古事記
古事記
宇宙の初め
はじめに現れた神
別天つ神五柱
天地のはじまり
宇宙の初め、
天 も地 もいまだ混沌としていた時に、
天地 が初めて発 れた時、
天地 が初めて発 けし時、
昔、天地は一つのものでした。
天地初発之時、
(一般に、造化の三神)
以上にあげた五柱の神は、地上に成った神とは別であって、これらは
天神 である。
天と地が初めて生まれた時。
高天原(たかあまはら)という神様が住む場所に、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)という神様が出現して、すぐに姿が見えなくなりました。
続いて、高御産巣日神(たかみむすひのかみ)と神産巣日神(かみむすひのかみ)という神様が出現して、同じく姿が見えなくなりました。
天之御中主神は、天の中心にいる神様です。
高御産巣日神と神産巣日神の「産巣」という字は、苔むすといった時の「むす」を意味していて、「日」は霊的な働きを意味する言葉で、高御産巣日神と神産巣日神は、生命が生まれる神秘的な力が神格化した神様です。
神様は一柱、二柱と数えます。
最初に出現した三柱の神様は独り神(ひとりがみ)と呼ばれ、男女の性別が分かれておらずどちらの性も兼ね備えた神様でした。
この三柱は、「造化三神」(ぞうけさんしん)と呼ばれます。
三柱は出現したと思ったらすぐに姿が見えなくなってしまいますが、いなくなったわけではありません。
目に見えない状態になっただけで、高御産巣日神などはこの後も度々登場して大活躍します。
天と地は生まれたものの世界はまだ頼りない状態で、まるでプカプカ浮いている脂のような、海を漂っているくらげのような感じでした。
そこに宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびこひつぢ)と天之常立神(あめのとこたち)の二柱が出現しました。
こちらの神様も独り神で、同じようにすぐに姿が見えなくなりました。
宇摩志阿斯訶備比古遅神は、葦の芽のようにすくすくと育つ生命力の神様です。
宇摩志阿斯訶備比古遅神が出現したことで、世界は生命力に満ち溢れました。
生命力が満ち溢れることで「天」を作るだけのパワーが生まれました。
こうして天之常立神が現れ、「天」が永久的に出来上がることになったのです。
造化三神とこの2柱を合わせて、「別天神」(ことあまつかみ)と呼びます。
これから沢山の神様が登場しますが、日本神話の神様は海外神話の神様と違って全知全能ではありません。
また八百万(やおよろず)といわれるほど多くの神様がおりますが、最高神となる神様はおりません。
日本の神々の多くが、悩み、苦しみ、失敗し、喜び、慈しみ、愛し合います。
時に失敗し、時に病にかかり、時に悪戯をし、まるで人間のように喜怒哀楽があってとても個性豊かです。
そんな神々が織りなす、日本神話の世界を詳しくみていきましょう。
神々の誕生 2:神代七世 前編
日本の神話は、「別天神」(ことあまつかみ)と呼ばれる5柱の神様の出現から始まります。
日本の神様は森羅万象を司るのではなく、森羅万象そのものが神様です。
例えば花が咲く時。
まず花が咲くことを神格化した神様が生まれ、神様が生まれたことで花は美しく咲き誇ります。
日本の神様はこのようにして、事が起こる前に事そのものの神様が現れ生まれて、そうして初めてその事が行われます。
だからあらゆる事象に神様の存在があり、常に私たちの生活の中に潜んで様々な影響を与えてくれる。
そんなとても尊い存在、と考えられていたのです。
さて、神様はどんどん出現していきます。
国之常立神(くにのとこたち)という神様と、豊雲野神(とよくものかみ)という神様が出現しました。
こちらの神様も同じく独り神で、すぐに姿が見えなくなりました。
国之常立神が現れたことで、今度は「地」が永久的に出来上がります。
これで「天」と「地」と揃ったことになりますが、この時は「天」と「地」が今のような「天」が上で「地」が下でという風に定まっていませんでした。
「天」が下で「地」が上になったり、あるいは「天」と「天」の間に「地」になったり、ということになりかねないような、大分混沌とした世界でした。
豊雲野神は、物事が次第に固まることを神格化した神様です。
この神様が生まれたことでそれまでふわふわと頼りなかった「天」と「地」が、今のような上に「天」・下に「地」という状態に固定されました。
ここから先は兄と妹の男女ペアで神様が出現し、兄と妹で結婚します。
神様の世界では、兄と妹で結婚するのは理想的な結びつきとされています。
神様でないと兄妹で結婚出来ないので、だからこそ神様でない者が兄妹で結婚をすることはタブーとされているのでしょう。
男女ペアで最初に出現したのが、泥土と砂土の神様です。
泥土の神が兄の宇比地邇神(うひぢにかみ)で、砂土の神が妹の須比智邇神(すひぢにかみ)です。
地の位置が定まったので、地表を覆う土や泥の神様が出現したのです。
次に境界線の神様が出現しました。
兄が角杙神(つのぐいのかみ)で、妹が活杙神(いくぐいのかみ)です。
今度は、固まった大地の神様が出現します。
兄が意富斗能地神(おほとのぢのかみ)で、妹が大斗乃弁神(おほとのべのかみ)です。
ふわふわした大地では生活が出来ません。
そのためこのような神様が出現することで、地面に生活することが出来るくらいの強度が生れたのでした。
このように神様が生まれるたびに世界はどんどん形成され、神々が住むことが出来るくらいの土台が造られていきます。
神々の誕生 3:神代七世 後編
またここまでは、「天」や「地」が形作られるための神様が出現していました。
「空」が生まれ、「地」が生まれ、地表を土砂が覆い、「空」と「地」とハッキリとした境界線が生まれ、「地」は強度を保った大地となりました。
こうして、神様が生活することが出来るだけの基盤が整ったのでした。
宇比地邇神(うひぢにかみ)から大斗乃弁神(おほとのべのかみ)までの6柱は兄と妹ではありましたが、男女の象徴を持つ神様ではありませんでした。
男女という性が確固として定まっていない神様同士、結婚していたのです。
ここで初めて、男女の象徴の神様が出現します。
兄が於母陀流神(おもだるのかみ)で、妹が阿夜訶志古泥神(あやかしこねのかみ)です。
前に述べたとおり、日本の神様は事が起こる前に事そのものが神格化した神が出現し、神様が出現することで事が行われます。
於母陀流神と阿夜訶志古泥神という男女の象徴の神様が出現したことで初めて、「男」「女」という性別が各々の役割をもって定まったのです。
そうして最後に、伊邪那岐神(いざなきのかみ)と伊邪那美神(いざなみのかみ)が出現しました。
伊邪那岐神と伊邪那美神は他の神々と違って、精神的にも肉体的にもはっきり「男」と「女」の区別がなされた神様です。
このような神様が出現したことで初めて、神様同士まぐわいが出来ることになりました。
まぐわいが出来るということは、神様同士で夫婦の契りを交わして、子供を生むことが出来るようになったということです。
