大韓帝国時代
朝鮮半島の歴史(朝鮮_) | |||||
1897 | 下関条約により清の属国から開放される←←←ココ重要!(朝鮮_よいこの正しい半島歴史年表) | ||||
1897 | 朝鮮が国号を韓と改める(朝鮮、韓_) | ||||
1897 | 大韓帝国の成立(皇帝独裁による国家的独立)(朝鮮、大韓帝国_) | ||||
1897 | 大韓帝国の設立.内外に自主国家であることを宣言(朝鮮、大韓帝国_) | ||||
1897 | 大韓帝国樹立(朝鮮、大韓帝国_) | ||||
1897 | 一方、弱体化してきた朝廷では王妃がロシアに近づき親露政策をとることになったが、これにより、王妃は朝鮮人と日本人の手で惨殺される。更に王は、これに恐怖を感じ、王権は、失墜する。朝鮮は日本とロシアとの勢力争いの場となってしまった。1897年、朝鮮は国号を大韓帝国と改称する。(朝鮮、大韓帝国_) | ||||
1897 | 国号を大韓帝国に改める(朝鮮、大韓帝国_) | ||||
1897 | 大韓帝国(1897~1910[日本の保護国の時期1905~1910])(朝鮮、大韓帝国_) | ||||
1897 | 大韓帝国樹立 一方、弱体化してきた朝廷では王妃がロシアに近づき親露政策をとることになったが、これにより、王妃は朝鮮人と日本人の手で惨殺される。更に王は、これに恐怖を感じ、王権は、失墜する。朝鮮は日本とロシアとの勢力争いの場となってしまった。1897年、朝鮮は国号を大韓帝国と改称する。 日清戦争(1894~1895)の清の敗北を受けて締結された下関条約により、朝鮮は清の冊封体制から離脱し、朝鮮国から大韓帝国と国号を改める(財政基盤の脆弱性により借款がうまくゆかず、各地で抗争が起きる) 大韓帝国成立一方、弱体化してきた朝廷では王妃がロシアに近づき親露政策をとることになったが、これにより、王妃は朝鮮人と日本人の手で惨殺される。更に王は、これに恐怖を感じ、王権は、失墜する。朝鮮は日本とロシアとの勢力争いの場となってしまった。日本はロシアの南進を防ぐべく、朝鮮半島の近代化を進めた 大韓帝国の設立.内外に自主国家であることを宣言http://www.0o0d.com/img/flags/16/Korean-Empire.png 国号を大韓帝国に改める&size(6){(朝鮮、大韓帝国_)}; | ||||
1897 | 大韓帝国の設立(朝鮮、大韓帝国_国史教科書) | ||||
1897 | 10. 大韓帝国成立。(朝鮮、大韓帝国、日本_日韓併合) | ||||
1897 | 05 | 08 | 渋沢栄一ら、米人モールスとの間に京仁鉄道敷設譲受契約書に調印。(朝鮮_) | ||
1897 | 10 | 12 | 朝鮮国号を大韓と改め、皇帝即位式を挙行。(朝鮮_) | ||
1897 | 12 | 24 | 孫秉煕、東学第三代教主となる。(朝鮮_) | ||
1898 | 釜下鉄道会社設立 独立協会,万民共同会開催.ロシアの侵略策動を糾弾し自主国権運動展開 1898独立教会、官民共同会を開き国政改革を求めるも、土地改革構想を提示しえず、農民層を陣営に取り込めず失敗し、守旧派の弾圧を受け解散する 万民共同会開催「皇城新聞」創刊朝鮮は国号を大韓帝国と改称する。閔妃を明成皇后に祭り上げる。親露派が親日派を圧倒。 大院君、死去。(朝鮮、大韓帝国_) | ||||
1898 | 万民共同会開催(朝鮮、大韓帝国_国史教科書) | ||||
1898 | 4. 西・ロ-ゼソ協定調印。米西戦争おこる。7. 量田事業開始。9. 金鵄陸ら、皇帝・皇太子殺害を計画(毒茶事件)。10. 官民共同会開催。11. 独立協会に解散命令。(朝鮮、大韓帝国、日本_日韓併合) | ||||
1898 | 02 | 09 | 独立協会主催の万民共同会、朝鮮に対するロシアの進出を糾弾。(朝鮮_) | ||
1898 | 02 | 22 | 大院君没(朝鮮_) | ||
1898 | 4 | 朝鮮の主権を日露両国確認。(朝鮮、日本、ロシア_) | |||
1898 | 04 | 25 | 日露両国、朝鮮問題に関する議定書調印(西・ローゼン協定)(朝鮮_) | ||
1898 | 09 | 08 | 韓国と京釜鉄道敷設に関する京釜鉄道合同条約調印。(朝鮮_) | ||
