春秋時代
春秋時代(読み)しゅんじゅうじだい(英語表記)Chun-qiu-shi-dai; Ch`un-ch`iu-shih-tai
しゅんじゅうじだい シュンジウ‥しゅんじゅうじだい〔シユンジウ〕
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
中国,東周 (→周 ) 時代の前半をさす。周の平王が都を鎬京 (こうけい) から洛陽に移した平王1 (前 770) 年から威烈王 23 (前 403) 年あるいは貞定王 16 (前 453) 年までをいう。名称は孔子が編纂したと伝えられる『春秋』に由来する。元来周王室の東遷は異民族の犬戎の侵入のためであったから,この時代は有力諸侯が形式的には周王を尊重,異民族を撃退し,中国民族を結合させようとして「尊王攘夷」を唱え,実際は諸侯を集めて同盟をつくり,その覇者として実権を握っていた。斉の桓公をはじめ,「春秋の五覇」と称される諸侯がそれである。やがて諸侯も実権を貴族の卿大夫 (けいたいふ) に握られ,「下剋上」の風潮が現れてきた。旧秩序が崩壊し,新秩序が生れようとする過渡期で,文化・社会面に大きな発展がみられる。
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デジタル大辞泉の解説
《魯(ろ)の年代記「春秋」に記載された時代の意》中国古代、周の洛陽(らくよう)への遷都(前770年)から晋(しん)の太夫韓・魏(ぎ)・趙(ちょう)の三氏が諸侯に列する(前403年)までの約360年間。周王室の権威が次第に衰え、諸侯は互いに対立・抗争を繰り返し、小国を併合した有力諸侯が出現。異民族の中国侵入も相次いだ。「春秋」に記載された期間は前722年から前481年までだが、史家はその前後を含めていう。
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大辞林 第三版の解説
〔魯ろの年代記「春秋」に由来〕
周の東遷から晋が三分して韓・魏・趙が独立するまでの約360年間(前770~前403)。周室の権威が衰え、諸侯が抗争のうちに淘汰され、一方相次ぐ異民族の侵入に対して尊王攘夷を名目として有力諸侯が糾合し覇権を唱えた。
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精選版 日本国語大辞典の解説
中国、東周の前期。紀元前七七〇年の周室の東遷から紀元前四〇三年まで、すなわち、晉の韓・魏・趙三氏の独立によって戦国時代のはじまるまでの時代をいう。魯の年代記「春秋」に記載された時代の意。封建的氏族秩序の崩壊してゆく時代で、周室の権威が次第に衰え、諸侯間の対立・抗争が激化し蛮族の中国侵入が相ついだため、有力諸侯が覇者として中原の支配にあたった。
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旺文社世界史事典 三訂版の解説
前770年周室が洛邑 (らくゆう) に遷都してから,前403年韓・魏・趙三国が晋から分立して諸侯に列するまでの時代
『春秋』が大体この時代を扱っているのでこの名がある。周は洛邑付近を領し,王として尊ばれていたが,諸侯は対立抗争して近隣諸国を併合。初め140余あった国も,春秋末期には有力な国としては10余国となり,周王の権威をかりて覇者が天下に号令した。
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
→ 春秋戦国時代
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世界大百科事典内の春秋時代の言及
【春秋戦国時代】より
…この間の大部分に周王室は東の成周に存続したので東周時代ともよぶ。また前453年で前後に二分し,前半を春秋時代,後半を戦国時代とよぶ。前半の大半の期間のことが魯国の年代記《春秋》に,後半のことが《戦国策》とよぶ書物に書かれているからである。…
※「春秋時代」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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