これまでは自然と「出現」していた神様ですが、この2柱の神様のまぐわいによって神々が「誕生」することになります。
だからこそ伊邪那岐神と伊邪那美神は、夫婦の祖神(最初の神)とされているのです。
男女のペアとなっている神は、二柱で「一代」(ひとよ)と呼びます。
国之常立神と豊雲野神、五代の神を合わせて、「神代七代」(かみよななよ)と呼びます。
天の神々は下にある海を指して、伊邪那岐神(いざなきのかみ)伊邪那美神(いざなみのかみ)に
「漂っている地をまとめて、ひとつの大地として固めなさい」
と言って、きれいな玉で飾られた天沼矛(あまのぬぼこ)を渡しました。
伊邪那岐神と伊邪那美神は、天空に浮いてかかっている天浮橋(あまのうきはし)に降り立ちました。
そうして一緒に天沼矛を持って海に差し入れて、海水を「こおろこおろ」と鳴らしながら掻きまわして、矛をそっと引きあげました。
矛の突先からぽたりぽたりと海水が滴り落ちて、その海水の塩が積み重なって固まり、島が出来上がりました。
この島を、淤能碁呂島(おのごろじま)といいます。
淤能碁呂島は自然に出来上がった島、という意味です。
古事記には実在の地名が沢山出てきますが、淤能碁呂島についてはどの島がそうなのか、今でも正確なところはまだ分かっておりません。
伊邪那岐神と伊邪那美神は淤能碁呂島に降り立って、そこに天之御柱(あめのみはしら)と呼ばれる大きな柱と八尋殿(やひろどの)と呼ばれる大きな神殿を建てました。
そうして伊邪那岐神は伊邪那美神に、
「貴女の身体は、どうなっていますか?」
と尋ねました。
伊邪那美神は
「ちゃんとしてはいますが、一箇所だけ窪んだところがあります。」
と答えました。
それを聞いて伊邪那岐神は
「私の身体もちゃんとしてはいるけれど、一箇所だけ出っ張っているところがあります。」
と言いました。
続けて
「私はこの出っ張っているところを貴女の窪んでいるところに差し入れて蓋をして、国を作ろうと思っています。どうでしょうか?」
と尋ねました。
伊邪那美神は
「そうしましょう。」
と答えました。
伊邪那岐神は
「じゃあこの天之御柱の周りをお互い別々の方向から回っていって、会ったところで結婚しましょう。」
と言いました。
こうして伊邪那岐神と伊邪那美神は結婚することが決まり、そのための儀式にとりかかったのです。
伊邪那岐神(いざなきのかみ)と伊邪那美神(いざなみのかみ)は、さっそく柱の前に立ちました。
伊邪那岐神は
「貴女は右から、私は左から、それぞれ柱を回りましょう。」
と言いました。
伊邪那美神がそれに同意して、2柱は天之御柱をぐるっと回りました。
柱の反対側で、お互い顔を見合わせました。
するとまず伊邪那美神が
「ああ、貴方はなんて好い男なのでしょう!」
と言いました。
続いて伊邪那岐神が
「ああ、貴女はなんて好い女なのでしょう!」
と言いました。
お互いがお互いを褒め讃えた後、伊邪那岐神は考え深げに
「女の方から言うのはよくないのではないでしょうか。」
と言いました。
ともかく気を取り直し、2柱は寝所にこもって夫婦の契りを交わしました。
生まれた子供は手足の無い水蛭子(ひるこ)でした。
2柱は悲しみに暮れながら、葦の舟にこの子を入れて流しました。
次に生まれた子供は淡島で、泡のように小さく頼りない島でした。
水蛭子と淡島は、子供として数えないことに致しました。
なかなかちゃんとした子供が生まれないので、伊邪那岐神と伊邪那美神は困って話し合いました。
その結果、天にいる神々に相談する、ということになりました。
すぐに2柱は高天原にのぼり、天の神々の意見を求めました。
天の神々は太占(ふとまに)で占い、
「女から先に声をかけたのがよくなかったようだ。今からまた地上に戻って、初めからやり直しなさい。」
と言いました。
太占とは、鹿の骨を焼いてそのヒビの入り方で吉兆を占う占いのことです。
天の神々のアドバイスを受けて、伊邪那岐神と伊邪那美神はもう一度淤能碁呂島に戻りました。
さっそく伊邪那美神は右から伊邪那岐神は左から柱をぐるっと回り、反対側で顔を見合わせました。
そうして今度は伊邪那岐神から
「ああ、貴女はなんて好い女なのでしょう!」
と言いました。
続けて伊邪那美神が
「ああ、貴方はなんて好い男なのでしょう!」
と言いました。
このようにして、お互いを褒め讃えるところから結婚の儀式をやり直したのです。
そうして改めて、2柱は寝所にこもって夫婦の契りを交わしました。
国生み 1:最初に生れたのは淡路島そして4つの顔を持つ島だった
伊邪那岐神(いざなきのかみ)と伊邪那美神(いざなみのかみ)は結婚をやり直して、改めて夫婦の契りを交わしたところ、今度はちゃんとした子供が沢山生まれました。
子供といっても、最初に生んだのは沢山の島々で、これらは現在の日本列島にあたります。
次に生んだのが沢山の神々で、これらの神々が日本に宿る八百万の神々となりました。
伊邪那岐神と伊邪那美神が日本の島々を生んだことを「国生み」、神々を生んだことを「神生み」といいます。
どのように島々を生んだのか、どのように神々を生んだのか、古事記にはとても細かく載っています。
まずは「国生み」から、紹介していきましょう。
最初に生まれた国は、淡道之穗之狹別島(あはぢのほのさわけのしま)でした。
これは、淡路島のことです。
次に生まれたのが、伊豫之二名島(いよのふたなのしま)です。
これは、四国地方のことです。
四国地方は四つの面があるとされていて、それぞれ別々の名前がついております。
それぞれ次のような名前がついてます。
1 伊予の国(愛媛県)
名前は「愛比売」(えひめ)です。
愛媛県が「えひめ」という起源は古事記にあり、可愛い女性という意味を持ちます。
2 讃岐の国(香川県)
名前は「飯依比古」(いいよりひこ)です。
米や粟などを生み出す男性、という意味を持ちます。
古事記は西暦712年に編纂されましたが、この当時から既に「讃岐の国」といわれてました。
3 粟の国(徳島県)
名前は「大宜都比売」(おおげつひめ)です。
大宜都比売は偉大な食物の女神であり、穀物の神様でもあります。
4 土佐の国(高知県)
名前は「建依別謂」(たけよりわけ)です。
勇敢な力が宿る男性という意味を持ちます。
香川県の讃岐と同様、この当時から高知県も「土佐の国」といわれていました。
3番目に生まれたのが、隱伎之三子島(おきのみつごのしま)です。
これは、島根の隠岐諸島のことです。
隠岐諸島は島前と島後に分かれていて、島前は3つの島の集まりです。
島後を「親」として、島前を「子」として、一人の親と三人の子供に見立てているため、「隱伎之三子島」という名前になったといわれています。
ちなみに隱伎之三子島は別の名前があって、天之忍許呂別(あまのおしころわけ)といいます。
日本の国々や神々は、このように複数の名前を持っていることがあります。
例えばひとくちに「明け方」と言っても、明け(あけ)・夜明け(よあけ)・暁(あかつき)・東雲(しののめ)・曙(あけぼの)・黎明(れいめい)・払暁(ふつぎょう)・彼誰時(かわたれどき)と様々な名称に分かれます。
