石器時代晩期)

-2000
縄文中期/縄文後期(日本-日本-縄文時代)

-2000
大湯環状列石(秋田県)(日本-日本-縄文時代)

-1894
アモリ人がバビロン第1王朝(バニロニア)を建国。 古バビロニア王国(アジア--)

-1813
古アッシリア王国(中東-イラク-)

-1800
ハムラビ法典制定 ( - -)

-1800
エジプトの第2中間期(アフリカ-エジプト-)

バビロニアでハンブラビ王が即位。ハンブラビ法典の編纂。 (アジア--)

-1700
中国殷王朝成立(東アジア-殷-殷)

-1680
ヒッタイト古王国(アジア--)

-1595
古バビロニア王国滅亡(アジア--)

-1570
エジプトの新王国時代(アフリカ-エジプト-)

-1550
ミタンニ王国(アジア--)

-1500
殷王朝の成立(東アジア-殷-殷)

-1500
アーリア人がインドのパンジャブ地方へ進入(アジア--)

-1500
エーゲ海のサントリニ島で火山爆発(ヨーロッパ-ヨーロッパ-)

-1500
-1500年ごろ、中国より農耕伝わる。 (東アジア-朝鮮、檀君朝鮮、殷-)

-1450
ギリシャのミケーネ文明(西欧-ギリシャ-)

-1450
クレタ文明滅亡(西欧-イタリア-)

-1400
中国殷王朝の遷都(東アジア-殷-殷)

-1364
アマルナ文化(アフリカ-アフリカ-)

-1364
エジプトのイクナトン(アフリカ-エジプト-)

-1300
黄河文明の繁栄(東アジア-殷-殷)

-1300
BC1300年頃 無文土器が作られる。(東アジア-朝鮮、檀君朝鮮-)

-1270
ミタンニ王国の滅亡(アジア--)

-1260
モーゼの出エジプト(アフリカ-エジプト-)

-1200
ヒッタイト新王国滅亡(アジア--)

-1200
フェニキアの繁栄(アジア--)

-1200
リグ・ヴェーダの集大成(アジア--)

-1200
トロイア戦争(ヨーロッパ-ヨーロッパ-)

-1150
ギリシャにドーリア人南下(西欧-ギリシャ-)

-1122
箕子朝鮮[-1122 -194]
中国の殷(いん)の賢人、箕子が、箕子朝鮮を建国する。
箕子朝鮮(?~BC194)
中国の殷(いん)の賢人、箕子(キジャ)が、檀君の王位を継ぎ、箕子(キジャ)朝鮮を建国する。首都は平壌である。 箕子朝鮮は、BC194年まで、40世あまり続くことになるが、檀君朝鮮同様、神話・伝説の時代である。
BC4世紀
満州遼寧を中心に、満州と朝鮮半島をつなぐ広い地域を統治する国家に発展した。
 鉄器が普及し始めた。?~BC194年に登場するのが箕子(きし)朝鮮。この王朝に関しても、まだ実在の確認はされていませんが「史記」や「漢書」によれば、殷の箕子が建国したということになっています。 :BC194年 
衛満の執権
 西方地地方で勢力を養った衞満が準王を追い出し古朝鮮の王となった。(BC194年)
 この時期鉄器文化が広がり、また、韓半島南部地方の辰の諸国は漢との中継貿易で強国となった。(東アジア-朝鮮、檀君朝鮮、箕子朝鮮-)

-1090
エジプトの末期王朝時代(アフリカ-エジプト-)

-1070
箕氏朝鮮の誕生(伝説)(東アジア-朝鮮、箕子朝鮮-箕子朝鮮)

-1070
中国周王朝成立(華北を統一)(東アジア-周-周)

-1050
周王朝による華北の統一 (東アジア-周-周)

-1050
周王朝(西周)・・ 周(西周)王朝の系図・武王発―成王誦―康王釗―昭王瑕―穆王満―共王―懿王―孝王辟方―夷王燮―厲王胡――共和時代――宣王静―幽王宮涅(東アジア-周-周)

-1050
周王朝(西周)・・ 部族「周」の系図・棄―不―鞠 ―公劉―慶節―皇僕―差弗―何某―公非―高圉― 亜圉―公叔祖類―古公亶父―季歴―昌(東アジア-周-周)

-1050
商王朝(殷)・・ 商(殷)王朝の系図・湯―太丁―外丙―仲壬―太甲―沃丁―太庚―小甲―雍己―太戊―仲丁―外壬―河亶甲―祖乙(中宗)―祖辛―沃甲―祖丁―南庚―陽甲―盤庚―小辛―小乙―武丁(高宗)―祖甲―康丁―武乙―文丁―帝乙―帝辛(紂)(東アジア-周-周)

-1050
商王朝(殷)・・ 部族「商」の系図・契―昭明―相土―昌若―曹圉―冥―王亥 ―王恒― 上甲微―報丙―報丁―示壬―示癸―湯(東アジア-周-周)

-1000
バラモン教の成立→インドのカースト制度 (南アジア-インド-インド)

-1000
アーリア人がガンジス川流域に進出(南アジア-インド-)

-1000
とうもろこしを主とする農耕(北米--)

-1000
メキシコのオルメカ文化(中南米-メキシコ-)

-1000
宇宿貝塚・草野貝塚(日本-日本-縄文時代)

-1000
市来式土器・指宿式土器が盛ん(日本-日本-縄文時代)

-1000
漆塗りなどの小型土器発達(日本-日本-縄文時代)

-1000
装身具・呪術的な道具発達(日本-日本-縄文時代)

-1000
無文土器時代[-1000年頃 -100年]
無文土器時代前期(-1000 -700)(東アジア-朝鮮、箕子朝鮮-無文土器時代)

-1000
BC10世紀頃 韓半島ではこの頃、青銅器時代が始まり、支配階級の武器や装飾品として用いられた。
アワ、ムギ、ダイズ、イネが栽培された。
青銅器の武器を使用し他の部族を制服するなど勢力を拡張していった。
一部の地域で稲作。?  竪穴式住居。
青銅器文化の展開 ・ 古朝鮮の発展
青銅器文化が始まる。BC1000年頃
水稲栽培始まる。BC10~8世紀頃(東アジア-朝鮮、箕子朝鮮-)

-1000
BC1000頃青銅器文化の展開国史年表(東アジア-朝鮮、箕子朝鮮-青銅器文化)

-1000
BC1000頃古朝鮮の発展国史年表(東アジア-朝鮮、箕子朝鮮-)

-1000
縄文後期/縄文晩期(日本-日本-縄文時代)

-1000
亀ヶ岡遺跡(青森県)(日本-日本-縄文時代)

-971
イスラエル王国のソロモン王(-932)(中東-イスラエル-イスラエル)

-920
クシュ王国の形成(アフリカ-アフリカ-)

-900
ポリスの形成(ヨーロッパ-ヨーロッパ-)

-900
九州北部へ農耕が伝わる(日本-日本-縄文時代)

-814
カルタゴの建設(アフリカ-アフリカ-)

-800
BC800年頃 古朝鮮の実在節有り(東アジア-朝鮮、箕子朝鮮-)

-776
ギリシアで第1回オリンピア競技 (ヨーロッパ-ヨーロッパ、ギリシャ-ギリシャ)

-771
周の東遷(東アジア-周-周)

-770
周の東遷→東周時代(~403) (東アジア-周-周)

-770
春秋時代始まる(~-403)・・ 桓公(斉)・文公(晋)・荘王(楚)・穆公(秦)・夫差(呉)・勾践(越)()内は国名。(東アジア-斉・晋・楚・秦・呉・越-春秋時代)

-770
東周・・ 平王が晋・鄭・衛・秦(国名)の力を借りて周を東遷し、東周が誕生。以下25代の王が立つ。(東アジア-東周-東周)

-753
ローマ市建設(伝説)(西欧-イタリア、ローマ-)

-753
王政 伝説上のローマ建国の年(西欧-イタリア、ローマ-)

-750
古代ローマが建国される (西欧-イタリア、ローマ-)

-745
アッシリアが全オリエントを統一し、アッシリア帝国として強大になる。 (中東-イラク-)

-745
新アッシリア帝国の建設(中東-イラク-)

-722
春秋の記述、この年から始まる ( - -春秋時代)

-722
アッシリア帝国がイスラエル王国を滅ぼす。 (中東-イラク、アッシリア帝国、イスラエル王国-)

-715
メソポタミア(イラン高原)でメディア王国が成立。 (中東-イラクメディア王国-)

