韓国(朝鮮)と日本の関係を知るための読む年表

韓国(朝鮮)と日本の関係を知るための読む年表 古朝鮮
 檀君(だんくん)朝鮮・・・ まだまだ伝説時代です。
 箕子(きし)朝鮮・・・ まだ伝説時代です。
 衛氏(えいし)朝鮮・・・紀元前2世紀、首都は平壌。考古学的に確認できる朝鮮半島で最初の国家。
            
紀元前108年
 漢の武帝が衛氏朝鮮を滅ぼす。漢は朝鮮半島楽浪郡などの四郡を設置する。

3世紀
朝鮮半島の南部では三韓朝鮮半島の北部では高句麗
三韓は三世紀(覚えやすい(笑))
馬韓(のちの百済)は、朝鮮半島南部の西側。
辰韓(のちの新羅)は、朝鮮半島南部の東側。
弁韓(のちの任那)は、朝鮮半島南部の南側。
高句麗は、建国神話によると、朱蒙(チュモン)によって建国される。
 (2006年~2007年、韓国でテレビドラマ『朱蒙』放映される。韓国で驚異的視聴率、50%を超える。)

4世紀~7世紀
三国時代
三国時代って中国だけじゃなかったんですね。朝鮮にもあったんです。)
高句麗(紀元前1世紀~668)朝鮮半島北部。最盛期には首都は平壌にあった。
 4世紀 好太王の碑 倭(まだ日本という名前はなかったよ)、高句麗と戦う。
 668年、唐と新羅の連合軍によって滅ぼされる。
百済(4世紀半ば~660)朝鮮半島南部の西側 首都は扶余であったこともある。
新羅(4世紀半ば~935)朝鮮半島南部の東側 首都はずっと慶州にあった。

 663 白村江(はくすきのえ)の戦い 倭と百済の遺民が結んで、唐・新羅の連合軍と戦ったが、倭は敗北。

7世紀~10世紀
統一新羅(668~935)・・・首都は慶州(朝鮮半島新羅によって統一されました。)
660年 百済を滅ぼす。   
668年 高句麗を滅ぼす。
676年 朝鮮半島を統一する。

10世紀~14世紀
高麗(こうらい)918~1392 首都は開城(現在,北朝鮮にあります。)
朝鮮や韓国のことを英語でKoreaと言いますよね。実は、高麗からきています。

14世紀末~20世紀
李氏(りし)朝鮮・・・ここから、やっと、ソウルの出番です。ふ~。
李氏朝鮮の建国・・・ソウルを首都とする。
            そんなわけで、ソウル600年の歴史とか言ったりしますよね。
1392年 倭寇の撃退に功のあった李成桂が李氏朝鮮王朝を開く。
高麗王朝滅亡の原因の一つにも倭寇による被害があげられています。)
1394年 漢陽(現在のソウル)へ遷都
1397年 景福宮完成。1910年の併合まで李氏朝鮮の王宮
(1910年の日本による併合以降は王宮内部に朝鮮総督府庁舎が建設される。
 1996年に朝鮮総督府庁舎は解体される。現在、景福宮の復元工事が進められている。
 この復元工事の完成は2025年予定という。)

豊臣秀吉による朝鮮侵略・・・朝鮮に大きな被害と豊臣政権の弱体化をもたらす。
1592年 文禄の役(壬申の倭乱)
1597年 慶長の役(丁酉の倭乱)
李舜臣の活躍で日本軍を撃退する。現在、韓国では李舜臣の銅像もあちこちにあったりする。

しかし、以後、日本と韓国の関係はそれほど悪くはありませんでした。
朝鮮通信使の往来がありました。
1607年、江戸時代で最初の朝鮮通信使がやってきました。2007年はちょうど400周年です。

日本による朝鮮開国=植民地化の歴史

1868年 日本、明治維新
1873年 日本で征韓論(武力で朝鮮を開国しようという考え方)、盛り上がる。
1875年9月20日 江華島事件(日本軍艦、ソウル近くの江華島で朝鮮軍と武力衝突)
1876年2月27日 日朝修好条規
 主な内容
 ・日本は朝鮮を独立国と認める
  (中国=清は朝鮮を中国の属国と考えているので、以後、日本と清との対立が起こってくる。
   また、朝鮮政府内部も日本と中国との間で揺れ動く。親日派と親清派の争い。)
 ・日本はソウルに公使館を置く。
 ・日本は開港した港に領事を置く。 釜山、元山、仁川の開港。
 ・開港場で日本人が犯した犯罪に対する日本の領事裁判権。

朝鮮内部の保守派と改革派の争い(清と日本による朝鮮に対する干渉)