1柱の神に複数の名前があるのには、このような物事を多角的に捉える日本人らしい繊細な感受性が宿っているのです。
伊邪那岐神(いざなきのかみ)と伊邪那美神(いざなみのかみ)は、淡路島、四国地方、隠岐諸島に続いて筑紫島(つくしのしま)を生みました。
筑紫島は、九州地方のことです。
九州地方も4面があり、それぞれ次のような名前がついてます。
1 筑紫国(福岡県)
名前は「白日別」(しらひわけ)です。
統治する太陽のような男性という意味があります。
2 豊国(大分県と福岡県の一部)
名前は「豊日別」(とよわけ)です。
光豊かな太陽のような男性という意味があります。
3 肥国(熊本県・佐賀県・長崎県)
名前は「建日向日豊久士比泥別」(たけひむかひとひとよくじひねわけ)です。
太陽に向かう勇敢な神秘的な力に溢れている男性という意味があります。
4 熊曽国(南九州)
名前は「建日別」(たけひわけ)です。
勇敢な太陽の男性という意味があります。
5番目に生んだのが伊伎島(いきのしま)で、これは長崎県の壱岐島のことです。
この島は、天比登都柱(あめひとつばしら)という別名を持っています。
別名は、天に接しているひとつ柱という意味があります。
6番目に生んだのが津島(つしま)で、対馬のことです。
この島も、天之狭手依比売(あめのさでよりひめ)という別名を持っています。
別名は、霊的な力がよりつく天の女性という意味があります。
7番目に生んだのが、新潟県の佐渡島である佐度島(さどのしま)です。
8番目に生んだのが大倭豊秋津島(おほやまととよあきづしま)で、これが本州であるといわれています。
この島は別名を持っていて、御虚空豊秋津根別(あまつみそらとよあきづねわけ)といいます。
別名は、天の空に蜻蛉が群れを飛ばす男性という意味があります。
このように伊邪那岐神と伊邪那美神は
1 淡道之穗之狹別島(淡路島)
2 伊豫之二名島(四国)
3 隱伎之三子島(島根県隠岐諸島)
4 筑紫島(九州)
5 伊伎島(長崎県壱岐島)
6 津島(長崎県対馬)
7 佐度島(新潟県佐渡島)
8 大倭豊秋津島(本州)
という順番で8つの島を生みました。
これらの島々を大八島国(おおやしまぐに)と呼び、日本列島誕生の起源となります。
国生み 3:日本の国土完成
日本列島の起源である大八島国(おおやしまぐに)を生んだ伊邪那岐神(いざなぎのかみ)と伊邪那美神(いざなみのかみ)は、一旦は淤能碁呂島(おのころじま)に帰ろうとします。
でも、やっぱりまだまだ国を生むことにします。
さらに続けて、6島生みます。
最初は吉備兒島(きびのこしま)で、岡山県の児島半島です。
建日方別(たけひかたわけ)という別名を持っています。
「日方」の解釈は諸説ありますが、勇猛な太陽の方角を向いた男性という意味を持つと思われます。
次に生まれたのが小豆島(あづきしま)で、淡路島の西にある小豆島です。
別名は、大野手比売(おおのでひめ)です。
大きな野の女神という意味を持ちます。
さらに大島(おおしま)を生みます。これは、山口県にある周防大島です。
別名は、大多麻流別(おおたまるわけ)です。
船が停泊することの偉大なる男神、という意味を持ちます。
続けて女島(おみなしま)を生みます。
これは、大分県の国東半島の東北にある姫島です。
別名は、天一根(あめひとつね)です。
天に接するひとつの根、という意味を持ちます。
最後に知訶島(ちかのしま)と両児島(ふたごのしま)を生みました。
知訶島は長崎県にある五島列島で、両児島は長崎県の男女群島です。
知訶島の別名は天之忍男(あめのおしお)で、両児島の別名は天両屋(あめふたや)です。
天之忍男は、威力のある天の男神という意味を持ちます。
天両屋は、天空にかかる二つの屋根という意味を持ちます。
こうして大八島国の他に6島生んで、日本の国土がようやく完成しました。
ここまでを、「国生み」と呼びます。
神生み 1:最初に生れたのは威力の神
伊邪那岐神(いざなきのかみ)伊邪那美神(いざなみのかみ)は国生みを終えたので、次に「神生み」を始めました。
最初に生んだ神は、威力の神である大事忍男神(おほことおしお)です。
天地初発の時と同じように、日本の神は物事が起こる時にその物事そのものが神になります。
そのためこれから神々を生むという大仕事をこなすため、最初に威力の神が生まれました。
続いて、住居に関わる6柱の神々を生みます。
これらの神々は「家宅六神」と呼びます。
1 石土毘古神(いはつちびこのかみ)
岩石と土の神です。
2 石巣比売神(いはすひめのかみ)
堅固な住居の女神です。
3 大戸日別神(おほとひわけのかみ)
偉大な家の出入口の神です。
4 天之吹上男神(あめのふきおのかみ)
屋根葺きの神です
5 大屋毘古神(おおやびこのかみ)
大きな家屋の神です。
家宅六神に続けて、風に持ちこたえる力の神である、風木津別之忍男神(かざもつわけのおしおのかみ)が生れました。
伊邪那岐神と伊邪那美神が地上に降りてまず八尋殿(やひろどの)を造ったように、神々も住む場所が必要です。
だからこそ、最初に住居を守る神様が誕生したのでしょう。
このようにして、ふわふわと頼りなかった大地がしっかりと根を張り、家屋を掌る(つかさどる)神々が生まれたことで、神々達が住む土壌が出来上がりました。
次に、水に関わる神様が生れます。
まずは、偉大な海の神様である大綿津見神(おおわたつみのかみ)が生まれました。
この神は有名な海幸彦・山幸彦の神話に出てくる、海に御殿を構える海神です。
この大綿津見神の娘が、後に天照大御神(あまてらすおおみかみ)のひ孫である山幸彦と結婚することになります。
海に続いて今度は、河口に関わる神様が生まれます。
勢いの早く盛んな河口の男神である水戸(みなと)の神で、速秋津日子神(はやあきつひこのかみ)。
勢いの早く盛んな、河口の女神である速秋津比売神(はやあきつひめのかみ)です。
速秋津日子神と速秋津比売神は後ほど結婚して、この2柱はさらに河と水に関わる多くの神々を生みます。
神生み 2:自然に関わる神々の誕生
伊邪那岐神(いざなきのかみ)と伊邪那美神(いざなみのかみ)は、さらに自然に関わる神々を生みます。
最初は風の神で、志那都比古神(しなつひこのかみ)です。
続いて木の神で、久久能智神(くくのちのかみ)です。
木の神を生んだことで、緑を豊かにする土台が出来上がりました。
そうして生まれたのが偉大な山の神で、大山津見神(おおやまつみのかみ)です。
大山津見神の子供と孫が、天照大御神(あまてらすおおみかみ)の弟である建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)と結婚します
また富士山の神として有名な女神、木花之佐久夜毘売(このはやのさくやびめ)はこの大山津見神の娘です。
大山津見神の後、野の女神である鹿屋野比売神(かやのひめのかみ)が生まれます。
鹿屋野比売神は別名を持っていて、野椎神 (のづちのかみ)といいます。
大山津見神と野椎神は後ほど結婚して、山と野に関わる神々を生みます。
このようにして、海も河も、大地を覆う豊かな木々の緑も生れました。