-711
神武天皇生誕(日本-日本-縄文時代)

-700
無文土器時代中期(-700-300)(東アジア-朝鮮、箕子朝鮮-無文土器時代中期)

-700
-700年ごろ、青銅器伝わる。
水稲栽培はじまる(東アジア-朝鮮、箕子朝鮮-)

-667
神武天皇が日向の国を出発し東征開始(日本-日本-縄文時代)

-666
神武天皇は吉備国に到着。高島宮をつくり、そこで船軍を整える(日本-日本-縄文時代)

-663
神武天皇の軍が吉備の国を出発し東征再開(日本-日本-縄文時代)

-662
神武天皇が橿原宮造営開始(日本-日本-縄文時代)

-661
神武天皇は事代主神の娘 媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめ)を召して正妃とする(日本-日本-縄文時代)

-660.2.11
第1代神武天皇が橿原宮で即位(日本-日本-縄文時代)

-633
アッシリア帝国のアッシュールパニパル王が、エジプトの首都テーベを占領。 (アフリカ-エジプト、イラク-)

-632
神渟名川耳尊(綏靖天皇)生誕(日本-日本-縄文時代)

-630
ゾロアスター教の創始(アジア--)

-625
メソポタミアで新バビロニア王国が成立。 (中東-イラク-)

-619
神渟名川耳尊(綏靖天皇)を皇太子とする(日本-日本-縄文時代)

-616
エトルリア人の王によるローマ支配(西欧-イタリア、ローマ-)

-609
アッシリア帝国が完全に滅亡。 (中東-イラク-)

-598
新バビロニア王国が、ユダ王国を滅ぼし住民を強制移住&奴隷化(バビロン捕囚)。 (中東-イラク-)

-586
ユダヤ王国滅亡(アジア--)

-586
バビロンの捕囚(アジア--)

-585
第1代神武天皇が崩御127歳(日本-日本-縄文時代)

-584
神武天皇を畝傍山の東北の陵に葬った(日本-日本-縄文時代)

-581
第2代綏靖天皇(日本-日本-縄文時代)

-581
第2代綏靖天皇が葛城高丘宮で即位 。(日本-日本-縄文時代)

-580
綏靖天皇が五十鈴依媛を皇后とする。(日本-日本-縄文時代)

-577
磯城津彦玉手看尊(安寧天皇)生誕(日本-日本-縄文時代)

-557
シャカ生まれる ( - -)

-557
磯城津彦玉手看尊(安寧天皇)立太子。21歳(日本-日本-縄文時代)

-553
大日本彦耜友尊(懿徳天皇)生誕(日本-日本-縄文時代)

-551
孔子生まれる ( - -)

-550
仏陀、孔子、老子(アジア--)

-550
アケメネス朝ペルシアによって、メディア王国が滅亡。前539年には新バビロニアが滅亡。 (中東-イラク-)

-549
綏靖天皇崩御84歳(日本-日本-縄文時代)

-549
第3代安寧天皇が即位(日本-日本-縄文時代)

-549
綏靖天皇を桃花鳥田丘上陵に葬る。(日本-日本-縄文時代)

-547
安寧天皇が片塩の浮穴宮に遷都する。(日本-日本-縄文時代)

-546
安寧天皇が渟名底仲媛命 を皇后にする。(日本-日本-縄文時代)

-539
ペルシャ帝国の建設(アジア--)

-538
大日本彦耜友尊(懿徳天皇)立太子(日本-日本-縄文時代)

-525
エジプトがペルシャに占領される(アフリカ-エジプト-)

-525
アケメネス朝ペルシアのカンビュセス、エジプトを征服。全オリエントの統一。 (アフリカ-エジプト、イラク-)

-511
安寧天皇崩御(磯城津彦玉手看尊)(天皇(3代))<67歳>(日本-日本-縄文時代)

-510
第4代懿徳天皇(日本-日本-縄文時代)

-510
第4代懿徳天皇が即位(日本-日本-縄文時代)

-510
安寧天皇を御蔭井上陵 (みほとのいのえのみささぎ)に葬る(日本-日本-縄文時代)

-509
共和政 エトルリア人の王が追放され、貴族共和政がはじまる。(西欧-イタリア、ローマ-)

-509
懿徳天皇が、軽の曲峡宮に遷都。(日本-日本-縄文時代)

-509
懿徳天皇が天豊津媛を皇后とする。(日本-日本-縄文時代)

-508
(陶片追放創始)(ヨーロッパ-ヨーロッパ-)

-508
アテネの民主制成立(ヨーロッパ-ヨーロッパ-)

-506
観松彦香殖稲尊(孝昭天皇)生誕(日本-日本-縄文時代)

-500
菜畑遺跡で水田稲作
水田稲作が広まる
青銅器と鉄器が大陸から伝わる(日本-日本-縄文時代弥生時代)

-495
貴族に反発した平民が聖山に立てこもる(西欧-イタリア、ローマ-)

-494
平民会と護民官の設置(西欧-イタリア、ローマ-)

-492
ペルシャ戦争はじまる(アジア--)

-489
観松彦香殖稲尊(孝昭天皇)立太子(日本-日本-縄文時代)

-477
第4代懿徳天皇崩御、(大日本彦耜友尊)(天皇(4代))<77歳>(日本-日本-縄文時代)

-476
懿徳天皇を畝傍山南繊沙谿上陵に葬る(日本-日本-縄文時代)

-473
第5代孝昭天皇(日本-日本-縄文時代)

-473
第5代孝昭天皇が即位(日本-日本-縄文時代)

-473
孝昭天皇が都を掖上の池心宮に移す。(日本-日本-縄文時代)

-472
ギリシャ3大悲劇(西欧-ギリシャ-)

-451
十二表法成立 ( - -)

-450
ギリシア文化の全盛時代 ( - -)

-450
「十二表法」制定(西欧-イタリア、ローマ-)

-447
孝昭天皇が世襲足媛を皇后とする。(日本-日本-縄文時代)

-431
仏教成立 ( - -)

-431
ペロポネソス戦争はじまる(ヨーロッパ-ヨーロッパ-)

-430
ヘロドトスの「歴史」(ヨーロッパ-ヨーロッパ-)

-427
日本足彦国押人皇子(孝安天皇)生誕(日本-日本-縄文時代)

-408
日本足彦国押人皇子(孝安天皇)が皇太子となる(日本-日本-縄文時代)

-403
戦国時代・・ 文侯(魏)・悼王(楚)・孝公(秦)・威王(斉)・武霊王(趙)・?政(後の始皇帝)(秦)()内は国名。(東アジア-魏・楚・秦・斉・趙・秦-戦国時代)

-403
中国、戦国時代に(~-221)(東アジア-魏・楚・秦・斉・趙・秦-戦国時代)

-400
箕子朝鮮(BC4世紀~BC194年)(東アジア-朝鮮、箕子朝鮮-箕子朝鮮)

-400
BC400年頃 鉄器文化が普及する。(東アジア-朝鮮、箕子朝鮮-鉄器文化)

-400
RIGHT:鉄器文化が普及する。 BC400年頃(東アジア-朝鮮、箕子朝鮮-)

弥生時代 - [紀元前4世紀頃 ~ 250年頃](日本-日本-縄文時代弥生時代)

集落(ムラ)から小国(クニ)が誕生する。
縄文土器が弥生土器となる。
金属(銅、青銅、鉄)が伝わり青銅器、鉄器、銅剣、銅矛、銅鐸などが製造される。
農耕は鉄製農具や水田が湿田から乾田に変わり生産性が高まった。
集落が周囲を堀と柵で囲った環濠集落(かんごうしゅうらく)へと進化する。環濠集落の代表的な遺跡が吉野ヶ里遺跡。更に狼煙台などの軍事目的の高地性集落も出現する。(日本-日本-縄文時代弥生時代)

-399
ソクラテス死去(ヨーロッパ-ヨーロッパ-)

-393
孝昭天皇崩御。(觀松彦香殖稻尊)(天皇(5代))<114歳>(日本-日本-縄文時代弥生時代)

-392
第6代孝安天皇(日本-日本-縄文時代弥生時代)

-392
第6代孝安天皇が即位(日本-日本-縄文時代弥生時代)

-391
孝安天皇が都を室に移す 。室秋津島宮(日本-日本-縄文時代弥生時代)

-387
ローマがケルト人による掠奪、放火にあう(西欧-イタリア、ローマ-)

-367
リキニウス・セクスティウス法が成立(西欧-イタリア、ローマ-)

-366
孝安天皇が押媛を皇后とする(日本-日本-縄文時代弥生時代)