1898 | 10 | 24 | 負褓商ら独立協会に対抗して皇国協会を結成。(朝鮮_) | ||
1899 | 1899年京仁線開通 外国人の手により京仁線開通. 利運社,通運社などの陸運会社設立(朝鮮、大韓帝国_) | ||||
1899 | 京仁線開通(朝鮮、大韓帝国_国史教科書) | ||||
1899 | 9. 韓清通商条約調印。12. 「独立新聞」発刊。(朝鮮、大韓帝国、日本_日韓併合) | ||||
1899 | 05 | 15 | 京仁鉄道設立(朝鮮_) | ||
1899 | 11 | 12 | 京仁鉄道開通(朝鮮_) | ||
1900 | しかし、19世紀に入ると東アジアでは激動の時代となります。アヘン戦争などによる清の国力低下。フランスやアメリカも朝鮮を狙い始め、また日本も朝鮮に国交を強く要求します。しかし、朝鮮は清による冊封体制の下にあることを理由に日本との国交を拒否し、日本と朝鮮との間では対立が激しくなっていくのです。(朝鮮、日本、大韓帝国、アメリカ、フランス_) | ||||
1900 | 韓国の歴史http://www.0o0d.com/img/flags/16/Korean-Empire.png&size(6){(朝鮮、大韓帝国_)}; | ||||
1900 | 1900京仁鉄道の開通 1900年(明治33年)日英露独墺伊仏英、八ヶ国連合軍出兵。 1900年、漢江に1100mの鉄橋を架ける。 1900年4月露清密約、満州全域に露軍駐留。 大韓共同郵船会社,仁川輪船株式会社,海西鉄鉱会社設立 万国郵便連合加入(朝鮮、大韓帝国_) | ||||
1900 | 万国郵便連合加入(朝鮮、大韓帝国_国史教科書) | ||||
1900 | 6. 義和団事件。11. 満州に関する露清協定締結。(朝鮮、大韓帝国、日本_日韓併合) | ||||
1900 | 07 | 08 | 京仁鉄道開業(朝鮮_) | ||
1901 | 1901貨幣条令を公布し、金本位制を採用 1901年北京議定書(日本は駐留権)(朝鮮、大韓帝国_) | ||||
1901 | 6. 桂太郎内閣成立、政綱に韓国保護国化を掲げる。10. 朴斉純外相来日、中立化案を打診。(朝鮮、大韓帝国、日本_日韓併合) | ||||
1901 | 02 | 12 | 朝鮮、金本位貨幣法制定(朝鮮_) | ||
1902 | 1902(日英同盟の締結)、日本の第一銀行、朝鮮国内で銀行券を発行(朝鮮、大韓帝国_) | ||||
1902 | ソウル・仁川間長距離電話開通 日英同盟成立 1902(日英同盟の締結)、日本の第一銀行、朝鮮国内で銀行券を発行 1902年1月30日桂太郎首相、ロシアに満韓交換論を提示。(朝鮮、大韓帝国_) | ||||
1902 | 日英同盟成立1902(朝鮮、大韓帝国_) | ||||
1902 | ソウル・仁川間に長距離電話開通(朝鮮、大韓帝国_国史教科書) | ||||
1902 | 1. 第1回日英同盟協約調印。(朝鮮、大韓帝国、日本_日韓併合) | ||||
1902 | 05 | 20 | 第一銀行、韓国釜山支店で銀行券発行(続いて仁川・京城支店で発行)(朝鮮_) | ||
1903 | ロシア朝鮮半島を南下。日本の尽力によりロシアの属国化を回避(朝鮮_よいこの正しい半島歴史年表) | ||||
1903 | YMCA発足(朝鮮、大韓帝国_) | ||||
1903 | 遂安金鉱合資会社設立(朝鮮、大韓帝国_) | ||||
1903 | YMCA発足(朝鮮、大韓帝国_国史教科書) | ||||
1903 | 8. 日本政府、日露協商基礎条項提示。ロシア、極東総督府設置。駐日公使高永喜、戦時局外中立の承認を求める韓帝密書を小村外相に手交。韓帝、中立承認を各国に打診。9. 「皇城新聞」に「満韓交換の風説を破る」掲載。小村=ローゼン会談開始(30日、両者間に日露協商確定修正案まとまる)。12. 閣議、日露開戦時の対清韓方針決定。(朝鮮、大韓帝国、日本_日韓併合) | ||||
1903 | 02 | 05 | 漢城府尹、第一銀行券の流通を禁止。(朝鮮_) | ||
