帯方郡

帯方郡

後漢楽浪郡の南半分を割いておかれた郡。
たいほうぐん。3世紀の初め頃、朝鮮の楽浪郡の南半分を割いておかれた郡で現在のソウルの周辺。楽浪郡後漢に属していたが、遼東地方で有力となった公孫康が独立して帯方郡を建てた。後漢に代わった魏が公孫氏を滅ぼし、238年に楽浪郡帯方郡を支配した。邪馬台国の女王卑弥呼が帯方郡に使いをよこして魏に朝貢したのはこの翌年である。なお、313年に楽浪郡高句麗に滅ぼされると、翌年帯方郡も滅亡した。帯方郡韓族に滅ぼされたとされているが、楽浪郡と同じく高句麗に滅ぼされたという有力な説もある。

出題
 06年 早稲田大(教育) 次の帯方郡に関する文章のうち、誤りを含むものを選べ。
 a.古代朝鮮半島の南北交通の拠点として、倭とも交渉した。
 b.後漢末期に楽浪郡の南部を割いて設置され、魏・晋に継承された。
 c.遼東半島に拠った中国系豪族の公孫氏によって設置された。
 d.楽浪郡と同様に、高句麗の攻撃によって滅亡した。

解答