-355
孝昭天皇を掖上博多山上陵に葬る。(日本-日本-縄文時代弥生時代)

-343
3次にわたるサムニテス戦争~-290(西欧-イタリア、ローマ-)

-342
大日本根子彦太王瓊尊(孝霊天皇)生誕(日本-日本-縄文時代弥生時代)

-340
ラテン戦争、ラティウム支配下へ~-338(西欧-イタリア、ローマ-)

-338
カイロネイアの戦い(西欧-ギリシャ-)

-334
アレクサンドロス大王の遠征はじまる(アジア--)

-333
アレクサンドロス大王、イッソスの戦でダレイオス3世を破る(アジア--)

-330
アケメネス朝ペルシアを征服、ペルシア帝国滅亡 (アジア--)

-322
インドにマウリヤ朝成立(アジア--)

-317
大日本根子彦太王瓊尊(孝霊天皇)立太子 19歳(日本-日本-縄文時代弥生時代)

-314
孟子(アジア--)

-312
アッピア街道の建設(ヨーロッパ-ヨーロッパ-)

-312
セレウコス朝成立・セレウコス1世(アジア--)

-312
アッピア街道、アッピア水道の建設がはじまる(西欧-イタリア、ローマ-)

-307
ストア哲学(ヨーロッパ-ヨーロッパ-)

-305
プトレマイオス朝・プトレマイオス1世(アフリカ-アフリカ-)

-301
イプソスの戦い(アジア--)

縄文時代弥生時代(紀元前3世紀-3世紀)(日本-日本-縄文時代弥生時代)

-300
ユークリッド(アフリカ-アフリカ-)

-300
稲作始まる下原遺跡・高橋貝塚(日本-日本-縄文時代弥生時代)

-300
九州北部に稲作と金属器が到来(日本-日本-縄文時代弥生時代)

-300
水稲農業始まる(日本-日本-縄文時代弥生時代)

-300
弥生文化(日本-日本-縄文時代弥生時代)

-300
無文土器時代後期(-300-100)(初期鉄器時代)(東アジア-朝鮮、箕子朝鮮-無文土器時代後期)

-300
-300年ごろ、鉄器伝わる。
鉄器文化の普及.農業発達(東アジア-朝鮮、箕子朝鮮-)

-300
BC300頃鉄器文化の普及国史年表(東アジア-朝鮮、箕子朝鮮、衛氏朝鮮-)

-300
縄文晩期/弥生前期(日本-日本-縄文時代弥生時代)

-291
孝安天皇崩御137歳(日本-日本-弥生時代)

-290
サムニウム戦争終結(ヨーロッパ-ヨーロッパ-)

-290
第7代孝霊天皇が即位(日本-日本-弥生時代)

-289
荘子(紀元前369年頃 - 紀元前286年頃)(東アジア-宋-)

-287
ホルテンシウス法(ヨーロッパ-ヨーロッパ-)

-283
アレキサンドリア灯台の建設(アフリカ-アフリカ-)

-282
タレンツム戦争はじまる(ヨーロッパ-ヨーロッパ-)

-277
(アンチゴノス=ゴナタス)(ヨーロッパ-ヨーロッパ-)

-277
アンチゴノス朝成立(ヨーロッパ-ヨーロッパ-)

-273
アショカ王即位(アジア--)

-273
大日本根子彦国牽尊(孝元天皇)生誕(日本-日本-弥生時代)

-272
ローマの半島統一(西欧-イタリア、ローマ-)

-272
タレントゥムを破り全イタリア半島を支配下に(西欧-イタリア、ローマ-)

-264
第1次ポエニ戦争(~-146)(アフリカ-アフリカ-)

-264
第一次ポエニ戦争 ~-241 カルタゴからシチリア島を獲得し最初の属州とする(西欧-イタリア、ローマ-)

-263
ペルガモン王国成立(アジア--)

-256
東周、秦に滅ぼされる(東アジア-東周-東周)

-255
彦国牽尊(孝元天皇)立太子(日本-日本-弥生時代)

-250
アルキメデス(ヨーロッパ-ヨーロッパ-)

-250
陰陽五行説(アジア--)

-250
仏教結集(アジア--)

-248
バクトリア独立(アジア--)

-248
パルチア独立(アジア--)

-247
始皇帝が即位(~210) (東アジア-秦-秦)

-246
秦王の政即位(東アジア-秦-秦)

-230
古代中国の記録 (AD 230)(東アジア-台湾-)

-230
三国時代 (3 世紀、AD 230) 以来、台湾本島の存在を知っていたことが示唆され、 沖合の近辺の島々に大流求、小流求 (日本語の琉球と語源的には一致するが、恐らく語義としては不一致) の名前が付けられている。 しかしながら、これらの名称のいずれもが台湾本島とはっきり一致しているわけではない。 漢は 1200 年代に 澎湖諸島 (ほうこ-しょとう) に定住を始めるが、 台湾の敵対する部族と当時の貿易に価値あるものがないとの理由から、 台湾が魅力あるものとはならず「時折、冒険家や漁師が物々交換をする」ことが 16 世紀後半まで続いた。(東アジア-台湾-)

-230
インターネットを検索すると大琉球は沖縄本島周辺を、小琉球は台湾を指すことがあった と書いてあり、それらしいページが出てきます。(東アジア-台湾-)

-230
三国通覧図説/琉球三省図(東アジア-台湾-)

-230
林子平「三国通覧図説」付図「琉球三省并三十六島之図」(東アジア-台湾-)

-230
ところがマテオリッチの描いた世界地図 ( 坤輿万国全図) には台湾を大琉球としています。(この地図を表示するには IE では無理ですが Firefox では可能です。 図が大きすぎるせいです) 台湾のあたりで拡大すると「大琉球」と書いた島が見えます。(東アジア-台湾-)

-230
そしてこの島の上を特別な線が横切っているのがわかり、それには「晝長線」としてあります。昼が長いのですから、これは北回帰線です。Altavista などで「晝長線」を検索すると中国語のページがヒットしその中に例えば『回歸線(圖中稱『晝長線』、『晝短線』)』とあります。これはマテオ・リッチの坤輿万国全図の説明で、 「晝長線」が北回帰線であることがはっきりします。従って坤輿万国全図の大琉球は台湾です。坤輿万国全図が刊行されたのが 1602年で、以下の文面からわかるように1544年にポルトガルが台湾を発見しています。だからマテオリッチは台湾の存在を知っているはずです。地図を描く際にマテオリッチは 中国人の考えに合わせて地図を描いているそうですから、当時の中国の人が台湾を大琉球と呼び、現在の沖縄を小琉球と呼んだことが想定されます。当時の中国では台湾のことがあまり知られていなかったと考える方が自然です。(東アジア-台湾-)

-230
明代から漢民族が移り住み、漢文化が浸透していった。清代にはその支配下に入り、中華民国に継承され、第二次世界大戦後は国共内戦で敗れた国民党政府が移り、実質的な独立国家となっている。(東アジア-台湾-)

-230
台湾は古来、中国本土とは別個な文化圏にあった。中国の史料にも様々な名前で出てきて、一定しない。南部の台南の外港にタイオワンといわれたところがあり、その地名が後にこの島全体の名称となって台湾の字があてられるようになったらしい。(東アジア-台湾-)

-230
東アジア交易圏の中継地としても栄え、明代には倭寇が活動し、17世紀以降ポルトガル、オランダ、スペインなどが進出、17世紀には鄭氏台湾が成立したが、清朝に服属した。1894年の日清戦争の結果として日本に割譲され、第二次世界大戦終了まで続く。戦後、国共内戦に敗れた国民党政府が中国本土から移り、台湾を統治するようになった。本土の中華人民共和国は台湾を領土と見なしているが、実質的には独立した国家となっている。ただし、1970年代に国連代表権は中華人民共和国に移ったため、アメリカ・日本なども台湾との外交関係を断ったため、独立した主権国家とは認められていない。(東アジア-台湾-)

-230
人口希薄で肥沃な土地を豊富に擁していたとはいえ、台湾への入植は難業であった。激しい潮流によって知られる台湾海峡を小舟で渡っていくこと自体がすでに困難をきわめた。亜熱帯の台湾は、マラリヤ蚊が飛び交い、毒蛇が棲息する「化外の地」であった。漢族は台湾原住民を「生蕃」とみなし、彼らを既住の地から追い払おうとするものの、当然ながらそれへの抵抗は強力であった。(東アジア-台湾-)