1904 | 日露戦争勃発。日本側の勝利に終る。翌年、第二次日韓協約締結。日本の一連の責任者伊藤博文は、朝鮮の保護国化を推進し、日本政府の早期併合論に反対を唱えていた。しかし、1909年朝鮮の民族主義運動であった安重根(???)によって暗殺されるや、決定的に韓国併合に進んで行った。(朝鮮、大韓帝国_) | ||||
1904 | 1904.02.09日露戦争の始まり、日本、ソウルを制圧し、日韓議定書の調印(朝鮮の内政干渉、軍の駐留権、土地収容権などの確保)(朝鮮、大韓帝国_) | ||||
1904 | 1904.08.22第一次日韓協約の締結、(日本人による財政顧問・外交顧問の登用、外交交渉における日本政府の事前協議など)(朝鮮、大韓帝国_) | ||||
1904 | 1904.02.08日英同盟締結。日露戦争勃発。高宗、中立宣言。日本側の勝利に終る。日韓議定書、韓国内での日本の軍事行動の自由を保障。翌年、第二次日韓協約締結。日本の一連の責任者伊藤博文は、朝鮮の保護国化を推進し、日本政府の早期併合論に反対を唱えていた。しかし、1909年朝鮮の民族主義運動であった安重根によって暗殺されるや、決定的に韓国併合に進んで行った。(朝鮮、大韓帝国_) | ||||
1904 | 1904年8月23日第一次日韓協約を結ぶ。韓国財政、外交顧問に日本の推薦者を置く。外交案件は事前にに日本と協議。(朝鮮、大韓帝国_) | ||||
1904 | 1904年京釜線竣工(朝鮮、大韓帝国_) | ||||
1904 | 1904年一進会は日韓合邦運動を開始。(朝鮮、大韓帝国_) | ||||
1904 | 日露戦争が起こる1904(朝鮮、大韓帝国_) | ||||
1904 | 韓日議定書締結.日本による顧問政治始まる(朝鮮、大韓帝国_) | ||||
1904 | 京釜線竣工(朝鮮、大韓帝国_) | ||||
1904 | 親日御用団体,一進会設立.日本の政策を支持する運動を展開(朝鮮、大韓帝国_) | ||||
1904 | 第一次日韓協約締結(朝鮮、大韓帝国_) | ||||
1904 | 日露戦争(~1905)が起こる。 第一次日露協約調印。(朝鮮、大韓帝国_) | ||||
1904 | 韓日議定書を締結(朝鮮、大韓帝国_国史教科書) | ||||
1904 | 京釜線竣工(朝鮮、大韓帝国_国史教科書) | ||||
1904 | 1. 林公使・李址鎔外相聞に日韓議定書案まとまる。韓国政府、局外中立宣言。 2.4. 御前会議、対露開戦決定 2.8.~9. 臨時派遣隊仁川上陸、仁川沖・旅順口でロシア艦を攻撃 2.10. 宣戦布告 2.12. 清国局外中立宣言 2.23. 日韓議定書調印 3. 韓国駐剳軍司令部設置。伊藤博文特派大使漢城入京。5. 鴨緑江渡河作戦、九連城占領。朝露修好通商条約廃棄。閣議、対韓施設綱領決定。7. 駐剳軍司令官軍律制定。「大韓毎日申報」発刊。8. 一進会結成。第1次日韓協約調印(10. 目賀田種太郎財政顧問、12. スティ-ヴンス外交顧問着任)。9. 遼陽占領。京畿道始興・黄海道谷山で民擾。10. 咸鏡道に軍政施行。沙河会戦。(朝鮮、大韓帝国、日本_日韓併合) | ||||
1904 | 01 | 20 | 韓国政府、日露両国に対して中立を宣言。(朝鮮_) | ||
1904 | 02 | 08 | 陸軍部隊、仁川上陸。連合艦隊、旅順港外の露艦隊を攻撃。(朝鮮_) | ||
1904 | 02 | 09 | 仁川の露艦2隻を撃破。(朝鮮_) | ||
1904 | 02 | 10 | 宣戦布告(日露戦争)(朝鮮_) | ||
1904 | 02 | 23 | 日韓議定書調印(朝鮮_) | ||
1904 | 02 | 24 | 第一次旅順口閉塞作戦実施(3/27第二次 5/3第三次作戦実施)(朝鮮_) | ||
1904 | 04 | 01 | 韓国通信事業の日本への移管協定締結。(朝鮮_) | ||
1904 | 05 | 01 | 第一軍、鴨緑江を渡り九連城を占領。(朝鮮_) | ||
1904 | 08 | 22 | 日韓協約(第一次)調印(朝鮮_) | ||
1905 | 1905年~1945年:日本(保護国、併合)(朝鮮_よいこの正しい半島歴史年表) | ||||
1905 | 日本の保護国の時期1905~1910(朝鮮、大韓帝国_) | ||||
