-5000 | | | 朝鮮・韓国史年表 古代社会 ?(~918) (朝鮮-) | | |
-5000 | | | 櫛目文土器ひろがる (朝鮮-) | | |
-5000 | | | 新石器時代早期 -5000-4000 (朝鮮-) | | |
-4000 | | | 新石器時代(櫛目文土器時代/侯目文土器) -4000年(もしくは5000年) -1000年 (朝鮮-) | | |
-4000 | | | 新石器時代前期 -4000-3000 (朝鮮-) | | |
-3000 | | | 新石器時代中期 -3000-2000 (朝鮮-) | | |
-2333 | | | 壇君王倹,阿斯達に都を開く.古朝鮮建国{檀君朝鮮(檀君神話)}(三国遺事) (朝鮮-) | | |
-2333 | | | 朝鮮半島の歴史は、BC2333年の檀君(タングン)(??)による建国神話からはじまる。この、檀君(タングン)(??)朝鮮からはじまって、次の箕子(キジャ)(??)朝鮮を経て、衛氏(ウィシ)(??)朝鮮までの三王朝を、古朝鮮時代と呼ぶ。 檀君(タングン)(??)と箕子(キジャ)(??)は、神であり人間である神話・伝説の世界の歴史である。 *BC2333年 檀君(タングン)(??)が阿斯達(アサダル・・現在の平壌)を首都とする国を興し、国の名称を朝鮮(??)とする。この時代を檀君(タングン)(??)朝鮮と呼び、1500年続く、神話・伝説の王朝である。 その後、檀君が1908歳のとき、国を箕子に譲り、自身は神になって、山に入って行った。 (朝鮮-) | | |
-2333 | | | ★ [ > 古朝鮮時代 ] (朝鮮-) | | |
-2000 | | | 新石器時代晩期 -2000-1000 (朝鮮-) | | |
-1500 | | | -1500年ごろ、中国より農耕伝わる。 (朝鮮-) | | |
-1122 | | | 中国の殷(いん)の賢人、箕子が、箕子朝鮮を建国する。 (朝鮮-) | | |
-1122 | | | *BC1122年 中国の殷(いん)の賢人、箕子(キジャ)(??)が、檀君の王位を継ぎ、箕子(キジャ)(??)朝鮮を建国する。首都は平壌である。 箕子朝鮮は、BC194年まで、40世あまり続くことになるが、檀君朝鮮同様、神話・伝説の時代である。 (朝鮮-) | | |
-1000 | | | 青銅器文化の展開 ・ 古朝鮮の発展 (朝鮮-) | | |
-1000 | | | 無文土器時代(-1000年頃 -100年) (朝鮮-) | | |
-1000 | | | 無文土器時代前期 -1000 -700 (朝鮮-) | | |
-700 | | | -700年ごろ、青銅器伝わる。 (朝鮮-) | | |
-700 | | | 水稲栽培はじまる (朝鮮-) | | |
-700 | | | 無文土器時代中期 -700-300 (朝鮮-) | | |
-300 | | | -300年ごろ、鉄器伝わる。 (朝鮮-) | | |
-300 | | | 鉄器文化の普及.農業発達 (朝鮮-) | | |
-300 | | | 無文土器時代後期 -300-100(初期鉄器時代) (朝鮮-) | | |
-195 | | | 中国の燕から亡命してきた衛満によって、衛氏朝鮮建国。 (朝鮮-) | | |
-195 | | | *BC195年 中国の燕から亡命してきた衛満によって、箕子子孫から王権を奪い、衛氏朝鮮を建国し、首都を平壌におく。歴史的に検証可能な最初の国家であると、されている。 もともと、朝鮮半島は、中国の燕の支配下にあったものだが、その後、衛氏朝鮮が独立国家としての振る舞いを強め、漢の意のままにならないことが、武帝の逆鱗にふれ、BC108年、遠征により滅ぼされることになった。 衛氏朝鮮は、約90年続いたことになる。 (朝鮮-) | | |
-194 | | | 衛満,王倹城に攻め入り,準王を追放して古朝鮮の王となる (朝鮮-) | | |
-108 | | | 前漢,楽浪郡など郡県設置.地域土着民の反発を受ける (朝鮮-) | | |
-108 | | | 前漢の武帝により,衛氏朝鮮滅亡 (朝鮮-) | | |
-108 | | | *BC108年 衛氏朝鮮が滅亡すると、漢は、ここに、楽浪(らくろう)郡、真番郡、臨屯郡、および玄菟(げんと)郡の4つの郡をおき、直轄地として支配することになる。 この直轄支配は、約400年続いた。 (朝鮮-) | | |
-100 | | | 三国時代 *BC100年頃 中国の漢が、朝鮮半島北部に4つの郡をおいて支配していたころ、半島南部では、3つの部族国家・三韓が興る。 三韓とは、馬韓(マハン)、弁韓(ピョオナン)、それに辰韓(ジナン)の3つである。 馬韓では、54の小国があったが、やがて伯済(ペクジェ)が強くなり、後に百済(ペクチェ)になる。 弁韓には、12の小国があり、やがて伽耶(カヤ)になるが、それも後に新羅に吸収された。 辰韓は、12の小国からなり、やがて斯蘆(サロ)が強くなり、後に新羅(シルラ)になる。 (朝鮮-) | | |
-57 | | | 朴赫居世、徐羅伐(後の新羅)建国 (朝鮮-) | | |
-57 | | | *BC57年 辰韓の斯蘆国で赫居世(ヒョッコセイ)(???)を王として、新羅を建国する。国号は、徐羅伐(ソラブゥォル)とした。その後、国名は鶏林と変わり、新羅となるのは、503年になってからである。 (朝鮮-) | | |
-50 | | | 倭人達が兵を率いて新羅の辺境を侵そうとしたが、始祖に神徳があるということ聞いて、すぐに帰ってしまった。 (朝鮮-) | | |
-37 | | | 朱蒙,卒本地方(現在の中国の桓仁)に高句麗建国 (朝鮮-) | | |
-37 | | | *BC37年 一方、この頃中国北東部には、扶余(プヨ)という国が興り、半島の北部には、高句麗(コグリョ)が興って、それぞれ、成長していく。高句麗は、扶余から南下してきた朱蒙(チュモン)が、BC37年に建国した国だとされている。 (朝鮮-) | | |
-20 | | | 春二月に、倭人の瓠公を馬韓に派遣して、外交関係を結ぼうとした。 (朝鮮-) | | |
-19 | | | 朱蒙亡くなる.嫡子の琉璃後継 (朝鮮-) | | |
-18 | | | 朱蒙の子,温柞,百済建国 (朝鮮-) | | |
-18 | | | *BC18年 高句麗の始祖である朱蒙の3人の子供のうち、沸流(ふつりゅう)と温祚(おんそ)が高句麗を出て、南に向かい、馬韓の伯済を中心に小国をまとめ、百済を建国する。 (朝鮮-) | | |
前57 | | | ★ [ 古朝鮮時代 > 古朝鮮 ] (朝鮮-) | | |
14 | | | 倭人が兵船百余隻で海辺に侵入。 (朝鮮-) | | |
53 | | | ★ 高句麗、太祖王即位 (朝鮮-) | | |
57 | | | 新羅の4代王脱解即位。脱解は多婆那国で生まれ、その国は倭国東北一千里にあり。 (朝鮮-) | | |
58 | | | 倭人の瓠公、春正月に新羅の最高官位の大輔を拝命 (朝鮮-) | | |
73 | | | 新羅、倭人が木出島を侵して来たので、王は角干羽鳥を派遣して、これを防がせたが、勝てずして羽鳥が戦死した。 (朝鮮-) | | |
121 | | | 新羅、夏四月に倭人が東の辺境を攻めた。 (朝鮮-) | | |
123 | | | 新羅、春三月に倭国と講和した。 (朝鮮-) | | |
150 | | | 馬韓・弁韓・辰韓の勢力強くなる (朝鮮-) | | |
158 | | | 新羅、倭人が交際のために訪れた。 (朝鮮-) | | |
173 | | | 新羅、倭の女王卑弥呼が使わした使者が訪れた。(「二十年夏五月。倭女王卑彌乎。遣使来聘」) (朝鮮-) | | |
193 | | | 新羅、倭人が大飢饉となり千余人にも及ぶ避難民到来。 (朝鮮-) | | |
194 | | | 高句麗,春窮期に穀物を貸し与え,秋の収穫後返済する,賑貸法実施 (朝鮮-) | | |
206 | | | 後漢,公孫康が帯方郡設置 (朝鮮-) | | |
232 | | | 新羅、夏四月に倭人が金城を包囲。 (朝鮮-) | | |
233 | | | 新羅、五月 倭兵が東辺を攻めた。 (朝鮮-) | | |
249 | | | 新羅、夏四月に倭人が舒弗邯、于老を殺した。 (朝鮮-) | | |
260 | | | 百済(古爾王),十六官等と公服制定 (朝鮮-) | | |
287 | | | 新羅、夏四月に倭人が一礼部を襲う。 (朝鮮-) | | |
289 | | | 新羅、夏五月に、倭兵が攻めてくるということを聞いて、戦船を修理し、鎧と武器を修理した。 (朝鮮-) | | |
292 | | | 新羅、夏六月に倭兵が沙道城を攻め落とす。 (朝鮮-) | | |
294 | | | 新羅、夏 倭兵が長峯城を攻めて来た。 (朝鮮-) | | |
295 | | | 新羅、春 王が臣下に向かって「倭人が、しばしばわが城邑を侵して来るので、百姓が安じて生活することができない。私は百済と共に謀って、一時海を渡って行って、その国(倭)を討ちたいが、皆の意見はいかがか?」ときいた。これに対して、舒弗邯、弘権が「われわれは海戦に不慣れでございます。冒険的な遠征をすれば、不測の危険があることを恐れます。いわんや百済は偽りが多く、常にわが国を呑み込もうと野心をもっておりますから、かれらと共に謀ることは困難だと思います」と答えた。王はこれを聞いて「それもそうだ」といった。 (朝鮮-) | | |
300 | | | 新羅、春正月に、倭国と使者を派遣し合った。 (朝鮮-) | | |
312 | | | 新羅、春三月に、倭国の国王が使臣をつかわして、息子のために求婚したので、王は阿?の急利の娘を倭国に送った。 (朝鮮-) | | |
313 | | | 高句麗,楽浪郡滅亡させる (朝鮮-) | | |
313 | | | *AD313年 中国の漢が、半島北部に設置して支配下においた楽浪など4郡が、高句麗によって、滅ぼされる。これにより、中国からの支配を追放することになる。 (朝鮮-) | | |
313 | | | ★ [ 古朝鮮時代 > 三国時代 ] (朝鮮-) | | |
314 | | | 高句麗,帯方郡を亡ぼす(中国の郡県支配終わる) (朝鮮-) | | |
344 | | | 新羅、倭国が使者をつかわして、婚姻を請うたが、すでに以前に女子を嫁がせたことがあるので断った。 (朝鮮-) | | |