広い大地を駆け巡るための、移動手段が必要となったのでしょう。
鳥のように軽快で固い楠造りの船の神、鳥之石楠船神(とりのいわくすふねのかみ)を生みました。
別名は、天鳥船(あめのとりふね)です。
この神様は、神様を運ぶ船の神です。
この後の日本神話に「国譲り」と呼ばれる、出雲の神々の元に高天原の神が訪れて、日本の国を統治するその権利を譲渡するよう交渉に訪れる場面があります。
猛々しい神を乗せて、鳥之石楠船神は高天原から地上への移動手段として活躍します。
農耕は生活の糧を築くものであり、神様への供物を作るものであり、古くからとても神聖な行為でした。
そのような農耕において、広い大地とその大地を縦横無尽に動き回る移動手段が出来たら、次に必要なのは作物の種です。
このような農耕を反映してか、次に生まれたのは穀物の神である大宜都比売神(おおげつひめのかみ)です。
粟の国の神(四国の徳島県の神)とは、同じ名前ですが別の神でしょう。
続いて伊邪那美命は火の神を生みます。
火の神を生んだことで、とんでもない出来事に見舞われてしまいます。
神生み 3:火の神の誕生、そして伊邪那美命の死
伊邪那美命(いざなみのかみ)は火の神、火之夜芸速男神(ひのやぎはやおのかみ)を生みます。
この神は別名が2つあって、火之炫毘古神(ひのかがびこのかみ)と火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)です。
火之夜芸速男神は、火の勢いが盛んな様を表した名前です。
火之炫毘古神は、火が明るく輝く様を表した名前です。
火之迦具土神は、火がちらちらと燃える様を表した名前です。
異なる火の状態で、それぞれ名前が分かれているのです。
火の神を生んだことで、伊邪那美命は陰部に深刻な火傷を負ってしまい、病気になってしまいます。
病気に苦しむ伊邪那美命の排泄物から、様々な神が出現しました。
まず、嘔吐から鉱山の神が出現しました。
金山毘古神(かなやまびこのかみ)と金山毘売神(かなやまびめのかみ)です。
続いて、糞から粘土質な土の神が出現しました。
波邇夜須毘古神(はにやすびこのかみ)と波邇夜須毘売神(はにやすびめのかみ)です。
さらに尿から、彌都波能売神(みつはのめのかみ)と和久産巣日神(わくむすひのかみ)が出現しました。
彌都波能売神は灌漑用の水の神で、和久産巣日神は若々しい生命力の神です。
この和久産巣日神の子が、豊宇気毘売神(とようけびめのかみ)です。
豊宇気毘売神は、穀物の女神です。
火の神はいわば火山であり、火山によって刺激された土壌で鉱物が生まれます。
また火山の刺激は、栄養分を沢山含んだ土も生み出します。
そこに水が引かれることで、作物が育つ土が出来上がります。
栄養分をたっぷり含み、水の恵みに満ちた豊かな土に、若々しい生命力が宿ることで作物は育ちます。
そんな風にして金山毘古神から和久産巣日神までの誕生があって、穀物の女神が生まれます。
必要な段階を踏んで、生まれるべくして生まれた神様なのです。
この豊宇気毘売神は伊勢神宮の外宮に祀られている神で、天照大御神(あまてらすおおみかみ)の食事係を担当している神です。
豊宇気毘売神の御神力により豊穣はもたらされ、私たちは毎日美味しいご飯が食べられるのです。
ここまで沢山の神々を生んできた伊邪那美神ですが、火の神を生んだことで負った火傷で、遂に命を落としてしまいます。
伊邪那美神を亡くした伊邪那岐神(いざなきのかみ)は、大変嘆き悲しみました。
「愛しい妻の命が、1柱の子供に代わるものか!」
と言って、伊邪那美神の枕元や足元に腹ばいになって涙に暮れたのです。
その涙から香具山(かぐやま)の畝尾尾(うねびお)の木本(このもと)にいる、泣沢女神(なきさわめのかみ)が出現しました。
奈良県橿原市木之本町に、今もこの神を御祭神として祀る泣沢神社があります。
神生み 4:河口の男神と女神の結婚
伊邪那岐神(いざなきのかみ)と伊邪那美神(いざなみのかみ)が生んだ水の神、速秋津日子と速秋津比売も夫婦になって、河と海に関わる神を生みました。
最初は水面に関わる神様が4柱生まれました。
河口の陸側の水面の神様である沫那藝神(あわなぎのかみ)で、水面が穏やかであることの神様です。
河口の海側の水面の神様である沫那美神(あわなみのかみ)で、水面が泡立っていることの神様です。
3柱目は、大変穏やかな水面の神である頬那藝神(つらなぎのかみ)です。
4柱目は、際立って泡立っている水面の神である頬那美神 (つらなみのかみ)です。
農耕民族である日本人にとって、水を引くためにかかせない河の状況を読むのは生活に必要な技でした。
だからこそ、水面の状態ひとつひとつに神様が宿ると考えられたのでしょう。
続いて、山に関わる水の神様が4柱生まれます。
まずは山から麓へと流れる水を分配する神で、天之水分神(あまのみくまりのかみ)。
続いて、麓から平地へと流れる水を分配する神で、国之水分神(くにのみくまりのかみ)。
降った雨が山中を川となって蛇行し、山麓へと流れゆく様が見えるようです。
さらに、山の水をくみ上げる神様で、天之久比奢母智神(あめのくひざもちのかみ)が生まれます。
続いて、地上の水をくみ上げる神様で国之久比奢母智神(くにのくひざもちのかみ)が生まれます。
山から流れてくる水は農耕に不可欠であり、それは生活に直結したものでした。
だからこそ氾濫が起きないように、また止まることがないように、そして恵みをもたらしてくれたら感謝を忘れないように、畏れ敬い大切にしたのでした。
沫那藝神から国之久比奢母智神まで、合わせて8柱の神を生みました。
これらの8柱の神は、伊邪那岐神と伊邪那美神の孫にあたります。
神生み 5:山の神と野の神の結婚
伊邪那岐神(いざなきのかみ)と伊邪那美神(いざなみのかみ)が生んだ大地の神、大山津見神(おほやまつみ)と野椎神(のづち)も夫婦になって、山と野に関わる神を生みました。
最初は土地についての神様が生まれました。
山頂についての土地の神である天之狭土神(あめのさづちのかみ)と、地上に出来た土地の神である国之狭土神(くにのさづちのかみ)です。
さらに、霧についての神様が生まれました。
山頂に出来る霧の神である天之狭霧神(あめのさぎりのかみ)と、地上に出来る霧の神である国之狭霧神(くにのさぎりのかみ)です。
火山国日本は多くの山々を抱き、それらに密接した生活を送る古代日本人にとって、山の状況を読むことも生活に必要な技だったのでしょう。
大地も霧も、山頂と山麓では質が違います。
質の違いに異なる神を見る、日本人ならではの繊細な感性が伺えます。
続いて、山頂にほど近いところにある渓谷の神で、天之暗戸神(あめのくらとのかみ)が生れました。
さらに、地上にほど近いところにある狭谷の神で、国之闇戸神(くにのくらとのかみ)が生まれました。
道に迷わせる神様の、大戸惑子神(おほとまといこのかみ)と大戸惑女神(おほとまといめのかみ)が生れました。
現代でも山から谷に抜ける中、道を見失って帰って来られず遭難してしまう者がいます。
