唐辛子の歴史

日本と韓国の唐辛子の使い方
皆さんは「唐辛子」を普段どんな料理にどのくらい使いますか?
「七味唐辛子」をうどんやソバにかける?煮物や漬物に「鷹の爪」がはいってた。
「マーボー豆腐」の辛さは唐辛子?パスタやピザに「タバスコ」をかける。
「明太子」は結構すきかも。・・・・・
私の思いつくのはこんな程度です。日本人は九州、沖縄地方(明太子)以外は
唐辛子に「ピリ辛」や「彩りとしての赤み」のみを求めてきました。
つまり少量で充分なのです。一般家庭ではスパイスの一種として小瓶に
一本程度の量があるくらいでしょう。
韓国では「白菜キムチ」に代表される「乳酸発酵食品」に大量に使用されます。
また、「タレ」や「ジャン」という濃縮総合調味料にかなりの量を使用します。
このような使い方は「辛さ」は勿論ですが、唐辛子の「抗酸化作用」や「殺菌作用」、つまり
食品に混ぜることによって「その食品の日持ちを良くする」効果を利用しているのです。
「キムチ」の旨み成分は動物性(魚介類が主)アミノ酸によるところがおおきいのですが、
唐辛子によって、雑菌をころし腐敗をおさえ、又その乳酸菌発酵も適度におさえて
酸味と旨みの調和をつくりだしているのです。
以前ほどではなくなったようですが、韓国の一般家庭では「キムチ」や「ジャン」は各家庭で独特の「味」があると 言われるように一般家庭での「唐辛子使用量」は日本のそれとは比べ物にならないようです。

	

ソウルでも日本同様メイン通りのスーパーや立派な食材店には、ブランドのついた唐辛子が包装されて
綺麗に棚に並べられて売っていますが、大きな市場のメイン通りから一二本奥に入り、いかにも観光客
向けではない生活必需品や食料品の店が並ぶなかに 「唐辛子専門店」が何軒も点在していました。
その界隈の店は店舗とゆうには構造上も衛生上も少々抵抗があるようなほどオープン感覚で
いわゆる東南アジアの市場を想わせます。当然日本語は通じません。
「唐辛子専門店」はその存在もさることながら、驚かされるのはその「扱い量」です。
種類(等級)や挽きの荒さではなく、単品目の量とその販売方法なのです。
床からブロックを1m四方くらいのコの字型に積み上げた囲いが並び、
まるで砂利や砂をストックする様に、唐辛子の粉が斜面を形成しておかれ、
スコップやシャベルでKg単位で計り売りをしているのです。
それを見ている傍から、いかにも主婦と思われるようなお客が、2Kg、3Kgと
買っていくのです。価格も当時日本で買う韓国製ブランド唐辛子の5/1程度でした。
韓国と日本の「唐辛子」の最も大きな違いは、まず、根底にその消費量に圧倒的差がある
ということなのです。
何軒もの「唐辛子専門店」の存在と販売風景にそれを実感させられました。

	

私も身振り手振りで、店員の勧める2種類の「唐辛子」を買い、 目頭につんとくるような独特な匂いにつつまれたそのエリアを後にしました。後で考えると、 あの店員はまだ春先なのに、上半身はアンダーシャツ1枚でした。たしか、なにかの本で 豊臣秀吉の時代の「朝鮮出兵」のとき、「兵士が靴の中に現地で没収した唐辛子を入れ、寒さ をしのいだ。」という話しを見た記憶があります。唐辛子にはもう一つ「発汗や代謝促進」の 効果があると言われています。
(第二話 朝鮮の唐辛子は日本から伝来?「唐辛子の歴史」に続く)

	「唐辛子の歴史」朝鮮の唐辛子は日本から伝来? 				