345 | | | 新羅、二月に倭王が、書を送って国交を断ってきた。 (朝鮮-) | | |
346 | | | 百済,近肖古王即位 (朝鮮-) | | |
346 | | | 新羅、倭兵が風島に来て、進んで金城を包囲して攻めて来た。 (朝鮮-) | | |
346 | | | ★ 朝鮮半島南部に百済建国 (朝鮮-) | | |
356 | | | 新羅,奈勿王即位 (朝鮮-) | | |
356 | | | ★ 朝鮮半島南部に新羅建国 (朝鮮-) | | |
364 | | | 新羅、倭人は多数をたのんで、そのまま直進して来る所を伏兵が起ってその不意を討つと、倭人は大いに敗れて逃走した。 (朝鮮-) | | |
371 | | | 近肖古王,高句麗の平壌城を攻撃.故国原王戦死 (朝鮮-) | | |
372 | | | 高句麗,仏教伝来,太学設置.漢学を教える (朝鮮-) | | |
372 | | | 百済,東晋に使節を送る (朝鮮-) | | |
372 | | | ★ 高句麗に仏教伝来 (朝鮮-) | | |
384 | | | 百済,仏教伝来(東晋の僧・摩羅難陀).中央集権化の手段として公認 (朝鮮-) | | |
391 | | | 高句麗,広開土王即位 (朝鮮-) | | |
391 | | | 高句麗、そもそも新羅・百残(百済の蔑称か?)は(高句麗の)属民であり、朝貢していた。しかし、倭が■を渡り百残・■■・新羅を破り、臣民となしてしまった。 (朝鮮-) | | |
393 | | | 新羅、倭人が来て金城を包囲し、5日も解かなかった。 (朝鮮-) | | |
396 | | | 高句麗,百済を服従させる (朝鮮-) | | |
399 | | | 高句麗、百済は先年の誓いを破って倭と和通した。そこで王は百済を討つため平譲にでむいた。ちょうどそのとき新羅からの使いが「多くの倭人が新羅に侵入し、王を倭の臣下としたので高句麗王の救援をお願いしたい」と願い出たので、大王は救援することにした。 (朝鮮-) | | |
400 | | | 高句麗、5万の大軍を派遣して新羅を救援した。新羅王都にいっぱいいた倭軍が退却したので、これを追って任那・加羅に迫った。ところが安羅軍などが逆をついて、新羅の王都を占領した。 (朝鮮-) | | |
402 | | | 新羅、三月に倭国と通好して、奈勿王の子、未斯欣を人質として倭に送った。 (朝鮮-) | | |
404 | | | 高句麗、倭が帯方地方(現在の黄海道地方)に侵入してきたので、これを討って大敗させた。 (朝鮮-) | | |
405 | | | 百済,阿直岐・博士王仁など日本に渡り漢学伝える (朝鮮-) | | |
405 | | | 新羅、倭兵が明活城を攻める。 (朝鮮-) | | |
405 | | | 百済阿花王が薨る。天皇は直支王を召して国に帰り王位を嗣ぐようにいい、東韓の地を賜った。 (朝鮮-) | | |
407 | | | 新羅、春三月 倭人が東辺を侵し、夏六月にまた南辺を攻める。 (朝鮮-) | | |
408 | | | 新羅、春二月、王は、倭人が対馬島に軍営を設置し、兵器・武具・資財・食糧を貯え、我が国を襲撃することを企てているとの情報を手に入れた。倭兵が出動する前に、精兵を選んで兵站をしようと考えたが、舒弗邯の未斯品曰く「兵は凶器であり戦は危険な事です。ましてや大海を渡って他国を討伐し、万が一に勝つことができなければ、後で悔やんでも仕方ありません」王はこの意見に従った。 (朝鮮-) | | |
414 | | | 広開土王(好太王)碑建立 (朝鮮-) | | |
418 | | | 新羅、高句麗と倭国への人質が逃げ帰った。 (朝鮮-) | | |
427 | | | 高句麗長寿王,国内城から平壌へ遷都 (朝鮮-) | | |
431 | | | 新羅、倭兵が、東の辺境に攻めて来て、明活城を包囲したが、功なくして退いた。 (朝鮮-) | | |
433 | | | 新羅・百済同盟成立 (朝鮮-) | | |
440 | | | 新羅、倭人が、南の辺境に侵入。夏六月にまた東の辺境を攻める。 (朝鮮-) | | |
443 | | | 倭国王、済が宋に朝貢。安東将軍倭国王の称号を得る (朝鮮-) | | |
444 | | | 新羅、夏四月に、倭兵が金城を十日包囲して、食料が尽きて帰った。 (朝鮮-) | | |
451 | | | 倭国王、済 使持節都督倭新羅任那加羅慕韓六国諸軍事を加号される (朝鮮-) | | |
459 | | | 新羅、夏四月に、倭人が兵船百余隻を以って東辺を襲い、月城を囲んで進撃したが、追撃してこれを破る。 (朝鮮-) | | |
462 | | | 新羅、夏五月に、倭人が活開城を襲い破り、一千名を捕らえて連れ去った。 (朝鮮-) | | |
463 | | | 新羅、倭人が歃良城(梁山)を攻めるも勝てずして去った。 (朝鮮-) | | |
475 | | | 高句麗の南進により,百済漢城から熊津(公州)に遷都 (朝鮮-) | | |
476 | | | 新羅、倭人が東辺を攻める。 (朝鮮-) | | |
477 | | | 新羅、倭人が兵をあげて五道に侵入したが、ついに何の功もなく帰った。 (朝鮮-) | | |
482 | | | 新羅、五月に倭人が辺境を攻める。 (朝鮮-) | | |
486 | | | 新羅、夏四月に倭人が辺境を攻める。 (朝鮮-) | | |
500 | | | 新羅、春三月 倭人が長峯鎮を攻め陥した。 (朝鮮-) | | |
502 | | | 新羅,牛による耕田を始めて実施 (朝鮮-) | | |
503 | | | 新羅,国号と王号を定める (朝鮮-) | | |
520 | | | 新羅,律令領布,百官の公服制定 (朝鮮-) | | |
527 | | | 新羅,仏教を公認 (朝鮮-) | | |
532 | | | 新羅,金海の金官伽耶を併合 (朝鮮-) | | |
536 | | | 新羅,年号を使用 (朝鮮-) | | |
538 | | | 百済,泗ヒ城(扶余)に遷都 (朝鮮-) | | |
538 | | | 百済の聖明王,倭に仏像・経論を送る (朝鮮-) | | |
538 | | | ★ 百済が日本に仏教を伝えた (朝鮮-) | | |
545 | | | 新羅,「国史」編纂 (朝鮮-) | | |
552 | | | 百済聖王30年,達率恕利斯致契が日本に仏教伝える (朝鮮-) | | |
562 | | | 新羅,大伽耶などの加羅諸国を併合 (朝鮮-) | | |
595 | | | 高句麗の僧慧慈日本へ,聖徳太子の仏教の師となる (朝鮮-) | | |
612 | | | 薩水大捷.高句麗の乙支文徳将軍,薩水で隋軍を撃破 (朝鮮-) | | |
613 | | | 百済人味摩之,伎楽舞を日本に伝える (朝鮮-) | | |
624 | | | 高句麗へ,唐より道教伝来 (朝鮮-) | | |
642 | | | 高句麗,淵蓋蘇文が宝蔵王を擁し権力掌握 (朝鮮-) | | |
644 | | | 唐の太宗,高句麗を攻撃(~648) (朝鮮-) | | |
645 | | | 高句麗,安市城の戦いで唐軍に勝利 (朝鮮-) | | |
647 | | | 新羅,世界最古の天文台,瞻星台建造 (朝鮮-) | | |
647 | | | 新羅王子金春秋(後の武烈王)来日 (朝鮮-) | | |
654 | | | 新羅,武烈王即位 (朝鮮-) | | |
660 | | | 新羅・唐の連合軍により百済滅亡 (朝鮮-) | | |
660 | | | *AD660年 百済が、新羅と唐によって滅ぼされる。 (朝鮮-) | | |
660 | | | ★ 新羅、唐と連合した百済を滅ぼした (朝鮮-) | | |
662 | | | 白村江の戦い.新羅・唐軍に倭軍大敗 (朝鮮-) | | |
663 | | | 新羅、倭国の水軍が来て、百済を助ける。 (朝鮮-) | | |
663 | | | ★ 白村江の戦い (朝鮮-) | | |
668 | | | 高句麗滅亡 (朝鮮-) | | |
668 | | | *AD668年 高句麗が、新羅と唐によって滅ぼされる。 (朝鮮-) | | |
668 | | | ★ 高句麗滅亡 (朝鮮-) | | |
670 | | | 新羅、十二月 倭国が国号を日本と改めた。自ら言うところでは、日の出る所に近いから、これをもって名としたとの事である。 (朝鮮-) | | |
676 | | | 新羅,三国統一.高句麗の北半分唐の領土となる (朝鮮-) | | |
676 | | | *AD676年 新羅が、唐を追い出し、三国を統一することになる。ここに統一新羅が誕生する。 統一新羅時代 (朝鮮-) | | |
676 | | | ★ 統一新羅と後三国時代[676~918年] (朝鮮-) | | |
676 | | | ★ 新羅、半島を統一 (朝鮮-) | | |
682 | | | 新羅,国学を設立.博士と助教を決め儒学を教える (朝鮮-) | | |
685 | | | 九州五小京設置.中央集権的地方統治制度を作り,地方を支配 (朝鮮-) | | |
698 | | | 高句麗の将軍出身の大祚栄,震国(後の渤海)建国 (朝鮮-) | | |
698 | | | 新羅、三月に日本国から使臣が来たので、王は崇礼殿で引見した。 (朝鮮-) | | |
698 | | | *698年 中国の唐の内政混乱に乗じて、営州に強制移住させられていた高句麗の遺民たちが、大祚栄(テジョヨン)の指揮の下、旧高句麗の地に帰還し、震国を建国する。幾たびか唐の討伐を凌ぎつつ勢力を拡大し、ついに、713年、唐に独立を認めさせ、渤海(パレ)が誕生した。 渤海は、926年の滅亡まで、200年余り続いた。 (朝鮮-) | | |
703 | | | 新羅、日本国から使臣が来たが、みんなで二百四名であった。 (朝鮮-) | | |
713 | | | 国号を震国から渤海へと改める (朝鮮-) | | |
718 | | | 漏刻(水時計)製作 (朝鮮-) | | |
719 | | | 大祚栄死去 (朝鮮-) | | |
722 | | | 新羅,農民に丁田支給.官吏に官僚田支給し税を納めさせる (朝鮮-) | | |
722 | | | 新羅、日本の賊の路を遮断した。 (朝鮮-) | | |
731 | | | 新羅、日本国の兵船三百隻が海を越えて、東辺を襲う。 (朝鮮-) | | |