ここでの主な登場人物は、高宗、大院君、閔妃 の3人です。

高宗は李氏朝鮮の第26代国王(在位1863~1907)。高宗はどうも政治に熱心でなかったため、高宗の実父である大院君(たいいんくん)と高宗の王妃である閔妃(びんぴ)の争いを招いてしまう。

1882年7月23日 壬午軍乱(保守派=親清派=大院君の軍隊が開化派=親日派=閔妃一族らに対して反乱。日本公使館も襲撃され、日本公使館員ら死亡。)大院君が一時政権の座につくが、清に連行される。清は朝鮮に対する内政干渉を強める。以後、閔妃は保守派=親清派に転向し、政権を維持。

1884年12月4日 甲申政変(開化派=親日派がクーデターを起こすが、3日天下に終わり、失敗。)
清による内政干渉をきらった開化派の金玉均らはクーデターを起こすが、清の干渉によって失敗。福沢諭吉と親交のあった金玉均は日本に亡命、その後1994年3月28日、上海で閔妃の刺客によって暗殺される。

1885年3月16日 福沢諭吉が脱亜論を『時事新報』紙上で唱える。
甲申事変の結果、朝鮮の近代化に見切りをつけた福沢諭吉は、西洋のやり方=武力侵略で中国・朝鮮にあたろうという考え方=脱亜論をもつようになった。

1885年4月18日 天津条約(甲申政変の後始末の条約。日清両国のソウルからの即時撤退、将来朝鮮に出兵する場合の相互通知を取り決める。)

日清戦争と日本による閔妃暗殺
(朝鮮の支配をめぐる日本と清との対立がついに戦争へ)

1894年春 朝鮮で甲午農民戦争、起こる。朝鮮政府は乱の鎮圧を清に依頼。日本も朝鮮在留邦人の保護を名目として軍を派遣。日清両軍の対立。
1894年7月25日 日清戦争始まる。(日本による宣戦布告は8月1日)
1895年4月17日 日清戦争終わる。下関条約の締結。
 下関条約の主な内容
 ・清は朝鮮の独立を認める。(←日朝修好条規と比較せよ)
 ・清は遼東半島・台湾・澎湖島を日本に譲渡する。
 ・清は賠償金2億両を金で支払う。
1895年4月23日 三国干渉
(ロシア・ドイツ・フランスが下関条約で日本が奪った遼東半島を清へ返還するよう勧告。)

1895年10月8日 閔妃暗殺。清に代わってロシアに頼ろうとした閔妃を日本公使らが暗殺。(景福宮にて)
以後、朝鮮には親日政権ができる。閔妃暗殺については、朝鮮だけでなく、列強各国も日本批判を強める。

1896年2月11日 高宗は、今度は自分が暗殺されるのを恐れて、景福宮からロシア公使館に女装で逃亡。
1897年2月20日 高宗はロシア公使館からロシア公使館近くの徳寿宮に移転。
   (退位後の高宗は1919年1月21日、徳寿宮で死去。毒殺説、自殺説あり、これが3・1運動につながる)
1897年10月12日 李氏朝鮮大韓帝国と名前を変えさせられ、高宗が皇帝となる。
           (1910年の日本による韓国併合まで)
帝国とはずいぶんおおげさですね。立派な国かと思えば、実はそうではありません。
つまり、日清戦争で日本が勝ったため、朝鮮は今までのように清の属国ではなくなった証しとして、大韓帝国と無理矢理名のらされたのです。

この点に関して、司馬遼太郎さんは次のように言っています。(1972年11月21日の京都での講演)
「一八九七年には朝鮮にとって不幸なことに、李氏朝鮮の王が、皇帝になった。無理やり皇帝にさせられてしまった。皇帝になるということは、朝鮮は中国から独立するのだという宣言でもあります。」
(参考文献) 『天皇について』  朝日文庫 司馬遼太郎全講演[1]所収p.349

日露戦争から韓国併合へ

1904年2月8日 日露戦争始まる。(宣戦布告は2月10日)
  日露戦争を背景とした司馬遼太郎の有名な小説『坂の上の雲』のあらすじ(労作・・笑) は こちら
1904年2月23日 日韓議定書締結。日本は韓国での軍事行動の自由を得る。
1904年8月22日 第1次日韓協約 日本人顧問による内政・外交・軍事を指導する。
1905年9月5日 ポーツマス条約が締結され、日露戦争終わる。日本が勝利。
          ロシアは日本による韓国の保護国化を承認。
1905年11月17日 第2次日韓協約 日本は韓国を保護国化。韓国の外交権を得る。
1906年2月1日 韓国統監(とうかん)府設置。初代統監に伊藤博文
1907年6月 大韓帝国皇帝=高宗はオランダのハーグで開かれていた万国平和会議に密使を送る。
       (第2次日韓協約の無効を訴えようとしたが、相手にされず。)
1907年7月20日 大韓帝国皇帝=高宗、退位させられる。子の純宗(在位1907~1910)に譲位。
1907年7月24日 第3次日韓協約 日本は韓国の内政権を得る。韓国軍隊の解散。
  このように、次第に朝鮮半島は日本の支配下に組み込まれていく。当然、韓国では反日運動も起こってくる。
1908年~1909年 義兵闘争(日本による韓国植民地化に反対する闘い)、盛り上がる。
   そして、極めつけは、
1909年10月26日 安重根(アン・ジュングン)、伊藤博文をハルピン駅で暗殺。
1910年3月26日 安重根、旅順の監獄で死刑執行される。
1910年8月22日 日本による韓国併合 景福宮内に朝鮮総督府を設置。初代総督に寺内正毅。
            韓国という国はなくなる。現役武官を総督に任命。