ましてや街灯などない古代においては、もっと沢山の遭難者が出ていたのではないかと思われますj。
そんな風に道を見誤り、迷ってしまうのも、神の業だと古代の人々は考えたのでしょう。
山は恵みを与えてくれる場所でもあり、また命を落とす危険な場所でもありました。
そんな山は神が鎮まる場所であり、神は慈しみを与えてくれる存在であると同時に、怒り祟る存在でした。
そんな自然への信仰心が、神様誕生の経緯にひっそりと潜んでいるのです。
天之狭土神から大戸惑女神まで、合わせて8柱の神です。
この8柱の神も、伊邪那岐神と伊邪那美神の孫にあたります。
神生み 6:虐殺された火の神 前編
火の神を生んだことが原因で、命を落としてしまった伊邪那美神(いざなみのかみ)。
その亡骸をそのままにしておくわけにいかず、伊邪那岐神(いざなぎのかみ)は悲しみながらも出雲の国と伯伎(ほうき)の国の境にある比婆(ひば)の山に葬りました。
この比婆の山がどこに当たるのか、現時点では明確に定まっていません。
恐らくは、広島県庄原市から島根県仁多郡奥出雲町境にある比婆山であろうといわれています。
伊邪那美神を埋葬した後。
伊邪那美神を失った悲しみは怒りに変わり、怒りはやがて殺意に変わります。
伊邪那岐神は腰に差していた十拳剣(とつかのつるぎ)を抜いて、自分の子供である迦具土神(かぐつち)の首を斬って殺してしまいます。
刀の先についた血が、ばっと湯津石村(ゆついはむら)に飛び散りました。
その血から、刀剣の神である石拆神(いわさくのかみ)、根拆神(ねさくのかみ)、石筒之男神(いわつつのおのかみ)の3柱が出現しました
古代の人々は鉄鉱石を熱い火で燃して溶かして加工して、剣や矛を作りました。
そのため製鉄において火の存在は、絶対的に必要なものでした。
だからこそ、火の神と剣の神が縁深いのでしょう。
銑鉄が火に溶けて真っ赤になる様に、古代の人々は火の神の血によって出現する神を見たのかもしれません。
刀の手元についた血も、湯津石村に飛び散りました。
その血から、火の神である甕速日神(みかはやひのかみ)と樋速日神(ひはやひのかみ)、そして雷の神である建御雷之男神(たけみかづちのおのかみ)の3柱が出現しました。
建御雷之男神は別名が2つあり、建布都神(たけふつのかみ)と豊布都神(とよふつのかみ)です。
熱くなった金属は、叩くと固くなります。
「鉄は熱い内に打て」という言葉が生れるほどに、鉄剣を作る上で加工硬化は重要な過程でした。
加工硬化の際、刃を叩くたびにほとばしる火花。
そして凄まじい稲光を発して雷が落ちると、激しい火事が発生するなど。
火と雷を関連付けて、そこで見出された神様が建御雷之男神です。
この後建御雷之男神は、出雲の国譲りの交渉人として天下ります。
その際、海に突き出た剣の突先に座って現れます。
古代の人々は、いかに火と剣と雷を結び付けて考えたのかが伺えます。
神生み 7:虐殺された火の神 後編
さらに刀の柄に溜まった血が、伊邪那岐神(いざなぎのかみ)の指の間から溢れ出てきました。
その血から出現した神が、渓谷の水を司る竜神闇淤加美神(くらおみのかみ)と渓谷から流れ出る水の神闇御津羽神(くらみつはのかみ)です。
火と水は対比する関係としてやはり縁深く、だからこそ火の神から水の神が誕生しているのでしょう。
日本の神々はこのようにして、関連性の高い相対するものが出現することがあります。
殺された迦具土神(かぐつち)の亡骸からも、次々と山に関わる8柱の神様が出現します。
頭:正鹿山津見神(まさかやまつみのかみ)
山の神です。
胸:淤縢山津見神(おどやまつみのかみ)
正鹿山津見神の弟格にあたる山の神です。
腹:奧山津見神(おくやまつみのかみ)
山奥の神です。
陰部:闇山津見神(くらやまつみのかみ)1
渓谷の神です。
左手:志芸山津見神(しざきやまつみのかみ)
茂った山の神です。
右手:羽山津見神(はやまつみのかみ)
山の麓の神です。
左足:原山津見神(はらやまつみのかみ)
山裾の野原の神です。
右足:戸山津見神(とやまつみのかみ)
里近くの山の入り口の神です。
火の神の亡骸から山に関わる神様が出現したのは、日本が火山国であることと関係性があると思われます。
噴火のメカニズムなど知らない古代の人々にとって、火を噴いて爆発する山の姿に度肝を抜かれたことでしょう。
噴火した山から流れ出る火砕流のすさまじさに、火の神と山の神を強く結びつけることになったのではないでしょうか。
山に住まう神へ畏れが、同時に火の神への篤い信仰心を生みだしたのではないかと思われます。
日本の神様はこのような自然が神格化した神様だけではなく、剣なども神様となります。
迦具土神を斬った十拳剣は、天之尾羽張(あめのおはばり)という名のついた神様です。
これは、天上界の雄々しい大きな刀であることを意味します。
別名を伊都之尾羽張(いつのおはばり)といいます。
これは、威勢のあって雄々しい刀であることを意味します。
出雲の国譲りの章で、国譲りの交渉人として候補にあがった神様です。
しかし他の大事な任務中だったので、刀の手元についた血から出現した建御雷之男神(たけみかづちのおのかみ)が交渉人として出向くことになります
伊邪那美神(いざなみのかみ)が命を落としたことで、伊邪那岐神(いざなきのかみ)と伊邪那美神(いざなみのかみ)の2柱による「神生み」は出来なくなってしまいます。
そのため、この後も神様は出現しますが、2柱による「神生み」はここで終了となります。
黄泉国で夫婦喧嘩 1:伊邪那岐神、黄泉国来訪
妻の伊邪那美神(いざなみのかみ)とまた逢いたい伊邪那岐神(いざなきのかみ)は、とうとう黄泉の国まで追いかけ訪れます。
黄泉の国の殿舎の塞がれた戸を開いて、その中にいるのであろう伊邪那美神に向かって
「愛しい私の妻、一緒に作った国はまだ作り終えてない。だから、一緒に帰ろう。」
と呼びかけました。
呼びかける伊邪那岐神の声に応じて、伊邪那美神は扉近くまでやってきます。
殿舎の中は真っ暗で、お互い顔を見ることが出来ません。
それでも2柱は、気配だけではありますが再会を果たします。
伊邪那美神は伊邪那岐神に答えて、
「ああ、悔しい。なぜもっと早く来てくれなかったのです。私は黄泉の国の甕で煮たものを食べてしまいました。もう元の世界に戻れません。でもせっかく愛しい貴方がこうして来て下ったのですから、どうしても帰りたいと思うのです・・・。それではしばらくの間、黄泉神(よもつがみ)と相談して参ります。その間、私を見ないで下さいね。」
と言って、殿舎の奥へと戻って行ってしまいました。
伊邪那岐神はずっとその場で、待ちに待ち続けました。
一向に戻ってこないので伊邪那岐神はしびれを切らし、殿舎の中へと踏み込みます。
殿舎の中が闇に満たされているので、何も見えません。
それで伊邪那岐神は結った左の髪の刺していた湯津津間櫛(ゆつつまぐし)という神聖な櫛の両端にある太い歯をひとつ折って、それを燃して火を灯しました。
すると闇の中に浮かび上がったのは、変わり果てた姿の伊邪那美神の姿でした。
黄泉国で夫婦喧嘩 2:暗闇に浮かび上がったのは