742 | | | 新羅、日本の国使が来たが、これを受け付けなかった。 (朝鮮-) | | |
751 | | | 仏国寺と石窟庵を建立 (朝鮮-) | | |
753 | | | 新羅、秋八月に日本国使が来た。高慢無礼と判断し、王は接見しなかった。 (朝鮮-) | | |
788 | | | 新羅,学問の成績により官吏を任命する読書三品科設置. (朝鮮-) | | |
802 | | | 入唐僧の順応と理貞により慶尚南道に海印寺創立 (朝鮮-) | | |
802 | | | 新羅、冬十二月、均貞に大阿?の官を授けて、仮の王子にして、日本国への人質にしようとしたが、均貞がこれを断った。 (朝鮮-) | | |
804 | | | 新羅、夏五月 日本国が使臣を派遣して、黄金三百両を進上した。 (朝鮮-) | | |
806 | | | 新羅、春三月 日本国使臣が来たので、王は朝元殿で引見した。 (朝鮮-) | | |
808 | | | 新羅、春二月に日本国の使臣が来た。王は厚い礼で、これを待遇した。 (朝鮮-) | | |
828 | | | 新羅の張保皐,清海鎮設置.南海と黄海の海上交通を支配.貿易独占 (朝鮮-) | | |
834 | | | 百官の服色制度公布.冠帽や服装の型,色,形によって官位を見分ける (朝鮮-) | | |
864 | | | 新羅、夏四月に日本国の使臣が来た。 (朝鮮-) | | |
879 | | | 新羅、八月に日本国の使臣が来た。王はこれを朝元殿で引見した。 (朝鮮-) | | |
882 | | | 新羅、夏四月に日本国王が使臣を派遣して、黄金三百両と明珠十箇を進上した。 (朝鮮-) | | |
888 | | | 新羅,歴代の郷歌を集めた「三代目」編纂 (朝鮮-) | | |
896 | | | 王建,弓裔に帰服しその部将となる (朝鮮-) | | |
896 | | | 赤袴の乱.真聖女王10年,王都西部で民乱起こる (朝鮮-) | | |
900 | | | 甄萱,後百済建国.現在の全羅道と忠清道を支配 (朝鮮-) | | |
900 | | | *9~10世紀頃 繁栄を誇った新羅であるが、8世紀末頃から王都内で反乱や内紛が相次ぎ、加えて農民たちの蜂起もあって、新羅朝廷の統治能力は、弱体化していた。 9世紀になると地方の豪族達も反乱を起こし、新羅の政権から離脱していった。中でも、甄萱(キョオヌウォン)、梁吉(ヤンキル)、弓裔(クンイェ)らが有力な勢力であった。 そして、これらの勢力によって、新羅は、3つに分裂することになる。 即ち、甄萱が900年に後百済を建国し、弓裔は898年に後高句麗を建国したのである。 (朝鮮-) | | |
901 | | | 弓裔,後高句麗建国.(後三国時代のはじまり) (朝鮮-) | | |
911 | | | 弓裔,国号を泰封とする (朝鮮-) | | |
918 | | | 中世社会 ?(~1392) (朝鮮-) | | |
918 | | | 王建,弓裔を追放し高麗建国 (朝鮮-) | | |
918 | | | 中世社会 ?(~1392) (朝鮮-) | | |
918 | | | ★ 高麗王朝[918~1392年] (朝鮮-) | | |
918 | | | ★ 高麗を建てた。 (朝鮮-) | | |
919 | | | 高麗,開城を都に定める (朝鮮-) | | |
919 | | | ★ 開城に都をおいた (朝鮮-) | | |
926 | | | 契丹により,渤海滅亡 (朝鮮-) | | |
935 | | | 新羅の敬順王,高麗に投降し新羅滅亡 (朝鮮-) | | |
935 | | | ★ 新羅を降伏させた (朝鮮-) | | |
936 | | | 高麗,後百済を滅ぼし後三国統一 (朝鮮-) | | |
936 | | | *936年 こうして、新羅、後百済、後高句麗の3国が鼎立する中で、弓裔の下にいた王建(ワンゴン)は、傲慢な弓裔を滅ぼし、918年、新たに高麗(コリョ)を建国し、自ら王を名乗る。 王建は、次第に地方の豪族たちをまとめあげ、935年には、新羅を併合、そして、936年には、後百済を滅ぼして、高麗が、半島の再統一をなしとげる。このときの首都は、開城(ケソン)におかれた。 高麗時代 (朝鮮-) | | |
936 | | | ★ 後百済を滅ぼし、半島を統一 (朝鮮-) | | |
956 | | | もともと官民でありながら奴婢になった者を開放させる,奴婢按検法実施 (朝鮮-) | | |
958 | | | 光宗の代,実力本位で官吏を採用する,科挙制度実施 (朝鮮-) | | |
976 | | | 田柴科実施.地位により田地と柴地に差異を設けて分ける (朝鮮-) | | |
983 | | | 全国に十二牧設置,三省,六部,七寺を定める (朝鮮-) | | |
992 | | | 中央に国子監設置.地方に郷校設置し儒学など強化 (朝鮮-) | | |
993 | | | 契丹の第一次侵攻.高麗国境を襲う.和約を結ぶ (朝鮮-) | | |
993 | | | *993~1019年 926年、渤海を滅ぼした北方民族契丹(きったん)は、急速に勢力を強め、高麗との国境付近まで版図を広げ、993年から、1019年まで、実に数次にわたって、高麗に侵攻してきた。 だが、高麗は、これらの侵攻をことごとく撃退してしまうと、やがて、契丹の目は西方に向き、やがて、高麗は安定を取り戻す。 (朝鮮-) | | |
996 | | | 朝鮮における最初の鋳造貨幣,鉄銭(乾元重宝)の鋳造 (朝鮮-) | | |
998 | | | 品階(階級)制を布く.王侯貴族,文武臣,僧侶など18科に分ける (朝鮮-) | | |
1009 | | | 康兆の政変.武臣の康兆が王権交代を図る.後に契丹に殺される (朝鮮-) | | |
1019 | | | 帰州大捷.契丹軍,開京付近まで侵攻するが,帰州で敗退 (朝鮮-) | | |
1076 | | | 田柴科改定,官制改革.文武官僚の地位にしたがって柴地を与える (朝鮮-) | | |
1086 | | | 義天,教蔵都監を設置して「続蔵経」を組み版 (朝鮮-) | | |
1087 | | | 「高麗大蔵経」完成 (朝鮮-) | | |
1097 | | | 鋳銭都監設置.災害などの貧民救済に備える (朝鮮-) | | |
1102 | | | 海東通宝鋳造.農業中心社会のため広く流通せず (朝鮮-) | | |
1107 | | | 尹グァン,別武班を率いて女真征伐 (朝鮮-) | | |
1126 | | | 李資謙の乱.門閥社会が進んだ結果の権力争い (朝鮮-) | | |
1127 | | | 地方郡県に国立の儒学校,郷校設立 (朝鮮-) | | |
1135 | | | 妙清の西京遷都運動.金富軾の官軍に鎮圧される (朝鮮-) | | |
1145 | | | 金富軾「三国史記」編纂 (朝鮮-) | | |
1147 | | | 同性婚,近親婚を禁止 (朝鮮-) | | |
1170 | | | 武臣政変.文臣中心から武臣政権になり,権力争い起こる (朝鮮-) | | |
1171 | | | ★ 武人たちがクーデター (朝鮮-) | | |
1176 | | | 公州(忠南道)鳴鶴所の亡尹・亡所尹が公州占領する民乱 (朝鮮-) | | |
1179 | | | 慶大升,都房(私兵集団)政治 (朝鮮-) | | |
1182 | | | 全州(全羅南道)民乱.官奴が中心になり州の官吏を襲撃 (朝鮮-) | | |
1196 | | | 崔忠献執権.慶大升死後政権を執る (朝鮮-) | | |
1198 | | | 万積の乱.公私奴隷開放をかかげ開京で乱を起こそうとして失敗 (朝鮮-) | | |
1219 | | | 蒙古と通交 (朝鮮-) | | |
1231 | | | 蒙古の使者殺害を機に,蒙古が高麗へ第一次侵入.講和を結ぶ (朝鮮-) | | |
1231 | | | *1231年 北方でモンゴル帝国が台頭する。高麗はモンゴル帝国と平和的な関係を維持してきたが、1224年、モンゴル使臣が高麗内で遭難する事件が発生するや、急速に関係が悪化、国交を断絶する。モンゴルによる高麗への侵入がはじまり、首都を江華島に移す。 徹底抗戦するも、数度にわたるモンゴル侵入で、高麗はすっかり疲弊し、結局、1259年、高麗はモンゴルに服属することになる。 (朝鮮-) | | |
1232 | | | 江華島に遷都.蒙古と戦う (朝鮮-) | | |
1234 | | | 西洋より200年も早く金属活字で「詳定古今礼文」刊行(現存しない) (朝鮮-) | | |
1236 | | | 高麗大蔵教(経・律・論など三蔵の仏教経典の総称)刻印(木版印刷)(~1251) (朝鮮-) | | |
1259 | | | 高麗,蒙古軍に降伏 (朝鮮-) | | |
1270 | | | 三別抄(精鋭軍隊)の対蒙抗争.開京遷都に反旗を翻すが失敗 (朝鮮-) | | |
1270 | | | 蒙古と講和を結び,開京遷都 (朝鮮-) | | |
1274 | | | 高麗と元の第一次日本征伐(文永の役) (朝鮮-) | | |
1274 | | | *1274~1281年 一方モンゴルのグビライは、日本を服従させようとして、2度にわたり、日本侵攻を行ったが失敗した。 このとき、高麗は全線基地としての役割を命じられるが、多大な負担を強いられた。 (朝鮮-) | | |
1281 | | | 元の第二次日本侵略(弘安の役).暴風雨に遭い撤退 (朝鮮-) | | |
1304 | | | 安コウの主張により国学に大成殿設置 (朝鮮-) | | |
1314 | | | 萬巻堂設置 (朝鮮-) | | |
1359 | | | 紅巾賊(明の成立の契機となった宗教的農民反乱軍)の侵入(~1361) (朝鮮-) | | |
1363 | | | 文益漸,元から木綿の種を伝え,衣生活に大革新をもたらす (朝鮮-) | | |
1364 | | | 高麗,倭冦対策で倭人万戸府設置 (朝鮮-) | | |
1376 | | | 崔瑩,倭冦征伐 (朝鮮-) | | |
1377 | | | 「直指心経」印刷.世界最初の金属活字本として公認 (朝鮮-) | | |
1377 | | | 崔茂宣の建議で火薬武器製造(火トゥ都監設置) (朝鮮-) | | |
1380 | | | 李成桂,倭冦討伐 (朝鮮-) | | |