1905 | 1905.07高宗のロシア帝国への密使が発覚する、桂・タフト協定(朝鮮、大韓帝国_) | ||||
1905 | 1905.08(第二回日英同盟の締結)(朝鮮、大韓帝国_) | ||||
1905 | 1905.11.17第二次日韓協約の締結(日本の保護国となる)(朝鮮、大韓帝国_) | ||||
1905 | 1905.11.17第二次日韓協約を結ぶ。韓国は外交権を日本に譲渡、日本の保護国となる。(朝鮮、大韓帝国_) | ||||
1905 | 1905年7月高宗のロシア帝国への密使が発覚する。(朝鮮、大韓帝国_) | ||||
1905 | 1905年8月日英同盟改定。イギリスが日本の韓国保護国化を承認。(朝鮮、大韓帝国、イギリス、日本_) | ||||
1905 | 1905年乙巳条線(朝鮮、大韓帝国_) | ||||
1905 | 1905年ポーツマス条約日本の韓国における優越権を認める。日露両軍を満州から撤退する。(朝鮮、大韓帝国_) | ||||
1905 | 日露講和条約(ポーツマス条約)締結1905(朝鮮、大韓帝国_) | ||||
1905 | 保護条約、乙巳条約(第2次日韓協約)調印(朝鮮、大韓帝国_) | ||||
1905 | 関釜連絡船航路就航.現在,関釜フェリーとして運行(朝鮮、大韓帝国_) | ||||
1905 | 第二次日韓協約(乙巳条約).日本の強制的な保護条約(朝鮮、大韓帝国_) | ||||
1905 | 第二次日韓協約調印(朝鮮、大韓帝国_) | ||||
1905 | 東学の第3代教主孫秉熙,天道教創始(朝鮮、大韓帝国_) | ||||
1905 | 日本,竹島(独島)の占有権を公示(朝鮮、大韓帝国_) | ||||
1905 | 乙巳条約(朝鮮、大韓帝国_国史教科書) | ||||
1905 | 天道教創立(朝鮮、大韓帝国_国史教科書) | ||||
1905 | 1. 旅順開城。駐剳軍司令官、漢城地区の治安警察権を掌握(4. 全州地区も)。日本貨幣の韓国内流通公認。第一銀行、韓国政府と国庫金取り扱い、貨幣整理事業委託契約(中央銀行化)。3. 奉天会戦。4. 閣議、韓国保護権確立方針決定。5. イギリス外相、日英攻守同盟を提案。日本海海戦。6. アメリカ大統領、日露両国に講和勧告、両国政府承諾。7. 桂・タフト協定成立。8. 日露講和会議(10日交渉開始、29日講和成立)。第2回日英同盟協約調印。8.9. 露講和条約(ポーツマス条約)調印。小村全権、韓国保護国化にっきアメリカ大統領の了解をうる。10. 朴斉純外相、新日英同盟の条約違反を駐韓日英公使に抗議。日本閣議、韓国保護権確立実行を決定。11. 伊藤博文を特派大使として韓国派遣(15日、韓帝に保護国承認を強要)。第2次日韓協約(乙巳条約)強制調印(17日)。保護条約反対の義兵闘争おこる。ハルバート、韓帝のアメリカ大統領あて親書を携えアメリカ国務長官に調停依頼。12. 韓国統監府および理事庁官制公布、統監に伊藤博文任命。(朝鮮、大韓帝国、日本_日韓併合) | ||||
1905 | 1905.07.29 桂・タフト協定。 アメリカが日本の韓国保護国化を承認。 フィリピンにはアメリカ合衆国が影響力を持つと、相互に認め合う。(朝鮮、大韓帝国、イギリス、日本_) | ||||
1905 | 01 | 01 | 京釜鉄道、全線開通。(朝鮮_) | ||
1905 | 7 | 桂・タフト協定。(朝鮮、大韓帝国、アメリカ、日本_) | |||
1905 | 7 | 29 | 桂・タフト協定 首相:桂太郎とタフト(アメリカ)による協定。日本はアメリカのフィリピン支配権を認める。アメリカは日本の大韓帝国支配権を認める。(朝鮮、大韓帝国、アメリカ、日本_) | ||
1905 | 9 | 日露講和条約(ポーツマス条約)、注:それぞれにフィリピンとインドに対する支配を承認することを引き換えに、朝鮮に対する保護権確立を米・英・露に認めさせた(朝鮮、大韓帝国_) | |||
1906 | 日本、統監府を設置(朝鮮、大韓帝国_) | ||||
1906 | 1906.02韓国統監府の設置(統監に伊藤博文が赴任)(朝鮮、大韓帝国_) | ||||