闇の中に浮かび上がった伊邪那美神(いざなみのかみ)の姿。
体中蛆にたかられ、のどがむせぶような音を立てていました。
さらに頭に大雷、胸に火雷、腹に黒雷、陰部に折雷、左手に若雷、右手に土雷、左足に鳴雷、右足に伏雷、と8柱の雷神を従わせていました。
「雷」とは、恐ろしい魔物という意味です。
伊邪那美神は頭に成熟した魔物、旨に火を灯している魔物、お腹に黒い魔物、陰部に裂く力を強い魔物、左手に若い魔物、右手には醜い魔物、左足には音が鳴る魔物、右足には這いつくばっている魔物を抱いていたのです。
そんな風に黄泉の国の住人らしい、凄まじく醜悪な姿になってしまっていたのです。
愛しい姿を想像していた伊邪那岐神(いざなぎのかみ)は、あまりの恐ろしい変貌ぶりにびっくり仰天。
伊邪那美神の姿を見るな否や、思わず逃げ出してしまいます。
自分の妻の姿にびっくりして逃げ帰ろうとする伊邪那岐神の心情は分かるものの、やっぱり顔見て逃げ出すのは失礼な話です。
しかも伊邪那美神は戻りたいと思って黄泉神に相談してきたわけですから、そういう想いも台無しにされたこともあり、
「私に恥をかかせましたね!」
と大層腹を立たのも無理からぬことです。
しかし伊邪那美神は神様だけあって、怒りのスケールがけた違いです。
すぐに母都志許売(よもつしこめ)という、大層醜い黄泉の女を追い遣わします。
つかまったら大変。
八つ裂きにされて殺されてしまうかもしれません。
伊邪那岐神は逃げる足を速めます。
ここから、壮大な逃走劇が始まります。
伊邪那岐神は走りながら頭につけていた髪飾りをとって、投げ棄てました。
すると飾りはたちまち葡萄の木になって、実をたわわに実らせます。
母都志許売は追撃の足を止めて、美味しそうな葡萄の実に食らいつきます。
その隙に、伊邪那岐神は逃げます。
しかしあっという間に葡萄を食べ終えてしまい、再び追いかけてきます。
伊邪那岐神は、今度は右側に結った髪に刺してあった湯津津間櫛(ゆつつまぐし)を引き抜いて投げ棄てます。
すると、今度は筍が沢山生えてきました。
母都志許売は同じように足を止めて、美味しそうな筍に食らいつきます。
その隙に、伊邪那岐神はさらに足を速めて逃げます。
黄泉国で夫婦喧嘩 3:黄泉比良坂に宿る桃の木
伊邪那岐神(いざなぎのかみ)はひたすら逃げますが、追いかけてくるのは母都志許売だけじゃありませんでした。
伊邪那美神(いざなみのかみ)の体にいた8つの雷神と、さらになんと千五百(ちいほ)に及ぶ黄泉の軍勢が追いかけてきたのです。
伊邪那岐神はもう、生きた心地がしなかったことでしょう。
腰に差していた十拳剣(とつかのつるぎ)抜いて、後ろ手に振りながら走りました。
このような、後ろ手に剣を振る動作は、背後にいる相手を呪う動作です。
呪われても黄泉の軍勢ですから、勢い留まることなく追いかけてきます。
邪悪なものに邪悪な行為をしても何の役にも立たない、ということが分かります。
絶体絶命の状況で、伊邪那岐神はようやく黄泉の国と現世を繋ぐ、黄泉比良坂(よもつひらさか)に辿り着きました。
黄泉比良坂のふもとには桃の木がなっていて、その桃の実を3つ取って背後の黄泉軍に投げました。
するとどうしたことか、黄泉軍がたちまち逃げ帰っていきます。
そこで初めて、桃には清める力があることを知るのです。
邪悪なものに邪悪な行為をしても役に立ちませんが、清めの行為をすれば退けることが出来るのす。
日本の神道が、「清め」という概念をとても大切にしているのは、このような神話のエピソードからきているのでしょう。
ちなみに節分の豆まきは、黄泉の国で伊邪那岐神が桃を投げた神話が起源です。
桃の代わりに豆を投げて、鬼(黄泉の軍勢)を遠ざけているのです。
古事記の神話はこのようにして、年中行事の中に今も息づいています。
伊邪那岐神(いざなきのかみ)は自分の身を救ってくれた桃の木に、
「私を助けてくれたように、葦原中国(あしはらのなかつくに)に住む美しい青人草(あおひとくさ)が苦しみの淵にいる時や、患っている時、悩んでいる時に、同じように助けてあげなさい。」
と言いました。
そうして、偉大な神の霊が宿るという意味の意富加牟豆美命(おおかむずみのみこと)という名前を授けました。
葦原中国は日本のことです。青人草とは、現世に生きる人を指します。
桃の木は悪いものを遠ざけるだけでなく、人を助ける役割を神様に与えられた植物なのでした。
黄泉国で夫婦喧嘩 4:夫婦の別れと伊邪那美神の呪い
桃の木のおかげで軍勢達は退散しましたが、逃走劇はこれで終わりにはなりませんでした。
最後の最後に、伊邪那美神(いざなみのかみ)が追って来ました。
そのため伊邪那岐神(いざなぎのかみ)は、千人の力でないと動かせないような大きな岩、千引の岩(ちびきのいわ)で黄泉比良坂を塞ぎました。
こうして千引の岩を挟んで、夫婦2柱は向かい合ったのでした。
そこで伊邪那岐神は、離別の言葉である「事戸」(ことど)を言い渡しました。
現代でいえば「離婚しよう」と三行半(みくだりはん)を叩きつけた、といったところですね。
また神様の言葉なのでそれは永遠の効力を持ち、2柱は永久に離別することになります。
それに怒った伊邪那美神が、
「愛しい貴方、貴方がこのようなことをするのであれば、貴方の国の人間一日千人、首を絞めて殺してやる!」
と言い放ちました。
それに対して伊邪那岐神は、
「愛しい貴女、貴女がこのような呪いをかけるのであれば、私は一日千五百の産屋を立てて、人間を誕生させよう。」
と言いました。
神の言葉は、それが放たれた瞬間に効力を持ちます。
こうして毎日千人の人間が死に、千五百人の人間が誕生することになりました。
これは、今も尚効力を持ち続けています。
人に寿命があるのは、この伊邪那美神の呪いによってなのです。
また人は、伊邪那岐神の力によって誕生するのです。
伊邪那美神は千引の岩を超えて現世に来ることは出来ず、黄泉の国で黄泉津大神(よもつおおかみ)になりました。
また、黄泉の国の神となった伊邪那美神には道敷大神(みちしきおおかみ)という別名があります。
「敷」は「及ぶ」という意味があり、道を追いついた大神、という意味です。
この黄泉比良坂を塞いだ千引の岩も、2つ名前があります。
1つは、魔物を道から追い返した神という意味の道反大神(みちがえしおおかみ)です。
もう1つは、塞がっておいでいなる黄泉の国の入り口という意味の、塞坐黄泉戸大神(さやりますよもつとのおおかみ)です。
黄泉比良坂は、出雲国の伊賦夜坂(いぶやさか)と言うところです。
この伊賦夜坂は現存していて、島根県八束郡東出雲町にあります。
三貴子出現 1:清めの儀式
迎えに行ったにも関わらず、結局別れることになった伊邪那岐神(いざなぎのかみ)。
一段落して己の体を見回すと、大変穢れていることに気づきます。
「私は嫌な大変に醜く穢れた国に行っていた。体を清めよう。」
と言って、竺紫(つくし)の日向(ひむか)の橘の小門(おど)の阿波岐原(あわぎはら)に訪れ、禊祓(みそぎはらえ)をしました。
竺紫の日向は、九州の薩摩地方といわれています。
小門とは、小さく狭い海峡のことです。