1388 | | | 威化島回軍.李成桂反対派の崔瑩を除去.昌王を王位に就ける (朝鮮-) | | |
1388 | | | *1388年 14世紀に入り元が衰え始めると、高麗は元と断交し、北方を奪還して、モンゴル侵入以前の領域を回復する。 一方、活発化してきた倭寇に苦しむことになる。しかし、高麗軍の有力武将らが、次第に倭寇に打撃を加え、その脅威は減少する。 やがて、中国が明に変わると、高麗内で親元派と親明派との抗争が絶えなかった。1388年、武人李成桂はクーデターを興して政権を掌握すると、親明派の支持を受けて体制を固め、1392年、自ら即位し李氏朝鮮を興し、ここに、高麗は、474年の幕を下ろすことになった。 (朝鮮-) | | |
1389 | | | 李成桂一派により,昌王廃位恭譲王即位 (朝鮮-) | | |
1389 | | | 倭冦の拠点である対馬征伐 (朝鮮-) | | |
1392 | | | 近世社会 ?(~1863) (朝鮮-) | | |
1392 | | | 科田法実施.全国の土地の大部分を国家の収租地とする (朝鮮-) | | |
1392 | | | 近世社会 ?(~1863) (朝鮮-) | | |
1392 | | | 高麗滅亡.李成桂,朝鮮建国 (朝鮮-) | | |
1392 | | | 朝鮮時代 *1392年 高麗(??)の武将、李成桂(???)は、自ら高麗王につき、翌1393年には、国名を「朝鮮」(??)と改称し、首都を漢陽(今のソウル)に移した。その後、数代にわたり、国としての各種制度・体制を整備していくが、王位継承のもつれから、うちのめされた李成桂は、晩年、仏門に帰依することになる。 (朝鮮-) | | |
1392 | | | ★ 朝鮮王朝[1392~1910年] (朝鮮-) | | |
1392 | | | ★ 李氏朝鮮王朝建国 (朝鮮-) | | |
1394 | | | 開城から漢陽(現ソウル)遷都 (朝鮮-) | | |
1394 | | | ★ ソウル遷都 (朝鮮-) | | |
1398 | | | 第一次王子の乱.五男芳遠,世子冊封に不満を抱き反乱 (朝鮮-) | | |
1399 | | | 奴婢弁正都監設置.奴婢の戸籍を管理 (朝鮮-) | | |
1400 | | | 第二次王子の乱.芳遠の実兄芳幹の乱.芳遠により鎮圧 (朝鮮-) | | |
1401 | | | 申聞鼓設置.民衆が自由に請願できる制度 (朝鮮-) | | |
1402 | | | 16歳以上の男性に身分を問わず身分証(牌)を携帯させる,号牌法実施 (朝鮮-) | | |
1403 | | | 鋳字所設置 (朝鮮-) | | |
1408 | | | 李成桂死去.73歳 (朝鮮-) | | |
1411 | | | 漢陽に,人文機関である五部学堂設置.文化水準を高める (朝鮮-) | | |
1413 | | | 「太祖実録」を編纂.以来,歴代王朝の実録編纂続く (朝鮮-) | | |
1413 | | | 朝鮮八道の地方行政組織を完成.中央集権体制を確立 (朝鮮-) | | |
1418 | | | 朝鮮王朝第4代王,世宗即位 (朝鮮-) | | |
1419 | | | 応永の外冦.倭冦の被害に対し,対馬島を攻撃 (朝鮮-) | | |
1420 | | | 集賢殿拡張.学問的作業だけでなく人材の養成と新文化の定着を図る (朝鮮-) | | |
1423 | | | 「高麗史」編纂.高麗時代の歴史を自主的な視点で整理 (朝鮮-) | | |
1433 | | | 鴨緑江方面に四郡設置.女真族の侵入を防ぐ (朝鮮-) | | |
1433 | | | 朝鮮初期の医書「郷薬集成方」完成.旧来の朝鮮医書の集大成 (朝鮮-) | | |
1437 | | | 豆満江方面に六鎮設置.北方の城壁となし安全を図る (朝鮮-) | | |
1438 | | | 日時計製作 (朝鮮-) | | |
1441 | | | 世界初の測雨器製作.全国各地の降雨量測定 (朝鮮-) | | |
1442 | | | 朝鮮独自の暦書「七政算内編」作製 (朝鮮-) | | |
1443 | | | 訓民正音(ハングル)創製 (朝鮮-) | | |
1443 | | | 癸亥約条(嘉吉条約).対馬の宗氏に通交貿易の条件を与える (朝鮮-) | | |
1443 | | | *1443年 第四代国王、世宗(??)の時代は、朝鮮時代の中でも王権が強固で権威も行き届いており、もっとも安定した時代とされている。 この年、世宗王はハングルの基になる訓民正音が作られた。 (朝鮮-) | | |
1443 | | | ★ 訓民正音(ハングル)を草案 (朝鮮-) | | |
1445 | | | 義塩法制定.義塩色という官庁を設け,塩の流通を国家が管理 (朝鮮-) | | |
1446 | | | 義塩色廃止.私売買を禁止.民衆の不満を買う (朝鮮-) | | |
1446 | | | ★ 訓民正音(ハングル)を公布 (朝鮮-) | | |
1450 | | | 世宗死去.53歳 (朝鮮-) | | |
1453 | | | 癸酉靖難.首陽大君が朝廷大臣たちを殺し,政権を掌握 (朝鮮-) | | |
1455 | | | 首陽大君,端宗を退け第7代王世祖に上がる (朝鮮-) | | |
1466 | | | 現職官吏だけに土地を支給する,職田法実施 (朝鮮-) | | |
1467 | | | 李施愛の乱.中央文臣中心の政治に地方豪族が不満 (朝鮮-) | | |
1469 | | | 「経国大典」完成.朝鮮独自の法典を編纂.統治規制を成文化. (朝鮮-) | | |
1504 | | | 甲子士禍.燕山君,母の廃妃関連者を処刑 (朝鮮-) | | |
1506 | | | 朴元宗の乱.燕山君廃位追放.晋城大君が中宗に即位 (朝鮮-) | | |
1510 | | | 三浦倭乱.三浦で起こった日本人居留民の暴動事件.日本との通交中断 (朝鮮-) | | |
1512 | | | 壬申約条締結.足利幕府と結ぶ.倭人の出入りを制限 (朝鮮-) | | |
1519 | | | 己卯士禍.趙光祖の改革に対する中宗と勲旧勢力の親衛クーデター (朝鮮-) | | |
1543 | | | 白雲洞書院(最初の書院)建造.儒教精神の定着に力を注ぐ (朝鮮-) | | |
1547 | | | 丁未約条.倭人との交易を許すが規制を強化 (朝鮮-) | | |
1554 | | | 軍事機構,備辺司設置.倭冦と女真族の侵入に備える (朝鮮-) | | |
1555 | | | 乙卯倭変.三浦倭乱による貿易規制に対し,倭人が全羅道の一部を占領 (朝鮮-) | | |
1559 | | | 林巨正の乱.民衆を代弁する義賊.3年間(~1562)政府を悩ます (朝鮮-) | | |
1582 | | | マリ,済州島漂着 (朝鮮-) | | |
1592 | | | 閑山島大捷.李瞬臣勝利 (朝鮮-) | | |
1592 | | | 壬辰倭乱(文禄の役).1回目の倭国秀吉軍の侵略.漢城陥落 (朝鮮-) | | |
1592 | | | *1592年 この頃、日本では、豊臣秀吉が日本を統一し、更に勢力拡大のため、大陸進出をはかろうとしていた。そして、1592年、いわゆる文禄の役が発生し、たちまちにして、首都漢城(ソウル)を攻略してしまう。 当時腐敗が進んでいた朝鮮は、なすすべもなく、国土を疲弊してしまった。 やがて、中国から明の援軍が進出して、戦線は膠着し、和議交渉を試みるが失敗に終る。 1597年、日本は再度侵攻し、慶長の役が勃発する。しかし、秀吉の健康が損なわれ、戦争が泥沼状態になり、やがて、秀吉の死去によって、この7年に及ぶ戦乱は終結する。 この動乱により、朝鮮は、政治的にも、経済的にも、また社会的にも、壊滅的な状態に追いやられ、破綻寸前に陥った。 (朝鮮-) | | |
1592 | | | ★ 壬辰倭乱(文禄の役) (朝鮮-) | | |
1593 | | | 幸州大捷 (朝鮮-) | | |
1597 | | | 丁酉再乱(慶長の役).2回目の秀吉軍の侵略. (朝鮮-) | | |
1597 | | | ★ 丁酉倭乱(慶長の役) (朝鮮-) | | |
1598 | | | 秀吉死去.倭軍撤収始める (朝鮮-) | | |
1599 | | | 露梁大捷.李瞬臣流れ弾に当たり戦死.7年間の戦乱を終える (朝鮮-) | | |
1607 | | | 日本と国交回復.朝鮮通信使始まる(~1811) (朝鮮-) | | |
1607 | | | ★ 日本と国交回復 (朝鮮-) | | |
1608 | | | 京畿道に大同法実施.土地の結数によって米,布,銭で税を貢納 (朝鮮-) | | |
1609 | | | 己酉約条締結.対馬の宗氏に通交貿易許す.富山(釜山)浦に再び倭館設置 (朝鮮-) | | |
1609 | | | *1609年 その後も、王位継承をめぐる争いは、断続的に発生し、紆余曲折があるが、1609年になって、日本と和約し、外交面での修復が展開されていく。 (朝鮮-) | | |
1610 | | | 朝鮮の伝統医学の集大成「東医宝鑑」完成 (朝鮮-) | | |
1611 | | | 量田実施.農地の実情を調査し国家財源の増大に努める (朝鮮-) | | |
1616 | | | 琉球から煙草輸入される (朝鮮-) | | |
1623 | | | 仁祖反正.西人派が北人派を一掃し,仁祖を王に擁立する武力政変 (朝鮮-) | | |
1624 | | | 李ファルの乱.仁祖反正後の論功行賞に対する不満 (朝鮮-) | | |
1627 | | | 丁卯胡乱.後金(後の清)鴨緑江を越え侵入 (朝鮮-) | | |
1628 | | | オランダ人ベルテブレ,済州島漂着.帰化し朝鮮人女性と結婚 (朝鮮-) | | |
1629 | | | 平安道・黄海道の流浪民の明火賤集団により漢城攻略 (朝鮮-) | | |
1631 | | | 鄭斗源,明から千里眼,時計,鉄砲を伝える (朝鮮-) | | |
1636 | | | 丙子胡乱.清が君臣関係を要求し侵略.世子を人質として清へ送る (朝鮮-) | | |
1637 | | | 清の北京に国家使節として燕行使派遣.1894年まで続く (朝鮮-) | | |
1645 | | | 昭顕世子,清から化学,カトリック教などの洋書を伝える (朝鮮-) | | |
1646 | | | 林慶業の乱.下層民衆の反乱.失敗に終わる (朝鮮-) | | |