1906 | 1906年漢城に韓国統監府設置。初代統監に伊藤博文。(朝鮮、大韓帝国_) | ||||
1906 | 大韓自強会結成.愛国運動開始(朝鮮、大韓帝国_) | ||||
1906 | 統監府設置.日本人次官が韓国内政全般を取り仕切る(朝鮮、大韓帝国_) | ||||
1906 | 日本、韓国統監府を設置(朝鮮、大韓帝国_) | ||||
1906 | 統監府設置(朝鮮、大韓帝国_国史教科書) | ||||
1906 | 1. 韓帝、イギリス人ストーリー記者を通じて国書を列国に送り、共同保護を要望。2. 韓国統監府開庁。3. 興業借款1000万円供与。5. 閔宗植、藍浦で挙兵、洪州を占領するも日本軍と交戦して敗退(11月逮捕される)。6. 崔益鉉、泰仁で挙兵、捕えられ1907年1. 対馬で獄死。梅謙次郎、韓国政府法律顧問となる(法典編纂)。8. 関東都督府官制公布。三七忠造、韓国政府学部参与官となる(教科書編纂)。9. 日本人参与官を朝鮮各地方に配置。10. 鴨緑江・豆満江森林経営に関する協同約款調印。内田良平、一進会顧問となる。11. 満州鉄道会社設立。12. ロシア外相、日露協商を示唆。(朝鮮、大韓帝国、日本_日韓併合) | ||||
1906 | 2 | 韓国統監府開庁。(朝鮮_) | |||
1906 | 02 | 01 | 韓国統監府開庁。(朝鮮_) | ||
1906 | 02 | 09 | 韓国駐箚の日本憲兵、行政警察・司法警察を兼任。(朝鮮_) | ||
1906 | 03 | 朝鮮で抗日の義兵、各地で蜂起。(朝鮮_) | |||
1906 | 03 | 01 | 韓国向け三栄綿布輸出組合結成。(朝鮮_) | ||
1906 | 03 | 31 | 京釜鉄道買収法公布。(朝鮮_) | ||
1906 | 04 | 01 | 京漢線、全面開通。(朝鮮_) | ||
1906 | 08 | 01 | 韓国駐箚軍司令部条例公布。(朝鮮_) | ||
2. ロシア外相、日露協商案を提示。5. 李完用内閣成立。6. 第2回万国平和会議に保護条約無効を訴える韓帝の密使3人、パーク着。7. 韓帝の各国元首あて親書(常設仲裁裁判所へ保護条約無効提訴につき協力を要請)を携えたハルバート、ニューヨーク着。対韓強硬の世論高まる。閣議、韓帝譲位などの処理方針決定。高宗譲位詔勅発布、純宗即位。第3次日韓協約(丁未7条約)調印(24日)。第1回日露協約調印。韓国軍隊解散の詔勅発布。8. 改元、純宗即位式。原州鎮衛隊・江華島分遣隊など軍隊解散に反対し蜂起、丁未義兵闘争おこる。李麟栄ら義兵決起(12月楊州に1万人集結、上京をめざす。(朝鮮、大韓帝国、日本_日韓併合) | |||||
1907 | 1907.04~愛国啓蒙運動の活動が起こる、国債報償運動(日本からの借款を募金により返済すると云う)が起こる(朝鮮、大韓帝国_) | ||||
1907 | 1907.06高宗によるハーグ密使事件(オランダのハーグで開催された第二回万国平和会議の失敗)(朝鮮、大韓帝国、日本_) | ||||
1907 | 1907年国債報償運動(朝鮮、大韓帝国_) | ||||
1907 | 1907年6月ハーグ密使事件。オランダのハーグで開かれた第2回ハーグ平和会議に朝鮮(大韓帝国)の高宗皇帝が密使を送る。この事件で統監伊藤博文は皇帝に抗議。(朝鮮、大韓帝国、日本_) | ||||
1907 | 1907年7月19日高宗皇帝、息子の純宗に譲位。(朝鮮、大韓帝国_) | ||||
1907 | 1907年7月第三次日韓協約。内政権が日本の管轄下に入る。(朝鮮、大韓帝国_) | ||||
1907 | 1907年8月1日韓国軍の解散が定められる。(朝鮮、大韓帝国_) | ||||
1907 | ハーグ特使派遣.日本との条約無効を国内外に宣言しようとしたが失敗(朝鮮、大韓帝国_) | ||||
1907 | ハーグ密使事件、高宗退位 第三次日韓協約調印(朝鮮、大韓帝国、日本_) | ||||
1907 | 安昌浩,新民会設立.多様な反日活動を続ける(朝鮮、大韓帝国_) | ||||
1907 | 高宗皇帝退位.純宗王位に就く(朝鮮、大韓帝国_) | ||||
1907 | 国債報償運動(朝鮮、大韓帝国_) | ||||
1907 | 朝鮮軍隊解散(朝鮮、大韓帝国_) | ||||