薩摩地方にある海峡で、阿波岐原というところに訪れたということですが、現在それがどこかは分かっておりません。
禊(みそぎ)とは、川や海などに浸かって心身を清める神事のことです。
私達は毎日お風呂に入りますが、お風呂の起源は実はこの禊です。
豊かな水に浸かって心身ともに清らかになる神道の風習は、現代においても日常生活の中に当たり前に息づいているのです。
日本は水が豊富でインフラがかなり整備されていることもありますが、世界的にみてもっとも湯船につかる民族といえるでしょう。
これは、古来から続く禊の意識が脈々と根付いているからではないかと思われます。
祓(はらえ)とは、汚穢(おえ)とよばれる心身についた不浄なものや厄災をとることです。
祓の方法は、川や海などの水に浸かったり、後は神職が御幣(ごへい)で振ってもらったり、いくつか方法があります。
御幣とは、金銀や五色の紙を串に挟んだ、神職の方が手にしているのを見かけるヒラヒラしたアレです。
清い水に浸かって汚穢などをとることを、特に禊祓といいます。
禊は一般的に裸で水に浸かりますので、伊邪那岐神も身に着けているものをとって裸になりました。
この身に着けているものをひとつひとつ放り投げましたが、そこから沢山の神々が出現します。
三貴子出現 2:禊より出現する陸路の神々 前編
伊邪那岐神(いざなぎのかみ)が禊祓(みそぎはらえ)をして、出現した神様は次の通りです。
御杖:衝立船戸神(つきたつふなとのかみ)
御帯:道之長乳歯神(みちのながちはのかみ)
御袋(みふくろ):時量師神(ときはからしのかみ)
御衣(みけし):和豆良比能宇斯能神(わづらいのうしのかみ)
御袴(みはかま):道俣神(みちまたのかみ)
御冠(みかがふり):飽咋之宇斯能神(あきぐいのうしのかみ)
左の御手の手巻(たまき):奧疎神(おきざかるのかみ)、奧津那芸佐毘古神(おきつなぎさびこのかみ)、奧津甲斐弁羅神(おきつかいべらのかみ)
右の御手の手巻(たまき):辺疎神(へざかるのかみ)、辺津那芸佐毘古神(へつなぎさびこのかみ)、辺津甲斐弁羅神(へつかいべらのかみ)
これら12柱の神様は、陸路と海路に関わる神様です。
黄泉比良坂を走り抜けて逃げ出した伊邪那岐神は、文字通り伊邪那美神と道を分かつことになりました。
それだけでなく、黄泉比良坂を千引の岩を建てることで道を塞ぎ、悪いものが現世に来ないようにせき止めたのでした。
この千引の岩は、道祖神(どうそしん)の起源となる神様です。
道祖神とは、村と村の境目や辻、三叉路などに石碑や石像として祀られている神様で、道を塞いで悪しきものを通さないよう守って下さる神様です。
このような千引の岩を皮切りに、道や境界に関わる神様が沢山出現します。
それは、それだけ黄泉の国と現世を塞いだことが大変重大な事件だった、ということなのでしょう。
出現した神々を、順次紹介いたします。
まずは、陸路に関わる神です。
杖から出現した衝立船戸神(つきたつふなとのかみ)は、杖が突き立っている道の曲がり角にいる神様です。
古来、杖や剣などを地面に突き立てることで、その土地が自分のものであることを示しました。
地面に突き立った杖があることで、そこは私的な土地となったのです。
これから禊祓をするにあたり、プライベート空間を守る神が出現したのでしょう。
と同時に、突き立った杖は道しるべにもなったので、道しるべの神であるともいわれています。
帯から出現した道之長乳歯神(みちのながちはのかみ)は、長く続く道に立つ岩の神様です。
「歯」とは、岩を意味します。
帯が長いから、長い道の神様が生まれたのでしょう。
三貴子出現 3:禊より出現する陸路の神々 後編
陸路に関わる神の続きです。
袋から出現した時量師神(ときはからしのかみ)は、解き放つことの神です。
袋とは、正しくは「嚢」と表記されます。
現代のよくあるような口が開きっぱなしのバッグではなく、口を紐で縛った巾着状のものを指します。
紐を解いて口を開くところから、解放を意味する言葉となったのでしょう。
また、時間を司る神様ともいわれています。
以前にもお伝えした通り、日本の神様は事が起こる前に事そのものが神格化され、神様が出現した後で事が成される、ということがよくあります。
禊祓によって穢れから解き放たれるため、先に解放の神様が出現したのでしょう。
和豆良比能宇斯能神(わずらいのうしのかみ)は、苦労する大人の神様です。
このように言うと、現代のビジネスマンのような神を想像されるかもしれません。
和豆良比は「患ひ」(わずらい)を差しているとされていますが、現代語では「煩い」のことです。
現代の字であてはめて書くと「煩い主の神」となります。
苦労や困難や苦悩が、これにあたります。
心に宿した苦しみも禊祓によって解き放たれ、そのため苦しみについての神様が出現したのです。
道俣神(みちまたのかみ)は、分かれ道の神様です。
袴から出現したので、その形から「道の股」となり「道俣」と名付けられたのでしょう。
飽咋之宇斯能神(あきぐいのうしのかみ)は、飽きるほど食べる大人の神様です。
穢れを大口開けて食らう神ともいわれています。
道祖神の前に置かれたお供え物は、鳥や獣たちによって食べられてしまうことが多いです。
そこから、このような神様の出現に繋がったのでしょう。
ここまで出現した6柱は、陸路に関わる神様です。
三貴子出現 4:禊より出現する海路の神々 前編
ここから先は海路に関わる神々です。
古代の人々は河海に悪霊や邪気が流れていると信じており、そのような悪霊や邪気も神様のひとつと捉えていました。
手巻(たまき)とは、手首に巻く装身具のことです。
この左手につけた装身具から、奧疎神(おきざかるのかみ)・奧津那芸佐毘古神(おきつなぎさびこのかみ)・奧津甲斐弁羅神(おきつかいべらのかみ)の3柱の神様が出現しました。
奧疎神は、海で沖から遠く離れていった疫病神様です。
奧津那芸佐毘古神は、沖の渚の神様です。
奧津甲斐弁羅神は、波打ち際の沖側の神様です。
右手につけた装身具からは、辺疎神(へざかるのかみ)・辺津那芸佐毘古神(へつなぎさびこのかみ)・辺津甲斐弁羅神(へつかいべらのかみ)の3柱の神様が出現しました。
辺疎神は、浜辺を離れていった疫病神様です。
辺津那芸佐毘古神は、浜の渚の神様です。
辺津甲斐弁羅神は、波打ち際の浜側の神様です。
このようにして、衝立船戸神より辺津甲斐弁羅神まで、身に着けた物を脱ぐことによって12柱の神様が出現致しました。
身に着けていたものをとって、伊邪那岐神(いざなぎのかみ)はすっかり裸になりました。
そして禊祓(みそぎはらえ)をするため、いよいよ水の中へと進んでいきます。
「川の上の方は流れが速い、川の下の方は流れが弱い。」
と言って、川の丁度中ほどで程よい流れの中に降りて潜って、体についた穢れを綺麗にすすぎました。
すすいだ時穢繁国(けがれはしきくに)、つまり黄泉の国にいた時の汚垢(けがれ)が神様になりました。
その時出現した神は、八十禍津日神(やそまがつひのかみ)と大禍津日神(おおまがつひのかみ)です。
八十禍津日神は沢山の災禍の神様で、大禍津日神は偉大な災禍の神様です。