1653 | | | ハメル,済州島漂着.後に脱出し「朝鮮幽囚記」を著す (朝鮮-) | | |
1653 | | | 時憲暦採択.太陰暦と太陽暦を合わせて,二十四節気と1日の時間を計算 (朝鮮-) | | |
1654 | | | 第一次羅禪(ロシア)征伐.黒龍江へ侵略した羅禪を清の要請で撃退 (朝鮮-) | | |
1658 | | | 第二次羅禪征伐.朝鮮の鳥銃軍,再度ロシアを撃退 (朝鮮-) | | |
1659 | | | 胡西地方に大同法実施.民衆の税負担を減らす (朝鮮-) | | |
1662 | | | 堤堰司設置 (朝鮮-) | | |
1678 | | | 常平通宝鋳造.朝鮮後期の法貨の誕生 (朝鮮-) | | |
1680 | | | 庚申換局.南人派が失脚し西人政権樹立.一党専制化始まる (朝鮮-) | | |
1688 | | | 京畿道楊州で弥勒信仰者が漢城に侵攻しようとするが失敗 (朝鮮-) | | |
1694 | | | 申戌換局.南人派が小論派除去に失敗して打撃を受ける (朝鮮-) | | |
1696 | | | 安龍福,鬱陵島から日本人追放.独島(竹島)を朝鮮領土として主張 (朝鮮-) | | |
1697 | | | 義賊,張吉山の乱.反政府活動を続けるが最後まで逮捕されず (朝鮮-) | | |
1700 | | | *17世紀末 党派政争が次第に激しくなり、さまざまな、政策が打ち出され、王権の強化拡大策が試みられる。この頃、中国の清との間で領土問題が発生したり、日本との間では、鬱陵島やその周辺の島々の帰属問題が発生した。当時の江戸幕府は、鬱陵島を朝鮮の領土として承認する協定を締結した。 現在、日韓で懸案の、竹島(独島)の帰属問題は、このときの協定内容に起因する争いである。 (朝鮮-) | | |
1708 | | | 全国的に大同法施行.土地所有の程度により税を負担 (朝鮮-) | | |
1712 | | | 清との領界を定める白頭山定界碑建立 (朝鮮-) | | |
1725 | | | 圧膝刑や死者に罪を追加して再度殺す刑罰を禁止 (朝鮮-) | | |
1725 | | | 蕩平策実施.党争の悪弊を正し,王権の伸張と不偏不党を図る (朝鮮-) | | |
1728 | | | 李鱗佐の乱.政界から追放された過激派勢力が政権を奪取しようとする (朝鮮-) | | |
1729 | | | 三覆法制定.死刑囚への初審,再審,三審を認める (朝鮮-) | | |
1750 | | | 均役法実施.奴婢以外の成年男子に軍役を課し,身役と賦役の弊害を正す (朝鮮-) | | |
1759 | | | 「東史綱目」完成.正史の間違いを批判.野史も取り入れる (朝鮮-) | | |
1763 | | | さつまいも日本より伝来 (朝鮮-) | | |
1763 | | | *1763年 朝鮮通信使が日本からサツマイモを持ち帰り、朝鮮で食糧対策の一環として取り入れられた。 (朝鮮-) | | |
1774 | | | 個人の家での刑罰「濫刑」や,男性器を切り取る「鯨刺」禁止 (朝鮮-) | | |
1776 | | | 昌徳宮の北苑に奎章閣設置.文芸の中心機関となる (朝鮮-) | | |
1784 | | | 李承薫,北京で西洋の神父より洗礼を受け帰国,天主教伝道 (朝鮮-) | | |
1786 | | | 西学(天主教)禁じる (朝鮮-) | | |
1800 | | | *18世紀末 中国を経由してカトリックが入ってくる。朝鮮内部では、王朝が強力に推進してきた儒教との対比で、容認派と反対派との抗争が起こり、朝鮮王朝は、1791年、ついにカトリック弾圧を実施した。そして、これを皮切りに、以後数次にわたり、カトリック弾圧が断行され、多くの犠牲者も出した。 このカトリック弾圧に対しては、19世紀になってからも、西洋諸国からの強力な抗議・干渉が、高まって行く。 (朝鮮-) | | |
1801 | | | 辛酉迫害.天主教に寛大であった時派への弾圧 (朝鮮-) | | |
1811 | | | 最後の朝鮮通信使,対馬に来着 (朝鮮-) | | |
1811 | | | 没落両班,洪景来の乱.農民とともに平安道で起こる (朝鮮-) | | |
1831 | | | 天主教朝鮮教区設置 (朝鮮-) | | |
1832 | | | イギリス船ロード・アーマスト号来航し通商を求める (朝鮮-) | | |
1839 | | | 己亥邪獄.フランス人神父と信者多数処刑 (朝鮮-) | | |
1839 | | | 斥邪綸音公布.民衆に公式にカトリック教を禁じる教書を下す (朝鮮-) | | |
1845 | | | イギリスの軍艦サマラン号が済州島と西海岸を不法に測量する (朝鮮-) | | |
1846 | | | フランス軍,カトリック教弾圧に抗議し忠清道に入り書簡を渡す (朝鮮-) | | |
1860 | | | 崔済愚,東学(西教のカトリック教に対し,東方の道を立てる)創始 (朝鮮-) | | |
1861 | | | 金正浩,「大東輿地図」作成.産業,文化への関心を反映 (朝鮮-) | | |
1863 | | | 近代社会 ?(~1945) (朝鮮-) | | |
1863 | | | 高宗即位.父の興宣大院君執権.実権を握る (朝鮮-) | | |
1865 | | | 壬辰倭乱で焼失した景福宮再建(~1872) (朝鮮-) | | |
1866 | | | ドイツの冒険商人,交易を拒否され大院君の父の墓をあばこうとして失敗 (朝鮮-) | | |
1866 | | | 丙寅迫害.天主教に対する弾圧.9人のフランス人神父と数千人の信徒が処刑 (朝鮮-) | | |
1866 | | | 丙寅洋擾.丙寅迫害に対してフランス侵略するが撃退 (朝鮮-) | | |
1866 | | | 平壌洋擾.アメリカの武装商船ゼネラル・シャーマン号焼打ち (朝鮮-) | | |
1871 | | | 辛未洋擾.アメリカの艦隊が江華島に侵入,撃退 (朝鮮-) | | |
1873 | | | 大院君政権倒れ,閔氏政権成立 (朝鮮-) | | |
1875 | | | 日本の軍艦雲揚号江華島へ侵入.武力示威を展開.永宗島占拠 (朝鮮-) | | |
1875 | | | ★ 江華島事件 (朝鮮-) | | |
1876 | | | 日本と江華島条約(日朝修好条規)締結 (朝鮮-) | | |
1876 | | | *1876年 王朝内部の抗争は、絶えることなく続くが、一方で、徐々に迫ってくる諸外国に対しては、とうとう強硬な鎖国政策をとることとなる。だが、これが、後年、朝廷混乱に拍車をかけることになる。 しかし、やがて、1875年、日本軍は、開国を求めて、江華島に侵入し、1876年には、当時の開国派政権との間で、いわゆる江華島条約(日朝修好条規)を締結する。 これに引き続いて、アメリカ、フランス、ロシアなどと、相次いで通商条約を結ぶことになる。 (朝鮮-) | | |
1877 | | | 釜山に日本人居留地設置 (朝鮮-) | | |
1879 | | | 池錫永,種痘法実施 (朝鮮-) | | |
1881 | | | 日本へ紳士遊覧団および清国へ領選使派遣.開化政策を推進 (朝鮮-) | | |
1882 | | | 壬午軍乱.旧式軍隊への差別待遇に対する不満爆発 (朝鮮-) | | |
1882 | | | 米・英・独と通商条約締結.日本とロシアを牽制 (朝鮮-) | | |
1882 | | | ★ 壬午軍乱 (朝鮮-) | | |
1883 | | | 元山学舎設立 (朝鮮-) | | |
1883 | | | 太極旗使用 (朝鮮-) | | |
1883 | | | 典圜局設置.貨幣発行 (朝鮮-) | | |
1883 | | | 博文局設立.開化党,朝鮮初の近代的新聞「漢城旬報」発刊 (朝鮮-) | | |
1884 | | | 甲申政変.開化党による政変革命.清国軍の介入により3日天下に終わる (朝鮮-) | | |
1884 | | | 郵政局設置.近代的郵政事業を目指す (朝鮮-) | | |
1884 | | | ★ 甲申政変(甲申事件) (朝鮮-) | | |
1885 | | | ソウル・仁川間電信開通 (朝鮮-) | | |
1885 | | | 巨文島事件.イギリス巨文島を占領,ポール・ハミルトンと命名 (朝鮮-) | | |
1885 | | | 広恵院設立 (朝鮮-) | | |
1885 | | | 培材学堂設立 (朝鮮-) | | |
1886 | | | 育英公院,梨花学堂設立 (朝鮮-) | | |
1887 | | | 清国の仲介により,巨文島よりイギリス軍撤退く (朝鮮-) | | |
1889 | | | 凶作を理由に咸鏡道に穀物輸出禁止令.日本の反対で解除 (朝鮮-) | | |
1894 | | | 甲午改革.日本の圧力で閔氏政権を倒し,第一次金弘集内閣成立 (朝鮮-) | | |
1894 | | | 東学農民運動.反封建,反侵略の近代民族運動に移っていく (朝鮮-) | | |
1894 | | | *1894年 甲午農民戦争(東学党の乱)が発生する。党派間のクーデターによる混乱や、外国との開国通商による物価高騰に苦しめられた農民が中心になって蜂起し、官軍と起こした内戦である。この戦争は、政府の要請による清の援軍と日本の介入とにより、官・農民間の和議が成立して終結する。 しかしその後も、清軍と日本軍は、双方が朝鮮に駐屯を続け、ついに、日清戦争が勃発する。この戦争は1895年、日本軍の勝利に終わり、朝鮮は日本の影響下におかれることになる。 (朝鮮-) | | |
1894 | | | ★ 甲午農民戦争(東学党の乱) (朝鮮-) | | |
1895 | | | 乙未事変.日本公使三浦梧楼の指揮により王妃閔妃暗殺 (朝鮮-) | | |
1895 | | | 断髪令発布 (朝鮮-) | | |
1895 | | | ★ 日本軍の弾圧 (朝鮮-) | | |
1895 | | | ★ 乙未事変(閔妃暗殺) (朝鮮-) | | |
1896 | | | 俄館播遷.親露派により国王をロシア公使館へ移す (朝鮮-) | | |
1896 | | | 徐載弼,アメリカより帰国し「独立新聞」発刊 (朝鮮-) | | |
1896 | | | 独立協会を設立.独立門を建てる (朝鮮-) | | |
1896 | | | ★ 太陽暦採用 (朝鮮-) | | |
