朝鮮半島にある前方後円墳の謎

朝鮮半島にある前方後円墳の謎 「空白の4世紀」を解明する手がかりか!?

2024.01.04

前方後円墳は日本独特の墳形だと断定されている。しかし、実は海を渡った先にも前方後円墳があったのだ。それはどこに? なぜ造られたのだろうか?
■海を隔てて存在する前方後円墳の謎

 さて今回はわからないことの方が多いし、慎重にするべきお話になります。それは、歴史的に密接なつながりがないわけがない現在の大韓民国(韓国)の方と日本人の、感じ方や考え方を刺激する可能性があるからです。私は純粋に歴史学的な話しかしませんが、中には気分を害される方や短絡的に結論する方がいらっしゃるかもしれませんので、あらかじめそういうつもりは全くないということを述べておきます。

 朝鮮半島の南西部に栄山江(ヨンサンガン)という大河の流域地域があります。ここに現在のところ認められる前方後円墳形の墳墓が14基前後あるそうです。一時韓国では、「前方後円墳も韓国由来の墳墓だ」と話題になりましたが、考古学的には日本列島で前方後円墳が出現した後の時代のものであることが判明して、そういう話はなくなりました。

 しかしなぜ海を渡った朝鮮半島の南西部に日本固有の前方後円墳が14基前後も造営されたのでしょうか? 短絡的には、当時の倭国が朝鮮半島に勢力を伸ばした時の橋頭堡(きょうとうほ)的な地域として栄山江流域を考えたくなるでしょうが、事実はそう単純ではないようです。

朝鮮半島南部

 流速の早い対馬海流が流れる海峡を九州北部から朝鮮半島西部に到着するのは難しい航路になります。対馬経由で朝鮮半島沿岸航路を慎重に西航して、上陸を果たすのがやっとだったでしょうか。それでも上陸した倭人は大勢いたでしょうし、朝鮮半島との往来があったのは間違いありません。そこで、栄山江流域を中心に、朝鮮半島南部全域の当時の政治情勢や発掘される文物比較研究から面白い説が発表されました。

 栄山江流域の地域勢力は、北に栄える百済(ペクチェ/くだら)からの統合圧力に耐えていました。もともとかつての馬韓地域で、海に面し河川舟運にも陸路輸送にも適した地域でしたので、非常に独立性の強い地域だったようです。

 圧力をかけてくる百済といえば倭国と密接な関係を持ち続けた古代国家ですから、栄山江流域の豪族王たちは、百済の圧力に抵抗しつつ受け流し、自分たちも倭国と友好関係にあるのだという姿を見せつけたのではないかという説です。

 一目でそれとわかる特異な墳形の前方後円墳は、その象徴として造営されたのではなかったか?という説で、私は人間らしくて実に面白い説だと思います。もちろんそれは単なるポーズだけではなく、倭人が実際に上陸していたのも間違いないでしょう。それどころか現地の人と共存していた可能性の方が高いと思われます。

 当時は現代のように国境や国籍がはっきりしているわけでもなく、百済高句麗新羅の人たちも実にアバウトな所属民であったと思われます。つまり百済系倭人、倭人系伽耶人とうように、祖先や両親が様々な流れを持っていた可能性は非常に大きいと思われるのです。

 この古墳が造営された時期は4世紀後半から5世紀のものが主流であろうと推測されているそうですが、それならまさにわが国の「謎の世紀」にあたります。国内のことがよくわからないのに朝鮮半島の状況がわかるわけもありませんが、この栄山江流域の埋葬文化を研究すると、倭国北九州方面とのかかわりや融合が感じられますし、副葬品などは百済とのかかわりもあるようです。

 一つは墳形で、時代にもよりますが、現地固有の墳形は高塚式といって方形の土饅頭的墳墓に多数の埋葬を行い、どんどん広げていくという文化です。葺石(ふきいし)や埴輪(はにわ)は無いのが基本ですが、中には葺石のある墳墓や現地で生産した倭の文化であるはずの埴輪が発見される墳墓もあります。現地の前方後円墳には周濠もあるのですが、倭国式の全周濠ではなく、部分的に区切って濠(ほり)を造るという朝鮮式の蚕型周溝です。倭国文化と現地の栄山江文化の融合が見られるわけです。

 また同一地域で、少し離れたお隣さんともいえるほどお互いが見渡せるところに現地式の高塚墓と前方後円墳が並んでいたりもするのです。全くわかりませんが、そこには何らかの事情や友好関係があったはずです。物証があるのに、おぼろげな推理しかできないのは残念でなりません。

 もちろん日韓共同の発掘調査と研究がなされればさまざまな謎が解けるのでしょうが、大変残念ながらなかなかそうはいかないようです。

 私は以前から日本列島内だけの歴史研究ではなく、隣の朝鮮半島や中国大陸、シベリア方面、南洋諸島などと、幅広く同時に研究を進めないと真実に近づけないと主張し続けております。過去にそういう動きもあったのですが、実を結ぶまでには至っていません。国境を越え、政治問題を越えて、初めてグローバルで自由な、正しい学識研究に全力で立ち向かえると思います。一日も早く、そういった平和で理性的な日が来ることを祈ってやみません。