-230
こうした苦難を経験しながら移住民は亜熱帯の樹木が限りもなくつづくジャングルを切り開き、手つかずのままにおかれていた荒蕪地を開墾するという労苦に勇敢に挑んでいった。移住してきた華南住民の資産はなきに等しく、開墾は裸一貫のベンチャーであった。(東アジア-台湾-)

-230
この時点で国民党軍は大陸で共産党軍との内戦のさなかにあった。しかし、経済管理と住民統治の能力を欠き、軍律に薄く、腐敗においてすさまじい国民党政権に対するアメリカの不信は根強いものであった。実際、台湾に敗走した国民党軍を追う共産党軍の「台湾侵攻」を目前に、トルーマン大統領は「台湾海峡不介入宣言」を公にしたのである。この絶体絶命の危機を救ったのが、1950年6月に勃発した朝鮮戦争であった。東アジア共産化の現実的脅威に直面したアメリカは「台湾海峡不介入宣言」をひるがえして「台湾海峡中立化政策」に転じ、第7艦隊を台湾海峡に派遣して国民党政権の台湾支配の起点を守った。(東アジア-台湾-)

-230
台湾内省人は、国民党支配の間隙をぬって輸出中小工業部門に活路を求め、そこでの機敏な企業行動によって資産を形成し、中産層化していった。そして彼らが 1980年代の後半期以降の台湾において政治的民主化を現実する主勢力となった。内省人の中産層化が台湾の民主化を促した内実であってみれば、台湾の民主化とは「台湾の台湾化」と同義である。(東アジア-台湾-)

-230
17世紀後半期に華南沿海部からここに移住し、以来、大陸とは異質の歴史を紡いできた台湾住民がその国家運営にみずからの意思を正しく反映させることができるようになり、それがゆえに台湾住民の台湾意識、台湾人意識はいやがうえにも高揚したのである。台湾が伝統中国の正統的後継であるという虚構、台湾が中国の一部であるという虚構が音をたてて崩れつつあるのが現在である。(東アジア-台湾-)

-230
中台統一は中国人民の「神聖なる使命、崇高なる目標」だといい、その主張を「理解し尊重する」という対応が、台湾住民を置き去りにしたものであることだけは確かである。(東アジア-台湾-)

-230
例えば、疫病が蔓延していた台湾の衛生面を改善して伝染病の撲滅などに貢献した医学者の堀内次雄、台湾南部で大規模なダムと水路を組み合わせて広大な平野を一大穀倉地に作り替えた土木技師の八田與一、品種改良を重ねて台湾の気候に合った「蓬?米(ほうらいまい)」を生みだした農学者の磯永吉と農業技師の末永仁、台湾中心部の日月潭(じつげつたん)という湖に巨大な水力発電所を建設して島内の工業化を支えた実業家の松木幹一郎などの日本人が、現在の台湾でも「台湾の発展に寄与した功労者」として称えられています。(東アジア-台湾-)

オランダ時代以前(-1624)(東アジア-台湾-)

-230
マレーポリネシア系の先住民(原住民族)が住んでいた。(東アジア-台湾-)

-230
台湾原住民族とは(東アジア-台湾-)

-230
台湾島とその周辺島嶼に古くから住んでいた台湾の先住民族は、17世紀ごろからスペイン、オランダ、清朝と外来勢力に翻弄される歴史を歩み、19世紀末からは日本、20世紀半ばから中華民国の統治を受けてきました。当時日本人は原住民族を「高砂族」と呼び、日本語教育や日本名を名乗らせるなどの同化政策を採りました。中華民国(国民党)政府も原住民族の漢民族への同化政策を採りました。(東アジア-台湾-)

-230
しかし、1980年代から、台湾の民主化と呼応して民族としての権利獲得運動が徐々に成果を収めるようになり、各民族の総称も法律上、1994年には「原住民」、1997年には「原住民族」と改められました。(東アジア-台湾-)

-230
各民族のプロフィール(東アジア-台湾-)

-230
台湾には現在、政府から公式に認定された16の原住民族がいます。タイヤル、タロコ、セデック、サイシャット、ブヌン、アミ、サキザヤ、サオ、ツォウ、プユマ、クヴァラン、パイワン、ルカイ、ヤミに加えて、サアロアとカナカナブが2014年6月に認定されたほか、現在申請している数集団があります。ほかに、漢民族との同化が進んでいる「平埔族」が10民族前後存在します。今後は、「あの人々と私たちは違うようだ」という人々の自意識やアイデンティティを根拠として民族として認めてもらおうとの運動が強まってくると見られています。タイヤルとタロコ、セデックのように、衣装や習慣、言語などの文化の差異は、見えにくいところもあります。また、異民族間の結婚が増えて、「私はタイヤルの父とパイワンの母の子どもです」という人々もでてきており、こうした人々は父、母どちらかの民族に帰属していくのか、「タイ・パイ族」と名乗る人もいて、ますます混とんとしてきています。(東アジア-台湾-)

-230
民族が増えるにつれて、博物館の展示やその他情報を更新していくのも大変そうです。ある博物館の学芸員さん(サキザヤ出身の30代)によると「今後、百ぐらい民族が増えても大丈夫なように、館内の民族案内の施設はコンピュータを利用したものにしたい」と話していました。
原住民族の生活は時代にあわせてさまざまに変化しています。日本統治時代に紹介されてきた姿とは大きく異なってきています。若い世代を中心にかなりの人数が都市に居住していることも、台湾原住民族関係の資料を読むときに意識してほしいことです(人口データは2007年6月現在、民族プロフィールは原住民族委員会のHPも参照した)。
記述内容は当会の統一見解ではなく、執筆者個々に帰します。なお、各グループ名に「民族」とつけるか「族」とつけるかなど、呼称についても、会内で見解が分かれました。ここでの呼称は各執筆者の見解に従っており、あえて統一していないことをお断りしておきます。(東アジア-台湾-)

-230
台湾原住民族別登記人口数統計表(2012年8月)
※台湾の総人口は、2287万6527人 (2006年12月末)
阿美族 (アミ)193,599人
泰雅族 (タイヤル) 83,329人
排灣族 (パイワン) 93,044人
布農族 (ブヌン) 54,117人
魯凱族 (ルカイ) 12,426人
卑南族 (プユマ) 12,780人
鄒族 (ツォウ) 1.33%
賽夏族 (サイシャット) 1.18%
雅美族(達悟族)
(ヤミ または タオ) 0.82%
邵族 (サオ) 0.14%( 2001年8月、10番目の原住民族に認定 )
?瑪蘭族 (カヴァラン) 0.25%( 2002年12月、11番目の原住民族に認定 )(東アジア-台湾-)

-230
太魯閣族 (タロコ) 28,199人( 2004年1月、12番目の原住民族に認定、花蓮県を中心に居住、タイヤルと言語・文化を異にする )
賽德克族(セデック) 8,073人(2008年4月、14番目の原住民族に認定)
拉阿魯哇族(サアロア)400~500人(2014年6月、15、16番目の原住民族に認定)
?那?那富族(カナカナブ) 500人余り(2014年6月、15、16番目の原住民族に認定)
其他 ?人
未登記(尚未申報) 19,166人
合計 ?人(東アジア-台湾-)

-230
【参考資料】
101年8月台?縣市原住民族人口-按性別族別
2008年 セデックが第14の台湾原住民族に認定
2008年4月23日台湾週報
阿美族 (アミ)、 泰雅族 (タイヤル)、 排灣族 (パイワン)、
布農族 (ブヌン)、 魯凱族 (ルカイ)、 卑南族 (プユマ)、
鄒族 (ツォウ)、 賽夏族 (サイシャット)、
雅美族(達悟族)(ヤミ または タオ)、
邵族 (サオ)( 2001年8月、10番目の原住民族に認定 )、
?瑪蘭族 (カヴァラン)( 2002年12月、11番目の原住民族に認定 )、
太魯閣族 (タロコ)( 2004年1月、12番目の原住民族に認定 )、(東アジア-台湾-)

-230
撤奇莱雅族 (サキザヤ)( 2007年1月、13番目の原住民族に認定 )
2009年 シラヤが台湾原住民族に認定を陳情
2009年6月25日自由電子報
自由県平埔族シラヤ文化協会が監察委員が台南を訪れて陳情を受け付ける機会を捉えて、シラヤの正名を陳情。
2014年 カナカナブとサアロアが第15.16番目の台湾原住民族に認定
サアロア、カナカナブの正名
16世紀ごろになると倭寇という海賊の根拠地となります。倭寇というと日本人というイメージが強いのですが、前期は日本人。後期は中国人が主でした。(東アジア-台湾-)

