阿部正精

阿部正精

あべ まさきよ
 安永3年(1774)~文政9年(1826)

別:
対馬守
備中守
従四位下
侍従
1803-1826 備後福山藩五代藩主
1804-1817 奏者番
1804-1608 寺社奉行
1810-1817 寺社奉行
1817-1823 老中
父:
備後福山藩四代藩主 阿部正倫三男
母:
継室津軽信寧の娘
室:
正室:鍬(父:常陸土浦藩三代藩主 土屋篤直)
継室:鍠(父:伊予西条藩六代藩主 松平頼謙)
側室:井出氏
側室:高野貝美子
子:
1809-1870 阿部正寧
1795-1836 阿部正粹
1819-1857 阿部正弘
  • 1832 純(下野宇都宮藩四代藩主 戸田忠温室)
  • 1863 孝(遠江浜松藩初代藩主 井上正春および肥前島原藩三代藩主 松平忠侯室)
    1821-1866 鈊(下総関宿藩六代藩主 久世広周室)

9代
家督・享和3年(1803)相続
文化14年(1817)老中に進む
文政6年(1823)老中を辞任
従四位下侍従兼備中守
正室・土浦藩土屋篤直の娘
継室・伊予西条藩松平頼謙の娘
子女・正粹(まさただ 廃嫡、正室は平戸藩松浦清の娘、子女に女子→吉田藩松平信宝室、正耆→白河藩阿部正定養子) 
女子→宇都宮藩戸田忠温室
女子→浜松藩井上正春室、離縁後に島原藩松平忠侯室 10代正寧 女子→関宿藩久世広周室
正弘(正寧養子、11代)
生没年:1775-1826


【福山城博物館より】
阿部家 5代藩主 阿部正精
藩主在任期間

1803年(享和3年)~1826年(文政9年)
生没年

1774年(安永3年)~1826年(文政9年)

前藩主正倫の3男として1774年(安永3年)に江戸で生まれ、1788年(天明8年)従五位下備中守(じゅごいのげびっちゅのかみ)、1793年(寛政5年)対馬守(つしまのかみ)、同年主計頭(かずえのかみ)、1803年(享和3年)、30歳の壮年で襲封した。彼もまた父祖と同じく幕閣への道を歩みはじめ、1804年(文化元年)に奏者番、1806年(文化3年)寺社奉行兼任、そして1817年(文化14年)45歳で老中に任ぜられる。1823年(文政6年)病気のため老中を退任するが幕閣歴任21年の内、通算19年間も重職にあった。
正精の藩政に対する基本方針は先代正倫の政策の継承、つまりは藩財政の再建に重点が置かれており、中でも農村対策が挙げられる。1805年(文化2年)府中市の社倉や深津郡の宝講とともに、豪農商層が農村荒廃を救済するための全藩的機関である福山藩義倉を設立している。



阿部正倫━━━阿部正精━┳━阿部正寧
            ┣━阿部正粹
            ┣━阿部正弘
            ┣━純(下野宇都宮藩四代藩主 戸田忠温室)
            ┣━孝(遠江浜松藩初代藩主 井上正春および肥前島原藩三代藩主 松平忠侯室)
            ┗━鈊(下総関宿藩六代藩主 久世広周室)


阿部家(福山藩)


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