1907 | 日本,保安法,新聞紙法などの弾圧法規により啓蒙運動を圧迫(朝鮮、大韓帝国_) | ||||
1907 | 国債報償運動 | ||||
1907 | ハーグ特使派遣(朝鮮、大韓帝国_国史教科書) | ||||
1907 | 高宗皇帝退位(朝鮮、大韓帝国_国史教科書) | ||||
1907 | 軍隊解散(朝鮮、大韓帝国_国史教科書) | ||||
1907 | 新民会設立(朝鮮、大韓帝国_国史教科書) | ||||
1907 | -07-18 ハーグ密使事件の影響で高宗が退位する(朝鮮、大韓帝国、日本_) | ||||
1907 | ハーグ密使事件 大韓帝国がハーグ(オランダ)で開催される万国平和会議に密使を送る。日韓協約は無効と訴えたが、欧米諸国には全く相手にされずに逆に日本へ通報される。(朝鮮、大韓帝国、日本_) | ||||
1907 | 日本と国交回復(朝鮮、大韓帝国_) | ||||
1907 | この年から翌年にかけて、朝鮮の抗日義兵闘争激化(朝鮮_) | ||||
1907 | 06 | 15 | 第二回ハーグ国際会議開催(~10/18)韓国皇帝高宗、同会議に密使を送り日韓協約の無効を訴える。(朝鮮_) | ||
1907 | 7 | 高宗が退位し、純宗が即位、第三次日韓協約の締結(内政権の日本管轄、一大隊を残して韓国軍の解体)(朝鮮、大韓帝国_) | |||
1907 | 7 | ハーグ密使事件。(朝鮮、大韓帝国、日本_) | |||
1907 | 7 | 第三次日韓協約。(朝鮮、日本_) | |||
1907 | 7 | ハーグ密使事件。(朝鮮、大韓帝国、日本_) | |||
1907 | 07 | 03 | 伊藤韓国統監、ハーグ平和会議への密使派遣で韓国皇帝の責任追及。(朝鮮_) | ||
1907 | 07 | 19 | 皇帝譲位。(朝鮮_) | ||
1907 | 07 | 24 | 第三次日韓協約調印(韓国の内政全般を掌握)(朝鮮_) | ||
1907 | 8 | 抗日義兵抗争(~1915)(朝鮮、大韓帝国_) | |||
1907 | 08 | 01 | 京城で韓国軍隊解散式。一部韓国軍、日本軍と衝突、反乱全土に拡大(義兵運動)(朝鮮_) | ||
1908 | 義兵,ソウル近郊まて進行,日本軍の反撃で撤退(朝鮮、大韓帝国_) | ||||
1908 | 義兵、ソウル進攻作戦(朝鮮、大韓帝国_国史教科書) | ||||
1908 | 1. 裁判所構成法施行。3. 韓国施政改善に1968万円無利子貸し付け。元外交顧問スティーブンス、サンフランシスコで田明雲らに射殺される。6. 韓国人憲兵補助員制度創設。「大韓毎日中報」のベセル、イギリス領事裁判で禁固処分を受ける。李完用内閣改造。宗秉峻内相となる(1909年2. 辞任)。9. 閣議、満洲に関する交渉方針決定。10日韓漁業協定調印。12. 東洋拓植会社設立。日本興業銀行、起業資金1296万円借款契約。日本政府、起業公債100万円借款契約。(朝鮮、大韓帝国、日本_日韓併合) | ||||
1909 | 安重根が伊藤博文を殺害(朝鮮、大韓帝国_) | ||||
1909 | 1909.09韓国銀行の設立(朝鮮、大韓帝国_) | ||||
1909 | 1909.10統監伊藤博文がハルビン駅にて、愛国啓蒙運動の義兵(安重根)に暗殺される、朝鮮と清の国境が定まる(間島協約)(朝鮮、大韓帝国_) | ||||
1909 | 1909年12月4日一進会は韓国皇帝・曾禰荒助統監・李完用総理大臣に対して、日韓合邦に関する上奏文と請願書を提出し、合邦声明書を国民に配布。(朝鮮、大韓帝国_) | ||||
1909 | 1909年安重根義士の義挙(朝鮮、大韓帝国_) | ||||
1909 | 1909年韓国統監府初代統監伊藤博文がハルビン駅にて安重根により暗殺される。 伊藤博文「俺を撃ったりして、馬鹿な奴だ。」 朝鮮と清の国境が定まる(間島協約)。(朝鮮、大韓帝国_) | ||||
1909 | 安重根,ハルピン駅で伊藤博文射殺.翌年旅順で処刑http://www.0o0d.com/img/flags/16/Korean-Empire.png&size(6){(朝鮮、大韓帝国_)}; | ||||