-221
秦の始皇帝が中国を統一 (東アジア-秦-秦)

-220
アーンドラ朝成立(アジア--)

-218
第2次ポエニ戦争(~-201)(アフリカ-アフリカ-)

-218
第二次ポエニ戦争~-201(西欧-イタリア、ローマ-)

-216
カンネーの戦い、カルタゴのハンニバルが勝利(西欧-イタリア、ローマ-)

-215
蒙恬の匈奴討伐(アジア--)

-215
孝霊天皇崩御128歳(日本-日本-弥生時代)

-214
秦の南越経略(東アジア-秦-秦)

-214
万里の長城を修築(東アジア-秦-秦)

-214
第8代孝元天皇が即位(日本-日本-弥生時代)

-213
焚書(アジア--)

-212
坑儒(アジア--)

-211
孝元天皇は都を都を軽の境原宮(さかいはらのみや)に移す(日本-日本-弥生時代)

-210
秦・?氏・・ 二世皇帝(東アジア-秦-秦)

-209
項羽と劉邦が挙兵(アジア--)

-209
匈奴の冒頓単于(アジア--)

-209
ローマの将スキピオ、カルタゴの根拠地カルタゴ・ノウァを攻略(西欧-イタリア、ローマ-)

-209
孝霊天皇を片丘馬坂陵に葬る。(日本-日本-弥生時代)

-208
稚日本根子彦大日日尊生誕。(開化天皇)(日本-日本-弥生時代)

-208
孝元天皇が鬱色謎命を立てて皇后とする(日本-日本-弥生時代)

-207
秦・?氏・・ 三世皇帝(東アジア-秦-秦)

-206
秦滅亡(東アジア-秦-秦)

-206
前漢・劉氏・・ 高祖(太祖)(東アジア-前漢-前漢)

-202
ザマの戦い(第2次ポエニ戦争の終結。ローマが西地中海の覇権を握る。)(アフリカ-アフリカ、ローマ-)

-202
劉邦、項羽を破り、漢王朝成立(前漢)(東アジア-前漢-前漢)

-202
ザマの戦い、スキピオがハンニバルを破る(西欧-イタリア、ローマ-)

-201
西地中海の覇権を獲得(西欧-イタリア、ローマ-)

-200
高祖が冒頓単于に屈辱的和議(アジア--)

縄文時代(2世紀-7世紀)(日本-日本-)

-196
ラチフンディウムの進展(ヨーロッパ-ヨーロッパ-)

-196
ロセッタ=ストーンが刻まれる(アフリカ-アフリカ-)

-195
衛氏朝鮮の建国(東アジア-朝鮮、衛氏朝鮮-衛氏朝鮮)

-195
前漢・劉氏・・ 恵帝(東アジア-前漢-前漢)

-195
衛氏朝鮮[BC195年ごろ~BC108年](東アジア-朝鮮、衛氏朝鮮-)

-194
中国の燕から亡命してきた衛満によって、衛氏朝鮮建国。

中国の燕から亡命してきた衛満によって、箕子子孫から王権を奪い、衛氏朝鮮を建国し、首都を平壌におく。歴史的に検証可能な最初の国家であると、されている。 もともと、朝鮮半島は、中国の燕の支配下にあったものだが、その後、衛氏朝鮮が独立国家としての振る舞いを強め、漢の意のままにならないことが、武帝の逆鱗にふれ、BC108年、遠征により滅ぼされることになった。 衛氏朝鮮は、約90年続いたことになる。

衛氏朝鮮
燕人の国BC195年ごろ~BC108年そして、いよいよ実在が確認されている衛氏(えいし)朝鮮が登場します。衛氏朝鮮は、中国の燕から亡命した、衛満(えいまん)によって建国されました。史記によれば、朝鮮は戦国の7雄の一つ燕の支配下に入っていた。燕が秦に滅ぼされ、漢が中国を統一すると漢が朝鮮を支配した。漢の高祖(劉邦)は仲のよかった盧綰(ろわん)を燕王に封じるが、その後対立して盧綰は匈奴に亡命する。そして、その家臣衛満は千人余りを従えて朝鮮に入り、王険城(平壌)を首都として衛氏朝鮮を建国した。 BC195年頃のことである。衛満古朝鮮の王になる。王都は王険城。BC108年古朝鮮(衛満朝鮮=衛氏朝鮮)の滅亡。しかし、衛氏朝鮮は独立国家として振舞うが、前漢の武帝(ぶてい)によって滅ぼされ、朝鮮半島の大部分は漢の直轄地となった。そこには楽浪郡、真番郡、臨屯郡、玄菟郡の四郡が設置された。その後、真番・臨屯が楽浪郡に併合され、玄菟郡も遼東半島に移転した。後漢末期になると、遼東半島で台頭した公孫氏が楽浪郡を支配し、その南に帯方郡を設置した。BC108年頃、前漢、衛氏朝鮮を滅ぼし、楽浪郡など四郡を設置。

衛満,王倹城に攻め入り,準王を追放して古朝鮮の王となる

衛満の執権
西方地地方で勢力を養った衞満が準王を追い出し古朝鮮の王となった。(BC194年)
この時期鉄器文化が広がり、また、韓半島南部地方の辰の諸国は漢との中継貿易で強国となった。(東アジア-朝鮮、衛氏朝鮮-)

-194
衛満、古朝鮮の王となる国史年表(東アジア-朝鮮、衛氏朝鮮-)

-193
稚日本根子彦大日日尊(開化天皇)立太子(日本-日本-弥生時代)

-188
前漢・劉氏・・ 少帝恭(東アジア-前漢-前漢)

-185
シュンガ朝が成立(アジア--)

-185
マウリア朝滅亡(アジア--)

-184
前漢・劉氏・・ 少帝弘(東アジア-前漢-前漢)

-180
前漢・劉氏・・ 文帝(太宗)(東アジア-前漢-前漢)

-174
月氏が匈奴に追われて西方へ移動(アジア--)

-168
ピュトナの戦~マケドニア滅亡(ギリシャがローマの属国となる。)(西欧-イタリア、ローマ、ギリシャ-)

-166
ヘレニズム文化のインド伝播(アジア--)

-160
サカ族の西方移動(アジア--)

-158
第8代孝元天皇が崩御(日本-日本-弥生時代)

-158
第9代開化天皇が即位(日本-日本-弥生時代)

-157
前漢・劉氏・・ 景帝(東アジア-前漢-前漢)

-157
開化天皇は都を春日率川宮に移す。(日本-日本-弥生時代)

-154
呉楚七国の乱(アジア--)

-149
第3次ポエニ戦争(~-146)(アフリカ-アフリカ-)

-149
第三次ポエニ戦争、カルタゴを滅ぼし、マケドニアを属州にする~-146(西欧-イタリア、ローマ-)

-148
御間城入彦五十瓊殖尊(崇神天皇)生誕(日本-日本-弥生時代)

-146
第3次ポエニ戦争終結(カルタゴを徹底的に破壊)(アフリカ-アフリカ-)

-141
漢の武帝即位(東アジア-前漢-前漢)

-141
前漢・劉氏・・ 武帝(世宗)(東アジア-前漢-前漢)

-141
前漢の全盛期(東アジア-前漢-前漢)

-140
董仲舒(アジア--)

-139
バクトリア王国滅亡(アジア--)

-139
張騫を大月氏に派遣(アジア--)

-136
(儒教の官学化)(アジア--)

-136
漢が五経博士を置く(東アジア-前漢-前漢)

-136
五経博士をおく~儒教の国教化 (--)

-134
漢が郷挙里選を実施(東アジア-前漢-前漢)

-134
ティベリウス・グラックスの改革 ~-132 ティベリウス・グラックス、元老院派に暗殺される(西欧-イタリア、ローマ-)

-133
ティベリウス・グラックスの改革 ( - -)

-130
御間城入彦五十瓊殖尊(崇神天皇)立太子(日本-日本-弥生時代)

-127
武帝が匈奴を攻撃 (東アジア-前漢、匈奴-)

-123
グラックス兄弟の改革(ヨーロッパ-ヨーロッパ-)

-123
ガイウス・グラックス、兄の遺志を継ぎ改革に乗り出す~-121(西欧-イタリア、ローマ-)

-115
漢の均輸法(桑弘羊の建議)(東アジア-前漢-前漢)

-112
ユグルタ戦争~-105(西欧-イタリア、ローマ-)

-111
敦煌郡などを置く(アジア--)

-111
日南群など9郡を置く(日本-日本-弥生時代)