1897 | | | 大韓帝国の設立.内外に自主国家であることを宣言 (朝鮮-) | | |
1897 | | | *1897年 一方、弱体化してきた朝廷では王妃がロシアに近づき親露政策をとることになったが、これにより、王妃は朝鮮人と日本人の手で惨殺される。更に王は、これに恐怖を感じ、王権は、失墜する。 朝鮮は日本とロシアとの勢力争いの場となってしまった。 1897年、朝鮮は国号を大韓帝国と改称する。 (朝鮮-) | | |
1897 | | | ★ 大韓帝国樹立 (朝鮮-) | | |
1898 | | | 釜下鉄道会社設立 (朝鮮-) | | |
1898 | | | 独立協会,万民共同会開催.ロシアの侵略策動を糾弾し自主国権運動展開 (朝鮮-) | | |
1899 | | | 外国人の手により京仁線開通. (朝鮮-) | | |
1899 | | | 利運社,通運社などの陸運会社設立 (朝鮮-) | | |
1900 | | | 大韓共同郵船会社,仁川輪船株式会社,海西鉄鉱会社設立 (朝鮮-) | | |
1900 | | | 万国郵便連合加入 (朝鮮-) | | |
1902 | | | ソウル・仁川間長距離電話開通 (朝鮮-) | | |
1903 | | | YMCA発足 (朝鮮-) | | |
1903 | | | 遂安金鉱合資会社設立 (朝鮮-) | | |
1904 | | | 韓日議定書締結.日本による顧問政治始まる (朝鮮-) | | |
1904 | | | 京釜線竣工 (朝鮮-) | | |
1904 | | | 親日御用団体,一進会設立.日本の政策を支持する運動を展開 (朝鮮-) | | |
1904 | | | 第一次日韓協約締結 (朝鮮-) | | |
1904 | | | *1904年 日露戦争勃発。日本側の勝利に終る。翌年、第二次日韓協約締結。日本の一連の責任者伊藤博文は、朝鮮の保護国化を推進し、日本政府の早期併合論に反対を唱えていた。 しかし、1909年朝鮮の民族主義運動であった安重根(???)によって暗殺されるや、決定的に韓国併合に進んで行った。 (朝鮮-) | | |
1905 | | | 関釜連絡船航路就航.現在,関釜フェリーとして運行 (朝鮮-) | | |
1905 | | | 第二次日韓協約(乙巳条約).日本の強制的な保護条約 (朝鮮-) | | |
1905 | | | 東学の第3代教主孫秉熙,天道教創始 (朝鮮-) | | |
1905 | | | 日本,竹島(独島)の占有権を公示 (朝鮮-) | | |
1905 | | | ★ 保護条約、乙巳条約(第2次日韓協約)調印 (朝鮮-) | | |
1906 | | | 大韓自強会結成.愛国運動開始 (朝鮮-) | | |
1906 | | | 統監府設置.日本人次官が韓国内政全般を取り仕切る (朝鮮-) | | |
1906 | | | ★ 日本、統監府を設置 (朝鮮-) | | |
1907 | | | ハーグ特使派遣.日本との条約無効を国内外に宣言しようとしたが失敗 (朝鮮-) | | |
1907 | | | 安昌浩,新民会設立.多様な反日活動を続ける (朝鮮-) | | |
1907 | | | 高宗皇帝退位.純宗王位に就く (朝鮮-) | | |
1907 | | | 国債報償運動 (朝鮮-) | | |
1907 | | | 朝鮮軍隊解散 (朝鮮-) | | |
1907 | | | 日本,保安法,新聞紙法などの弾圧法規により啓蒙運動を圧迫 (朝鮮-) | | |
1907 | | | ★ ハーグ密使事件、高宗退位 (朝鮮-) | | |
1908 | | | 義兵,ソウル近郊まて進行,日本軍の反撃で撤退 (朝鮮-) | | |
1909 | | | 安重根,ハルピン駅で伊藤博文射殺.翌年旅順で処刑 (朝鮮-) | | |
1909 | | | 日本,安奉線の鉄道敷設権を手に入れるため,清と間島を交換 (朝鮮-) | | |
1909 | | | ★ 安重根が伊藤博文を殺害 (朝鮮-) | | |
1910 | | | 会社令発令.朝鮮人会社の設立を抑制 (朝鮮-) | | |
1910 | | | 日韓併合条約調印 (朝鮮-) | | |
1910 | | | 大韓帝国(現在の韓国と北朝鮮)が日本に併合され大韓帝国は消滅し、日韓併合条約により日本は朝鮮半島を領有することになる。いわゆる日帝時代、植民地併合時代のスタートであり、日本は全朝鮮を統治する朝鮮総督府を設置した。 (朝鮮-) | | |
1910 | | | *1910年 日韓併合条約締結。韓国は朝鮮と改称され、日本の植民地領地となる。これにより、518年に及ぶ朝鮮王朝は滅亡した。 (朝鮮-) | | |
1910 | | | ★ 日本帝国の植民地時代(日帝時代)[1910~1945年] (朝鮮-) | | |
1910 | | | ★ 韓国併合 (朝鮮-) | | |
1911 | | | 105人事件.日帝による総督暗殺事件でっちあげにより新民会員105人逮捕 (朝鮮-) | | |
1912 | | | 土地調査事業開始(~1918)多くの農民が土地を奪われる (朝鮮-) | | |
1914 | | | 沿海州ウラジオストックに大韓光復軍政府樹立 (朝鮮-) | | |
1916 | | | 朴重彬,円仏教創始.開墾事業と貯蓄運動を勧め新生活運動展開 (朝鮮-) | | |
1919 | | | 3・1運動.挙族的な万歳示威運動.全国に波及 (朝鮮-) | | |
1919 | | | 高宗死去 (朝鮮-) | | |
1919 | | | 上海に大韓民国臨時政府樹立 (朝鮮-) | | |
1919 | | | 大韓愛国婦人会組織 (朝鮮-) | | |
1919 | | | *1919年 こうした日本の統治に対しては朝鮮の反発が強かった。この年、宗教指導者らが中心となって、大規模な独立運動を展開した。3月1日に起こったので、3・1運動と呼ばれるものである。 この運動は朝鮮総督府当局による武力による弾圧で、間もなく終息していき、運動は挫折した。 しかし、独立派の中心的人物などが、中国の上海に逃亡し、大韓民国臨時政府と呼ばれる亡命政府を設立した。初代大統領は李承晩(???)で、以降、最後の第13代金丸(??)まで、25年間にわたり継続する。1945年の朝鮮解放により解体した。 (朝鮮-) | | |
1919 | | | ★ 三・一独立運動 (朝鮮-) | | |
1920 | | | 「朝鮮日報」,「東亜日報」創刊 (朝鮮-) | | |
1920 | | | 3・1運動で活動した「朝鮮のジャンヌダルク」柳寛順16歳で獄死 (朝鮮-) | | |
1920 | | | 青山大捷.金佐鎮の独立軍,満州の青山里で日本軍に勝利 (朝鮮-) | | |
1922 | | | 天道教少年部「子どもの日」制定.少年運動展開 (朝鮮-) | | |
1924 | | | 京城帝国大学創立 (朝鮮-) | | |
1924 | | | 社会主義思想流入による青年運動の分裂収拾のため朝鮮青年総同盟結成 (朝鮮-) | | |
1926 | | | 映画「アリラン」上映 (朝鮮-) | | |
1926 | | | 活動写真「フィルム」検閲規制施行 (朝鮮-) | | |
1926 | | | 青年学生による6・10万歳運動.多くの学校に広がっていく (朝鮮-) | | |
1927 | | | 京城放送局がラジオ放送開始 (朝鮮-) | | |
1927 | | | 民族主義陣営と社会主義陣営が統合し新幹会組織.民族唯一党運動推進 (朝鮮-) | | |
1929 | | | 日本人学生が韓国人女性を愚弄した事件をきっかけに光州学生運動起こる (朝鮮-) | | |
1932 | | | 李奉昌義挙.日本の桜田門で天皇暗殺未遂 (朝鮮-) | | |
1932 | | | 尹奉吉義挙.上海虹口公園での投弾テロ (朝鮮-) | | |
1933 | | | 朝鮮語学会,ハングル綴字法統一案制定 (朝鮮-) | | |
1934 | | | 震檀学会組織.日本人御用学者の韓国学に反発.震檀学報発刊 (朝鮮-) | | |
1936 | | | 孫基禎,ベルリンオリンピック大会マラソン優勝.日章旗抹消事件 (朝鮮-) | | |
1938 | | | 朝鮮教育令改正,ハングル教育禁止 →韓国、北朝鮮の日本語を強要されたという嘘 (朝鮮-) | | |
1939 | | | 国民徴用令実施.強制連行はじまる (朝鮮-) | | |
1939 | | | 創氏改名公布.死をもって抵抗する者あり →創氏改名の真実 (朝鮮-) | | |
1939 | | | ★ ハングルを弾圧 (朝鮮-) | | |
1940 | | | 大韓民国臨時政府,重慶で韓国光復軍結成 (朝鮮-) | | |
1940 | | | 民族抹殺政策強化.皇民化教育の強化 (朝鮮-) | | |
1940 | | | ★ 創氏改名 (朝鮮-) | | |
1942 | | | 朝鮮での徴兵制実施 (朝鮮-) | | |
1942 | | | 朝鮮語学会事件.独立運動団体とみなされ逮捕,投獄,解散させられる (朝鮮-) | | |
1945 | | | 8・15光復.日本の降伏により植民地支配から開放 (朝鮮-) | | |
1945 | | | 現代社会 ?(1945~) (朝鮮-) | | |
1945 | | | 在日朝鮮人を乗せ青森から釜山に向かった浮島丸爆沈.原因不明 (朝鮮-) | | |
1945 | | | 現代 *1945年 第二次世界大戦での日本の敗戦により、朝鮮半島は解放され、かわって米ソ両大国が進駐し、38度線を境に国土が分断されることになった。 (朝鮮-) | | |
1945 | | | *1945年 第二次世界大戦終戦により、日本による朝鮮半島の実効支配が終了する。これにより、朝鮮半島は解放された。 (朝鮮-) | | |
1945 | | | ★ 解放、大韓民国[1945年~] (朝鮮-) | | |
1945 | | | ★ 八・一五民族光復(朝鮮解放) (朝鮮-) | | |
1945 | | | ★ 解放、大韓民国[1945年~] (朝鮮-) | | |
1946 | | | 第一次米ソ共同委員会開催.朝鮮統治について合意みず決裂 (朝鮮-) | | |
1946 | | | 北朝鮮臨時人民委員会構成.金日成を委員長に選任 (朝鮮-) | | |