1909 | 安重根がハルピン駅で伊藤博文を射殺(朝鮮、大韓帝国_) | ||||
1909 | 日本,安奉線の鉄道敷設権を手に入れるため,清と間島を交換(朝鮮、大韓帝国_) | ||||
1909 | 日本、清と間島を安奉線と交換(朝鮮、大韓帝国_国史教科書) | ||||
1909 | 安重根、伊藤博文処断(朝鮮、大韓帝国_国史教科書) | ||||
1909 | 羅喆、大?教創始(朝鮮、大韓帝国_国史教科書) | ||||
1909 | 1. 韓帝地方巡幸、伊藤統監陪従(~2月)。2. 大竹貫一代議士、統監政治批判演説。4. 伊藤統監、韓国併合に同意、桂首相・小村外相と実施方針協議。6. 伊藤統監辞任、曽禰荒助統監就任。7. 閣議、韓国併合方針決定。韓国司法・監獄事務委託に関する日韓覚書調印(法部廃止)。韓国中央銀行に関する日韓覚書調印。軍部廃止。9日本軍、全羅南道方面の義兵「討伐」作戦開始。満州5案件に関する日清協約調印。10. 伊藤博文、ハルビンで安重根に射殺される。12. 一進会、皇帝・統監に「韓日合邦」上奏文・上申書提出(却下される)。大韓協会など、一進会非難・併合反対運動を展開。李完用、李在明に刺され負傷。(朝鮮、大韓帝国、日本_日韓併合) | ||||
1909 | 6. 李麟栄捕えられ処刑)。間島に統監府派出所開設(清国、撤去を要求)。10. 警察事務執行に関する取極書調印(警察合併)。11. 純宗、昌徳宮へ遷る。(朝鮮、大韓帝国、日本_日韓併合) | ||||
1909 | 6 | 伊藤博文、ハルビン駅頭で朝鮮人安重根に射殺される。(朝鮮、日本_) | |||
1909 | 06 | 14 | 韓国統監伊藤博文辞任し、副統監會禰荒助を統監に任命。(朝鮮_) | ||
1909 | 7 | 閣議は韓国併合方針を決定。(朝鮮、日本_) | |||
1909 | 07 | 09 | 閣議、韓国併合の方針を決定。(朝鮮_) | ||
1909 | 09 | 04 | 間島に関する協約・満州5案件(鉄道敷設・炭鉱採掘権など)に関する協約締結(朝鮮_) | ||
1909 | 10 | 24 | 伊藤博文(69)、ハルピンで暗殺。(朝鮮_) | ||
1909 | 10 | 29 | 韓国銀行設立。(朝鮮_) | ||
1909 | 12 | 04 | 韓国一進会、日韓合邦に関する上奏書を韓国皇帝に提出、却下される。(朝鮮_) | ||
1910 | 日本帝国の植民地時代(日帝時代)[1910~1945年](朝鮮_) | ||||
1910 | 1910韓国併合(朝鮮、大韓帝国、日本_) | ||||
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1910 | 韓国併合・日帝時代(1910ー1945) 日本統治時代(日帝強占期)1876年、朝鮮王朝は日本から門戸を開放するよう強要され、1910年に日本により併合されました。そして、1945年に日本が降伏するまでの間、韓国は日本の統治を受け続けました。(朝鮮、日本_) | ||||
1910 | 1910合邦条約を締結。一進会の李容九、宋秉畯などが併合に関する各種の請願書や声明文を発表。(朝鮮_) | ||||
1910 | 1910日韓併合条約を締結し、大韓帝国(現在の韓国と北朝鮮)が日本に併合され大韓帝国は消滅し、日韓併合条約により日本は朝鮮半島を領有することになる。いわゆる日帝時代、日本は全朝鮮を統治する朝鮮総督府を設置した。文盲率90%(朝鮮、日本_) | ||||
1910 | 1910.08.28(明治42年)日本側から韓国政府へ「条約案」を提示。(朝鮮、日本_) | ||||
1910 | 1910.03土地調査事業の推進(土地所有権・地価・地形など)国有地は東洋拓殖株式会社などの日本人地主に多く払い下げられる終了した時点(1918)では水田65%、畑43%が小作地となり農民の77%が小作農・自作農となる1910年代には、本格的な産業政策の展開が見られなかったので、土地を失った農民は中国国境の豆満江・鴨緑江を越えた間島(現、延辺朝鮮族自治州など)に毎年2~3万人の移住が続き、40万人近い朝鮮人が在住していた1920年代には、日本に4万人程度、またロシア領沿海州・中国・アメリカなどに移民(朝鮮_) | ||||