-110
漢の平準法(東アジア-前漢-前漢)

-108
このころ日本の弥生文化(日本-日本-弥生時代)

-108
衛氏朝鮮滅亡(東アジア-朝鮮、衛氏朝鮮-衛氏朝鮮)

-108
武帝が朝鮮に楽浪・真番・臨屯・玄菟など4郡設置(東アジア-朝鮮、前漢-)

-108
原三国時代(BC108 - 4世紀中葉)(東アジア-朝鮮、高句麗、百済、新羅-原三国時代)

-108
前漢の武帝により,衛氏朝鮮滅亡
前漢,楽浪郡など郡県設置.地域土着民の反発を受ける

衛氏朝鮮が滅亡すると、漢は、ここに、楽浪(らくろう)郡、真番郡、臨屯郡、および玄菟(げんと)郡の4つの郡をおき、直轄地として支配することになる。 この直轄支配は、約400年続いた。

朝鮮半島、中国支配の始まり(BC108ー313)
紀元前108年に前漢の武帝(ぶてい)によって、衛氏朝鮮が滅ぼされると朝鮮半島の大部分は中国王朝の支配下に入ることになります。そこで武帝は征服した地を4つに分け漢四郡設置します。 &ref(): File not found: "image121.jpg" at page "旧石器時代以前"; この前漢はやがて衰退していき、継ぐ新(しん)そして、後漢も西に進出したり、北からの脅威に備えたりで、徐々に朝鮮への支配は弱まっていきます。 そして、3世紀になると(文章にしてしまえば、短いですがBC108年からですからかなり長い年月が経ってますよぉ)、豪族の公孫氏(こうそんし)が朝鮮半島支配に動き出しました。 この公孫氏は、本来は魏王朝から遼東地方の支配を任されていた豪族。 &ref(): File not found: "image19.jpg" at page "旧石器時代以前"; しかし、この頃の中国は、あの有名な三国志の時代です。激しい戦乱の中、こっそり魏の目を盗んで朝鮮半島の中国勢力の拠点である楽浪郡を裂いて帯方郡(たいほうぐん)を設置してしまいました。 ですが、この公孫氏も238年には魏によって滅ぼされてしまいます。(東アジア-朝鮮、衛氏朝鮮、前漢-)

-108
古朝鮮滅亡国史年表(東アジア-朝鮮、衛氏朝鮮、前漢-古朝鮮滅亡)

-108
漢、郡県設置国史年表(東アジア-朝鮮、前漢-)

-108
紀元前108年~220年:漢(植民地) よいこの正しい半島歴史年表(東アジア-朝鮮、前漢-)

-107
~マリウスの兵制改革(西欧-イタリア、ローマ-)

-100
カエサル(~44) (西欧-イタリア、ローマ-)

-100
魚見ケ原遺跡(日本-日本-弥生時代)

-100
小国家の発生(日本-日本-弥生時代)

-100
青銅器の伝来(日本-日本-弥生時代)

-100
三国時代
BC100年頃  中国の漢が、朝鮮半島北部に4つの郡をおいて支配していたころ、半島南部では、3つの部族国家・三韓が興る。 三韓とは、馬韓(マハン)、弁韓(ピョオナン)、それに辰韓(ジナン)の3つである。 馬韓では、54の小国があったが、やがて伯済(ペクジェ)が強くなり、後に百済(ペクチェ)になる。 弁韓には、12の小国があり、やがて伽耶(カヤ)になるが、それも後に新羅に吸収された。 辰韓は、12の小国からなり、やがて斯蘆(サロ)が強くなり、後に新羅(シルラ)になる。 (東アジア-朝鮮、百済-三国時代)

-100
弥生前期/弥生中期(日本-日本-弥生時代)

-100
倭(日本)に100以上の小国が存在する(漢書 - 地理志より)(日本-日本-弥生時代)

-98
第9代開化天皇崩御111歳(日本-日本-弥生時代)

-97
第10代崇神天皇(日本-日本-弥生時代)

-97
崇神天皇が御間城姫を皇后とする。(日本-日本-弥生時代)

-97
第10代崇神天皇が即位(日本-日本-弥生時代)

-95
都を磯城端籬宮に移す(現在の奈良県桜井市金谷付近)(日本-日本-弥生時代)

-93
疫病が流行し、民の死亡するもの半ば以上(日本-日本-弥生時代)

-91
司馬遷の「史記」なる(アジア--)

-91
同盟市戦争(ソキイ戦争)~同盟市のローマ市民権要求 (西欧-イタリア、ローマ-)

-91
イタリア同盟市戦争 全イタリアの自由民にローマ市民権が与えられる~-88(西欧-イタリア、ローマ-)

-88
ローマで平民派と閥族派の争い(西欧-イタリア、ローマ-)

-88
第一次ミトリダテス戦争~-84(西欧-イタリア、ローマ-)

-88
大彦命を北陸に、武渟川別を東海に、吉備津彦を西海に、丹波道主命を丹波にそれぞれ遣わし「教えに従わない者があれば兵をもって討て」と、印綬を授け将軍とした。(日本-日本-弥生時代)

-88
崇神天皇は四道将軍を遣わす。(日本-日本-弥生時代)

-87
前漢・劉氏・・ 昭帝(東アジア-前漢-前漢)

-86
朝廷が初の人口戸口調査を行う(日本-日本-弥生時代)

-83
第二次ミトリダテス戦争~-81(西欧-イタリア、ローマ-)

-82
スッラの独裁、元老院支配を再建(西欧-イタリア、ローマ-)

-74
前漢・劉氏・・ 宣帝(中宗)(東アジア-前漢-前漢)

-74
前漢・劉氏・・ 廃帝(昌邑王)(東アジア-前漢-前漢)

-74
第三次ミトリダテス戦争~-63(西欧-イタリア、ローマ-)

-73
インドでシュンガ朝滅亡(南アジア-インド-)

-73
カーンバ朝に代わる(アジア--)

-73
剣奴スパルタクスの反乱(~71) (西欧-イタリア、ローマ-)

-69
活目入彦五十狭茅尊(垂仁天皇)生誕(日本-日本-弥生時代)

-64
ミトリダテス戦争終結(ヨーロッパ-ヨーロッパ-)

-63
ポンペイウス、ポントスを属州にする、ミトリダテス王自殺 キケロ、カティリーナの陰謀を弾劾(西欧-イタリア、ローマ-)

-60
(ポンペイウス、カエサル、クラッスス)(西欧-イタリア、ローマ-)

-60
漢が西域都護府を置く(東アジア-前漢-前漢)

-60
第1回三頭政治~ポンペイウス、クラックス、カエサル (西欧-イタリア、ローマ-)

-60
ポンペイウス、クラッスス、カエサルによる第一回三頭政治(西欧-イタリア、ローマ-)

-58
カエサルのガリア遠征(西欧-イタリア、ローマ-)

-58
カエサルのガリア遠征~-51(西欧-イタリア、ローマ-)

-57
朴赫居世、徐羅伐(後の新羅)建国

第1代 新羅王 赫居世西干(BC57~AD4)
辰韓の斯蘆国で赫居世(ヒョッコセイ)を王として、新羅を建国する。国号は、徐羅伐(ソラブゥォル)とした。その後、国名は鶏林と変わり、新羅となるのは、503年になってからである。

三国時代(BC57ー676)
韓半島とアジアの北東地域を中心に4世紀初め頃から7世紀中頃まで高句麗・百済・新羅が互いに争っていた時代を三国時代といいます。BC57年 辰韓の斯蘆国で赫居世(ヒョッコセイ)を王として、
新羅を建国する。(「三国史記」)国号は、徐羅伐(ソラブゥォル)とした。その後、国名は鶏林と変わり、新羅となるのは、503年になってからである。

新羅(356ー935)  新羅は三国時代の古代国家のひとつで、韓半島南部を拠点とし繁栄しました。
BC57年からAD935年までの992年間国を守り、7世紀中頃に唐と連合し百済と高句麗を破り三国を統一しました。その後、唐は連合国から侵略国へと立場を変えました。これにより新羅は高句麗、百済からの流民と力を合わせ、唐の侵略勢力を抑え大同江~元山湾以南に韓国の歴史上最初の単一民族統一国家を建国しました。 }} (東アジア-朝鮮、百済-)

-54
匈奴が東西に分裂(アジア-匈奴-)

-50
倭人達が兵を率いて新羅の辺境を侵そうとしたが、始祖に神徳があるということ聞いて、すぐに帰ってしまった。(東アジア-朝鮮、新羅-)

