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三皇五帝

-3350 三皇五帝

さんこうごてい 古代 中国古代、伝説上の帝王。三皇は、伏義(ふくぎ)、神農(しんのう)、女媧(じょか)。五帝は、黄帝(こうてい)・顓頊(せんぎょく)・帝嚳(ていこく)・尭(ぎょう)・舜(しゅん)。(-上古時代)


中国の歴史書に現れる、古代の帝王たち。実在ではない。
いずれも実在ではなく、戦国時代に生まれた国家形神話の中で理想的な統治を行った帝王として描かれた。一般に、三皇とは、伏羲(ふくぎ、狩猟を始めた)・神農(しんのう、農耕を始めた)・燧人(すいじん、火食を始めた)の三神をさし、五帝とは、司馬遷の『史記』の挙げる、黄帝・顓頊(せんぎょく)(暦法の明)・帝嚳(ていこく)・尭(ぎょう)・舜(しゅん)の天子をさすとされる。特に尭舜時代は、治水事業が進み、天子も平和的に継承され(そのような政権交代を禅譲という)、孟子など儒家の思想家によって理想的な時代とされた。舜から禅譲を受けたのが王朝の始祖とされるである。

三皇五帝(読み)さんこうごてい(英語表記)San-huang-wu-di; San-huang-wu-ti

   さんこうごてい サンクヮウ‥三皇五帝 Sān huáng Wǔ dì

中国古代の伝説上の聖天子8人の総称。三皇は燧人 (すいじん) ,伏羲 (ふくぎ,ふっき) ,神農。あるいは女媧(じょか) を数えることもある。別に天皇,地皇,人皇ということもある。五帝黄帝 (こうてい) ,せんぎょく,帝こく (ていこく) ,堯 (ぎょう) ,舜 (しゅん) で,ほかに数説がある。三皇五帝説は戦国時代にまとめられたもの。

中国古代,伝説上の帝王。三皇にはふつう伏羲(ふくぎ)・神農(しんのう)・女媧(じょか),女媧の代りに燧人(すいじん)または祝融(しゅくゆう)があげられるが,天皇・地皇・人皇または泰皇とする説もある。五帝にはふつう黄帝(こうてい)・【せん】【ぎょく】・帝【こく】・尭(ぎょう)・舜(しゅん)があげられる。民間に伝わった説話を,戦国末〜初に帝王の系譜として整理し,三才・五行思想の影響下にまとめたものと思われる。
→関連項目武氏祠

中国古代伝説上の8人の帝王の総称。三皇五帝に分かれる。戦国時代末に,伝説的な帝王を3人あるいは5人にまとめる考えがあり,天皇・地皇・人皇(泰皇ともいう)の三皇説があらわれる。これは天・地・人の三才によって考えた人為的抽象的なものである。代末になると,燧人,伏羲神農女媧などから3人を選んで三皇とする説が行われる。《白虎通》という書物には燧人・伏羲神農とし,《春秋命苞》では伏羲女媧神農とする。

中国古代の伝説上の帝王。中国最古の王朝である(か)王朝の前に、三皇とそれに続く五帝の合計8人の聖王による治世が存在していたと伝えられているが、『史記』が三皇伏羲(ふくぎ)、女媧(じょか)、神農(しんのう)、あるいは天皇、地皇、人皇とする両説を併載しているように、だれを三皇五帝とするかについてはさまざまな説がある。伏羲は易をつくり、女媧人類を生み出し、神農は民に農業を教えたとされ、三皇伝説には神話的色彩が強い。また司馬遷(しばせん)は、五帝に関する記述を『史記』の冒頭に置き、黄帝(こうてい)、顓頊(せんぎょく)、帝嚳(こく)、帝堯(ぎょう)、帝舜(しゅん)の5人の帝について述べているが、それに先行するとされた三皇については疑いを抱いて取り上げていない。

 三皇の記述が『史記』に付け加えられるのは代になってからである。このように、中国の古代史は時代が古いところほどあとから積み上げられたものであり、その立はかえってしいとされている。これを加上説とよぶが、この考え方に従うと、三皇五帝の時代は中国の古代に実在せず、観念的にあとから王朝の前に接ぎ木されたものであることがわかる。三皇五帝がだれであるのか一定していないのも、そのためであると考えられている。

[桐本東太]

史記

中国古代の伝説上の帝王。三皇伏羲(ふっき)・女媧(じょか)・神農(しんのう)、五帝黄帝・顓頊・帝嚳・帝堯・帝舜(人名・配列に諸説ある)。陰陽五行・天文・道徳思想の所産。三五。→三皇五帝
※平治(1220頃か)上「三皇五帝の国をおさめ、四岳八の民をなづる」 〔礼‐春官〕

中国古代の8人の伝説上の帝王
儒学では実在の聖天子と信じた。三皇代に天地人三才の思想から生まれ,通説では伏羲 (ふくぎ) ・神農 (しんのう) ・燧人 (すいじん) (それぞれ漁猟・農耕・火食の明者)の3人をさす。五帝戦国時代に五行説から生まれ,『史記』では黄帝・顓頊 (せんぎよく) ・帝嚳 (ていこく) ・堯 (ぎよう) ・舜 (しゆん) をさす。この8神で,文明・国家・民族の起源を説明しようとしている。