    石川啄木 「地図の上 朝鮮国に くろぐろと 墨をぬりつつ 秋風を聴く」

1910年8月22日から1945年8月15日までの約35年間、朝鮮半島は日本の領土でした。
(韓国や北朝鮮を含む朝鮮半島が日本の領土であった時代があることを今の高校生や大学生の何割が知っているのでしょうね?)
35年間なのに、韓国では、なぜか「日帝36年」と言っています。なぜなんでしょうかね? ちょっと不思議。
「満」ではなく、「かぞえ」で数えて、36年ということなんでしょうかね?
そう言えば、日本でも、1931年から1945年までの実質14年間の戦争を「15年戦争」といいますね。
それぞれ、「足かけ36年」、「足かけ15年」ということにしておきましょうか。ホントにこれでいいのかな?(笑)

韓国の独立運動

1919年1月21日 高宗、徳寿宮の咸寧殿で死去。3月3日、国葬。
1919年3月1日 三・一独立運動、ソウルのタプコル公園から全国へ広がる。
       (日本によって弾圧される。上海に亡命政権として 大韓民国臨時政府 ができる。)
独立宣言書
冒頭「われらはここにわが朝鮮の独立と、朝鮮人民の自由民たることを宣言する。」
末尾「ただ前方の光明にむかって驀進するのみ」

三・一独立運動は現代韓国の出発点。
現在の大韓民国憲法の前文の冒頭にはこうある。
「悠久な歴史と伝統に輝くわが大韓民国は、三・一運動により建立された大韓民国臨時政府の法統・・・・を継承し・・・」

1945年8月15日 アジア太平洋戦争で日本敗戦。
          この日は、大韓民国では光復節(韓国が日本の支配から解放された日)

戦後
1948年8月15日 大韓民国、建国される。
1948年9月9日 朝鮮民主主義人民共和国、建国される。
1950年6月25日 朝鮮戦争、起こる。(韓国では韓国戦争と言っている。)
1953年7月27日 朝鮮戦争、板門店で休戦協定、成立。

ところで、日本による朝鮮支配(植民地化の歴史)をどう考えればよいのでしょうか?

日本による朝鮮植民地化について、司馬遼太郎さんならこう考えます。

「日本が近代化する上で一番の失敗は、朝鮮を占領したことだと思います。なんでそんなことになったかと言ったら、日本は幕末において外からの圧力で興奮して統一国家を作った。外からの圧力に対して、攘夷エネルギーが収まりつかんほど沸騰した。攘夷エネルギーというのは、いってみれば異常心理ですからね、自分がやられるという・・・・。中国がやられている、朝鮮も眠っているからやられるだろう、その次はこっちだ。だからやられる前にこっちから出て行け。なんの実質もなくて、観念だけが先走って朝鮮を占領してしまった。」
(参考文献)『対談 中国を考える』 p.148 司馬遼太郎、陳舜臣 文春文庫

異常心理・・・これは今日においてもなかなか払拭されないようです。
韓国での反日!日本での反朝鮮・韓国! どうしてこんな一方的、短絡的に判断してしまうのでしょう?
 
私にはよくわかりません。じゃあ、行って見てみよう。
こんな感じで2007年のソウル歴史散歩の旅は計画されました。
じゃ、その旅行記を読んでみましょうか?  
旅行記へGO!
年表作成にあたっての参考文献
・『知識ゼロからの日本・中国・朝鮮近現代史』 青木裕司 幻冬社 2003年11月30日刊
・『旅行ガイドにないアジアを歩く 韓国 改訂版』 君島和彦他 梨の木舎 2003年6月15日刊
・『教科書に書かれた朝鮮』 金達寿他 講談社 1979年4月20日刊
・『年表で見る韓国の歴史』 金徳珍/著 藤井正昭/訳 明石書店 2005年9月刊
 (年月日の確定に重宝する。)


http://homepage2.nifty.com/hashim/whistory/korea01.htm