-50
活目入彦五十狭茅尊(垂仁天皇)立太子(日本-日本-弥生時代)

-49
前漢・劉氏・・ 元帝(高宗)(東アジア-前漢-前漢)

-49
カエサルとポンペイウスの内戦 ~-48 ファルサロスの戦い、ポンペイウスはエジプトで暗殺される(西欧-イタリア、ローマ-)

-48
カエサルがエジプトの統治をクレオパトラにゆだねる(西欧-イタリア、ローマ-)

-48
ポンペイウスがエジプトで暗殺される (アフリカ-エジプト-)

-46
ユリウス暦(ヨーロッパ-ヨーロッパ-)

-44
カエサル暗殺される(西欧-イタリア、ローマ-)

-44
カエサル暗殺される(西欧-イタリア、ローマ-)

-43
(オクタビアヌス、アントニウス、レピズス)(ヨーロッパ-ヨーロッパ-)

-43
第2回三頭政治~オクタヴィアヌス、アントニウス、レピドゥス (ヨーロッパ-ヨーロッパ-)

-43
オクタヴィアヌス、レピドゥス、アントニウスによる第二回三頭政治(西欧-イタリア、ローマ-)

-40
サカ族が北西インドを支配(アジア--)

-37
高句麗の建国(東アジア-朝鮮、高句麗-)

-37
BC37年 高句麗の建国
第1代 高句麗王 東明聖王(BC37~BC19)
朱蒙,卒本地方(現在の中国の桓仁)に高句麗建国

高句麗
一方、この頃中国北東部には、扶余(プヨ)という国が興り、半島の北部には、高句麗(コグリョ)が興って、それぞれ、成長していく。高句麗は、扶余から南下してきた朱蒙(チュモン)が、BC37年に建国した国だとされている。(東アジア-朝鮮、高句麗-)

-37
その2・高句麗の建国 やがて、紀元前108年に古朝鮮が滅びたあと、朝鮮半島の北部から旧満州にわたって鉄器文化を持つ、いろいろな部族国家が登場します。その中には、今の長春にあった、扶餘(ぶよ)という国もありました。 高句麗の歴史は、その扶餘から始まります。高句麗を建国した東明聖王の名は朱夢、彼は後で、自ら高という苗字を名のり、高朱夢とよばれるようになります。 東扶餘には、ヘブルという王がいました。そしてヘブルの父は天の神の息子であるヘモス、へブルはカエルのような金蛙(クムワ)という子どもを授けられて育てる。また河の神であるハベクの娘、ユファは卵を産み落とし、そこから高句麗を建国する東明聖王、すなわち朱夢が生まれる。卵から生まれるとはどういうことでしょうか。 韓国の神話では、高句麗、新羅、加羅の建国者は、みんな卵から生まれています。卵から生まれたというのは、父がいなくて、捨てられたという意味です。王子であれば、国を受け継げばいいのです。しかし捨てられたから、新たに建国することができるのです。韓国の神話の特徴は、捨てられたという設定、それが卵として表現されています。 朱夢という名前の意味は何なんでしょうか。弓の実力が優れた人の代名詞です。それは遊牧民としての特徴や闊達さ、気概、征服性を強調する意味の名前です。 朱夢は幼いときから、 優れた才能を持ち、それに焼きもちを感じたクムワ王の長男のデソは、父に朱夢を殺してしまうように提案します。そこで扶餘から逃げ出した朱夢は、ゾルボンに行って、都を開きました。ゾルボンとは、今の中国の黒竜省の一帯です。彼は鉄器文化を持つ強力な軍事力を持って、周辺地域を征服し、ついに高句麗を建国しました。 その時、彼は22才。紀元前37年のことです。 朱夢、彼は扶餘の生まれ育ちですが、扶餘人ではなく、天と水の脈を引き継ぐ神の子孫でした。そうした神話の背景には、天を恐れ、水の神聖さを崇拝する人々を集め、その強力な新しい勢力のリーダとなったのでしょう。そして、ただの神話だけではなく、乗馬や弓に長けていた戦争英雄の征服による政治統合が勇敢な国、高句麗を開いたのです。(東アジア-朝鮮、高句麗-)

-37
一方、この頃中国北東部には、扶余(プヨ)という国が興り、半島の北部には、高句麗(コグリョ)が興って、(「三国遺事」)それぞれ、成長していく。高句麗は、扶余から南下してきた朱蒙(チュモン)が、BC37年に建国した国だとされている。

高句麗(BC37ー668) 高句麗は韓半島の古代国家のうちのひとつで、百済・新羅と合わせた三国の中で最も大きな領土を有している国でした 。
BC37年に建国され、韓半島の北部と南満州一帯を拠点とし繁栄しました。中国の諸王朝とも熾烈に争い領土を広げていきましたが、AD668年に新羅と唐の連合軍との争いにより滅亡しました。 }}(東アジア-朝鮮、百済-)

-33
前漢・劉氏・・ 成帝(統宗)(東アジア-前漢-前漢)

-31
アクティウムの海戦~オクタヴィアヌスがアントニウスとクレオパトラの連合軍を破る (アフリカ-アフリカ-)

-31
アクティウムの海戦(西欧-イタリア、ローマ-)

-31
ユリウス=クラウディウス朝 アクティウムの海戦 古代エジプトの終焉(西欧-イタリア、ローマ-)

-30
クレオパトラが自殺、プトレマイオス朝滅亡 (アフリカ-アフリカ-)

-30
アントニウスとクレオパトラ自殺、エジプトの属州化(西欧-イタリア、ローマ-)

-30
第10代崇神天皇崩御119歳(日本-日本-弥生時代)

-29
第11代垂仁天皇(日本-日本-弥生時代)

-29
第11代垂仁天皇が即位(日本-日本-弥生時代)

-29
崇神天皇を山辺道上陵に葬る(日本-日本-弥生時代)

-28
アーンドラ朝が北インドを統一(アジア--アーンドラ朝)

-28
垂仁天皇は狭穂媛命をたてて皇后とする(日本-日本-弥生時代)

-28
垂仁天皇は都を纏向の珠城宮とした。(日本-日本-弥生時代)

-27
オクタビアヌスが元老院からアウグスツスの称号を受ける(ヨーロッパ-ヨーロッパ-)

-27
ローマ元首政(帝政)開始(西欧-イタリア、ローマ-)

-27
オクタヴィアヌス、アウグストゥスの称号を得る 皇帝に即位し帝政がはじまる(西欧-イタリア、ローマ-)

-26
カンタブリア戦争~-25(西欧-イタリア、ローマ-)

-26
狭穂彦王(さほびのみこ)が同母妹で垂仁天皇の皇后でもある狭穂姫(さほびめ)に天皇の暗殺を依頼する。(日本-日本-弥生時代)

-25
垂仁天皇が皇后狭穂姫(さほびめ)の涙で狭穂彦王(さほびのみこ)の謀反を知る(日本-日本-弥生時代)

狭穂彦。沙本毘古王。
ワカヤマトネコヒコ(9代開花天皇) の御子ヒコヰマスの子。
サホ姫・カンホネ・タニハチヌシと兄弟。 
イクメイリヒコ(11代垂仁天皇) を殺して天下を得ようと、天皇の内宮になっている妹のサホ姫に秘刀を渡し、殺害を依頼する。 しかし企みはサホ姫の涙によって露見し、ヤツナダによって討たれる。(日本-日本-弥生時代)
-20
春二月に、倭人の瓠公を馬韓に派遣して、外交関係を結ぼうとした。(東アジア-朝鮮、倭、馬韓-)

-19
朱蒙亡くなる.嫡子の琉璃後継(東アジア-朝鮮、高句麗-)

-18
百済、建国 (東アジア-朝鮮、百済-)

-18
十済(後の百済)建国(東アジア-朝鮮、十済:百済-)

-18
高句麗、新羅とともに韓国の三国時代を築いた百済。
倭国との関わりも深く、唐も含めて、東アジア一円の社会、文化に深く関与しています。
その歴史を紐解くことで、旅行の楽しみも倍増!まずは、百済の歴史を旅してみましょう。
百済(くだら)は、朝鮮半島南西部を占めた古代国家。
一般的に、支配階級は北の高句麗王族と同じく、中国満州付近から出た扶余族と見られています。「隋書」百済伝には、「百済の祖先は高(句)麗国より出づる」とあり、新羅、倭国、また中国からも渡来してきた人が住み、他民族的な国家を形成していたようです。
韓国・朝鮮史上では、およそ紀元前1世紀から紀元後7世紀までの間、半島北部の「高句麗」、南東部の「新羅」、そして南部の伽耶諸国とあわせて南西部の「百済」の三国が支配していた時代を「三国時代」といいます。(東アジア-朝鮮、百済-)