1947 | | | 国連韓国委員団構成.ソ連が入北を拒否,北韓での選挙不可能となる (朝鮮-) | | |
1948 | | | 5・10南韓単独の総選挙実施 (朝鮮-) | | |
1948 | | | 済州島暴動.南朝鮮単独選挙に反対する島民の武装闘争 (朝鮮-) | | |
1948 | | | 人民共和国,北韓単独政府樹立 (朝鮮-) | | |
1948 | | | 大韓民国政府樹立.李承晩大統領就任 (朝鮮-) | | |
1948 | | | *1948年 8月、李承晩(???)が大韓民国(韓国)の成立を宣言、これに対抗して9月には、金日成(???)が朝鮮民主主義共和国(北朝鮮)の成立を宣言する。 間もなく、米ソ両軍は朝鮮半島から撤収し、韓国・北朝鮮の双方はそれぞれの路線で国としての体裁を整えていくことになる。 (朝鮮-) | | |
1948 | | | ★ 大韓民国成立、朝鮮民主主義人民共和国成立、「ハングル専用法」成立 (朝鮮-) | | |
1950 | | | 米韓相互防衛条約 (朝鮮-) | | |
1950 | | | 北韓共産軍の南侵により朝鮮戦争勃発(6・25戦争) (朝鮮-) | | |
1950 | | | *1950年 米国が自らの国防政策における太平洋地域における防衛ラインに韓国を含めなかったことが、北朝鮮の誤解を招き、北朝鮮は、ソ連のスターリン、中国毛沢東の合意をとりつけて、38度線を突破、韓国への侵攻を決行した。朝鮮戦争勃発である。 劣勢に立たされていた韓国であったが、マッカーサーの仁川上陸作戦が成功し、大規模な反攻で首都ソウルを奪還すると、戦闘は膠着状態に陥る。 1951年、ソ連の提案で、板門店で休戦協定が締結され、双方多大な犠牲を払った3年間にわたる戦争が休戦を迎えることになった。だが、現在でも未だに戦争中であり、それが休戦しているに過ぎない、という状態は、依然として継続しているのである。 (朝鮮-) | | |
1950 | | | ★ 6・25戦争(朝鮮戦争) (朝鮮-) | | |
1952 | | | 平和線宣言 (朝鮮-) | | |
1953 | | | 韓国,第一次通貨改革実施 (朝鮮-) | | |
1953 | | | 板門店で休戦協定調印(米・朝・ソの三国.韓国は反対).38度線で分断 (朝鮮-) | | |
1953 | | | ★ 休戦協定 (朝鮮-) | | |
1954 | | | 北朝鮮,戦後経済復旧3ヵ年計画 (朝鮮-) | | |
1957 | | | 韓国,ウリマル(国語)大辞典完刊 (朝鮮-) | | |
1957 | | | 北朝鮮,第一次5ヵ年計画(~1960年) (朝鮮-) | | |
1959 | | | 第一次在日朝鮮人帰国船新潟出航. (朝鮮-) | | |
1960 | | | 4・19義挙.正・副大統領選の不正糾弾運動.李承晩政権倒れる (朝鮮-) | | |
1960 | | | 民主党張勉内閣による韓国第二共和国樹立 (朝鮮-) | | |
1961 | | | 5・16軍事革命.朴正熙を中心とした反共軍事政権誕生 (朝鮮-) | | |
1961 | | | KCIA設立 (朝鮮-) | | |
1961 | | | 北朝鮮,第一次7ヵ年計画(~1970年) (朝鮮-) | | |
1962 | | | 韓国,公用年号,西紀に変更 (朝鮮-) | | |
1962 | | | 韓国,第一次経済開発5ヵ年計画(~1966) (朝鮮-) | | |
1962 | | | 金鐘泌情報部長と大平外相の会談で(「金・大平メモ」)で財産請求権問題決着 (朝鮮-) | | |
1963 | | | 第三共和国樹立.朴正熙大統領就任 (朝鮮-) | | |
1964 | | | 韓国,メートル制実施 (朝鮮-) | | |
1965 | | | 韓国軍のベトナム派兵開始 (朝鮮-) | | |
1965 | | | 韓日協定調印.日韓漁業協定も付随して調印.対日屈辱外交への反対運動激化 (朝鮮-) | | |
1965 | | | *1965年 日韓基本条約が締結され、ようやく、韓国と日本との国交が回復し、韓国を朝鮮半島の唯一の合法的政府とした。 (朝鮮-) | | |
1965 | | | ★ 日韓条約成立 (朝鮮-) | | |
1966 | | | 韓米行政協定調印 (朝鮮-) | | |
1967 | | | 5・3大統領選挙 (朝鮮-) | | |
1967 | | | 6・8国会議員選挙 (朝鮮-) | | |
1967 | | | 韓国,第二次経済開発五ヵ年計画 (朝鮮-) | | |
1967 | | | 北朝鮮,主体(チュチェ)思想を党の唯一思想体系とする (朝鮮-) | | |
1968 | | | 1・21事態.北の武装工作隊31人,ソウル市で交戦 (朝鮮-) | | |
1968 | | | 韓国,国民教育憲章宣布 (朝鮮-) | | |
1968 | | | 顕忠門国立墓地の朴大統領暗殺未遂事件.爆弾仕掛け中に爆発 (朝鮮-) | | |
1968 | | | 北朝鮮,米国の情報艦艇プエプロ号を拿捕 (朝鮮-) | | |
1968 | | | 北朝鮮特殊部隊による大統領官邸襲撃未遂事件 (朝鮮-) | | |
1970 | | | 韓国,セマウル(新しい村)運動開始.農漁村の生活改善,所得の増大を計る (朝鮮-) | | |
1970 | | | 京釜高速道路開通.全国が一日生活圏に入る (朝鮮-) | | |
1970 | | | *1970年代 韓国の経済力が伸長し、このことが北朝鮮の危機感を増大させ、日本人拉致問題をはじめ、多くの問題が発生する。しかし、今日に至るまで、何らの解決をみないままである。 (朝鮮-) | | |
1971 | | | 4・27大統領選挙 (朝鮮-) | | |
1971 | | | 5・25国会議員選挙 (朝鮮-) | | |
1971 | | | 北朝鮮,第一次6ヵ年計画(~1976年) (朝鮮-) | | |
1972 | | | 10月維新.大統領の終身執権を可能にする (朝鮮-) | | |
1972 | | | 7・4南北共同声明.自立的平和的に民族的統一をはかることで合意 (朝鮮-) | | |
1972 | | | 韓国,第三次経済開発五ヵ年計画(~1976) (朝鮮-) | | |
1972 | | | 韓国,第四共和国樹立 (朝鮮-) | | |
1972 | | | 社会主義憲法制定.金日成国家主席となる.首都を平壌とする. (朝鮮-) | | |
1972 | | | 南北赤十字会談.離散家族探し協議 (朝鮮-) | | |
1972 | | | ★ 10月維新 (朝鮮-) | | |
1973 | | | 6・23平和統一宣言 (朝鮮-) | | |
1973 | | | 金大中事件.金大中氏東京から拉致されソウルで解放 (朝鮮-) | | |
1973 | | | ★ 金大中事件 (朝鮮-) | | |
1974 | | | 在日朝鮮人青年文世光による朴大統領狙撃事件.陸夫人死亡 (朝鮮-) | | |
1974 | | | 非武装地帯南側に,北朝鮮側からの地下トンネル発見 (朝鮮-) | | |
1974 | | | ★ 文世光事件 (朝鮮-) | | |
1975 | | | 大統領緊急処置の九号発表 (朝鮮-) | | |
1976 | | | 板門店蛮行事件.ポプラ下枝伐採をめぐり米将校が殺害 (朝鮮-) | | |
1976 | | | 板門店蛮行事件について,金日成主席遺憾の意表明 (朝鮮-) | | |
1977 | | | 韓国,技能オリンピック世界制覇 (朝鮮-) | | |
1977 | | | 韓国,輸出100億ドル達成 (朝鮮-) | | |
1977 | | | 韓国登頂隊,エベレスト登頂成功 (朝鮮-) | | |
1977 | | | 非武装地帯の北側に迷い込んだ米軍ヘリコプター撃墜 (朝鮮-) | | |
1978 | | | 韓国,自然保護憲章宣布 (朝鮮-) | | |
1978 | | | 北朝鮮,第二次7ヵ年計画(~1984年) (朝鮮-) | | |
1979 | | | 10・26事態.KCIA部長の金載圭に朴正熙暗殺 (朝鮮-) | | |
1979 | | | 全斗煥,軍事クーデターで実権を掌握 (朝鮮-) | | |
1979 | | | ★ 朴正煕暗殺 (朝鮮-) | | |
1980 | | | 光州民主化運動.戒厳軍の介入で鎮圧.多数の死者を出す (朝鮮-) | | |
1980 | | | 北朝鮮,党大会で金正日書記を党ナンバー2に選任 (朝鮮-) | | |
1980 | | | ★ 光州事件(光州民主抗争) (朝鮮-) | | |
1981 | | | 1986年アジア大会ソウル開催決定 (朝鮮-) | | |
1981 | | | 1988年オリンピックソウル開催決定 (朝鮮-) | | |
1981 | | | 韓国,世界技能オリンピック四連覇 (朝鮮-) | | |
1981 | | | 韓国,輸出200億ドル達成 (朝鮮-) | | |
1981 | | | 民主正義党の全斗煥大統領第五共和国樹立. (朝鮮-) | | |
1982 | | | 韓国政府,日本に歴史教科書歪曲内容是正を要求 (朝鮮-) | | |
1983 | | | KBS,離散家族さがしテレビ生放送 (朝鮮-) | | |
1983 | | | ビルマ(ミャンマー)アウンサン廟での全斗煥大統領暗殺未遂事件 (朝鮮-) | | |
1983 | | | 大韓航空(KAL)機撃墜惨事.日本北方のソ連領空でソ連戦闘機に撃墜 (朝鮮-) | | |
1984 | | | 韓国,ロサンゼルスオリンピックで総合順位10位 (朝鮮-) | | |
1984 | | | 北朝鮮,韓国への水害援助 (朝鮮-) | | |
1985 | | | 南北代表151名の離散家族故郷訪問団が,ソウルと平壌を相互に交換訪問 (朝鮮-) | | |
1986 | | | ソウル・アジア競技大会開催 (朝鮮-) | | |
1986 | | | 金浦空港で爆弾テロ発生 (朝鮮-) | | |
1987 | | | 13代大統領選挙.盧泰愚選出 (朝鮮-) | | |
1987 | | | 6・29宣言.新しい民主憲法公布,大統領直接選制宣言 (朝鮮-) | | |
1987 | | | ビルマ近海での大韓航空機爆破事件.北のスパイとして男女二人逮捕 (朝鮮-) | | |