「八十」は「沢山」を意味する言葉で、「禍」はよくないことを意味する言葉です。
あらゆる災いについての神様です。
日本の神様はこのように、恐ろしいものも神様に成り得るのです。
三貴子出現 5:禊より出現する海路の神々 後編
八十禍津日神(やそまがつひのかみ)と大禍津日神(おおまがつひのかみ)という、あまりに恐ろしい神様が出来てしまったので、その禍(わざわい)を直すための神様も出現しました。
それが神直毘神(かむなおびのかみ)、大直毘神(おおなびのかみ)、伊豆能売(いづのめ)の3柱です。
神直毘神は、曲がったことを正しく直すことの神様です。
大直毘神は、正しく直すことの偉大な神様です。
伊豆能売神は、厳粛で清浄な女性、という意味です。
名前に「神」がつかないので、神様ではないのですね。
この伊豆能売は、巫女の起源となる存在、といわれています。
禊祓は、とてもかしこまって厳かな神事です。
そのため、このような神事を行うにあたり補佐をする存在が必要となったので出現したのでしょう。
伊耶那岐神(いざなみのかみ)はさらに念入りに、川底、川中、水面と3か所で、体をすすぎました。
3か所それぞれで2柱ずつ、次の通り神様が生まれました。
川底
底津綿津見神(そこつわたつみのかみ)と底筒之男命(そこつつのおのみこと)
川中
中津綿津見神(なかつわたつみのかみ)と中筒之男命(なかつつのおのみこと)
水面
上津綿津見神(うえつわたつみのかみ)と上筒之男命(うわつつのおのみこと)
この3柱の綿津見神は、海の神様です。
これらの綿津見神は、阿曇連(あづみのむらじ)と呼ばれる氏族の祖神です。
「阿曇」が氏族名です。
阿曇の意味は、海人つ霊(あまつみ)とも、網つ霊(あまつみ)ともいわれていて、定まっていません。
ですが、海に関わる一族であることは確かです。
綿津見神の子供で宇都志日金拆命(うつしひかなさくのみこと)という神様が、阿曇連一族を築きました。
日本神話では神々がやがて人になっていったので、日本国民の誰もが何らかの神々の子孫といえるかもしれません。
3柱の筒之男命は、何を神格化した神様なのか諸説ありますが、船の筒柱の神様ではないかといわれています。
この3柱は大阪市住吉区の住吉大社三座に、今も住吉大神(すみよしのおおかみ)として祀られています。
三貴子出現 6:日本人の総祖神現る
伊邪那伎神(いざなぎのかみ)は続いて左の目を洗いました。
すると、天にましまして照りたもう、天照大御神(あまてらすおおみかみ)が出現しました。
次に右の目を洗いました。
すると、月読命(つくよみのみこと)が出現しました。
最後に、鼻を洗いました。
すると、建速須佐之男命(たけはやすさのをのみこと)が出現しました。
この時伊邪那伎神は、
「私は子供を本当に沢山生んできたけれど、最後に三柱の貴い子を得ることができた。」
と、大変喜びました。
それで、自分の首にかけていた連珠の首飾りを外して、これをゆらしました。
珠同士が触れ合って、しゃらしゃらと美しい音が響きました。
伊邪那伎神はこの首飾りを天照大御神に授けて、
「お前は、高天原を治めなさい。」
と命じました。
剣と同じくこの首飾りにも名前があって、御倉板拳之神(みくらたなのかみ)と言います。
こちらは、神聖な倉の棚に宿る神様です。
稲を実らせる稲霊の神は、かつて棚の上に祀られておりました。
だからこそこのような名前なのでしょう。
また、御倉板拳之神もまた穀物の神の1柱といえます。
そのためこのような神が宿る首飾りを身に着けることで、天照大御神もまた穀霊の性格が加算されることになりました。
次に、伊邪那伎神は月読命に
「お前は、夜の世界を治めなさい。」
と命じました。
最後に建速須佐之男命に
「お前は、海原(うなばら)を治めなさい。」
と命じました。
このようにして伊邪那伎神は、三柱に分治を命じます。
中でも天照大御神は、神々が住まう高天原を統治することになりましたので、とても重要な神様といえます。
この後天照大御神は、私達が住む地上を自分の孫に治めさせることに致します。
天照大御神の孫が高天原から地上に降りたことを、「天孫降臨」といいます。
天照大御神の孫である邇邇藝命(ににぎのみこと)の玄孫が、初代天皇である神武天皇です。
その後万世一系で引き継がれ、現代の第125代今上天皇へと続いています。
父側の家系を辿ると、神武天皇にいきつくことを「男系」と言います。
世界でひとつの男系がずっと続いて、且つ王朝が変わることなく約2000年以上も続いている国は、世界で日本以外どこにもありません。
日本は、現存する世界最古の国なのです。
三貴子出現 7:建速須佐之男命の追放
伊邪那岐神(いざなぎのかみ)に命じられ、天照大御神(あまてらすおおみかみ)は高天原を、月読命(つくよみのみこと)は夜の世界を治めておりました
しかし建速須佐之男命(たけはやすさのをのみこと)だけが、命令を無視して海原を治めようとしませんでした。
顎に鬚が生えて、しかもそれがいくつも塊になって胸に至るまで伸びるくらい長い間、激しく泣いていました。
その激しさはすさまじく、青々と緑に満ちていた山が枯山になり、川や海の水がことごとく枯れてしまうほどでした。
しかも、建速須佐之男命の鳴き声に反応して悪神の騒ぐ声が、まるで田植えの頃の蠅のように辺り一面に満ち溢れ、様々な物の怪達による被害が相次ぎました。
伊邪那岐神は建速須佐之男命に
「どうして言われた通りに海原を治めず、泣いてばかりいるのか。」
と尋ねました。
建速須佐之男命は、
「僕は妣(はは)の国である根之堅洲国(ねのかたすくに)に行きたいと思っているのです。それで、泣いているのです。」
と答えました。
根之堅洲国は地底の片隅の国という意味ですが、これは黄泉の国を現しているという説がありますが、どこなのかは明確に分かってはいません。
建速須佐之男命の言葉を聞いて、伊邪那岐神は大変怒りました。
そして
「それならば、お前はこの国に住むな。」
と言って、建速須佐之男命を即刻追放致しました。
伊邪那岐神はその後、淡海(おうみ)の多賀(たが)に鎮座いたします。
淡海の多賀とは、一説には滋賀県犬上郡多賀町多賀の多賀大社のことだといわれています。
ですが日本書紀には「淡路の幽宮(かくれみや)」に鎮座したとあり、現在では淡海は淡路の誤記ではないかという説が有力です。
実際、兵庫県淡路市多賀には伊弉諾神宮があり、そこには伊邪那岐神の御陵(お墓)が現存しています。
国生み、神生みを終え、妻と別れ、沢山の神々と三柱の尊い神を出現させた後。
伊邪那岐神は最初に生んだ淡路島に鎮まり、そこで最期を迎えられたのだといわれています。
天地初発神々が出現し、沢山の神々が誕生した日本神話の草創期は、こうして終わります。
日本神話はこの後、天照大御神と建速須佐之男命を中心として展開されてゆきます。
建速須佐之男命の子孫にあたる大国主神(おおくにぬしのかみ)による、日本の国作りと国譲り。
そして、初代天皇誕生へと続いていくのです。
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