-18
朱蒙の子,温柞,百済建国
高句麗の始祖である朱蒙の3人の子供のうち、沸流(ふつりゅう)と温祚(おんそ)が高句麗を出て、南に向かい、馬韓の伯済を中心に小国をまとめ、百済を建国する。 (東アジア-朝鮮、百済-)

-18
百済の建国伝説
高句麗の始祖である朱蒙(しゅもう)には3人の子があり、長男の類利(るいり)が高句麗を継いだので、弟の沸流(ふつりゅう)と温祚(おんそ)は高句麗を出て自分たちの国を建てようと南へ向かった。10人の臣下と大勢の百姓がこれに伴った。
(注:「三国史記」の別伝によると、沸流と温祚は朱蒙の実の子ではなく、朱蒙が生まれた東扶余の有力者の娘で召西奴の連れ子としている。)
やがて漢山(かんざん・現在の京幾道広州郡)へたどり着き、2人は臣下とともに負児岳(ふじがく)という高い山の頂にのぼって周囲を見渡した。沸流は、海の見える方が気に入った。しかし、10人の臣下は口をそろえて反対し、「それよりも、こちらの方です。北に江が流れ、東に山をひかえ、南は平野、西は海、こんな究竟な、よい場所はありません。都はぜひ、こちらへお建てになることです。」そういって勧めたが、沸流はどうしても聞かない。百姓たちを半分にわけて、自分だけ海辺の方へ都を置くことになった。弥鄒忽(みすこつ・現在の仁川)である。弟の温祚は臣下たちの意見に従って、漢山の慰礼城(いれいじょう・現在の京畿道広州郡)に都を定めた。10人の臣下にちなんで、国の名を「十済」と呼ぶことになった。
弥鄒忽は土地が湿っているうえ水が塩辛く、百姓たちもさんざん苦労を重ねた。沸流が弟のようすを見に慰礼城へ来てみると、何の不足もなく幸せに暮らしている。自分を恥じた沸流は、それを苦にして病となり亡くなった。それで百姓たちは慰礼城へ移り、人民が増えたので、国号を「百済」に改めた。
百済は、ここから領土を広げて大きくなった。
(注:実際には、百済として大きな勢力となったのは、高句麗の建国よりも約400年のちのこととみられる。)

第1代百済王温祖王(BC18~AD28)

韓国の三国史記によると、百済の建国は、紀元前18年となり、高句麗の祖である朱蒙(チュモン)の三男、温祚によって建国されたとされています。温祚は、慰礼城 (現在の広州市 南漢山城か?)に都を定め、10人の臣下にちなんで、国の名を「十済」と呼んだのが始まりとされています。
韓国の教科書でも、紀元前18年を百済建国の年として採用しているそうですが、韓国の歴史家の間では、紀元前1世紀から紀元後3世紀まで様々な説があり、日本や中国では3世紀頃の成立という見方が有力です。

温祚王即位オンソ(扶餘王の次男とされる
慰礼城、現ソウル市付近)
(百済王の尊称は於羅瑕オラカあるいは「革+建」吉支ケンキシと周書にある)
(北史、隋書では遼東太守の公孫度の娘が嫁いだために東夷の強国となるとある)(東アジア-朝鮮、百済-)

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その3・三国時代の幕開け・百済と新羅の誕生 紀元前37年、今のロシアのウラジオストク、中国の吉林省、北朝鮮の北東部にわたる広い範囲に朱夢が建国した高句麗。その南には百済と新羅がありました。その三国は、王制が定着した後、7世紀半ばにいたるまで、激しい戦争を繰りかえしながら存在しました。 「三国史記」によると、百済の始まりは高句麗からでした。 ある日、高句麗の王、朱夢の所に、男の子が訪ねてきました。朱夢が扶余にいたときに産ませた息子のユリであると言い、その証として半分に折れた短刀を見せました。 朱夢はユリを自分の息子と認めます。そして王位継承権者である太子の地位を与えました。朱夢には他にも高句麗で作った2人の息子・兄のビリュ、弟のオンゾがいました。 ユリが太子になるのを、素直に受け入れた弟であるビリュとオンゾは、自分たちに従う臣下を連れて南の方に行きます。 二人はどこへ行ったのでしょう。 兄のビリュは今の仁川であるミツホルに行きました。しかし、ミツホルの土地は湿気と塩分が多く生活しにくい所で大変な苦労がありました。そのことを恥と思ったビリュは、それが原因で病に倒れました。 一方、弟のオンゾは、今のソウルと推定される威礼城に行きました。ビリュ亡き後、ミツホルの人たちも威礼城にやってきました。オンゾは漢江の周りから京畿や忠清の地域に存在していた部族国家を統合して、一つの国家を作り上げていました。外部からの侵略もなく、しかも高句麗の先進文物を用いて相当安定した国づくりができたのでしょう。やがてオンゾは国名を百済に変えました。しかしその百済も西暦660年に、また高句麗は668年に滅びます。その二つの国を滅ぼしたのが三国の中で一番遅く国家体制を作った新羅です。 新羅を建国したのは朴ヒョコセといいます。彼は慶州にあった6つの部族の首長らに推挙されて王の位につきましたがその王位は世襲ではなく、朴、昔、金という三つの氏族が代わる代わる王位につくこととなりました。 もう少し詳しくみてみましょう。その新羅の建国者・朴ヒョコとはどんな人だったのでしょう。その少し前のお話になります。 今の慶尚道にあった辰韓には6つの村がありました。6つの村の村長たちは、自分たちを導いて、村民らが従うことができる王のような存在が現れることを希望するようになりました。そうしたある日、森の中から神秘な光が発せられ、まぶしいくらい真っ白な馬がおじぎを続けているではありませんか。6人の村長らが近づいて見ると、そこには青い光が漂う一個の卵がありました。白馬は人を見ると天に上って行きました。そして卵が二つに割れて、そこから可愛い男の子が生まれました。村長らは、その青い神秘な光は天の啓示であり、白馬は天の使者、その子は天が送ってくれた人物だと受けとめて、誠意をもって育て、彼が13歳になった時、王として即位させました。その男の子が朴ヒョコセだったのです。これは自らつけた名前です。 ここにも、卵から生まれてきた男の子が出てきました。 ヒョコセの活躍の話は神話の世界と、呪術の範囲に留まっている部分が多いそうです。その分、高句麗や百済よりは古代王国になるのが遅かったといえるでしょう。 新羅という国名を定めるのも、ずっと後の22代目の王の時代のことです。しかし、新羅は優秀な鉄器文化を持つ周辺国、即ち高句麗、百済との交流を通じて、時には牽制をもうけながら、ゆっくりと将来の三国統一の基盤づくりに励むのです。 高句麗と百済、そして新羅。それらが作った三国時代。その期間は長く、700年間にも及びました。(東アジア-朝鮮、高句麗-)

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高句麗の始祖である朱蒙の3人の子供のうち、沸流(ふつりゅう)と温祚(おんそ)が高句麗を出て、南に向かい、馬韓の伯済を中心に小国をまとめ、百済を建国する。(「三国史記」) RIGHT:倭の奴国王、光武帝より金印を贈られる(東アジア-朝鮮、百済-)

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靺鞨が北部に侵入(東アジア-朝鮮、百済-)

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垂仁天皇は日葉酢媛他を後宮に入れる(日本-日本-弥生時代)

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垂仁天皇は日葉酢媛を皇后に立てる(日本-日本-弥生時代)

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大足彦忍代別尊(景行天皇)生誕(日本-日本-弥生時代)

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靺鞨が慰礼城を包囲(東アジア-朝鮮、百済-)

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神鹿を得て馬韓に送る(馬韓はソウル南方全羅南道に至る群小国家群とされる)(東アジア-朝鮮、百済-)

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前漢・劉氏・・ 哀帝(東アジア-前漢-前漢)

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東の楽浪、北の靺鞨を避けて首都を漢江南岸に移し領土を京畿平野一帯としこれを馬韓に伝える(東アジア-朝鮮、百済-)

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イエス・キリスト生まれる ( - -)

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楽浪が侵入(東アジア-朝鮮、百済-)

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前漢・劉氏・・ 平帝(元宗)(東アジア-前漢-前漢)
百済に靺鞨侵入、長を捕らえ馬韓に送る(東アジア-朝鮮、百済-)