1987 | | | ★ 真由美事件 (朝鮮-) | | |
1988 | | | 韓国,13代国会議員選挙 (朝鮮-) | | |
1988 | | | 韓国,ハングル綴字法告示 (朝鮮-) | | |
1988 | | | 韓国,第六共和国出帆 (朝鮮-) | | |
1988 | | | 韓国,貿易高1000億ドル突破.世界十大貿易圏の仲間入りを果たす (朝鮮-) | | |
1988 | | | 第24回ソウルオリンピック大会開催.北朝鮮不参加 (朝鮮-) | | |
1988 | | | ★ 第24回ソウルオリンピック大会開催.北朝鮮不参加 (朝鮮-) | | |
1989 | | | 韓国政府,ハンガリー,ポーランドなど東欧圏国家と修好 (朝鮮-) | | |
1989 | | | 朝鮮王朝最後の皇太子妃方子死去 (朝鮮-) | | |
1990 | | | ソウルで第一回南北首相会談開催 (朝鮮-) | | |
1990 | | | 韓国政府,ソ連と国交樹立 (朝鮮-) | | |
1991 | | | 金正日書記,軍最高司令官に就任 (朝鮮-) | | |
1991 | | | 第6回世界青少年サッカー選手権大会に南北単一チームで参加 (朝鮮-) | | |
1991 | | | 南・北韓,国連同時加入 (朝鮮-) | | |
1991 | | | ★ 韓国、北朝鮮、国連同時加入 (朝鮮-) | | |
1992 | | | IAEA査察団,北朝鮮の寧辺の核施設を査察 (朝鮮-) | | |
1992 | | | 韓国政府,中国と国交樹立 (朝鮮-) | | |
1993 | | | 金泳三大統領就任 (朝鮮-) | | |
1993 | | | 金正日書記を国防委員長に選出 (朝鮮-) | | |
1993 | | | 大田世界博覧会開催 (朝鮮-) | | |
1994 | | | 漢江の聖水大橋崩壊 (朝鮮-) | | |
1994 | | | 金日成主席死去.82歳 (朝鮮-) | | |
1994 | | | 世界卓球選手権大会に南北統一チーム参加 (朝鮮-) | | |
1995 | | | ソウル,三豊百貨店崩壊.高度経済成長時代の手抜き工事が原因 (朝鮮-) | | |
1995 | | | 旧朝鮮総督府建物解体開始(~1997) (朝鮮-) | | |
1995 | | | 大邸市内の地下鉄工事の最中ガス爆発発生 (朝鮮-) | | |
1995 | | | 朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)発足 (朝鮮-) | | |
1996 | | | 韓国東岸で北朝鮮潜水艦発見 (朝鮮-) | | |
1996 | | | 北朝鮮,潜水艦事件への謝罪発表 (朝鮮-) | | |
1997 | | | 2002年ワールドカップサッカー韓日共同開催決定 (朝鮮-) | | |
1997 | | | 金正日書記が,朝鮮労働党の総書記に就任 (朝鮮-) | | |
1997 | | | 大韓航空機爆破事件の犯人,金賢姫結婚 (朝鮮-) | | |
1997 | | | 北朝鮮高官黄長燁,韓国へ亡命 (朝鮮-) | | |
1997 | | | 北朝鮮日本人妻,第一次訪日 (朝鮮-) | | |
1998 | | | 韓国の現代グループ,北朝鮮の金剛山観光開始 (朝鮮-) | | |
1998 | | | 金正日,国家国防委員長に推戴.国家主席は金日成一人として廃止 (朝鮮-) | | |
1998 | | | 金大中大統領,日本大衆文化の段階的開放処置発令 (朝鮮-) | | |
1998 | | | 金大中大統領就任.対北韓包容政策表明 (朝鮮-) | | |
1998 | | | 北朝鮮の潜水艇,韓国東海岸で発見.乗組員全員死亡 (朝鮮-) | | |
1998 | | | 北朝鮮の東部沿岸からミサイル発射.日本上空を越え三陸沖に落下 (朝鮮-) | | |
1999 | | | ソウルで,南北両チームによる「統一バスケットボール競技」開催 (朝鮮-) | | |
1999 | | | 韓国西海の北方領海を北朝鮮警備艇が侵犯.韓国海軍と交戦となり退却 (朝鮮-) | | |
1999 | | | 世界陸上女子マラソンで,北朝鮮のチョン・ソンオク金メダル獲得.共和国英雄の称号授与 (朝鮮-) | | |
1999 | | | 南北労働者サッカー大会,平壌で開催 (朝鮮-) | | |
2000 | | | シドニー五輪の入場行進、統一旗を掲げアリランのメロディに合わせ南北選手団同時行進 (朝鮮-) | | |
2000 | | | 韓国と北朝鮮の離散家族200人、ソウルと平壌で相互に親族と再会 (朝鮮-) | | |
2000 | | | 韓国の金大中大統領,南北朝鮮の対話が評価され,ノーベル平和賞受賞 (朝鮮-) | | |
2000 | | | 南北朝鮮分断後初の首脳会談平壌で開催。金正日総書記イメージ変える (朝鮮-) | | |
2000 | | | 日本語歌謡曲全面解禁第一弾として、チャゲ&飛鳥コンサートソウル公演 (朝鮮-) | | |
2001 | | | DMZ内北朝鮮の哨所から韓国軍境界哨所に向かって銃撃。韓国軍が対応射撃 (朝鮮-) | | |
2001 | | | 金正男(金正日総書記の長男)の日本密入国騒動 (朝鮮-) | | |
2001 | | | 仁川国際空港が開港 (朝鮮-) | | |
2002 | | | サッカーW杯日韓同時開催。韓国4強進出 (朝鮮-) | | |
2002 | | | 釜山で開催のアジア大会に北朝鮮参加。北の美女軍団韓国男性を骨抜きにする (朝鮮-) | | |
2002 | | | 韓国第16代大統領に、新千年民主党(民主党)の盧武鉉(ノ・ムヒョン)候補が当選 (朝鮮-) | | |
2002 | | | 金正日総書記、日本の小泉総理と平壌で首脳会談、日本人拉致や不審船の行為を認める (朝鮮-) | | |
2002 | | | 西海・延坪(ヨンピョン)島西方海上で、南北海軍の間で交戦 (朝鮮-) | | |
2002 | | | 北朝鮮,IAEA査察団を国外退去,核施設稼動準備はじめる (朝鮮-) | | |
2002 | | | ★ サッカーのワールドカップ開催 (朝鮮-) | | |
2003 | | | 大邱地下鉄放火事件。死者約200人を数える惨劇になる。 (朝鮮-) | | |
2003 | | | 北朝鮮が核開発表明、日米中韓などで6カ国協議 (朝鮮-) | | |
2004 | | | 金正日総書記の夫人、高英姫が死亡 (朝鮮-) | | |
2004 | | | 国会が盧武鉉大統領に対する弾劾訴追可決。憲法裁判所、弾劾訴追を棄却 (朝鮮-) | | |
2004 | | | 平安北道、龍川駅で大規模爆発事故が発生 (朝鮮-) | | |
2005 | | | 韓国・黄禹錫(ファン・ウソク)教授、ES細胞論文ねつ造 (朝鮮-) | | |
2005 | | | 北朝鮮,核兵器製造・保有を公式に認める (朝鮮-) | | |
2006 | | | 北朝鮮,テポドン2を含むミサイル7発を発射。日本海に着弾 (朝鮮-) | | |
2006 | | | 北朝鮮,地下核実験を実施 (朝鮮-) | | |
2007 | | | 韓国第17代大統領選、李明博候補が圧勝。10年ぶりに右派執権へ移動 (朝鮮-) | | |
2007 | | | 京義線:開城工団行き南北貨物列車が56年ぶりに定期開通 (朝鮮-) | | |
2007 | | | 半世紀ぶりの南北縦断鉄道試運転 (朝鮮-) | | |
2007 | | | 盧武鉉大統領、歩いて軍事境界線を越え北韓入りし、金正日総書記と南北首脳会談 (朝鮮-) | | |
2008 | | | “韓国へ偽装脱北”北朝鮮の30代女スパイ摘発、軍部関係者も逮捕 (朝鮮-) | | |
2008 | | | 韓国の「国宝1号」崇礼門(南大門)、放火で焼失し廃墟と化す (朝鮮-) | | |
2008 | | | 金剛山で韓国人観光客が北側の軍境界線を越え銃撃され死亡 (朝鮮-) | | |
2009 | | | 北朝鮮、2006年に続いて2回目の地下核実験を実施 (朝鮮-) | | |
2009 | | | 北朝鮮,ミサイル発射。日本上空を通過し太平洋に落下 (朝鮮-) | | |
2009 | | | 盧武鉉前韓国大統領、親族の不正資金疑惑で批判を受けたことを苦に自殺 (朝鮮-) | | |
2010 | | | 韓国の哨戒艦が黄海上で沈没。多国籍調査チームが北韓潜水艦の魚雷攻撃に因ると発表 (朝鮮-) | | |
2010 | | | 軍事訓練中の韓国領延坪島へ北韓軍が砲撃。韓国軍も対応射撃を行う (朝鮮-) | | |
2010 | | | 北の後継者とみられる金正恩が人民軍大将、党中央軍事委員会副委員長に選任される (朝鮮-) | | |
2011 | | | 金正恩(28)が金正日の死去で空席となったポストの一つ朝鮮人民軍最高司令官に就任 (朝鮮-) | | |
2011 | | | 金正日(69)死去。現地指導中の急病によると発表されたが、平壌官邸での死亡説が有力 (朝鮮-) | | |
2012 | | | 韓国大統領選、朴槿恵(パククネ)(60)が勝利し、史上初の女性大統領に選出される (朝鮮-) | | |
2012 | | | 金正恩が国防委員会第一委員長に就任し、党・国家・軍の三権を握る最高指導者となる (朝鮮-) | | |
2012 | | | 金正恩は党の第一書記に推戴され、政治局常務委員・中央軍事委員会委員長にも就任 (朝鮮-) | | |
2012 | | | 北朝鮮、今年2回目の長距離ミサイル打ち上げ、物体(人工衛星?)を軌道投入に成功する (朝鮮-) | | |
2012 | | | 北朝鮮、人工衛星と称するミサイル打ち上げを実施するが、軌道投入に失敗 (朝鮮-) | | |
2012 | | | 李明博、韓国の歴代大統領として初めて竹島(独島)へ上陸 (朝鮮-) | | |
2013 | | | 韓米合同軍事演習を口実に北朝鮮が韓国人の開城工業団地出入りを統制、5か月間閉鎖となる (朝鮮-) | | |
2013 | | | 金正恩第1書記の叔父の、張成沢・国防委員会副委員長が公開処刑される (朝鮮-) | | |
2013 | | | 北朝鮮が3回目となる地下核実験を成功裏に実施したと発表 (朝鮮-) | | |