「唐辛子」はその名称から考えると、中国(唐)から日本に伝来したというイメージを持ちます。
当然、朝鮮半島を通ってくるわけですから「韓国から日本に伝わった」と考えられ、
日本の文献でも豊臣秀吉の頃から「唐辛子」が登場します。
「朝鮮出兵」時に加藤清正がもちかえったという説もあり、日本に対しては
唐辛子の「本家、本元」は韓国となり、「本場韓国産唐辛子」という言葉もなっとくです。
私は第一話での「唐辛子専門店」を出た後、現地(ソウル市内)のホテルで面白い
雑誌の記事を見ました。そこには「唐辛子」の歴史の話が載っていて、
朝鮮半島の唐辛子のルーツはどうやら「日本」らしいと言うのです。
朝鮮半島の唐辛子は最も古い産地は半島の南部沿岸地方で当時の名称は「倭芥子(わがらし)」
と言われていて、年代的に考えると、日本の「倭冦(わこう:朝鮮半島から中国南岸一帯で
密貿易や略奪を行っていた海賊)」によって伝えられたのではないか?というのです。
ということは当時、少なくとも北九州にはすでに唐辛子があって、「本場韓国の唐辛子の
ルーツは九州」と言うことになってきます。
では、「どこから九州に来たか?」を調べると、唐辛子の原種は「南米大陸の赤道近辺」であり、
歴史上有名な「コロンブス」によってヨーロッパへ持ち込まれ、インド航路でアジアへ持ち込まれて
来たそうです。この時代たしかに「鉄砲の伝来」で始まる「南蛮貿易」があり、この頃日本へ
はいったとも考えられます。さらに日本では胡椒(肉食圏のヨーロッパでは大人気)同様、
イマイチ人気がでず、九州どまりで本州まで伝わらなかった。その数十年後、秀吉の「朝鮮出兵」で
逆輸入された。と考えればつじつまがあってきます。 コロンブス
ところで、チョット話しはそれますが、
「コロンブス」がアメリカ大陸に到達したサン・サルバドル島(現在のキューバの南)
近辺の群島を西インド諸島といいますが、コロンブスはその後数回そこをおとずれ
終生そこをインドだと思っていたそうです。(だからその辺りを「西インド諸島」、
アメリカ原住民を「インディアン」と現在も呼んでいる。)
当然そこには彼の目的の1つであった「胡椒」があるはずだったのですが、
探せど探せど胡椒は見つからず、かわりに手に入れたのが「唐辛子」だったというわけです。
しかし、このへんで「インドじゃない!」とふつう気ずくべきではないかと思うのですが。
ともあれ、「唐辛子」を世界の歴史に登場させたという点ではコロンブスの功績は大きく、
韓国にとっては「キムチの父?」といっても過言ではないとおもいませんか?

	

話しは戻って、コロンブスがヨーロッパに持ち込んだ「唐辛子」は陸路でも各国に伝来していきます。
北は「ハンガリー」あたりまで行ったそうですが、伝わる過程で「唐辛子」は徐々に改良も加わり
皆さんご存知の辛さのない「パプリカ」や「ピーマン」になっていくのです。
一方海路で伝わったインドや東南アジアでは「胡椒」を凌ぐ辛さの「スパイス」として
又、暑い地域の宿命である食品の「腐り」に対抗する「魔法の防腐剤」として重宝され「カレー」や
「トムヤンクン」に代表される「辛い東南アジア料理」を作り出したのです。
もう皆さんもお気ずきの様に「唐辛子」という植物は寒いところで栽培されていくと、辛さを失い、
暑い地域では強烈な辛さを発揮する植物なのではないでしょうか。
そうすると、本文冒頭で私がかいた「本場韓国の唐辛子は甘みがある」の
の一言は根拠がないとはいえません。
日本と韓国を比べると「緯度的にみても若干上にあり、韓国全体の平均気温は日本より低め」
です。何百年も栽培されるうちに、日本の「唐辛子」より「甘み」が出てきているのかもしれません。

このように考えてみると「何処にでもある唐辛子」にも波乱万丈な歴史の流れを感じる事ができます。
皆さんも「焼肉屋」で一杯やりながら、「こんな話」を思い出していただければ
一味ちがった「キムチ」をあじわえるかもしれません。