1910 | 1910.07憲兵警察制度の発足集会取締り令の公布(政治結社・報道の規制)(朝鮮_) | ||||
1910 | 1910.08日韓併合条約の締結(大日本帝国に併合され、京城に朝鮮総督府の設置)(朝鮮_) | ||||
1910 | 1910.08.22李完用総理大臣と寺内正毅統監との間で「韓国併合に関す条約」が締結。(朝鮮、日本_) | ||||
1910 | 1910.08.08「条約案」が韓国閣議を通過。(朝鮮、日本_) | ||||
1910 | 日韓併合 日本はロシアの南進を防ぐべく、朝鮮半島の近代化を進めた | ||||
1910 | 日韓併合(朝鮮、日本_) | ||||
1910 | 併合10年後旧一進会会員から同会の顧問だった日本側リーダーの杉山茂丸に対して、「併合の結果は日韓国民の聞に著しい差別をもたらすものであり、無差別平等の対等合邦ではなかった」と、その責任を問う問責状が送付されている。(朝鮮、日本_) | ||||
1910 | 併合後李容九は「日本にだまされた」と述べたと伝えられる。(朝鮮_) | ||||
1910 | 併合直後一進会は他の団体とともに解散を命じられた。(朝鮮_) | ||||
1910 | 韓国併合(朝鮮、日本_) | ||||
1910 | *1910年日韓併合条約締結。韓国は朝鮮と改称され、日本の | ||||
1910 | 「韓国併合に関する条約」調印。日韓併合。朝鮮総督府設置(朝鮮、日本_) | ||||
1910 | 「東医宝鑑」完成(朝鮮_) | ||||
1910 | 1910年日帝の国権侵奪(朝鮮_) | ||||
1910 | 会社令発令.朝鮮人会社の設立を抑制(朝鮮_) | ||||
1910 | 大韓帝国(現在の韓国と北朝鮮)が日本に併合され大韓帝国は消滅し、日韓併合条約により日本は朝鮮半島を領有することになる。 | ||||
1910 | 日韓併合条約調印(朝鮮_) | ||||
1910 | 国権剥奪(朝鮮_国史教科書) | ||||
1910 | 韓国併合の歴史日清戦争では、清に朝鮮の独立を認めさせ、 | ||||
1910 | 2. 小村外相、在外使臣に韓国併合方針を伝え、各国の反応を打診。3. 安重根、旅順で処刑。5. 寺内正毅を陸相のまま統監に任命(7月23日着任)。6. 閣議、併合後の韓国施政方針決定。韓国警察事務委託に関する日韓覚書調印(憲兵警察制)。7. 第2回日露協約調印。閣議、併合条約案等を決定。8日本政府、イギリスにたいし、併合後の関税据え置きを表明。寺内統監、李完用首相に併合に関する覚書を手交(16日)、韓国閣議で併合条約調印を了承(18日)。枢密院会議、併合条約案を可決(22日)。韓国併合に関する条約調印(22日)。公布(29日)、即日施行。韓国併合に関する宣言発表(29日)。9. 朝鮮総督府官制公布。11. 喜田貞吉述『韓国の併合と国史』刊行。(朝鮮、大韓帝国、日本_日韓併合) | ||||
1910 | 06 | 03 | 閣議、併合後の韓国に対する施政方針を決定。(朝鮮_) | ||
1910 | 8 | 日韓併合(韓国併合に関する日韓条約)。朝鮮総督府設置、初代総督寺内正毅。(朝鮮、日本_) | |||
1910 | 8 | 22 | 「日韓併合条約」調印。(日本、朝鮮_) | ||
1910 | 8 | 22 | 日韓併合調印(台湾、朝鮮、日本_) | ||
1910 | 08 | 22 | 韓国併合に関する日韓条約調印(/29公布施行)(朝鮮_) | ||
1910 | 08 | 29 | 韓国の国号を朝鮮と改め、朝鮮総督府をおく旨公布。朝鮮貴族令公布、朝鮮に施行すべき法令に関する件公布。(朝鮮_) | ||
1910 | 09 | 12 | 韓国統監府、朝鮮の全政治結社解散の方針により一進会を解散。朝鮮駐箚憲兵条例公布、(朝鮮_) | ||
1910 | 09 | 30 | 朝鮮総督府官制(総督は陸海軍大将)公布。朝鮮総督府臨時土地調査局官制公布(土地調査事業の本格的開始)(朝鮮_) | ||
1910 | 10 | 01 | 韓国統監寺内正毅を初代朝鮮総督に任命(陸相兼任)(朝鮮_) |